昼休み以外は鍵が閉まりっ放しな屋上の扉の前は、放課後になってる今はただの薄暗い物置兼ただの行き止まりだ。 LHRはさっき終わったばかり。三年生クラスが並んでる下の階にはまだまだ人がたくさん残ってて、 教室から出てきた子たちの声や足音がざわざわとにぎやかに昇ってくる。でも、屋上に入れない今の時間に、 わざわざここまで階段を昇ってくる人なんてめったにいない。
よっぽどなことがない限りは誰も寄りつかない場所。
――っていうことはつまり、放課後にここに来たらほぼ確実に人目を避けられるってこと。 部活に行く子や下校する子たちがわらわら溢れかえってる放課後の校内で、誰にも知られることなく、好きな人を呼び出して告白したい。 そんなことを考えてる恋する男子女子にはもってこいな、うってつけな告白場所だってことで。 うちのクラスでは晋助と並んでモテモテで何かと情報通な河上くんによると 「そうそう、実はあそこは恰好の穴場告白スポットになっているでござるよ」っていうことで。「拙者もこの三年で十数回ほど あそこに呼び出されたが、ちなみに一番可愛かったのはチア部二年の…」なんて訊いてもいない自慢話まで 飛び出してきちゃうくらい、実は定番の告白場所で。好きな男子にこっそり思いを打ち明けたい恥ずかしがりやな女の子たちに は特に大人気、校内のうれしはずかしどきどきラブイベントがひっそり頻発してる隠れ人気スポットらしい、・・・んだけど。

・・・・・・・・・・・・・・・・そんなときめき度100%、乙女ゲーム的に言えばマジLOVE1000%な場所に呼び出されたっていうのに、 あたしはちっともときめけない。ときめくどころか萎えっぱなしだ。



「――てことでさぁ。・・・はっきり言わなくてもわかるよね?さんにここまで来てもらった理由」

わかりません。ていうかむしろ、わかりたくないんだけど。
…と即答したくてたまらない気持ちは噛みしめてこらえて、えぇ〜、と曖昧に笑い返す。 メロンが二個入ってそうなボリュームの胸を強調するみたいにお腹の上で腕を組んだその子は、 こっちを見下してそーな姿勢っていうか、ちょっとふんぞり返ったかんじで話しかけてくる。 「ねえさぁん。ちょっといいかな」なんて教室で声を掛けてきた時からお面みたいな笑顔を崩さない彼女は、 クラスで一番目立ってる女子グループのリーダー。その子の後ろに、自分たちのリーダーを援護するみたいにずらりと並んでる子たちが四人。 薄暗い行き止まりにもそもそっと固まってるのはあたしたちだけ。誰もここまでは昇って来ないし、人目なんてどこにもない。 踊り場のすみっこに積まれた美術室の備品段ボール箱からはみ出た濃い顔のデッサン像、アグリッパさんがじーーっとこっちを見てるだけで。

「ぶっちゃけ言うとさー、前から気になってたんだーあんたのこと。 まじで高杉くんたちと仲いいよねーさんて。教室でいつも一緒じゃん」
「そ、そうかなぁ。たしかに席近いし、一緒にいること多いけど・・・別に意味とかないから。 ほらあたしたち幼馴染みだから。ずっと学校同じだし家も近いから」
「うん知ってるー。でもさー、うちらから見ると出しゃばりすぎに見えるっていうかー。 あの子高杉くんにべったりしすぎじゃないの、え、あの子だけ何でいつも喋ってんの、あれってちょっとずるいよねー、ってかんじでー」
「ふ、ふーん。そーなんだぁー・・・」

目元をぴくぴくさせながらへらへら笑って、後ろで組んでる右手では人に向けて立てちゃいけない指をびしいっと立てる。
・・・・・・・・はいそうです。よーするにあたし、校内の指折り胸きゅん告白スポットで同じクラスの子にシメられてます。 よーするに今のあたし、孤立無援っていうやつです。屋上のドアに背中をくっつけてるから周囲360度に逃げ場なし、 晋助ファン五人にぐるりと囲まれちゃってます。

「あれだよねーさんさー、新幹線でも高杉くんの隣の席だったじゃん?行きも帰りも、ずーっと」
「それは晋、・・・高杉くんがすっごい人見知りだから、高杉くんと気心知れてるメンバーで一班組むよーにって 坂本先生に言われたからなんだけど。ほら、あたし幼馴染みだから」
「京都着いてからのバス移動とかクラス行動とかもさぁ、全部一緒だったよね。それも幼馴染みだから?」
「・・・。それは。ええと」
「ずーっと隣に居座ってたよね。あのさーうちらさー、あんたのおかげで高杉くんに話しかけるチャンスなくってさー」
「・・・・・・・・・・・。えぇと。だって。あれは、ほら」

(そうしないと晋助が修旅に行かないってだだこねるから、仕方なく一緒にいただけなんだけど。)

・・・ああ言いたいっ。声を大にして言いたいよ。実は小学校の修旅でも晋助が同じワガママ言い出して 十四郎と取っ組み合いの大ゲンカになったこととか、中学校でも同じこと言い出してまたケンカになって旅行当日は二人とも 顔が青アザだらけだったとか、今はスカしたかんじでキメてる晋助が実は小6までは校内一の優等生でお母さんをママって呼んでたとか、 その優等生が中一で急におかしくなっちゃって、真っ黒だった髪がいきなりド派手な金髪になったり制服を ビジュアルバンド系なかんじにカスタムしてきたり放送室ジャックしていまいちな自作曲をバンド生演奏 で授業中の全校生徒に聴かせちゃったりの超問題児になっちゃってしょっちゅう親が呼び出されてたとかその他いろいろ、 この盲目な晋助信者さんたちをもれなくがっかりさせちゃう痛々しい中二病履歴をここで洗いざらいぶちまけてあげたい、
・・・・・いやでも言えない。これ言ったら晋助に殺されかねないから言えないけど・・・!!!

「――ねえ、少しはわかってくれたよね?うちらの気持ち」
「・・・・・・・」
「え、やーだー。無視?目の前でガン無視?さんさぁ、もしかして怒ってる?」
「ていうかさっきから顔引きつってるし」
「ははっ、ちょっとマジウケるー」

「人生とは何ぞや」みたいなことを真剣に考えてそうな顔つきでこっちを見てるアグリッパさんと視線を合わせて、あたしはちいさく溜め息をついた。 トゲトゲした意地悪っぽい顔して笑ってる五人ぶんの声は、聞いてるふりして右から左にスルーする。すっごく虚しい。帰りたい。 今すぐおうちに帰りたい。この子たちのおかげであたしの楽しい放課後の予定は台無しだ。 まあ予定って言っても、コンビニ寄って家に帰っておやつ食べて宿題してジャンプ読んでママと作ったごはん食べて夜は銀ちゃんとゲームして遊ぶっていうだけの、 予定なんて呼べないくらいの地味予定しかないんだけど。・・・そんな地味で平和で女子高生としては思いっきり残念な日常が、今は猛烈に恋しいよ。 カラオケ行くとパパが必ず熱唱するあの長ーーーい曲みたいに、何でもないようなことが一番しあわせだったんだよ。 こんなことなら誰かについてきてもらえばよかったな。教室を出る前に「大丈夫?あたしたちも一緒に行こうか?」って 心配そうに引き止めてくれた、やさしい友達の顔を思い出す。・・・思い出したってもう遅いんだけど。

「やだなぁそんな顔しないでよー。誤解しないでほしいんだけどー、あたしたち別にいじめとかそういうつもりないからね。 さんがどーいうつもりなのか聞いてみただけだからさ。あんまり気にしないでよ。ねっ」
「・・・・・・・」

だったら教室で、みんなの前で言えばいいのに。こんなところまで連れてきて大勢で囲んで言いたいだけ言って、 「気にしないで」なんて念押しする。
・・・いじめ、とまではいかないかも。だけど、これが吊るし上げ以外の何だっていうんだろ。
悔しがりながら唇を噛んで、階段のほうをなんとなく見下ろす。 見下ろしてすぐにびっくりした。えっ、と思わず声まで出しちゃって、そこから目が離せなくなる。 下の階に続く手摺りの陰だ。そこにいつのまにか友達二人が隠れてて、その後ろにはなぜかしかめっ面した十四郎が立っていた。 きょとんと目を丸くしたあたしと目が合うと、声を出さないで口だけ動かす。え、何。今の何。何て言ったの。 無言の会話を読み取れなかったあたしが口だけパクパクさせて「えっ、何?」って聞き返したら、ひくっ、と眉が吊り上る。 怒鳴りたいところを我慢して噛みしめてます、みたいなかんじで口をへの字に曲げて、不満たらたらな「あー面倒くせぇ」って顔になる。
ドカドカドカドカドカ。 友達二人がびくーっと震えあがっちゃうくらいに荒い足取りで、一気に階段を駆け上がってきた。





フラグメンタルプール  *5  ライクアメルティッドアイスクリーム




男子女子の区別なく取り締まりが厳しい風紀委員副委員長に気づいたら、 熱狂的な晋助信者さんたちはたちまち我に返ったみたいだ。あわててあたしから離れたリーダーの子が胸を 揺らしながら階段を下りていって、他の子たちもすぐに後に続いた。五人と入れ違いに昇ってきた十四郎は階段の途中で足を止めて、 降りていく彼女たちをガン見してた。一人ずつの顔を記憶にしっかり焼き付けながら、 「てめえら覚えてろよ」って無言で脅しをかけてるみたいなこわい目だ。 十四郎の愛想の悪さに慣れてるあたしでも、ちょっと引いちゃうくらいのおっかなさ。 あんな顔されたらあの子たちだって、もうあたしをシメようなんて思わないだろうけど――


「・・・あーあー、どーすんの。絶対あの子たち言いふらすよ。明日の放課後には全クラスに回ってるよ」
「あぁ?何がだよ」
「さっきのあれだよ。だからー、あの子たちがさ、えーとー・・・・・、
『ねえねえ聞いてー、昨日さークラスの子とちょっと話してただけなのに風紀委員に睨まれちゃってー、なにあれひどくなーい、 あたしたち何もしてないのにー!てゆうか普段からかんじ悪くないあいつー』・・・みたいなかんじで言われるよ」
「口真似すんなムカつく。・・・別にいーだろ。言いたい奴には言わせとけ」
「えーっ、よくないよー。あることないこと言いふらされちゃうじゃん。あーあーもう、どーすんの」
「どうもするかよ。んなもん痛くも痒くもねぇ」

風にあおられてふわふわ浮き上がるスカートの裾を押さえながら、ぺたん、と屋上の入口前に座った。 太陽の光を浴びたコンクリートは真夏の砂浜みたいな熱さだけど、これはこれで気持ちいいかも。 校舎の周りは住宅街で高い建物がほとんどないから、頭を上げると白い雲と真っ青な空しか目に入らなくなる。 あの子たちに階段のすみっこに追い詰められて、きゅうくつなところに閉じ込められた気分になってたせいかな。 広々とした空を眺めながらすーっ、と深く息を吸い込んだら、胸の中が新鮮な空気とすがすがしい開放感でいっぱいになった。 ふ、と頭の上が暗くなる。「」と呼ばれたから頭を上げたら、十四郎の手が真上にあった。 ぽとん、と大きな手からおおきめなアイスのカップが膝に落ちてくる。スーパーカップのバニラ。十四郎が購買まで行って買ってきてくれた ばかりだから、クリーム色の紙カップの中身はカチカチに凍って固かった。 プリーツスカートの生地からも染みてくるひんやり感を手で包む。持ち上げておでこに当ててみる。
・・・うわ、きもちいい。
目を閉じて冷たさを感じてたら肩から力が抜けていった。ふぅ、とちっちゃく溜め息が出る。
・・・あの子たちに囲まれてた時は別に平気っぽかったんだけどな。実は緊張してたのかな。霜がついて白っぽくなってるフタをぺりぺりめくって、 十四郎が投げてきたスプーンで・・・、 あれっ。食べられない。アイス固すぎてスプーンが刺さらないよ、隣に座った十四郎はザクザク刺してるのに。ぱくぱく食べてるのに。 いいなー、おいしそう、とうらやましくって指をくわえて眺めてたら、眉と眉の間がぎゅーっと寄ったままの十四郎の表情が微妙に変わった。 視線が右に左にフラフラ揺れて、なぜか頬がじんわり赤くなってきて。アイスをザクザク掘ってた手がぴたっと止まって、

「貸せ」
「え?」

黙ってあたしのアイスを取り上げる。顔が見えないくらいうつむいて、

「・・・食いづれーからあんまこっち見んな」

もごもごっとはっきりしない口調で言いながら、 ざくざくざくざく。スプーンでつつきまくって穴だらけに崩したアイスを、ぽいっ、と膝に放り投げてきた。

「おら、食え」
「わーい、ありがとー。十四郎くんやーさーしーーーいぃぃ」
「・・・うっせえバカ。早く食えバーカ」
「ていうかあたしハーゲンダッツがよかったのにー」
「はぁ?あんな高けぇやつ売ってねえだろ購買で」

せめて購買で売ってるもんを言え、って十四郎が怒る。 ええー、じゃあ売ってたら買ってきてくれたのかなぁ。

「でも十四郎の奢りっていっつもこれだよね。かならずバニラだし。もしかして他のアイス知らないの」
「嫌なら食うな」
「嫌だなんて言ってないじゃん。でも十四郎が買ってくるとワンパターンすぎて面白くなぁい」

たまには銀ちゃん見習って、CMいっぱい流れてる季節ものの新製品とか買ってきてよ。
なんて、思ったことをそのまんま言おうと したけどやめておいた。十四郎は銀ちゃんと比べられるのが大嫌いだ。本人がそう言ったわけじゃないけど、あたしがそれっぽいことを口にすると、 普通にしてても怒ってるみたいでちっとも愛想がない十四郎の顔は、ぴきぴきぴき、ってこめかみから音がしそうなくらいにこわばっちゃう。 切れ上がった目が吊り上って、さらに、もーっとこわい顔になる。どうしてそう銀ちゃんを目の敵にするのかなぁ。学校では他の子たちの 目があるからそれなりな態度作ってるみたいだけど、家では銀ちゃんが話しかけてもほとんど無視してるし。あれじゃ銀ちゃんがかわいそうだよ、 …なんて思いながらしばらく十四郎をチラチラ眺めてたら、かちこちに固かったアイスがすっかり溶けかかってた。とろんと緩みかけたミルク色をさくっと掬って、むぐむぐむぐ。 はぁ、つめたーい。甘くておいしくってほっとするよ。いやな気分でもやもやしてた頭の中も、アイスの冷たさがすっきり冷やしてくれそう。

「・・・。やけに大人しいな。お前まだヘコんでんのか」
「ううんー、アイスの味をかみしめてたの。奢ってもらったアイスってなんでこんなにおいしいのかなあと思って」
「はっ。何だ、そりゃ」

肩を揺らして十四郎が笑う。きついかんじに吊り上ってた目元が少しだけ緩む。強張ってた顔もちょっとだけ緩んだ。
心配して様子を見に来てくれた友達二人は、さっき十四郎に「ごめんね、嫌なこと頼んじゃって」って謝ってた。 二人に申し訳なさそうな顔された十四郎は、すごーく居心地が悪そうで。ああ、って一応頷いてたけど、ちっとも目を合わせようとしなかった。 二人が教室に戻っていくのを見送ると、腰ポケットからじゃらじゃらした鍵の束を出してきて、 その中のひとつで屋上の鍵を開けてくれた。・・・なんなのあの鍵。どうしてあんなに大量に持ってるんだろ。聞いても教えてくれなかったけど、 もしかして、副委員長特権で校内のいろんな場所の鍵を持ち歩いてるのかなぁ。ドアを開けて屋上にあたしを押し出すと、 「ここで頭冷やしてろ」みたいなことだけ言って自分はアイスを買いに降りて行っちゃった。だから結局、どうして十四郎が友達と一緒に屋上まで 上がってきたのか、本当のところはどうしてなのかよくわかんないんだけど、
たぶん、あの子たちのことを牽制しに来てくれたんだよね。十四郎ってへんなところでひねくれてるから素直に認めてくれない だろうけど、あたしを心配して急いで駆けつけてくれたんだろうな。屋上の鍵を開けてくれたのは、あたしがヘコんでるから 誰もいない涼しい場所で落ち着かせようってことなんだろうし。黙って上から落としてきたこのアイスだって「これ食べて少し休め」って なぐさめてくれてるつもりなんだろうな。態度はそっけないし口も悪いから、ぜんぜんそんなかんじには見えないけど。


「おい、あいつはどこ行った。騒ぎの元は」
「あいつって?」
「・・・そのくれー話の流れで読めよ。あの猫目野郎はどーしたって聞いてんだ」
「晋助ならいないよ。午後から帰っちゃった、今日そろばん塾の日だから」

て言ったら、十四郎が「はぁ!?」と目を丸くしてこっちに乗り出してきて、

「塾ってあれか、保育園から通ってた隣町のあれか!?あいつまだ通ってんのか・・・!?」
「晋助あそこの先生大好きだからねー。高校卒業しても通ってそーだよねー」

あはは、と笑ったら、緩みかけてた十四郎の目つきがまた吊り上った。
どーしてお前はそう呑気なんだよ。
アイスを口に運びながら不愉快そうにぼそっと漏らして、

「猫目がいなくてもあのグラサンがいんだろ。他にも数人、胡散臭せー腰ぎんちゃくどもがいるじゃねーか。教師よりおっさんくせー奴とか 目つきがキモいアレとかとか二年の金髪とか。馬鹿かお前、何であいつらに泣きつかねえんだ」
「えーだめだって。河上くんたちに泣きついたら晋助にもバレちゃうじゃん」
「・・・・・また言わねぇつもりかよ。お前これで何度目だ、あいつの取り巻きにシメられんの」
「何度目って、えーとぉ、」

風でちぎれた雲がゆったり流れてく秋晴れの空を見上げた。何回目だっけ。すぐには思い出せなくって、指折り数えながら首を傾げる。
――ええとー、最初が小学校四年の秋。たしか学校の裏庭で、クラスで一番可愛い女王様的ポジションの子に 「晋助くんはみんなのものなんだからね!一人でぬけがけしないでよ!」って、見当違いな濡れ衣着せられて花壇に突き飛ばされたんだよね。 次が六年の夏休み。学校のプールで泳いで着替えに戻った教室で晋助のクラスの子たちにぐるっと囲まれて、大勢に詰め寄られたんだよね。 あのときは泣いちゃいそうなくらい怖い思いしたんだけどなぁ。今思うとなんだかちょっと懐かしいよーな、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あれっ。今度で何度目?本気で覚えてないよ、何度目だっけ?
指をひとつひとつ折りながらもう一回数える。ええとたしか小学校の時が二回で、


「中学が三回。・・・ごー、ろく、七・・・・・・・八?・・・回目?だっけ?ねえ、そーだよね十四郎、ねぇねぇ」
「知るか、俺に訊くな」
「だって十四郎すっごく記憶力いいじゃん。小さかったころのこととかいつまでも覚えててねちねちしつこく根に持ってるじゃん」
「持ってねえよつーかねちねちとか言うな」
「思い出せないよー、もう忘れたよそんなことー。あたし嫌なことは早く忘れるよーにしてるんだもん」
「とにかく言え。てめえの取り巻きにシメられた、二度とこんな事がねーようにしろって晋助に言っとけ。お前が言わねーんなら俺が言う」
「えー!」
「えー、じゃねえ。言ってあいつらシメさせろ。いいのかお前、また同じ目に遭っても」
「・・・・・・・えー。それは、やだけどー。えー。でもさー。・・・・・・え〜〜〜〜・・・・・・・」

・・・十四郎ってば、わかってないなぁ。晋助が間に入ったらもっと大変なことになっちゃうよ。 女の子同士っていろいろと微妙なことが多いんだよ。男子ほど単純にはいかないんだよ。 でも、女の子同士の間にだけ存在してるパワーバランスの微妙さなんて、十四郎に説明したって「だから何だ」の一言で ばっさり切られて終わっちゃいそうだし。

「もう一度はないよ、大丈夫だよー。十四郎に睨まれたんだもん、あの子たちもう何も言ってこないよ」
「んな保証がどこにあんだ。あの手の馬鹿どもはな、いっぺん釘刺しとかねえとどんどんつけ上がるぞ」
「いいよー。こーいうの慣れてるから平気だし。・・・それにさー。あの子たちがあたしのこと シメたくなった気持ち、ちょっとわかるし」
「・・・・・・」

そう言ったら十四郎はスプーンを咥えたまま口を閉じて、なんだか不思議そうに瞬きしながらあたしを眺める。 話してみろ、って顔して顎をちょっと上げるから、あたしから先に口を開いた。

「あのねあたしね、学校で銀ちゃんが女の子と仲良くしてるとね、面白くないなぁって思っちゃうんだ」
「・・・・・・」
「銀ちゃんて結構女子に人気あるじゃん。十四郎のクラスの猿飛さんとか留学生の子なんて いつもべったりしてるしさ。・・・あれ、ほんとはあんまり見たくないんだぁ」

銀ちゃんは先生なんだから。クラス担任してるんだから。クラスの子たちと仲良くしてても当然だって思うし、 あんなにだらしないのに生徒に意外と人気がある銀ちゃんが自分のお兄ちゃんみたいな存在だってことは、いつだってちょっと誇らしい。でもね、 なんだか矛盾してる。そういう銀ちゃんを見てると嬉しいのに、たまにすごく面白くなくて。
・・・・・・・・・本音言うと、ちょっと。ちょっとだけ、いや。・・・うん。いやかも。
小さいころから大好きだった銀ちゃんを、あの子たちにとられちゃったみたいで。

「だからね。晋助の周りをうろうろしてるあたしが目障りだって、そう思ってる子たちの気持ちもなんとなくわかるし。 なんていうかさ、あれってさ、こう、・・・お腹とか胸の中とか、もやもやーってするんだよね。 ねえ、十四郎はさー、わかる?そーいうかんじ、なったことある?」

なんとなく尋ねてみたら、十四郎の顔つきが急にぎこちなくなる。 ぎゅっと唇が噛みしめられてる表情は、何かにイラついて怒ってるときの顔にも似てるけど。
・・・よく見ると違う。似てるけどちょっと違う。
遠くで飛行機が飛ぶ音が聞こえる。涼しい風がフェンスをがたがた鳴らしながら吹き抜けていって、カラスみたいな色した十四郎の黒髪がざわざわ流れた。 鉄板みたいに熱くなってる白い床を、何か言いたげな目がじっと見つめて。



「・・・・・・・ある」
「えー。どんな時?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・。 今」


―――――やっとの思いで絞り出したような、固くなった声がそう言った。十四郎はアイスのカップを潰れそうなくらい握りしめてる。

「・・・・・・・・・?」

今?今って・・・・・・・・・・・・え、何で。どういう意味。あたし、何か十四郎を困らせるようなこと言ったっけ。 そわそわした手つきでカップを弄ったり握ったりしてる骨ばった男の子の手を、「いつのまにこんなに大きくなったんだろ」 なんてことも思いながらきょとんと見つめる。
どうしたんだろ十四郎ってば。急に目線が定まらなくなったっていうか、ウロウロ迷走してきたよ。


「・・・・・っ。じゃあ、あれだ、おっ、女に纏わりつかれてんのが晋助ならどうだ。モヤモヤするのか」
「・・・・・・へ?」
「・・・・・じ、じゃあ俺は。俺ならどうなんだよっっ」
「え。・・・・・・・・・えー?どうって言われてもぉ・・・」

うーん、って唸って腕を組んで、目を瞑って集中する。 仲良さそうに話しながら肩を並べて学校の廊下を歩いてる土方十四郎くん(十八歳)と、十四郎くんのちょー可愛いエア彼女(推定年齢十八歳)の らぶらぶな姿を思い浮かべてみる。 二人を眺めるあたしがどんな気分になるのか、ちらっと想像してみたんだけど・・・・・・、

「・・・ね、十四郎。この想像むずかしいんだけど。なんだか無理っぽいんだけど。だってそんなのわかんないよー。 十四郎はいつも近藤くんたちと一緒じゃん。女の子と一緒にいるとこなんて見たことないし、・・・・・・」

屋上の暑さで溶けかかって生クリーム状になっちゃったバニラアイスをぐるぐる掻き回しながら、あれっ、て思う。
・・・・・・そっか。十四郎に彼女できたら、今までみたいにはいかないんだ。今までみたいに毎日いっしょに通学なんてできないよね。 夜中にコンビニ行きたくても、十四郎が彼女と遊んでたらあたし一人で行かなきゃじゃん。休みの日の買い物も一人になっちゃうし、 図書館行くのも映画観に行くのも一人になっちゃうんだ。
・・・。なんだ。そーなんだ。こうやって考えてみて初めて気がついたよ。
地味で残念だけどそれなりに楽しいあたしの女子高生生活って、十四郎がいるから成り立ってることがけっこう多いんだ。 まあ、買い物だって映画だって深夜のコンビニだって、忙しくないときなら銀ちゃんがついてきてくれるかもしれない。 銀ちゃんがだめなら晋助だっているし、友達を誘って出かけたっていい。それはそれできっと楽しい。だけど、


・・・・・・だけど。
もし十四郎に彼女が出来ても、十四郎はこんなふうにあたしの話を聞いてくれるのかな。 また晋助絡みでクラスの女子といざこざが起きたら、

――今日みたいに来てくれるのかな。でも。彼女がいるのに?・・・好きな子を放って、あたしのほうに?




「・・・・・あれっ。・・・・・・・・・・・えぇと、・・・」


ちくり、と胸に何か冷たいトゲみたいなものが刺さった気がした。もちろん気がしただけだから、 実際に傷がついたり、血が出たりしたときみたいな痛さはない。でも、ほんのちょっとだけ。かすかに、ほんとに痛かった。
――うん、ない。ないないない。彼女が出来たら来てくれないよ普通は。 それに、十四郎ってばかみたいに真面目だから。好きな子が出来たらすごく大事にしそうだし、何があってもその子を優先しちゃうよね。
うん。そうそう。そうに決まってるじゃん。

「・・・・・・・・・・うん。そーだよね。普通は誰でもそーだよね。ねえ?」
「・・・わかんねーよ何がだよ。お前な、何度も言ってんだろ。独り言に同意を求めてどーすんだ。わけわかんねえよ」
「・・・・・・・・・・えー。・・・でもさぁ。そーいうのってさ。・・・」

・・・さみしいじゃん。
なんて思いながら、飼い主に見捨てられたペットの犬みたいな気分で十四郎の顔をじっと見る。
こいつ、またわけわかんねえこと言い出しやがった。そんなことを思って呆れてそうなきつい目つきを見つめてるうちに、 胸の奥が急に、きゅうっ、と竦んだ。
どうしたんだろ。急に心細くなってきたよ。なにこれ。ちょっと想像してみただけなのに、・・・ちょっと、ううん、かなりさみしい。 さみしいし、つまんないし、気分がどんどん沈んでく。さっきあの子たちに囲まれたときみたいな、もやもやしたいやなかんじで お腹の中がいっぱいになりそう。
十四郎は隣に座ってるのに。ちょっと手を伸ばしたら届くところにいるのに。 なぜか急に遠くなっちゃったような気がして、――



「・・・・・・・・・・・・・。やだ」
「あぁ?」
「やっぱり、やだ。・・・・・・あんまりいい気分じゃないかも」
「・・・・・・・・・・っ、」
「・・・うん。やだ。なんかさみしいから、いや、・・・かも」


――・・・・・・うわぁ。 ・・・びっくりしちゃうくらい自己中だなぁ、あたしって。
自分のことしか考えてない子みたい。友達を他の子にとられるのを嫌がって拗ねてる小さい子みたいだ。 そう思ったらはずかしかったけど、胸の中にもやもやっと湧いてきたままのわがままを口を尖らせて言ってみた。 そんなあたしを眺めてる十四郎もめずらしいくらいびっくり顔だ。何か信じられないことを聞いちゃった人の顔みたい。 おもいっきり目を見張ってこっち見てる。食べかけのアイスがスプーンから ぽたぽた流れてシャツのお腹のところが汚れてるのに、ちっとも気づいてないみたい。さっきからぴくりとも動かないし。

「・・・・・・・・っっ。・・・!」
「え?うん?」

えっ、何で?急に怒鳴った十四郎の顔が、みるみるうちに赤くなっていく。・・・どーしたの十四郎。そのうち頭から湯気とか出てきそうな顔色だよ。 なんなの、どーしちゃったの。まさか屋上の暑さで熱中症になっちゃったの? 耳まで赤くした十四郎が、ぱくぱくっと大きく口だけ動かす。何か言いたいみたいだけど声が全然出てないから、何が言いたいんだか こっちはさっぱりわかんない。かと思ったら、あたしの白い目線なんかものともしないで食べかけアイスを脇に置く。 いや、置くっていうか、――ほとんど「投げ捨てた」に近い勢いだったから、中身がばしゃっとコンクリートの床にこぼれちゃってるけど。

「あーあ、もったいなぁい。ねえどーしたの、と、」
「そ、その、だっ、だからあれだ、・・・・・・っっ!べっ、別に今すぐ答えろなんて言わねぇ!け、けどなっ、俺は――」

えっ、ちょっと。なにこれ。いよいよ意味不明なことになってきたよ。 十四郎がばばっと腕を伸ばしてきて、いきなりがちっと手首のところを掴まれた。 何するの、って目で訴えてもなぜかテンパってる十四郎はぎゅーぎゅー力を入れちゃって離してくれない。いやだから、何で!? おかげであたしのスーパーカップの残りまで床にこぼれちゃったじゃん。鉄板みたいに熱くなった床にあっというまに染み込んでいって、 バニラアイスの甘い匂いが周りにじわじわ広がっていく。


「えっ。な。なに、ちょっと。・・・いたい。痛いよ、手、――」

言いかけて十四郎の手を見つめてるうちに、何も言葉が出てこなくなる。途方にくれた気分で十四郎と目を見合わせた。
・・・男の子の握力ってすごい。手首掴まれただけで動けないよ。十四郎はなんだか知らないけど、唇を噛みしめて黙ってる。 腕に籠められた力が、ほんのちょっと強くなる。あたしを自分のほうに引き寄せようとしてるみたいに、ぐい、って動く。


――え。なにこれ。十四郎。おかしいよあんた、どうしちゃったの―――・・・・・・?




「――――っっ。俺は、」
せんぱいぃぃぃぃぃ――――!!!!!」
「っっっ!!?」

ばぁあああんっっっ。
真後ろにある屋上の扉が、耳が割れそうなくらい大きな音を鳴らした。開いたそこから誰かが転がり出てくる。 十四郎とあたしの間に無理やり割り込んできたその子は、普通に見たらかなりの美人だ。色白で肌がきれいでスタイルよくて性格だって かわいいから、普通にしてたらすごくモテるはずなのに、――何かに夢中になると周りが見えなくなって突っ走っちゃう、 全力疾走タイプのあわてんぼうさんで。 今も十四郎のことは目に入ってないみたい。 睫毛ぱっちりな目をぱあっと見開いて、キューティクルきらきらでお手入ればっちりな長い金髪を振り乱して、
――ひしっ。全力であたしに抱きついてきて、

先輩ぃぃぃ!先輩大丈夫っスか、怪我とかしてないっスか!?」
「えっ、怪我?怪我なんてしてないよ?なに、どーしたのまた子ちゃん」
「もぉっ、なんすかそのふわふわした反応!どーしたのじゃないっスよ、すっごく心配したんですから!」

なんて言いながらあたしの頭をぎゅーぎゅー抱きしめてくるから、
・・・当たってる。当たってるんだけど顔に。胸が当たってるよまた子ちゃん。胸に顔が包まれちゃってちょっと苦しいよまた子ちゃん。 ・・・・・・いやでもまた子ちゃん大きいから、ふわふわでむにむにな感触はかなり気持ちいいけど。 ほんのり付けた香水みたいな淡くて甘いいい匂いがして、かなり癒されるんだけど。

「でもすごーい。よくここだってわかったね、また子ちゃん」
先輩のお友達から先輩がクラスの女にシメられたって聞いて飛んできたっス!どこ、どこっスかそいつらは!」
「ええと・・・、どうかなぁ、もう帰ったんじゃ」
「マジっすか!じゃあそいつらの名前だけでも教えてください、これから武市先輩と合流して今日中にシメてくるんで!」
「えっっっ。だめだよそういうの、よくないよっ。やめようよまた子ちゃん」
「いーえそういうわけにはいきませんよ!先輩は晋助さまの大切な幼馴染み、 その先輩をイジメるよーな奴はまぎれもない晋助さまの敵っス!晋助さま親衛隊隊長のこの来島また子が許さないっス!!」


今にもダッシュで飛び出していきそーな意気込みのまた子ちゃんを止めるのにあたしが必死になってた間、 十四郎はいったい何がしたいんだか、なぜか扉にガンガン頭をぶつけてた。すっかり打ちひしがれてます、みたいな落ち込んだ顔しちゃって、 扉に向かってぼそぼそぼそぼそ呻いてた。早まった、とか、何を焦ってんだ俺は、とか、金髪ぶっ殺す、つーか晋助もぶっ殺す、とか。 物騒で意味不明なつぶやきを漏らしてた幼馴染みの顔はいつまでたっても赤みが引いていかなくて、二人で学校を出てからも 動きが妙にぎくしゃくしてた。帰り道でも電車の中でもひとことも口を聞いてくれないから、見てるこっちは「何を悩んでるんだろ」って心配になる。 これって、ちょっと元気づけてあげたほうがいいのかな。そう思って、マンションに着いて部屋に入る前にシャツの袖を引っ張って、 「十四郎、今日はありがとね。来てくれてうれしかったよ」ってお礼を言ったら、
――それがかえって逆効果だったみたいだ。
あたしを見つめてびっくり顔で目を見張った十四郎が、うっっ、って変な声でうなってじりじり廊下を後ずさる。 がちゃがちゃと鍵を開けてあわてて部屋に引っ込んだおさななじみの横顔は、今にも頭から湯気を出しそうなくらいに赤かった。




text by riliri Caramelization 2012/09/28/
*2と*4の間くらいの話。何がしたかったかって結局 また子を書きたかっただけのような気が…


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