それは銀ちゃんの部屋にこたつが登場する前のこと。まだ秋の頃だった。
晩ごはんを食べ終わって片付けも終えた万事屋の居間。ソファの端に腰掛けたあたしは、神楽ちゃんが点けっ放しに
したまま眠ってしまった後のテレビを、剥いた林檎をさくさく齧りながらなんとなく眺めていた。
いま女の子に大人気なイケメン料理研究家のおにいさんが「彼氏に食べさせたいモテ料理」を教えてくれる、
おしゃれなお料理番組だ。その日のメニューは「彼氏のお誕生日に作ってあげたいバースデーケーキ」。
笑うときらんと光る白い歯がさわやかなおにいさんは土台のスポンジケーキ作りにとりかかっていて、電動泡立て器ががーっと回転する
ボウルの中では、つやつやしたメレンゲがもこもこと、あっというまに泡立っていく。画面の隅に出てるレシピの分量は「卵白4個」と
けっこう多め。電動のあれがおうちにあればいいけど、自力で泡立てるとなるとちょっと疲れちゃう量かもしれない。
「ふーん、泡立てるの大変そうだけど、ふわふわしておいしそー・・・」
シフォンケーキっぽい軽めの味なのかな。
甘酸っぱい林檎をもごもごしながらつぶやいたあたしの膝の上には、すっかり満腹になって眠そうな銀ちゃんの頭が。
変なところで照れ屋な銀ちゃんに膝枕してあげられるのは神楽ちゃんが居ない時だけなんだけど、膝枕以外はいつも通り、
二人でのんびりごろごろしているだけの時間だ。銀ちゃんはたまに服の中に腕を突っ込んでお腹を掻いたり、
ふぁあ、と口をでっかく開けて大欠伸なんかもしてみたり、ちょっとだけ落ち着きがない感じであたしに頭を預けてた。
「林檎食べる?」って試しに訊いてみたら、テレビに視線を固定したままで「んー」と言われた。
ほしいのかほしくないのか、それ以前にあたしの声を聞いてるのか聞いてないのか、
どっちもよくわからない曖昧な返事だ。でも、だらーっと呆けてる横顔は特に嫌そうには見えなかった。
だから林檎をさくっと爪楊枝に刺して、はい、と口に押し込んだ。
そしたら銀ちゃんは大きめに切った林檎で口をもごもごと一杯にしながら、瞼の落ちた眠そうな目でちろりとこっちを見上げて。
「なに、お前あーいうの作れんの」
「うん。一人暮らしするようになってからは作ってないけどね、家ではときどき作ってたよ」
うちにはお料理好きでお菓子作りも大好きなお母さんがいるし、ちょっとくらい失敗したものでも気にせずどんどん片付けてくれる、
食欲旺盛なお兄ちゃんたちも揃ってる。そんな環境で育ったから、台所に立つのは小さい頃からあたしの日課だった。
最近は一人暮らしの気楽さに慣れちゃってお料理もさぼり気味だけど、あのくらいのケーキなら今でもなんとか作れそうだ。
「・・・・・。ふーん、そぉ」
林檎をしゃくしゃく頬張って微妙な間を置いてから、銀ちゃんはしれっとテレビに目を逸らした。
そのちょっとした間は、もしかしたら銀ちゃんにとってはあんまり意味なんてなかったのかもしれない。
でも、その時に、なんとなくだけど感じてしまったのだ。思わずきゅんとしてしまった。
「家では時々作ってた」と答えた時のあたしを見る目に籠められた、自他共に認める糖分王銀ちゃんのちょっとした期待。
それと、ほんのちょっとした、なんだか甘えたそうな雰囲気を。
・・・どうしよう。こんな死んだ魚みたいにやる気のない目で胸がきゅんとして母性本能くすぐられちゃうなんて、
そんなやばい子、この世にあたしだけなんじゃないの、・・・なぁんて思いながらも、おもいっきりときめいてた。
そう、思えばあれがきっかけだったんだよね。
単純なあたしは「・・・ちょっと頑張ってみようかなぁ・・・」なんてすぐにその気になっちゃって、早くもその夜からそわそわしていた。
12月に入ると同時でスポンジケーキ作りの練習を始めていたし、クリスマスの小さなサプライズとして驚かせたかったから
銀ちゃんには内緒にしておいたけど、心の中ではずっとうきうきしてたし、ずっとこの日が待ちどおしかった。
――だって。あたしにも出来ることで銀ちゃんが喜んでくれたら、きっとすごく嬉しいだろうなって思ったんだもん。
きっと思い出に残るだろうなって思ったんだもん。
今夜は。今年のクリスマスイブは。銀ちゃんとお付き合いするようになってから、初めて迎えるイブだから――
「なのに。・・・なのにぃぃぃ。でっ、出遅れたぁぁぁ・・・・・・・・」
「?どうしたアルか。冷蔵庫と何を話してるアルか」
ずっと憧れてた「銀ちゃんの彼女」っていう立場になってからはじめてのクリスマスイブ。
かなり長い間銀ちゃんに片思いしていたあたしにとっては、もちろん記念すべき日だ。
・・・だっていうのに。ああっ、こんなところで何してるんだろあたしってば。
クリスマスらしくにぎやかに盛り上がってる居間の前をすすーっと忍び足で通過して、
すごすごと引っ込んだ台所で、顔が凍りそうな冷気をひやひやと垂れ流してくる冷凍庫の中身と虚しくお見合いしてるなんて。
そんなところへぱたぱたと駆けて来たのは、生クリームで顔をあちこち白くした神楽ちゃんだ。
あたしを見つけて目の前までぴゅーっと駆けてくると、あわてて閉めた冷凍庫を不思議そうにきょとんと眺めた。
「冷凍庫に何か入ってるアルか?」
「ううん気にしないで。ちょっと冷蔵庫相手に愚痴ってただけだから」
「ああっ、もしかして!っ、クリスマスのごちそう持ってきてくれたアルか!?」
「えっ。ええと、これは、あの、ごちそうっていうか、」
「何アルかケンタッキーアルか?それとも七面鳥の丸焼きアルか!?あれは家にでっかい暖炉がある選ばれた金持ちだけが食える
高級料理だって銀ちゃん言ってたヨ!」
「いやその定義はどうかと思うけど・・・、じゃなくて、違うの神楽ちゃん、これはそんな高級なものじゃ」
「じゃあケンタッキーアルか!」
期待に見開いた瞳をきらきらさせながら、がばっ、と神楽ちゃんが冷凍庫に飛びつく。
「わーいぃぃ!ケーキばっか食べてたからしょっぱいもの食べたかったネ!」と嬉しそうにドアを開けようとしたんだけど、
「だめだよ、ケーキ何十個食べたと思ってるの。ここでケンタッキーなんか食べたら、いくら神楽ちゃんでもお腹壊しちゃうよ」
開きかけたドアを押し戻して、後ろに現れた新八くんが呆れ顔で冷凍庫を閉める。食べる気満々だった神楽ちゃんの
「えぇーっ!!」という不満げな悲鳴を笑って聞き流しながら、食べ終わったケーキのお皿がたくさん載ったお盆を流しに運んでいった。
「あれだけケーキ食べたのにまだ食べる気なんだ。僕たちこれから忘年会に行くんだよ?わかってる?」
「わかってるアル!忘年会前のケンタッキーパーティバーレルのひとつやふたつ、私にとっては本番前の軽い準備運動ヨ!」
「あはは、準備運動かぁ。忘年会の飲食代、今年もすごいことになりそうだなぁ・・・」
かちゃかちゃと音を立ててシンクに洗い物を置きながら、新八くんが顔を引きつらせて苦笑する。
それから思い出したようにあたしに振り向いて、ぱっと満面の笑顔になった。
「さん、さんも行きますよね忘年会。お登勢さんがカラオケ付きの部屋予約したそうなんで、また一緒にお通ちゃんの曲歌いましょーよ!」
「え、う、・・・うん」
「・・・どーしたアルか?さっきからはっきりしないアルな。なんか今日はノリが悪いネ、」
「そ。そう?」
「居酒屋は嫌いアルか?居酒屋も楽しいネ、七面鳥はないけど焼き鳥は食べ放題アル」
「ううん、そんなことないよ。好きだよ居酒屋、カラオケも好きだし」
「・・・あのう、すいません急な話で。今朝いきなり決まっちゃったんです、本当は大晦日のはずだったんだけど・・・」
お登勢さんたちの都合がつかなくって、急遽今日になっちゃって。
気遣い屋な新八くんはあたしの反応に何かを感じ取ったらしい。新八くんが悪いことなんてひとつもないのに、
なんだかすまなさそうに肩を竦めて説明してくれた。
「そうだ、ここは僕が片付けますから、さんも向こうでケーキ食べてきてください。まだ何も食べてないんでしょう?
仕事終わってからまっすぐここに来たって言ってたじゃないですか」
「そーネ、今日の万事屋はスイーツパラダイスネ!みんながケーキ持って来たから、今なら好きなだけ食べ放題ヨ」
「う。うん。・・・知ってる。さっき廊下から覗き見したから」
見つからないように柱の影からそっと覗いた居間の中は、ちょっとしたケーキバイキング状態になっていた。
テーブルにも銀ちゃんの仕事机にも、所狭しとびっしり並んだホールケーキの数々。
なんでも今朝、とある依頼人さんがやってきて「万事屋さんにお世話になったお礼に」と、お歳暮代わりに
十個も差し入れてくれたんだそう。おかげで今日の万事屋は朝からケーキ食べ放題で、そこに加えて、
夕方になってからやって来た忘年会メンバー ――銀ちゃんが大の甘党と知っているお友達のみなさんが、
それぞれにお土産のクリスマスケーキを持って駆けつけたらしい。普通の家なら一週間かかっても食べきれない量なんだろうけど、
この家にはごはんよりも甘味を主食にしたいって本気で思ってそうな銀ちゃんと、フルメタルな胃袋の持ち主・神楽ちゃんがいる。
仕事を終えてから急いで万事屋に駆けてきたあたしが見た見た時には、すでにケーキは半分以上消化されていた。
「う。うん。そうだね、じゃあ、あとでごちそうになるよ」
「だめヨ。遠慮してたら私と銀ちゃんの腹にあっという間に消えてしまうアル」
「うん、ありがとね。でも、ほら、あたしは神楽ちゃんや銀ちゃんみたいにたくさんは食べられないから、
余ったケーキをひとつ貰えたら充分だよ」
それに、と前置きしてから、さっき閉めた冷凍庫のドアをちらりと眺める。
指先で頬をぽりぽり掻きながら、あはは、と力なく笑った。
「今日は居間に入りづらいっていうか。ちょっと居辛いっていうかぁ・・・」
「あはは・・・そっか、僕の姉上はともかく、他はすごいメンバーですもんね」
みんな普通の女性とはちょっと違うっていうか、迫力がある人ばかりですからね。
うんうん、と同意を込めて新八くんが頷く。早くもお腹がすいてきたのか、
台所に置いてあったケーキを手づかみで食べ始めた神楽ちゃんは、不思議そうにあたしたちの話を聞いていた。
「僕もそういうの気にしちゃうほうだから、なんとなく気持ちはわかりますけどね。だけどさん、そんなに気にすることないですよ」
「新八の言うとおりネ。は堂々と銀ちゃんの隣に座って本妻の座をみせつけてやればいーアル。
腐れ天パに群がる愛人どもを一撃で蹴散らしてやるネ!」
「いや愛人って。それ、意味判って言ってるの神楽ちゃん」
完全に面白がってぐぐっと拳を握り締め、勇ましいファイティングポーズを取った神楽ちゃん。
その姿を眼鏡越しに見ている新八くんはなんだか困惑気味で、耳年増な知識ばかり仕入れてくる小さな娘に
困っているお父さんみたいで微笑ましい。そんな新八くんを眺め、神楽ちゃんを眺め、あたしはしょぼんと肩を落とした。
「う。うん。でも、」
「まあまあ、そんなこと言わずにどうぞ」
あたしがもごもご口籠ってる間に新八くんは冷蔵庫を開けて、カットしたケーキを手際よくお皿に盛りつけて
渡してくれた。平日のお昼にやってそうな情念ドロドロ系ドラマ的な何かを期待してワクワクしてる神楽ちゃんは
「頑張れ、愛人どもに負けるな!ケンカは先手必勝、一撃必殺ネ!」と、がしっと手を握り締めて励ましてくれる。
何の悪意もない二人の、それぞれに違った表情の満面の笑顔を背にして、あたしはぽいっと台所から押し出された。
とぼとぼと足元ばかり見つめながら廊下を歩く。行くのを避けていた居間に着くと、もちろんそこには、
あたしがコンマ一秒でヘコんじゃった衝撃の光景が待っている。
ひょこん。入口の柱の影から顔だけを出して、はらはらしながら中の様子を伺う。
銀ちゃんの対面にあるソファでケーキを食べている楚々とした美人は、新八くんのお姉さんのお妙さん。
そしてその隣には、・・・聞くところによるとものすごいお金持ちらしい、男装美少女の九兵衛さんだ。
この二人とはあたしも前から面識があるんだよね。
同じソファに二人並んで銀ちゃんたちと楽しそうに話している二人を見たって、別に何も驚いたりはしなかったし。
でも。・・・そうじゃないの、この二人じゃない。びっくりしたのはこの二人じゃなくて、銀ちゃんを挟んでソファに座ってる女の人たちのほう。
一人はあたしも知ってる人。ていうか、顔を忘れたくても忘れられない強烈な人だ。24時間のセコム体制で銀ちゃんの回りに出没する、
美人ストーカーのさっちゃんさん。年中無休で追い回されてる銀ちゃんは「メス豚」なんてうんざりした顔で呼ぶけれど、
こんなに色っぽい眼鏡っ子に追い回されたら、大抵の男の人はストーカーでもくらっとしちゃうんじゃないかなって思う。
そして、銀ちゃんの隣に座るもう一人の女の人は――
――この人は初めて見る人だ。ワイルドセクシー系の、プラチナブロンドのお姉さん。この人も一度見たら忘れられそうにない人、かな。
だって思わず見蕩れちゃうくらいかっこいい美人さんだもん。それに。・・・泣きたくなることに二人とも、すごいんだよね。
ええと、その、・・・何がどうすごいって、・・・・・・・・あの、つまり、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
首が折れそうなくらい深々と、がっくりとあたしはうなだれる。神様ってどうしてこんなに残酷なんだろう。
何なのあれ、あの迫力。二人が二人とも、同性のあたしでも目がびたーっと釘付けになっちゃうような、
ばば―――んと、ばい―――んっと、豪華で形のいい立派なバストをお持ちになっていらっしゃる・・・!!
・・・ううぅ、ひどいよ、ひどいよぅ。ひどすぎて勝手に溜め息が湧いてくるよ。
あたしだって欲しかったのにぃ、ああいうダイナマイトな、ミラクルなかんじのミサイル的なあれがっっ。
「ふぇええぇ。不幸だ。・・・不幸だぁぁぁ!」
「相手の攻撃をぜんぶ無効化出来ちゃう」っていう、お得なんだかそうじゃないんだかよくわからない特殊能力を持った
男子高校生の決め台詞をブツブツ唱える。涙目でケーキをもぐもぐしながら恨めしくなった。だってこんなの神様の依怙贔屓だとしか思えないよ。
はぁあ、と気落ちした溜め息をついていたら、それが耳に入ったのか、銀ちゃんがひょいと顔を上げて、
「あれっ。何、いたんだ。いつ来たのお前」
「・・・・・・・・・・・。さっき」
柱の影からこそこそっと答えると、部屋中の視線がぴたっとあたしに集中する。
銀ちゃんは何も気にしていなさそうだけどあたしは気まずい。正直、すごーく、すご―――く気まずい。
それでも礼儀知らずな子だと思われて銀ちゃんに恥ずかしい思いをさせたくなかったから、なんとか笑顔を作って「こんばんは」と頭を下げた。
「んだよ来てんなら顔くれー出せって、・・・や、まぁいーわそれはいーわ、
あのさぁ、台所行って水一杯持ってきてくんね」
「・・・、うん。わかった」
「さんこんばんは。今日もお仕事だったんですか」
何気なく声を掛けてくれたお妙さんが、小さく会釈してくれた。
いつ見ても仕草がおしとやかで、いつ見ても表情がにこやかだ。・・・にこやかすぎてたまに怖いくらいだ。
「うん、そうなの、年末は毎年忙しくって。お妙さんは今日もお店に?」
「ええ、今日は遅めの出勤なんです」
そう言いながらお妙さんは帯の間に細い指をすっと差し込む。お財布から小さなピンクの紙を取り出して、
「よかったらこれ、貰って下さい」
すっと綺麗な動作で立ち上がって、あたしにその紙を渡しに来てくれた。
可愛い丸文字で印刷された「すまいる冬のプレミアムチケット」の字を眺めていたら、しっとりとお妙さんは微笑んだ。
「うちのお店の割引チケットなんです。いろいろサービスしますから、よかったらまた職場の方と遊びに来て下さいね」
「うん、今度は違う部所の人も誘ってみるね。いつもありがとう」
「そんな、こちらこそ。さんのご紹介の方はみなさんきちんとした方だから助かります」
「ぇええ、んだよサービスチケットってぇぇえ」
そんなもん俺、一度も貰ってねーんだけど?
タダとか割引とかそういう言葉にやたらと敏感な銀ちゃんはさっそく息巻いて、お妙さんに食ってかかった。
あたしは溜め息をついて深々とうなだれた。・・・こういうときの銀ちゃんて、わかりやすいっていうか意地汚いっていうか。
見ていてちょっと恥ずかしい。
「お妙、お前んとこそんなもんあったの。俺にもよこせよその魔法のタダ券」
「だめです、これは収入が安定している上得意のお客さまにしかお渡ししない決まりなんです」
「ああ、それなら僕のぶんを使うといい」
と九兵衛さんが控え目な態度で申し出て、テーブルの上にぽんと出した。
束で差し出された大量のサービスチケットに、銀ちゃんがきらーんっと目を光らせる。
「ええっいいのこれっ、いーの、マジで!!!?」
「妙ちゃんのお店に行くたびに溜まっていくんだが、セレブ柳生家の跡取りたる僕には
割引券を使う習慣がないんだ。もしよかったら君が貰ってくれ」
「いっやぁさすが九兵衛くんだな、柳生家の跡取りはぼったくりキャバ嬢と違って心が広いわ」
「あらだめよ九ちゃん。銀さんは道に落ちてる軍手以下の図々しいマダオなのよ、うっかり甘やかしちゃだめ」
「いやその例えのどこに軍手が関係あんの。微塵も関係なくね」
「ああそうだわ、いいものがあるわ。銀さんにはこのサービスチケットがお似合いじゃないかしら」
はい、私からのクリスマスプレゼント。
じとーっと銀ちゃんに睨まれてもさっぱり笑顔を崩さないお妙さんは、サービスチケットと似たような大きさの紙を一枚、
銀ちゃんの手にさらりと乗せる。怪訝そうにそれを持ち上げ眺めた銀ちゃんは「ってこれぇ、かまっ娘クラブの割引券じゃねーかぁぁ!」
と叫んで、べしっと床に投げ捨てた。
「ええ、どうですか今晩あたり。きっと可愛い子揃ってますよ銀さん好みの」
「行かねーよ!聖なる夜に汚ねーオカマのケツ掘る趣味はねーんだよ俺は!!」
「そうよお妙さん、銀さんがオカマバーになんか行くわけないでしょう?
銀さんの好みといえばナイスバディのメガネっ子くの一って決まってるじゃないの!・・・そう、つまりぃぃぃ、わ・た・」
しっ、と笑顔で言い切る寸前で、むっとした顔の銀ちゃんの手刀がメガネを直撃、ぶはっとうめいたさっちゃんさんがソファから転げ落ちる。
だけどそこからの復活の速さったらなかった。半分ズレた眼鏡の奥で爛々と目の光を燃やしながら、唖然としているあたしの方に
振り向いて。くいっ、と眼鏡のフレームを直しながらじろりとこっちを睨んでくる。
「ちょっとそこのあなた、私にもお水持ってきてくださる。ミネラルウォーターでお願いね」
「黙れメス豚、に命令すんじゃねーよ。てめーなんざ便器の水で充分だろ。つーかおい寄ってくんな、三秒以内に離れねーとうちの厠にぶち込むぞ」
「あーら甘いわね銀さん。トイレの水ですって?ぬるい、ぬるすぎるわよ、その程度のぬるい脅しで私があなたから離れるとでも思ってるの?」
ほほほ、と口許に手を宛て、声も高らかにさっちゃんさんは笑い飛ばした。あたしは戸口の影に引っ込んで、
銀ちゃんとさっちゃんさんの応酬におどおどと視線を往復させまくる。銀ちゃんの口の悪さにはもう慣れちゃってるから、
どんな暴言吐いててもそんなに怖くはないんだけど・・・やっぱりこわい、こわいよこの人。
何かが壊れちゃってる人だよさっちゃんさんは!
「ていうかここのトイレならむしろ大歓迎よ!万事屋のトイレですものっ、きっと銀さんの聖水が混ざっ、っっぶふぉっっっっ」
「いい加減にせんか猿飛、はしたない」
がばっと床から立ち上がったすみれ色のロングヘアの後ろ頭に、びしっと手刀が浴びせられる。
今度の攻撃は銀ちゃんじゃなくて、ソファに並んでるもう一人の美人さんからだ。
・・・たぶんこの人だよね、お妙さんが言ってた「吉原の月詠さん」って。
銀ちゃんはあまり話してくれないけど、新八くんたちの話によると、この人も万事屋のみんながなにかとお世話になっている人らしい。
今は咥えた煙管から煙を昇らせながら、さっちゃんさんを伏し目がちな、呆れ気味な目で眺めてる。
挨拶したほうがいいのかな、なんて迷いながらちらちらと視線を送っていたら、向こうもなんとなく気付いてくれたみたいだ。
おっかなびっくりにぺこりと、腰から折って頭を下げる。すると月詠さんらしき人はちょっと困惑気味に眉をひそめてから、
ふっ、と薄く微笑んでくれた。よかった、この人はさっちゃんさんと違って普通に話が通じそうだ。
ほっとしたあたしは一歩戸口に近寄って、あたしが知ってるこの部屋とはかなり空気が違ってる、華やかな眺めを遠慮がちに見つめた。
まださっちゃんさんは怖いけど、ここへ来る前よりは気分が落ち着いたのかも。
――でも、それでも部屋に入るのは気がひけるっていうか。・・・なんだかあたしだけ場違いな気がして、入る気にはなれないんだけど。
それにしても何なんだろう。
口にするとなんとなくみじめな気分になりそうだから黙ってたけど、いつも気になってたんだよね。
どうして銀ちゃんの回りって、こんなに綺麗な人ばっかなの。中でも特に、――自分の胸のささやかさを
気にしてるあたしとしては、特に気になっちゃうのはあの二人だ。銀ちゃんは二人を見慣れているせいなのか、
あの抜群なスタイルの良さをあんまり意識してなさそうだ。でも、それにしたって、銀ちゃん好みな胸をした美人二人に
挟まれてることには違いないんだしさ。そのうち一人は確実に変人さんだけど、それでもあんなに魅力的なんだから、
気にしないようにと思っていても気になっちゃって仕方ない。あのスタイルの良さを目に焼き付けてから自分の身体を見下ろしたら、
なんだかそれだけで情けなくなっちゃうし、あたしが居ない時の銀ちゃんの傍にはあの綺麗な人たちがいるのかもって思うと、
それだけで胸の奥がちくちくしてくる。
・・・・・・・・。これって嫉妬、なのかな。やだなぁ。お腹の底で得体のしれない不愉快さがもやもやしてる。
女の人たちに囲まれてる銀ちゃんをちょっと離れた場所から見てるだけで、なにか真っ暗な気分に引きずられる。
「――ねえあなた。確か、さんだったかしら」
「っっ、」
「あなた、まだ銀さんにちょっかい出してたのね」
うわっ、びっくりしたっ。あんまり素早いから目が追いつかなくて、驚いて声も出なかった。
ついさっきまでお妙さんがいたはずのあたしの目の前には、今はさっちゃんさんが。立派な胸をばばんっと逸らして立ち塞がってる。
ひらり、と飛び上がってあたしの前に音もなく着地したこの人は、芝居がかった口調でずずいっと詰め寄ってきた。
うわぁ近くで見るとさらに美人、・・・でも近くで見ると目が、さらにこわい、こわいよぅぅ!
ふぇええ、っと泣きそうな声を漏らしながら後ずさりしたら、廊下の隅まで追い詰められる。
「おいこらてめっ、何やってんだ変態女!」と血相変えて立ち上がった銀ちゃんに必死の「ヘルプミー!」の合図を目で送りながら、あたしはこわごわと口を開いた。
「あ、あのー、はじめまして。何度かお見かけしてはいたんですけど、とてもじゃないけど声を掛ける気にはなれなくて・・・!
っっじゃなくてあのっ、ど、どうですかこれっ、ケーキまだ一杯あるんです、そそっ、その、あのっ、おひとつどうですか?」
「いいえ結構よ。ねえ私、あなたに手紙で何度も忠告したわよね、銀さんに近付く女は許さないって」
「て、手紙?手紙っていうか、あれって」
差し出し人がバレないように新聞なんか切り貼りしちゃって、明らかに悪質な脅迫文書でしたよね?
明らかなカミソリレターでしたよねあれ!?
なんて言いたくっても、嫉妬に燃えるあの目を見てると怖すぎて口が震えちゃう。
ああっ、身体が動かない。家のポストにカミソリ入り封筒を発見しちゃった時の恐怖がじわじわ身体に蘇ってきたよ・・・!
「いいえそんなことはどーでもいいわ、ちょっとあなた、いつまで銀さんの回りをうろちょろするつもり?
ねえ、今日は何しに来たのかしら?」
「な、なにって、・・・」
「それを言うなら猿飛、ぬしだって銀時の回りを始終うろちょろしているではないか」
「うるっさいわね黙ってなさいよツッキーは!」
見兼ねて助けを出してくれたプラチナブロンド美人を見つめて、あたしは軽く息を詰めた。
――ツッキーって呼ばれてたし、やっぱりこの人が月詠さんなんだろう――
月詠さんは苦々しげに目を伏せて、はーっ、と煙管からの煙を吐いて。
「いい加減にせんか。その人はどう見てもか弱い一般人だ、弱い者苛めもいいところだぞ」
「何よっ、あなただって気になるくせに!一人でいい子ちゃんぶってんじゃないわよっ」
「・・・っ!さっっ、酒も入っていないうちから絡むなバカ者っ」
「そもそもわっちはぬしと違ってこの男の女性関係など気にしておらん、勝手な憶測を立てるのはやめろっ」と、
月詠さんは気まずそうに声を荒げ、かあっと頬を染めてあわてはじめた。
無口でクールな人なんだなって思ってたからちょっと意外。イメージと違って可愛いらしい姿だ。・・・でも。そっか。初めてだから、ちょっとショックかも。
銀ちゃんのことを「銀時」って呼ぶ女の人は、あたしが知ってる限りではお登勢さんしかいなかったから。
「さあ猿飛さんこっちにいらっしゃい」と寄ってきた笑顔のお妙さんが、さっちゃんさんをむんずと引っ掴む。
綺麗な見た目からは想像のつかない奇声を上げる女の人を、ずりずりと力任せに引きずって連れ戻る。
・・・誰もその行動を咎めようとしなかったから、なんやかんやで結局お妙さんが最強ってことらしい。追い詰められた廊下のすみっこで情けなく縮み上がりながら、あたしは二人を見送った。
ちっ、と舌打ちした銀ちゃんがぼりぼりと腹立たしげに頭を掻いて、月詠さんをじろりと見下ろして、
「おいおい月詠ォ、お前なんでこんなの連れて来たんだよ」
「す、すまない。「今日は神に誓って大人しくしている」と泣いて縋るから、仕方なく連れてきたんだが・・・」
ぽっと頬を染めた月詠さんが、うつむき気味に銀ちゃんに答える。銀ちゃんが「仕方ねーなぁ」って顔で
また何かを話しかける。二人はソファの端と端で向き合って、何かを話し続けていた。
二人とも色素の薄い肌色で、人目を惹く淡い髪の色。全身から滲み出てるちょっと素っ気なさそうな雰囲気も、どことなく似たかんじがする。
いつのまにかあたしは二人の独特な雰囲気に惹き込まれて、ソファのほうをぼうっと見ていた。そこへソファの背もたれ越しに、
さっちゃんさんが間に割って入ってきて。
嬉しそうに顔を寄せてくるさっちゃんさんに、うっとおしそうに押し返す銀ちゃん。二人を苦笑いで眺める月詠さん。
――この人たちって、こうして遠目に見てるとなんだかすごく様になる。一から十まで言わなくっても判る仲っていうか。
それぞれが放ってる空気が、なんだか自然と似通ってきてる人たちっていうか――
ああ、まただ。やだな、このかんじ。ちくりと何かが胸に刺さった。
「・・・・・・。ぎ、銀ちゃんっ」
思いきって声を張り上げて呼びかけた。――特に何か言いたいことがあるわけでもないのに呼びかけてしまって、
口にしてから「何やってるんだろう」とはっとした。あわてて口を覆ったけど間に合わない。
あたしの声は部屋中に響いて、全員が振り返って、呼ばれた銀ちゃんはすっとぼけた顔してこっちに振り向いたんだけど、
・・・・・〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ、ムカつくっっっ。
なにその顔っっ。「あれっ、まだいたの」って顔するな、ばかっ。
「ん、どした、何」
「あの、・・・っ、えっと、お、お水っ。何人分持ってきたらいい?」
「あぁ水ね。いやいや、いーわ、もぉいらねーわ。そろそろババアも来ることだし、すぐ出るから」
「フン、いつまでももたもたしてるからよ。私もいいわ、お店で飲むから」
「あーそーだな、水なら呑み屋の厠でたんと飲ませてやるわ。便器に頭ごとざぶざぶ浸けてやるわ」
「・・・!!」
絶句したさっちゃんさんは訴えてもいいくらいひどいことを言われてるのに、うっとりとした恍惚の眼差しで銀ちゃんに見蕩れてる。
そっか、銀ちゃんは「いーって、あんな奴のこたぁ知らなくていーの。下手に知るとに病気が伝染すっから、な?」なんてごまかして
詳しく教えてくれなかったけど、この人ってやっぱりそういう人なんだ。
そう思ったら急に興味が湧いてきて(俗に言う「怖いもの見たさ」っていうあれだと思う)、視線は腰をくねらせて悶えるさっちゃんさんに集中したんだけど、
「銀時ー!みんな揃ってるんだろ、そろそろ行くよ」
そこでがらっと玄関が開いて、煙草枯れした声が、廊下から居間までを突き抜けた。
後ろにキャサリンさん、たまさんを従えて玄関先に現れたお登勢さんが、墨染の着物の裾をさっと引きながら
廊下に上がってこっちへ歩いてくる。戸口の前でつっ立ってるあたしに気付いて、江戸っ子らしい早口で喋りかけてきた。
「おやちゃん。あんた仕事じゃなかったのかい」
「えっ、あ、はい。今日は夕方までなんです」
「そうかい。ああそうだ、予約した店までちょっと歩くからね。
この天気じゃ夜中には雪になりそうだから、何か羽織って温かくしておいで」
「あ、はっ、はいっ」
「・・・?どうしたのさ。あんた今日は妙に顔つきが固いよ」
細い眉を片方だけ上げて「何か仕事で嫌なことでもあったのかい」と尋ねられる。
いえいえ、とあたしは焦り気味にかぶりを振った。
それからコートを台所に置いてきたことを思い出して、入口から踵を返す。すると、
「その、・・・さんと言ったな」
後ろから声を掛けられた。月詠さんが立ち上がってこっちに歩いてくる。遠慮気味に目線を合わせてきて、
「怯えさせてしまってすまない。根はそう悪い奴ではないんだ、出来れば許してやってほしい」
「は、はい、いえ、そんな、」
「いやつーかお前、なんでさっきから影に隠れてんの。なにそれ、家政婦ごっこ?」
エツコなのナナコなの、どっちだよ。
なんて言いながら銀ちゃんが自分の部屋に戻って行く。その後ろ姿が襖の向こうに消えてしまうと、
月詠さんはもう一度あたしに振り向いた。見ていると吸い込まれそうになる力の強い瞳で、まっすぐに見つめてくる。
何か言いたいことがあるのか、しばらく黙ってあたしを見つめて。
それまでは動かなかった唇が、ふっと動いて。その瞬間に、あたしはあわてて肩を引いて、
「その、銀時とは――」
「っ、あ、あたし、ちょっと台所に用が、あって!」
喋り始めたのはほとんど同時だった。
あたしの声は月詠さんの声を掻き消すほどの大声。自分でもびっくりするような、大きくて上擦った声だ。
月詠さんはぱちりと大きな目を見開いてびっくりしてる。あたしは「す、すいません、後で、また」と
言葉を濁して背を向けた。