………………… 眠れない。
いつもよりも長めにお風呂に入って、ゆっくり身体を温めた。小さい頃にママがよく作ってくれた、はちみつ入りの甘いホットミルクも飲んでみた。
きのう頑張ってステージクリアしたゲームのつづきは諦めて、すぐにベッドに入った。すぐに目を閉じて、眠ろう、眠らなきゃ、って何度も自分に言い聞かせた。
でも眠れない。ひつじだって数えてみた。でも眠れない。頭の中で100匹くらいひつじがふわふわ飛び交って、すごくかわいいんだけど眠れない。
じゃあ、ひつじみたいにもふもふしてる他の動物も試してみようと思いついて、まっしろでふわふわなうさぎちゃんも数えてみた。
…だけどやっぱり眠れない。
原因は昼休みに聞いた武市くんの怪談だ。楽しいときも嬉しいときも悲しいときも怒ってるときも
顔がお面にしか見えないクラスメイトの怪談は、その無表情さの相乗効果で学校一怖いと評判で。
ぼそぼそぼそ、ぼそぼそぼそ…。必要最低限しか動かない口から流れ出てくる低―――い声は冷たくて湿ったドライアイスの煙みたいで、
ガクブルで抱き合うまた子ちゃんとあたしは寒気と恐怖に追い詰められて半泣きだった。
怪談とか都市伝説とか怖い系大好きな河上くんは興味深そうに聞いてたけど、岡田くんは途中から真っ青だった。
最初から微妙に顔が固かった晋助は、話が佳境に入る前にさりげに出したipodで武市くんの声を遮断して、さりげに自分だけ安全圏を確保してた。卑怯者…!
こんな日に限って週末公開のホラー映画のCMがしつこいくらい流れるし、こんな日に限ってパパもママも出掛けちゃった。
こんな日に限ってお風呂場の窓に流れる水滴がなんだか人の顔みたいに見えてくるし、
誰も居なくて静かすぎる家の中にびくびくしながら暗い台所にホットミルクを作りに行けば、びしっ、って気味が悪い音が鳴ったりするし…!
「――それでさーもう全然眠れなくてー、一人でいるのも怖くなったから来ちゃったよー。てことでここにお泊りさせて、十四郎」
「………………断る。…帰れ」
「あ、やっぱり?いいよー別に、どーせそう言うだろーなって思ってたし」
「…判ってんならこんな時間に来んな。…………バーカ。…帰れバーカ」
ベランダ伝いでお隣さんちに駆け込んで明かりが消えてる窓から勝手に入れば、ベッドの中の十四郎は「また来やがった…」て迷惑そうに薄目を開けた。
すぐに毛布を被って無言で「帰れ」って拒否られたけど、「おっはようございまぁーす!」って寝起きドッキリ風に毛布をばばっと捲り上げたら、
嫌々だけど起きてくれた。
「ねえ銀ちゃんは?まだ帰ってないの?部屋まっくらなんだけど」
こんなときには一番に駆け込む銀ちゃんの部屋は、カーテンを閉め切ったままでしーんとしてる。最近はテストの準備で忙しいみたいで、
帰る時間も遅いんだよね。だからあたしは、迷わず第二候補の窓を叩いた。銀ちゃんの隣の部屋、同じベランダに面してる十四郎の部屋の窓を。
「……あぁ?………しらね………や……帰ってんじゃ……ねーか?…そぅいや……物音…した……な…」
瞼と瞼がくっつきっ放しな十四郎はベッドに胡座をかいていて、抱きまくらみたいに毛布をぎゅーっと抱きしめてる。
髪がぼさぼさな頭はぐらぐら揺れてるし、たまに欠伸を噛み殺してるし、口調も寝惚けてるしたどたどしい。それでも十四郎は十四郎っていうか、
いくら眠そうでもきつく見える切れ長の目を擦り擦りしながら睨みつけてきたり、
「…っだその格好。だらしねえ奴…」なんて、あたしのパジャマ姿(=着古したお気に入りTシャツ+しましまパイル地もこもこショーパン)に
文句たらたらだったりする。自分だってよれよれTシャツに中学ジャージで寝てるくせに。
…でも、銀ちゃんのことを尋ねても無視されなかったんだから今日はまだマシなほうかな。寝惚けてない普段の十四郎なら、
銀ちゃんが帰ってるかどうかを確認するだけでムッとするんだから。無言であたしをベランダに放り出して終わり、…なんてこともめずらしくないくらいだし。
「…おい、もういいだろ。明日ぁ朝から委員会で早ぇんだ。お前もうろついてねえで自分ち戻れ」
「うん、じゃあ銀ちゃんの部屋で泊めてもらうー。じゃーねーおやすみー」
「おぅ、じゃあな。…ああお前、戸締りだけは忘れんじゃねぇ、ぞ、 ………………っておいィィィィ、待てぇえええ!!!」
ばっっっさああぁっ。
持ってきたMY枕を抱えてベランダに出ようとしたら、後ろから毛布を跳ね飛ばしたような音が。
その後すぐにあたしを追いかけてきたのは、十四郎の音量抑え気味だけどあわてふためいた声だ。
「っっダメだ待てっっっ、行くな!!」
「えぇー?なにそれぇ、何でー」
「ダメったらダメだ!!行ったら食われる!!!」
「…?食われるって、何を?」
「〜〜〜〜そっっ。そ、それはお前っっっ、〜〜〜〜………っっ!!」
何を?ってもう一回、目で尋ねてみる。そしたら十四郎ってば、急に視線を左右にうろうろさせてあわて始めた。
意味なく立ったり座ったり、あたしを非難がましい目で睨んだり目を逸らしたり、かと思えばいきなりベッドに突っ伏してべしべし叩いて
「〜〜〜〜っっ!」て何かをモゴモゴうなってみたり。
・・・?なにそれ、何の儀式?
「ねーねー何なの、食われるって。最近のあんたって、たまにぜんぜん意味わかんないこと言い出すよねー」
だいたい銀ちゃんが何を食べるの?あたし、今日は枕以外は何も持ってきてないんだけどなぁ。不思議に思いながら枕を眺めて首を傾げて、
もう一回十四郎に「ねー、何を?」って尋ねてみた。するとついさっきまであんなにうろたえてた十四郎は、突然何かをふっきったみたいに、
くわっ、と目を見開いた。血走った目でこっちをガン見しながら、だだーっと一瞬で爆走してくる。
「っっ…!?ちょ、な、なにっ!?」
「…行かせねぇ。行かせるか!」
「〜〜〜と、十四郎!?やだっこっちこないでっ、あんた怖いっ、顔怖いぃ!」
「あいつんとこに行くくれーならここにいろ!」
ばんっ、と後ろの窓に腕を突かれて、逃げ道を塞がれてしまった。
暗い中で見るおさななじみの顔はものすごい迫力で、ぇええ、とあたしは目をぽかーんと見開いた超びっくり状態で窓に背中を押しつける。
ドン引きしてるうえに腰も引けてるあたしのTシャツを、十四郎は力任せにむぎゅって握った。何か言いたいらしいんだけどそれが言葉にならないみたいで、
歯をぎりぎり噛みしめながらはがゆそうに睨んでくる。切羽詰まった形相は、さっき見た新作ホラー映画のCMにも、
ノリノリで怪談語ってるときの武市くんにも引けをとらないおそろしさだ。
ただでさえよれよれでだるんだるんなあたしのTシャツは限界寸前、今にもびりりっと破れそう。
なのに「死んでも離すかぁぁ!」って勢いでぎゅーぎゅー引っ張られちゃうから、伸びかけた生地の端っこをあわてて押さえて、
「〜〜〜やだやだやだっこわいぃっっ、十四郎っっ顔こわぁああいぃ!!うぁああん銀ちゃん助けてぇえええ!!」
「何が銀ちゃんだ、お前まだわかってねーのか!?あいつが誰より危ねーんだぞ!」
「〜〜〜っ!ゃだあぁっばかっっ離してよぅ!そんなに引っ張ったらTシャツ破れちゃうっ、ブラ見えちゃうぅっ」
「っっ!!?」
ブラのすぐ下、っていう際どい高さまで捲れあがったTシャツの裾を引っ張り合いながら叫んだら、急にぱっと離された。
「〜〜な、っっ」て言いかけて絶句した十四郎の顔が、おへそが丸見えになったあたしのお腹をガン見しながらみるみるうちに固まっていく。
半分開いた口がぱくぱくと大きく動く。と思ったら頭から足の先まで、全身が一気にドカンと真っ赤に染まる。
こんな深夜に襲撃してくる色気のないおさななじみでも、一応女の子なんだってことをようやく思い出してくれたみたいだ。
だけど遅いよ、遅すぎだよ。あんたがキレてこっちに突進してきたときは、本気で血の気が引いたんだよ?女の子にこんなにこわい思いをさせたんだもん、
ちょっとくらい仕返ししてもいいよね。そう思って、だるんだるんさが増したTシャツの裾を両手で掴む。
太腿までぎゅーっと引き下ろしてショーパンが隠れるくらい裾を伸ばせば、この前また子ちゃんが「これさえ覚えればどんな男もイチコロっスよ!」て
断言してた「愛され女子のグラビア的悩殺ポーズ」の完成だ。研究熱心な恋愛マスターまた子先生のご指導どおり、
ちょっと不自然なくらいにもじもじしながら、上目遣いで十四郎を見上げる。
「……十四郎のえっちー」
甘えたかんじでごにょごにょ喋って、最後に口を尖らせてみる。
すると気が動転してる十四郎は、面白いくらいあっさりひっかかってくれた。
ショックで頭の中がまっしろになった人みたいに放心しきって、数秒後、がばっとその場にしゃがみ込む。
「冗談だよ」ってあたしが救いの手を差し伸べるまで、がしがしとわしわしとまっくろな頭を掻き毟って落ち込んでいた。
フラグメンタルプール *6 twinkle, twinkle, little stars
「……………おい。。……あんまこっち来んな」
「むりー。十四郎が離れてよー、あんたのほうが幅取ってるじゃん」
「……それが出来ねーから言ってんじゃねーか」
「じゃあ我慢してよー。これ以上端に寄ったらあたし落ちるし」
二の腕にぶつかってくる男の子の肘は、硬くて骨ばっててちょっと痛い。もう少しそっち寄って、ってぐいぐい押し返したら、
文句を言いたげな切れ上がった目がじろってこっちを睨んできた。
「……知らねぇからな」
って、十四郎はひとりごとっぽくぼそぼそ言った。意味がわかんなくって「何が?」って聞き返したら、
ただでさえ狭くて表情がきつく見える眉間をもっと顰めて黙りこくる。
睫毛がふっと伏せられて、険しい目元に影が落ちた。
…あいかわらず長いなぁ、睫毛。小さい頃から長かったもんね…なんて、
目の前の横顔を眺めながら思って、ゆっくり十四郎のほうへ身体を向けた。早く眠ろうとしてる十四郎を揺らさないように、ぶつからないように
もぞもぞ、もぞもぞ。十四郎のベッドは二人で寝るには狭い一人用だから、どうしても幅が足りないんだよね。
二人が仰向けで横になると肘や腕がぶつかっちゃうし、気楽に寝返りが打てないくらいの窮屈さだ。
でも、こんな窮屈さもあたしはそんなに気にならない。小さい頃からきょうだいみたいに育ったおさななじみだから、
一晩いっしょにいても気を使うようなこともないし。隣の家とはいえ友達のおうちにお泊りしてるみたいなわくわく感もあるし、
こーいうのもたまには楽しいかも、なんて思ってるくらいだ。
……だけど、十四郎はそうは思ってくれてないんだろうな。さっきから気配が硬くてぎこちない。口が悪いのも目つきが悪いのもいつもどおりだし、
態度が無愛想なのもいつもどおりでほんと可愛くないんだけど、普段の可愛くなさとは何かがちょっと、……うん、何かが違う。
ちょっと変だよね、今の十四郎。
そーいう十四郎の横で眠るのって、なんだかくすぐったいかんじがして不思議な気分だ。
「……あのさーこーやって並んで寝るのってひさしぶりだよね。前はよく二人で寝てたじゃん」
「いつの話だよ。そんなもん大昔の、ガキの頃の話だろうが」
「……。そーだけどー。…………ねぇ。ねえねえ十四郎。あのゲームってまだある?ほらぁこの前山崎くんから借りた新作の」
「っせえな。喋ってねーで早く寝ろよ。つか、眠れねーからうちに来たんじゃなかったのかよ」
「…………。そーだけどー。…………あーあー、つまんなーい。十四郎、相手してくれなくてつまんなぁいっ」
「〜〜〜っっおいやめろこの狭めー中で暴れんな!当たってんだろーがふとも、 …〜〜っ、あっっ、脚が!」
つまんなぁい、って足をばたばた、毛布をふわふわさせてたら、なぜか急にあわてはじめた十四郎ががばっと起きる。
あわてて起きたから姿勢を崩したみいで、ぐらっとこっちへ倒れてきた。
えっっ、て目を丸くしたあたしと、うっっ、て口を引き結んだ十四郎がかちんと固まる。お互いが近すぎるくらい近くて、
息を詰めて見つめ合った。驚いて目元がびくびく引きつってる顔が、ななめ上からあたしの前を塞いでる。ごくん、と喉を大きく動かして生唾を飲み込んで――
「〜〜〜っち、違うっっ、違うぞ!!?違げーからなっっ、今のはおぉおお前がっっ、暴れっから…!」
別に何も聞いてないのに気まずそうに怒鳴ってた十四郎が、あたふたと顔を逸らそうとした時だ。
偶然に偶然が重なって、ちょっとした事故が起きてしまった。
うつむき気味に首を振った十四郎の唇が、同じように顔を逸らそうとしてぷいっと横を向いたあたしのほっぺたに、ふにっと――
「……っ!」
「〜〜〜っ!」
ばっっ、と両手でほっぺたを覆って、十四郎の目を呆然と見上げる。
ふわっと肌を撫でられたのは、ほんの一瞬。ほんの一瞬だけど、あれがあと何ミリか近かったら完全に「ほっぺにちゅー」だ。
…ものすごく近かった。生々しいくらい熱かった。
一瞬遅れて、びくっ、と十四郎の肩が跳ねる。あたしもかなりどきっとして心臓が大きく跳ね上がったんだけど、たぶん十四郎も
あたしに負けないくらいびっくりしてるんだろう。表情がすっかりぎくしゃくしてる。
視線をうろうろふらふらさせながらあたふたと背中を向けて、毛布をぐいっと自分のほうへ引っ張る。
ぎぃ、ぎぃ、ぎぃ、ぎぃ……。
十四郎が勢いよく寝返りを打ったせいで、ベッドは小さく軋みつづけてる。
……わ。わかんない。どーしたらいいの。こういう時ってこっちから声かけたほうがいいの?それとも、何もなかったかんじで黙っててあげたほうがいいの?
どっちにしても、あんたにそんな態度取られたら居候としては居辛いんだけど…!
泣きたいような気分になりながら、息遣いをひそめて身体を縮める。
十四郎も同じように息をひそめようとしてるみたい。背筋ががちがちに緊張して強張ってる。なんとか気配を殺そうとして身体中を強張らせてるのが、
まだ揺れが残ってるベッドからかすかに伝わってくる。
…そっか、同じベッドでいっしょに寝てると相手の呼吸まで伝わっちゃうんだ。そう気づいたら気まずさで窒息しちゃいそうだったけど、
持ってきた枕をむぎゅっと押しつけて口を覆った。
かち。こち。かち。こち。ベッドの軋みが静まると、今度は枕元の目覚まし時計の音が耳についてくる。かち。こち。かち。こち。
正確に時間を刻んでるその音を聞いていたら、なんだかすごーく追いつめられてるみたいな、そわそわではらはらな落ち着かない気分になってきた。
どうしよう。気まずいからこのまま眠っちゃいたい。だけど、隣の気配にそわそわしちゃって目を閉じるような気分になれない。
しばらくたったら、十四郎は手繰り寄せた毛布をあたしにばさっと被せてきた。仕草は乱暴だったけど、引っ張ったぶんをこっちに返したつもりみたいだ。
「……悪りぃ」
「……ぃ。いいよべつに。気にしてないよ?……だって十四郎だし。ほ、ほら、小さいころもよくあったじゃん、こーいうこと。
あれと同じだよ。変わらないよ。だって十四郎だし。こ…子供とか犬に舐められるのと同じ、…だ、し…」
小声でごにょごにょ答えてから、あれっと思って首を傾げた。
……子供とか犬と同じ。ほんとにそうなのかな。じゃあどうしてあたし、こんなにそわそわしちゃってるんだろ…?
「……………っだそれ。ムカつく……」
「えっ。ぇ、なっ。……なんで。なんで怒るの、やだ、怒んないでよー…!」
ここであんたに怒られたら、どーしたらいいのかわかんないよ。
背骨が浮き出た十四郎の背中に、よれよれなTシャツが貼りついてる。おそるおそる手を伸ばして、汗で湿り気味な白い布地をくいくい引っ張ってみた。
そしたら十四郎はあたしの手を払おうとしてるみたいにもぞっと背中を動かして、
「怒ってねえよ。…〜〜これぁ、その、ぁ、あれだ。お前が、…………〜〜〜っっ」
「……とーしろー…?」
「もっっっ、もういいだろっ。俺ぁ眠てーんだ、話はもう終わりだ、いいな!」
「…………う。ぅん……?」
……なにこれ。なんなの、このふわふわした会話。
十四郎の様子が変だ。声がおもいっきり裏返ってて変だ。話が噛み合ってるようでいまいち噛み合ってないようなちぐはぐで
浮ついた空気が、いてもたってもいられないくらい落ち着かない。ていうか、恥ずかしい。顔とか手足がなぜかじわじわ火照ってくる。
十四郎はもぞもぞ動いてさらに端っこへ身体を寄せる。身じろぎの音が鳴りやんだら、
まっくらな部屋の中は居心地が悪いくらいしーんと静まり返ってしまった。
……やだなぁ。どうしてこんなことになっちゃったんだろ。がちがちに強張った十四郎の気配が伝染しちゃって、あたしまで緊張しちゃうじゃん。
いつもいっしょにいるおさななじみなのに。いつも遊びに来てるおさななじみの部屋なのに、――明かりがなくて真っ暗なせいかな。
隣にいるのは十四郎じゃないみたい。十四郎の部屋じゃないみたい。すごくよそよそしく感じちゃうっていうか、
まるで知らない人と知らない部屋にいるみたいな気分になっちゃう。
どうしよう、と半分貸してもらった毛布の端を頼りない気分でぎゅっと握った。
――これじゃあ眠れそうにない。武市くんの怪談に怯えてたさっきまでとは違う意味で、眠れそうにないよ。どうしよう。
こうなることを予想してたのか、十四郎は最初「俺は床で寝る」なんて言い張ってた。だけど、それじゃあたしが気を遣う。
一人でベッドを占領なんて、そんなのいやだ。あたしにベッドを譲るなんて十四郎らしくなくておかしいし、
いつも偉そうで態度が大きいあんたにらしくない遠慮なんてされたら、あたしはもっとこの部屋に居辛くなっちゃうじゃん。
……………どうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう。
ふっと掠められたほっぺたが熱い。十四郎の口がくっついたそこだけ熱い。熱い。熱い。熱い。
それだけで頭の中が一杯になって何もうまく考えられなくて、どうやったらこの気まずさから脱出できるのかなんてちっとも思いつかない。
心細さで目が回りそうだ。十四郎の匂いがするふわふわ毛布をもじもじしながら弄ってたら、隣から長―――い溜め息が流れてきた。
「…ばーか。やっと判ったのかよ。つーか今頃んなって尻込みしてんじゃねーよ」
「………ち。違うからっ。そんなんじゃないから、今のはほら、あれだからっ」
「何だ、あれって」
「………」
「無視ぶっこいてっと落とすぞコラ。…ちっ。そんなに居辛れーんなら家に帰りゃいーじゃねーか」
「……十四郎のばーかばーかばーか。いいよもうっ、銀ちゃんの部屋に行くからっ」
「……、」
なんとなく銀ちゃんの名前を出したら、十四郎が黙ったままこっちを向く。表情が消えて強張り気味な硬い顔に、そのまましばらく見つめられて。
「……なんでだよ」
「ぇ……?」
「………またあいつかよ。何かって言やぁ銀ちゃん銀ちゃんて、あいつばっか頼りやがって……!」
がばっ、と十四郎の上半身が跳ね起きた。ぶわっと浮き上がった毛布の中から、腕がぐんとこっちへ伸びる。
びっくりする間もなく背中からがしっと抱えられて、
ぐいっっっ。シーツを擦って十四郎のほうまで身体ごと運ばれちゃって、気がついた時には汗で湿った腕の中に、ぎゅ――って――
「〜〜〜っ!とっ、とぅし、 ――〜〜ふむむにゅ、ぅう、っっ」
息が苦しくってじたばたじたばた、シーツや毛布を足で蹴る。あたしを頭からがっちりと抱え込んだ硬い身体を押し返す。
ぅうう〜〜!って力の限り踏ん張ってみた。だけど押し返せるわけがない。17年間一度も鍛えたことがないふにゃふにゃの腕じゃ、
小学校から剣道で鍛えてきた男の子の身体はびくともしない。逆に「動くな」ってかんじで後ろ頭を押されて、十四郎のTシャツにばふっと顔を押しつけられて。
〜〜〜ばかばかばかっ、十四郎のばか!!これじゃ息ができないよ、暑苦しいよ、しかもちょっと男の子くさいっていうか、汗くさいぃ!
顔も胸元もおなかもぜんぶ、十四郎の胸板にぴったり押しつけられてて。…………なななななっ、なにこれ。何のどっきり?
あんたとあたしがこんなことしてるなんて、おかしいよこんなの!
心臓が破れちゃいそうにどきどきしてる。このままでいたら頭がおかしくなっちゃいそうだ。
むぎゅっと力いっぱいTシャツに押しつけられた顔には、十四郎の心臓の動きや音がうるさいくらいはっきり伝わってくる。どくどくどくどくって、ものすごい速さで脈打ってる。
……なにこれ。変だ。変だよ。変じゃん、変でしょ!? だって、だってさ。
これって、あの、ベッドの上で、こういうことって、……ああぁのだからっ、えぇと、
…17年間彼氏なしな残念女子高生のあたしには想像もつかない未知の世界だからいまいち自信はないんだけど…………………、
――十四郎…?
…どーして?なんであたしに、こんなことするの……?
…………こういうのって、すきな子とか、恋人とか、もっと特別な子にすることなんじゃ、……ないの……?????
「……あいつんとこには行くな。ここにいろ」
「……っっ」
「…もう帰れなんて言わねぇ。…お前を驚かせるようなことも、もう、しねぇから。だから、……っ」
一言ずつを言い聞かせるみたいに耳の横でささやかれて、ぅうっ、ってあたしは首を竦めた。かーっと顔が火照ってくる。
………………な。なにこれ。どーなってるのこれ。十四郎の息づかいが耳に当たってすごく熱い。身体がびくって動いちゃうくらいくすぐったい。
何かを一所懸命我慢してるみたいな押さえた声が、呼吸の熱と一緒に耳の奥まで入り込んでくる。頭に直接響いてくる。
おかげで頭の中が沸騰しちゃって、何がなんだかよくわかんないけど、
……………………も。 もしかして、……もしかしなくても、あたしたち、……ものすごいことになってるよね……!?
「……ぁ。ああああ、あのさっ。ベッドから落ちるのは、やだ、けど、……ここまでくっつく、こと、なく、……なぃ?」
「…………べ、…別にいーだろ。……ガキの頃はいつもこんなもんだったろーが。いつもこんなかんじで寝てただろーが…!」
「……………それは。…そーだけどー。でも、こ、ここまで、はっっ」
「〜〜〜〜〜っっっいぃいいいーからもう喋んな、眠れ!お、俺も寝るからじっとしてろ!」
「む、むりだよっ。これでじっとなんて無理っ、できな……ふむむ!」
やだやだ、って顔を横に振って逃げようとしたら、プロレス技でもかけるみたいに後ろから首を押さえられた。
骨がぐきっと鳴って痛かったから「〜〜いふぁいぃ!」って塞がれた口から声を絞って訴えたけど、十四郎ったら聞こえてもいないみたいだ。
「〜〜っっっお前っっ、うるせーからあっち向いてろ!」
焦った口調で命令すると、背中に回した腕を使ってあたしをごろんと横に転がした。
視界がぐるんと半回転する。目に入ったのは、横向きになった外の景色だ。
ベランダに面した窓から見える見慣れた街。見慣れた夜景。まっくらな夜空。……みんな寝静まってる真夜中の、まっくらな――
……他に誰もいない。銀ちゃんだってもう眠ってる。起きてるのはあたしたちだけだ。
そんなことを急に意識しちゃって、もう十四郎の身体に顔を押しつけられてるわけじゃないのに呼吸が苦しくなってきた。
……緊張しすぎてうまく息ができないせいだ。十四郎がどうしてこんなことするのかわかんなくて、どうしたらいいのかもわかんなくて――
「…………十四郎ー。………無理だよー。…眠れないぃ…」
涙目になりながら呼びかけたら、十四郎はあたしの肩に掛けていた腕をごそっと大きく動かした。
その手が胸の前を通って肩を抱いて、あたしをちょっとだけ後ろへ引っ張る。シーツと毛布がざわざわごそごそうごめいて、
お互いの身体が近づいたぶんだけ背中があったかくなる。後ろ頭に十四郎のおでこをくっつけられたのがわかった。
……そんなにくっつかれたら暑いのに。心臓が破れそうなくらい強く速く鳴っちゃって、じっとしてなんていられないのに。
ねえ、ともう一度、困りきって呼びかけた。だけど何も言ってくれない。
身体をぎゅうっと丸く縮めて、どきどきしながら後ろの気配に集中していたら。
「そうびくびくすんな。もう何もしやしねーから」
「何もしねぇって……わけわかんない。したじゃん。してるじゃん。何これ。〜〜〜わ、わかんないよ。何これっっ」
「……俺だってわかんねぇよ。……けど、もう何もしねえ」
――焦って下手ぶっこいてお前に怖がられんのぁ、一等嫌だ。
また意味がわかんないことをつぶやいて、頭の後ろで長くて苦しそうな溜め息をついた。
「だから黙って目ぇ閉じろ。俺もそうする」
「……」
「………。返事」
「……黙ってろって言ったの、十四郎じゃん……」
拗ねてるのが丸判りな声で言い返したら、頭の後ろにくっついたおでこが軽く揺れる。だな、ってつぶやいた十四郎が、押し殺した掠れ声でくくっと笑う。
あたしがきちんと窓を閉めなかったせいで、端に寄せられた紺色のカーテンがさらさら夜風に揺られてる。半開きな窓から見える夜空は、
深夜だけあってそれなりに暗い。見下ろしたご近所の家も、その向こうに建ってる大きなマンションも、どこの部屋もほとんど明かりが消えてる。
だんだんくらやみに慣れてきた目に、ひとつ、ふたつ、みっつ―― 夜空に浮かぶちいさな星の輝きが飛び込んでくる。
そのうちに十四郎の手に髪を弄るみたいにして撫でられはじめた。……何もしないって言ったくせに。
あたしは口を尖らせながら目を閉じた。猫や抱き枕と勘違いされてるとしかおもえない密着しすぎな扱いは、その一晩中ずーっと続いた。
ふっと目が覚めたら後ろからぎゅーってされてたり、次に目が覚めたときには目の前をよれよれなTシャツが塞いでて、
いつのまに体勢を変えられたのか、真正面から向き合う格好で抱きかかえられてたり。しかもどっちの時も十四郎は熟睡してて、
気持ちよさそうな寝息を立てていた。あたしも初めは男の子の硬くて汗ばんだ腕の中に緊張しちゃってちっとも眠れなかったのに、
そのうちに十四郎の体温の高さが気持ちよくなってきた。背が伸びて身体が大きくなってすっかり男の子くさくなっちゃった十四郎だけど、
頭の上で漏れる寝息の規則正しさは、二人で並んで同じおふとんで眠ってたときのちいさな十四郎と同じだ。
懐かしいなぁ、ってその頃のことを思い出したら安心して気が緩んで、ふうっと身体から力が抜けた。そしたら瞼もとろーんと緩みはじめて、
そのまま十四郎のTシャツにもぞもぞ寄って顔を埋める。ふあぁぁ…、ってあくびしながら目を閉じて――
――次に目が醒めたときには朝だった。
まっくらだった十四郎の部屋は、やわらかい朝日でまっしろに染まってた。
ベッドの横には、見たことがないくらい唖然とした顔の銀ちゃんが。窓からの光できらきらきらきら、寝癖だらけの白っぽい頭がすごくまぶしい。
「…ふぁああ……。ぎんちゃぁ、おはよ〜〜。どーしたのぉ…?」
十四郎のTシャツによだれをごしごししながらぼーっと尋ねたけど、銀ちゃんはぽかんと口を開けたまま固まってた。いつも眠そうでとぼけてるあの半目が、
ぱちっとみごとに開ききってる。雷に打たれた直後です、ショックで言葉も出ません、ってかんじの顔してる。
…とか思ってたら、いきなり十四郎を毛布ごとベッドから引きずり落とした。ベッドの端まで追いやられてた枕をわしっと掴んで、
「おーい土方ぁ、土方くーん?え、何やってんの、に何してくれちゃってんのお前?殺されてーの、殺されてーんですかコノヤロー!」
普段はゆるゆるで離れ気味な眉間を急激に寄せた銀ちゃんは、ベッドから転げ落ちた十四郎を力いっぱいボコってた。枕が壊れるんじゃないかって
くらいにボッコボコにしてた。なのにその時の十四郎は、なぜか銀ちゃんに一度もやり返そうとしなかった。
にやついた顔でうつむきながら黙って殴られてる姿は、十四郎らしくなくてすごく変だった。誰かに殴られたら倍返しで殴り返すはずの
負けず嫌いが、殴られっ放しなのにちっとも悔しそうじゃない。むしろ、俺の勝ちだ、って満足してそうな得意げな顔にしか見えないくらいで。
しばらく殴られ続けてから銀ちゃんを見上げて、性格悪そうに口端を歪めて「はっ、ざまぁみろ」なんて嘲笑ってたくらいで。――
成長するほど可愛げがなくなってわけわかんなくなったおさななじみは、その後一週間くらいの間、めずらしいくらい機嫌がよくて。
そんな十四郎がすごーく不気味で、おかげで武市くんの怪談のこわさはすっかりあたしの頭から消えてしまった。
「 フラグメンタルプール *6 twinkle, twinkle, little stars 」 text by riliri Caramelization 2013/07/12/
*5の後くらいの話。眠ってる間にこっそりおでこにちゅーくらいはしたと思う
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