いたって健全なふつうの同窓会をいかがわしい合コンだと決めつけちゃってる勘違い彼氏は、それからもさんざんゴネまくった。
「絶対やらねー」って言い張ってたネイルは、「一度引き受けた依頼は最後までやり遂げるのが万事屋でしょう」って新八くんが言い聞かせてくれたから渋々でやってくれたけど、塗ってもらってる間はこっちが逃げられないのをいいことにお説教まで始める始末だ。
そのお説教の内容ときたら、ほとんどがあたしへのダメ出しで。
たとえば――同級生だろうが何だろうが男は全員ケダモノで頭ん中じゃエロいことばっか考えてんだから信用するなとか、そういう奴等がお前をどーいう目で見るかよく考えてみろとか、お前がそんなんだから沖田くんがどうのこうのとか先週行った映画館でもどうのこうのとか半月前にお前に告ってきたあの男がどうのこうのとか、とにかくしつこくやたらと細かくぶちぶちとねちねちと延々と・・・!
途中からはまったく身に覚えのないことや意味不明なことも混ざってたし、まったく微塵も関係ない沖田さんが出てきたところも意味不明だったし・・・!
『・・・ったく、しゃーねーなぁ。こうなったら保護者としてついていくかぁ』
『・・・・・・・・・・・・は?』
『いやいやいや、「は?」じゃなくてよー。俺もついていくって言ってんの、お前の同窓会に。
かぶき町が会場なんだろ、どこの店でやるんだよ』
『・・・・・・・・・・・・はぁぁ!?』
(俺もついていくって言ってんの、お前の同窓会に。)
そんな銀ちゃんの更なる意味不明発言に目を剥いて絶句した頃にはあたしの我慢もとっくに限界、溜まりに溜まったむかむか気分とストレスで今にも頭が爆発しそうで。
だから、いつの間にそんなものを手に取ったのか――さっぱり覚えてないんだけど、気付けば銀ちゃんの顔には、ネイルのボトルがどっさり入った重たいポーチが激突してた。
「んがっっっ」って鼻が潰れたような声で呻いてかっこ悪く仰け反った勘違い彼氏は、ソファからどどっと転げ落ちて――
(逃げるなら今だ!)
そう直感したあたしは、居間からダッシュで飛び出した。
廊下のあたりで「っっちょ、待っっっ、っ」なんて鼻詰まりした情けない声が追いかけてきても、振り向くことなく全力疾走で万事屋を脱出。
追いつかれたらどうしようってはらはらしたけど何事もなく家へ戻れて、ネイルが完成しなかったのは残念だけど、楽しみにしてた同窓会にも無事に参加できて・・・・・・、
・・・・・・・・・・・・・・うん。ええと。その。無事は無事、なんだけど。
会場は近所のお店だから、銀ちゃんがあたしの居場所を突き止めて乗り込んでくるんじゃないか――なんて心配もしてたけど、そんな騒ぎにはならなかったし。
いちおう無事は無事、なんだけど・・・・・・・・・・・・
「・・・・・・はー、もう、ほんっっと意味わかんない。
どーしてここまでするんだろ、ただの同窓会なのにっ」
ごくごくごくごくっ。
ここ数時間ですっかり復活してしまったムカつく彼氏へのイライラを、さっきおかわりしたレモンサワーで流し込む。
めずらしく一気飲みなんかしたせいか喉の奥がかーっと火照って、身体中がぽわぽわとあったかいかんじで緩みはじめる。
おかげでぴりぴりしてた気分まで一気に緩んで、お腹の底から深々と溜め息を漏らしてしまった。
でもこのくらいの溜め息なら、このお店のにぎやかさが簡単に掻き消してくれそうだ。
銀ちゃんとお付き合いする前からときどき二人で飲みに来てた、安くておいしくてメニューも豊富な居酒屋さん。
いつ来てもお客さんが絶えない人気のお店は、今夜もほぼ満席みたい。
明るく元気な女将さんや店員さんたちの声、ざわざわした話し声や笑い声に、かなり昔の曲ばかり流れるBGM。
焼き鳥のタレが焦げた匂いに、炭火のこうばしい煙の匂い、奥の席のおじさん達のたばこの匂い。
そんなものがごちゃ混ぜで漂う店内を見渡してから、同級生たちと並んで座ったテーブルの下を――さっき膝の上に伏せたものを、じとーっ、とうらめしさたっぷりに睨みつけた。
マナーモードに切り替えて、音が出ないようにしたスマホ。
同窓会が始まる前からひっきりなしに着信をお知らせしてくる薄ーい機械は、今まさにこの瞬間も、膝の上でぶるぶる震えてその存在をやたらとしつこくアピールしてる。
そう、しつこい。とにかくしつこい。呆れるほどしつこい。
この着信だって、最初にぶるっと震えた瞬間から2分くらい続いてるし・・・!
あからさまにうんざりした目つきで自分の膝を見下ろしながら、伏せたスマホをひっくり返す。
テーブルの影でぱぁっと光るちいさな画面の真ん中には、すごく見慣れた電話番号。
そのすぐ下には「万事屋」って、これまた見慣れた名前が出てる。
そして画面上部にぽわんと浮き上がってる通知欄には、「38件の着信」ていう、これまでに見たこともない件数が。
・・・38件。
つまりそれって、異常に過保護で心配性でやたらと疑り深い彼氏という名のストーカーがこの四時間足らずの間に電話してきた回数が、なんと驚きの38回だってことなわけで・・・
ああ怖い、怖い怖い怖い怖い、怖すぎる。怖すぎて寒気がしてきたよ。ストーカー被害に遭ってる人って、毎日こんな怖さと寒気に耐えてるんだろーか。
なんてことを想像して顔中をびくびくひきつらせてる間も、スマホはぶるぶる震えまくりだ。
(・・・一度でも電話に出てあげれば、この着信テロも収まるのかな。)
なんてことも思ったけど、そんな甘い考えは頭のすみっこへぽいっと捨てた。
あんなに同窓会に反対してた銀ちゃんだもん。
きっと電話に出ても「今すぐ切り上げて帰って来い」とか「門限まで帰って来ないと外出禁止」とか、まるで年頃の娘に口うるさく干渉するお父さんみたいなこと言いそうだ。
ああもう、やだやだ、冗談じゃないよ。何度掛けてきたって絶対出てあげないんだから・・・!
そんな想像にあたしがうんざりしてる間も、スマホはしつこく震え続けてる。
仕方ないからまた裏表をひっくり返して、はーっ、って肩を落としながら溜め息をついて、
「あーもう、ほんっとなんなの・・・そもそもあたしの同窓会についてくるとか意味わかんないし。
ねぇどう思う、彼氏同伴で同窓会ってありえなくない?父兄参観日じゃあるまいし!」
「ねー、おかわり頼むけど何かいるー?」
「はいはーい、あたし手羽先ー。ここのおすすめメニューらしいよ」
「いいねぇ手羽先、ビールに合うねぇ。手羽先の王道といえばこれだよね、名古屋名物甘辛しょうゆ味」
「やだー見てこれー、柚子胡椒味だって」
「「「ゆずこしょう〜〜!?やだぁぁビールに合いそ〜〜〜!!」」」
声を揃えて叫んだ同級生たちはあたしの訴えなんて完全無視、メニュー中央にどどーんと載ってる人気のおつまみ「名古屋本店直伝 10種の手羽先変わり揚げ」の写真にすっかり目が釘付けだ。
全員がぱらぱらメニューを捲ってはおいしそうなおつまみをあれこれ指して、きゃーきゃー楽しく盛り上がってる。
・・・なにこれさみしい。つらい。かなしい。女の子の友情ってこんなものなの?
同じテーブルについた同級生全員が、あたしの話なんてそっちのけで手羽先に夢中なんだけど。
通路を挟んだ向こうの席では同級生の男子グループが仲良く大ジョッキなんか寄せ合って乾杯の音頭なんかも取っちゃって、ひさしぶりの同窓会を全員で満喫してるのに!!
「・・・ひどい。さみしい。なにこれ。同窓会でぼっちとか疎外感凄すぎなんだけど・・・もう泣きそうなんだけど・・・」
「まとめて注文するから手羽先食べる人は手を上げてー」
「委員長ー、あたし辛味噌ー」
「ハーブレモン味だって〜〜!おいしそ〜〜!」
「わたしもそれにしようかなー。王子はー?」
「甘辛とホットチリかな。君は?どれがいいの」
「今ダイエット中だから手羽先はちょっとなー。柚子胡椒と甘辛とねぎ塩と花山椒二皿ずつでいいよ」
「いやそれダイエット中とか言わないから」
「・・・みんな冷たい。誰も話聞いてくれない。ひさしぶりに会ったのにぃぃぃ・・・」
ビールにチューハイにハイボールにノンアルコールカクテル、大皿に盛り上げた焼き鳥やおでん、他にもおつまみがびっしり並ぶテーブルに、ぱたっ。
しばらくぶりに会った幼馴染みたちのそっけなさにがっかりしたあたしがめそめそと突っ伏したら、
「ー、ねぇ、あんたこの店よく来てるんでしょ」
話しかけてきたのは、口に咥えたフライドポテトをもぐもぐしながらメニューをしげしげと眺めてる子。
ダイエット中なのに手羽先を八皿も注文する、クラス一の大食い女王だ。
「これって試した?どんな味?」
そう尋ねて指したのは、「十種の手羽先変わり揚げ」の一番下に載ってる新メニュー「チョコバナナミント味」。
「チョコバナナ好きにもチョコミン党にもおすすめ、新感覚のスイーツ手羽先!」なんて書かれてるそれは10種類の手羽先の中でもダントツに真っ黒、ぽつぽつ混ざったミントの爽やかな緑とどろどろに溶けたバナナの黄色と・・・何だろこれ、よーく見ると赤やピンクのつぶつぶも混ざってて、なかなかグロくて正体不明なビジュアルだ。
ここって何を食べてもハズレがない安心安全なお店なのに、なぜかたまに出てくるんだよねこーいうあぶないお料理が。
厨房で威勢のいい声を張り上げてるオーナー兼板長さんが趣味で考案してるみたいなんだけど、
『うめーもん作って店繁盛させる片手間にこーいうゲテモノも作ってんだから、儲けてーんだか儲けたくねーんだかわかんねーよなぁあのオヤジ。
手羽先とチョコバナナを合体させようって発想もわかんねーしよー』
・・・あー、そうそう、そういえば。
これがメニューに加わった頃、そんな文句つけた人がいたよね。
さんざん文句つけた後でさっそく注文してさっそく頬張ったら途端に真っ青になってお手洗いにダッシュした、銀髪天パの超甘党ストーカーが。
「新感覚のスイーツ手羽先!ピリッと刺激的なピンクペッパーと激辛唐辛子がアクセント…って、なにこれヤバさしか感じないんだけど」
「あー、やめときなよそれは。それ食べたおかげで銀ちゃんお手洗いに30分籠城したから」
「マジで!なにそれヤバすぎ!!」
勢いよくメニューから顔を上げた同級生の目が、興奮にきらきら輝きはじめる。
・・・いや、いやいやいや。おかしいでしょその反応。
あたしとしてはこのメニューの危険度を伝えるつもりだったのに、それが逆に大食い女王のチャレンジ精神に火を点けちゃったみたいだ。
「そーいえばこの子、ゲテモノ料理にも目がなかったよね…」なんてことも思い出しながら複雑な気分で眺めてたら、ゲテモノ好きな大食い同級生はなぜかあたしの手を掴んで、高ーく上げて。
その手を委員長のほうへぶんぶんぶんぶん振りまくって、
「委員長っ、チョコバナナミント二皿追加でー!とあたしに一皿ずつーー!」
「は!?ちょ、無理っ、そんなのぜったい食べないからね!?」
「まぁまぁいいじゃん、一緒にチャレンジしよーよ。それにさー、あんた着信ばっか気にしてほとんど食べてないじゃん?」
そう言いながら、ちらり。あたしの脚のほうへ――スマホを置いてる膝の上へ視線を送って、
「ケンカした彼氏が気になるんだろーけど、久しぶりの同窓会なんだから少しは楽しみなよ」
「・・・べ。べつに気にしてないよ。気にしてないし」
「はぁー?いやいやどう見ても気にしてるでしょ。
あんた今日はずっと膨れっ面だしスマホばっか見てるし、口開けば銀ちゃん銀ちゃんって、ぜーんぶ彼氏のことばっかだし?気にしてるのバレバレじゃん」
「〜〜そ、そんなことないし。銀ちゃんなんてうざいしどーでもいいしっっ」
「どーでもいいの?じゃあ着信拒否しちゃえば?」
「・・・・・・〜〜〜っっ」
膝の上でひたすら震えまくってるスマホを、ぽいっ。
痛いところをびしりと突かれて何も言えなくなっちゃったあたしは、足元に置いた自分のバッグに乱暴な手つきで投げ入れる。
ただでさえ膨れっ面だったのにさらに膨らんじゃって今や風船みたいなまんまるになってる同級生の顔は、人をからかうのが好きなこの子のお酒のつまみにちょうどいいんだろう。
大食い女王がポテトをもぐもぐ噛みしめながら面白そうに覗き込んできて、
「へー、うざいしどーでもいいのに拒否らないんだー。
でもいいのかなー、しまっちゃって。あんなに着信気にしてたのにいいのかなー」
「〜〜〜〜っ。ぅ、うるさいなぁ気にしてないって言ってるじゃんっっ」
「こら、ケンカはだめだよ。久しぶりにみんな揃ったんだから楽しくやろう」
左側から伸びてきた指の長い手が、よしよし、って頭を撫でてくれる。
みんなから「王子」って呼ばれてる手の主は、すっきりしたベリーショートが似合う長身女子だ。
あだ名の通りに見た目も中身もイケメンで服装や仕草も男っぽい彼女は、某女性だらけな有名歌劇団の男役みたいに凛々しく笑って、
「ごめん、ちょっとからかいすぎたね。みんなさっきは冗談で聞いてないふりしてたけど、ちゃんと聞いてたよ君の話は。
彼氏があれこれ心配しすぎな人で、同窓会にも反対されてケンカになったんだろう?」
「そうそう、そこらへんはあたしもしっかり聞いてたって。
まぁ後半はほぼノロケだったからチョコバナナミント味の評判ググってたけどー」
「ノロケてないし!てゆうかやっぱり聞いてないじゃん!チョコバナナミントに夢中じゃん!!」
「ああもう、どうして君はそうやって火に油を注ぐようなことを・・・ああ委員長、チョコバナナミントは一皿でいいよ」
あたしを怒らせるのが楽しいのかにやにやが止まらない大食い女王に、王子が困ったような溜め息をつく。
それから、斜め向かいに声を掛けた。
振り向いて「ええ、一皿ね」って確認したのは、お洒落メガネとキャリア系ファッションが板についた元学級委員長。
子供の頃から仕切り上手でしっかり者だった同級生は、早くも店員さんを呼び止めて追加注文を頼んでる。メニューの写真を指しながら、
「――辛味噌とホットチリと、チョコバナナミントを一皿ずつ。
梅酒ソーダ割りとモヒートとマンゴーとパッションフルーツのトロピカルサワーと・・・あとは日本酒を、鬼嫁をロックでお願いします。
ねぇみんな、他に注文あるかしら」
「はいはーい!ビールぅ!!生ビールもう一杯くらさぁぁぁい」
「ちょ!うるっっさいなぁもうっ、鼓膜やぶれるっ」
すっかり酔いが回っちゃってるのかビールジョッキを持ち上げて叫んだ子が、あたしの真向かいに座る子にむにっとほっぺたを抓られる。
メリハリがきいた体型も唇の横にほくろがある顔も色っぽいその子は、さっちゃんさんや月詠さんをはるかに超える大きさの胸をたゆんと揺らして頬杖をついた。
たった今叱られたばかりなのに「えへへ〜〜、ごめ〜〜〜ん!」ってジョッキを抱きしめてはしゃいでる元気で明るい同級生に、さっきの王子と似たような呆れ気味な溜め息をついて、
「っとにもう・・・。いつもうるさいけど、今日はいつにもましてテンション高くない」
「らってみんな揃ったのひさしぶりらもんー!たのしいんらもーん!」
「あっそ、そんなに楽しいならまぁいいけどさ。ああ委員長、ハイボールもお願い」
「あたしも次ハイボールにしようかなー。あーそうだ委員長、もチョコバナナミント食べるからもう一皿追加でー」
「食べないって言ってるじゃん!うぅ〜〜〜、もーやだぁ、この子やだぁぁぁ!」
「ちゃん、泣かないでー。アイメイクが落ちちゃうよー」
おっとりと声を掛けながらティッシュを渡してくれたのは、右隣に座ってる親友のポンちゃん。
地元では誰もが知ってる和菓子屋のお嬢さんで、ポンちゃん、っていうあだ名は、かわいいタヌキの形をしたお店の看板商品「銘菓ぽんぽこ饅頭」に笑顔が似てるところから付けられたものだ。
「ありがとー」って鼻声でぐすぐす言いながら、ちーん。
貰ったティッシュで鼻をかんで涙も拭いて顔を上げたら、なぜか全員がこっちを見てる。しかも、全員が笑ってる。
それも見られてるあたしが妙な含みを感じるような、やけににやにやした目つきなんだけど・・・・・・?
「え、どーしたの。あたしの顔、なにかついてる?メイク落ちてる?」
「ううんー大丈夫ー。何もついてないしメイクもばっちりだよー」
にこにこ笑ってるポンちゃんが、小さい頃から変わらないほんわりした口調で答えてくれる。
「うん、そうだね」って王子が同意したら、大食い女王も焼き鳥を頬張りながら、うんうん、って深々と頷いてた。
引き出しに隠してるえっちな本の90%がそれ系の特集本だったりする銀ちゃんならよだれを垂らしてガン見すること請け合いな爆乳の持ち主が、ふふ、って厚めな唇の端っこをふんわり上げて笑って、
「そうそう気にしないでよ、微笑ましくてつい笑っちゃっただけだから」
「は?」
「だってさぁ、久々に会ったらあんた、全身から幸せオーラがだだ漏れてるから」
「・・・はぁ?」
幸せオーラ?
・・・・・・・・・・・・いやいや待って。ちょっと待って。
おかしいよね?おかしくない?予想外すぎてびっくりしちゃって、開いた口が塞がらないんだけど。
いや、だって、どーいうこと?幸せオーラがだだ漏れてる?
まさに今、現在進行形で超束縛系彼氏のしつこすぎる着信テロに悩まされてて愚痴と溜め息が止まらないかわいそうなあたしの一体どのへんから、そんな甘くてふわふわしたうらやましい雰囲気がだだ漏れてると・・・???
心外すぎてぽかんとしてたら、ハイボールを一口煽った爆乳同級生が、
「でもまぁ良かったじゃない。気兼ねなく彼氏とケンカできるのって、うまくいってる証拠みたいなもんでしょ」
「はぁ!?」
彼氏とうまくいってる?
いや、いやいやいやいや、そんな覚えどこにもないんだけど?
もしも銀ちゃんとうまくいってたら、彼氏のしつこすぎる着信テロに困らされることなんてなかったんじゃないかと思うんだけど!?
あまりに心外すぎて目を剥いて絶句してたら、さらっと問題発言してくれた同級生が、重そうな胸を「んー、よいしょっと」とこれまた重たそうな掛け声付きでテーブルに乗せる。
そんな仕草だけでもたゆんと派手に弾む胸を隣の席のサラリーマン風なお兄さんたちが生唾を呑んでガン見してたけど、その手の反応に慣れてる彼女には全くどうでもいいことみたい。
こっちこそ心外だ、って言わんばかりな顔であたしのほうへ身を乗り出してきて、
「ちょっとーなによその不満そうな顔、うまくいってないとは言わせないわよ」
「ええ、そうね。今度の方とはいい関係が築けているのね」
爆乳っ子の発言にしみじみと頷いたのは、それまでは大好物のホッケの身を一心不乱にほぐしてた委員長だ。
何か思い出したみたいにふと箸を止めて、ホッケのお皿に視線を落としたままメガネの奥の瞳を細めて、
「・・・あれって何年前だったかしら。ちゃん、ちょっとだけお付き合いした人がいたでしょう?
あの人の時とは表情が違うもの」
今のほうがずっとちゃんらしいわ。
なんて小さくつぶやくと、お姉さんが妹に向けるような表情がじっとあたしを見つめてきた。
「前の人の時はちゃんどことなく不安そうに見えたし、何も話してくれないから心配だったのよ。
でも、今度の彼氏さんのことはわたしたちにも包み隠さず愚痴ってくれるし」
「そうそう、ケンカしつつもなんやかんやで上手くいってんのよ。
それにさぁ委員長、知ってる?この子結婚したいって言われてるんだって」
「まぁおめでとう、お式はいつ?来年の春?それとも6月?」
「いやそんな予定どこにもないから、スケジュール帳開かなくていいから」
さっそくスケジュール帳を出して来年の予定を確認し始めた仕切り屋同級生をあわてて止める。
そしたら真っ赤に染まった顔を左右に揺らして楽しそうに話を聞いてた酔っ払いが、
「えぇ〜〜でも〜〜、されたんれしょ〜ぷろぽーず!」
「・・・えー、うーん・・・まぁ、いちおう」
「んん〜〜??いちおう〜〜〜?いちおうってぇ、どゆこと〜〜?」
歯切れの悪い答え方をしちゃったせいか、ぱちぱち瞬きを繰り返しながら不思議そうに尋ねられた。
だけど・・・うーん、困っちゃう。
いちおう、としか言いようがないんだもん。他にどう言い表したらいいんだろ、この曖昧で宙ぶらりんな状況を。
「えぇっと、だからー・・・それっぽいことは言われたけど、本気かどうかはわかんないっていうか・・・」
ぼそぼそっと言い訳程度に説明してから、氷が溶けて薄くなったレモンサワーをこくりと飲み込む。
こく、こく、こく。続けてちびちびと飲んでいけば、冷たいレモン水みたいな味が喉を通り抜けていくたびにお腹がほんのり熱くなる。
そこそこにお酒が入ってるせいでぼーっとしてきた頭の中に、銀ちゃんのすっとぼけた半目顔がちらつき始めた。
うん、まぁ・・・たしかに言われた。
言われたよ。しかも一度だけじゃなくて、何度も。
「銀さんちに嫁に来てくんね」みたいな、そんなことは何度か言われてる。
だけど、プロポーズされたって実感はあんまりないんだよね。
銀ちゃんてば、いつもふざけたかんじでそーいうこと言い出すから。
だからこっちもあまり真に受けちゃいけない気がして、最近ではそーいうことを言われるたびに「あーはいはいわかったわかった、そーいうのもういいから」みたいなノリで適当に流しちゃうのがクセになってて。
そんなあたしの可愛くない反応が、銀ちゃんは面白くないみたい。
「っだよぉどーして信じてくんねーんだよー」って、たまに拗ねたようなことも言ってくる。
だけど、あれだってほんとに拗ねてるのか、それとも拗ねるフリをしてあたしをからかってるのか・・・・・・
本当のところはどっちなんだろう。よくわかんないよ。
なんてことを思い出してつい考え込んでたら、酔っ払いが「ねぇ〜〜、それでそれで〜〜?」ってにこにこ笑って、
「ひゃんは何てお返事したの〜〜?」
「え」
「お返事だよ〜〜、ぷろぽーずのお返事〜〜。もうしたんでしょ〜〜?」
「ぉ、お返事・・・?いやそーいうのは特に、なにも・・・」
「そっかぁぁまだなんだ〜〜!じゃあこれからするんだね〜〜!」
「あぁ、うん、そーだね、これから・・・・・・」
そう言いかけてから、はっとする。開ききった両目をぱちくりさせて、ふっと息を呑んだ。
・・・・・・・・・あれっ。へ。返事? プロポーズの・・・お返事?
「・・・・・・・・・・・・〜〜〜〜っ」
ごくり、と切羽詰まった顔でまた息を呑む。
なぜかものすごーく突然に、喉が猛烈な渇きを訴えてきたからだ。
ぎくしゃくとレモンサワーのグラスを掴んで、ごく、ごくごくごくっ。
水でも飲むような勢いで飲み干してから、興味津々ですってかんじで待ちかまえてる同級生たち全員を一人ずつ順番に見回していって、
「・・・そ、そーいうのって、ぉ、お返事って・・・あたしから?あたしから銀ちゃんに切り出すの・・・?」
「うーん、そうだねー。わたしも彼に申し込まれたときはー、少し考えさせてくださいっておねがいしてー、3日後にお返事したよー」
「みっ・・・・・・!!?」
きっちり正装したうえに花束まで持参して「結婚を前提にしたお付き合いをしてほしい」って申し込んできた実家の超真面目な和菓子職人さんとたった三ヶ月でスピード婚約、今は来年春のお式に向けて着々と準備中のポンちゃんが、驚きと動揺で顔中が引きつってきたあたしにおっとりと答える。
そっ、そうなの?そーいうものなの!?三日?申し込まれてからたった三日でお返事しちゃうの??そんなに早く!?
それが世間の結婚前提幸せいっぱいらぶらぶカップルの常識なのポンちゃん!?
「・・・・・・・・・ど・・・どどどどどどうしよぅぅぅ・・・・・・」
「?ちゃんー、いま何か言ったー?」
「・・・・・・ぅ。ううん・・・言ってない、言ってないよ何も・・・」
・・・・・・・・・どどどどどどどどどうしようどうしようどうしよう。思いっきり盲点だった!
今までずっと「嫁に来てくんね」とか「結婚して」とか言われるたびにどぎまぎしちゃってあわてちゃって、そんな状態で銀ちゃんの言葉を適当に受け流すフリするだけでも精一杯で。
だから「プロポーズされたからには返事をしなきゃいけない」ってところまで考えが到達してなくて・・・!
ああああああ、なにこれ、なんなの、この全身からさささぁぁぁーーーって、一気に血の気が引いていくかんじは何!?
突然に、ばしゃあぁぁぁっと、頭から冷水を浴びせられた気分だよ。酔いなんてどこかへ吹き飛んじゃったよ・・・!
「そうそう〜〜、そうらよ〜〜!ひゃんが申し込まれたんだからぁ〜〜、ひゃんからお返事しないとぉぉ〜〜!」
「っでも、でもでもっ、返事ほしいなんて言われてないし・・・!銀ちゃんいつもふざけてばっかで、別に本気じゃないかもだしっ」
いつのまにか両手で引っ掴んでたおしぼりをぐっちゃぐちゃの揉みくちゃにしながら、子供みたいにむきになって言い返す。
だけど言い返したとたんにじわじわーっと、恥ずかしさが湧いてきた。
――だって、ほんとに子供みたいだ。ぜんぶを銀ちゃんのせいにして、文句ばかり言ってるあたしは。
それまではあんぐりと口を開けて呆れきった表情で話を聞いてた二人が、小声でひそひそ喋り始める。爆乳っ子と大食い女王だ。
「ねぇ、まさかとは思うけどさ・・・今の今まで彼氏に返事する気なかったとか、そーいうアレじゃないわよね」
「いやーまさにそーいうアレでしょ。結婚申し込んできた彼氏をずっと放置プレイしてたんだって、今頃気づいて焦ってるアレでしょ」
「!?ほ、放置ぷれ・・・!?ちが、違うってばそんなんじゃなくてぇぇ!」
「うーん・・・にはそんなつもりがなくても、彼にとってはまごうことなき放置プレイだろうね・・・」
「ええ、そうでしょうね・・・」
左側と斜め向かいからは、小さいけど深ーーい溜め息が。これまでずっと黙ってた王子と委員長だ。
二人は父兄参観日に何かものすごーく残念な失敗をしちゃった子供を「ああこの子ったら、かわいそうに…」って思いつつ見守るお父さんお母さんみたいな目つきであたしをじーっと見つめてて、
「たった今気付きました!どうしよう!って驚愕してる顔だねこれは・・・」
「彼氏さんもお気の毒ね。何ヶ月くらい放置プレイされてるのかしら・・・」
「!?〜〜ち、違うってばそんなつもりないってば!
ただ銀ちゃんが本気かどうかわかんないからはっきり返事ができなくてっ」
「えぇ〜〜、じゃあ聞いてみたら〜〜?」
「えっ」
「あのね〜、だからね〜〜、ちゃんのほうから本気かどうか確かめてみるの〜〜!こうやってね〜〜、彼氏さんにぎゅぎゅーってして甘えてぇぇ〜〜、
ねぇねぇダーリン〜〜、前にダーリンが言ってたあれはほんとに本気のぷろぽーずだったのぉぉ〜〜?って〜〜!」
「っっ・・・」
空の大ジョッキをむぎゅっと抱きしめて「彼氏への上手な甘え方」を実演してくれた酔っ払いに「がんばれがんばれちゃん〜〜!」ってジョッキをぶんぶん振り上げた無邪気な応援までされちゃって、もう何の言葉も出ない。
隣でくすくす笑いっぱなしなポンちゃん以外の全員から痛いところを突かれちゃったあたしは、うぅぅ、って肩を竦めてうなだれた。
ううう、なにこれ、なんだかダメージ大きいんだけど。すっっごくいたたまれない気分なんだけど。
小さい頃からの付き合いだけにあたしのことを知り尽くしてる同級生の言葉だから、余計にダメージが大きいっていうか、心臓にグサグサ突き刺さってくるよ・・・!
・・・・・・でも、うん、そうだよね。言われてみればそのとおりで、ぐうの音も出ないよ。
曖昧で宙ぶらりんな今の状況を作り出しちゃったのは、実は銀ちゃんじゃなくてあたしだったのかも。
今まで気付かなかったからとはいえ、ずっと銀ちゃんを待たせちゃってたのかもしれない。
だからみんなの言い分はもっともだと思うよ、もっともだけど・・・!
「で、でも、でもね、真に受けていいのかどうか、ほんとにわかんなくて。
銀ちゃんていつも適当で、プロポーズっぽいこと言い出す時もへらへらしててふざけてばっかで・・・!」
「うーん、それってー、彼氏さんが真面目なことも冗談ぽくしないと言い出せない性格だからじゃないかなぁー」
「お、ポンちゃんするどーい。あたしもそう思ったー、うちのダンナもそういうタイプでさ」
首を傾げてるポンちゃんに、子供の頃からあらゆる世代の男子に超モテモテの肉食系女子で11歳の時にできた初彼氏以降一度も彼氏を切らしたことのない爆乳人妻同級生がさらりと髪を掻き上げながら同意する。
紅茶色の艶やかな髪が絡まった左手の薬指には、さりげなく光るシルバーのリングが。
驚きの連続だったせいでさっきからぽかんと開きっ放しの目で、あたしは彼女をまじまじと見つめた。
そ、そんな。ここであんたが、そんなこと言う?
あたしたちの中で一番モテモテ、かつ経験豊富で男の人の生態に詳しい唯一の既婚者にそんなこと言われちゃったら、「銀ちゃんが真面目なことを冗談ぽくしないと言い出せない性格だから」っていうポンちゃんの仮説が確定したも同然じゃん・・・!!?
「ふふ、そうかぁ。彼が本気かどうかわからない・・・、か」
君にはそう見えるんだね。
おかしそうにつぶやいた王子が、テーブルに肘をついた両手を組んで顎を乗せる。
彼女の斜め後ろの席からずっと熱い視線を送ってた学生さんぽい女の子たちが、ざわざわざわっ、と一気に浮き足立つくらいの麗しさでふっと笑って、
「だけど話を聞いた限りでは、彼の本気度は高そうだ。たかが同窓会で心配して大騒ぎするくらいだからね」
「そ、そうかなぁ・・・」
「それに、君の手からも彼の本気度が伝わってくるしね」
「は?手・・・?」
「だねーここにも証拠あるじゃん、彼氏が本気出してきてる証拠ー」
串から外したネギマとハツと鶏皮とレバーとぼんちりを次々と、休む間もなくぽいぽい口に放り込んではむぐむぐ噛みしめてる大食い女王が、おしぼりを握りしめてるあたしの手を指す。
親指と小指にはつやつやなネイビー、人差し指と中指は淡いブルーで、薬指は白。
さっき銀ちゃんが塗ってくれたネイルだ。
雑誌に載ってた完成形には遠いけど、あたしが指定した3色ですべての指が塗り終えられてる。どれも今着てる新しい着物に合わせた色だ。
塗り分けられた爪をしげしげと眺めて「うーん、どう見ても素人の仕事じゃないのよねー。塗りが綺麗だし厚さも均一だし」って不思議そうに首を捻った爆乳同級生が、
「この丁寧な仕上がりが何よりの証拠ってもんでしょ。つーか、普通は彼氏がネイル塗ってくれるとかないでしょ。
何なのよーそれ、あんたどんだけ甘やかされてんのよ」
「っち、違うー!ネイルはお仕事として依頼したの、タダでやってもらおうとか思ってないし!
それにお仕事だから丁寧にやってくれたってだけで、普段は何もしてくれないしっ」
「えぇー、でもー、お誕生日はプレゼント貰ったんだよねー?嬉しくって毎日付けてるんだよねー、彼氏さんに貰ったネックレス」
「〜〜っ!ちょっ、ぽ、ポンちゃんっっ」
横からぴたっと肩をくっつけてきたポンちゃんが、この前電話で(電話越しとはいえかなり恥ずかしい思いをしながら)報告したことを、あっさり暴露してくすくす笑う。
あわてて親友に抱きついて口を覆っても、もちろんすべてが手遅れで。
全員の目線がとっくにこっちへ集中しちゃってるし、それぞれが何か言いたそうにうずうずしてたり、テンション上がって抱き合った二人(小さい頃から恋バナが大好物だった酔っ払いと爆乳人妻だ)は「きゃー!なにそれー!」って叫んでたり、お酒やおつまみを口に運びながら人の顔を眺めてにやにや含み笑いしてたりで・・・!
「きゃ〜〜!いいないいな〜〜ぷれぜんといいな〜〜!うらやまし〜〜!」
「ちょっとーやだー、この子ったら首まで真っ赤なんだけど!なにその反応こっちまできゅんきゅんするーーー!
初々しいー!かわいいー!」
「うん、毎日付けてるってところが可愛いね。
ああ、そういえば君も11歳の頃は彼氏から貰ったぬいぐるみ毎日持ち歩いてたよね」
「あーはいはい、わかったわかった、つまり彼氏とはお互いにらぶらぶってことかーおめでとー」
「本当におめでとうちゃん。早速だけれどお式の予定はいつ頃かしら」
「わたしのお式と同じころかなー、ねーちゃん」
「〜〜っだだだだからぁっ、そんな予定どこにもないってばっっ。てゆーか委員長っスケジュール帳開かなくていーからっ」
〜〜〜〜ううううう、なにこれ、何なの、恥ずかしいぃぃぃ!
顔が熱いし頭も熱いし、心臓ばくばく暴れてるし。おまけに全身に変な汗湧いてきたんだけど・・・!
穴があったら入りたい気分だよ、とにかくみんなの視線から逃げたいよ。
いっそここでがばっと伏せて、テーブルの下で頭を抱えてうずくまりたいくらい恥ずかしいよ。
・・・し、しらなかった。男の人とまともにお付き合いするのなんて銀ちゃんが初めてだから、ぜんぜん、ちっとも知らなかったよ。
彼氏とのことをひやかされるのってこんなに恥ずかしいものなの?
彼氏持ちの女の子たちって、こーいうひやかしをいつでもさらりと華麗にスルー出来ちゃうの?
じゃあそーいう超絶スキルを身に着けてない恋愛初心者はこんな時一体どーしたら・・・!?
困り果ててもじもじとうつむいて自分の首元を見下ろせば、着物で隠れて見えない鎖骨のところに――うんと細くてさらさらした感触が、肌を掠めて揺れるのを感じる。
――今ポンちゃんに暴露されちゃったばかりの、銀ちゃんに貰ったネックレスのチェーンだ。
あの誕生日以来、あたしは毎日欠かさずこれを付けてる。
だって、すごく嬉しかったんだもん。大好きな人がくれた初めてのプレゼントは、あの日からあたしの一番の宝物になった。
毎朝これを手に取るだけで気分が弾むし、目に入るたびにしあわせな気分になっちゃうくらいだ。
・・・まぁ、いくら嬉しくても、どんなにこれを気に入ってても、銀ちゃんには教えてあげないけど。
うん、絶対に教えない。何があっても教えない。
実は前に「いつも付けてるよなーそれ、なに、そんなに気に入ってんの」ってからかわれたことがあって、その時は恥ずかしすぎてあわてちゃって「違うからっ、たまたま着けてただけだからっ」って心にもないこと言って怒っちゃったんだよね。
だからまたそんなことにならないように、なるべく銀ちゃんに気付かれないように黙ってこっそり着けてるんだけど――
なんてことを思い出して全身赤くして照れてる間に、みんなはなぜか顔を寄せ合ってた。
やけにひそひそとこそこそと、何かを話し合ってたみたいだ。
その話し合いに結論が出たのか、こっちへ向き直った委員長がおもむろに口を開いて、
「ところでちゃん」
「はい?」
「そろそろ見せてくれないかしら」
「は?見せるって、何を?」
「きまってるでしょ、彼氏よ彼氏」
じれったそうに口を挟んだのは、だんだんお酒が回ってきたのか目つきが据わってきた人妻だ。
ほらほら、って手を出して催促してきて、
「どんな人よ、写真見せなさいよ」
「ああ、それならスマホに・・・って、あれっ。まだ見せてなかったっけ」
「ないわよ、ないない」
「ないない〜、ないです〜〜!おねがい見せて〜〜〜!」
唄うみたいな調子で叫んだ酔っ払い同級生も、ぱっ、て両手を差し出してくる。
追加した手羽先やお酒を運んできた店員さんに大食い女王が一瞬で食べ尽したサラダやポテトや焼き鳥のお皿なんかを渡して「どうもありがとう、美味しかったよ」って微笑んだだけでその子にぽーーーっと見惚れられてた罪作りな王子が、受け取った手羽先のお皿をかちゃかちゃとテーブルに並べながら、
「ポンちゃんは見せてもらったんだろ、彼の写真。どんな人だった」
「ええとねー、なんだか頼りがいがありそうでー」
子供にも懐かれてて、いい人そうだったよー。
なんて、やさしいポンちゃんはにこにこ笑って銀ちゃんのことを誉めたたえてくれた。
子供に懐かれてる、なんて言ってたのは、たぶんあたしの写真フォルダの中に、銀ちゃんが神楽ちゃんをおんぶしてる写真が混ざってたからだと思うんだけど――
ごそごそ、ごそ。
スマホをバッグから引っ張り出して、期待に満ちた目で待ってる同級生のほうへ向けようとしたら、
ぶるっ。ぶるぶる、ぶるぶる、ぶるるるるるる。
「〜〜〜〜〜・・・・・・っっっ」
・・・来た。来た来た。しかもよりによってこんな、狙いすましたよーなタイミングで!
ぶるぶる震えて着信をお知らせしてくるスマホを恨めしさたっぷりな目で見つめながら、へなへなぁっとテーブルに崩れ落ちる。
ああ、もう、まったく、もう!着信画面を確認する必要すら感じないよ、間違いないよストーカーからの着信テロだよ!
着信38回のとんでもない大記録が早くも39回目に記録更新、あと一回で40回の大台に乗っちゃうよ・・・!
がっかりしたあたしが長ーーーい溜息をついて脱力してたら、ぶるぶるが止まらないスマホの画面をそっと覗き込んできた委員長が、
「ちゃん?出なくていいの?」
「うん、気にしないで。どうせ彼氏という名のストーカーだから、これで通算39回目の着信だから」
正直にそう答えたら、全員が「さんじゅうきゅう!?」って呻くと同時で固まった。
うん、まぁ、そうなるだろうと思ったけど。みんなの反応は当然なんだけど、
・・・・・・いたたまれなさすぎて泣きそうだよ。もれなく全員がドン引きしてるよ。銀ちゃんのばかっ、ばかばかばかっっ。
あたしの心情を察してくれたのか表情はすぐに元へ戻ったもののメガネの奥で見開いた目はいまいち動揺を隠しきれてない委員長が、驚いた拍子にズレちゃった細いフレームをぎこちなく直しながら、
「・・・さ、39回?39回も来たの?全部彼氏さんからなの?」
「うん、来たよ。ぜんぶ無視したけど」
「無視、ということは・・・まだ一度も出てあげてないってこと?」
「出ないよー。出たら帰ってこいとか言われるし」
そう言ったらなぜか全員が黙り込んで、お互いに目を見合わせて。
同級生みんなの間に、何かを探り合ってるような微妙な雰囲気がしばらく流れる。
どうしたんだろって思ってたら、
「・・・あのね、ちゃん」
言いにくそうに切り出してきたのは、隣に座ってるポンちゃんだ。
「電話には出なくても、何かちょっと返してあげたほうがいいんじゃないかなー。メッセージでひとこと返信とかー」
「使えないんだよねメッセージ。銀ちゃん携帯持ってないから」
「えっ。持ってないの」
「持ってないよ。メールもメッセージも出来ないからこーやって着信テロしてくるんだよ」
たくさんのお皿が並んでるテーブルの上でぴかぴか点滅してるスマホを指してそう言えば、綺麗な眉をかすかに曇らせた王子が、
「つまりそれって・・・彼氏にしてみれば、と連絡を取る手段が電話しかない、ってことだよね」
「うん」
「いや、いやいやいやいや。うんって・・・」
困ったような顔した爆乳っ子が「ないわー、それはないわー」って目許を覆って、炭火の煙で黒っぽく燻された天井を仰ぐ。
「はぁー?」って怪訝そうに呻いた大食い女王も、指で摘まみ上げてるグロめな物体――手羽先チョコバナナミント味をぽろっと落として、
「ちょっ・・・うそでしょ。それ知ってるのにあんた、一度も電話に出なかったの?ケンカしてからずっと放置プレイ?」
「放置プレイって言うな。だって出たらまた文句言われちゃうし、ムカつくし」
「・・・・・・うーん、でもさぁ、ほら、でもあれじゃん、彼氏はさー、あれでしょあれ・・・・・・ね、ねぇ?」
困りきった顔で口籠った同級生が、みんなにお伺いを立てるみたいにちらりちらりと目配せする。
・・・えっ。ちょっと。どーいうこと。その目配せ交信の相手から、どーしてあたしだけが除外されてるの?
ちょっと、また?またなの?またあたしだけぼっちにする気ですか何それけっこう堪えるんだけど本気でさみしいんですけどコノヤロー???
なんてかんじでまた情けない気分になってきて、また涙目になりかけた時だ。
――さみしすぎて泣きそうになってるあたしの視線の先に、やけに素早く動いた何かがひゅんって侵入してきて――
「はいはぁ〜〜〜い!こちらちゃんのスマホれす〜〜、うわさのストーカー彼氏さんれすかぁぁぁ〜〜??」
「〜〜〜〜〜っっ!???」
そこで突然、何の前触れもなく、信じられないことが目の前で起きた。
思わずがたがたっとテーブルを揺らして腰を上げて、声にならない悲鳴も上げる。
そんな反応を見せたのはあたしだけじゃない。
その子の動きに直前で気付いて止めようとしたけど間に合わなかった委員長と王子に、「ちょっっっ!?」って揃って叫んで手を伸ばしかけた大食い女王と爆乳っ子――つまり、基本的にのんびり屋さんで滅多なことじゃ動じないポンちゃんを除いた、ほぼ全員が同じリアクションをした。
とはいっても、あたしたちの誰一人としてその子を阻止できなかったわけで――
う、うそっ・・・・・・うそでしょ、出ちゃった。電話に出ちゃったよ、この子。
何のためらいもへったくれもなくスマホの画面をタップしてささっと通話をオンにして、あたしへの電話に出ちゃったよ!
生ビール三杯でへろへろになってて顔中真っ赤な茹でダコ状態で今にも歌とか歌い出しそうなくらい超ご機嫌、判断力とか常識とかはすっかり失くしてそうな完全なる酔っ払いが!
い、いや、でも、そんな子の前にスマホを投げ出してたあたしもあたしだけど。油断しきってたからしょうがないけど・・・!
『――おいっっ、!か!?』
かなり賑やかでがやがやしてる居酒屋に、その賑やかさを吹き飛ばすくらいの怒鳴り声が突き抜ける。
とたんに周りがざわっとして、通路を挟んだ男子グループや、他の席の人達まで驚いた表情で振り返った。
ざわざわっと広がった驚きはあっというまに伝染していって、店中の人の視線があっというまにこっちへ集まる。
ちょうどあたしの後ろを通りかかったここの女将さん(お登勢さんのお友達だ)には、
「おやおやまぁまぁ、今の声は銀さんかい?驚いたねぇ、あのぐーたら昼行燈がやけに情熱的じゃないのさ」
なんて絶妙なタイミングの悪さでひやかされるし、恥ずかしすぎて死にそうで変な汗が止まんない・・・!
〜〜〜ぅ、うそ、うそでしょ、いつのまに?いつのまにこの酔っ払い、ハンズフリー通話に切り替えちゃってたの!???
『だろ、なぁ、おいっ、聞こえてる!?聞いてんだろ!?』
「〜〜〜〜〜〜っっっっ」
あわててスマホを引っ掴んで取り返したけど、言葉なんてひとつも出てこない。
あたふたと左右を見回して耳まで真っ赤になったあたしは、スマホごとテーブルにばたっと突っ伏した。
だって、だってだって、恥ずかしすぎる!
友達は全員こっち見てるし、女将さんもまだ後ろにいるし!
周りの席の人たちもこっちをちらちら窺ってるし!
お願いやめて、やめて銀ちゃん、もうこれ以上喋らないで!
どーしてくれるのこの状況、恥ずかしすぎて心臓ばくばくしちゃって今にも失神しそうだよ!!!
「〜〜〜っぎっっ、銀ちゃんちょっと黙ってっ、後でかけ直すからっっ」
『はぁ!?っっだよそれぇ、つーか何だよさっきの女!お前どこで何して』
「いーからちょっと黙ってよぉっ、ぜんぶ聴かれちゃってるからぁぁぁぁ!!!」
周りの視線におろおろしながら、泣きそうになりながら叫び返す。
そしたら――
『・・・・・・・・・・・・』
突っ伏してたスマホからおそるおそる離れておそるおそる見つめて、何の音も漏らさなくなったちいさな機械に目を見張った。
・・・・・・えっ。あれっ。・・・・・・どーしちゃったの。い、意外なんだけど。
だって、おかしい。おかしくない?あの銀ちゃんが――誰かに「黙ってろ」なんて命令されたら余計にぺらぺら喋り倒しそうなひねくれ者の銀ちゃんが、言われたとおりに黙っちゃうなんて。
ちっとも銀ちゃんらしくない静けさが不気味すぎて気になって、ごくり、と息まで詰めてスマホを見つめる。
電話の向こう側にいるはずの彼氏がうんともすんとも言わなくなってから10秒が過ぎて、20秒も過ぎて、30秒も、40秒も――・・・・・・
「・・・・・・・・・・・・えっ。ちょ。えぇっと、・・・・・・???」
おかしい、やっぱりおかしいよ。
銀ちゃんが黙り込んでから、一分くらいは過ぎたはず。
なのに手の中のスマホからは沈黙しか返ってこないから、ちょっと心配になってくる。
いや、もちろん黙ってくれてるほうがいいんだけど。
黙ってて、って頼んだのはあたしだし、お願いしたとおりに黙ってくれてるんだから、何も文句はないんだけど――
「・・・ぁ。あのー・・・・・・。ねぇ、ぎ、銀ちゃん?きいてる?」
『・・・。誰だよ、今の』
「あ、ああ!あれ、同級生だから!酔っ払ってふざけちゃったみたいで」
『・・・・・・同窓会ってのは本当だな。嘘ついてねーな?』
「・・・は?うそ?うそって・・・なにそれ。何でそんなに疑うの、銀ちゃんたらぜんぜんあたしのこと信用してないじゃん・・・」
『あぁ!?そらぁ疑いたくもなるってもんだろ、つーかお前が電話無視して・・・・・・・・・・・・、
いや。つーか。あれだわあれ。・・・お前さぁ、あれな。もーちょっとあれだわ、お前・・・・・・・・・』
なんだかやけに歯痒そうな、だけどげんなりしてるような声がぼそぼそって漏れる。
ひょっとしたら、髪を掻き毟ってるのかも。スマホからはぐしゃぐしゃと、何かを引っ掻き回してるような音が響いてた。
『・・・・・・や。まぁ、もういーわ。どこにいるかわかったし』
「は?えぇ!?ちょ、だめだよ、絶対だめ!絶対来ちゃだめだからね!?」
『・・・。言われなくても行かねーよ』
「へ?そ、そうなの?来ないの?・・・・・・ぅ。うん。なら、よかった、けど・・・?」
『・・・。あーもぉ、っだよ、ったくよー・・・・・・はー、もういいわ。もう知らね。もう邪魔しねーからよー、好きにしろや』
なんてそっけなく言い捨てると、ぷつん。
通話は途端に切られてしまった。ぽかんと画面を見つめてるうちに、明るかったスマホの画面が真っ暗になって――
「・・・・・・・・・なにそれ。ほんっと意味わかんない・・・・・・」
やっとの思いで喉から絞り出した銀ちゃんへの文句は、情けないくらいに声が小さくて掠れてた。
がやがやざわざわした居酒屋の賑やかさが、少しずつ、少しずつ、あたしを取り囲むようにして近づいてくる。
・・・そんなふうに感じるなんて、よく考えたらなんだか変だ。
電話の向こうの銀ちゃんの気配に意識が集中しちゃってて、このお店の賑やかさなんて今の今まで忘れてたからかな。
火照りきってる頭のすみっこでそんなことをぼんやり感じながら、真っ暗な画面を膨れっ面で睨む。
下手に何か口に出したら友達を心配させちゃいそうだし、ここでほんの少し弱音でも吐いたらそれだけで涙が零れてきそうなくらいに、自分が動揺してることだってわかってる。
だからあたしはうつむいて、こっそり唇を噛みしめて。心の中でめいっぱい「ばかばかばか」って連呼した。
――ばか。ばかばかばか、銀ちゃんのばか。
なんなの、好きにしろって。なんなのその言い草。どうしてあんな、急に突き放すようなこと言うの。
あんなに恥ずかしい思いさせたくせに、そうやって一方的にキレて突き放すのってひどくない・・・・・・?
「・・・好きにしろとか意味わかんないよね、言われなくても好きにするし」
「いや、でも・・・ねぇ、いいの?一度掛け直したほうが」
「ええー、いいよーめんどくさいし。みんなもごめんね、お騒がせしましたー」
心配そうな王子を遮って、スマホをバッグへぽいっと入れる。
それぞれに気まずそうな顔してる同級生たちに笑って謝ってたら、
「――ちゃん」
名前を呼ばれて、ぎゅっ。
右から伸びてきたやわらかい手に、きつめに手を握られる。
え、って驚きながら振り向くと、もっと驚いちゃうことがあたしを待ち受けていた。
――ポンちゃんだ。
いつも穏やかでにこにこしてて心が広い親友は、怒ることなんて滅多にない。
なのに今は眉がちょっとだけ吊り上がってて、めずらしく怒ったような顔してる――
「だめだよ、ちゃん。電話しよう?」
「えぇ?」
「ちゃんからしたほうがいいよ、ね、そうしよう?」
「えぇー、なにそれー。ポンちゃんてば銀ちゃんの肩持つのー・・・?」
親友なのに味方してくれないなんて、なんだかショックだ。
・・・それに、納得いかないよ。銀ちゃんからしてくるならともかく、どうしてあたしから電話しなきゃいけないの。
口を尖らせてポンちゃんを見てたらもう片方の腕もこっちへ伸びてきて、今度は両手を握られる。
聞いて、って言いたげな表情でじぃっと目を覗き込まれて、
「あのね、もしわたしが彼氏さんだったら、たぶん同じことしたと思うの」
「・・・同じこと、って?」
「わたしだってちゃんがずっと電話に出てくれなかったら、繋がるまで何回でも電話するよ。
39回でも40回でも100回でも、繋がるまでずーーーっとするよ。だって心配だもの。
ちゃんが夜遅い時間に外出してて、なのに何時間も連絡がつかなかったら、何かあったんじゃないかって考えちゃうでしょ?」
「・・・・・・」
「彼氏さんて何でも心配しすぎで、すごーく過保護な人なんでしょ。
最初は同窓会に反対だから電話してたのかもしれないけど・・・途中からはそんなのどうでもよくなっちゃって、とにかくちゃんのことが心配だったんじゃないかなぁ」
「・・・・・・ぇ、」
のんびり屋さんな性格のせいか口調もゆっくりな親友の声は、いつもじわじわとゆっくりと、胸の中まで降り注ぐあったかい雨みたいに優しく染み込んでくる。
最初のうちは、めずらしい表情のポンちゃんにあっけにとられてたんたけど――目も口もぽかんと開ききったまぬけな顔で話を聞いてるうちに、ポンちゃんが伝えようとしてることがじわじわと胸の中まで染み込んできて――
そこで、あたしはやっと気が付いた。
これが39回目の着信だって打ち明けた時のみんなが、揃って微妙な雰囲気だった理由に。
――それから。そういうみんなの微妙さの意味にちっとも気付けなかったあたしが、銀ちゃんに何をしちゃったのかも――