『――とっても悪いお知らせネ。が寝込んでるって、銀ちゃんにバレてしまったアル・・・』

そんな電話がかかってきたのは、流行りの風邪をひいてしまってこっそり家で寝込んでた病人生活二日目のこと。 困った声の神楽ちゃんが言い終わる前に、ぼとっ。手から携帯が滑り落ちる。 重い頭をふらつかせながら身体を起こしたベッドの正面――入口近くの白いチェストの上には小さな鏡が置いてあって、そこに映った自分と目が合う。 38.5度、っていうめったに出さない高熱のせいでちょっと赤みが増してるはずの顔は心なしか青ざめて見えるんだけど、たぶん気のせいじゃないだろう。 ――そんな、まさか、バレたって、どーして!?

「〜〜〜っ、か、神楽ちゃ、っっけほっ、っな、なんで、っっけほ、けほけほ、っっ」
?だいじょぶアルか
「ぅ、うんだいじょ、ぅ、っっけほっけほけほけほっっっ」

止まらない咳に苦しみながら口を覆って、けほけほけほ、けほ、けほけほけほけほけほっっ。
ううっ、つらい、息がつけない、苦しくって涙出てきた。 けほけほするたびに腹筋に響いて全身が揺れるせいなのかな、咳ってすっごく疲れるよね。 起きてるときも寝てるときも24時間お構いなしで胸から昇ってくるこれのせいで、ただでさえ少なめなあたしの体力はたった一晩で底をついてしまった。 携帯をちょっと遠ざけてからめいっぱい咳込んで背中を丸めて、ベッドにばたっと倒れ込む。 突っ伏した掛け布団の上に散乱してる毛布やカーディガン、昨日ベランダから取り込んだまま放置してる洗濯物の堆積層に手を潜らせて、ごそごそ、ごそごそ。 レモン色の喉飴の箱をドラッグストアの袋の中から見つけたところで、ようやく咳が治まった。 銀色の包み紙をかさかさ剥いて、半透明な黄色い粒を、ぱくん。 口の中で転がすとひんやり冷たいレモンミント味が喉の奥まで広がっていって、ひりひりした痛みを訴えてくる喉の熱も少し治まってきたんだけど ・・・なんで、どーして。銀ちゃんたら、どこから嗅ぎつけてきたんだろう。 この散らかった寝室を目撃したのも、風邪をひいたことを知ってるのも、昨日の帰りにばったり会って、熱のせいでふらふらしてたあたしを心配して家まで送ってくれた神楽ちゃんだけだ。 「がこんなに弱ってるってあのケダモノが知ったら大変なことになってしまうヨ、だから私黙ってるネ」なんて約束してくれたやさしい子が、自ら銀ちゃんにバラすはずがない。 なのに、どーして知られちゃったの。どこからどーやってバレちゃったの!?

『情報源は商店街のばーさんたちヨ。、きのう帰りに商店街行ったアルか』
「うん、マツキヨで喉飴とか冷えピタとか買ったけど・・・?」
『そのとき総菜屋のばーさんがを目撃したらしいネ。 仕事に行ったはずのがなぜか昼間に戻ってきたって、マスクしてふらふらでヨロヨロだったって花屋のばーさんと定食屋のばーさんに話したネ。 それを不動産屋のばーさんと乾物屋のばーさんと和菓子屋のばーさんと呉服屋のばーさんと米屋のばーさんが聞いて、そこから街中のばーさんに伝わって銀ちゃんの耳にも届いたアル』
「なにその熟女だらけの伝言ゲーム・・・!もしかしてもうみんな知ってるの、あたしが風邪引いたって街中に知れ渡ってるの!?」
『もちろんネ、ばーさんたちの井戸端ネットワークはあなどれないアル。 私もこの前駅前のラーメン屋で10杯食べると全額タダのとんこつラーメン130杯食べたらすぐ街中に広まってびっくりしたヨ』
「そんなに食べたの神楽ちゃん!?〜〜っっけほっ、けほけほけほっっっ」

けほ、けほけほけほけほけほけほけほっっ。
驚いた拍子に飴が喉の奥に滑り込んじゃって、またお布団に突っ伏して咳込む。
、まだ熱高いアルか』
そう尋ねられてさっき計ったばかりの数字を答えたら、

『それは大変ネ、夜になったらもっと上がってぐったりしてしまうヨ。 ねー、今日は夕方まで仕事ないし、私、今から銀ちゃん連れ戻しに行ってもいいアルヨ』
「え・・・」
が寝込んでるって下のばーさんに聞いたら、銀ちゃんふにゃふにゃででれでれのしまりのない顔して飛び出してったヨ。 あれはロクなこと考えてない時の顔ネ、万事屋でお風呂に入ってるをこっそり覗きに行く時と同じ顔ヨ』
「でも、銀ちゃんおとなしく帰ってくれるかなぁ・・・」
『そこは心配いらないネ。私なら銀ちゃんの一人や二人、腕一本で持ち帰れるアル。 万が一銀ちゃんが暴れても腹に一発キメて気絶させてからテイクアウトするネ』
「さ、さすがだよ神楽ちゃん、頼もしいよ・・・」

さすがかぶき町子供会の頂点に君臨する武闘派女王さま、こういう時は頼りになるなぁ。 なんて感心してたら『それで、どーするアルか』って、もう一度尋ねられてしまった。
「・・・ぅ、うん、そうだよね、どうしようかな、でも、あの、えぇと・・・」
皺だらけになってる洗濯物のパジャマを意味なく指ですりすりしながら、言葉に詰まって黙り込む。
・・・・・・ああ、困ったな。どうしよう、どう答えたらいいの。 実は、答えはもう決まってる。だけどその答えを口にするのは恥ずかしい。 それにとっくに二十歳を越えてるあたしがこんなことを言ったら、呆れられたりしないかな。 あぁむずかしい、迷っちゃうよ――。 それでも熱のせいで回らない頭をどうにか回して、ああでもないこうでもないと言葉を選んでいたところへ、

・・・どどどどどどどどど・・・・・・!

急に部屋中が地響きに襲われて、ベッドやその横の小さなテーブルがぶるぶる揺れる。 えっ、なにこれ、地震?地震なの? 目を丸くして立ち上がろうとしたんだけど、はっとして寝室の入口のほうへ振り向いた。
違う、これって地震じゃないよ。誰かが走ってくる音だ。 玄関ドアの向こうから――このマンションの共用通路のほうから接近してくるその足音は、どんどんこっちに近づいてきて、


――ぴんぽーん。

玄関口の向こうでチャイムが鳴る。
ほら来た、もう来た、さっそく来た。
予想をこれっぽっちも裏切らない展開に、あたしはがっくりと肩を落とした。


ぴんぽーん。
ぴんぽーん。 ぴんぽーん。
ぴんぽーん、ぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴ、

『!?何アルか今の音!もしかして銀ちゃんアルか!?』
「たぶん銀ちゃんだよ。ていうか、あんなことする人銀ちゃんしかいないよ・・・」
『信じられないネ、もう着いたアルかあのエロ天パ!待ってて、私今すぐそっちに行くアル!』
「う、うん、それなんだけどね。とりあえず銀ちゃんと話してみて、万事屋に帰るように説得するよ。 それでもゴネたら電話するから、その時は迎えにきてもらってもいいかな」
『もちろんいいアルヨ。私と定春がすっ飛んで行くアル!』
「うん、ありがとう、・・・うん、うん、じゃあね――」

赤く光る通話終了のボタンを、ぴっ。 あたしが神楽ちゃんと話してた間も、電話を切ってからも、玄関からのチャイムの音はしつこいくらいに鳴り響いてた。
ぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽ、

「〜〜〜あぁもうっっ。はいはいはいはいっ、今出るってばぁ〜〜!」

まるで子供のいたずらの定番・ピンポンダッシュの勢いで連打されるチャイムの音、頭に響いてすっごくうるさい。 けほけほしながらマスクを付けて、なんだか背中がぞくぞくするからカーディガンを羽織って毛布も被って、よろつきながらベッドを出る。 寝室と繋がってるリビングへ出て、そこから廊下をふらふら進んで、
かちゃかちゃかちゃ、がちゃっ、がちゃがちゃっっ。
玄関口でふらつきながらサンダルを履いて、ドアノブの下のチェーンキーを外す。 続けてドアノブのロックを解除したら、
ぐるんっ。途端にドアノブが勝手に回転して、

「――えっ、ぅわ、っっ!?」

だるい身体を凭れ掛けさせてたドアが、ぐいっと外へ引っ張られていく。 おかげで前のめりに倒れそうになって、ドアの向こうから現れた人の胸にぼふっと顔が埋まってしまった。 言うまでもなく銀ちゃんだ。万事屋からここまで、バイクで飛ばして来たみたい。 頭にはヘルメットとゴーグルを着けたまま、腕にはいったいどこで入手したのかお医者さんが着る白衣や聴診器やドラッグストアの袋を抱えて飛び込んできた銀ちゃんは、もう嬉しくて笑いが止まりませんってかんじの満面笑顔だ。 とはいってもその顔つきは目も当てられないくらいだらしないっていうか、さっき神楽ちゃんが言ってたとおりの「ふにゃふにゃででれでれのしまりのない」笑顔だけど。


「どうもー!派遣看護師の坂田でーす!」
「・・・・・・」
「通院の送り迎えに買い物代行、食事作りに掃除に洗濯着替えにお風呂、あらゆる身の回りのお世話を請け負いまーっす! あ、今ならオプションで夜勤の担当医にいたずらされる入院患者プレイとかえっちなお注射プレイも出来ますけどぉ、どーしますーお客さぁーん」
「帰れインチキ看護師」

ぐい、ぐいぐいぐいっ。
テンション最高潮で到着した偽看護師の胸や肩を、ぐいぐい押して通路に出す。 見るからに破廉恥なことで頭を一杯にしてそうな――しかも、それを隠す気なんてどこにもまったくなさそうなかんじに崩れきってる顔の鼻先で、ばたんっ。 勢いよくドアを閉め切ったら、

「うそうそうそ、冗談だって!違うよ違うからね、が熱出してへろへろで動けねーだろうから今のうちに・・・っていやいや違うってそーじゃなくてあれだわあれ、心配だから看病しにきただけだって!」
「言い直したってダメだから。あのね銀ちゃんわかってる、今の銀ちゃん、バラしちゃいけない下心が顔からだだ漏れになってるよ」
「っだよお前銀さんの愛を疑ってんのぉ?ねーって下心なんて、あるわけねーじゃん。 なーなーー、ちゃーん。開けてよここー、ほら見ろってこれ、の好きなアイスもゼリーも桃缶も風邪薬も買ってきたよー!」
「うるさいド変態。一人で白衣着てお注射プレイして鼻からアイス食べて風邪薬100錠飲んでしねド変態」
「・・・えっ、ちょっ、何この音。何をかちゃかちゃやってんの、・・・えっ、もしかしてちゃん鍵掛けてる?」

がちゃっっ、かちゃかちゃかちゃかちゃっっ。ドアノブはしっかりロックして、もちろんチェーンキーだって忘れない。 あぁだけど、こんな細い鎖一つであの怪力セクハラ看護師の不法侵入を防げるとは思えないよ。 普段はだらだらゴロゴロしてばっかりでやる気のかけらも見せないマダオ代表のくせに、えっちなことのためとあればまるで人が変わったみたいに張りきっちゃう銀ちゃんだもん。 ドアは合鍵で勝手に開けちゃうかもしれないし、チェーンキーの一本や二本、その気になればぶちっと素手で引き千切っちゃいそうだし。

「――けほっ、けほけほ、っ。あぁもう、疲れたぁ・・・銀ちゃんのせいで咳がひどくなっちゃったじゃん。もしもーし、聞いてるそこのド変態」
「聞いてる聞いてるー!なに、もしかして気ぃ変わった?部屋に入れてくれんの!?」
「ううん、入れない。あのね、さっきまではね、部屋に入れてあげるくらいはいいかなぁって思ってたの。でも銀ちゃんのせいでそんな気なくなっちゃった。 じゃああたしもう寝るから、静かにしてよね。ていうかさっさと帰りやがれド変態」
「えっっっちょっっ待っ、待ってちゃんっっ、銀さん入れてくんねーのぉぉぉ!?」

変に裏返った情けない声の絶叫が、あたしの部屋まで突き抜ける。 どんどんどんどんっっっ、ドアが破れるんじゃないかって勢いで何度も何度も叩かれて、「違げーって開けてくれって〜〜、銀さんお前が心配なだけなんだってぇぇ〜〜」なんてわざとらしい啜り泣き混じりの訴え(絶対に嘘泣きだ・・・!)がしばらく続いて。 それがようやく終わったかと思えば、さっきを凌ぐ速さでチャイムを叩く悪質なピンポン連打が再開された。
ぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽん、けほけほけほ、けほけほっけほっっっ。
ああ失敗した、やっぱり神楽ちゃんに来てもらえばよかった。ドカっとお腹に一発キメてテイクアウトしてもらえばよかった! 頼んでもいないのにやってきた押し売り看護師のせいでくたくたになって咳が止まらなくなったあたしは、ぐったり倒れた玄関先でぜーはーぜーはーと息切れしながら後悔した。




 猛 毒 い ち ご シ ロ ッ プ




偽物看護師のご近所迷惑なチャイム連打テロは、銀ちゃんのしつこさと執念に根負けして渋々でドアを開けてあげるまで続いた。 ほんとは無視したかったけど仕方ない。だってあのままピンポンピンポン鳴らされ続けたらご近所さんも不審がるだろうし。 もしかしたら警察に通報されちゃうかもしれないし。 あのまま玄関前に居座られたら騒々しくて風邪を治すどころじゃなくなっちゃうし。 それにもし焦れた銀ちゃんが実力行使に出て、築十数年でちょっと古めなこのマンションの玄関ドアをばきっと蹴り壊したりなんかしちゃったら――いやいやいや、それは困るよ、冗談じゃないよ。 それだけはどーしても避けたいよ。 ただでさえ風邪の悪寒にぞくぞくブルブルしてるのに、部屋の中までつめたい木枯らしがひゅーひゅー吹き込んでくるなんて耐えられない・・・!

「――いやいやいや、いくら何でもそこまでしねーって。 勝手に人ん家の鏡の裏改造してやがったどこぞのストーカーくノ一じゃねーんだからよー、人ん家壊してまで侵入しねーって。 ほい、食わせてやっからあーんしてみな、あーん」
「うそだ、銀ちゃん本気だったもん。ていうかあーんとか言うな、恥ずかしい」
「いーじゃん他に誰もいねーんだし。ほいもう一口な、あーん」

差し出されたスプーンに顔を寄せて、ほわほわ湯気を昇らせるお粥を、ぱくん。もぐもぐ、もぐ。
やわらかくてとろとろなお米は口に入れた瞬間からほろほろ溶けて、生姜やお葱のいい香りが鼻からふわりと抜けていく。 たっぷりお野菜と卵が入った銀ちゃん特製手作りお粥は、お腹にやさしいあっさり味だ。 スプーンを口から引き抜くと、銀ちゃんは膝に抱えた一人用のちいさな土鍋から次のひとさじを掬い上げる。 あたしが寝てるベッドの端に腰掛けた自称派遣看護師さんの胸から下では、オレンジやピンクのハートプリントエプロンがひらひらしてる。 裾が三重のシフォンフリルになってるこれは職場の先輩からの頂き物なんだけど、旦那さまとらぶらぶな新婚家庭の奥さま風っていうか、あたしの手持ちの中でも飛び抜けて可愛いめなほう。 20代後半のいい年こいたおっさんは間違っても着けたがらないというか、ふつうの羞恥心を持ってる男の人なら着用拒否するはずのデザインだと思う。 なのに人目ってものをまったく気にしない銀ちゃんときたら、この可愛さに何の抵抗も違和感も感じてないみたい。 さっきコンビニへお使いを頼んだら、あのエプロンを着けたまま「んじゃ行ってくるわー」なんてお尻をぼりぼり掻きながら平然と出て行っちゃって、銀ちゃんが玄関ドアを閉めてからそのことに気付いたあたしのほうがあわてたくらいだ。
ベッドの傍のテーブルには、お箸やお漬物の小皿、お水や風邪薬なんかが載った丸いお盆が置かれてる。 小皿に乗ったお漬物はみじん切りになっていて、お箸で摘んだそれを銀ちゃんはお粥にぱらぱら散らした。 乳白色のなめらかそうな表面にスプーンを潜らせて、一口ぶんを掬い取る。 ふー、ふー、って出来立てあつあつのお粥に息を吹きかけて冷ましてくれる。 スプーンを見つめるその顔がいつになく真剣ていうか、真面目っぽくてなんだかおかしい。

「あれはちょっとふざけただけだって。 ってよー、せっかく看病しに来たのにがぜんっぜん喜んでくんねーんだもん。お前の身体を心配してる優しい彼氏に門前払いとかひどくね」
「誰が優しい彼氏なの、誰が。優しい彼氏は寝込んでる女の子の家でピンポン連打しないからね」

熱のせいで腫れぼったい目でじとっと睨んで、差し出されたスプーンを、ぱくり。 ちょっと不満そうに片眉を吊り上げてるすっとぼけた顔と睨み合いながら、よく煮込まれたとろとろのお粥をもぐもぐもぐ。

「・・・だからぁ、さっき言ったでしょ。今日は銀ちゃんの相手してあげる体力も気力もないの、立つのもしんどいくらいなの。 なのに何あれ、うるさすぎて頭痛くなったよ、うるさすぎて殺意が湧いたよっ」
「だーかーらー、そこはさっきも謝っただろぉ。具合悪くさせた詫びに今日は何でもしてやるって言ったじゃん、お前も許すっつったじゃん」
「・・・」

うん、まぁ、言ったよ。しょーがないから許したよ。だって銀ちゃん、許してあげないと次は何するかわかんないじゃん。 ほんとは言いたいけど言えば銀ちゃんが拗ねちゃいそうな文句も、お粥といっしょにむぐむぐむぐ、ごっくん。 ああおいしい。でも、なんだかもったいないな。 風邪のせいで味覚が麻痺してるのか塩気はあまり感じないけど、それでもこんなにおいしいお粥だもん。 風邪をひいてない時に食べたら、きっと今の倍はおいしいはずだよ。 だけどあたしが万事屋にいる時は銀ちゃんは台所に立たないし、こうして寝込んでる時くらいしか食べられる機会はないんだよね。

「どーよ、うまい?」
「んー、おいひぃよ。すっごくおいひぃ」
「はは、おいひぃって」

むぐむぐしながら答えたら舌足らずになっちゃって、次の一口を盛ったスプーンをこっちに向けて銀ちゃんが笑う。 だけどその笑顔がすっと引いて、出しかけたスプーンも引っ込めて、

「お前さぁ、どーしてうちに電話してこねーんだよ」
「・・・だって銀ちゃん、変なことしそうだし。神楽ちゃんも言ってたよ、あたしが弱ってるのをいいことに寝込み襲ったりしそーだって」
「っだよそれぇ、何でそこまで信用ねーの俺。が嫌がるときは何もしねーって。 こないだ泊まりに来た時だってよー、お前が朝早い日はえっちしたくねーっつーから銀さん泣く泣く我慢したじゃん」
「っそ、それは、だって、仕方ないでしょ!?銀ちゃんとするとすっごく疲れるんだからねっ」
「まぁこっちもしょーがねーから、の寝顔オカズにして抜いたけど」
「は?」

抜く?えっ、抜くってちょっと、――ええええっっ?
さらりと投下された爆弾発言にあたしが目を剥いて絶句したら、銀ちゃんはへらぁっと顔中を緩めたしまりのない笑顔になって、

「お前がヤらせてくんねーからよー、緩みきったかわいー寝顔見てたらそれだけで勃っちまったんだわ。 で、しょーがねーから横ですやすや寝てるのパジャマのボタンそーっと外してぇ」
「はぁ!!?」
「いやいや胸んとこ開けてブラをアレしてアレをアレしただけだからね、ぱんつ脱がすのは踏み止まったからね」
「!?むむむむむねって銀ちゃ、えぇっちょっっっ、何っ、何のこと、ぁ、アレをアレしてって何のこと!?」
「あれっお前なに興奮してんの、え、そんなに銀さんの一人えっちの内容知りてーの。やーんちゃんのえっちー」
「違うぅぅ!とんでもない誤解するなあぁぁ!!!」
「まぁ別にあれだけど、ふつーに抜いただけだけどー。 ブラ汚したら怒られるだろーからちょいちょいっとホック外して上にズラしてー、ズボンも汚しそーだからそーっと下ろしてー、の太腿持ち上げて間に銀さんのアレを挟」
「ぅぎゃあぁあああ!やだやだやめてっそんな生々しい話聞きたくないぃ!」

裏返った声で叫んで両耳を塞いで、ぶんぶん頭を振りまくる。
ばかばか銀ちゃんのばかっ。 そりゃあ訊いたよ、確かに尋ねたのはこっちだよ、だけどそこまで赤裸々に、何から何まで包み隠さず話してくれなんて言ってない! ていうか何なの、何やってんの?知らないうちに人の身体使って何てことしてくれてんのこの人!?
顔どころか耳まで真っ赤になって「ひどいよ銀ちゃんっばかばかばかぁっっ」て罵りながらぽかぽかぽかぽか、べしべし、べしっっ。 とんでもない告白に気が動転して銀ちゃんの胸も肩も顔もお構いなしに叩きまくったけど、この程度じゃ痛くも痒くもないみたい。 銀ちゃんたらあわてるあたしを眺めてにやにやするだけ、攻撃を避けようともしない。

「まあまあそう怒んなって、が話せっつーから銀さん素直に話したんだぜー。あーそうそう、それはともかくよー」
「ちょっ、何それ。何で最低なわいせつ行為を「それはともかく」で片付けよーとしてんの!」
「んだよお前がこの話やめろって言ったんじゃん。いやだからとにかくあれだわ、具合悪りーんならまず俺に知らせろって。 おかしくね、街中のババアがが寝込んでるって知ってんのに彼氏が知らねーって変じゃね」
「えっ。えと、それは、だって・・・・・・〜〜っ」

足元を覆うお布団のレースが付いたカバーの端っこを握って、小声でもごもごもご、ぽそぽそぽそ。 それでも銀ちゃんが「何、何だよ」って不満そうに片眉を吊り上げて問い詰めてくるから、困ったあたしはぷうっと頬を膨らませてそっぽを向いた。
――あたしが風邪で弱りきってるって知ったら、銀ちゃんがここぞとばかりに喜び勇んでケダモノ化しそうだから。 もしそうなったら、あたしの体調がさらに悪化しそうだから。 熱を出して寝込んでも銀ちゃんに連絡しなかった理由は主にそこだけど、それ以外にも理由はある。 だからこうして問い詰められるとつい張り合いたくなるっていうか、違うもん、それだけじゃないもん、って言い訳しちゃいそうになるんだよね。
だけど・・・出来ればあんまり言いたくないな。出来れば隠しておきたいっていうか、知られたくないんだよね。 だって恥ずかしいし。知ったら銀ちゃん喜ぶかもだし。喜んでもっと調子に乗りそうだし。

「お前昨日から熱出してんだろ。一人でぐったりしてたんだろぉ。 部屋ん中見た限り昨日からへろへろだったみてーだし、飯も食ってねーだろ」
「・・・。そんなことないよ、昨日も今朝もちゃんと食べたよ」
「そーかぁ?その割には台所使った跡ねーんだけど」

流しにコップ一個転がってたけど、それだけじゃん。
ぼそりと指摘されてしまって、きまり悪さに息を呑む。 しかも銀ちゃんたら、じとーっとこっちを見つめたまま。 ふわふわな白い天パの前髪に隠れた半目はいつも通りに眠そうでとぼけきってるくせに、一秒たりともあたしから視線を外そうとしない。 何一つ見逃してくれなさそうなその視線のおかげでだんだん居心地が悪くなってきて、あたしは傍にあったクッションを抱きしめて顔を隠した。
・・・そうだよね、週に一度はうちに泊まってるんだもん、そのくらいのことは気付くよね。
さっき「昼飯まだだろ、作ってやるよ」って銀ちゃんが言い出した時も、これはまずいかなって思ったんだよね。 ちなみに「流しに転がってたコップ」は、ゆうべ解熱剤を飲んだ時に使ったコップだと思う。 昨日は今日よりも頭がぼーっとしてたから、自分の行動なのに記憶が曖昧なんだけど――そのコップ一つを洗おうにも身体がだるくてふらふらで立っていられなくて、仕方なくそのまま放置したんだっけ。

「ぉ、お水は飲んだよ。でもごはん作る気力なかったし、食欲もなかったし」
「・・・やっぱ食ってねーじゃん。よかったわ、無理やり上がり込んで。まぁ上がり込めなくてもどーにかするつもりだったけど」
「どーにか、って何。銀ちゃんまさか、あたしがあのまま玄関開けなかったらドア蹴り倒して入るつもりだったの」
「んなことしねーって、壊してもドアの修理代払えねーし。つーか別にドア開かなくても入れるし」

ほい、と目の前にスプーンを差し出してきた銀ちゃんをきょとんと見上げる。
入れるって、どこから?あわてて万事屋を飛び出してきたから、今日はうちの合鍵持ってないって言ってたよね。 なのに、どこからどーやって入る気だったの。 首を傾げて眺めてたら、銀ちゃんはあたしが何を考えてるかが判ったみたいだ。 クリームイエローのカーテンの隙間からやわらかい陽射しがこぼれ出てる後ろの窓に振り向いて、スプーンの先でひょいって指して、

「例えばそこな、そこの窓。ドア壊すくれーならベランダ伝いにここまで昇っちまったほうが早ぇーだろ」
「はぁ?昇るってここ、三階なんだけど」
「いやいや三階くれーならふつーにイケるって。 このマンション外壁高めになってんだろ、あれによじ登って二階のベランダに飛び移ってそっから」
「銀ちゃんそれ完全に泥棒の手口だよ。もう、やめてよねそーいうの、ご近所さんに通報されたらどーす・・・っっけほっ、けほ、けほっ」
「あーあー、大丈夫かぁ。喉に悪りーからあんま喋んなって」

うぅぅ、苦しい。喋りすぎたよ、咳が止まんない。 身体を丸めて咳込み始めたら銀ちゃんが背中を撫でてくれて、目の前を塞ぐみたいにして指を伸ばして迫ってきた手が、ぴとっ。 大きな手のひらで前髪ごとふわっとおでこを覆われたら、なぜか身体中がきゅうっと竦む。 カーディガンを掛けられた肩を思わずぎゅっと縮めてしまうようなその感覚は、風邪の寒気にもちょっと似てるんだけど――似てるんだけど、寒気じゃない。 だってこれが単なる寒気だったら、急に心臓がとくとく弾み出したりするはずがない。
あわててぷいっと顔を背けて視界に入る長い指を見ないようにしたのに「ん、どーしたぁ」って不思議そうに顔を寄せられちゃって、びっくりして変な声が漏れそうになった。 うぅぅ、なにこれ、触られてるところがくすぐったい。銀ちゃんの指先がちょっと動いて擦れただけで首を竦めたくなっちゃうよ。 何度も触れられてだいぶ慣れてきたはずの硬い感触と体温が、なぜか今は、ほんの軽く肌を掠められただけで飛び上がりたくなるくらいくすぐったい。 いつもと違わない触れられ方のはずなのに、何かが少し違ってる気がする。 それってお粥の塩気を感じなくなってるみたいに、熱を出して身体の感覚がおかしくなってるせいなのかな。

「んー、まだまだあっちーな。冷えピタあるよな、貼っとく?」
「っっ。ぎ、銀ちゃん離れてよ、風邪うつるでしょっ」
「平気だってこのくれー」
「だめだよ、平気じゃないよ。うつったらお仕事出来なくなっちゃうじゃん。最近依頼増えて忙しいんでしょ」
「んぁー、そりゃあ前に比べりゃ忙しいっちゃ忙しいけどー」
「熱出たら働けなくなっちゃうでしょ、銀ちゃんが寝込んじゃったら新八くんと神楽ちゃんが大変だし。 ・・・そ。それに。・・・・・・いやなの。うつしたくないんだもん。あたしのせいで銀ちゃんが風邪ひいたら、やだ」

できれば知られたくなかった本音を――風邪をひいて寝込んでも銀ちゃんに頼らなかったもうひとつの理由を、ごにょごにょ、ぽそぽそ。
面と向かって話すのが恥ずかしいから、あたしの膝元に掛かってた銀ちゃんの白い着物の袖を弄りながらしどろもどろに打ち明ける。 それを聞いた銀ちゃんは、「へ?」ってかんじで目を丸くしてきょとんとしていた。 だけど少しずつその表情が和らいでいって、肩を揺らしてくくっと笑う。こつん、とおでこをくっつけられる。 これ以上ない近さでお互いの視線がぶつかったら、とくん、と心臓が高く跳ねた。 うぅっ、って肩を竦めてもじもじとうつむけば、「んだよお前、照れてんの」ってからかわれる。 あたしの表情を確かめようと顔を傾げて上目遣いに覗き込んできた銀ちゃんは、意地悪っぽく笑ってた。

・・・そうだよ、照れてるよ。
らしくないこと言っちゃったし、なのに銀ちゃんは目の前だし、恥ずかしくってどうしたらいいかわかんないよ。
だってあたし、こういうことに慣れてないんだもん。 はじめて男の人と付き合うことになったお付き合い初心者が、こんなことされて意識しないなんて無理だよ。 そりゃあ銀ちゃんにとってはたいしたことないっていうか、何も感じないのかもしれないけど。ただ単に熱を確かめてるだけかもしれないけどさ。 これってキスする直前と同じ距離だもん。こうしてると銀ちゃんの息遣いまで頭の中にはっきり響き渡って、それだけで身体が熱くなっちゃう。

ー。ちゃーん」
「な。なに」
「なんで目ぇ合わせてくんねーの。こっち見て」
「・・・やだ」
「こっち見てくんねーとちゅーするけどー。銀さん風邪うつっちまうけどいーの」
「・・・っ」

・・・・・・何なのその変な脅迫。それって脅迫者が自分を人質にしてるよーなものだよ、意味わかんない。
なーなー、ー、っておねだりするみたいな甘い声に上からぼそっと囁かれて、顔がかぁっと熱くなる。 手の中にあった白い着物の袖を握りしめて落ち着きなく視線を左右に泳がせてから、おそるおそる目を合わせてみた。 すると銀ちゃんがふっと瞳を細める。あれっ、と不思議に思って瞬きした。
どうしてだろう、銀ちゃんの表情がさっきまでと違う気がする。 眠たそうですっとぼけてるところは同じなんだけど、どこか――そう、どこかちょっとだけ、ぎこちないような――

「んだよお前、自分のことより俺の心配してんの。素直にそう言やぁいーのに」
「・・・っ。し、心配っていうか・・・」
「え、もしかしてあれなの。俺に連絡してこなかったのって、最近うちの依頼が多いから風邪うつして邪魔したくねーとか思ってた?」
「っっ」

薄笑いを浮かべた顔に尋ねられて、かああぁぁっ、と耳まで燃え上がる。
違う。違うよ。それだけじゃないよ。他にもあるよ、銀ちゃんを呼ばなかった理由。
・・・・・・・・・・・・まぁその、その中でも一番気にしてたのは風邪をうつしちゃいそうだったってとこなんだけど。
口で言うのは恥ずかしかったから、黒いインナーのお腹のあたりに視線を落としてこくんと頷く。 そしたら、ふーん、って銀ちゃんが意外そうに唸って、
「なんかお前あれな、熱出るといつもより素直になんのな」
ガキみてぇでおもしれー、って人の顔を無遠慮に覗き込んで、からかい半分ににやにや笑う。 さっき額に触れた右手が今度は耳元へ指を伸ばしてきて、赤らめた耳に掛かった髪を掻き上げられる。 爪先がすこしだけ肌を掠めて、たったそれだけなのにカーディガンを掛けた背中がぞくってするほどくすぐったい。

「ふーん。へーぇ。そんなに銀さんのこと心配だったんだぁ。へーぇ」
「――っ」

髪を避けて露わにした耳に唇を寄せた銀ちゃんが、いかにも意外そうなかんじを装ったわざとらしい口調で尋ねてくる。 ぶんぶんぶんっ、とあたしは大きくかぶりを振って思いきり否定した。
・・・いやほんとは当たってるけど。銀ちゃんが言ったとおりなんだけど。だけど無理、無理無理無理っっ。 こんな近くから見られてたら恥ずかしくて認められない・・・!

「〜〜ばっかじゃないの、銀ちゃんてほんと自惚れすぎっ。とにかくマスクくらいしてよ、ほら、あそこの、チェストの引き出しに――」

昨日買ったマスクの場所を教えようと指を差しかけたのに、その手をぎゅっと握られる。えっ、何で? その手にあたしの目が釘付けになると、銀ちゃんは何を思ったのかベッドに乗り上げてきた。 マットをあたしごとゆさゆさ上下に揺らしながら膝で進んできて、お布団の下で伸ばしてた脚をひょいと跨ぐ。えっ、だから何で?

「?ちょっと、ぎ、銀ちゃ」
「心配してくれんのは嬉しーけどー。いーわ、いらねーわマスク」
「え?」

太腿の上で、どすん。勢いよく腰を落とされたら、ぎっっ、と真下でマットのスプリングが甲高く軋んだ。 ぐいっっ。腕を引っ張られると同時で迫ってきた顔が、こっちをじっと見つめてる。 ふっと口許をだらしなく緩めて笑って、一瞬であたしの視界をまっくらに変えて――

「そんなもん付けたらとちゅーできねーじゃん」
「――っう、〜〜っっ!?」

あったかくてやわらかいものを、ふにっと唇に押しつけられる。 自分のものとは違う熱とかさついた感触に覆われてどきっとして、咄嗟に飲み込んだ呼吸と声にならない悲鳴が口の中に閉じ込められる。 息を詰めたままの唇からふっとあたたかさが離れていって、かと思えばまた覆われて。
ちゅ、ちゅ、ちゅ。 そのまま二度、三度と音を立てて啄まれて、いきなりのキスに目を剥いて固まってる間にすかさず舌が滑り込んできて、

「ゃ、ぎ、ちゃ、まっ、かぜ、うつっ、っっん、」

焦って顔を振ろうとしたけど、両側からほっぺたを押さえられた。
斜めに顔をずらした銀ちゃんに舌を奥まで差し込まれてしまえば、顔の向きひとつ変えられない。 後ろに逃げようとしたら、枕とクッションがもこもこと重ねられた背凭れとベッドのヘッドボードが壁を作ってる。 あたしの舌裏をちろちろと舐め上げながらゆっくり舌を引き抜いた銀ちゃんの唇が、にんまりと愉しそうに弧を描く。ふ、と笑い混じりな吐息を漏らして、

「はは、あっちー。の口ん中」
「〜〜っ。ぅう、ぎ、ひゃ、って・・・っん、んふ・・・っ」

銀ちゃんだって熱いよ。 あたしのほうがうんと体温が高いはずなのに、ぬるりと潜り込んできた銀ちゃんの舌と唇だって同じくらい熱い。 その熱い舌で敏感な奥を撫でられて、かと思えば舌全体を絡め取られて、口の中を唾液ごと掻き混ぜるみたいにぐちゃぐちゃにされたら息もつけない。 頭の中までぐちゃぐちゃになっちゃいそうな荒っぽいキスのせいで、口の中の温度がじわじわ上がる。くちゅ、くちゅって水音も鳴る。 その音が鳴るたびに身体に震えが走るくらい恥ずかしいのに、ざらざらした感触に撫でられるだけでどんどんきもちよくなってきて。 舌先でつぅっと上顎の裏側をなぞられたら、そこから全身に甘い痺れが回っていって。 枕やクッションで支えてる背中が風邪の悪寒とは違う何かでぞくぞくして、ぶる、って背筋が震え上がって――

「――っふ、ぁ・・・っ」
「なぁ、感じた?どこがきもちいいの、教えて」
「〜〜っっ。も、やぁ、ぅ」

んんっ、って頭をぶんぶん振って、胸を押し潰す重たい身体の下で腰を捩る。 圧し掛かってきた硬い胸板を押し返したり、黒いインナーの衿をぐいぐい引っ張ったり。 あれこれやってどうにか銀ちゃんから離れようとしても、顔を押さえてる大きな手はたいして力を籠めることもなくあたしを引き戻してしまう。 涙が滲んできた目を薄く開ければ、さっきとは視界に映るものが違ってる。真上に天井とライトが見える。

・・・・・・あれっ。待って、ちょっと待って。 ライト?どうして真上にライトが?

ぱちぱちぱち、と忙しなく瞬きを繰り返して、驚きの事実に目を見張る。
気付けばあたしは銀ちゃんの無駄に見事な早業によって押し倒されてたみたいで、ずしりと圧し掛かってくる分厚い胸板でしっかりベッドに組み敷かれてた。
・・・・・・何これ、どーしてこんなことになってるの。何これ何なの、意味わかんない!

「っ、ちょっ、んむっっ、ぎ、銀ひゃっ!」
「はいこれでうつったー、完璧に風邪うつったー」
「はぁ!?」
「俺も風邪引いてっから近くてもいーよな、好きなだけちゅーしていーよなぁ」
「な、なな、っなにそれ・・・っっ!?うぁ、やめ、ゃ、ぎんちゃ、っ」

頭のてっぺんにおでこにこめかみ、鼻先に唇、火照りきったほっぺた、触られると弱い耳の中。
抵抗するあたしの手を器用に避けたり掻い潜ったりしながら銀ちゃんは迫ってきて、ちゅ、ちゅ、って甘い音を鳴らして何度も肌に口づける。 「まぁまぁいーじゃん」なんてへらへら笑う唇はだんだん下へ降りていって、熱くて濡れた感触を首筋に押しつけてきつく吸う。 ぁん、って鼻にかかった声をもらして仰け反れば、肌に吸いついた唇がかすかに笑って。

「今日はお前、どこ触っても熱いよなぁ。ナカはもっとあっちーけど」
「ひぁ・・・んっ」

耳から首筋に唇を這わせながら火照った肌に囁きかけられて、寒気みたいなきもちよさがぞくりと背中を這い上がる。
鎖骨をつぅっと舌先でなぞられて、唾液で濡らしたそこにも吸いつかれて。 パジャマのボタンをぷちぷち外して淡いブルーのブラを晒した胸にも、鮮やかな赤い痕を刻みつけられる。
「ん、やーらけー。いー匂いー」
満足そうにつぶやいて深く息を吸い込むと、胸元に顔を埋めてまた肌に吸いつく。 やだ、やだ、ってあたしは泣きそうな顔でねじれまくった癖っ毛頭を押し返した。 だって熱のせいで汗をいっぱい掻いたのに、昨日からシャワーもお風呂も使ってないのに。銀ちゃんはいい匂いだなんて言ってたけど、とてもそうは思えないよ・・・!
だけどいくら押しても銀ちゃんは離れてくれなくて、それどころか膨らみをブラごとむにっと鷲掴みにして、長い指を大きく使って揉み始めて。 その手がくれる甘くて強めな刺激にあたしはびくびく震えるだけになってしまって、胸の間にも、膨らみを包むカップの上辺に沿ったところにも、「好きなだけちゅー」をやりたい放題に実行されてしまった。 吸いつかれるたびに身体がぞくっと震えてしまう。お腹の奥がきゅんとして、そんな自分にびっくりする。 引き結んだ唇を手のひらで押さえても、指の隙間からはぁはぁとこぼれるせつなそうな息遣いは光が射し込む真昼の明るい部屋に切れ切れに響く。 やだ、どうして。キスされただけでこんなに感じてる自分が信じられない。はずかしい。なのに声が我慢できない。 目の奥がかぁっと熱くなってきて、今にも泣いちゃいそうだ。どうしたらいいのかわかんない・・・!

「ふ・・・ぅ、ん・・・んん・・・っ、もぅ、ぎっっ」
「んだよ、何。ちゅーされんのやだった?」
「〜〜っ。ばかぁ・・・っ」

・・・いやだなんて思ってない。そうじゃないから、困っちゃうんだよ。
赤く染まりきった頬に、いつのまにか滲んでた涙がじわぁっと染みていく。 力が入らない脚をちょっとだけ振り上げて、あたしの上に図々しく跨ってるお尻をお布団の中からどかっと蹴った。 それでもまだ悔しかったから銀ちゃんを睨みつけたのに、それは逆に銀ちゃんを喜ばせることだったみたい。 一度離れた顔がまた迫ってきて、得意げに口端を吊り上げた唇を押しつけられる。ぺろ、って舐められた上唇から口内を割られる。 とろりと濡れた熱で内側を掻き乱されるとすぐにはぁはぁと息が上がって、息苦しさに悲鳴を上げてる身体中が熱く痺れる。 昨日から続いてる発熱や咳のおかげで、体力が激減しちゃってるせいかな。 ただキスされてるだけなのにぐったりしちゃって、もう手足に力が入らない。
どうしよう、早くも体力の限界かも。でも、銀ちゃん、もっとしたいのかな。キス以外のこともしたいのかな。
そんなことを考えちゃう自分はおかしいと思うのに、いつもこのベッドで銀ちゃんにされてる「キス以外のこと」を思い浮かべたら、お腹の奥にあるもどかしい熱さが急に膨らむ。 だめだめ、だめだよ。これじゃ完全に銀ちゃんのペースに嵌まっちゃう。 そう判ってても、ちゅ、ちゅ、ってやわらかいキスを落とされ続けるうちにとろんと意識が蕩けてきて、ぼうっとして何も考えられなくなってきたあたしはお布団の中の下半身をもじもじと捩ってしまった。 唇を塞ぐ熱が離れていっても、唾液で濡らされた唇を親指の先でなぞられても、はぁ、はぁって乱れた吐息をこぼしながら銀ちゃんを潤んだ目で追ってしまう。
そんなあたしの頭をやけに嬉しそうになでなでしてた銀ちゃんが、何かを急に思い出したような顔して手を止める。 うへへ、と目尻をでれでれに下げたやらしいかんじの笑みを浮かべると、こつん。 おでこをくっつけてきて、ぐりぐりぐりぐりって押しつけて、

「いやーこうしてると思い出すわー、かわいかったよなぁあんときの。 俺が上に跨っても目ぇ覚まさねーくせに反応がいちいちえろくてよー」
「・・・ふぇ・・・?」
「いやだからあれな、の寝顔をオカズに抜いた話のつづき。 お前さぁ、寝てる時にちゅーしたり胸揉んだりすると無意識に声出したりむにゅって俺の手に胸押しつけたりするんだわ」
「・・・・・・、は?」
「知らねーうちにイタズラされてあんあん言っちゃうちゃんも思う存分眺めたしぃ、えっち無しでも銀さん大満足したわー」
「はぁぁああ!!?〜〜なにそれ最低っっっ、信じらんないっ、信じらんないぃぃっ」

何なの、寝てる間にちゅーって!胸揉んだって! 人の安眠中に何をどこまでやってたのこのド変態、油断も隙もないんだから!
夢の中にいるみたいなぽや〜っとした気分に浸ってたあたしは、そのいかがわしいカミングアウトのおかげで一気に目覚めた。 ただでさえ火照ってた顔にさらに血の気が昇っていってすっかり真っ赤になっちゃって、「いやぁあああ!」ってわなわな震えながら傍にあったタオルを掴む。 「っとにあの時のはやばかったよなぁ〜〜」なんて幸せそうににやけてる変質者に振り下ろす、いくら頑張ってもあんまり力が入らない腕でべしべし殴る。 何それっ、銀ちゃんたらあたしを一人えっちの道具にしただけじゃ飽き足らずにそんなことまでやってたの!?
そういえばあの次の日の朝、えっち禁止した翌日にしてはやけに機嫌よかったよね。 二度寝三度寝当たり前のお寝坊さんにしては妙に晴れやかっていうか、妙にすっきりした顔してたよね!?


――その後。
キスで自主的に風邪に感染するっていうお医者さんが呆れそうな行為をけろりとやってのけたセクハラインチキ看護師は、人が寝てる間に勝手に励んだ一人えっちの詳細まであれこれ披露してすっかり絶好調、すっかり調子に乗っていた。 いかがわしい上に生々しい話を聞きたくもないのに聞かされたあたしはかなり納得いかなかったけど、これ以上怒って興奮するともっと具合が悪くなりそうだから言われたとおりにお粥を食べた。 渋々でおとなしくなったあたしを愉しそうに眺めてた銀ちゃんは、それでまた調子に乗ったみたい。 機嫌良さそうに鼻唄なんか歌いながらあたしを自分のほうへ引き寄せて、後ろから抱っこする恰好で脚の間に座らせた。
冷めかけた土鍋から乳白色のお粥を掬って、にやつきながらスプーンを差し出して「ほい、あーん」。
そうやって食べさせてもらったお粥の味がほんのり甘くなったようなかんじがしたのは、身体と身体が隙間なくくっついたせいでまた熱が上がって、味覚がさらに麻痺しちゃったせい・・・だったのかな。




「猛毒いちごシロップ #1」
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text *riliri Caramelization  2015/10/10/      next →