「ねぇねぇ起きてよー、万事屋さん。あのね、ちょっと依頼したいんですけど」
「・・・・・・んん〜〜〜・・・?あぁ〜〜・・・?・・・依頼ぃぃぃぃぃ・・・?」

新八くんに叩き起こされた午前10時過ぎからじきに夕方になろうかという現在までの間でソファから起き上がったのは洗面所で顔を洗ったときとトイレに行ったときと冷蔵庫からいちご牛乳を持ってきたときの3回だけ、っていうどーしようもないぐーたらダメ人間の見本みたいな過ごし方をしてた彼氏の前に、「これ見て」ってスマホをさっと掲げる。 お仕事がない日なのをいいことに一日中寝間着姿でだらだらしてた銀ちゃんは、顔を覆った少年ジャンプ今週号の影から片目だけを覗かせた。 きのう夜通し飲み歩いてたせいで瞼が腫れぼったくなってる半目が、たまに瞬きを打ちながらこっちをじとーっと眺めてる。 かと思えば、がばっ。でっかい手が目の前まで伸びてきて、ソファの足許に座り込んでたあたしをむぎゅっと両腕で羽交い絞めに。 ううぅ、重い。銀ちゃん重い。身体じゅうのどこを触ってもやたらと硬くて筋肉質な彼氏の重みで、こっちは床にめり込みそうだよ。 ちょっと声を掛けただけでしっぽをぶんぶん振りながら飛びついてきた大型犬に、全体重をずしっと預けてじゃれつかれてる気分だよ。 寝癖だらけのまっしろな髪とおでこをぐりぐり押しつけてくる顔は、幸せそうに緩みきってる。 むにむにむにむに、すりすりすりすり。 ほっぺたや鼻を人の胸に埋めて好き放題に擦りつけながら、

「わりーけど依頼は明日にしてくんない、お嬢さん。銀さん今日は臨時休業中だから。超ふわふわ抱き枕でHP回復中だから」
「銀ちゃんやめて、重い。うざい。それにお酒臭いよ、お風呂くらい入ってよ」
「えぇーめんどくせーよ、夜でいーじゃん夜で。けどまぁ、が洗ってくれんなら今入ってもいーけど。 このふわっふわしたやつに泡塗りたくって背中とか股間とか洗ってくれんならすぐ入るけどー」
「絶対やだ。ねぇ、それよりこれ見てよ」

いくら引っ張っても離れようとしない癖っ毛頭をべしっと叩いて、上の瞼と下の瞼が今にもくっついちゃいそうな寝惚け眼の高さに画面を合わせる。 ぽん、てアイコンをタップして、起動したアプリで動画を再生。 昨日から繰り返し見てるそれは、職場の先輩がおすすめしてくれた初心者向けネイル講座だ。 きれいにネイルを仕上げる方法や初心者でも出来るかんたんなアレンジ、便利なネイル用グッズの使い方なんかがわかりやすく解説されてるんだけど――


「これ見て練習したんだけど、いまいち上手くいかなくて。 むずかしいんだよね自分の指に線描くのって・・・どう、銀ちゃん。ここに載ってるやつとか、出来そう?」

お通ちゃんが笑顔でポーズを取ってるファッション雑誌もバッグから出して、ぱらぱら、ぱらっ。
ふせんで目印を付けておいた、この冬流行中のネイルデザイン特集を開く。 スマホを眺めながらのっそり起き上がった銀ちゃんの膝に乗せてみる。 ひととおり動画を見終わると雑誌を手に取った銀ちゃんは、まず最初に表紙のお通ちゃんをしげしげと眺めた。
「最近化粧がケバくなったよなぁ。またろくでもねー男にひっかかってんじゃねーの」
新八くんが聞いたら間違いなく激怒することをどうでもよさそうにつぶやくと、ふせんを付けたページまで戻ってネイル特集に目を通していく。 ときどきあくびを漏らしながら左右に視線を走らせて、ぱらり。ページを捲って適当に眺めて、また次のページを、ぱらり。 ぼりぼりぼり、ぼりぼり。寝間着が着崩れちゃってるせいですっかり肌蹴たお腹のあたりをむず痒そうに掻きながら、

「んぁー・・・ちまちましてっから時間かかりそーだけどこのくれーならまぁ、いけんだろ」
「えっ、出来るの?でもこれ、初心者向けの中でも難易度高めなやつなんだけど」
「おぅ、多分な。西郷のジジイんとこでも化粧したり爪塗ったり、おカマどもの見よう見まねでやってたし」
「銀ちゃん自分でやってたの?すごいよさすがだよパー子さん、ほんと頼りになるよー。あたしよりずっと女子力高いよ」
「まーな、銀さん器用だから。どれ貸してみな、パー子さんの女子力見せてやるわ」

寝間着姿の膝元から「心底感心してます」ってかんじの顔で覗き込んで、ちょっとおおげさなくらいに誉めちぎったからかな。 おだてられるとすぐに天狗になっちゃう銀ちゃんは、まんざらでもなさそうな顔してる。 いくら器用な人でも面倒くさく感じるはずのあたしのお願いを、文句も言わずにあっさり引き受けてくれた。
「よろしくお願いしまーす、パー子師匠」
ひょいと出された手のひらに、深々とお辞儀しながらポーチを乗せる。 家から持ってきたミントグリーンの大きめポーチ。 中には手持ちのネイルとグッズを全部詰め込んであるから、動画で見たような初心者向けネイルならこれで充分だと思うんだけど。 「おー、まかせろや」って得意そうに頷いたパー子師匠こと銀ちゃんは、受け取ったポーチのジッパーを開けてごそごそ中を探りはじめた。
ああ、よかった。家から万事屋へ着くまでの間に立てた作戦は、無事に成功したみたいだ。 銀ちゃんてあたしがちょっと誉めるだけで調子に乗っちゃってうざいから、普段は極力誉めないようにしてるんだけど ・・・こんな時だけは、銀ちゃんがこういう性格でよかったって思うよ。 お付き合い初心者のあたしにも扱いやすい、お調子者彼氏でよかったよ。

「で、どーすんの。ふせん貼ったとこと同じ模様にすんだろ。どの指にどれ塗んの」
「えぇと・・・新しい着物に合わせたいんだよね。ベースはこの色、かな」

白いお花のキャップが可愛いボトルを三本、ポーチの中から摘まみ出す。
つやつやした質感のネイビーと、ちょっとくすんだ淡いブルーと、アクセント用のゴールド。 それから、100円ショップで買えるキラキラしたネイル用スタッズに、白系と青系のネイル用押し花シール。それから、ええと――

「着物の柄に白入ってるから、薬指だけ白がいいかも」
「はいはい、薬指だけ白な。 他はこの色とこの色二度塗りしてー、爪の先に縁取りしてー」

内側のポケットから引き抜いたピンセットで、ひょいっ。
押し花シールの小さなパッケージを摘まみ上げてみせた銀ちゃんが、

「で、最後にこれな。こいつを雑誌の真似して貼ってきゃいいんだろ」
「うん、よろしくお願いしまーす。あ、そーだ、もひとつ頼んでもいい?」
「んー、なに」
「さっきの動画でやってたグラデーションって、銀ちゃん出来そう?アイシャドウのチップでぼかすやつ」
「あぁ、あれな。あれは普通に出来んじゃね」
「普通にって・・・動画見ただけなのに?やっぱりすごいよ銀ちゃん、ネイリストになれるんじゃないの」
「いやぁなれねーだろ、根気の要る細けー作業なんて向いてねーし」

こん、こん、こん。
目の前のテーブルを小さく鳴らしながら、銀ちゃんは三本のネイルとアレンジ用グッズを使う順に並べていく。 ポーチと雑誌をソファの右側にぽいっと放って、空いてる左側に視線を送る。ちろ、って寝惚け眼があたしに目配せしてきた。 ここに座れ、って言いたいみたい。 パー子師匠のご指示通りに隣に腰を下ろして手を出そうとしたら、銀ちゃんは何か思いついたみたいに目を丸くして「ん?」って唸る。 にやぁ、って何か悪いことを企んでるみたいな笑みに目を細めて、
「あー、待った。やっぱこっちな、こっちがいーわ」
がしっ。
帯の上からお腹に巻き付いてきた太い腕が、あたしを一瞬で抱え込む。 そのまま軽く持ち上げられて、「え?」って目を丸くしたときには、あたしの腰はソファの上をずるずるずるずる、あっというまに引きずられてた。 大きく開いた銀ちゃんの太腿の間にすとんと身体を収められたら、後ろからそろーっと伸びてきた腕に腰のくびれから太腿のあたりをやらしい手つきでなでなでされて、

「このほうが断然捗りそうじゃね。近けーほうがよく見えるし線引きやすいしー、どさくさ紛れに胸触れるし太腿とかケツとかやらけーし」
「前半はともかく後半がムカつくんだけど。ねぇ、ほんとに任せて大丈夫なの。銀ちゃんほんとにやる気あるの」
「あるある、あるって、ちゃんのおかげでモチベーションぐんと上がってっから任せとけってー。 んぁーそーだなぁお代は恋人価格っつーことでサービスしとくわ、ネイル一回につきえっち三回でどーよ」
「は?なにそのいかがわしい料金プラン」
「いやぁ別にいかがわしかねーだろぉ、うちはそこいらのぼったくりキャバと違って明朗会計が売りだからよー」
「どこが明朗なの、どこが。あやしすぎでしょこんなネイルサロン。どんだけお客を撫で回す気」

顎が着物の衿に触れるくらいに頭を下げて、思いっきり眉をひそめたあたしはじとーっと自分の脇腹あたりを睨む。 しれっと太腿まで撫で下ろしてたでっかい手は、いつのまにか上に昇ってきてる。 いつのまにか腰の横を通過しちゃって、今は脇腹なんかを、つーっ、って指先でなぞりながら這い上がってきてるんだけど。 このままいくと帯に到達しそうなんだけど。どう見ても終着点は帯の上あたり、つまりあたしの胸を狙ってるとしか思えないんだけど・・・?

「ちょっと、ネイルはどーしたのネイルは。依頼人にこんなことしていいと思ってんのセクハラ社長」
「ぇえー、いーじゃんちょっとくれー。いーじゃん触らせてくれたっ――っっいっっって!ぃぃい痛てぇって、ちょ!」

傍若無人なセクハラ社長をこらしめてやろうと、ぎゅぎゅっ、ぎゅーーーっ。
衿の合わせ目に指を差し込んできた手の甲を摘んで、勢いよく180度回転させる。 重たくて頑丈な銀ちゃんの太腿が、上に乗せてるあたしごと跳ね上がった。 ぎしいぃぃっ、って古びたソファが悲鳴を上げるのと同時で、真後ろから甲高くて情けない悲鳴が上がる。 じたばた暴れる銀ちゃんの腿が、上下にぐらぐら揺れまくる。あれっ、これって意外と楽しいかも。 まるで暴れ馬とか遊園地のアトラクションにでも乗ってるみたいだよ。

「あはは、なにこれ楽しーい。ねぇ銀ちゃんもっと動いてー、もっと激しくしてよー」
「いでっ、いででででっってちょっちゃんっっ、そーいうエロいおねだりは寝床の中でしてくんね!? 〜〜〜って、いでっやめっやめろってぇぇ千切れるっ、手の皮千切れるうぅぅ!」
「変な勘違いするなセクハラ業者。依頼主にセクハラする暇があるなら早くネイル塗ってよ」
「っっだよぉいいだろべつに減るもんじゃねーしっ、可愛い彼女がイチャイチャさせてくんねーと銀さんやる気が出ねーんだよぉぉぉっっていてっ痛てぇって放せって!」
「だめですー、銀ちゃんがやらしいことばっかりするからお仕置きですー。この前も言ったでしょ、万事屋のお茶の間ではいちゃいちゃ禁止なの。 てゆうかばっかじゃないのダメにきまってるでしょっ、台所に新八くんいるのに・・・――って、うゎ、っっちょ、ぎっ、銀ちゃ!?・・・ぁんっ!」

セクハラ社長に悲鳴を上げさせていい気分になってたのも束の間、今度はあたしが悲鳴を上げさせられてしまった。 銀ちゃんが逆襲に出たせいだ。 手の甲を摘んでた女の子の指を猛然と振り払った化け物レベルで怪力な彼氏は、ほんの一瞬で襲いかかってきた。 後ろからがばっと抱きつくと横から顔をくっつけてきて、人の耳たぶにがりっと強めに齧りつく。 どこか甘いその痛みにぞくぞくしたあたしが自分でもびっくりするような甲高い声で叫んだら、ふ、って吐息みたいな笑い声が響いて。 頭の中まで溶かしちゃいそうな吐息の熱が耳の奥まで流れ込んでくるからまたぞくっとしちゃって、思わず声を上げそうになった。
いつのまにか肌が粟立ってる。少しかさついた唇が触れてる耳や、首筋がじぃんと痺れちゃってる。 身体が奥からじわじわ熱くなっていく感覚が止まらない――

「おいおい、そりゃあねーんじゃねーの。いくら客だからって、おいたが過ぎるぜお嬢さーん。もーすこし大人しくしてくんねーとネイル塗ってやんねーよ?」
「――っぁ、ゃ・・・!」

かりっ、て歯を立ててきつめに噛まれて、ちゅっ。
それだけでうわずった悲鳴が飛び出て、背筋がびくーって思いきり跳ねちゃうくらいぞくっとしたのに、あったかくて大きな身体は後ろから追い打ちをかけてきた。
弱いところを攻撃されて怯んだあたしを広い胸元にすっぽり覆って、ぎゅーーっ。 背中から密着するように抱きしめられたら、衿元がだらしなく開いた胸元からは、昨日浴びるほど飲んだはずのお酒の残り香と、男の人の汗の匂いが。 それだけでも心臓がどきんと弾んじゃったのに、体温低めなあたしにはちょっと熱っぽく感じるくらいに体温高めな手が、むぎゅっ、って胸を鷲掴みしてくる。 っっ、って声にならない声を漏らして背筋を跳ね上がらせたら、ぺろ、って耳たぶを濡れた熱で舐め上げられて、

「――っひ、ゃ・・・・・・っ!」

ぞくぞくぞく、って甘い感覚が背筋を一瞬で駆け抜ける。
舌先の熱さと艶めかしい動きに感じちゃったあたしの身体は、喉まで逸らして震え上がった。
銀ちゃんはその隙を狙ってたみたいにあたしのお腹を押さえ込んで、胸を握りしめてた腕が肩に回って、力を籠めて羽交い絞めに・・・・・・・・・、
〜〜〜ちょっっっ、ええええええ!?ちょっ、なにこれ!どーいう技?何なの銀ちゃん!
どーしてこういう時に限って、普段は見せないやる気と身体能力と人間離れした達人技を無駄に発揮してくるの!? ぜんぜん身体が捻れないんだけど。肩も腰も微動だに出来ないんですけど。まるで金縛りみたいなんだけど・・・!!

「〜〜っっっもうっななにこれやだゃだやだこわいこのセクハラ地縛霊こわい本気すぎてこわいぃぃ!っはははなしてぇぇ」
「離してやってもいーけどー、離す代わりにもっとちゅーしていい」
「なにその理不尽な交換条件っ。わかんないっ、意味わかんないぃぃっ」

唯一動ける頭を振って涙目になった顔を後ろへ向ければ、こっちの言い分を聞く気なんて最初からなかったらしい彼氏の悪戯っ気たっぷりににやついてる目が覗き込んでくる。 真っ赤になって暴れるあたしにムカつく笑顔を見せながら、銀ちゃんはあたしの耳たぶの輪郭の感触を味わうみたいに肌をゆっくりなぞっていった。

「っ、ぁっ、っも、もぉ、これ、ゃだぁ、んっ、くすぐ、ったぁ・・・〜〜っっ。ぁん、ばかぁ、ふぇぇ・・・っ」
ー。ちゃーん。お前さぁ、ほんとに嫌がってんの。反応がいちいちえろいんだけど」
「〜〜ゃ、やだって、さっきから、言って・・・っ!っ、んん・・・っ」

ちゅ、ちゅ、ちゅ、ってやわらかい熱が、耳元に繰り返し落とされる。潜めた声と吐息の熱に、ふわりと肌を掠められる。 そのたびにきゅうぅって胸が苦しくなって身体が震えて、裏返ったおかしな声が喉から飛び出ちゃうのが恥ずかしい。 じきに銀ちゃんのいたずらは耳から首筋へ移っていって、おかげで何か言い返すどころか、声をこらえるだけで精一杯になっちゃって。 あわてて口許を覆ったあたしは、ぎゅっと唇を噛みしめた。 それでも声が漏れてるんじゃないかって気になってしょうがなくて、廊下へ繋がってる入口の方をちらちら見上げる。 そんな仕草で、あたしが何を気にしてるのかに気付かれちゃったみたい。 肌にくっついて離れてくれない唇は、意地悪っぽくくすくす笑いながら、ちゅ、ちゅ、ちゅ、って甘い音を何度も鳴らした。 わざと感じやすいところばかり選んで、触れたときのあたしの反応をじっくり味わうみたいに啄んでくる。
・・・・・・ああ、やだ、もう、どうしよう。
身体中がふわふわしてる。手も足も力が抜けてきちゃった。 こういう時、いや、やめて、って突っ撥ねられたらいいんだけど――困ったことに、言える気がしない。
だって、そんなふうに思ったことなんて一度もない。 銀ちゃんにこういうことされるたびに「やだ」とか「だめ」とか言っちゃうのが癖になってるあたしだけど、ほんとは銀ちゃんにこういうことされるのがぜんぜん嫌じゃないんだもん。
肌に優しく触れてくる甘いくすぐったさは、恥ずかしいけど気持ちいい。 吐息の熱が近すぎるのも、恥ずかしいけど嫌じゃない。 そう思っちゃう自分は銀ちゃんにいいように操られてるみたいで、悔しいのに、恥ずかしいのに――

「はは、きもちよさそーな顔しちまって。目がとろーんって蕩けちまってるぜお客さーん」
「っぅ、うるさいぃっ。っゃ、ゃだ、そこ、ぁ・・・っ」
「ところでお客さーん、こっからはどうしますー。 お客さんすげー可愛いから特別サービスしとくよー。唇にちゅーさせてくれたらネイルの代金半額にしちゃうよー。 なぁなぁどーよ、お得だろ」
「〜〜〜っ。ゃ、やだぁっ」

ふに、って長い人差し指で下唇をつつかれて、あたしはあわててそっぽを向いた。
それでも銀ちゃんはあたしを追いかけるみたいに顔を寄せてきて、ほんとは何もかも見透かしてるのにわざととぼけてるようなあの目つきに、じーっ、と間近から見つめられる。 あたしがちっとも嫌がってなんていないことは、やっぱりバレバレだったみたい。 耳元で囁いた低めな声は、可笑しそうな笑い混じりだった。

「大丈夫だって、新八が戻って来る前にやめるって。それまでちょっとだけ、銀さんのこと甘やかしてくんね」
「・・・もう。・・・な。なにそれ。・・・・・・ち。ちょっとだけ、だからね。ネイルはまじめにやってよね・・・!」
「おー、任せとけって。可愛い彼女がもっと可愛く見えるよーに、気合い入れて仕上げてやっから」

こっち向いてくんね、って甘い声を耳の中に注がれたら、身体中に広がったその響きに手足の先まで震えが走る。 心臓が破れるんじゃないかってくらいどきどきしながら、うつむき気味に振り向いた。
顔を傾けながら迫ってくる銀ちゃんの気配にもじもじしてたら、目の前がふっと暗くなる。 ぁ、ってつぶやいた時にはもう、燃えそうなくらい熱いやわらかさに開いた唇を塞がれてて。 思わず顎を引きかけたら、背中をぐっと押さえられた。
後ろ頭に触れてきた力強い五本の指が、髪の内側まで潜ってくる。あたしがこれ以上後ろへ下がれないように、後ろ頭ごと固定して――


「――ん・・・っ、ふ、・・・・・・っ」


もどかしそうに唇を割った熱い舌が、あたしの舌をゆっくり撫でる。 つんと尖らせた舌先が、ぬるりと顎裏の粘膜をなぞり上げる。

――恥ずかしい。・・・・・・でも、気持ちいい。あったかい。
キスって不思議。
銀ちゃんとえっちする時もドキドキするし気持ちいいけど、こういうキスをしてる時のドキドキと気持ちよさは、もっと、なんていうか・・・もっと繊細で、もっとやわらかくて。 身体中の感覚を銀ちゃんに奪われてとろとろに溶けちゃってる時のあの気持ちよさとは、なんだかどこかが違ってる。
唇と舌を触れ合わせることで、お互いの気持ちを確かめ合う。
キスってそういう行為なんだろうけど、たったそれだけでどうしてこんなに気持ちいいんだろう。
それとも、好きな人とするキスだけなのかな。
唇と舌で触れ合ってるだけでこんなに気持ちよくなっちゃったり、満たされた気分になっちゃうのは――


。もっと口開いて」
「っっ、ぁ、ぎ、ちゃぁ・・・・・・っ、ふ・・・ぁ、あ・・・っく、ふ・・・・・・っ」


くちゅ、くちゅ、って籠った音を鳴らす舌先が、あたしの舌の根元のほうまで絡みついてきてやんわりとそこを締め上げる。 途端に喉の奥から溢れてきた唾液ごと、銀ちゃんに口内を掻き乱されていく。大きな手に支えられてる頭の奥が、じぃん、と甘く痺れ上がった。
――きもちいい。きもちよくてしあわせで、銀ちゃんに身体ごとぜんぶ預けて甘えたくなっちゃう。
今にも蕩けて流れ出しそうなくらいふにゃふにゃになってる全身が、今にもふわぁっと浮き上がっちゃいそう。 ああ、でも、でも――きもちよくなればなるほど、気になっちゃってしかたがないよ。
どうしよう。あたしの声が台所まで響いちゃったら、どうしよう。 かなり頑張って我慢してるのに、鼻にかかった喘ぎ声が喉の奥からこみ上げてくる。 もっと頑張って我慢したら、今度は息がつけなくなった。
くるしくてせつなくて手足の先までぶるぶる震えて、ぎゅっと瞑った目尻から涙のしずくがぽろぽろ溢れて――
するとなぜか舌の動きを止めた銀ちゃんが、ゆっくり唇を離していった。



「・・・・・・ー。おーい。ちょっと目ぇ開けてー。ちゃーん?」
「・・・・・・・・・ふ、ぇ・・・え・・・・・・・・・・・・?」


頭の芯まで熱くなって何も考えられなくなってるあたしは、言われるままに濡れた瞼を上げていった。 待ち構えてた銀ちゃんは呆れたみたいな溜め息をついて、

「いやーダメだってそれ。 そーんな蕩けた顔で声我慢されるとよけいにエロく見えるって。 あんまりエロくてやべーから、銀さんの下半身がもうこれ以上我慢できねーって言ってんだけど」
「・・・・・・〜〜〜っっ!」

ちゅっ。
さっき銀ちゃんの器用さを褒めまくった時と同じくらい得意げでゆるゆるに緩みきってる顔が、真っ赤になって絶句したあたしに素早く唇を押しつける。
べしっ、べしべしっ。恥ずかしすぎて恨めしくてわなわな震えながら、よれよれな寝間着の胸を叩きまくる。 全力で何度も叩いても、鋼みたいな銀ちゃんの身体はびくともしない。吸いついてきた唇も離れてくれない。 そしてそんなキス程度じゃ、すっかり調子に乗っちゃったケダモノ彼氏の勢いは収まってくれるはずもなかった。 ちゅ、ちゅ、ちゅ、って前髪やこめかみ、涙で濡れたほっぺたにもキスの雨を振らせながら、ものすごい早業を発揮してきた。
瞬く間に身体を入れ替えられて、ぽんっ。片手で軽く押されただけで、簡単にソファに押し倒される。 ええっ、って目を丸くして見上げた時には、色褪せた万事屋の天井と、目つきがあやしくギラギラしてる銀ちゃんが早速がさごそと人の背中をまさぐって帯を解こうとしてる姿で視界が一杯になっちゃってて・・・・・・!!

「っっ!!?っや、なっっっ、ぉっ、お茶の間でサカるの禁止ぃぃっっ! って聞いてる?聞いてる銀ちゃんっっ、っっぅわっやだっぉおお帯締め解くなあぁぁっ」
「えぇー、だめなの。これ解かねーと胸触れねーじゃん。まぁ服着たまんまヤるのもそれはそれで卑猥なもんがあるっつーか悪かねーけどー」
「いやだから人の話聞こうよ銀ちゃんっ、お茶の間でサカるの禁止って言ってるでしょ!?」
「つーかよー別にいーんだって、泣くほど声我慢しなくてもよー。そんなに気にするこたぁねーって、どうせガキどもには聞こえねーって」
「むりっ、そんなのむりぃ!万が一聞こえてなかったとしても気になるものは気になるのっっ」
「えぇー、やっぱだめ?やっぱ気になる? つってもよー、銀さんの銀さんがすっかりその気になっちまってるしぃー」
「ぎゃあああああああ!!!」

ぐい、って引っ張られた左手を無理やり寝間着のズボンの中に突っ込まされて、盛大な悲鳴が喉から飛び出る。 かああぁぁっ、って顔が真っ赤に染まる。 あたしの手を上から覆ったでっかい手が、躊躇もへったくれもなくむぎゅうううぅっと、銀ちゃんが言うところの「すっかりその気になったもの」を無理やり握らせたからだ。
「な?やべーだろ、ガッチガチだろ。すっかり臨戦態勢だろ」
・・・・・・・・・・・・う、うん、まぁ、そうみたいだけど。 手のひらに感じる感触はおふとんの中で触らされるときみたいにおっきいし、すっごく熱いし。銀ちゃんの自己申告通りにがちが・・・・・・・・・・・っっって違う違うっっ、そーじゃなくて!!!!!
「いやああぁぁ!!」って泣き叫んだあたしは必死に抵抗、銀ちゃんの手を振りほどこうとじたばた暴れた。 なのに女の子にとんでもない猥褻物を握らせてる変質者はすっとぼけた視線を自分の部屋のほうへ向けて、

「しゃーねーなぁ、そんじゃ俺の部屋行っとく? 二人でこっそり押し入れに籠ってこっそり一発ヤってみる」
「いゃああああ!そんなことしたら絶対別れるうぅぅぅ!っっっさささ最低っしねっしんじゃえぇええええっ」
「・・・・・・。またですか銀さん、少しは自重してくださいよ」
「ねー銀ちゃん、押し入れで一発って何アルか。と何をこっそり一発するアルか」
「っっ!!?っっっいゃあああああああああああ!!!」

そこで耳に飛び込んできた二つの声が、またしてもあたしを絶叫させた。
冷ややかでうんざりしてて呼びかけた相手を軽蔑しきってるような男の子の声と、銀ちゃんのセクハラ発言の意味があんまり解ってないせいか、ちょっと不思議そうな女の子の声。 でっかい図体の強姦魔の顔をあわてて押し退けてみれば、そこには新八くんと神楽ちゃんが。 メガネの下の目つきも冷えきってて顔全体を強張らせてる新八くんは、洗濯した着物がたっぷり入った大きなカゴを抱えてる。 大江戸マートまでおつかいに行ってた神楽ちゃんは不思議そうにきょとんとしてて、手には大きなレジ袋とトイレットペーパーの袋がぶら下がってる。 はーっ、って溜め息をついて嘆かわしげに肩を落とした新八くんが、二人が見てるのもお構いなしであたしに抱きついてる銀ちゃんを睨んで――

「まったく、何度言えばわかるんですか。 こーやって何度も僕らの前で羞恥プレイさせられるさんが気の毒だって、この前も言ったじゃないですか。 それにね、うちには神楽ちゃんていう多感な年頃の女の子もいるんですよ。少しは控えてくださいよ」
「あぁ?っだよてめー、社長に説教する気かぁ?つーかあれだろお前、怒ったふりしてっけどほんとは泣きそうなんじゃねーの。 ほんとはうらやましーんじゃねーのぉ、新八くーん。 こんなふーに人前でイチャイチャしたくてもできねーもんなぁ、16年間彼女無しのチェリーくんはよー」
「〜〜〜〜うっっっ、うるっっっっせーよエロ天パぁぁぁ!!!!!」

ぶわぁっと涙を溢れさせながら走り去った新八くんの背中を指してゲラゲラ笑った銀ちゃんが、「ありゃあ一生童貞だな」なんて容赦ないトドメの一言を浴びせかける。 そんな銀ちゃんを軽蔑の目で眺めながら、呆れ返ったあたしは溜め息をついた。
・・・・・・ほんっっと、彼女として恥ずかしいよ。新八くんに申し訳ないよ。
こういう時の銀ちゃんて、とことん最低な大人だよね。ていうか悪魔みたいだよね。ほんっっっとに大人げないし憎たらしいよね。 でも――銀ちゃんほどじゃないにしろ、あたしもなんだか新八くんに悪いことしちゃったような気分だ。 セクハラ三昧の銀ちゃんとは正反対で女性に対してとことん紳士な新八くんは、あたしが銀ちゃんに困らされてるときはいつも味方になってくれるんだよね。 今だってそうだよ。もし新八くんが来てくれなかったら、今ごろあたしは銀ちゃんに何されてたかわかんないし。
えぐっ、えぐっ、って嗚咽を漏らす泣き声が物干し台のあるベランダのほうへ遠ざかってから、ぺちんっ。 相変わらず人をソファに組み敷いたまんまのセクハラ社長のほっぺたを軽く叩く。 いって、って唸って眉を顰めた銀ちゃんをきつめに睨んで、

「銀ちゃん言いすぎ。後でちゃんと謝りなよ」
「いやですー、俺は事実を指摘したまでですー。 可愛い彼女とリア充生活送ってる立派な大人として、彼女募集中のさみしいチェリーくんを叱咤激励しただけですー」
「そんな発言する大人のどこが立派なのっ。むしろすべてが最低なんだけど、大人としても社長としても彼氏としてもっ」

いい年こいてるのに口を尖らせて拗ねてるおっさんの跳ね放題な髪をぎゅーぎゅー引っ張りながら言い合ってたら、ベランダのほうを覗き込んでた神楽ちゃんが振り向いて、

「ねーねー、ー」
「うん?どーしたの神楽ちゃん」
も童貞って何なのか知ってるアルか」
「えっ」
「知ってるなら教えてヨ、銀ちゃんも新八もぜんぜん教えてくれないネ」
「えぇっ、そ、それはっ、えっと、〜〜なっ、なんていうか、えぇと・・・!」

首を傾げて尋ねてきた神楽ちゃんに純真無垢な青い瞳でまじまじと見つめられて、思わずもごもご口籠る。 目に見えて動揺してるあたしがおかしかったのか、ぷっ、って銀ちゃんが吹き出してた。
ど、どどどどうしよう、どう答えればいいんだろ。今日はめずらしくあたしに矛先が向いちゃったよ。 何でも知りたがりなお年頃の神楽ちゃんは時々こういう答えにくい質問をしてくるけど、尋ねられるのは大抵が銀ちゃんか新八くんで、あたしに尋ねてくることって滅多にないのに・・・!

「ご、ごめんね実はあたしもよく知らないんだよねっ。 20歳過ぎた大人も知らないんだから神楽ちゃんも別に知らなくていいと思うよ!?むしろ積極的に知る必要はないっていうか!」
「ふーん、そういうものアルか。それってつまり、私みたいな大人のレディーには無用な知識ってことアルな」
「そっっ、そうっ、そーいうこと!さすが神楽ちゃんだよね何でも呑み込みが早いよねっ、ねぇ銀ちゃんっっ、ってちょ、なに笑ってんのっっ」
「いやぁだってよ〜〜、お前めちゃくちゃ必死なんだもん。めちゃくちゃ目ぇ泳いでるし」

おでこに冷や汗を流しながらごまかしたあたしがよっぽどおかしかったのか、人の胸に突っ伏した強姦魔が肩まで揺らして笑い出す。 新八くんが落としていった洗濯物――いちご柄のトランクスを嫌そうに指で摘まみ上げた神楽ちゃんが、

「でも銀ちゃん、私も新八と同意見ネ。所構わずいちゃいちゃするのは少し自重してほしいアル」
「神楽ちゃん・・・!」

ありがとう、ありがとう神楽ちゃん!うれしいよ、新八くんだけかと思ってたけどもう一人味方がいたよ!
いつになくまじめに主張してきたお団子頭の女の子の姿に、いっそ感動すら覚えてしまう。 うんうんうんうん、って頷きまくったあたしは、思わず目まで潤ませて神楽ちゃんを見つめた。 でもそうだよね、ちょっと幼く見えるけど、神楽ちゃんだって思春期真っ只中の女の子だもん。 万事屋で横行してる銀ちゃんの破廉恥迷惑行為を嫌がるのなんて当然だよね!

「ほらぁぁ!聞いた?聞いたでしょ銀ちゃんっ、銀ちゃんのこれに迷惑してるのはあたしと新八くんだけじゃないんだよ!」
「ううん、私は別に迷惑してないネ。二人がどこでいちゃついてても、私気にならないヨ。もう見慣れたネ」

それに、恋人同士が仲良しなのはいいことアル。
そう言い足すと、ピンクの髪を揺らしながらソファのほうへぱたぱた走ってきて。 ちょこん、ってあたしたちの前でしゃがみ込んで、銀ちゃんの目を見て言い聞かせるように語り出した。

「でもネ銀ちゃん、どこでもモテモテな宇宙一の美少女の私はともかく、うちには一生女の子に縁がなさそーな童貞メガネもいるアルヨ。 あいつの身になって考えてみろヨ、自分はコンビニでバイトの女の子と「お弁当あたためますか」「お願いします」くらいのコミュニケーションするのが精一杯ネ。 下手するとこのまま一生、その程度のコミュニケーションしか出来ないネ。 なのに職場では毎日上司が彼女とイチャイチャして見せつけてくるんだヨ。ねー銀ちゃん、もーちょっと考えてあげてヨ。 このまま一生童貞かもしれないメガネがかわいそうだと思わないアルか」
「かわいそうとか言うなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

新八くんが出て行ったベランダの方向から、啜り泣き混じりの大絶叫が轟く。
「やれやれまだ泣いてるアルか、しょーがない泣き虫メガネアルな。ここは特別にかぶき町の女王がなぐさめてヤルネ」
フン、って鼻で笑ってやたらと男前なせりふを放った女王さまは、くるりとあたしたちに背を向ける。 銀ちゃんのいちごぱんつを指先に引っ掛けてひゅんひゅん回しながら去っていくと、ベランダからはこんな会話が。
「おいこれで涙拭けヨ、童貞メガネ。ていうか童貞って何アルか」
「それは僕の口からは言えないって何度も言ってるだろぉぉぉ! あと気遣ってくれるのは嬉しいけど、銀さんのパンツで涙拭けって言われてもぜんぜん嬉しくないからね!?」
そんな二人の会話を聞いてから、相変わらず人の胸に突っ伏してる変態彼氏はどうでもよさそうな声を張り上げた。
「おーい新八ぃ、俺のパンツに鼻水擦りつけんじゃねーぞ。 あと神楽ぁ、トイレットペーパー厠にしまっとけよー。お前こないだ台所に放りっぱなしだったじゃねーか」
・・・いや、そうじゃないよね。そうじゃないと思うんだけど。
ここでこの発言する銀ちゃんて、社長としても大人としても間違ってると思うんだけど。 ここは落ち込んだ新八くんを心配するか年長者らしく慰めてあげるべきで、決して自分のぱんつや特売品のトイレットペーパーを心配する場面じゃないと思うんだけど。


「ところでよー、お前がこーいう凝ったネイルすんのめずらしくね」

ぱら、って掠れた紙の音が鳴って、音のほうへ振り返る。
いつのまにか銀ちゃんはネイル特集の雑誌を手に取ってて、あたしの頭の上で開いたそれをぱらぱら捲り始めてた。

「なに、何かあんの。気合い入れてめかし込むよーなイベントでもあんの」
「あぁ、そういえば言ってなかったっけ。今日の夜ね、通ってた寺子屋の同窓会なんだ」
「へー。そーなんだぁ。同窓会ねぇ。ふーん・・・・・・、」

ふっと黙り込んだ銀ちゃんが、雑誌からあたしの顔へ視線を移す。
めずらしく真顔でじーーーーっとこっちを見つめてきたと思ったら、ひく、って目許と口端を同時に大きく引きつらせて、

「んん?あぁ?・・・・・・・・・・・・同窓会?」
「うん、同窓会。いつもは地元でやるんだけどね、今回はかぶき町でやろう、ってことになったの」
「・・・・・・」
「地元に残った子がほとんどだから、たまには都会で飲みたいんだって。あたしは地元に帰りたかったのになー」
「・・・・・・・・・・・・」
「でも同窓会って久しぶりで、すっごく楽しみなんだよね。みんな終電まで飲むって言ってたし、あたしも帰りが遅くなっちゃうかも」

開いてた雑誌を、ぱたん。
ガサツな銀ちゃんらしくもなく静かに閉じる音がして、再びじーーーーっと、穴が空くほど見つめられる。 かと思えば背中に腕を回されて、もぞもぞもぞ、ごそごそごそ。銀ちゃんに抱っこされる格好で起き上がらされて、

「・・・・・・・・・・・・ちゃーん?」
「なぁに、銀ちゃん」
「やっぱ中止な。ネイル塗ってやんの無しな」
「は?」
「つーかネイルだけじゃねーから、ぜってー禁止だから。銀さんどっちも絶対許さねーから」
「はぁ?なんなのいきなり。なに、なんのこと、どっちも許さないって」

は?どっちも?どっちも、ってネイルと何を?あたしに何を禁止するつもりなの、銀ちゃん。
意味わかんないなぁ、って思いながら、銀ちゃんを見つめて首を傾げる。 理解不能な発言を連発しながら人の両肩をがしっと掴んできた彼氏に「なんなの、どーいうこと」って目で訴えてたら、なぜか銀ちゃんは唐突にブチ切れた。 かああああああっっ、と日頃はやる気も生気もなくて常に半開き状態のあの目を眼球がぽろってこぼれ落ちそうなくらいにおもいっきり全開、白目まで血走らせながらものすごい剣幕でまくし立ててきて、

「んなもん決まってんだろぉ!?同窓会だよ同窓会っっ、断固阻止すっからなぜってー許さねーからな!」
「・・・はぁぁぁ?なにそれ。え、なんで怒ってんの銀ちゃん」
「怒るに決まってんだろぉぉぉ!?寺子屋の同窓会ったら男共も来るだろーが、そいつらと終電まで飲むだぁ? 帰りが遅くなるだぁ?んなもん許すかコノヤローーーー!!」
「え?ええええ?〜〜〜で、でもっ、ただの同窓会だしっ。みんなただのおさななじみで」
「幼馴染だろーが何だろーが男は男だろぉが、いつオオカミに豹変するかわかったもんじゃねーんだよっ。 特にみてーなおぼこい子はなぁ、一発ヤりてーだけの男にしてみりゃ絶好のターゲットだからね? お前みてーな男の本性知らねー子がやべーよ終電逃がしたぁとか適当ぶっこいた奴に騙されて家に泊まらせちまったりするんだからね!」
「なっ、ひどくないその偏見!?あたしの同級生にそんな最低なことする子いないし! そもそもあたし、寺子屋でも全くモテなかったんだよ?同級生の誰にもそーいう目で見られたことないもんっ」
「はぁ!?いやいや違げーって、だからいつも言ってんだろぉ!?そらぁお前が気付いてねーだけでっ、・・・・・・〜〜〜っ」

言い返されてさらに気を悪くしたらしい銀ちゃんは、何か言いかけたくせに途中でやめた。 こめかみに青筋まで浮かべてあたしを睨むと、一体何を思ったのか、いつになく怖い顔でネイル特集の雑誌を引っ掴んで、

びりいいいいいっっっっっ。

何の断りもなく唐突な暴挙に出られて、止める暇なんてぜんぜん無かった。表紙で微笑むお通ちゃんごと、銀ちゃんは一気に引き裂いた。 すごい勢いでびりびりびりびり、紙吹雪みたいに細かく裂かれてひらひら散っていくお通ちゃんと雑誌をぽかんと口を空けて見つめるうちに、驚きで一杯だった胸にようやく怒りがこみ上げてくる。 肩もわなわな震え始める。 べしっ、べしべしべしぃぃぃっ、って硬い胸や不満そうな顔をめちゃくちゃに引っ叩きまくりながら、完全に頭にきたあたしは銀ちゃんに負けないくらいの大声で怒鳴った。
ちょっっ、何してくれてんの!?それあたしが買ってきたのに!お目当てのネイル特集が載ってるのにぃぃぃ!!

「〜〜ちょっとぉぉっっ何してくれてんの、どーしてくれんの!こんなになったら読めないじゃんっ、あのネイル真似できないじゃんっっばかばかばかぁっ」
「はぁああああ!?お前を喰いに来るオオカミどもにネイルなんざ見せてどーすんの、いつもよりめかし込んだ綺麗なちゃんを見せてどーすんの!? しかも同窓会久しぶりとかっっっだよそれぇぇぇっ、そんなもん余計に行かせられるかっつーの! 俺と付き合う前以上に可愛くなってんだからぜってー狙われるに決まってんじゃねーかよぉぉぉっっっ。 だめだめだめだめ絶対だめっっっ、同窓会なんて絶対禁止!!銀さん絶っっっ対許さねーからな!!!??」



「 ご依頼ですよ、万事屋さん。 *1 」
text *riliri Caramelization
2018/10/11/
銀さんおめでとうおめでとう今年もだいすきあいしてる!!!


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