「カレーたくさん作って待ってるから、終わったらみんなで食べに来てね」
八月から続きっ放しの猛暑と七月から続きっ放しの依頼不足で酢昆布みたいに干からびかけてた万事屋に、
めずらしく景気のいいお仕事が舞い込んだ日の早朝。夏休み五連休一日目のあたしは、Tシャツに首巻きタオルにニッカボッカっていう
肉体労働系お仕事着に着替えた三人と、万事屋の玄関先で約束した。
普段あたしの部屋にごはんを食べに来るのは主に銀ちゃんだけなんだけど、今日は神楽ちゃんと新八くんもご招待だ。
だから真夏の太陽の照り返しがきつい真昼の道を近所のお肉屋さんまでてくてく歩いて、肉食な神楽ちゃんと銀ちゃん+食べ盛りな
新八くんが喜んでくれそうなものを奮発してみた。 唐揚げにメンチカツ、串カツにコロッケ、「本日のお買い得品」
て書いてあったお店の手作りソーセージ。 香ばしい揚げ物のおいしそうなかおりにつられて予定以上に買い込んじゃって、
気付けば両手にずしりと重たいお惣菜の袋をぶら下げて、てくてくと炎天下の道を歩いていた。
ちょっと買い込みすぎたかな。四人じゃ食べきれないかも。
帰り道に袋の中身を覗き込んだら少し心配になったけど、 ――でも、月の半分以上をたまごかけごはんで済ませてる銀ちゃんたちに、
たまにはたっぷり栄養を摂ってほしい。他にもあれこれとはりきって、カレーのお供のゆでたまごやピクルス、
ボウルからこぼれそうな山盛りのサラダ、 ガラス鉢に山盛りの素麺なんかも用意してみたんだけど。
「いっっっただっきま――――っす!!」
・・・さっきのあたしの心配って何だったの。お昼過ぎに仕事を終わらせた汗だくの三人が、独り暮らしのあたしの部屋に
へとへとになって転がり込んでからほんの数分。 三人揃って手にスプーンを挟んで、三人揃ってぱしっと手を打って「いただきます」を
言ってからほんの二、三分しか経ってない。なのにうちにあるお皿の中で一番大きな平皿三つに特盛りにした夏野菜カレーが、
お肉屋さんのお惣菜が、ゆでたまごがサラダが素麺が、 見る見るうちにお皿から消えていく。
ぱくぱくとがつがつむしゃむしゃと、物も言わずに食べまくってる銀ちゃんたちの口は、まるで
掃除機みたいにカレーや素麺を吸い込んでいく。まるで冗談みたいな速さだ。 すごい、なんなのこの人たち。
さすがに神業キャプ食いレベルとまではいかなくても、某美食ハンターさんとか某麦わら帽子の船長さんに軽く並ぶくらいの勢いはあるよ。
ものすごい速さで減っていくテーブル上のごはんたちを感嘆の目で見つめながら、あたしはようやくスプーンに掬ったカレーをぱくんと咥えて
つぶやいた。
「・・・。あのさ。今までずっと「そんなのありえない」って思ってたんだけどさ。 みんなの食べっぷり見てると
「カレー飲み物説」もあながち間違ってない気がしてくるよ」
「はふ、むぐ、ふぁああ、なにこれ、めっちゃ美味しいネマミーの直伝カレー・・・!」
三人の中でもダントツの速さでカレーをずずーっと吸い込むと、口の周りを黄色くした神楽ちゃんがスプーンをぶんぶん振り回しながら叫ぶ。
よかった、気に入ってくれたみたいだ。ぱっちりした丸い瞳がきらきらきらきら、嬉しそうに輝いてる。
我が家のレシピを元にして作ったちょっと甘めのカレーは、カレールウのCMで子供たちがモリモリ食べてるみたいな夏野菜カレー。
ただし野菜オンリーじゃお肉大好き神楽ちゃんと銀ちゃんががっかりするから、もちろんお肉はたっぷりめだ。
「銀ちゃんが作る貧乏カレーとは大違いネ、ゴロゴロお肉がイカしてるネ!おおきめじゃがいもがたまらないネ!っっ、
おかわりしてヨロシ!?」
「どうぞどうぞー。そんなに誉めてもらったらうちのお母さんも喜ぶよ」
「だってすごく美味しいネ、地球で食べたカレーの中でベスト3に入る絶品ヨ。もぐもご、わたひ銀ひゃんちの子より
マミーの子になりふぁいネ、毎日毎食しあわせご飯ネふぐむぐむご、」
「あはは、神楽ちゃんてば、さっきから米粒飛びまくってるよ。喋るか食べるかどっちかにしなよ」
ほらほら、こっち向いて。
新八くんはそう言いながらおしぼりタオルを手に取った。むぐむぐともごもごと、大きなメンチカツ一個を一度に頬張ってる
神楽ちゃんのお口をきれいに拭いてあげると、テーブルに飛んだ米粒まできれいに拭き取る。いつも甲斐甲斐しい万事屋のお母さんは、
まだ熱いカレーの残りをはふはふしながら満足そうに口を開いて、
「でもさん、僕もこんなに美味しいカレーは久しぶりですよ。 銀さんのカレーは不味くはないけど、
ルウをケチってるから味噌汁みたいに味が薄いし。
…姉上のカレーは味以前に食べ物とは呼べない何かだしなぁ」
と、ひきつった笑いを浮かべながらもぐもぐもぐ。視線は手元の食べかけカレーに固定されてるのに、妙に遠い目つきになってる。
「僕、これまで何度か地獄を見てきました」的なあの暗ーーい表情からも、お妙さん手作りカレーの壮絶さはなんとなく想像できる。
・・・想像しただけで背中がひんやりしてくるよ、予想最高気温35度のこの真夏日に。
「ね、ねえっ、新八くんももう一杯どう?まだまだあるから遠慮しないでね」
「うわぁ、嬉しいなぁ。じゃあすいません遠慮なく、」
「いや遠慮しろよ。空気読めよ」
がちっ。 こっちに差し出そうとしてた新八くんのカレー皿は、ぶんっと振り上がった銀色のスプーンに阻止された。
あたしも新八くんもその手をきょとんと眺めたんだけど、次の瞬間には呆れ返ってスプーンの主をじとーっと眺める。
カレーをがつがつと大口に放り込んでむぐむごとほっぺた一杯に意地汚く頬張っている銀ちゃんの顔は、 口の周りが
神楽ちゃんに負けず劣らずの黄色さだ。ただし、顔がカレー色してても充分可愛いくて
「あぁんもうしょうがないなぁ、あたしがきれいに拭いてあ・げ・る」なんてときめいてお世話したくなっちゃう神楽ちゃんとは
大違いだけど。 周りがお世話したくなるような純真な愛らしさなんて、これっぽっちも、微塵も、まったく感じられない、
ちっとも可愛くない顔だけど。
「もう、スプーンでそういうことしないでよ。お行儀悪いよ銀ちゃん」
「おいおいこれが誰のカレーだと思ってんだぁお前ら。の愛情カレーはてめーらなんかにゃ勿体ねーんだよ、
全部銀さんのもんなんだよっ。 え、つーか何。何を図々しく上がり込んでんのお前ら。なんでおめーらまでついて来んの。
そこも空気読めよ、遠慮しろよぉっっ」
ごっくん、とカレーを一気に飲み干すと、図々しい銀ちゃんはお皿の上でラストワンになってた唐揚げをひょいと摘む。
ぽいっ、と口に放り込んだ。「あぁっ、僕まだ食べてないのに!」と新八くんがあわてても、
「私だってまだ十個しか食べてないネ、返せ、返せヨォォ!」と神楽ちゃんが掴みかかっても、
妙に得意げな憎たらしい顔でもごもごもごもご。
「・・・最低だよ銀ちゃん。見てて恥ずかしいからやめてくれる。ほんっと食欲が絡むと大人げないよね、普段も相当大人げないけど」
「ちぇっ。っだよ、あーあーつまんねーのっっ。おめーらさえいなけりゃこの唐揚げも素麺もカレーもぜーんぶ俺だけのもんなのにっ。
おめーらガキどもさえいなけりゃうなじ出したまとめ髪も浴衣にエプロンのちょいエロ合わせ技も、ぜーーーんぶ銀さんだけのちゃんなのにぃぃ!」
「ちょっ。なにそのちょいエロ合わせ技って」
「だから合わせ技だろ。ちょっとしたエロコンボだろぉ、これぇ」
なんて言いながらあたしの肩をちょいちょいつついた。浴衣と色違いで買ったみずいろの朝顔柄エプロンの肩紐を、
くいくい、と指にかけて引っ張られる。銀ちゃんはただでさえ緊張感がないほぼ一年中緩みっ放しな顔をさらにへらぁーーとだらしなく崩して、
あたしを上から下まででれーっと眺めて、
「浴衣にエプロン、どっちもエロいもん連想すんだろぉ?こーいうの見ちゃうと男の妄想が強化されんだろぉ?
エロいもんにエロいもん足して「おかえりなさーい、おつかれさまー」なぁんて出て来られた日にはよー、
真っ昼間っからエロい男の妄想大暴走だろ?メシより風呂よりちょいエロちゃんが先だろ!?」
「エロエロ叫ぶな、ご近所迷惑ネエロ天パ」
「そうですよ食事時にエロエロ連呼しないでください。それに今日は僕たちだってさんにご飯に誘われたんですからね」
「そうだよ、今日はいつもと違うんだからね。今日は新八くんと神楽ちゃん二人をメインにご招待したの。銀ちゃんは二人のオマケなの」
これ以上銀ちゃんを調子に乗らせないように、肩紐をくいくいしてる指をぴんっと弾く。
すると、ふふん、と自慢げににやついた銀ちゃんは口に咥えたスプーンの柄をぷらぷら上下に揺らして、
「いーですー、別に昼間は銀さんオマケでもいいんですー。しょせん夏休みの真っ昼間なんてお子様優先タイムだからね。
だけど夜になったらてめーらは退場、大人な銀さんがメインだからね。昼間とは違う大人なちゃんに裸エプロンでご奉仕してもらうからね!」
「もういいです黙れセクハラ天パ。もう銀ちゃんにはカレーのおかわりあげないっ」
「ぇええええええええええええ!」
お皿を取り上げてそっぽを向いたら、銀ちゃんは途端に涙目で叫んだ。あたしの首にむぎゅーっと縋って、
真っ白天パのモジャモジャ頭をぐりぐり押しつけて「ごめん許してえぇぇぇ」って謝ってくる。…正直、かなり暑苦しい。そして汗くさい。
さらにぶっちゃけるとちょっとウザい。
いや違うから。涙ぐみたいのはあたしのほうだから。ごはんのためなら男の意地も見栄もあっさり捨てちゃう銀ちゃん、心の底から情けないよ。
仕方ないから渋々で許してあげて(…だって、ここでこの図体が大きい食いしんぼうを許してあげないことには、
あたしはこの先台所はおろか、トイレにだって行けそうにない)お盆に三人分のお皿を乗せて台所に向かう。
いつもの五倍のお米を炊いたジャーから、炊きたてご飯をてんこ盛りによそう。 一人暮らしでは滅多に使う機会がない大きなお鍋のフタをかぱっと開けて、
市販のルウにいろんな香辛料を混ぜ混ぜしたうちのおかあさん直伝のカレーをとろとろとろ。
特盛りカレーは重さもすごくて、持ってるだけで腕がぷるぷる震えてくる重量感だ。
「はーい、お待たせー。おかわりですよー」
お盆に乗せてよろよろと部屋に戻って、行儀悪くお尻でドアを押して閉める。普段はこういうことしないんだけどな。
でも今は真夏だから。ドア開けっ放しだと部屋の冷気が逃げるから、節電のためにやってるの。
・・・と、自分に小さな言い訳をする。実際、家の中とはいえ真昼の暑さってば相当だ。さっきまでガスコンロを使ってた台所なんて、
ほとんどサウナ状態だもんね。はぁ、涼しーーい。ドアの前に立つと直に顔に当たるひえひえなエアコンの
風で気持ちよく涼みながら、がつがつとごはんを頬張っている三人をなんとなく眺めて、
――なんとなくそこで立ち止まった。
「・・・・・・・・・、」
「聞いてくださいよーさん!銀さんがひどいんですよ、メンチカツ独り占めして離さなくって」
「んだよチクってんじゃねーよ新八ぃ、おめーだって俺のコロッケ食っただろーがよー!」
「ー、私のカレーは?スーパーギャラクシーギガトン盛りカレー神楽スペシャル、ちょーだいヨ!」
「ー?どーしたよ、んなとこで突っ立っちゃって。ほらほらよこせよカレー、俺のカレー」
さっきの泣きべそ顔なんてまるで嘘みたいに開き直ってる銀ちゃんが、俺もちょーだい、と図々しく手を出してくる。
カ・レ・ー!カ・レ・ー!と目を輝かせた神楽ちゃんが、お行儀悪くスプーンでテーブルの縁をぺちぺち叩く。それを新八くんがたしなめる。
…神楽ちゃんの食事中のお転婆さって、あきらかに銀ちゃんの悪影響だよね。だってあれ、腹ぺこすぎてご飯の支度が待てない時の
銀ちゃんもよくやってるし。・・・なんてことも思うんだけど。
――どうしてなのかな。銀ちゃんたちを目にしたら、なんだか不思議なくらい嬉しくなった。すご−くあったかくてほわほわした、 不思議なくらいしあわせな気分に。
見慣れてるようで見慣れない景色。なんだか不思議な風景だった。
普段は銀ちゃんくらいしか来ないあたしの部屋で、
三人が揃ってごはんを食べている。冷房が効いた涼しい部屋で、カレーをたくさん頬張って。たくさん汗を掻いて笑ってる。
首に掛けた汗ふきタオルでたまに顔を拭きながら、美味しそうにもぐもぐもぐもぐ。数が少なくなってきた揚げ物の奪い合いなんか
しながら、わいわいと賑やかに、楽しそうにもぐもぐもぐ。
・・・どうしてだろう。ここから黙って眺めてるだけで、なんだかすっごく嬉しくなっちゃう。
いつのまにか口許が緩んでいて、あたしは ふふっと肩を揺らして。
「・・・。万事屋ではよく見てる姿なんだけどなぁ・・・」
「ー、私のカレー!ハイパーデラックス神楽マグナム、プリーズヨ!」
「はいはい、どうぞー。まだまだあるからいっぱいおかわりしてねー」
早く早く、と差し出された三本の手に、ふわふわと湯気を昇らせる大きなお皿を配っていく。 あたしも銀ちゃんの隣に座って、
テーブルに頬杖をついて、めずらしく満席になったテーブルとそこに座る食いしんぼうたちをぐるりと見回す。
まだ熱々なカレーをはふはふと掻き込んでいる三つの顔はそんなあたしが不思議だったみたいだけど、それでもごはんを食べるのも忘れて
にこにこと眺めた。美味しくなりますようにって心を籠めた手作りカレーを小気味いいくらいにぱくぱくと食べてくれる三人の顔は、いつまで眺めていてもなぜか眺め飽きる
ことがなかった。おかげで残りの揚げ物は、ぜーんぶ銀ちゃんと神楽ちゃんのお腹に納められてしまったけど。
それから三十分経って。あんなにびっしりとテーブルに並べたはずのご飯は、どれもぺろりと平らげられてしまった。 カレーと素麺は主に神楽ちゃん、
おかずは主に銀ちゃんと新八くんだ。見事にきれいに空になったお皿の山は、
気遣い屋さんの新八くんが台所までせっせと運んでくれた。その間にあたしは冷蔵庫で冷やした西瓜をさくさく切って、 お皿を片付け終わった新八くんに持って行ってもらう。
ひとりで台所に残って洗い物をしていると、ドアで仕切られた部屋のほうから、西瓜を食べてる三人のモゴモゴした声が流れてくる。
切ったやつじゃなくてまるごと一個丸かじりしてみたいネ!とか、銀さん種飛ばさないでくださいとか、へへーんだメガネは種でも食ってろ、とか。
普段も万事屋で聞きなれてるその話し声が、なんだか耳に心地いい。
いいなぁ、こういう時間って。のんびりできるお休みの日に、みんなでご飯を食べるのって。一人で作って一人で食べる平日の夜のご飯よりも、
うんと、うーーーんと美味しかったな。
大量のお皿洗いもぜんぜん苦にならないし。鼻唄なんか歌いながら楽しい気分で手を動かしていたら、お皿洗いも水回りのお掃除もあっというまに片付いた。
用意したガラスのコップ四つにからんからんと氷を入れる。そこに麦茶をとぷとぷ注いで部屋に戻った。
ドアを開ける前に、あれっ、と首を傾げる。
みんなどうしたんだろ。銀ちゃんたちの声がしない。ドアのむこうがやけに静かだ。
「・・・銀ちゃーん?」
呼びかけながらドアを開ける。部屋が静まりかえっていた理由はすぐ判った。
壁際のソファには、手足を伸ばしてごろんと寝転ぶ神楽ちゃん。Tシャツが捲くれておへそがチラ見えしてるけど、 すぅすぅと小さな寝息をたてながら
きもちよさそうにお昼寝中だ。 ソファの足元に敷いた夏用の丸いラグマットの上には新八くん。「急に力尽きてその場でばったり倒れました」みたいな、
顔が敷き物にぴったり密着した危険なうつぶせの寝姿だ。呼吸がしづらいのかな、苦しそう。ぅうーん、うぐぐぐぅ、って眠りながらひっきりなしに唸ってる。
唯一起きてた銀ちゃんは 口の前で人差し指を立てて、しーっ、とあたしに合図してきた。こくこくとあたしが頷いたら、のそっと立ち上がって寝室へ行く。
そこから勝手にタオルケットを引っ張り出してきて、エアコンの真下で寝ている神楽ちゃんの お腹にぱさりと広げる。それから新八くんのところに行って、
うつぶせになった身体をごろんと転がして仰向けにした。最初は苦しそうだった新八くんの顔は、じわじわじわじわ緩んでいった。
そのうちに「お通ちゃぁ〜〜〜ん・・・」なんて、 うっとり頬を染めて寝言まで言い始めたから、二人で新八くんの傍にしゃがんで
メガネをつついたりほっぺたをつついたりしながら声をこらえて笑っていたら。
「ふぁああああ・・・・・」
目つきがとろーんとしてすごく眠たそうになってきた銀ちゃんの口から、大きな大きなあくびがひとつ。
頭の後ろで腕を組んで、腕を片方真上に伸ばして。んんー、と唸りながら伸びをする。だるそうな仕草でボリボリと頭を掻き毟る。
ちょっとだけ涙が滲んだ眠たそうな半目がこっちを向く。だらけた寝惚け顔がにんまり笑う。何か思いついたらしい銀ちゃんは、
新八くんをさらにごろごろと転がして敷物の端まで追いやってしまった。空いたところにごろんと自分が寝転がる。
体を倒す寸前であたしに腕を伸ばしてきて、肩をぐいと引っ張られた。わわわ、とあわてているうちに姿勢がぐらりと前へ崩れる。
ぽすん、と顔が何かに当たって、急に息が出来なくなる。あっというまに腕の中だ。横向きに寝そべった銀ちゃんの隣に、ころん、と転がされていた。
「ちょ。ちょっと、銀ちゃ」
「あー暴れない暴れない。こいつら起きるまでひと眠りしよーぜ」
「い、いいよっ。せっかくスペース空けたんだから一人で大の字で寝たらいーじゃん」
「んだよ冷てーなぁ。銀さん疲れてんだよ、ちょっとくれー甘やかしてくれたってよくね。ちょっとくれー添い寝してくれたってよくね」
「無理。ていうかたまに働いたくらいで甘やかすとかありえないからっ」
「いやいや今日は結構キツかったんだって。銀さんめちゃめちゃ頑張ったって。この猛暑の中屋根昇ってよー、肉とかジュージュー
焼けそーなあっつあつの瓦の上で五時間だよ?屋根の修理終わるより先に俺らがこんがり肉になったっておかしくねー暑さだよ?」
「う、わ、ちょ・・・・・・―― っ、」
ひぁっ、とおもわず高い声を上げた。浴衣の膝と膝の間にぐいーっと、ごわごわっと、作業着のニッカボッカを履いた膝が
図々しく割って入ろうとしてる。太腿が服越しに密着してる。熱くて大きい裸足の足先や足の裏が、ぴとっ、とあたしの足先に
肌を擦りつけるみたいにして絡みついてきて。
・・・・・・・な、っななななにしてんのっ、すぐ近くに二人がいるのに!!!!!
「ややゃめ、ちょ、ぎぎ銀ちゃっ」
「あー。やっぱきもちいいわ。冬場は氷みてーになってっけどー、夏場はひゃっこくてきもちいーのな、お前の足」
「ぁ、あたしはあついよっ、ていうか暑苦しいよ・・・!銀ちゃんのTシャツ泥だらけだし。汗臭いしっ」
「あっそ。んじゃ脱ぐかぁ?なんなら全身ハダカになってもいーけど」
「〜〜〜〜っ」
「ははっ。真っ赤じゃん。どしたのお前ぇ、熱中症?」
「ぅ、うるさいぃっ。神楽ちゃんたちがいるとこでそーいうこと言うなっ、ばかぁっ」
「しーっ。声デケーって。起きるってガキどもが」
いきなり近づいてきた顔が、こつん、とおでこをくっつけた。ひゃ、とびっくりして目を瞑ったら、ちゅっ、と素早いキスが唇に触れた。
やわらかい感触と熱さを感じたのは一瞬だけ。すぐに銀ちゃんは顔を離したけど、その後であたしの顔を面白そうにじーっと見てくるから
恥ずかしくってどうしたらいいのかわからなくなる。顔が熱い。熱が出たときみたい。頭の奥がかーっと火照ってる。
冷房はちゃんと効いてるのに熱中症になりそうだ。やめてよもうっ、としまりなくにやついてるほっぺたをむぎゅっと掴む。
馬鹿にした顔でへらへら笑って近づいてくる銀ちゃんをめちゃくちゃにぎゅーぎゅー押し返していたら、
「・・・。なー。あのよー」
「なによっっっ」
「いーのお前、こんな休みで」
「・・・なによこんな休みって。あたしの貴重な五連休にケチつけないでください」
「いやいやいや、違げーって。だからよー、その貴重な五連休にどっか出掛けなくていーのかって話なんだけど」
ぼそぼそっと小声で話して、片腕を後ろに回してぼりぼりとお尻を掻き始める。あたしの顔を何か言いたげに眺めると、
斜め上の天井のほうについーっと視線を逸らしていった。ちょっとだけ眉を寄せて、なんだかむず痒そうな顔つきになって、もう一度
お尻をぼりぼりぼり。
「お前ボーナス入ったばっかだろぉ?こんな時くれーは貧乏な俺らに付き合ってねーで、 友達とどっか遊びに行くとかよー。
俺はよくわかんねーけど色々あんだろ、女には女の付き合いってもんがよ。
女ばっかで温泉とか、海とか山とか遊園地とかネズミの国とかぁ。そーゆーの、行ってきたってよかったんじゃねーの。
・・・いや、だからって旅先でナンパしてきた奴についていくとか許さねーけど」
なんて、銀ちゃんにしてはめずらしく気を遣ったことを言うから驚いた。
・・・まぁ、最後のひとことにはいつもの銀ちゃんぽい過保護さっていうか、「豪快そうに見えて実は案外心の狭い彼氏の本音」が滲み出てたけど。
――それにしても銀ちゃんたら、そんなこと気にしてたんだ。先月あたしが今年の夏休みは
おうちでごろごろして過ごすつもりだって話したときは、
あっそ、ってあんまり興味もなさそうな顔した返事が一言だけだったのに。
「いーの、これで。夏休みはどこも混んでるし暑いし、出掛けるの大変だもん。家でのんびりしてるほうが全然いいよ。・・・それにね」
今年の夏はどこにも行かない。八月のカレンダーを見ながら少しも迷わずにそう決めた理由を、ふっとこぼしそうになる。
だけど目の前10センチの銀ちゃんの、へらぁ〜っとにやけた目つきに気付いてはっとした。
危ない、だめだめ、だめだって。普通の人の百倍くらいは図々しい銀ちゃんのことだもん、
こんなこと言ったらまたつけあがるに決まってるじゃん・・・!
「ううんなんでもないのっ、それだけ」
「ふーん。・・・あっそ。まぁがいーならいーけどよー。そんならあれだわ。せめて銀さんとお散歩デートとか、どーよ」
「え、」
耳に飛び込んできたのは思ってもみなかった言葉だ。
だってあの銀ちゃんが。デートっていえば居酒屋とパチンコ屋(と、大人しか入っちゃいけないホテル)くらいにしか連れてってくれない
銀ちゃんが、自分のほうからお散歩しようって誘ってくれた。・・・・・ああどうしよう。嬉しくって勝手に顔が緩んじゃう。
ああだめだめ、やばいよやばい。ここであたしが喜んでるって気づかれちゃったら、銀ちゃんの図に乗り方が絶対に今以上に悪化する。
だから我慢しなきゃと思っても、ぱあっと表情が明るくなっちゃう。
あたしのご機嫌さに気づいたらしい銀ちゃんは「あーはいはい。そーいうとこ可愛いよなぁぁぁって」とにやけた目尻をさらに下げた。
単純でわかりやすい反応が嬉しかったらしくてむぎゅーっと力いっぱい抱きしめてくるから、汗のにおいがさらに濃くなる。
・・・でも嫌いじゃないんだよね、銀ちゃんのにおい。他の男の人の汗くささは「汗くさい」としか思わないのに、
相手が銀ちゃんだと嫌じゃない。それどころか、この匂いが近いとなんだかどきどきしてくるんだけど。
「けど夕方からな。一眠りしてからな。昼間のここいらなんてどーせ暑くて歩けたもんじゃねーしよー」
「うん。・・・ね、銀ちゃん」
「んー?」
「どこに連れてってくれるの・・・?」
「んぁー。ちょーど町内会の祭りやってっからぁ、そこの縁日とか?」
まあ近所だし、普段と変わり映えしねー奴らがうじゃうじゃ集まってそーだけどな。
だるそうな声でそんなことを言いながら、あたしの頭を両腕で抱いて、
「けどぉー、が行きてーとこあんならどこでも行くしぃ。ん〜〜・・・、まぁしだいってことで。あー、・・・あれな?俺が、寝てる間に、・・・考えといてぇ・・・」
あくび交じりのふにゃふにゃした声でつぶやくと、あたしのおでこにちゅっと吸いつく。 おやすみぃ、と最後に言った銀ちゃんは、
それから一分もしないうちにくーくーと大きめの寝息を響かせていた。
右上のソファを見上げると、枕にしたクッションによだれをすりすりしてる神楽ちゃんのあどけない寝顔。左を見ると新八くんの寝顔。
まだお通ちゃんの夢でも見てるのかな。ほっぺたがにんまり緩んでる。目の前では銀ちゃんが口を開き気味にして眠ってる。
あとすこしでよだれをたらーっと垂らしそうな、しまりがなくってだらしない顔。見ているとこっちまで眠たくなってきちゃう。部屋の中はすごく静か。
クーラーが動いてるときのかすかな音と、近所の公園で子供たちが遊んでる遠い声しか聞こえない。さっきまであんなに賑やかだったのに。
お気楽そうでのんきでしあわせそうで、だけどふてぶてしくって図太そうな寝顔を目を細めて見つめる。見ているうちに勝手にほっぺたが緩んできて、
ふぅ、とあくびに切り変わる手前みたいな細ーい溜め息が湧いてきた。溜め息をつくと幸せが逃げていくってよく言うけど、 こんなふうに
のんびりまったりお休みを過ごしてる解放的な気分のときにも、溜め息はふわりと湧いてくる気がする。疲れてるときに重たい気分で吐く溜め息とは違って、
ああ、もう他に何にもいらないなぁってくらいに満ち足りてて、しあわせなときにこぼれる溜め息。
「・・・・・・・・・・、ふぁあ・・・」
ぼうっとそんなことを考えながら重くなってきた瞼を擦っていたら、小さなあくびが口から漏れる。
銀ちゃんを真ん中にして寝転ぶ丸いマットの上。右には神楽ちゃん。左には新八くん。そして、目の前には、――大好きな銀ちゃん。
銀ちゃんを中心にした丸い夏用ラグの上。その大きさ、半径1メートルちょっと。手足が伸ばせなくって狭苦しいけど
なんにも欠けのないまぁるいしあわせの中は、ちょっと汗くさくってじんわり熱い。
・・・起きたらどこに連れてってもらおうかな。
胸がくすぐったくなるような嬉しい気持ちを味わいながら、汗ばんだTシャツにこそこそっと顔をすり寄せる。
お仕事後の作業着は汚れてるし、汗のせいでしょっぱい匂いになってるっていうか、なんとなくほこり臭かった。でも銀ちゃんの胸に顔をぴとっとくっつけて、すぅ、と深ーく息を吸ったら、
なんだかそのほこり臭さに安心してしまった。ゆっくり、少しずつ、とろんと蕩けていた両方の目がじわじわと迫ってくる眠さで閉じていく。
ふぁあ、とあくびに似た溜め息をまたひとつ。
隣に銀ちゃんがいてくれたら、あたしはいつだってしあわせな溜め息しか出てこない。