テレビでもよくCMを見かける有名チェーンのドラッグストアは日用品から食料品まで揃ってて、いろいろ買える便利なお店。 そこで買い物しようとしたら銀ちゃんも何か買うつもりみたいで、「酢昆布買ってヨ」っておねだりする神楽ちゃんを連れてあたしたちは店内へ入った。
「何買うの」って尋ねても「んー?」って何か悪巧みしてそうなかんじに口許を緩ませてはぐらかそうとする銀ちゃんをあやしいなぁって思いながら、CMでもお馴染みのマーチっぽい曲が流れるにぎやかな入口を抜ける。 そしたら銀ちゃんのダラダラした歩き方がなぜか一変、なぜか一人でいそいそと、陳列棚で隠れてる奥のほうへ行っちゃった。 じゃあ銀ちゃんは放っておこうってことになって、あたしと神楽ちゃんは店内の反対方向へ。 途中で特売品の洗剤や入浴剤や定春の毛並みみたいにふわふわなハンディモップのシートなんかをカゴに入れながら向かったのは、ときどき買ってるプチプラコスメの棚だ。

「えーっと・・・あ、あったぁ、これこれー」

そう、今日のお目当てはこれ。秋らしく深みがある色合いのアイカラーセット。
使いやすそうな茶系や可愛いめピンク系に、大人っぽい葡萄色ときらきらしたパールグレーの組み合わせ。「今年注目の差し色」って雑誌でも大プッシュされてたモスグリーンも気になるよ。 それにここのアイカラーって、ケースに遊び心があって楽しいんだよね。 ちなみに今回は、多面体にカッティングされた宝石風デザインだ。 これでお値段はデパートで売ってるブランドコスメよりうんと安いから、シーズンごとに色違いで揃えたくなっちゃう。
うーん、今回はどの色にしよう。
色とりどりに光るケースをあれこれ手にとって悩んでたら、くいくい、くい、って袖口あたりを軽く引かれて。 ん?って何気なく隣を見た瞬間、あたしは持ってたアイカラーを危うく落っことしそうになった。 目が覚めるような濃ゆーい青紫、っていう一度目にしたら忘れられない色の口紅を唇から盛大にはみ出させてる女の子がこっちを見上げてたから。 よく見れば、赤いチャイナ服の手元には口紅っぽいスティックが。このお店の備え付けサンプル品みたいだけど――

「かっ、神楽ちゃん?どーしたのそれ」
「どうアルかこれ、似合うアルか」
「えっ、ええっ。〜〜ぅ、うんっそそそ、そうだねあのええと…!」

似合う似合わない以前に度肝を抜かれるよ、インパクトありすぎだよ神楽ちゃん。
かなり控えめに言っても、冒険RPGに出てくるゴブリンやオークをがぶっと食べた直後ですって顔だよ。 ちょっと気を抜くと腹筋が大激震しそーになるくらいの可笑しさをどうにか必死でこらえながら、「その口紅どこにあったの」って尋ねてみる。 だってもしここで大笑いしたら、14歳の繊細な乙女心を傷つけちゃうかもしれないし。 神楽ちゃんは口紅を握った手でお会計待ちの人が並んでるレジの向こうを指して、

「あっちネ、カゴにいっぱい入ってたヨ。今なら70%オフでお買い得ネ!」

得意げな顔で指してるのは、背の高い棚で隠れてるお店の奥。銀ちゃんが一人で行っちゃったほうだ。
いっぱいカゴに入ってたってことは、大量に売れ残っちゃった見切り品かな。 うん、まあそうだよね、売れ残るよねこの色は。 こんな強烈な色を使いこなせるのは、ごく一部の選ばれた人だけだよ。 そう、たとえば… 一般人には着こなし不可能な超個性的ファッションでも見事に着こなすモデルさんとか、この界隈なら二丁目のショーパブで孔雀の羽みたいなゴージャス衣装と同じく孔雀の羽みたいなゴージャス付け睫毛を装備して夜な夜なステージの華と化してるニューハーフのお姉さんたちとか。

「どうアルか、色気むんむんアルか? 渡鬼で卓造が通ってるスナックにこんな化粧したホステスがいたネ、イカしてたアル!」
「〜〜ぇ、えぇっと、お色気とかは神楽ちゃんにはまだちょっと早いっていうか…もう少し大人になってからでいいんじゃないかな」
「でも私早くピン子みたいになりたいネ。世慣れたかんじの大人の女を目指してるネ!」
「う、うーん、そーだね、でもねピン子を目指すのもまだちょっとあの…40年か50年くらい早いと思うんだけど…」

苦笑いしながら着物の袂から取り出したのは、さっき商店街を歩いてたときに貰ったポケットティッシュだ。 「ちょっと上向いてね」ってふんわりすべすべなほっぺたを上向かせたら、神楽ちゃんがぷくってほっぺたを膨らませて、

「えぇ〜〜、拭いちゃうアルか?やーヨ、せっかくきれいに塗ったのにぃ」
「うんうん、でも神楽ちゃんならもっと淡い色も似合うんじゃないかな。 ほらそこのベビーピンクのグロスとか、きらきらしててきれいだよ」

神楽ちゃん肌白いからきっと似合うよ、って宥めながら、ごしごし、すりすり。 紫のクレヨンみたいなべとべとで濃ゆーい色を、うぅ〜〜、って唸って拗ねてる女の子の唇から拭き取ってたら、
「おーいー。ちゃーん」
こっちこっちー、って手招きで呼びかけてきたのは、絆創膏や包帯なんかの棚の上からひょこっと顔を覗かせた銀ちゃんだ。 何か探しに行ったみたいだったのに、どうしたんだろ。神楽ちゃんと一緒にそっちへ行こうとしたら、
「あーいやいや、神楽はいーから。だけでいーから」
なんて、なぜか焦ったかんじでぶんぶん手を振って断るし。
何で、どうしてあたしだけ? 不思議そうに目をぱちくりさせてる神楽ちゃんを残して、とりあえず銀ちゃんのほうへ行ってみる。 そしたら「こっちこっち」ってコスメコーナーからはうんと離れた壁際の棚まですたすたすたすた、早歩きで一直線に連れて行かれて。 銀ちゃんが持ってた買い物カゴの中身をがさごそがさごそ引っ掻き回し始めて、

「種類が多すぎて迷っちまってよー。お前どれがいい、いちご味?チョコ?」
「は?いちご味?銀ちゃんお菓子でも選んでたの」
「あーそーいやぁバナナもあったよなぁ。いやいやでもなーアレがバナナ味ってどーよ、直球で卑猥じゃね」
「はぁ?」
「それとも見た目で楽しいほうがいーの。 暗いと光るやつとか、花柄とかうさぎ柄とかパンダ柄とかぁ。あーそれから」
「ねぇ、わけわかんないんだけど。何の話」
「いやだからこれな、これの話な」

ずいっと目の前に突き出してきたのは、銀ちゃんの手からちょっとはみ出すくらいの紙の箱。 ポッキーの箱を一回り小さくしたようなそのパッケージで、あたしの視界がいっぱいになる。 うひひ、って不気味な笑い声を漏らしながらにやついてる銀ちゃんが隣にべったりくっついてきて、かと思えば肩を引き寄せられて、腕の中に囲われて。 そしたらすぐ近くの歯ブラシコーナーを物色中の人たちがちらちらこっちを振り返るから、なんだかすっごくいたたまれない。 男の人のずっしりした身体の重みと体温が、着物越しでもしっかり伝わってくるからどきっとしちゃう。
・・・もう、銀ちゃんも少しは人目ってものを意識してほしいよ。
さっき通った人気のない並木道ならまだしも、こんな賑わったお店でべたべたされたら思いきり悪目立ちしちゃうのに。

「ちょっ。やめてよ」
「んー?何をだよ」
「〜〜だ、だからっ・・・お店の中だしっ。見られるからっ」
「そーかぁ?気にしすぎじゃね」

・・・だめだ。ちっとも効き目がない。 ちょっと唇を尖らせて嫌そうに文句をつけてみても、肩を掴んでる大きな手をあわててべちっと叩いてみても、銀ちゃんはあたしのそんな反応まで面白がってるみたいにへらへら笑って受け流すだけだ。
・・・・・・うん、まぁそうだよね。効き目がないのも頷けるよ。だって、きっとバレちゃってるんだもん。 こんな時のあたしはいつも怒ったような顔になっちゃうんだけど、それが実は銀ちゃんとの密着度の高さにどきどきさせられてどんな顔していいかわかんなくなってるからだってことも、やめて、なんて文句つけた声が実は大して嫌そうじゃないことも、肌と肌がぴとっとくっついてるほっぺたがじわじわ火照ってきてることも、銀ちゃんにはきっとバレちゃってるはずで。 だからこんなふうに愉しそうに細めた目であたしを眺めて、「おいおいどーしたの、恥ずかしーの?これだからお子ちゃまはよー」なんてことを言い出しそうな、見透かした目つきでにやにやしてるんだよね。 ああもうムカつく・・・!
口紅を拭かれて拗ねてた神楽ちゃんみたいにほっぺたを子供っぽく膨らませながら、目の前のものを奪い取る。 銀ちゃんが持ってた紙の箱は、光が当たるときらきらな虹色になるように加工された白っぽいパッケージだ。 箱の半分くらいを占める大きさで目立つようにどどーんと書かれてる文字は、ええと、


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「うすさ0.007ミリ」?
・・・・・・その下にはもっと小さな字で「NASAも採用した最先端素材で究極の使用感」・・・?



「なぁどーよこれ、も試してみてーだろぉ? つーかヤバくね0.007ミリってよー、どーなってんだよ異次元の世界だろナマでヤるのと変わんなくね」
「ぎゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」

〜〜〜〜こ、これって、この箱って!!!!!
手にした物の正体にやっと気づいて目を剥いて、ぼんっっ、と音がしそうな勢いで顔や耳まで火が点いた。 驚きすぎて開きっぱなしの口と問題の箱を持った両手が、わなわな震えて止まらない。
こっっ、これにアレが!?こんなポッキーみたいな箱に入ってるの、アレが!!? 〜〜〜しししし知らなかったよ、初めて見たよ!! もちろんそういうもののコーナーがこういうお店には付き物だって知ってたけど、今までなんとなく避けて通ってたし! 恥ずかしいから一度も直視したことなかったし! えっちするときはいつも銀ちゃんが四角いビニールに入ったあれをどこからともなく手品みたいに出してくるから、箱ごと目にする機会なんてなかったし・・・!!
べしいぃぃぃっっ。
全力で振りかぶって投げつけた箱がすっとぼけた半目の眉間を直撃、ぼとっ、と黒いブーツの足許に落ちる。
なのに銀ちゃんは「っだよぉいってーなぁ」って、たいして痛くもなさそうな顔で目許を擦ってにやにやしてる。 箱をぶつけられたくらいじゃこれっぽっちも懲りてないみたい。 上機嫌で鼻歌なんか歌いながらカゴの中をごそごそ探って、次に取り出したのは水色にピンクのドットの箱で、

「じゃあこれは、これ。ほらほら水玉だよピンクだよ可愛いだろぉ、こーいうの女子は好きだろぉ」
「〜〜〜っ。そっ、そんなこと言ってどうせそれもアレなんでしょ!?」
「そーだよアレだよ、お前とアレする時に着けるアレな。 おぼこいちゃんはゴム売り場なんて見たことねーだろーから一応解説すっけどよー、これは水玉模様のとこがツブツブのちっせー突起になっててー」
「???と、突っ・・・?」
「そーそー、突起な突起。 でよー、そのツブツブの突起がアレをアレする時にあそこに当たってぇ、××が××でふつうのアレよりも××されっから結構いいらしーんだわ特にみてーに敏感な子はぁ――・・・・・・」
「ぎゃーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」

耳に唇をくっつけられて、ひそめた声でごにょごにょごにょ。
おかげでダイレクトに脳内に広がった銀ちゃんの「解説」はあられもなくて生々しくて、女の子がとても口に出せないよーな猥褻ワード連発で。 おかげで一気にどかんと頭に血が昇っちゃって、すっかり取り乱したあたしはレジ打ち中の店員さんまでびっくりして振り向くよーな大声で二度目の悲鳴を上げてしまった。 無理やり押しつけられたピンクのドット模様の箱を振りかぶって、べちっっっ。
あたしが真っ赤になった顔を覆ってうろたえてても面白がってにやにや笑ってる、ムカつく彼氏のすっとぼけた顔に投げつけたんだけど、

「っだよぉー、ツブツブもダメ?そんじゃあれかぁ、やっぱこっちのいちご味にすっか」
「は!?いちご、あじ?ななっ、なんで、味!?」
「いやだからー、俺がこれをアレに着けてがあーんしてぺろぺろちゅーちゅーすっとお口一杯にいちごの甘酸っぱい味が」
「ぎゃーーーーーーーーーーーーー!!!〜〜っやゃややゃだやだ銀ちゃんのばかあぁっやややめてぇもうやめてえぇぇ!!」

真っ赤ないちご模様の箱を顔の横に上げて人並み以上によく回る口をぺらぺらとフル回転させる銀ちゃんの胸を、箱に描かれたいちごと同じくらいに顔を赤くして押し返す。 べしべしべしっっ、めちゃくちゃに腕を振り回して殴りまくる。 なのに銀ちゃんたら不満そうに口なんか尖らせちゃって「えーこれもダメ?んじゃこれは、ローション代わりのゼリー入りでなんかあったけーらしーんだけどー」なんて、またいそいそとカゴから別の箱出してくるし・・・!!!

「〜〜〜ばばばばっかじゃないの、ばっっっかじゃないの!?こんなとこでローションとか言うなあぁ!」
「っだよぉ好き嫌い多すぎだろお前ぇ、じゃあどれがいーんだよが選べよー」
「ぇら、っっ!?そっっ、むむむ無理っ、選ぶとか無理いぃぃ!」
「えっ、そんじゃ買わなくていーの。ええっいーの、今ちょーどうちに買い置きねーんだけどいーの買わなくて! えええっっいーのマジでいーの今日はナマでヤらせてくれんの!?」

がばぁあああっっっっっ。
きらぁーーーん、って目を輝かせた銀ちゃんに止める間もなく抱きつかれて、

「いーのマジでヤらせてくれんの!?ちゃん最高っあいしてるっっ」
「ぅぎゃぁあああ!」

目の前数センチまで勢いよく迫ってきた今にもよだれ垂らしそうな顔を、両手でむぎゅっっ。
背中にぐさぐさ突き刺さってくる不特定多数の視線の痛さで泣きたい気分になりながら、唇がおでこにくっつく寸前で食い止める。 だけど銀ちゃんたらここぞとばかりに持ち前の馬鹿力を発揮しちゃって、にやにやが止まらない緩みきった顔でじわじわじりじり距離詰めてくるし・・・!

「っだよぉやっぱもゴム無しのほうがいーんじゃん、それならそーと早く言えって。 よーしそうと決まればさっそく今日から頑張ろーぜー、ベタだけどとりあえず野球チーム目指しとくかぁ」
「いやあぁぁ!そんなもの誰が目指すかぁぁぁ!」
「えーダメなの、そんならいーわ我慢してやるわサッカーチームで」
「どこが我慢なの増えてるし!!〜〜っってそれより早く離れてよぉぉ!」
「んぁーどーしよっかなぁー、ラブホでナースコスプレしたちゃんがゴム無しでお注射プレイやらせてくれんなら離れてやってもいーけどー」
「誰か、誰か助けてぇぇ!この人変態です強姦魔です助けてえええぇぇぇ!!」

すっかり調子に乗っちゃってとんでもない交換条件を要求してきた変態のほっぺたを雑巾を絞るよーな手つきで鷲掴み、何の手加減も容赦もなしで全力籠めてぎゅーぎゅーぎゅーぎゅー押し返してたら、

ーこの色どうアルか、今度はほっぺたも塗ってみたネ!」
「ぎゃーーーーーーーーーー!!???」

休日の商店街でも所構わずセクハラしてくる彼氏のせいで真っ赤に茹で上がっちゃった顔が、さーっ、と一挙に青ざめる。 後ろから声を掛けてきたのは、ポッキーっぽいあの箱が散乱してるこの場には一番来ちゃいけない子だ。
あああああどうしよう、マズいマズいよ、不特定多数のご近所さんに見られちゃいました程度のマズさじゃないよ。 よりによって神楽ちゃんが! 言うことがおませさんなわりには具体的な保健体育的知識がちびっ子レベルで、銀ちゃんが掻き集めてきたカゴの中身なんて見たことがないどころか存在自体知らなさそうな純真無垢な14歳が!!

「かかか神楽ちゃんんんん!?だだだめだめっこっち見ちゃだめっっ、てゆーかこっち来ちゃだめぇぇ!」
「どーしてアルか?ねーねーそれよりこのメイクどーアルかセクシーアルか、流行りのおフェロ顔アルか」

あわてて銀ちゃんからカゴを奪って、床に散らばってた例の箱もあたふたしながら掻き集めて、どうにかぎりぎりセーフで棚の影に隠したところへ、神楽ちゃんはぱたぱた駆けてきた。 唇から盛大にはみ出したサツマイモっぽい赤紫色の口紅に加えて、同系色のチークまで塗ってる。 ほっぺた全体にぽってりと濃いサツマイモ色が広がったその顔は、おフェロ顔セクシー系というよりは日本の伝統芸顔おてもやん系だ。

「どうアルか私色気むんむんアルか? ホステスの真似はやめて今度はモード系でキメてみたネ!」
「〜〜う、うんっそーだねでもね神楽ちゃんはモード系より可愛い系のほうがっていうかあぁあああぁのほらえっと…!」
「いやいやどう見てもモード系じゃねーだろ、酔っ払いジジイの宴会芸系だろ。つーかおてもやんだろ」
「ああああああぁもうっっ、どーして言っちゃうの銀ちゃんっっ」
「――いたぞ新ちゃん、こっちこっち!」
「ああ、いた!銀さん!」

神楽ちゃんを宥めたり銀ちゃんを横から小突いたりしながらもう一回ティッシュを出そうとしてたら、そこへ銀ちゃんを呼ぶ声が。 聞き慣れてるその声はボリューム大きめな音楽が流れてる店内でもすぐに耳に飛び込んできて、あたしたちは全員そっちへ振り向いた。
お買い物中の人の間を擦り抜けながら、半被姿の男の子二人が走ってくる。 先頭の子は金髪リーゼントで、後ろには見慣れたメガネの男の子。 頭にはお揃いの「お通ちゃんLOVE」ハチマキを巻いた二人は、新八くんとそのお友達だ。
でも、どうしてここにいるんだろう。今日は万事屋がお休みだから、夜だけご飯食べに来るって言ってたのに。 「土曜日はお通ちゃんのライブがあるんです」って、この前会ったときは嬉しそうに話してたのに・・・?
お?ってつぶやいた銀ちゃんが意外そうな表情になって、続いて神楽ちゃんも新八くんたちの姿に目を丸くして、

「どーしたよ新八、お前昼間はライブだって言ってなかったっけ」
「ほんとだ新八ネ。どうりでさっきからパッとしないダメガネドルオタ童貞オーラが漂ってると思ったアル」
「おいィィィ!こんなとこで童貞とか言うなぁぁぁ!ていうかそんなバケモノみてーな化粧した子に言われたくないんだけど!?」

多感なお年頃の男の子が最も言われたくないNo.1NGワードをけろりと言い放った神楽ちゃんに、新八くんが耳まで染めた真っ赤な顔で叫び返す。 すると横のお友達――新八くんのお通ちゃん親衛隊仲間で金髪リーゼントが目立つタカチンくんが半被の肩を掴んで止めて、

「落ち着けよ新ちゃん。それより早くあの男の話したほうがいーんじゃねーの」
「そ、そうだ銀さん大変なんです!さんが、さんがストーカーに狙われてるんですよっ」
「はぁ?ストーカー?」


・・・・・・は?ストーカー?えぇ?あたしが?狙わ…?? は???

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なにそれ意味わかんない。


思いもしなかった訴えに心底ぽかんとしちゃったけど、新八くんの表情は真剣そのもの。 どう見ても冗談を言ってるようなかんじじゃない。 というかそもそも新八くんて、こういう洒落にならないようなことを冗談で言うような子じゃないし。
くるんと振り向いた銀ちゃんの「…って言ってっけど、どーよ」なんて尋ねたそうなすっとぼけた半目と見つめ合った数秒後、あたしはぽかんと目を見開いたままぶんぶんかぶりを振りまくった。
ストーカー・・・?狙われてる・・・?
誰が?あたしが?・・・えぇぇ?ストーカーに?何で? そう言われても、心当たりがさっぱり無いんだけど。 誰かに恨みを買うようなことした覚えもないし、これまで誰かに付き纏われた覚えもなければ、これから誰かに付き纏われそーな予感もないんですけど。 まぁ新八くんのお姉さんみたいに魅力的な美人さんなら、街を歩いてるだけで男の人に見染められてその人に毎日追い回される、なんてこともありえるんだろーけど・・・、
いやいやいや、ないないない、地味で残念な非モテ女子のあたしに限ってそれはない。 そんなの天変地異が起こるくらいの確率でありえないよ。
目も口もぽかんと開きっぱなしの間抜け顔状態でそんなことを思ってた間、銀ちゃんは何か考えてそうな目つきで横目にあたしを眺めてた。 それから「それよー何かの間違いじゃねーの。がびっくりしてんだけど」って、銀ちゃんの真後ろに立ってたあたしを前へ押し出す。 そこでようやくあたしがいることに気付いたみたい。新八くんは途端に目を見開いて、かと思えば心底ほっとしたような顔になって、

さん!よかった、さんも一緒だったんですね・・・!」

安心しました、って、息を切らしながらつぶやくとすっかり曇ってたメガネを外して、半被の袖でごしごしと顔の汗を拭き始めて。 ちょっと疲れたような顔で肩を落として、はーっ、って長い溜め息を吐いた。
新八くん、うんと遠くから走ってきたみたい。しかもすっごく急いで来てくれたみたいだ。すっかり呼吸が上がってる。 でも――こんなに心配してくれてるのに悪いけど、やっぱり何かの間違いじゃないのかな。 おでこの汗を拭いながら銀ちゃんと話してる男の子を申し訳ないよーな気分で眺めてたら、肩を揺らしてぜーはー言ってたタカチンくんが「ちーッス」って頭を下げてくれた。 口調が荒くてこの外見だから何かと不良扱いされそうな子だけど、中身は見た目に似合わず真面目そうなんだよね。 いつ会ってもきちんと挨拶してくれるんだよね。そういうところが新八くんのお友達っぽいなぁっていつも思うよ。 「こんにちは」ってこっちからも挨拶を返したら、タカチンくんはだらだら汗が流れてるおでこからはちまきを外す。新八くんの肩をぽんと叩いて、

「だから言ったじゃん、坂田さんと一緒なら平気だろってよー。まぁでも、無事でよかったな」
「うん、ちょっと心配しすぎだったね。でも気になっちゃってさ・・・あの人、いきなりさんの家に押しかけるようなこと言ってたし」
「だよなー付き合ってもねー女の家勝手に調べて来ちまうとかよー、どうかしてるよなぁあの男」
「あー?何だよ、家調べてって」

銀ちゃんが怪訝そうに問い質せば、新八くんがあわて気味に口を開いて、

「僕たちさっきバスで帰ってきたんです。それで、同じバス停で降りた人に声を掛けられて」
「苦情でも言われたアルか、ダメガネドルオタ童貞オーラが鼻について車酔いしたって」
「茶化さないでよ神楽ちゃんっ、話が進まないからね!?」
「あーもう落ち着けって新ちゃん。しゃーねーな、俺が話すよ」

歯痒そうにハチマキを巻いた頭を引っ掻き回す新八くんの肩を押さえつつ、タカチンくんが口を開く。 よっぽど説明を急ぎたかったみたいで、早口で一気に話してくれた。

「その男、坂田さんと年変わんねーくれーの奴で、スマホに坂田さんの彼女さんのマンションの名前メモっててよー。 それを俺たちに見せて『このマンションなんだけど、場所を知ってたら教えてほしい』とか言いやがって」
「そうそう、そうなんです。それで僕が『知ってる人がそこに住んでる』って言ったら、その人の口からさんの名前が出てきて。 『僕の同僚でさんて子もここに住んでるんだけど、君たち彼女が何号室に住んでるか知らないかな』って」
「えっ。ど、同僚?」
「何アルかそいつっ、ぜったいストーカーヨキモすぎネ!」

私取っ捕まえてくるネ!って憤慨した神楽ちゃんがすぐさまお店の入口目指して駆け出して。 あっというまに店内から消えそうな勢いだった女の子の襟首を、がしっ、と銀ちゃんが鷲掴みして、

「はいはいストップー、ちょっと待て神楽」
「離してヨ銀ちゃん!早く捕まえないと逃げられてしまうヨストーカーに!」
「いやいや待てって落ち着けって、そんなバケモンみてーな化粧した奴が行ったらどのみちストーカーに逃げられっから。 それに捕まえるったってお前、そいつの顔もしらねーだろ。せめてこいつらの話聞いてからにしろや」
「・・・・・・・・・どっ。ど、同僚・・・・・・?」
「んー?んだよ、、なんか言った」
「ぅ、ううんっ、何もっ」

ぶんぶんかぶりを振ってみせれば、銀ちゃんはちょっとだけ目を見開いた不思議そうな顔になる。
その後も銀ちゃんが何の危機感もなさそうなとぼけた口調で神楽ちゃんにあれこれ言い聞かせたり、銀ちゃんに片手でぶらんと吊り上げられた神楽ちゃんが手足をじたばた振り回して暴れてる中、あたしはじわじわ湧いてきた嫌な予感で顔中がぴくぴく引きつってきた。
・・・・・・同僚?同僚って。・・・・・・うそでしょ。ひょっとしてもしかして、あの人じゃ・・・?
うわぁどうしよう、こめかみあたりに変な汗が湧いてきた。 そんなことをしそうな人に一人だけ心当たりがあるというか、該当しそうな人が頭に浮かんでるんだけど・・・!
焦ったあたしがスマホを仕舞った着物の袂をあたふたと探り始めたら、銀ちゃんが「で、どーしたよそいつは。まさかん家教えてねーだろな」って新八くんたちに尋ねる。 タカチンくんが心外そうに銀ちゃんを睨んで、

「教えねーって。 そいつやたらと明るくて人がよさそうだったし悪い男には見えねーけど、もしあれが同僚でも何でもねーヤバい奴だったら・・・なぁ、新ちゃん」
「そうですよ。そんな人に自宅の場所まで知られたら洒落になりませんよ」

うちの姉上みたいにストーカー被害をものともしない女性なんて、滅多にいるもんじゃありませんからね。
そう言った新八くんの声はやけに実感が籠ってて、お姉さんのことを思い出したせいか複雑そうな表情だ。

「だから嘘の住所教えてきました、さんの家とは逆方向の駅の近辺を。 だけど万が一あの人がさんの家を探り当てちゃったらマズいし、とにかく万事屋に知らせよう、って急いで走ってきたんです。 でもここの入口に定春がいたから」
「――おお、やはりここだったか銀時!」

そこへまた、思いがけない人が姿を見せた。 お店中に響き渡りそうな凛とした声で、新八くんの話を遮った人。 それは艶めく黒髪をさらさらと靡かせながら接近してくる、どこか憂いのあるまなざしが色っぽい大人の女性――じゃなくて、女物の着物姿が板につきすぎてていつ見ても本物の女性にしか見えない桂さんだ。 やわらかい仕草で胸の前に組んだ手は、ジャンプくらいの厚さの紙の束を抱えてる。 その後をぺったん、ぺったん、って間の抜けた足音を響かせながらペンギンぽいよたよたした歩き方でついてくるのは、いつも一緒にいる白い着ぐるみの人。 こっちもなぜか赤いリボン付きの金髪縦ロールウィッグを被ってて、日の丸みたいな真っ赤なチークと明太子みたいに真っ赤な口紅がどどーんと激しく主張してる無表情な顔の横には、いつも持ってるプラカード。 そこには「かまっ娘倶楽部10周年記念フェアー!ドリンク無料券絶賛配布中!」って、ピンクのハートマークで囲まれた文字が。 二人の格好から判るのは、どうやらかまっ娘倶楽部の客引き役としてチラシ配りのバイト中らしいってことなんだけど ・・・うーん、いいのかなぁこれで。これで客引きになるのかなぁ。 妖艶美人に変身してる桂さんはともかく、着ぐるみの人の女装姿を見たらお客さんが逆に逃げちゃうんじゃ・・・?
「あーあー、めんどくせーバカが来やがった」
後ろから銀ちゃんのうんざりしきったような声がぼそぼそ響く。 だけどそんな悪態も、何かとマイペースな桂さんの耳には入らなかったみたい。 「おお、殿も一緒だったか」ってあたしにも挨拶してくれて、

「万事屋へ向かう道すがら定春くんを見つけてな、もしやここかと思い入ってみたのだ」
「んだよおめーまで俺を探しに来たのかよ」
「?俺以外にもお前を探している者がいたのか?いやまあいい、とにかく聞け銀時。俺は忠告しに来たのだ」
「何をだよ。今西郷のジジイに捕まると、おめーみてーに女装させられて昨日の飲み代代わりにこき使われっから気ぃつけろってか」
「おお、そういえばお前に訊かねばと思っていたのだ。昨夜は何があったのだ? 今朝目が覚めたらかまっ娘倶楽部で、しかも破壊され穴が開いたデカい酒樽の中で眠っていてな。 アゴ美殿が言うには「あんたとパー子が酔って暴れたせいで店中酒浸しになって大変だった、しばらくタダ働きしなさいよ!」と」
「・・・。へ、へー、ふーんそーなんだぁ、いやぁ知らねーなぁ昨日のこたぁなーんも覚えてねーからよー」
「完全に棒読みになってますよ銀さん。あんたほんとに何も覚えてないんですか」

やけに引きつった顔で視線をうろうろ泳がせてるどう見てもあやしい銀ちゃんに、疑わしそうに新八くんがツッコむ。
「それでだ、西郷殿が――」
話を続けようとした桂さんが何かに気付いたような表情になって、

「いやすまん、話が逸れたな。それはともかくだ銀時、殿。まずこの話を耳に入れておきたいのだが」

え、あたしも?
なぜか桂さんに呼びかけられて、スマホの画面をタップしたばかりの手が止まる。 桂さんは真剣なまなざしをこっちへ向けていて、

殿。 おなごにとっては不快極まりない話ゆえ、落ち着いて聞いてほしいのだが・・・殿は不審者に狙われているやもしれん。 俺は駅前でとある男と会ったのだが、その男がそなたの住むマンションの場所を尋ねてきてな」
「えっ、桂さんもですか!?」
「またアルか!」
「何だ「また」とは。もしや他にも殿に付き纏う奴がいたのか、リーダー」
「そーヨもう一人いたネ、さっき新八が会った奴ヨ!真選組のゴリラみたいな悪質ストーカーヨ!」
「いやいやそんな奴2人も3人もいねーだろ、あの男だろ間違いねーって!」
「・・・!」

銀ちゃんに吊り上げられた格好のままじたばたしてる神楽ちゃんと、顔を見合わせた新八くんとタカチンくんが口々に騒ぎ始める。 あたしはあわててスマホ画面に視線を戻した。 公園に着く前にも使ってたアプリをさっそく開いて、そろそろ、そろーっと後ずさりして。 みんなから少し距離を取ると、表示されてる未読メッセージにはらはらした気分で目を通していく。 その間も、桂さんのすらすらと澱みない説明は続いてて――

「エリザベスと駅前でチラシ配りをしていたところ、その男に携帯電話のメモを見せられたのだ。 俺がそこの住人を知っていると話すと、そやつは殿の名を出してきた。 自分は会社の同僚だと名乗り、殿の住む部屋がどこか知りたいと」
「うわぁ、絶対あの人だ!桂さんっ、実は僕らもさっきバス停で会った人に同じことを訊かれたんです!」
「おお、それは同一人物かもしれんな。うむ、俺が会った男は年の頃は20代半ばで・・・」

その人の容貌について語り始めた桂さんの声も気にしながら、何通も届いたメッセージを焦りながら読んで、どんどん下へスクロールして。
・・・うわぁぁぁ、やばい、やばいよどうしよう。
一番下の最新メッセージまで一気に読み終えたけど、ずらりと並んでるその人の言葉は困ったことにどれも目を疑いたくなるようなものばかり。 つーっ、とこめかみから冷や汗が流れた顔がひくひく引きつってくるのを感じながら、ごくん、と大きく息を呑んだ。

「――まあ話した限りでは人の好さそうな男だし、悪事を働くようには見えんのだが・・・ まずはその男が真に殿の同僚かを確認しようと、チラシ配りを中断してここまで来た次第だ。 どうだろう、殿。それらしき者に心当たりはないだろうか」
「え!?え、えぇとそれが、あの、心当たりっていうか・・・っ」
ー、お前さっきから何をこそこそやってんの」
「っっ!」

後ろから声を掛けてきたのと同時で、ひょいっ。
目の前へぬっと伸びてきた大きな手が、あたしの手からスマホをすいっと抜き取っていく。 ぎょっとして振り向いたときにはもう遅い、すでにスマホは銀ちゃんの手の中だ。 しかもあたしじゃどう頑張っても届かないくらいの高さまで持ち上げられちゃって、これじゃあ取り返したくても取り返せないよ・・・!

「〜〜〜っ。か、返してよっ」
「あー、またあれ?メッセージってやつ?さっきも聞きそびれたけど誰とやってんの」
「ぇ、誰って、えっちょっと、ゎわ、やめてよ勝手に見るなあぁ!」
「ん?どれどれ・・・おお、若者の間で流行っているあれか」

殿もこういったものを嗜まれるのだな、なんて興味深そうにつぶやいた桂さんが、銀ちゃんの横からスマホをしげしげと覗き込む。
「そういえば、こういったチャットのようなやりとりをSMなんとかと呼ぶのだったか?」
銀ちゃんと同じ言い間違いをきりりと引き締まった真剣な顔で言ってのけると、後ろの白い着ぐるみの人が『それを言うならSNSです 桂さん』ってすかさずプラカードを上げて、

「・・・・・・ん?おい、銀時・・・・・・こっ、これは・・・」

顔を寄せてあたしのスマホを覗き込んだ二人の表情が、みるみるうちに曇っていく。
はっとしたように顔を上げた桂さんが驚きに満ちた表情であたしを眺めて、それからひどく気まずそうに横の銀ちゃんを眺めて、きれいにお化粧が施された顔を困ったように歪めながら、またあたしを眺めて――そんな仕草を何度も何度も、焦りまくったかんじで繰り返す。 ひたすら黙りこくって画面とにらめっこしてた銀ちゃんが、吊り上げっぱなしにしてた神楽ちゃんのチャイナ服の後ろ首をようやく離す。 じきにゆっくりと顔を上げた。
・・・・・・あああああああ、どうしよう。
視線を合わせるなりじとーっとあたしを睨みつけてきた半目は、さっき抱きついてきたときとは打って変わって醒めきってて、完全に疑わしげで。 しかも、表情がすっかり荒みきってる。 それに・・・これってあたしの目がおかしいんだろーか。何か幻覚みたいな、ありえないものが見えるんだけど。 ねじれまくった白い天パ頭の後ろから、殺気立ったどす黒いオーラみたいな何かがもやもやぁ〜〜っと立ち昇ってるみたいに見えるんだけど!?

「・・・おーいー。ちゃーん。ちょ、何これ、どーいうこと」

ああああ、声まで殺気立ってる。 やばい、やばいよどうしよう。 合コンどころかお得意先との飲み会だっていい顔しない銀ちゃんだもん、あんなの見たらぜったい何か誤解するにきまってる・・・!
目の前には、鼻先にくっつく寸前まで突き付けられたスマホのアプリ画面が。あたしは思いきり強張っちゃった顔をうんと逸らして頭を抱えた――

「〜〜〜ぎ、銀ちゃん?おおぉ、おこってる?で、でもね、それはあのほら何ていうかっ」
「怒ってねーよ怒ってねーけど、誰だよこいつ。お前のこれ、ここ数日こいつのメッセージばっかなんだけど」
「・・・・・・・・・・・・か。会社の人。 た、たぶん、桂さんや新八くんが会った人で、同僚っていっても他の部署の人だから、今まで接点なかったんだけど・・・」

そう、メッセージのやり取りだってつい最近から。前から親しくしてたわけじゃない。
親しいどころか、あたしが一方的に苦手意識を持ってひそかに敬遠してたくらいだ。 それに同じ会社で働いてはいるけど、向こうは大きなお仕事をいくつも成功させてきたいわゆる「すごくデキる人」だもん。 仕事に対して意欲的でいつも自信に満ち溢れてるかんじで、隙さえあれば怠けようとするぐーたら者の銀ちゃんとはまさに真逆のエリートタイプで。 そんなデキる人とあたしの接点らしい接点といえば、週に1回か2回くらい、朝の通勤ラッシュ時に同じ電車に乗り合わせて「おはようございます」って挨拶するだけだった。 だけど最近新しく受け持った取引先とのお仕事で、その会社の偉い人と懇意にしてるその人に協力してもらえることになって――

「・・・それでいろいろお世話になって、休憩中とか退社時間にもよく話しかけられるようになって。 同じ社内で働く同僚としてこれからは仲良くしよう、って」
「はぁ?同僚?いやいや違げーだろこれは、ただの同僚に送る内容じゃねーだろ。 何これ。何なのこれ。こいつ言ってることおかしいんだけど」

問題のメッセージが表示されるところまで、銀ちゃんが画面をひゅーんっ、と素早くスクロール。 かと思えばなんだか恨めしそうな目つきであたしを睨んで、どことなく乱暴で投げやりな手つきがアプリ画面を目の前まで突き出してきた。


『出張先で土産を買ってきました さんの家へ届けたいので行ってもいいかな』


そうそう、これこれ。これはさすがにびっくりしたよ。 昼前に川沿いの道を歩いてたときにこれが送られてきて、アプリ画面を開いたときは一瞬自分の目を疑ったくらいだ。
だって驚くよね、びっくりするよね。 つい最近話すようになったばかりの人――それも男の人に、いきなり「家まで行ってもいいかな」なんて言われたら。 しかもこの発言があまりにも堂々と、このくらい当然だよね、って雰囲気の会話の流れの中に混ざってたから、実はすっごく悩まされたんだよね。 まぁ冗談好きな明るい人だから、このびっくり発言ももしかしたら冗談かもしれないし、真に受けるのもどうかと思って「またまたー、冗談ですよねー?」って、軽いかんじの返信で済ませたんだけど・・・ うんそーだよね、普通は家まで来ないよね。 仕事上ではお世話になってるとはいえ、単なる会社の同僚同士、ってだけの間柄なんだし。

「つーかマジで何なのこいつ、他にもやべーこと言ってばっかなんだけど。 今どこにいますかとかさっきかぶき町に着きましたとか今花屋の前にいるけど君は何の花が好きなのかなとかバス停から君の家までどのくらいかなとかこれ見たら連絡してほしいとかよー」
「う、うん、だよねそーだよねっ、あたしもびっくりしたよ・・・!」

自分の常識感覚にいまいち自信をなくしてたあたしは銀ちゃんの言葉にほっとして、引きつりまくってた顔を少しだけ緩めてこくこく必死に頷いた。 そしたら銀ちゃんの眉がへなぁって下がって、なぜか「お前にはもう呆れきって物も言えません」なんて言い出しそうな顔になって。 はーっ、って肩まで落として疲れきったよーな溜め息ついて、

「いやいやおかしいだろ「びっくりしたよ」じゃねーよ、っだよそれこっちがびっくりするわ」
「えっ」
「どーいうことだよこれぇ、いや怒んねーから言ってみな、いつからこいつに口説かれてんの」
「は?く、くど・・・?くどかれ、って誰が」
「お前だよお前、口説かれてんじゃんこいつに」
「はぁ!?違うよそんなんじゃないってば、ほらぁ見てよそんな話してないし」
「いやいや違わねーだろどー見ても口説かれてんじゃん、めっちゃ猛攻勢かけられてんじゃん! ほら見ろよここぉ、実は前から話してみたかったとか交流深めたいとか言われてんじゃん!」

不満そうに眉を吊り上げて一気にまくし立てた銀ちゃんが画面をひゅーんっとスクロール、びしっと指したその部分には、


『返信ありがとう
実は前からさんと話してみたかったので これを機にもっと交流を深められたらと思ってます』

『今日のランチ楽しかったです 次はさんと二人で行けたらと思っています また誘ってもいいかな』

『昨日はお疲れ様でした 仕事に私情を挟むつもりはないけど今回の案件を通じてさんと親しくなれたこと、自分にとっては思いがけない幸運でした  これからもっと君のことを知っていきたい』



「ほらぁ言ってんだろここで。 つーか口説かれまくりじゃん、次の日もその次の日もぐいぐい押されっぱなしじゃん! ほらここ、これとこれな、二人で飯行きてーとか君のことがもっと知りてーとかよーっっだよこいつっっ、何かっつーと告りやがって!」
「〜〜なっっ、そんなんじゃないよ違うってば!交流を深めたいってそういう意味じゃないでしょ、ていうかこんなのどれもよくある社交辞令じゃんっ」

口説かれまくり?何かっていうと告ってる?はぁ?ばっかじゃないの?
何なのその偏見、呆れちゃうよ。ないない、ないよ、だってそんなことあるはずないもん。 そんなふうに説明しても、銀ちゃんたらまだむっとした顔してる。 ・・・あぁ、これだから銀ちゃんには知られたくなかったんだよ。 見た目も性格も豪快そうなくせに実は変なところで心配性で、「合コン絶対だめ」とか「ナンパされても無視しろ」とか筋金入りにモテないあたしの日常で起こるはずがないよーなことまで注意してくる銀ちゃんだ。 会社の男の人とメッセージ送り合ってるなんて知ったらたぶんダメだって言い出すだろうし、きっと変なこと考えてあーだこーだって勘繰ったりするんだろうって思ったよ。 だから銀ちゃんには言わなかったのに!スマホ画面もあんまり見せないようにして、ないしょで遣り取りしてたのに!
銀ちゃんが大人げない膨れっ面のまま、あたしのほっぺたにむぎゅうぅっとスマホを押しつけてくる。 そんなことされたらこっちはさらにむっとしちゃって、押しつけられたスマホを目一杯の力で押し返しながら白い着物の胸をべしべし殴って、

「もうっ、しつこいっっ。とにかくないの、そんなのありえないってば!」
「いーやあるね絶対あるね、断言できるね俺は。 こいつ絶対お前のこと狙ってるからね、土産口実にして家に上がり込んでアレとかコレとかしてーなーとか思ってっからねそーに決まってるからね絶対自信あるからね!」
「ないない、そんなの絶対ないからね銀ちゃんじゃあるまいし。あたしだって自信あるもんね絶対そんなこと思われてないって自信が!」
「いやいやいや、だーかーらー!その自信が間違ってんだって今朝もあれだけ言ったじゃん!」
「はぁ!?今朝?」

思わず眉を吊り上げて、じとーっ、と銀ちゃんを睨みつける。
何、何なの。何の話?それって今ここで、わざわざ蒸し返さなきゃいけないことなの? いやそれ以前に、意味わかんないんだけど。何なの今朝って。今朝あったことがどうしたっていうの? そんなこと言われてもあたしには、でっかい奈良漬けみたいなお酒臭いおっさんが工事現場のコーンと一緒にぐーすか寝てた記憶とそのでっかい奈良漬けに着物脱がされてセクハラされたいかがわしい記憶しかありませんが!? 口を尖らせて睨みつけてるあたしの表情から、何を考えてるのか読み取ったのかも。 跳ねまくった白銀の前髪の下で、銀ちゃんの眉が片方、鋭く高く吊り上がる。 怒鳴りつけたいのを我慢してるようなかんじに口端をぐっと引き結んだ顔があたしをじとりと睨み返して、傍にあった特売品の頭痛薬がどっさり詰まったカゴをべしっと殴って、

「〜〜〜あぁああああっったくよー、そのへんほんっっっとわかってねーよなぁお前!」
「はぁぁ!?わかってないのは銀ちゃんのほうでしょっっ」
「??・・・あのー銀さん、さんの携帯がどうかしたんですか。僕たちまったく話が見えないんですけど」
「そーだよわけわかんねーよ、それよりストーカーはどーすんだよ」
「そーヨ今はストーカー退治が先ネ、早く捕まえに行くアル!」
「あーちょっと待て、俺とは大人の話があっからちょっと待てガキども!」

面倒そうに喚いた銀ちゃんが新八くんたちのほうへ振り向いたところへ、
「・・・・・・〜〜ぅ、うむ、そ、その・・・殿?」
ごほん、ごほん、とわざとらしいかんじの咳払いが響く。 横を見れば、鮮やかな桃色の唇を気まずそうに引き結んだ美人――女装姿も麗しい桂さんが、

「その…男女の仲に口出しするのは野暮かもしれんが、この文面を見れば銀時が疑うのも無理はなくてだな。 つ、つまり俺の目から見ても、この男がそなたに懸想してあわよくば男女の関係を…と願っているのは明白で」
「はぁ!?まさかぁ違いますよー、メッセージの遣り取りだけでどーしてそーなるんですかっ」
「え、浮気?まさか浮気?おいおい冗談じゃねーぞ銀さん二股かけられてんの!?」
「もうっ銀ちゃんも何聞いてたのっっ、違うって言ってるでしょ!!?」
「ふ、二股!?二股だと!?銀時の目を盗んでこの男と!?それはまずいぞ殿っ、銀時は俺と違ってNTR属性に目覚めてはおらんのだ!」
「だから違うってばぁぁぁ!!てゆーか桂さんっこんな公衆の面前で何てことをカミングアウトするんですかっっっ」

ひそひそひそひそ、ざわざわざわざわざわ・・・・・・。
あああああああ、どうしよう。小さくひそめた大勢の声が、あたしたちを全方位から取り巻いてる。 最も距離が近くてよく聞こえる声は「〜〜そっ、そんな、まさか、さんが他の男となんてそんな…!」って顔面蒼白で呻く新八くんの声と、「ネト、ラ…ゾ…?おいタカチンコ、ネトラゾなんとかって何アルか」って目をぱちくりさせながら尋ねる神楽ちゃんの声と、「ぃ、いや、それを言うなら寝取られ属せ・・・〜〜っ、うっせーよガキはまだんな事しらなくていいんだよ!そっ、それよりおい二股って…やべーよ新ちゃんどーなってんだよ」ってうろたえ気味にぼそぼそつぶやくタカチンくんの声。 近くの歯ブラシコーナーからは驚きで表情が凍りついてるカップルの声、その向こうにはこっちを蔑むよーな目つきでガン見しながらひそひそ何かを囁き合ってるおばさま数人、 その後ろには棚の影からゴキブリでも睨みつけるよーな嫌悪感と殺気混じりのすさまじい視線を送ってくるお母さんと「ねえママー、ふたまたってなぁに〜〜?ねとられぞくせぇってなぁに〜〜??ねぇねぇママ〜〜」って不思議そうに首を傾げつつお母さんの着物を引っ張る小さな男の子、 さらにその二人の背後には桂さんの声を聞きつけたのか野次馬的にざわざわしてる人たちに、そのまた向こうではレジ打ち中の店員さんがあっけにとられた顔でこっちを凝視してるところまで目に入っちゃって、あまりの事態にめまいがしてきたあたしは顔を覆ってうなだれた。
・・・あああああああ、何てことに・・・・・・うん決めた、しばらくこの店に来るのやめよう。
もう取り返しがつかないよ大惨事だよ、完全に悪目立ちしちゃってるよ。 さっき銀ちゃんに抱きつかれたときの恥ずかしさなんて比べ物にもならないよ。見てる、見てるよみんな見てるよ! 休日昼下がりの商店街ではただでさえ目立つはずの妖艶女装美人の想像を絶した性癖カミングアウトのおかげで、お店中のお客さんの視線が完全集中しちゃってるよ・・・!

「おいヅラ」
「ヅラじゃない桂だ」
「どこで会ったんだよそいつと、駅のどっち側」
「南口のタクシー乗り場前だが」
「あっそ。んじゃ、ちょっくら行って探してくるわ。あー、俺そいつの顔わかんねーからお前も来いや」
「えっっ。い、行ってくるってええっ、銀ちゃん!?」

うそでしょ、何で?どーしてわざわざ探しに行くの!?
唖然としつつも白い着物の袖に縋って引き止めたら、軽く顰められてる銀ちゃんの目がちらりとあたしを窺って。 かと思えば、ふいっと視線を逸らされて。
がしがしがしがし、癖だらけな白っぽい頭の後ろを歯痒そうに手荒く引っ掻き回しながら、

「行って話つけてくんだよ、その同僚とやらに。 そいつお前を落とす気満々みてーだし、あんたが狙ってんのは俺の女だって説明してついでにスリーパーホールドキメてくるわ」
「やめてえぇぇ!違うからっ、銀ちゃんが疑ってるよーなことは何もないから! それにその人普通の人なんだよっ銀ちゃんに絞められたら死んじゃうよっっっ」
「おお、そうか直接話をつけるか。それなら探しに行く必要はないぞ、すぐに呼んできてやろう」
「あー?そーなのわりーな、んじゃ頼むわ・・・・・・――って、はぁ?」
「・・・、は?」

焦ったあたしは銀ちゃんのお腹にがしっと腕を巻き付けて「やーめーてー!」って必死で引き止めてたんだけど、桂さんの不思議発言に思わず動きが止まってしまった。
えっ、どういうこと。呼んでくるって、どーやって?ぽかんとしつつも見上げてみれば、銀ちゃんも軽く目を見張ってた。 口がぽかんと半開きになってて、「はぁ?何言ってんだこいつ」なんて思ってそうな顔してる。

「ん?聞こえなかったか?あの男を呼んでくると言ったのだ、ここに」
「へ?」
「いやだから、連れてきておるのだ。真に同僚かどうか殿に確めてもらわねばと」
「――さん!」


そこで耳に飛び込んできた声に驚いて、えっ、って目を見開いてレジのほうへ振り向く。 間もなく視界に入ったのは、混み合う通路を擦り抜けてこっちへ向かってくる男の人で。
新八くんとタカチンくんが目を丸くして、「あぁー!」って声を揃えて叫ぶ。 叫ばれたうえに指まで差されたその人は、銀ちゃんに縋りついてるあたしが目に入ったみたい。 途端に表情がすうっと消えて、早かった足取りが徐々に遅くなっていって。 歯ブラシコーナーの手前に差し掛かると、途方に暮れたように足を止めた――



「本日、万事屋はお休みです。 *3 あの子がしらないひみつの話(前編) 」
*text riliri Caramelization
2017/02/04/
 

 * next *