「や、・・・あ、ゃ、きゃ、・・・・っやだ、あぁんっ、やぁあ、待って、・・・っ、銀ちゃん!」
「あ、っ、駄目だって、こっちもぉ限界。溜まってんだから、・・・って、ほらぁ今度は遅せえし!」


またここだ。もう何度つまづいたんだろう。思い出したくないくらいつまづいたよ。
決まってここが大きくなっちゃうんだよね、えいえいえい、消えろ、このこのこのっっ。

「あ、きた、やっ、そこ、入っちゃ・・・・・あぁっ、だめぇ!」
「って違う違う、いーから一回貸せって。いやいやさあ。ほんっとお前センスねーわ。それはねーわそれは。マジで下手な!?」
「あーっ、やだぁぁ。最後までやるのぉ、貸してえぇ」

あたしと銀ちゃん、四本の手が奪い合ってがっちり押さえこんでるのはあたしのゲーム機。 入ってるソフトは男子向けの恋愛ゲーム、いわゆるギャルゲだ。だけど今、 この画面に出ているのはパステルカラーのキューブが画面上からポツポツ落ちてきて、色が揃うとしゃぼん玉みたいに ぱちんと割れて消えるアレ。 このミニゲームで勝つとお約束の最終イベント「告白シーン」が始まるらしいんだけど、これが鬼。 ギャルゲのお遊びと思って鼻唄歌いながらポチポチやって思いきりなめてかかったら何度やっても勝てなくて、 十二時過ぎまで頑張ってもどうにもならなくて、こういうのが得意な銀ちゃんに泣きついてみた。 自分の部屋でテストの採点してた銀ちゃんは、最初は椅子から「あ、それ遅い。そっちじゃなくてこっちに合わせんの、そーそー」なんて 教えてくれてたのに、今はあたしの真後ろにいる。いつのまにか床に座って、体育座りになってるあたしを 後ろから覗き込んでいた。だらーっと伸ばしたジャージの脚。裸足の脚に横から囲われてる。 腕はあたしをゲーム機ごと抱え込んで、後ろを振り返ると、珍しく真剣になった目が瞬きも忘れて画面を見つめていた。 背中がぽかぽかしてあったかい。冷房効き過ぎなところにパジャマ替わりのTシャツとショートパンツで来ちゃったから、 銀ちゃんの身体が風避けになってちょうどいいかんじだ。

「ねー。銀ちゃん」
「んー?」
「採点終わったの?」
「あー。終わったね。坂田先生意外と仕事早いから」
「えー。マジで」
「んー。マジでマジで」

マジでマジでマジで〜、とすごく適当で間の抜けたメロディーをつけて銀ちゃんが繰り返す。歌っていても喋っていても、画面から目が離れない。 ほんとかな。銀ちゃんは嘘をつくのが上手いから、こうして近くから表情を確かめてもわからない。でもなんだか嬉しいな。銀ちゃんの体温が懐かしい。 昔はよくこーやって抱っこしてもらってテレビ見てたよね。頭を撫でてもらえるのが気持ち良くって、膝の上でそのまま眠っちゃったこともあったっけ。



「・・・・・・・・・・・まっっ。・・・紛らわしい声出しやがってぇええええ・・・!」

後ろから、喉に張り付いたのを無理矢理剥がしたような、聞いた人に呪いがかけられてしまいそうな怨念たっぷりの声がした。 二人一緒に振り返ると、開けっ放しのドアのところに十四郎が立っていた。 手にはシャーペンをがっちり握り締めている。もう片手には予備校の問題集。そっか真面目に受験勉強してるんだ。大変だねえ、なんて同じく受験生のあたしはまるっきり他人事みたいに思った。

「なんだ、十四郎も起きてたんだ。部屋から出てこないからもう寝たんだと思ってたよー」

・・・・・?どうしたんだろう。
十四郎が動かない。頭から足先まで固まらせて呆然とつっ立ってる。なんだか彫刻像みたいだ。 顔が青ざめた十四郎くんの像、1/1等身大サイズ。

「どしたの十四郎。寝惚けてるの?それとも金縛り?」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ。あ、・・・」
「あ?」

なに、「あ」って。アンパンマン?アンビリーバボー?安政の大獄?
アンジェラ・アキでもアイルー村でもアルゴリズム体操でも何でもいいけど、いま忙しいから後にして。
すると十四郎はすううーっと肺まで息を吸い込んでタメにタメてから、

・・・・・ぁあああにをイチャこいてんだコルァァァ!!!!
「っっ!」

びくうううっ、と肩が跳ね上がるくらい驚いて、それからゲーム機に目を落とす。
あぁぁ!御近所迷惑な騒音レベルの怒鳴り声のせいで、指が違うボタン押しちゃった・・・!

「・・・!ちょっ!真奈ちゃん行っちゃったじゃんんん!びっくりさせるからぁ!!!」
「あー残念、しくったねえ。はい戻れー。さっきのセーブからもっかいなー」

ズレた眼鏡から半笑いの目で画面を眺めた銀ちゃんの手が、ぽんぽんとあたしの頭を叩く。 ほんとに残念。ピンクのショートヘアが可愛いあたしの二次元彼女=真奈ちゃんは、彼氏の胸に飛びこめなかった。 かわりに銀ちゃんの部屋には、血相変えた十四郎が問題集を投げ捨てて飛びこんできました。来るなバカ。なんか顔怖いし。





フラグメンタルプール  *2  セーブポイント





ゲームは大好き。特に女の子向けの学園恋愛シュミレーションもの、いわゆる乙女なゲームがすき。 恋人いない歴17年で負け組女子高生のあたしだけど、ゲームの中なら恋人作り放題なのだ。 うれしはずかしキャッキャウフフなハイスクールラブライフなのだ。 いつもは乙女ゲーが専門でギャルゲに手を出したことはないんだけど、これは同じクラスの河上くんが貸してくれた。 河上くんいわく「女子にもおすすめでござる」らしいのだ。女の子が男子になったつもりでやっても 「何度かプレイすると、にも男の心理が理解しやすくなるはずでござる」らしいのだ。 そういえば、発売二週間後の新作ゲームを快く貸してもらったお礼にと思って、購買で一番人気の焼きそばパンを進呈しようとしたら 「いや、お礼は無用。これも晋助のためでござるからな」なんて校則違反のサングラスのフレームをきゅっと上げて、涼しい笑顔で返された。
それを隣の席で聞いてた晋助はあのきつい猫目で河上くんを睨みつけて、机の下から河上くんのキリンみたいな長い脚にガンガン蹴りを入れていた。 それでも河上くんは楽しそうに謎の微笑みを浮かべていた。本当にあの二人って仲良しだ。本当に河上くんって晋助LOVEだ。 一年二年の晋助のファンの子たちの間には「高杉先輩は河上先輩の嫁」説が流れてるらしいけど、 これじゃ疑惑が生まれても仕方ないよねと思っちゃうくらいの愛され方だ。 でも、つまり河上くんは何が言いたかったんだろう。 奥が深すぎて時々わからないよ、クラス一秀才なクール系イケメンくんの発言は。

「離れろ!生徒と教師でなにやってんだ、エロゲじゃあるめーし!」
「違うよぉ。これエロゲじゃないよギャルゲだよ」
「そっちじゃねえ!てめーらのその際どい体勢がエロゲ化してんだよ!!!」
「ぁに言ってんのお前。今どきの教師もんのエロゲはこんな程度じゃすまねーよ、知らねーの?どんなアレか見せてやろーか?」

こーやってよー、こーいうかんじでぇ、とあたしの身体をモデルに使ったエロゲ的ポージング指導が始まる。 実践教育が銀ちゃんのモットーだ。 教えてくれるのはHな本やDVDの上手な隠し方とか校内でこっそりいけないことをしているカップルの見つけ方とか、変なセクハラ実践指導ばっかりだけど。
背中にくっついた銀ちゃんがあたしの肩に顎を乗せてくる。ざわざわ、と白い天パの髪が首筋をかすめてくすぐる。 お腹のところに腕が捲きついてきたら、胸がどきんと弾んで。 我慢してうつむいたら息苦しくなった。頬がぽうっと赤くなる。でも銀ちゃんはなにも気づいてないみたいだ。 プルプル震わせた握り拳でシャーペンを折りそうになってる十四郎を、可笑しそうに見上げていた。
「ほらどーよ、こーゆーのとかよくね?」
なんて言いながら伸びてきた銀ちゃんの指が、あたしの顎を軽く上向きに持ち上げた。 指先がすーっと動いて、軽いタッチで喉を撫でた。くすぐったい。思わず「ひゃぁ」と変な声が出て、行儀悪く開いていた太腿を びたっと閉じる。背筋が跳ねて肩がびくんと竦んだ。 それを見ていた十四郎はなぜかたじろいで、よろよろっと後ずさった。青かった顔がなぜかかあーっと、熱湯で茹でられたみたいな真っ赤に変わっていく。
・・・わかんない。青くなったり赤くなったり、あんた大丈夫なの。熱でもあるんじゃないの十四郎。 てゆうかこれ、・・・別に銀ちゃんの悪ふざけには慣れてるし、何されても嫌じゃないけど、・・・何の意味があるのこれ。
銀ちゃんとあたしを睨みつけていた十四郎は、いからせた肩をわなわな震えさせ始めた。 ほんとに十四郎ったら冗談が通じない。そうだ、真奈ちゃん攻略が終わったら、このゲーム貸してあげようかな。 勉強の合間にキャッキャウフフな可愛い二次元彼女たちと楽しく遊んだら、きっとあの気難しい石頭だってすこしは柔らかくなるよ。 と思って「ねえ十四郎」と笑顔で切り出そうとしたらシャーペンが飛んできた。危ないなぁ、もう。

お前もう帰れ。これの攻略は明日教えてやるから!」
「無理。この子ってこのゲームの中じゃ二番目に難易度高いんだよ。だいたい十四郎は格ゲー専門じゃん。 落ちる消える系は銀ちゃんの得意分野だよ。拙者の腕でも勝てなかった、ってこの間河上くんが敗北宣言してたもん」
「誰が俺が教えるっつった。明日山崎貸してやっから。あいつぁこの手のゲームにかけては神呼ばわりされてっから!」
「おま、うっさいから出てけって。つかお前さ、何で入ってきたの。俺の部屋入ったら足腐るとか言ってなかったっけ。 おっさん菌で足の裏にカビ生えるとか言ってなかったっけ。うーわぁやべーよお前、もう冒されてんじゃねーのカビ菌に」
「うーわやだぁ、きったなぁい。十四郎エンガチョきったー」
「お前が言うな!おっさん菌まみれのきたねー部屋でおっさんとイチャこいてはしゃいでんのぁ誰だ! おら、来いって!いま何時だと思ってんだ、家に帰れ!」
「えーっ、やだよ今来たばっかだし。あたしは銀ちゃんと遊びにきたの。なのになんで十四郎に帰れとか言われなきゃいけないの。 そんなに嫌なら十四郎が出ていけば」

出・て・け、出・て・け、と伸ばした足で床を鳴らす。ドン・ドン・ドン。唇噛んで黙り込んだ十四郎を睨みつけて、ふーっ、と毛並みを逆立てた猫みたいに威嚇した。
ほんとにかんじ悪いなぁもう。今日の帰り道でも変なこと言って怒ってたけど、十四郎ったら何がそんなに気に入らないの。なんでそこまで怒るの。 そんなにあたしが来るのが気に入らないなら、あたしが真奈ちゃん攻略するまでうちのリビングでお母さんと お茶飲んでテレビ見てればいいじゃん。 まだきらきらアフロ見てるよお母さん。十四郎が行ったらあたしが行くより喜ぶのに、うちのお母さん。 十四郎のこと大好きだもんお母さん。まあ、銀ちゃんのことは十四郎の倍くらい好きみたいだけど。

「そーだ出てけよ。ここ俺んちだぞ」
「半分俺んちだ。家賃も均等に半々じゃねえか」
「あぁ?稼ぎのねえガキが言ってんじゃねーよ。半々ったってよー、払ってんのはお前の父ちゃん母ちゃんだからね」
「っせーな。春んなったらバイト探して自力で払うっつってんだろ。それまで黙って見逃せや、ド腐れ教師」

あたしの家の隣の部屋。同じマンションの同じ部屋で、二人が一緒に住むようになってから二年になる。 二人が従兄弟なのも同居してることも、学校では先生たちとここに遊びにくる十四郎の友達くらいしか知らない。 3Zで知ってるのは近藤くんと沖田くんと、あとは山崎くんくらいかな。銀ちゃんは何も気にしないけど、十四郎は死んでも 担任の坂田先生と一緒に住んでるとは言いたがらないらしい。 「クラスでその話になると睨まれるんだよねぇ。俺絶対言わないのにぃぃ」と先週学食で会ったとき、山崎くんはうどんを啜りながら嘆いてた。

銀ちゃんのお家はここから遠い。電車を二回乗り継いでもっと先だから、うちの高校に赴任が決まったときにあたしの家の隣に引っ越してきた。 でも、十四郎のお家はここから歩いて五分の場所にある。十四郎以外の家族はみんな一緒に住んでいる。 それがどうして高校生の息子を従兄弟の銀ちゃんと住ませているのか、・・・っていう 土方さんちの家庭の事情は、まとめてみるとこんなかんじになるかもしれない。
『末っ子長男の土方十四郎くんにはお姉さんが三人いる。十四郎くんが高校に入った年に一番上のお姉さんが結婚、旦那さんが十四郎くんの 家族と同居することになったため、土方さんのお家は部屋数が足りなくなってしまった。 こうして思春期真っ只中の末っ子長男はお家を追い出され、従兄弟でもあり通っている学校の先生でもある坂田銀八先生と、 実家の近所にあるマンションで男二人の同居生活を送ることになりましたとさ。 おしまいおしまい、めでたしめでたし。』
・・・なんて言わない。言ったらあのシャーペン頭に刺されるから。
でもさ。実はあの時、ちょっと十四郎のことを見直したんだよね。こいつ偉いじゃん、って。 家なき子になっちゃった十四郎は引っ越しの荷作りや手続きを面倒がってはいたけれど、自分が家を出なくちゃいけない理由に対しては 一言も不平を口にしなかった。 十四郎の中では、高校入った途端にお家を出なきゃいけなかった不自由さより、お姉さんの幸せを喜ぶ気持ちのほうが勝ってたみたい。 こういう家族思いなところは十四郎のいいところ、かな。大学に入ったら学費以外は自分で払うって今から決めてるあたりも、 自立心が強いっていうか、男らしくていいかなぁって思うし、素直に感心したりもするんだけど。
こしょこしょこしょ。銀ちゃんの耳に顔を寄せて、ひそひそ声で耳打ちする。

「銀ちゃん銀ちゃん。なぁにあのえらそーな態度。稼ぎもないのに大人ぶっちゃってさ。かわいくないよね十四郎のくせに」
「だよなーかわいくねーよなー。十四郎のくせに」
「おいそこ。全部聞こえてんだよ。つか、死んでもてめえらにかわいいとか言われたかねーよ」
「「十四郎くんかーわーうぃーいぃーーーー」」
「死ね、てめーら死ね。声揃えんな棒読みで言うな!!」

だん、だん、だんっ、と床を踏み鳴らして十四郎が近づいてくる。いきなり二の腕が掴まれて、 ぐいっと身体ごと引っ張り上げられそうになった。
――うわ、ちょっ、痛い!力一杯握るな十四郎のバカ力っ。なにするの、17年間一度も鍛えたことがない、 赤ちゃんのほっぺ並みにふよふよで無防備なあたしの二の腕に!

「ちょっ、十四郎っ、痛いぃ」
「来いって!」
「土方ぁ」

だるそうな声に呼ばれて十四郎の腕が止まる。じろりと尖った目つきで銀ちゃんを睨んだ。 銀ちゃんはいつも、学校でも家でも「土方」呼びだ。そう呼ばないと十四郎が返事をしなくなったからだ。 あたしの手から離れたゲーム機が、ぽろりと銀ちゃんの太腿に落ちた。

「・・・んだよ」
「お前俺の買い置きダッツ食っただろ」
「食ってねえ。食ったのはこいつだ」
「・・・!なにそれ。あれは十四郎が食べに来いって言ったんじゃん」
「言った。はゴネたら食い物与えるのが手っ取り早えぇからな」
「っっ。人をお手軽女みたいに言わないでよ」
「お手軽じゃねえか合ってるじゃねーか。何も間違っちゃいねーだろーが」
「土方ぁ。買ってきてダッツ。俺が二個とのぶんで三個な。あとすいかバー」

ちゃりちゃりん、とジャージの腰ポケットを探って、銀ちゃんは十四郎にお金を突き出した。ぐちゃっと潰れた四つ折りの千円札と小銭が少し。 あたしの腕を掴んだままの十四郎の手に、とん、とその手をぶつける。十四郎はどう見ても受け取る気のなさそうな苛立った顔をしてる。 腕が上がったままのあたしを歯痒そうに睨んで、 下がりかけた眼鏡の向こうにある目を眩しげに細めた、いつ見ても何を考えているのかわからない銀ちゃんの薄笑いを、 今にも噛みつきそうな顔で睨んで。食い縛っていた口を、嫌そうに重たげに開いた。

「・・・・・・・・・。てめーが行けよ」
「ぁに言ってんの。アイス食わせたのお前だろぉ?お前が買ってこいや。俺と遊ぶし。忙しいし。 ほらほら、邪魔しねーでコンビニ行ってこいって」

銀ちゃんが、とん、ともう一度十四郎の手を叩く。丸まっていた背筋をすっと伸ばして、中腰になっている十四郎に顔を寄せて迫った。 嫌がった十四郎は肩を引こうとしたけれど、そこへ銀ちゃんの人差し指が伸びてきて、Tシャツの襟のところをくいっと引っ掛けた。 襟首のゴムが伸びきっちゃいそうなくらい引っ張られて、十四郎が微妙に眉間を強張らせる。
あ。これ。珍しい。
思わず目を丸くしてあたしは見入った。 こんなに近い距離まで寄った二人をみるのは、もしかしたら小学校以来かもしれない。 銀ちゃんがゆっくりと口端を上げて、かすかに笑う。眼鏡の奥から十四郎の考えを見透かしているような、イラついてる十四郎を 無言で焦らしているような意地の悪い笑い方だ。

「それともなにお前。俺の邪魔してーの。え、なんで?」
「・・・・・・・・・っ」

さあっと目の色を変えて、十四郎は憎たらしげな目つきで銀ちゃんを睨みつけた。ばっ、と大きく腕を振ってお金を奪い取る。 走り出しそうな勢いで部屋を出ていった。夜中に絶対出しちゃいけない騒がしい音が、廊下をドスドス踏み鳴らす。 ほんの数秒後に、バン、とドアが荒々しく閉まって、十四郎の気配がなくなった。

「あ。」
「え?」
「しくったぁ。どーせパシらせんならタバコも頼めばよかったわ」

眉を八の字に下げた銀ちゃんが心底残念そうにつぶやく。あたしの肩に顎を乗っけた姿勢で、いつのまにかゲーム再開していた。 ・・・銀ちゃん。生徒にタバコを買わせようとする高校教師なんて、日本中探しても銀ちゃんだけだよ。
睫毛をちょっと伏せた、何をしていてもなんとなくとぼけて見える眠たそうな目は、今は画面に釘付けだ。 日本人の髪には見えないふわふわの癖っ毛は、・・・洗いっ放しのままなのかな。頭のてっぺんのところがリスとかうさぎの尻尾みたいにぽよんと跳ねている。 この部屋の黄色っぽい照明の下では、銀ちゃんの髪は思いきり脱色したプラチナブロンドみたいに見える。暗い場所では薄い灰色。 お日さまの光が当たるときらきらの銀色に変わる。どんなに上手な美容師さんが染めても再現できなさそうな不思議色だ。
銀ちゃんの頭に手を伸ばして、耳の横で跳ねてる毛先を摘んでくいっと引っ張る。どうして銀ちゃんだけこんな色なのかな。 銀ちゃんパパも銀ちゃんママも真っ黒なのに。

「あ。」
「え?」
「どーせパシらせんならついでにTSUTAYAの返却も行かせりゃよかったわ」

・・・銀ちゃん。それを聞いたら十四郎は間違いなくキレるよ。
ピコピコ、ピコン。ピコピコン。チェリーピンクのゲーム機からは小さな音が漏れている。 ひょこっと顔を近づけて覗き込むと、画面の中のカラフルなキューブはパチパチと花火みたいに弾けまくっていた。
うわぁすごい。さすが銀ちゃん、器用だなぁ。指の動きが河上くんよりも速くてなめらか。ボタンを連打する指を眺めながら不思議になった。 どうしてだろ。河上くんのほうが手は大きいはずなんだけど。あたしには銀ちゃんの手のほうが、大きくて頼りがいがありそうな手に見える。
十四郎の手だってこれくらいの大きさだけど、十四郎よりしっかりした手に見える。なんでかな。銀ちゃんが大人だからなのかな。 あ、ちょっと煙草の匂いがする。机の灰皿には吸殻入ってなかったけど。・・・煙草の匂いがするから大人っぽく感じるのかな。
画面よりも銀ちゃんの手に視線をじーっと集めながら、ぼんやり考え続けた。考えているうちに、さっきの十四郎の顔がなんとなく浮かぶ。

ちゃーん。そんなに覗き込むと先生画面が見えねーんだけどー」
「ねー銀ちゃん。十四郎ってさ。なんかおかしいよね最近。たまに怒り方がハンパなくおかしいよね」
「んー。まーな。俺には五年くれー前からハンパなくおかしく当たってくるけどな」

ぼそぼそっとどうでもよさそうに答えて、ひょいっとゲームを持ち上げた。ああ、そんなに高くされたらあたし見えないのに。
・・・五年前。そっか。そんなになるんだ。十四郎の銀ちゃん限定反抗期が始まってからもう五年。 本当のお兄ちゃんみたいに懐いて大好きだった銀ちゃんへの態度を、十四郎が突然ころっと変えた頃。あたしたちが中学に入った頃だ。 それまでは、あたしたちは銀ちゃんを取り合うライバルみたいな関係だった。それが今ではライバル脱落、学校ではここまで 仲良くできないけれど(銀ちゃんは気にしないだろうけどあたしは怖くてできない。今だって猿飛さんの目が怖いし、 バレンタインに持って帰ってきたチョコの数からみても、隠れ銀ちゃんファンは結構多そうなんだもん) 、家に帰ればあたしは銀ちゃんを 堂々独り占めできるようになった。邪魔者なしライバルなしの独占状態。たまにからかい半分で邪魔してくるのはうちのお母さんくらいだ。 でも、もし十四郎があのまま変わらず銀ちゃんっ子だったら、今頃三人でアイスを買いに コンビニまで行っていたのかもしれない。あたしたちは銀ちゃんを挟んで「お前来んなよ」「あんたが帰れば」なんて言い合って 揉めていたのかもしれない。
たまに思う。それでもよかったのにな、って。だって、それはそれで楽しかったんじゃないのかな。
二人が一緒に住んでいる今はまだいいけれど、二人がこれ以上険悪になって離れていくのは、あたしだってかなしい。 前のように仲よくしてほしい、なんて言わない。銀ちゃんと十四郎の間に何があったのかもあたしにはわからないし、 二人ともこの長いケンカの理由を話してくれないから、たぶんそれはあたしが口を挟まないほうがいいことなんだと思う。 ただ、そんな二人を見ているのはなんとなくさびしい気がする。 二人の仲が良くないと、小さい頃に三人で作った、沢山ある楽しい思い出まで薄れてしまいそうだ。


「ほい、上がりぃ」
「・・・・・・・、えっ」
「終わりー。銀ちゃんの勝ちー」
「!?うそっっ。もう勝っちゃったの!?」
「勝ったねぇ。まあ俺に消せねーモンなんてねーからね。んぁー、ここだっけ。…セーブセーブ、とォ」

目の前に被せられたゲームの画面を、まじまじと目を剥いて見つめる。 ピンクのショートヘアで水泳部エースのスク水姿の女の子が、学校のプールをバックにしてはにかみ顔を赤らめながら画面中央で微笑んでいる。
そんな。真奈ちゃんが落とされちゃった。あたしの真奈ちゃんが銀ちゃんに攻略されちゃった。 いや、銀ちゃんじゃないけど。まだエンディングまでいってないし、ミニゲーム手前まで辛抱強くこつこつ頑張って 体育祭とか文化祭とかお約束なイベントをいっぱいこなしてやっと仲良くなったのは、銀ちゃんじゃなくてあたしなんだけど。 なんなんだろうこのもやっとした不満さは。なんだか銀ちゃんに好きな子を奪われたような気分だ。 しかも銀ちゃんが一人でピコピコ押し始めてからまだ一分くらいしか経ってないよ?あたしなんてこのピコピコに四時間も負けっ放しだったのに!!

「〜〜〜〜真奈ちゃんがあぁ。キャッキャウフフで可愛いあたしの真奈ちゃんが、 セクハラ不良教師の坂田先生に汚されちゃったあぁ・・・!!」
「なんで泣きべそかいてんの。いやいや、これで真奈ちゃん攻略できんだろもっと喜べって。な?ほら、後は一人でやっとけよー」
「え。いいの?せっかく勝ったのに見ないのエンディング。いらないの、最後のお楽しみ」
「えっ。これってエンディング後にエロい画像とか出てくんの?水着脱いでアレしたりコレしたりしてくれんの」
「・・・先生不潔です。そういうやらしいお楽しみをあたしの真奈ちゃんに求めないで」
「ぁんだよ期待させんなよ。今、マジで一瞬期待したわ俺」

ほい、と押しつけられたゲームが手の中に収まった。
おかえりあたしの真奈ちゃん。告白はあとで二人きりになった時に聞かせてね。 二人きりの楽しいハイスクールラブライフを送ろうね。
画面で微笑む女の子に心の声で語りかけて、ピコピコ押して電源を切る。

「ま、いーけど。今日はいいご褒美貰ったし」
「・・・?」

後ろで銀ちゃんの腰がもぞもぞ動く。 脚が胡坐を組んで、いつもの白衣の上からじゃわからない、意外にがっちりした腕がお腹にするりと回ってきた。 ずるっと引っ張られたあたしは脚の上に乗せられた。・・・あったかくて硬い座椅子みたい。

「ねえ。銀ちゃん」
「んー」
「ご褒美って?」
「あー。・・・・・そりゃーアレだわ。まあそのほら」

こーいうこと。
そう言って、銀ちゃんがあたしのお腹を抱き締めた。引き寄せられて、背中がぴたっと隙間なく銀ちゃんにくっつく。 こういうこと?・・・こういうことって。どーいうこと? 不思議になって後ろを向くと、ほんの鼻先に銀ちゃんの顔があった。 銀ちゃんにしか見えない何かをあたしの目の中に探しているような目で、じーっとあたしを見つめてる。 ゲーム画面を見つめたときの真剣な表情には及ばないけど、やる気をどこかに置き忘れてきちゃったような顔がデフォルトな 銀ちゃんにしては、それなりに真面目な顔だった。

「・・・・・・そっか。やっぱそーか」

・・・・・・?
今、何かを確かめられた気がするんだけど。やっぱそーかって、なにが「やっぱ」なんだろう。

「なに、はさ。全然わかんねーの」
「うん。全然わかんない」

正直にこくんと頷いた。するとなぜか銀ちゃんの眉間が曇って、ちょっと困ったような苦笑いに変わった。

「ねー、だから何が?」
「ふーん。わかんねんだ。そっかぁ、・・・・・・」

笑い混じりの低めた声。何か考えながら喋っているようなその声は少しずつ小さくなっていって、中途半端に途切れて終わった。 あたしのお腹を抱えた腕が動く。回された手が両肩に置かれて、それぞれの肩口をきゅっと握ってくる。 肩に乗っている銀ちゃんの顔が向きを変える。お互いの髪の毛が擦れ合うかんじが、ざわざわと後ろ頭に伝わってきた。 黙ったままでいた銀ちゃんは、急に、はぁ、と短くてもどかしそうな溜め息をついた。 口から吐き出された強い吐息が直にうなじに当たる。生温いのにどこか鋭い感触に驚いて肩が跳ね上がって、ひゃあ、とまた変な声が出た。
うわぁなにこれ。くっつきすぎだよ。くすぐったいよ。なんだかへんなかんじだよ、銀ちゃん。

「・・・んぁー。惜しいよなぁ。邪魔者もいねーのになぁ。・・・やっぱ、ギリギリここまでだよなぁ」

がいいなら話は別だけど。
さっきの吐息と同じくらいに声を潜めた銀ちゃんは、なぜか残念そうに付け足した。
よりいっそうわからなくなった。あたしが?何が?何がギリギリなの?・・・てゆうかこれは何の話?
後ろを向いて訊き返したいけれど、なんとなく訊ける雰囲気じゃない。肩に巻きついた硬い腕で、動きをがちっと封じられてるし。
なんだか椅子に縛りつけられてるみたい。がくんとうつむいた銀ちゃんの、おでこと眼鏡が肩にグリグリ押しつけられる。・・・よく動くよねこの座椅子。 座椅子じゃなくてマッサージチェアだったのかな。

。あのさー」
「・・・うん?」
「俺大人だし。一応教師だしな。 高校生と違っていろいろあんの、それなりのモラル持った大人としては無視できねー制約が」
「・・・・・・・?」
「向こうはまだ余裕ねーから気づいてねーみてーだけどー。・・・ガキの頃は同じ年だってだけで、 最高の強味になるんだよなぁ。今は圧倒的にあっちのほうがステージ上じゃね? だからこっちもやれるだけ牽制しとかねーとっつーか。そうなるとさあ。やっちゃうわけよ、嫌がらせとか時間稼ぎとか。俺も大人気ねーなぁとは思いつつもさぁ」

まあ、俺にとっちゃあいつもかわいいんだけどよ。と違って、もぉ昔みてーにかわいがらせてくんねーじゃん?
ぶつぶつと面白くなさそうに銀ちゃんが言う。何を話しても冗談なのか本気なのか嘘なのか、 話してる本人以外はわからないような喋り方をする銀ちゃんだけど、今のはわかった。はっきり感情が籠ってた。 本気で面白くないみたいだ。

「でもさー。卒業したら全力出すからねぇ銀ちゃんも。・・・ははっ。かわいそーだなぁあいつ」
「・・・全力って。・・・・・・・・銀ちゃん。これ、何の話?」
「ん?あー。あれだわ。の知らねーゲームの話」

そう言って、あたしの肩におでこを押しつけてクスクス笑って。ああ、と思い出したように付け足した。

「それからぁ、これな。これからうち来るときは、もっと長げーの履いてきて」

これ、とあたしのショートパンツの端っこを摘んでくいくい引っ張る。
って銀ちゃん、引っ張りすぎ。これウエストゴムの楽ちんぱんつなんだから。そんなに引っ張ったら脱げちゃうよ。 下着が見える寸前まで下がったお腹のゴムをあわてて抑えながら、ぺちん、と銀ちゃんの手をひっぱたいた。

「やめて、脱げる!」
「いくら隣だからってよー、お前、これは油断しすぎだろ。こんなあっとゆーまに脱がされちまうよーなもん履いて、野郎ん家にくるんじゃありません」
「えー、だって、・・・隣なんだからいーじゃん、ショーパンでも。長いの履くと暑いんだもん」
「駄目だって。いくら隣でもドア開けて通路に出たら誰に見られるかわかんねーだろー」
「こんな時間に誰も通らないよ。見るのは十四郎と銀ちゃんだけだよ。それでも履くの?」
「そ。俺ら以外誰も見てなくてもちゃんと履くこと。受験生を無駄に興奮させねーためにもな。わかった?はい、わかったら返事ー」
「・・・・・・・?」

首を傾げながら「はぁい」と答えると、銀ちゃんはふっと目を細めた。 柔らかい手つきで、よくできました、と頭を撫でた。小さかった頃にあたしがいいことをすると必ずしてくれたご褒美と同じだ。
・・・あたしだって高校生だよ。もう撫でてもらって嬉しがるほど子供じゃないよ。
そう言いたいような気もするけれど、頭に触れている手が気持ちいい。
撫でられるたびに銀ちゃんの手の重みで頭がゆらゆら揺れる。肩や背中までとろんと緩んでくる。このまま撫でられ続けたら眠っちゃいそうだ。 小さい頃から一緒にいるせいなのかな。隣に銀ちゃんがいるだけで、あたしの身体はほっとするように出来てるみたいだ。

「つーかさあ。なんでギャルゲやってんの」
「河上くんが。・・・よくわかんないけど、おすすめなんだって。こういうのやると、男の子の心理がわかるようになるんだって」
「ふーん。なに。もそろそろわかりたくなってきたんだ。知りてーとか思うんだ、男の気持ちを」
「・・・・・。別に。そういうんじゃないけど」

なんとなく頬が熱くなってきた。脚を抱えて身体を竦めた。こうしてると子供の頃に戻ったみたい。 身体が小さくなる薬を飲んだアリスみたいにすーっと縮んで、銀ちゃんの膝にちょこんと収まっているみたいで安心する。 なのに変だ。どうして銀ちゃんが喋るたびに身体に伝う声の響きを、こんなに気にしてしまうんだろう。そこが気になり始めると、 背中や脚に当たる温かさも、お腹に回された腕の感触も、懐かしいのにへんなかんじに思えてきた。胸の奥がどきどきと騒ぎ始める。 大人しく抱っこされているのが大変になってくるくらいにそわそわする。 挙動不審だし顔は赤くなってきたし、きっと今のあたしはものすごく変な子に見えてるはずだ。せめてこの腕だけでも放してくれないかな、銀ちゃん。 だけどここで銀ちゃんに「放して」って頼むのもなんだかおかしい気がする。落ち着かなさを紛らわすためにゲームのスイッチを入れた。 やる気もないのに始まってしまった画面を見つめるふりをして、深くうつむいて顔を隠す。
最後にセーブしたのはどこだっけ。思い出せなくて手が止まる。ああ、どうか銀ちゃんが、こんな不自然なあたしに気づきませんように。




久しぶりだった銀ちゃんの抱っこは、ゼェゼェ息を切らした十四郎が帰ってくるまで続いた。

どうしてそこまで急ぎたかったのかはわからない。だけど十四郎は、コンビニから全力疾走で戻ってきたみたいだ。 しかも帰ってきた途端に突然キレた。「ぁぁにやってんだこの淫行教師ぃぃ!」と大音量で的外れな勘違いを深夜のマンションに撒き散らして、それだけじゃ気が済まなかったのか コンビニの袋を銀ちゃんにぶつけたから、ハーゲンダッツのカップがゴロゴロ床に転がった。「おー、やけに早えーじゃん。ご苦労さぁん」と どこにもねぎらう気持ちの籠ってなさそうなしらっとした口調で言った銀ちゃんが、転がっていったアイスを拾いに立ち上がる。 ようやく膝の上から降ろされて、なぜかあたしはほっとした。






「 フラグメンタルプール *2 セーブポイント 」 text by riliri Caramelization 2010/12/06/
ギャルゲの理由を知ったとき せんせは心の中で「グッジョブ河上」もしくは「よけーな真似すんな河上」くらいにはつぶやいたかもしれない。


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