「なぁ。やっぱやべーだろあの店」
遠回りして寄ったコンビニで買った炭酸水のキャップを捻りながら、晋助はこっちに振り向いた。
隣では十四郎がコーヒー缶のプルタブを開けている。ファミレスを出たあたしたちは、駅から出てきた人たちに混ざって
夜の歩道をてくてく登っていた。
マンションまでの帰り道は五分ちょっと。角度が急でくねくねした坂が続いてる。
あたしたちのマンションはこの坂の途中だけど、晋助のおうちはこの坂のてっぺんの一等地。
塀も壁も真っ白で目立つ、すっごく大きな豪邸だ。
「見たかあれ、レジにいた胸のでけー女。客前でパフェ食ってたぞ」
「見たかも何もあるかよ。目に入るに決まってんだろ」
「へぇ、気付いたのかよ。お前が見てたのはてっきりあの女の胸だけかと思ったぜ」
「!ぶ、ほっっっ」
コーヒーにむせた十四郎がゲホゲホ咳込む。無言で殴りかかろうとした十四郎から晋助が逃げる。
お仕事帰りのお姉さんやおじさんたちの間をすり抜けて(主に十四郎が)ぎゃーぎゃー言いながら、二人はどんどん先に行ってしまった。
ぺた、ぺた、ぺた、ぺた。
隣では間の抜けたサンダルの音が鳴ってる。はだしで寒くないのかなぁ、銀ちゃん。
季節感のない銀ちゃんの足元を眺めて、冷えてきた両手を目の前で合わせてすりすりしながら話しかけた。
「でもびっくりしたぁ。初めて見たよ、お客の前で堂々とパフェ食べる店員さんなんて」
「んぁー。まーな。まぁこの先もあの店以外で見るこたーなさそーだけどな」
ぺったぺたと右隣を歩いてる銀ちゃんは、足元まで伸びた、見たことないくらい長いレシートを苦笑いで眺めてる。
「知らねーほうがいいんじゃねーの」って教えてくれなかったけど、お会計はいくらだったんだろ。よっぽどショッキングな数字が並んでるのかも。
はぁーっ。
かじかんできた指先に息を吹きかける。手袋持ってくればよかった、なんて思いながら口許を両手で覆った。
昼間はあんまり感じないけど、夜になるとけっこう寒い。喋るたびに白い息がほわほわと浮いてくる。
ぴりぴりしたつめたさが肌にじわじわ刺さってくる。こーやって夜道を歩いてると、もうすぐ冬が来るんだって実感するよ。
「なー、」
「うん?」
「あいつらが一緒でもいいんだけどさ。来年からは二人だけで、とか。だめ?」
「・・・・・・・・・、」
首を傾げて銀ちゃんを見上げる。一瞬、言われたことが理解できなかった。
長いレシートをパーカーのポケットにぐしゃっと突っ込みながら、なんてことなさそうに銀ちゃんは言った。
煙草をポケットから出して、何か思い直して、また引っ込めて。ななめ下の暗い歩道を見つめていたレンズ越しの目が、
いつも通りのだるそうな視線であたしに向いた。
「なぁ。だめ?」
「・・・・・・、え。だめって。な、」
何が?
そう言おうとしたとき、右手にあったかい何かが触れた。ふあっ、と優しく包まれた。
あたしの手を握り締めて、腕をくいっと自分のほうへ引き戻して、銀ちゃんの足が立ち止まる。
自然とあたしの足も止まった。追い抜いていくひとたちの影や車道からの車のライトのまぶしさが、目の前をすっ、すっ、と通り過ぎていく。
銀ちゃんはあたしの目をじっと見つめて、あたしの何かを探ってる。ふっ、と小さな溜め息をつくみたいに笑って、
首をちょっとだけ傾げて言った。
「やっぱわかんねぇ?」
「う。・・・うん、」
「まぁ、つまりあれだわ。・・・特に急ぐつもりはねぇんだけどな。この先、
特別な日くれーはあいつら抜きがいいって、俺は思ってんだけど。・・・・・・・・・・」
びゅん、と車道を抜けていった速い車が風を起こす。暗いところでは薄い灰色にもみえる銀ちゃんの髪が、頭のてっぺんでふわふわ揺れてる。
「何でそう思うか、判る?」
優しい声でそう訊かれて、銀ちゃんを見上げながらかぶりを振った。
「・・・そっか、」と苦笑いしながら、銀ちゃんは合間を一歩詰めた。
白っぽい天パの頭が急に近づいてきて、銀ちゃんの顔が近くなる。頭の上から被ってきた影で目の前が暗くなる。
つながった手をきゅっと握り直して――
「。だめ?」
「――・・・・・・」
少し声を低めて、銀ちゃんは聞いたことのない真剣な口調であたしを呼んだ。ひとことも答えられなかった。
銀ちゃんの声の響きが胸に迫って、心臓が跳ねる。呼吸が詰まる。ほんの10センチ先にある、目を細めた苦笑い気味な顔から目が離せない。
さっきまでふつうに動いてた唇が、寒さに凍ったみたいに動かない。
子供の頃からよく会っていた銀ちゃんに、名前を呼ばれた回数なんて数え切れない。なのに、呼ばれただけでどきっとした。
どういう顔して返事したらいいのかわからなくなった。
「、」
ふぇ・・・?と気の抜けた、おかしな声が半開きの口から漏れた。
やっぱり返事が出てこない。ぼうっと銀ちゃんを見つめていたら、繋いでる手がかぁーっと火照ってきて。どきどきしっ放しの心臓から巡った血が、
身体中をぼうっと熱くしようとしてるのが、すごく変で。自分の身体で何が起こってるのかわからなくて。あたしはあわてて目を伏せた。
足元の暗くてつめたそうな紺色のアスファルトには、もこもこしたショートブーツを履いたあたしの足と、銀ちゃんの足。
サンダル履きではだしの、あたしよりもずっと大きな足。
・・・・・・・・・・・・・・・・大人の、男の人の、足。
なにこれ。銀ちゃんだよ。銀ちゃんなのに。
どうしてこんなにどきどきするの。
どうしちゃったんだろ、あたしの心臓。どうして。なんだろ、どうして、こんな。 ・・・こんな。
「・・・あ。あの二人がいたら、だめ?」
「んー。駄目っつーか。」
「・・・・・・・・・あのね、銀ちゃん。・・・・・今日、ね、」
「おい!」
はっとして顔を上げて、目の前の坂を見上げた。この道を通って家に帰る人たちが黙々と暗い坂道を昇っていく中で、
立ち止まってこっちに振り向いているのは二人だけ。二人とも夜の暗さに髪の色が溶けている。
むっとした口許を横一直線に引き結んでる、秋の夜にはちょっと薄着に見える恰好の男の子。
隣に並んでる姿よりも小さくて細身な、大きめのモッズコートを着た男の子。
こっちはもう一人とは逆に、うっすらと口端が笑ってる。
二人はこっちをじっと見ていた。見てる、っていうか、睨んでる。ていうか、「目一杯睨んでる」って言ったほうが正しいかも。
特に十四郎。やめなよその顔、あんた怖いよ。めちゃめちゃ怖いよ顔が。
さっきあんたたちの横を通り過ぎていったお姉さんなんか、すーっと遠回りして避けてったよ?
声を掛けてきてから、二人は数秒動かなかった。「いつまでそーやって見てるのかなぁ」なんて思い始めた時に、十四郎が声を張り上げて。
「今日だけは特別に見逃してやる。家に着くまで、五分だけだからな!」
「俺らの心の広さに感謝しろよ。ド腐れ教師」
あ、またシンクロしてる。二人は似たような機嫌の悪そうな顔して、同じタイミングで銀ちゃんに中指を突き立てて、
同じタイミングで背中を向けた。同じような速さの足取りで、さっさと坂を昇っていく。
「・・・どーしてああも恩着せがましいのかねぇ、あいつらは」
独り言みたいにぼそぼそ言って、二人が遠くなっていくのをおかしそうに眺めていた銀ちゃんは、はは、と気の抜けた声で笑っていた。
「たしかに普通に歩いたら五分かかんねーんだけどなァ。・・・メシ代たんまり払わされた礼に、わざと遅く歩いて焦らしてやるか」
「・・・・・?」
「あー。・・・なに、やっぱわかんねぇ?」
「う。うん、・・・」
赤くなった顔をコクコク上下に振ると、銀ちゃんは何も言わずに口を歪めて笑った。行くか、とつないだ手を引っ張って、
サンダルをぺたぺた言わせながら先を歩き出す。
治まらない心臓の音と呼吸を少しでも静めようと一所懸命になりながら、あたしはちらちらと銀ちゃんの顔色を伺った。
・・・もう言っちゃっていいのかなぁ。あの二人に「お前が言え」と押しつけられたことを銀ちゃんに伝えるのが、
今夜のあたしの最重要任務だ。どうかな。銀ちゃん食べてくれるかな。おなかいっぱいじゃないのかな。
晋助が残したチキンソテーもペペロンチーノもサラダも、「食わねんなら頼むんじゃねーよ」って、文句言いながら詰め込んでたし。
「・・・銀ちゃん、」
「んー?」
「もうお腹いっぱいになっちゃった?」
「・・・・・・、や。まぁまぁ一杯だけど。え、何で?」
「あのね銀ちゃん。銀ちゃんちの冷蔵庫にケーキ入ってるんだ。いちごのホールケーキ」
「え、やった、マジで。食う食う、全部食う」
「十四郎と晋助と、三人で買ったんだよ」
銀ちゃんの反応を横目に気にしながら、おずおずと、はっきりしない口調で打ち明ける。銀ちゃん、ちょっと驚いたみたい。
あたしが言い終ってから一拍遅れて、眠たそうな目が見開かれる。意外そうにぱちりと瞬きをした。
「十四郎たちには言うなって言われたんだけど。三人でお金出し合って買ったんだ」
銀ちゃんのために三人でケーキ屋さんに行くなんて、もう二度とないのかもしれない。
この道を途中で外れた細い道。十四郎と、晋助と、夕方に三人で歩いたケーキ屋さんへの道。
あの道を歩きながら、二人の背中や、たまに振り返る顔を眺めながら、あたしはぽつりとそんなことを思った。
そんなことを思ったのがどうしてなのか、自分でもちっともわかんないけど。でも、ちょっと泣きたくなるくらい実感した。
あたしたちが小さかった頃みたいに、ずっと一緒にいるのが当たり前みたいに感じていられた時間は、たぶんこの先、もう来ないんだと思う。
離れて行っちゃうみんながさみしい。少しずつ距離が開いていくかんじがさみしい。さみしいし、本当はいやだけど、
いつまでも子供の頃と同じじゃいられないのも判ってるから、あたしはそんな十四郎と晋助を遠目に見てるくらいしか出来ない。
銀ちゃんも十四郎も、晋助も。誰も何も言ってくれないし、あたしには口を挟んでほしくなさそうだし。
・・・自分でもどうしてそう思うのかわかんないけど、その理由をあたしが訊くのは、何かいけないことみたいな気もするから。
「あのね、銀ちゃん」
「んー?」
「二人とも口では銀ちゃんのこと色々言うけど。
でも、銀ちゃんのこと嫌いになったんじゃないと思う」
ずっと思ってたことをそのまま口にした。うつむいた口許で、ふぁっと白い吐息が躍っていた。
(銀ちゃんの誕生日、今年は一緒にお祝いしようよ。)
あたしがそう持ちかけた時には、二人とも厭そうだった。ああ、とか、まあいいけど、とか、ノリの悪い返事しか返してくれなかった。
けど、あたしにはその返事だけで充分だった。嬉しかった。十四郎も晋助も、二人とも、言うほど銀ちゃんを嫌ったりはしてないんだって
それだけで判ったから。
それに――、ケーキ屋さんへの行き帰りの道には、小さかったあの頃と同じ空気が流れてた。
あたしたちが銀ちゃんを輪の中心にして、みんなで手を繋いで笑ってた頃の空気。
みんなで一緒にいるだけで――それだけで楽しくて、自然に笑顔になっていたころの懐かしい空気。
だから。一年に一度でも充分なんだ。
あたしたちが高校生じゃなくなってる来年の今頃に、あたしが十四郎と晋助を誘って。
もしもまた、あの二人が、「しょーがねぇから行ってやる」って顔して頷いてくれたら――
「だからね。来年もまた、この日にみんなで集まれたらいいな」
「・・・・・・・」
銀ちゃんと目が合わないように、熱くなったままの顔を車道に逸らす。どきどきしながら祈った。
さっきのあれは――「なぁ。だめ?」って言ったときの銀ちゃんの顔は、
もやもやと勝手に目の前に浮かんできたけど。あわてて頭の中の黒板を擦って、ざざっ、と記憶を掻き消した。
・・・今は考えるの保留しよう。銀ちゃんがどんなつもりであんなこと言ったのかぜんぜんわかんないけど、
あれは聞かなかったことにしないと。そうしないと、また心臓が変になっちゃう。
「・・・・・・。だめ?銀ちゃん。・・・やだ?」
やだって言われたらどうしよう。
なかなか返ってこない返事を心配して情けない表情になりながら、赤い顔で銀ちゃんを見上げた。
銀ちゃんはずっと考え込んでいた。黙ってつめたい夜空を見上げて、んー、と、とぼけた表情で唸って。
それからこっちへ視線だけをちろりと下げて、まだ動揺してるあたしの様子を眺めて。
「俺はがこーやっていてくれるんなら、何も嫌じゃねーけど」
あたしに言い聞かせるみたいに落ち着いた口調で言う。するするっと何気ない動きで、骨の太い銀ちゃんの指が指の間に絡まってきた。
「んー。まー、この日が来るたびにあいつらに主導権握られて、財布の中まで引っ掻き回されんのは面白かねーけど。
ガキどもにいちいちケチつけんのも大人気ねえからなぁ、・・・」
年に一度くれーなら許してやるか。
何のこと?と訊きたくなるような、ちょっと不思議なことをぶつぶつ言った銀ちゃんは、
つないだ手をやんわり引っ張ってゆっくり歩いて行く。つめたくなった手を包んで温めてくれているのは、小さい頃からよく知ってる銀ちゃんの体温。
大きくって安心できる、しっかりした感触。あったかい手。ずっと変わらない、昔と同じ感触だ。
「・・・なんだ、」
「ん、なに。何か言った」
「ううん。・・・なんでもない」
ぶんぶん、と頭を左右に振った。ちょっと下にずれてきたレンズの向こうから、不思議そうにこっちを見てる銀ちゃんに笑いかける。
なんだ。いつもの銀ちゃんだ。・・・いつもの、ふつうの、銀ちゃんじゃん。
そう思いながら歩くうちに、なんだか気が抜けてきて。
ぎこちなくなってた身体がじわじわ緩んでいった。心臓の速さも治まりはじめる。
硬くなってた表情もふにゃふにゃと緩みはじめる。
ぺた、ぺた、ぺた、ぺた。
さっきはどきどきしてしまった大きな足が鳴らす音も、今はあたしをほっとさせるだけ。
・・・まだほっぺたに熱が残ってて、冷たい空気に晒されてもかーっと火照ったままなのは困るけど。
「それよりこれ。なに、この手。冷たくね?」
「銀ちゃんだってはだしじゃん。寒くないの」
「男はいーの、多少冷えたって問題ねーの。いっつも足出してるし、ちょっと薄着すぎんだろ。風邪ひかねーよーにな」
「・・・うん。ねーねー、銀ちゃん」
「ん、」
「お誕生日おめでとう」
大きくって骨の太い手をあたしのほうからきゅっと握り返したら、銀ちゃんは、ん、とさっきと同じように短くつぶやいた。
いつ見てもとぼけてる目元を軽く細めて、ほんの少しだけ嬉しそうな顔になる。
あたしたちは点みたいにちいさくなった二人の姿を暗い坂の上に探して、あそこだ、って笑ったり、二人のことを話したりしながら、
ゆっくり、ゆっくり、たまに夜空を見上げながら坂を昇った。
「風呂入ってから食うわ」
そう言って銀ちゃんがお風呂場へ行ったから、あたしたちは三人でリビングのテーブルを囲んで銀ちゃんを待った。
雪みたいに白いクリームの上で真っ赤ないちごやラズベリーがきらきらしてる、綺麗に飾られたホールケーキ。その上に十四郎と晋助はグサグサと、
荒っぽくろうそくを突き刺していった。最初は「もっとそーっと刺してよ」って注意して
たんだけど、二人が妙に楽しそうにしてるから、なんだかおかしくなっちゃって。最後にはあたしも一緒に刺しながらけらけら笑った。
たぶん銀ちゃんなら判ってくれるんじゃないかな。ろうそくをめちゃくちゃに刺したせいでデコレーションが崩れちゃった
バースデーケーキは、素直に「銀ちゃんおめでとう」って言えなくなっちゃった二人からの、ちっとも素直じゃない「おめでとう」だ。
缶ビールを持って戻ってきたお風呂上がりの銀ちゃんは、驚いた顔してあたしたちを見ていた。
二人がここに揃って待ってるとは思ってなかったみたいだ。それまでは崩れたケーキを挟んであーだこーだ言い合ってた二人は、
濡れてへなっとした髪にタオルを被った姿がすぐ後ろに立ったとたん、揃って壁のほうへそっぽを向いた。
変なところで必ずシンクロしちゃう二人を物珍しげに眺め回した銀ちゃんは、パーカーのポケットから、
どこかのお店で貰ったピンクの百円ライターを出して。なんだかくすぐったそうな表情で笑いながら、
色とりどりの細いろうそくに火を灯した。
「 フラグメンタルプール *4 ラウンドアラウンド 」 text by riliri Caramelization 2011/10/10/
ちょっと幸せだったらいいなと思って年に一度のデレ日。 Happy Happy Birthday !! ×××
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