「――ぅおーいぃ。起きてー、起きてちゃーん」
「・・・ん、ぅぅ・・・・・・?」
ぽんぽん、て肩を叩く手の感触で目が醒める。ゆっくり瞼を開いていくと、陽射しを浴びて透ける障子戸で視界がまっしろになった。
――もう朝なんだ。
「・・・あれっ、ちょ、二度寝?二度寝かよ。いやいや起きてー、ちゃあん。そろそろ銀さん限界だわー」
まぶしすぎてぎゅっと目を閉じたら、笑い混じりで気だるそうな声とほっぺたをくすぐる指に呼び戻された。
目元をしかめながら瞳を開くと、枕元にしゃがんでこっちを覗き込んでる銀ちゃんが。
黒っぽくて小さい何かが口端でぷらぷらしてる。寝惚け眼を凝らしてみたら、それはなぜか酢昆布だった。
きのう神楽ちゃんが居間に置き忘れていったあれかなぁ。銀ちゃんたら、どーして朝から酢昆布食べてるんだろ。
・・・ていうか、めずらしいよね。放っておくと昼まで寝てるお寝坊さんが、あたしよりも早起きだなんて。
「・・・おはよ・・・。ぇえ、なにぃ・・・」
「なーメシ作って朝メシ。ちょー腹減った」
「ふあぁぃ。ごはんね、ごは・・・・・・」
ごそごそごそ、もぞもぞもぞ。
あくびを噛み殺して目をごしごししながら布団の中から這いずり出ようとしたら、
――あれっ。どーしたんだろ。
急に肌寒い。やけに身体がすーすーするっていうか、いきなり真冬が来たみたい。
ぶるっ、と背筋を震わせながら布団の中を見下ろしたら、
「・・・・・・へ・・・?」
――見開いた目をぱちくりさせて自分の身体を見つめる。
もしかしてあたし、まだ寝惚けてるのかなぁ。そんな疑いが真っ先に頭に浮かんで、もう一度目をごしごし、ごしごし。
・・・いやだって。ありえないじゃん。ありえないよ。ああそっか、夢だ。夢だよね、これ。
メイド服のまま寝ちゃったはずが、目が醒めたらなぜかショーツ一枚のあられもない姿になってるなんて――
「あー、服な。なーんかお前寝苦しそーだったからよー、脱がせといたわ夜中に」
「〜〜っっ!?な、なっっなななな、な!」
ほらよー、と気抜けした声で横から毛布を差し出されて、あわててばばっとひったくる。
あんなにいろいろ着けてたのに・・・・・・銀ちゃんてば、いつのまに全部脱がせたんだろ。
ピンクのエプロンドレスに白いブラウス、ガーターベルトにストッキングに黒いリボンのアクセサリーに、とどめのブラ。
昨日はたしかに着ていたはずの服は、ぜんぶ畳に放り出されてる。
しかも毛布で身体を隠そうとしてるところを、横にどっかり座った銀ちゃんがにやにや嬉しそうに見物してるし!
「〜〜〜っっき、禁止!見るの禁止!向こう行ってっ」
「えぇー見せてくんねーのかよぉメイドさんの生着替えー。銀さん楽しみにしてたのによー」
「見せるかああぁ!てゆーか生着替えとか言うなっっ」
ああもうっ、朝からどーしてこんな目に。剥き出しになった胸元や肩に注がれる視線が痛い。
とにかく目線を逸らしてもらいたくって、顔をむぎゅーっと掴んで押す。肩をぐいぐい押してみる。
でも、ぜんぜんダメだった。いくら押しても銀ちゃんはびくともしないし(怪我してるくせに・・・!!)、それ以前に、まったく相手にしてもらえない。
腕力が違いすぎるせいもあって、完全に子供扱いされちゃうし。
「やだもうっっあっち行ってってばっ」
「いやいやいーって、俺のこたぁ気にしねーでいーからよー。大胆にぱぱーっと生着替えしちゃっていーからよー。
あぁ、何なら手伝ってやるけどぱんつ脱がせて手取り足取り」
「出てけ。今すぐ出てけぇぇぇ!!――ってぅわ、ちょっ、」
そのうちに両方の手首をぱぱっと押さえられて腕を上げられて、半端にバンザイしてるよーな間抜けなポーズにさせられた。
腕が上がったら、するん、て胸に巻きつけた毛布が落ちる。ブラを外された胸がぽろっとこぼれる。
お、ってつぶやいた銀ちゃんのすっとぼけた視線が、あたしの顔から首を通過してつーっと下がって、
「んだよこれ。朝メシ前にこんなご馳走食わせてくれんの、メイドさん」
「え?ち、ちょっ」
ちょん、とおでこを指先で突かれて、仰向けでぼすっと布団の上に倒れ込む。
・・・・・・えっ。何これ。
どーしてこうなったのかもよくわからないまま、素早く四つん這いになった銀ちゃんにすっとぼけた顔のまま圧し掛かられて、素早く唇を重ねられる。
おはようの挨拶みたいなやわらかいキスは、ふにっとあたしに触れただけですぐに離れた。
やさしく触れてくる感触と銀ちゃんの体温を感じたときには、頭の上で両腕をまとめて握られてて、
肘を曲げられないくらいにめいっぱい腕を伸ばされたせいで、背筋が自然と反り返る。
真上を塞いでる銀ちゃんに「何するの」って目で訴えてみた。――だけど、腕を抑え込んでくる力はちっとも弱まらなくて。
「・・・ぎっ。・・・銀ちゃ・・・・・・?」
身動きがとれない不自由な格好で――しかも、裸で押し倒されてる。
そんな自分が銀ちゃんの目にはどんなふうに映るのかって気付いたら、どきん、と心臓が跳ね上がった。
掛布団に埋もれた耳元や背中、腰の下で、ざわ、ざわ、って籠った衣擦れの音が鳴る。
何も身につけていない素肌は布団の感触を敏感に感じ取っちゃうから、ちょっと身じろぎしただけでざわざわくすぐったくなってしまう。
んん、って唇を噛んで腰をもぞもぞさせてたら、銀ちゃんはすっとぼけた顔つきをおかしそうに緩めた。
何かすごく楽しいことでも見つけたような顔で、ふっと笑って。
「そんじゃー遠慮なく、ゴチになりまああぁっす」
「〜〜っ!う、うそっっやだちょっ離し、っ」
銀ちゃんは舌舐めずりするみたいにぺろりと唇を舐めて、腕一本であたしを掛け布団へ押し込めながら迫ってくる。
あらわになってる胸へ吸い寄せられるみたいに近づいていった。
「――っ・・・!」
舌を伸ばして先端に触れる。肌寒さで粟立ってる敏感なところへ、くちゅ、くちゅってやわらかく蠢く熱を押しつけられる。
触れられるたびに唾液を濡りつけられていくそこから、全身をざわめかせるような快感が走る。
銀ちゃんに抑えつけられたあたしの身体は、その快感を受け止めきれずに震え上がった。
「あぁ、あっ」
「・・・あぁ、もう固くなってきたし。やっぱいつもより敏感だよなぁ、ここも」
「ゃぁ、そ、ゆこと、言わな・・・、っ」
ぺろ。 くちゅ。
先に向かって撫で上げるみたいにして、何度もそこを舐められた。
角度を変えながら舐め上げる銀ちゃんの舌はとても熱くて、繰り返しぺろぺろされるうちに、ぞくぞく、ぞくって身体が震える。
びく、って背筋を跳ね上がらせたら、銀ちゃんに深く呑み込まれて――
「っは・・・ぁん、っ。ぎんちゃ、やめ・・っ」
腕を掴まれてるせいで突き出すような格好になってた胸を、大きな手でゆっくり揉まれる。ふに、ふに、って小さな先を甘噛みされる。
噛まれるたびにじぃんと弱く痺れたそこは、熱くてやわらかい銀ちゃんの中で好きなように味わわれた。
濡れた感触にくちゅくちゅ弄り回される。つん、って強めに舌先で突かれる。
胸から全身に広がっていくもどかしいきもちよさに腰が震えて、背筋がぶるっと反り上がって、
「――っぁああ・・・!」
唇を噛みしめてこらえようとしたけど、間に合わなかった。震えながら仰け反った喉の奥から、甘えた響きの甲高い声が飛び出てしまった。
たったこれだけで、どうしてこんなに感じちゃうんだろう。
銀ちゃんに何かされるとすぐ反応しちゃう自分が恥ずかしい。「やだ、やだ」ってじわじわ熱くなってきた身体を何度も捩ったけど、
逆に腕を強く掴まれて、動けないように固定されて――
「やっ、だめぇ、ぎ、ちゃあ・・・っ」
「うめー。どこ食ってもやらけーし甘めーよなぁ、は」
「〜〜は、恥ずかしいこと言うなぁ、っ」
「けどよー胸だけじゃ食い足りねーんだよなぁ。銀さん今飢えてっから、腹ペコだから」
「ぇ、ひぁあ、そ、それっ、や、脱がせちゃ、だめぇっ」
「っだよいーじゃんもっと食わせろって、いけないメイドさんの一番えっちで美味しーとこをよー。
つーかここで拒否とかありえなくね。お前メイドだろぉ、ご主人さまにお願いされたら無条件で従うのがメイドだろぉ?」
「ゃややだ銀ちゃ、やめ、〜〜〜〜っ!!」
理不尽なことを早口にぺらぺら喋りながらショーツに手を掛けてずり下ろそうとしてくるから、全身が一気に火を噴いた。
しっかり掴まれてる腕からはへなへな力が抜けちゃって、背中のぞくぞくが止まらなくなる。
あたしが抵抗しなくなったから、それで満足したのかもしれない。
ちゅ、って吸いつく音を鳴らして透明な唾液の糸を細く引くと、熱い唇はやっと胸から離れてくれた。
「・・・ん。ごっそーさぁん」
とろりと濡らされた胸の先を熱っぽい目つきで眺めてる銀ちゃんは、いたずらを成功させて上機嫌になった、憎たらしいガキ大将みたいな顔してた。
唾液が垂れた唇の端をぺろりと舐めて、身体を起こす。ちらちらと白っぽく光る癖っ毛で半分隠れたふてぶてしい半目が、満足そうににいっと笑う。
まだ身体の震えがおさまらなくて涙目になってるあたしの頭をわしわし撫でてくしゃくしゃにして、ははっ、て肩を揺らしながら、
「なにそのやらしーおねだり顔。え、もしかして誘ってんの」
「・・・はぁ!?な、ば、ばっかじゃないのっっ」
「いやいや素直に言ってみろって。なぁ、ほんとはもっとしてほしーんじゃねーのー。そーいう時はいつもえっろい顔してっから、お前」
じ、自分だって人のこと言えないよーな顔してるくせに・・・!!
ばばっと手を払って毛布をあたふた巻きつけて、鼻の下をでれーっと伸ばしたにやけ顔に背中を向ける。
だけどそれも無駄だった。
後ろを向いてほっとしたのも束の間、途端に銀ちゃんが寄ってきて、
「なぁなぁどーするメイドさ〜ん。朝飯後回しにしてご主人さまときもちーことする〜〜?」
とん、と肩に顎を乗せてくる悪魔みたいに悪そうな顔が、あたしの表情を横から覗き込んでにやにや、にまにま。
しまいには腕をそろそろーっと回して後ろから抱っこなんかしてくるから、胸の膨らみに伸びてきたやらしい手つきをきゅーっとつねって追い払う。
・・・まったく、朝から油断も隙もないんだから。ああ、まだドキドキしてる。身体の奥が火照ってる。
――だけど。だめだめ、冷静にならなきゃ。
ここで銀ちゃんのペースにうっかり乗ったりしようものなら、次はどんな目に遭わされるかわかんないし。
とにかく頭を切り替えよう。そうそう、まずはごはんの用意しないと。それよりも先に、片付けしないと。
台所も居間も、きのうごはんを食べたときのままだし。お鍋もお皿も洗ってないよ。
「・・・って、ねえ、いま何時」
「九時ぃ。結野アナの天気予報もさっき終わったし」
「!?うそっ、寝坊したっ」
「いーじゃん寝坊で。俺ぁこのとおり開店休業だし、お前も有給取ってんだろ」
「そ、そーだけど、でも・・・〜〜ちょっと待って、シャワー浴びてくるっ」
「いーって、そんなにあわてんなって。あぁ、何なら米くれー研いどくけどぉ」
「だめっ、銀ちゃん怪我してるんだから。何もしないで、テレビ見て待っててっ」
メイド服や替えの下着を引っ掴んで、急いでばたばたお風呂に走った。出来るだけ素早くシャワーを浴びて、髪を乾かして身支度する。
着慣れないブラウスにあわあわしながら腕を通して、エプロンドレスのリボンを結ぶ。
くるくる丸めたストッキングを爪先に通して履こうとしたら、身体を屈めて近くなった胸元から、ふ、と強い香りが昇ってくる。
一昨日からずっと着ていた薄手のブラウスには、銀ちゃんの匂いがしっかり移ってた。
・・・・・・昨日、あんなことしたせいだ。
大きな手でこのブラウスを掴まれて、ブラごとぜんぶずり下ろされた。
そのときの銀ちゃんの荒々しくて男の人っぽい仕草をつい思い浮かべちゃって、うわわわわ!ってあわてふためいて頭を振る。
全速力でストッキングを履いてガーターを着けて、火照った顔をぱたぱた手で扇ぎながら居間に行ったら、
「・・・・・・――あれっ・・・」
入口で目を丸くした。晩ごはんを食べたままで放置したはずの居間が、しっかりきれいに片付いてたから。
ここを誰が片付けてくれたのか。・・・そんなこと、考えるまでもないよね。
あたしは回れ右して台所に向かった。
中へ入れば、じゃーっと水を流す音。湯気を上げてくつくつ何かが煮立つ音。
それから、何年か前に流行ったCMの曲を適当にでたらめに編曲してる間が抜けた鼻唄。
――もう。しなくていいって言ったのに。
なんだか溜め息をつきたいよーな気分だ。あたしはじとーっと銀ちゃんの背中を睨みつけた。
頭に寝癖がつきまくりで猫背気味でよれよれな寝間着姿は、古いシンクにボウルを置いてお米を研いでる。
コンロの上には火にかけた薬缶が。その隣には、お味噌汁の出汁らしい小鍋が。
まな板の上には小口切りした葱とお豆腐と、茹で上がったばかりで湯気が昇る青々としたほうれん草まで並んでるし。
「・・・・・・。しなくていいって言ったのにぃ・・・」
「んー?」
口を尖らせながら隣に立つと、手を止めた銀ちゃんがあたしを眺め下ろす。最初はきょとんとしてた目つきが、やや置いてから柔らかく緩む。
くくっ、と喉の奥で笑い声を上げてから、水に浸されて半透明になったお米をがしがしと研ぎ出す。
ちろ、と恨めしい気分でシンク横の水切り籠を眺める。きのうの夕飯の支度に使ったお鍋に、調理器具にお箸に食器。
ぜんぶ綺麗に洗われて、籠の中におさまっていた。
「・・・怪我してるくせに・・・」
――銀ちゃんの耳に入らないように、口の奥でぽつりとつぶやく。
きのうは身体中痛いってボヤいてたくせに。
めんどくさがりでぐーたらであらゆることをサボりたがるナマケモノで、部屋の片付けなんてあたしか新八くん任せで十代の男の子にいつも注意されてるダメ大人なはずの銀ちゃんは、たまにこういうことをする。
それは主に、あたしが疲れてるような時だ。ふとしたことで甘やかしてくれたり、労わってくれたり。普段は滅多に発揮されない、変なマメさを発揮してくれたり。
・・・・・・なんだか困っちゃうよ。ていうか、ずるい。ずるいよね、銀ちゃんのこーいうとこ。
朝からあんな人に言えないよーなことしてきた後で、しれっとこーいう優しいところを見せてくるんだから。
「・・・お医者さんに安静にしてろって言われたのに」
「あぁ、平気平気。医者ってのはどいつもこいつも大袈裟に言うからよー。実際たいしたこたぁねーんだって」
どうってこたぁねーのによー、このくれー。
包帯できつく固められた右脚を膝からひょこっと持ち上げて、わずらわしそうな視線を落とす。
――それは、そうかもしれないけど。・・・あたしだってわかってるけど。
怪我に慣れてる銀ちゃんにとっては、骨にひびが入った程度じゃ重症のうちには入らないんだって。
だけど・・・いつもはただ嬉しくなっちゃうだけの銀ちゃんの甘さも、今日はあんまり素直に喜べないよ。
銀ちゃん、あたしのせいで怪我したのに。
「・・・・・・・・・銀ちゃん」
「んー。なに」
「・・・・・・」
寝間着の裾を黙って掴む。
ちょっと猫背気味な広い背中にななめ後ろからしがみついたら、お米を擦り合わせる音が止む。
動きを止めた広い肩がわずかに揺れて、くすりと笑う声がして。
「んだよ、どーしたぁ。らしくねーことしてくれちゃって」
「・・・・・・」
「まぁ、めずらしくデレてくれんのは嬉しーけどよー。朝からサービス過剰じゃねーのぉメイドさん」
「・・・うるさい、メイド言うな」
「んな辛気くせー顔すんなって。おとといも言っただろぉ、のせいじゃねーって」
「・・・・・・。うん」
「俺が落ちたのは俺のせいだし。ああ、それとうちの馬鹿犬のせいな。
皿洗いも飯の支度もよー、別にに気ぃ使ったとかじゃねーし。早く目ぇ覚めちまって暇だったんだって」
黙ってあたしは頷いた。
普段は可愛げがない態度ばかりとってて、めったに自分から銀ちゃんにくっつこうとしないあたしが、どうして自分から抱きついてきたのか。
ぜんぶ銀ちゃんにはお見通しだったみたいだ。申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになっちゃって、「ごめんね」も「ありがとう」もうまく言葉に出来なかったのに。
顔を埋めた寝間着の背中から流れ込んでくる、銀ちゃんの体温と匂い。それがなんだかせつなくて、しわくちゃな寝間着のお腹のところをきゅうっと握った。
「・・・だったら二度寝したらいいじゃん。銀ちゃん好きでしょ二度寝。怪我してるんだから、一日中布団でごろごろしてていーのに…」
「えっ、マジで。えぇぇいーの、マジでいいの」
「いいよ。当たり前じゃん。そのほうが怪我も早く治りそうだし」
「じゃあ飯食ったらも二度寝な。銀さんに添い寝な」
「うんわかっ・・・・・・・・・ぇえ?」
――添い寝?添い寝って・・・・・・銀ちゃんだけじゃなくて、あたしも二度寝しろってこと?
重大なミスをしたことに一拍遅れで気がついて、さっそく逃げようとしたんだけど、
「おいお〜〜〜い、どこ行く気ぃ。そりゃーねーだろぉメイドさあああぁん」
銀ちゃんに背を向けようとした瞬間には、もう何もかもが手遅れで。
がしっと手首を掴まれて、今にも口端からよだれを垂らしそうなでれでれ顔に眺められて。
・・・・・・やばい、やばいやばいやばいやばい!
焦りまくってるあたしの脳内に「やばい」の大合唱アラートが鳴り始める。
ささぁーっ、と血の気が波みたいに音を上げて引いていくよーな、そんなありえない錯覚まで起きて。
「ゃやややっぱり無理、今のなしっっ」
「はいダメー、銀さんそーいうの認めませんー。んだよぉ言ったじゃねーかよぉお前、何でもするって言ったじゃーん」
「〜〜〜っ!!」
ああああああしまった、やっちゃった!とんでもないことOKしちゃったよ、さらりと言われたせいで気づくの遅れた・・・!
研いでたお米も放り出して、にまにま笑う銀ちゃんが寝間着の裾でごしごし手を拭く。その間も、こっちにのそのそ迫ってくる。
ええっ、ってあわてふためいてるうちに腕を引かれて、くるん、と身体が半回転。
銀ちゃんと真正面から向き合うような体勢にさせられるまで、その間、たった1、2秒。
逃げ出す隙なんてなかったし、何か言い返す隙だってなくて――
「なーなー、いーだろ。今日は昨日みてーに客も来ねーだろーしぃ」
あたしを挟むみたいにして流し台の左右に手を突くと、白っぽく光る癖だらけの頭をゆっくり下げながら近づいてくる。
目線の高さが同じになって、あたしのおでこが白銀色の前髪とざわざわ擦れ合う。
瞳が逸らせない至近距離が恥ずかしくて、ぷいっと顔を逸らしたけど、
・・・顔なんていくら逸らしても、恥ずかしさはちっとも消えてくれない。
急に近くなった銀ちゃんの、笑みのかたちに細められた目が。匂いと熱が。握った手首をいたずらに撫でる硬い指が、
――間近で感じる銀ちゃんの気配はどれも熱っぽくて、色っぽくて、こうしているだけで心臓がとくとくと早いリズムを打ってしまう。
っっ、って息を詰めてじりっと半歩下がったら、シンクの縁に背中が当たる。
・・・もうどこにも逃げ場がないよ。
眠そうで気だるそうな中にもうっすらと熱っぽさが漂ってる、銀ちゃんの視線に吸い込まれる。握られてじわあっと熱くなった手首に、きゅう、って力を籠められた。
「ー、なぁ。いーの。だめ。どっち」
おねだりするような甘えた響きで、耳元にふわりとささやかれる。
耳たぶや頬に触れた吐息のせいでさらにどきどきしちゃって、ぼうっと顔が染まるのが自分でもわかった。
〜〜〜〜〜うわわわわ、やばい、やばいよ今日の銀ちゃん。朝から目の色違ってるし・・・!
「あぁ、それが嫌ならアレでもいーわ。ここで昨日のアレな、メイドさんの淫らなご奉仕。アレ、もっかいしてくれてもいーんだけどー」
「っっ、ここで!?やだっ、絶対やだっっ」
「だろぉ。ならご主人さまのお昼寝くれー喜んで付き合ってくれるよなぁ、っちゃあん?」
「〜〜〜・・・・・っ!」
ぱくぱくぱく、ぱくっ。何か言い返そうと開いた口が、声も出せずに空回る。
ああ、またこれだ。怪我させたお詫びに何でもするなんて、・・・どうしてあんなこと言っちゃったんだろ。
完全にどうかしてたよ、おとといのあたしが恨めしいよ・・・!
真っ赤な顔で絶句してるあたしと、にやにや笑いが止まらない銀ちゃん。二人でしばらくにらめっこしてるうちに、
「あーそうそう」って銀ちゃんが何か思い出したような顔になって、
「昨日言い忘れたんだけどよー。あれな、あれ。間違ってたぜ昨日のあれ」
なんて言って、なぜかすとんとしゃがみ込んだ。
「な、なに、あれって」
「んーだからこれな、これ。んじゃーまぁチェックしてやっから、とりあえず見せて」
しれっと言った銀ちゃんが、ぴらっ。止める間もなくピンクのミニスカートを豪快に捲る。
スカートの中を膨らませてるふわふわのパニエごと持ち上げられて、あたしの全身が凍りついて、
「〜〜〜〜〜〜〜〜っっ!!!?」
声にならない悲鳴が喉を突き抜けて、ぼんっっ、と頭が一気に沸騰。
わなわな、わなわな。思わず押さえた唇が勝手に震える。
――・・・・・・・・し。信じらんない。信じらんないいいいぃ!
いきなりスカートの中に頭突っ込んできたよこの人。ななな。なな、な、何してるの銀ちゃん。何がしたいの銀ちゃん。
どーしてそこに顔突っ込んじゃうの。どーしてガーターのクリップとかぱちぱち外してんの。
ここがどこか判ってんの。台所、台所だよ?こんなとこで何しようっていうの、〜〜〜〜ここここ、この変態いぃぃ!!
言ってやりたいことは山ほどあるのに、下着や太腿に当たる銀ちゃんの髪や呼吸がくすぐったすぎてそれどころじゃない。
そうこうしてるうちに太腿をまとめて抱えられて、ひゃあああ!と甲高く叫んでしまった。
「ひゃややや、ゃだばかししし信じらんないっゃややちょっっぎんっっっ」
「あーはいはい暴れない暴れない。じっとしてろって、直してやっから」
「何を!?ってやだもぅ、いいよっ、じ、自分でっ」
「まぁいーじゃん。こーいうもんは言って教えるよりやって見せたほうが早えーしよー」
留め具を外したガーターベルトの先をひらひら振ってみせてから、銀ちゃんは持ち上げたあたしのスカートをウエスト位置までさらに捲る。
よ、って自分の頭を使ってパニエごとしっかり抑え込む。
〜〜〜〜〜〜ちょっ。し、信じらんない。信じらんないぃ!ぎぎぎ銀ちゃんっ、何する気!?
「ぁ〜〜何これ。風呂上りの匂いとかやべーって。しかも何このぱんつ、銀さん初めて見るんだけど。びみょーに透けてんじゃん、えっろ」
「っば、ばかっ。そゆこと言わな・・・ひぃやああ嗅ぐなあぁ!ばかしねっ変態いぃぃ!」
「あ〜〜、どーすっかなぁ。これはこれで初々しーっつーかぁ、まぁいーよーな気もすっけどー。
・・・いやいや、これだといまいち楽しめねーよなぁ。やっぱ直すか」
「な、ななな、なっ・・・!?」
・・・楽しめない?楽しめないって、何が?
銀ちゃんてば何を悩んでるんだろ。やけに真剣な顔してるし。
うっすら無精ひげが生えた顎を弄りながらブツブツ漏らした独り言の意味が、あたしにはまったくわかんないんだけど・・・?
全身真っ赤にして心臓をばくばくさせながら見つめてたら、銀ちゃんはとんでもない行動に出た。
丸見えになってるあたしのショーツの薄い布に噛みついて、くい、って器用に肌から引き剥がす。
外したベルトの先を――ストッキングに繋げる留め具を持ち上げて、するするーっとショーツの生地の中へ通しながら、
「お前よー。ぱんつ履いてからコレ着けてんだろぉ」
「・・・へ・・・?」
「そーじゃねーって、違うんだって。正しくはガーター着けてからぱんつだから」
「っっ。そ、そうなの?」
「そーそー。コレが下でー、ぱんつが上な。わかった?」
「・・・だ、だだだ、だって。しょーがないじゃん、こんなのはじめて着けたし・・・っ」
「ははっ。だーよなぁ、ガーターなんてはじめてだよなぁぁ。男は銀さんしか知らねーもんなぁ、うちのかわいーメイドさんはぁっ」
「ひぁあ!」
嬉しそうに目を輝かせた銀ちゃんに、がばっ。
抱きつかれたと思ったら、太腿の半ばあたりに無精ひげが伸びてきた顎をぐりぐり押しつけられて、
「ちょ、やめっ痛いいっ、ちくちくするっっ」
「てか、お前にこんなもん着け慣れてるとか言われたらよー。銀さん泣くわ、マジで泣くわ」
「銀ちゃんっひげくらい剃ってよっっ。ぃたたたた痛いぃっ、離せええっっ」
「いやですだめですー、メイドさんはご主人さまのもんです離しませんー」
「〜〜っ!」
憎たらしい口ぶりに断言されてぎゅうっと腰を抱きしめられたら、なぜかきゅんとしてしまった。
かーっと赤らんでいく頬の熱さにあたふたしながら、太腿にべったりくっついてる銀ちゃんのでれでれ顔をおろおろと見下ろす。
・・・うわわわわわ。ななな、なにこれ。
どうしよう、何であたしときめいちゃってるの。ばっかじゃないの。でも嬉しい。なんだか嬉しかったんだもん。
こんなおバカさんな状況でも、銀ちゃんにぎゅーってされたり独占欲丸出しなこと言ってもらえたら、
・・・・・・すきな人に言ってもらえたんだもん。そんなの、嬉しくならないわけがない。
「〜〜〜・・・ば、ばかぁ。銀ちゃんのばかぁっ・・・」
こんなおバカなことしてる最中に人をどきどきさせちゃう銀ちゃんにも、そういう銀ちゃんをどこかで喜んでる自分にも動揺しちゃって、
もう頭の中が沸騰寸前だ。顔も耳も真っ赤にして唇を噛みしめるあたしを上目遣いで眺めつつ、銀ちゃんはちゅうっと太腿に吸いついてくる。
ショーツの線を指先でなぞり上げたり、感じやすい太腿の付け根を布地越しに撫でたりしながら、唇をそっちへ向けて這わせていく。
濡れた感触に吸いつかれるたびにぞくっとして、ぶるぶるっと太腿が震えて、あたしはあっというまに涙目に。
どうしよう。どれだけ頑張っても動けない。さっきから目一杯脚に力入れて逃げようとしてるんだけど・・・!!
「じゃあ次な。後ろも通してやっから」
「〜〜ひ、・・・っ、んん・・・・・・・っ」
ぶるっ、と下半身が大きく震え上がって、こらえきれなくって唇を噛んだ。
外したガーターベルトを持った銀ちゃんの手が後ろへ回る。ショーツの中へ滑り込んできた。
抱え込んだあたしのお尻をやんわり丸く撫で下ろしながら、もう片方の手ではショーツから抜け出たベルトの先を掴む。
その手がストッキングの上端を目指して、太腿の裏側を滑っていく。力を入れた指先でわざと刺激するようないやらしい手つきで、あたしの肌を這い降りていった。
「・・・ふぁぁ・・・、ん、やだ、やだぁ・・・」
感じやすいところばかり触れられたせいで、ただでさえ熱くなってた身体の芯が焦れてくる。
透けててえろい、なんて言われたおろしたてのショーツが、銀ちゃんの手の動きにつられてずり落ちる。
腰の奥に甘い疼きが生まれてきて、そのむずむずした感覚で感じちゃって、
――たったこれだけで感じてるって銀ちゃんに気付かれたらと思うと、恥ずかしくって泣きたくなった。
だけど、勝手に高まっていく自分の身体を、自分じゃどうにも出来なくって。
腰をくねらせながら銀ちゃんの頭に抱きついたら、ちゅ、って唇を落とされる。
ずり落ちたショーツに隠されてたところ――じんわり蕩けはじめたところの、すぐ上に吸いつかれて――
「んっ、ゃあ、やめ・・・っ」
「ん。どしたぁ」
「ど・・・どうって。へんな触り、かた、しな、で・・・っ」
「ぇえー。っだよ、変な触り方って。銀さん直してやってるだけなんだけどー」
含み笑いが混ざったような可笑しそうな声で言いながら、銀ちゃんはようやく唇を離す。
するり、とショーツの中を潜り抜けて、肌を撫でていた手も離れていって、
「まぁそんなに嫌ならあれだわ、後は自分でやってみろや」
そう言ってさっさと背を向けて、傍に転がってた杖を使って立ち上がる。
拍子抜けするくらいにあっけなく置き去りにされて、あたしはぽかんとしてしまった。
だけど、一度熱を上げられた身体はまだじんじんと疼いてるから――なんだかすごく困ってしまう。
ぎゅっと自分を抱きしめて、はぁ、って火照った吐息を漏らして、とんとん杖をついてさっさと台所を出ていく銀ちゃんをぼうっとした目で見送る。
流し台にぐったりともたれた背中の向こうで、ずっと沸騰しつづけていた薬缶がしゅんしゅんと湯気を噴き上げてる。
かたかた、かた、ってアルミの蓋が揺れて鳴る。ちっとも力が入らなくなった腰が、かくんと崩れる。
ずるずる、って流し台の扉に背を擦りつけながら、台所のつめたい床にへたり込んだ。
出て行く寸前で一瞬だけ、肩越しに振り返った表情が、かすかに笑ってるみたいに見えたのは、
――・・・・・・あたしの気のせい、だったのかな。