(この先、二度とには近づかない。ここにも二度と足を向けない。)
最初は抵抗していた義兄が自分から折れてそんなことを言いだすまで、たいして時間はかからなかった。
銀ちゃんはそれでもまだ何か言いたそうにしていて、義兄の車が停めてあった地下駐車場までついて行った。
そのまま暫く戻ってこなくて、わたしは血の匂いが微かに漂う暗い部屋でひどく不安な気分を味わった。二人は何を話しているんだろう。
銀ちゃんは義兄に何を尋ねたかったんだろう。義兄は銀ちゃんにどう答えるだろう。
わたしのいない場所での二人を考えれば、余計に不安が募っていった。
ひたすらにわたしを罵っていたときの義兄の姿を、泣き喚く義兄を見下ろしていた銀ちゃんのこわいくらいに冷えきった表情を、どうしても思い浮かべてしまう。
けれどようやく戻ってきた人には、普段と何も変わらないとぼけた態度が戻っていた。
「はい、これ」と気楽な口調でわたしの手に二つの物を乗せてくる。一つは鍵。
義兄が勝手に作って持っていた、この部屋の合鍵だ。もう一方は黒い薄型のモバイル端末――携帯電話だった。
義兄の懐から取り上げておいた、と銀ちゃんは教えてくれた。どうしてこれを義兄から奪う必要があったんだろう。
ひび割れた液晶画面と銀ちゃんの顔を見比べていると、ばつが悪そうな苦笑いを漏らして、
「写真な。全部消しといたから」
「しゃしん・・・?」
「そ、お前の写真。フツーに隠し撮りっぽいやつと、動画もな。
動画のほうは・・・まぁ、あれだわ。女なら誰でも、こんなときに撮られたかねーだろーなぁってかんじのヤバいやつ」
「・・・・・・っ」
言葉もなく青ざめてソファにへたり込んでしまったわたしを、首を傾げて覗き込んできた銀ちゃんが困ったような目で眺めて笑う。
「・・・悪い。黙って処分しちまえばよかったな」
そう言われて宥めるように腕の中に閉じ込められても、頷くことすら出来なかった。
――知らなかった。気付かなかった。義兄に撮られていたなんて。
「銀ちゃんも見たの、義兄さんが撮った写真」そう尋ねてみたけれど、黙ってわたしの髪に唇を落とすだけだった。
少し経って落ち着きを取り戻してから、他に何を話したのかも尋ねてみた。けれど、曖昧にはぐらかされるだけで教えてもらえない。
だから銀ちゃんが持ってきたカメラを指して、その次に気になっていたことを尋ねてみた。
「これでどこから撮ってたの」
(前に素行調査で張り込んだ場所があっから、そこにするか。持ち主のオヤジも知り合いだし)
今日の計画を二人で立てたときにそう説明されただけで、具体的な場所は聞いていない。
ああ、と少しだけ考え込んだ銀ちゃんが、血で汚れた手でわたしの手を握る。
そのまま窓辺まで連れて行くと、硝子越しに一つのビルの屋上を指して、
「あれ。あの細っせービルな。あの屋上」
「・・・あれ?」
「そぉ、あれ」
こつこつ、と窓硝子をノックする指先が示したそこは、思った以上に近場だった。
きらきらと光り輝く高層ビルがひしめく華やかな夜景のもっと手前に、そう高くない、けれど木の幹のように細長いシルエットが見える。
このマンションから一区画ほど離れた繁華街のあたりだ。
近いだけあって、屋上のフェンス際で照らされている弁護士事務所の看板の字もはっきりと読める。
だけど似たようなビルで混み合っているあの繁華街の一角から、この部屋の様子が見えるんだろうか。
不思議になって見つめていると、
「言わなかったっけ。前にここの住人のおっさんから嫁さんの浮気調査頼まれてよー。
そん時もうまい具合に見えたから今回も使えるだろーとは思ってたけど、かなりくっきり撮れてたぜ。この暗さだってのに」
「そうなんだ・・・」
「まぁ、証拠写真なんざ必要なかったかもな。脅すだけで十分だろ、あの手のお坊ちゃんは」
そう言われて、小さく頷く。
銀ちゃんに調査を頼んできた依頼主は、どの階の人だったんだろう。そんなことをぼんやりと、ほんの少しだけ考えた。
「で、どーよ。これからはあの男も来ねーだろーし、少しは気楽に過ごせんじゃねーの、お嬢さん」
うん、と深く頷き返すと、後ろに立った銀ちゃんがわたしの肩に両腕を回して引き寄せる。
肩上も背中も、顔が寄せられたうなじも、やさしく包み込んでくれる身体の熱で心地よく温められていく。
肩を抱いてくれた手に触れて、血がこびりついたままの肌を撫でる。ああ、これは義兄の血だ。
そう意識してしまえば、抱かれた肩がわずかに竦む。わたしは爪の中まで血が入り込んだ長い指から目を逸らした。
――夜が深まって闇の色も濃くなってきたせいなのか、広い窓に無数に映る夜景の光は却ってまばゆさが際立って見えた。
隙間なく触れ合い重なり合ったわたしたちの姿は、暗い硝子の中で影のように透けている。
頭の中に浮かんでいたのは、これまで誰にも打ち明けなかったわたしの思いだ。
言おうかどうかしばらく悩んだけれど、今なら打ち明けられる気がした。
「・・・わたし、あの人のことずっと憎んでた。あの人を殺してわたしも死のうって・・・そう考えたこともあるの」
死にたかった。あの家で過ごしていた三年間、そう思わない日は一日もなかった。それしか考えられなくなっていく自分がこわかった。
そうやって怖がる一方で、自分の中にいるもう一人のわたしの声にじっと耳を傾け続けていた。
(苦しいんでしょ?辛いんでしょ?だったらいっそ、この人を殺してしまえばいい。その後で何もかも終わりにしたら、きっと楽になれるよ。)
彼女はいつもそんなことを囁いてきた。でもわたしは彼女に従えなかった。耳を塞いで抗い続けた。
母のためじゃない。いくら死にたいと思っても、自分から死を選ぶことに対する恐怖のほうが上回っていたから。
義兄のことも殺せなかった。殺したいと思わなかったからじゃない。殺すのがこわかったからだ。
なにもかもが、誰も彼もがこわくて、誰にも助けてって言えなかった。
母さんのためなら、何をされても我慢するしかないんだと思っていた。
(――義兄の奴隷としてしか扱われないわたしのような子は、きっと、自由に死ぬことすら許されないんだ。)
追い詰められたわたしは、いつしか本気でそう思っていた。
恐怖と苦痛で雁字搦めにされてすっかり麻痺した心のどこかで、いつの間にかそう思い詰めていた――
「でも・・・家を出て、一人で考えてみたらわかったの。わたしが死ぬなんて、おかしいって。
死にたい、なんて思い詰めるようなことをしてくる人のために、わたしが死ななきゃいけないなんて。それって、なんてくだらないんだろうって」
「ふーん・・・・・・、なぁ。初めてだな」
「え?」
「初めてだろ、お前がこんだけ考えてること話してくれんの。
うちにお前連れてきた・・・えーとあの子、六丁目の、目つき悪りーブサ猫飼ってる。あ〜〜、何だっけ」
ごつん、と窓に額を押しつけ、んぁー出てこねー、と目をきつく閉じた銀ちゃんが唸る。
わたしの大学の友達を思い浮かべたのに、彼女の名前がどうしても出てこないらしい。
『ここの便利屋さん、安いし何でもやってくれるよ。ちょっと変わった人だけど、相談するだけでも気が楽になるよ』
そう言って励ましてくれて、他学部の男子からの病的にしつこいメール攻勢に困っていたわたしをかぶき町へ連れて行ってくれたのが彼女だった。
彼女の飼い猫がいなくなった時に銀ちゃんに依頼したのがきっかけで、それから何度か頼まれ事を引き受けてきたらしい。その子の名前を口にすると、
「そうそう、あの子な。あの子がお前と一緒にうちに依頼に来た時はよー、正直驚いたもんなぁ。
何この子いつから超能力者になっちまったの、よくこの無口で無表情な子と話通じるよな、女ってすげーわって思ってたんだわあん時は」
「・・・知らなかった。そんなこと思ってたんだ」
「思った思った。あの頃は俺ばっかペラペラ喋り倒しで、お前はずーっと黙りこくってこっち見てるだけだったしよー。
正直よー、お前と二人きりになると困ったもんなぁ。ああこの子呆れてんのか、とか思ってたし。
おっさん煩せー喋り過ぎ、とか内心では思われてんじゃね、黙りこくっちゃうくれー女子大生に呆れられてんの俺うっわヘコむー、とかぁ」
「うそ。わたし、そんなこと一度も考えたことないよ」
「そう見えるんだって。だからあの迷惑メール学生に限らず男が苦手だって話聞くまで、この姉ちゃんすげえかわいいけど変わってんなーって思ってた」
「・・・っ」
それとなく挟まれた「かわいい」の言葉に、心臓が躍る。
そのはずみでわたしの背筋がほんの少し竦んだことに気付いたのか、うっすらと光る癖っ毛の隙間から見える目をふっと細めて、含みのある笑みを浮かべた。
ピアスのモチーフを指先で軽く弾き、それを揺らして遊びながら耳たぶの辺りにもそっと柔らかく触れてくる。
羽根に肌をくすぐられたような気持ちよさにぞくりとして、んっ、と思わず背を反らしてしまった。
触れられたところがぼうっと火照る。義兄に同じことをされた時には寒気しか感じなかったのに。
「今もかわいいよな。相変わらず表情変わんねーけど」
熱い吐息を耳に掠めさせながら囁いて、こめかみに唇をそっと落とした。
普段の会話にも時々不意打ちで混ぜ込まれる、甘い言葉。
こんな言葉は、たぶん、わたしよりもずっと大人な銀ちゃんにとってはほんの挨拶程度の意味くらいしかないんだろう。
そう判っていても、言われるたびに心は正直に揺れ動いてしまうから困る。いつの間にかわたしを抱きしめていた銀ちゃんは、何度も唇で触れてくる。
ちゅ、ちゅ、と軽い音で肌を啄まれるうちに、ふとさっきの話を思い出した。
「・・・・・・銀ちゃん。今でもそう思ってる?」
「んー?」
「わたしが無表情で無口なせいで、困らせてる?銀ちゃんのこと」
振り向いて尋ねてみると、「んー。まぁ、たまにな」と少し困ったような笑顔の眉間が曇る。
銀ちゃんが顎下に指をつうっと這わせてくる。軽く触れてくすぐるような柔らかい手つきに、悪戯に肌を撫でられる。
「。今日はここで抱かせて」
そう言った銀ちゃんは、子供が甘えるみたいにぎゅっと抱きついてきた。
だめ、とすぐさま返したけれど、その手はわたしの声なんて無視して動き続ける。
ちっとも取り合ってくれないのは、たぶん、後ろから抱きすくめられて熱くなったわたしの身体が言葉とは裏腹な素直さで銀ちゃんの手に反応しているからなんだろう。
顎下から首筋をなぞりながら降りていく指の意地悪な感触にぞくぞくして、んっ、と我慢しきれなかった吐息が唇から漏れる。
ちゅ、と音を立てて首筋や耳に唇を落とされるたびに、抱かれた腰が揺れてしまう。
指先の動きに促されるようにしてさらに背中を捩じれば、銀ちゃんが視界を塞いで迫ってきて、
「けど、別にいーんじゃねーの。普段どんだけ無表情でも」
「え・・・?」
「普段はアレだけど俺が触り始めると途端に表情出てくんだろ、お前。あれ、結構興奮する」
「・・・・・・っ」
反応に困ったわたしが顔を逸らそうとする前に、唇をこじ開けるようにして塞がれる。
粘膜や歯列を撫でながら滑り込んできた舌に絡みつかれるうちに、なんだかすごく厭らしいことをされている気分になってくる。
腰を捩じった姿勢はすこし苦しいし、唇が大きくこじ開けられたせいで声が漏れるし、窓辺はカーテンが開けられたまま。
外からの光もちらちらと視界に映り込んできて、何だか背徳的な気分になってしまう。誰かに見られているんじゃないかとはらはらする。
なのにそう思う一方で、腰のくびれや胸を着物の上から撫でられて身体中がぼうっと火照ってくる。
それだけで変な気分になってきたのに、背中で両腕を一纏めにして掴まれた。
驚いて顔を離そうとしても、顎を押さえた手で元の角度に戻される。また深く絡みつかれて、甘えた喘ぎ声が漏れて、零れた唾液が口端をつうっと滑っていく。
頭の中まで鳴り響いてくる濁った水音が、大きく開かされた口の奥で鳴る。
わたしの顔を片手で押さえてしまう大きくて力強い手が、首筋を撫でながら降りてくる。
男の人の節が高くて長い指が下着と襦袢の間に差し込まれて、あ、と声を上げて仰け反った。
着物の内側に潜った手が熱い。身体の芯がじわじわと熱を上げていく。
くちゅ、とわたしの耳を食んでから舌先で耳たぶの溝を舐め上げると、銀ちゃんは火照った声でささやいた。
「なぁこれ、脱ごうぜ。帯解くぞ」
「・・・っ、でも・・・っ」
「いいだろここで。・・・は優しいもんな。あの兄貴にはさせといて俺はダメとか、んな酷でーこと言わねーよなぁ?」
「で・・・でも、・・・ん・・・っ」
「いいよな。いいだろ。・・・まぁ、嫌だって言われても止めねぇけど」
すごくせつなそうな吐息を耳の奥までふうっと吐かれて、ぎゅっと強めに腰を抱かれる。
引き締まった硬い身体と密着すると後ろを向いて捩った背筋をぞくぞくと震えが奔り抜けて、はぁ…、と自分のものとは思えないくらいに甘い声が鼻から抜ける。一気に膝から力が抜けた。
こんなところじゃだめ、と思う。それでも「ここじゃだめ」と拒むような気分になれない。
結局わたしは銀ちゃんが帯を解き出しても何も言えなくて、器用な手が帯締めをしゅるりと床に引き落とすところを黙って見つめてしまっていた。
――何でも引き受けてくれる便利屋さん。
そう紹介されて出会ったときから、銀ちゃんは不思議な人だった。
それまでのわたしの周囲には、こんな人はいなかった。飄々として掴みどころがない人。
なのに誰の懐にもするりと自在に飛び込めて、誰とでも打ち解けてしまえる人。
彼の図々しさとたまに垣間見えるやさしさにわたしが戸惑い、少しずつ魅かれていく間にも、銀ちゃんはどんどんわたしに心を開くよう要求してきた。
そうしているうちに、一日に数十通も届いていた他学部の男子からのメールはぴたりと止んだ。大学内でたまに感じていた、背後からの射すような視線も感じなくなった。
依頼してからたった一週間で、その男子はわたしの前に姿を現さなくなった。
銀ちゃんが彼を止めてくれたおかげだ。
メール攻勢に参って体調を崩しかけていたわたしを心配してくれた銀ちゃんは、その後も何かと理由をつけて大学まで会いにきてくれるようになった。
その頃にはもう、わたしは銀ちゃんにすっかり心を許していた。
人間不信に陥ったせいで誰に対しても壁を作っていたわたしが、銀ちゃんの傍でなら自分をありのままに出せた。他の誰といるよりも居心地がよかった。
あまり自覚はなかったけれど、たぶんあの時には、銀ちゃんの存在を誰より特別なものとして感じ始めていたんだろう。
やがて彼を好きになっていることに気付いて、その時は本当に驚いた。
わたしにとってこの恋を自覚することは、いつのまにか自分の中に芽生えていた変化を自覚することでもあったから。
・・・義兄とのことであんなに悩んで一時は死のうとまで思いつめていた、そんなわたしでも誰かを好きになれる。
あれほど激しく義兄を憎んだわたしでも、男の人を好きだと思える。
誰かに恋するという感情は、義兄に虐げられ続けたせいで異性に好意を持てなくなったわたしにとって、この先一生起こるはずのない奇跡だった。
だからかなり悩んだけれど、もう一度奇跡が起こることを期待して、思いきって義兄とのことを打ち明けてみた。
すると――願ったとおりに、二度目の奇跡が起きた。
義兄のことを話しても、銀ちゃんの態度は微塵も変わらなかった。
その時に銀ちゃんも、わたしに秘密にしていたことを打ち明けてくれた。
それは銀ちゃんにとっては口にするのに勇気が要ることのようだったけれど、とっくに銀ちゃんを好きになっていたわたしには受け入れられないことではなかった。
もちろん、聞いたときには困惑した。それでも嫌悪感は感じなかったし、むしろ、偶然出会ったはずの彼とわたしの間に運命的なものを見出せた気がして嬉しかった。
だから彼が抱えていた「秘密」をすんなりと受け入れた。
銀ちゃんがわたしにそうしてくれたように、わたしもありのままの銀ちゃんをありのままに受け入れたかったから。
――誰にも打ち明けられなかった秘密を共有してくれる人が出来て、ほっとしていたその夜。初めてわたしたちはキスをした。
そのまま雪崩れこむようにして抱かれたときは、このひとに初めてを捧げられたらどんなによかったかと想像した。
あの三年間で涙まで凍りついてしまったのか、わたしは何があっても泣きたくはならない。
義兄に抱かれる苦痛のせいで涙を流すことはあったけれど、感情に従って溢れ出す涙はもうずっと枯れたまま。
義兄に初めて犯された時に喉が潰れるほど泣きじゃくった、あれが最後の号泣だった。だけどあの時は違っていた。
実際に涙は出なかったけれど、もう少しで泣けるような予感がした。
肌と肌が触れ合うだけで、心の奥が嬉しさで震えていた。
苦痛と嫌悪感しか感じなかった行為が、他のどんなことでも得られないしあわせな記憶として塗り替えられていった。
あのとき初めて知った、好きな人に抱かれる充足感や嬉しさ。全身の細胞が湧き立つような感覚。
それはとても不思議でどこかおごそかで、身体中のすべてが生まれ変わったかのような体験だった。
それでも涙は出なかったけれど、あの時わたしの胸の奥はたしかに熱く潤んでいた。
そんな自分を受け止めきれなくて戸惑いながら銀ちゃんに縋りついて、生まれて初めての心地よさや快感に流されていきながら、何の疑いも持たずにわたしは思った。
唐突に胸の中に湧き上がった予感を信じた。
きっとこの人は、わたしが失くしたものを取り戻してくれる人だ。
閉じ込めるうちに失った人間らしい心も、枯れてしまった涙も、いつかきっと戻ってくる。この人が取り戻してくれるって、信じられる。
少しずつ、少しずつ、自分はこの人の色に塗り替えられて変わりつつあるんだと、身体のすみずみまで男の人の熱に洗い流されていくような感覚で実感できる。
だから、銀ちゃんとのセックスは好きだ。
銀ちゃんもわたしの身体を気に入ってくれているみたいで、それも自分に自信が持てないわたしにとっては嬉しかった。
ただ、たまに躊躇ってしまうこともある。――銀ちゃんが今日のように、ちょっと変わったことを試したがる時だ。
そういう行為は大抵の場合どんどんエスカレートしてしまい、歯止めを失くした男の人に身体を貪られ尽くすこわさを何度か味わされた。
それでもわたしは嬉しかったし、何を要求されても言われるままに身体を委ねることにどこか背徳的な気持ちよさを覚えるようになった。
今までずっとそうしてきたし、たぶん、これからもそうなるだろう。
現に今も、露わにされた背中に唇を這わされるようになるまで、わたしは一度も抵抗しなかった。
帯を緩められた着物が肌蹴け、下着も剥ぎ取られた上半身は、マンションのエントランスがある一階からは見えないだろう。
けれど、近隣に建つ似たような高さの建物からは見えるはずだ。
こんな姿を誰かに見られたら。そんな怯えや強い羞恥心は、さっきからずっと頭の中によぎっている。
なのにわたしはそれを無視して、銀ちゃんに言われるままに動いていた。
凭れかかった窓硝子にしがみつき、もう片方の手で唇を覆って声をこらえる。
背後から覆い被さってくる身体の動きに揺らされながら、もうじき膝が崩れてしまいそうな脚に必死で力を籠めた。
「――痛てぇだろ。ここ」
「んっ・・・そんな、いたく、なっ・・・」
わたしに尋ねながら舌で舐め上げたのは、玄関前で撫でられたところ。
みみず腫れが出来ていると教えられた、義兄に噛まれたうなじの部分だ。
銀ちゃんはいつものようにわたしの身体の至るところに手を這わせ、舌を這わせて背中を舐め回し続けている。
胸を片方ずつ鷲掴みした大きな手は、膨らみに深く指先を埋めながら繰り返し揉み潰していた。
「んじゃ、ここは?」
そう言った銀ちゃんは、ふっと可笑しそうな笑い声を漏らす。それだけでわたしの背筋はびくりと震えた。
期待と不安が入り混じった変な気分にさせられて、頬や首筋が熱くなる。
あの問いかけは、左右の胸を大事そうに包んでいる人の癖のひとつ。何かを仕掛けてくるときの合図みたいなものだ。
たっぷり弄られたせいで赤く尖った頂を指に挟まれ、ゆっくりとそこを捻られる。先端をつん、と弾かれる。
あん、と声を上げて胸を揺らせば、銀ちゃんの手の動きに感じて芯を持ってきたそこを、きゅ、と強めに押し潰される。かり、と硬い爪の先で引っ掻かれる。
じっとしていられなくて腰をくねらせて逃げようとしたら、片方の手の中に両方の頂を半ば無理やりに寄せ収められた。
軽く握り拳を作った大きな手の中で、両方の先端を弄られる。わざとぐちゃぐちゃに揉み潰されたり、胸ごと回すようにして感じやすい先を引っ張られたり。
その間も硬く張りつめた銀ちゃんの腰と密着させられているから、自然と焦れてきたお尻が強請るようにしてはしたなく動いてしまう。
わたしの動きに合わせるようにして銀ちゃんが腰を動かし始める。
軽く上下に揺さぶられながら、お互いの着物越しに熱い感触を擦りつけられて、
「・・・ぁ・・・だめ・・・うごいちゃ・・・ぐって、しちゃ、だめぇ・・・」
「してねえって。お前が腰振って俺に押しつけてきてんだろ。・・・さぁ、あいつにどこまで触らせたんだよ。胸も・・・ここも、弄らせた?」
「さわらせ・・・て、なっ・・・、銀ちゃ、だけ・・・ぁ、あぁ・・・っ」
「俺の指、気持ちいい?」
「んっっ、・・・っん、きもち、ぃ・・・っ」
下へ降りていった銀ちゃんの左手が、ぐしゃぐしゃに緩められた帯の下から布地を掻い潜って太腿に触れる。
後ろからは、ぐ、ぐ、と熱を擦りつけられ、背中に甘く口づけられる。
右手には掴んだ胸を弄られ、太腿を這い上がった左手には下着の上から熱を帯びたところをなぞられる。
それだけでも腰の奥がきゅうっと痺れ上がったのに、銀ちゃんは一番感じやすい小さな膨らみを布地越しに器用に捉えて、そこを指先でくちゅくちゅと揉む。
教えられたばかりの快感で身体を前後から責められて、せつない気持ちよさに震え上がる。
腰の奥から這い上がってくるじくじくした疼きは弱い痛みにも似ていて、感じ続けていると手足や頭の中まで痺れて苦しくなってしまう。
わたしは額を硝子に付けて、上半身の重心を窓に預ける。銀ちゃんの手が動くたびに感じて崩れ落ちそうになる身体を、どうにか支えたかったから。
窓硝子が近くなったぶんだけ、光り輝く街の景色も近くなる。
ほんのすこし瞼を伏せたら見える玄関口前のスロープを歩く男の人たちが目に入って、それに気づいた銀ちゃんが顔を寄せて囁いてきた。
「なぁ、どうする。あいつらにもお前の身体、見られたんじゃねーの」
「・・・っあ、やぁ・・・ゃだぁ・・・っ」
言いながら脇腹をするりと撫で上げられたら、それすらも刺激になっておかしいくらいにぞくぞくした。
火照りきった腰の奥がきゅっと縮み上がるくらい疼いて、大きく身体が震えてしまう。
あぁっ、と悲鳴を上げながら、わたしは夢中で窓に縋った。硝子に立てた爪先が力無く震えて、かり、と透明で冷たい壁を掻く。
きつく噛んで声を我慢した唇を手の甲に押しつけながら、震えが止まらない両方の太腿にも力を籠める。
厭らしいことを囁かれながらそっと素肌を撫でられた、ただそれだけで軽く達してしまっていた。
お腹の奥からじんわりと熱い粘液が滲んでくる。いつのまにか火照っていたそこからとろりと零れて、下着の薄い布地に染み込む。
・・・そこにはまだ、一度も触られていないのに。
かくん、と力が抜けた右の膝が折れると、銀ちゃんはわたしの脚の間に自分の右足をぐいと割り込ませた。
さらに密着させるようにして押しつけられた下半身は熱くて硬くて、布地越しに感じるその感触で銀ちゃんがこれからわたしにどんなことをするのかを意識させられてしまう。
軽く開かされた脚の間に左手が潜り込んでくる。
ショーツの中へ滑り込んできた指にとっくに濡れているそこを割られて、くちゅっ、と厭らしい水音が跳ねて、
「ぁあ・・・っ」
「・・・もう濡れてるし。なぁ、ここは」
「〜〜っぁあっ」
二本同時に入ってきた指に、ぐちゅっと奥を抉られた。爪の先まで電流が走る。
狭くてうねる粘膜を突然割り広げてきた熱くて硬い感触は、わたしの中で溢れたものを掻き出すようにして動き続けた。
「あん、だ、だめ、だめぇ、ぎん・・・っ」
「お前のナカ、すげー吸いついてくるんだけど。、あいつにもここに指入れさせた」
「っや、ち、がっ・・・・・・ぅあ、ひ、んっっ」
違う。義兄さんにはこんなこと、させてない。
そう言いたくても、狭い中を荒く穿つ指先の動きが急に早くなったせいで何も言葉にならない。
ぐちゅぐちゅと泡立つ淫猥な水音が、自分の中で鳴っている。
それを鳴らしているのは、ほんの少しうつむけば目に入る大きな手だ。
ショーツの中に潜り込んだその手の指が、わたしの中に出入りしている。
血がところどころに残ったままの銀ちゃんの手は、掌まで艶めかしく濡れて光っている。
これが誰よりも好きな人の手だと意識すると、頭の芯まで痺れきって熱くなる。たった二本の指に全身の感覚を奪われてしまう。
震える太腿の内側を、とろとろと溢れ出た温い粘液が伝っていく。
「・・・・・・っっぁ、はぁっ、あん、っそ、そこ、やぁ・・・・・・っ、あっ、やっ、ゃめっ、あっ、あぁっ」
「怒んねーから正直に言えよ。あいつにもこん中に指突っ込まれた?あいつもお前がこのへん突かれると弱いって、知ってんの」
「・・・・・んな、こと、されて・・・なっ・・・」
「俺だけ?久しぶりの兄貴の指で感じてたんじゃねえの」
「んっ・・・ん、ちゃ、だけぇ・・・っ」
呼吸が乱れた切れ切れな声で答えると、わたしの横に顔を寄せた銀ちゃんがじっとこっちを見つめてくる。
ふーん、と目を細めて薄い笑みを浮かべた顔には、さっきのわたしを優しく慰めてくれた銀ちゃんとは違う気配が漂っていた。
獲物を視界に捉えた獰猛な獣が食らいつく瞬間を狙っているような目つきは少しこわい。
なのに、ああいう銀ちゃんの目を見るたびにぞくっとする。
全身を銀ちゃんの視線で縛りつけられているような錯覚が起きて、心臓が弾んで息苦しいのに胸の奥が甘く騒ぐ――
「ほんとに俺だけ?」
「ぅん・・・っ、あ、あ、あぁ・・・」
「それにしたって濡れすぎだろ。指入れる前からこれだぜ。どーしてこんなにぐっしょり濡らしちまったんだよ。なぁ」
「・・・って。銀ちゃ、の、・・・ゅび、きもち、ょくてっ・・・あ、ぁう、っ」
胸を弄る手が一度離れて、かちゃ、かちゃ、とベルトを緩める音が鳴る。
ざわざわと布が擦れるような音が続いて、腰を隠していた着物をばっと跳ね上げられた。
ぐ、ぐっ、と強く押しつけられる。まだ薄い下着に包まれている割れ目に、剥き出しにされた銀ちゃんの熱くて滾ったものを感じる。
そうしながらぐちゅぐちゅ音を立てて指を二本も送り込まれると、擦られ続けているその奥が――指では届かない深いところが、たまらなく疼く。
そこに触れてほしいのに触れてもらえなくて、もっと、と強請るようにして腰を揺らしてしまう。
すると背後の人の動きも、わたしに煽られたかのように激しくなる。硬く張りつめたもので布地越しに何度も押される。
ショーツの中で蠢く指が、溢れ出した熱い粘液でぬるぬると滑る小さな蕾を何度も撫でる。硬い爪先で押し潰す。
「〜〜っっっ、あっ、ぁぁっ、もっ、だめぇ・・・っ」
強い刺激を喜んでびくびくと疼いたわたしの奥が、動き続ける二本の指を物欲しそうに締めつける。
我慢しようと思っても押しつけてしまう腰の動きも、甲高い声も、脚の間から流れ出るぬるついた感触も止まらない。
下着をじっとり湿らせていくそれが、じわじわと広がり続けているのがわかって恥ずかしい。きっと銀ちゃんだって気づいてるのに――
「あぁ・・・あぁん・・・もぅ・・・おねがぁ・・・・・・銀ちゃあ・・・っ」
「なに、お願いって」
「・・・ふ、ぁあ・・・っ、おねが・・・・・ぃっ、ぃ、いっちゃうぅ・・・っ」
「いいぜ、イけよ。どーやってイきたい?俺にどうしてほしいのか、もっとはっきり言ってみな」
「や・・・いやぁ、言えな、っ」
「、ここも赤くなってっけど、兄貴に噛まれた?ここも触らせちまったのかよ、あの野郎に」
「んっ。・・・・・・な、とこ、・・・さ、られて、なっ、あぁぁ・・・・・・っ」
ちゅ、ちゅ、ときつめな甘噛みの痕を残しながら、背骨に沿ったところを何度か繰り返し吸われた。
本当は義兄にも同じように、同じところに唇を這わされた。けれど銀ちゃんには知られたくなくて、咄嗟に嘘をついてしまった。
手の甲にぎゅっと押し付けて声をこらえている唇から、押さえきれなかった嬌声が細く高く漏れる。
解けた帯の結び目あたりから背骨に沿ってうなじまで舐め上げられれば、びくん、と大きく跳ね上がってしまうくらいの甘いもどかしさが身体中を駆ける。
早く銀ちゃんと繋がりたい。ほんのわずかな隙間もないくらいに埋め尽くされたい。そしてこのもどかしさを消し飛ばしてほしいと、強く思う。
挿れられる前から腰の奥を淫らに疼かせるこの感覚は、義兄とはいくら身体を交わらせても感じることがなかったのに。
「言えよ。俺とあいつ、どっちが好き。どっちがいい」
「っ、ぎんちゃ、っ・・・っ」
「俺の、挿れてほしい?俺のでぐちゃぐちゃにされたい?」
「・・・ほしぃ・・・ほしいの・・・っ、銀ちゃ、の、で、めちゃくちゃ、にっ・・・あぁっ、はゃく・・・っあ、ぁあん、」
硬い胸板に後ろから押されて、わたしは冷たい硝子窓と銀ちゃんの間で押し潰される窮屈な姿勢にされた。
言うだけで唇が震えるような淫らなおねだりを強制的に言わされたことで、身体は却って感じやすくなってしまったみたいだ。
硝子に潰された胸を強く揉まれて先端を爪で弾かれ、銀ちゃんの指を締めつける中はさらに震えて蕩けていく。
うっすらと視界を覆った涙の膜の向こうには、マンション前の通りを通り過ぎる人の姿が見えている。
近くに建つ似たような大きさのマンションには、ぽつぽつと窓辺に明りが灯っている。
こんなところで抱かれてしまったら、いつ誰に見られてもおかしくない。
これがもし今日のような夜でなかったら、強烈な恥ずかしさで全身が震え上がっただろう。
だけどすっかり熔けかかっているわたしの意識は、銀ちゃんがくれる快楽だけを受け容れたがる。
こんな厭らしい姿を窓辺に晒していることが恥ずかしいのに、それでも後ろから熱い塊に悪戯に突かれ、
濡れた壁を行き来する指で感じやすいところを刺激されれば、甲高くて上擦った声で啼くだけしか出来ない。
「ぁぁあ、ゃあ、ゃだぁ、も、はやくぅぅ・・・っ」
「・・・、しっかり掴まってろよ」
滅茶苦茶にしてやるから。
興奮で掠れた熱い声にそう言われて、どろどろに濡れた下着のクロッチ部分を横へぐいっと避けられる。
腰を覆っていた下着が力任せに引き裂かれ、もつれ合うようにして立つわたしたちの足元にぱさりと落ちた。
わたしが口を開く間も与えずに、銀ちゃんの手に腰を掴まれ後ろへ引かれる。
乱暴に引かれて自然と脚が大きく開き、無防備に晒されたそこにずんっと深く押し込まれた。
「――っああああん!」
指とはまるで違う太さと質量で、奥まで強引に開かれる。
指では届かなかった熱と疼きの根源に、硬く滾った先端が激しくぶつかる。
その衝撃の強さを知らせるかのように、ぐちゅんっ、とわたしの中から濁った水音が高く漏れ出た。
夜景が広がるはずの目の前が真っ白になる。一瞬意識が遠のきかけた。
ゆっくりと引かれて一旦ずるりと抜かれたそれは、先端だけを残したところでもう一度わたしを奥まで貫いて、
「あ――っ!」
「・・・ってっとにやらしい声出すよなぁ。あいつの前でもこんな声出してた?兄貴にこうやって啼けって仕込まれたの」
「っああっ、あっ、ぎんひゃ、ゃあ、ぉ、く、っ、ぐりって、ゃあ・・・!」
「お前、よくここに裸で押しつけられてたよな――・・・・・・初めて見た時は、とんでもねぇビッチだと思った」
お腹の底から湧いたような暗く低い声で銀ちゃんが笑う。きつく唇を噛みながら、わたしは背後へ振り向いた。
皮肉めいた口調でつぶやかれた言葉が指していたのは、「わたしたちが初めて出会ったとき」のことじゃない。
――それよりも、もっと前のこと。
銀ちゃんが本当に、初めてわたしを目にしたときのこと。このマンションの窓に映るわたしの姿を彼が見つけたときのこと。
これまでにも何度も、こんな行為の合間に彼の口から漏らされたのと同じ話だ――
Caramelization *riliri 2014/06/08/ next →