「・・・〜〜〜うわ、なにこの匂い。ちょっと銀ちゃん、起きて銀ちゃん!」
玄関前に落ちてた着物を拾い上げて、廊下でベルトや木刀を拾って、がらっっっ。
朝日に照らされた明るい和室に踏み込んでみれば、思ったとおりに部屋の中はめまいがしそうなお酒臭さだった。
部屋の真ん中に敷かれたお布団では、口をかぱーっとだらしなく開いた銀ちゃんが仰向けでぐーすか眠ってる。
その足許には、赤いプラスチックの三角帽みたいなあれ――工事現場でよく見る「コーン」がなぜかごろごろと三個も転がってるけど、こっちはとりあえず見なかったことにしよう。
普通のご家庭なら間違っても寝室で目にするよーな代物じゃないけど、あんまり普通じゃないことが普通にありえるのが万事屋だ。
この程度で驚いてたら身がもたないよね。
まぁ、この前べろんべろんに酔っ払った銀ちゃんが某ファーストフード店の店先で笑ってる白髪白髭おじいさんの巨大な人形抱きしめて玄関でくーくー眠りこけてたときは、さすがにびっくりしたんだけど。
理解できない光景を見たせいで脳が混乱したらしくって玄関先で回れ右して扉もぱんって閉めちゃって、あげくそのまま家までUターンしそうになったけど。
「…そういえば、繁華街の端っこで道路工事やってたよね。あそこから持ってきちゃったのかなぁ。
もう、泥酔すると訳わかんないことばっかするんだから・・・」
ひとりごとをつぶやきながらしゃがみ込んで足許に落ちてたお財布も拾って、呆れきった目で銀ちゃんを睨む。
もう、銀ちゃんたらまたこれだ。きっとあたしが言ったことなんてきれいさっぱり忘れちゃって、朝までふらふら飲み歩いてたんだ。
土曜日から連休だから朝から万事屋に行くねって、先週から何度も言ったのに!
うーっ、ってほっぺたを風船みたいに膨らませて唸って、あたしは拗ねた子供みたいな顔で銀ちゃんを睨む。
閉めきられてた襖を、ぴしゃん。左右にめいっぱい、わざと大きな音を立てて開ききって、さっそく空気の入れ替えを始めた。
昨日は桂さんと飲みに行くって言ってたけど、どれだけ呑んできたんだろう。
朝の九時半を過ぎてもこれだけお酒くさいんだから、それこそ「浴びるほど」飲んできたのかも。
・・・ていうか文字通り、冗談抜きで、ほんとに頭からお酒を浴びてきたんじゃないかなぁ。
たしか昨日はかまっ娘倶楽部に行くって言ってたし、お店で何か失礼なことして西郷さんに一升瓶で頭かち割られたとか?
それとも、狂四郎さんのお店でシャンパンタワーでも浴びてきたとか?
そんな疑いの目を本気で向けたくなっちゃうくらいのすっごい匂いが、部屋中にもわもわぁ〜〜っと充満してる。もう、なにこの匂い。
よだれ垂らしたしあわせそうな顔でむにゃむにゃ言ってる銀ちゃんが、でっかい糠漬けとかでっかい奈良漬けの固まりに見えてくるよ。
「しょうがないなぁ。えぇと・・・まず換気しないと」
摘まみ上げた着物の袂でしっかり鼻と口を覆ってから、窓を目指してずんずん突進。
遠慮なくお布団を踏みつけて一直線に部屋を横断、ついでにお布団に籠ってるお寝坊さんのお腹もぐりっと思いきり踏みつける。
踏んだ瞬間、「ぐふぉっっっ」なんて潰れたカエルみたいな呻き声が上がったけどそんなの気にしない、聞こえない。
物干し場に面した大きな窓を、がらがら、がらっっ。
途端に飛び込んできたひんやり冷たい朝の空気が、ほっぺたをさらさら撫でていく。
少し目線を上げた先には、お隣の家の屋根瓦と澄み渡った青空が。
ここ最近ずっと晴れの日が続いてる江戸の空は、今日もきれいな晴天だ。
かすかに吹いてる風に千切り取られながら、ゆっくり、ゆっくり、遠くへ流されていく雲の鮮やかな白もとってもきれい。
気持ちいいなぁ、秋の空気って。
あんなに蒸し暑かった今年の夏が嘘みたいだよ。
すう、ってひとつ深呼吸したら、それだけで胸の中まできれいにしてくれそうな爽やかさだよ。
「ねぇ、お昼は公園でお弁当にしようよ。こんな日に外で食べるとおいしいよー」
金木犀の甘ーい香りが混ざった気持ちよさを胸いっぱいに吸い込んでから、くるんと振り向いて話しかける。
とはいえ返事なんてもちろん無くて、毎日が二度寝三度寝当たり前のお寝坊さんはくーくー寝息なんか立てながらよだれ垂らして眠ってるんだけど。
「もう、お腹踏んづけられても目が覚めないって・・・どれだけ呑んできたの。ねぇ銀ちゃん起きてよー、起きろー」
大きめな声を掛けてみたけど、お布団からは気持ちよさそうな寝息しか返ってこない。
窓辺にぽいぽいと脱ぎ散らかされてた黒いインナーやズボンをせっせと拾って回収しながら、爆睡中の彼氏のほうへ寄っていく。
枕元でしゃがみ込んで、どこまでが天然パーマでどこまでが寝癖なのかわかんないねじれまくった前髪を、むぎゅっ。
毛根が悲鳴を上げそうなくらい手加減なしでぐいぐい引いたら、お酒臭い身体がお布団ごとびくんって大きく揺れた。
寝てるときも起きてるときも離れっ放しのだらしない眉間が、ぎゅーっ、って妙に深刻そうに顰められる。
もぞもぞもぞ。敷き布団のすみっこまで追いやられてた枕を握りしめてた銀ちゃんの手が、顔に掛かったお布団の端を払いのける。
はーっ、ってすごくだるそうな、長くて盛大な溜め息が半開きのままの唇から漏れた。
だけど意外なことに、吐息からはあまりお酒の匂いがしない。
あれっ、って目を丸くして、銀ちゃんの真上に覆い被さるみたいにして顔をうんと寄せてみる。
変なの。どうしてだろう。
こうして近づいただけで、銀ちゃんの髪やお布団の中からはめちゃくちゃ濃いお酒の匂いがふわーって流れてきてるのに・・・?
「・・・ん〜〜・・・・・・かぐらかぁ・・・?おま、先に朝メシくってろや・・・」
「神楽ちゃんなら出かけたよ。お友達と遊んでくるって言ってたよ」
「・・・っらよぉいねーのかよぉ、じゃあ寝ひゃせてくれよぉぉ・・・まだねみーんだよぅぅ、くったくたなんだよ〜〜・・・」
なんてぶつぶつつぶやいてからよだれの跡が残った口をぱくぱくさせて、ふがふが、もごもご。
言葉になってない意味不明な寝惚け声を漏らしながら、お寝坊さんはごろんと大きく寝返りを打った。
お布団の中からのそのそっと這い出てきた大きな手が、髪を掴んだあたしの手の甲をぺちんと払う。
銀ちゃん、まだ酔ってるのかな。それとも寝惚けてるせい?
ちょっと呂律がおかしいよね。言ってることもなんだかおかしいし。あたしが誰なのか判んないまま話してるみたいだし。
「ちょっと銀ちゃん、いつまで寝る気?ほらほら起きてよ、今日はスーパーで特売品買い溜めするんだから」
「んん〜〜・・・あと5ふんんん〜〜・・・」
「だめー。今すぐ起きてお風呂入って、そのお酒臭さどうにかして。もう、昨日は一体どんだけ飲んできたの」
「・・・んで・・・ねーよ〜〜、のんで、ねーけど〜〜・・・溺れかけた・・ん・・・だよぉぉ〜〜・・」
「は?」
何それ。溺れかけた?溺れたってどこで?近所の川?それとも公園の噴水とか?
お酒の匂いをふわふわ漂わせてる白っぽい後ろ頭を、あたしはきょとんと見つめてしまった。
前髪以上に寝癖がつきまくったぐしゃぐしゃな後ろ髪をくいくい引いて、
「こら寝るな、起きろ酔っ払い。何なの溺れかけたって。銀ちゃん泳ぐの苦手なくせに、夜中に水泳してきたの?
いい年こいたおっさんが何やってんの」
「・・ってぇ、ちげーよ〜〜、落ちたんだよぉ、酒ん中にぃ〜〜・・・」
「はぁ?」
「西郷のおっさんの店が開店10周年でよ〜〜、常連が祝いに寄越したでけー酒樽ん中に突き落とされてよ〜〜」
「はぁ!?なにそれ、川じゃなくてお酒のプールで泳いできたの」
「プールぅぅ・・・?プールっつーかぁ、マジモンの酒風呂だろぉありゃぁ・・・ったくよぉ〜〜あのクソジジイ、人が酒浸しんなってゲホゲホいってんのにげらげら笑ってはしゃぎやがってぇぇ。
樽ん中から出よーとすると頭掴んで沈めやがるし。おかげで鼻まで酒入ってくるしよぉぉ、もう痛てーの何のって・・・」
「そ、そうなんだ。昨日はご機嫌だったんだね西郷さん・・・」
あはは、って顔中を引きつらせ気味にして笑いながら、万事屋へ来る途中で通りかかった繁華街の様子を思い出す。
そういえば――さっきかまっ娘倶楽部の前を通りかかったときに見たよ。
入口の前に幾つか並んだ、「祝・開店××周年」って書かれたお花を。
どうやら銀ちゃんてば、予想を大幅に上回る壮絶な溺死寸前体験をしてきたみたいだ。
たぶんずぶ濡れ状態で夜道にアルコール臭を振り撒きながら、ふらふら帰ってきたんだろうな。
そしてそのままシャワーも浴びずにお布団に潜り込んだんだろう。
どうりで服までお酒臭いはずだよね、って腕に抱えた白い着物をまじまじと見下ろす。
それから敷布団に手を付いて、肩が丸く竦められた猫背な背中越しに銀ちゃんの表情を覗き込んだ。
へなっと眉を下げた顔は、まだ眠くてしかたないみたい。瞼をぎゅーっと瞑ったままだ。
それでも面白くなさそうに尖らせた口だけは、寝言っぽく聞こえるくぐもった声でぶちぶち文句を漏らし続けてるけど。
「・・・でよー、そのまま酒樽の中で祝い酒飲まされてぇ、あっとゆーまに酔いが回って足許ふらふらしちまって〜〜。
そっから何がどうなったんだか、なーんも覚えてねーんだよぉぉ。あぁ、そーいやぁヅラの奴も一緒に沈められたんだよなぁ。
・・・あれっ、あいつあの後どーなったっけ。沈められたまんまだっけ」
「銀ちゃん、さらっとこわいこと言わないで」
「つーわけだからぁもすこし寝かせてくんね・・・あと5ふ・・・や、あと15分んん〜〜・・・」
お布団から出てきた両腕が、ぶんぶん左右に振り回される。
髪を引っ張ってるあたしの手をどうにか払おうとしてるみたい。
まぁ、まだ寝惚けてるみたいだから半分無意識なんだろうけど…ちょっとまぬけで面白いよね、この動き。
後ろから髪を引っ張りながらこっそりくすくす笑ってたら、ごろんっ。銀ちゃんはもう一度、豪快な寝返りを打った。
んんん〜〜、って呻きながらこっちを向いたら、ぴょんぴょん跳ねまくった前髪の影で眉間がぎゅぎゅーっと狭まっていく。
かと思えば腫れぼったくなった瞼がびくびく動いて、ほんの2、3ミリくらいの薄目を開けて、
「・・・ん〜〜〜・・・・・・あぁ〜〜?・・・あれっ。んん〜〜?・・・・・・?」
不思議そうに唸りながら赤い目許をごしごし擦ると、銀ちゃんはようやく目を覚ました。
昨日の酒気がまだ残ってそうな細ーい涙目は普段に輪を掛けてどんよりしてるけど、真上から覗き込んでるあたしの目を、じぃーっ、と不思議そうに眺めてる。
眠たすぎて目が開けられなくて、糸目状態からなかなか脱出できないみたい。
警戒心のかけらもなさそうな表情でぽやーっとこっちを見上げてる顔からは、普段の表情に漂ってる銀ちゃん特有のすっとぼけたかんじやふてぶてしさが消えちゃってる。
ふふ、なんだかかわいいな。銀ちゃん、なんだか子供みたい。
そんなことを思って胸の中ではきゅんとしながら、目許をごしごしこすってるお寝坊さんに笑いかけた。
「おはよう、ほら起きて。ごはん作ってあげるから、その間にお風呂入ってきてよ」
「ん〜〜・・・・・・?〜〜〜・・・??え、おま・・・本物ぉ・・・???」
「本物にきまってるでしょ。銀ちゃん、もしかしてまだ寝惚けてる」
「・・・んだよぉ、本物?本物かよぉ。・・・目の前でふにゃふにゃ笑ってっから、夢でも見てんのかと思ったわ」
「何よふにゃふにゃって。ふにゃふにゃでだらしないのは銀ちゃんでしょ、ふにゃふにゃねごと言ってよだれ垂らして――・・・へ?〜〜ちょ、っっ!?」
ひゅんっ、って風を切ったような音が後ろで鳴って、あたしがそっちへ振り向こうとして、その間、わずか3秒くらい。
そのたった3秒で、糸目のままでふにゃぁ〜〜っとだらしなく笑った銀ちゃんは目にも留まらない早業を連発してきた。
まずは肩まで被ってたお布団を左手で掴んで、ぶわっ。高く跳ね上げて腰のほうまで捲り上げる。
その動きとほぼ同時であたしの背中までひゅんっと伸びてきた手が、がしっっ。着物の帯をがっちり掴む。
えっっ、って急激に沸き上がった嫌な予感に顔をかちんと強張らせた時にはもう遅い。
掴まれたばかりの帯の結び目が、ずるっとあっけなく引き解かれてた。たった3秒で、しかも片手だけで・・・!
うそ、今の何!?どーやって解いたの!?どんなトリック使ったの!?
無駄に器用な銀ちゃんがたまに発揮する無駄に人間離れした神業に、あたしは目を剥いて絶句した。
だけど唖然としてる間に着物が一気に緩んできちゃって、着物どころかその下の襦袢までするーっと肌を滑って落ちていく。
あたふたしながら衿元を押さえて、腰の下までずり落ちかけた帯もあわててはしっと掴んで止める。
だけど帯を上へ引っ張り上げようとしたところで、大きな両手が落ちかけた帯ごとがしっと腰を掴んできて、
「――っっひゃあぁ!?」
左右からしっかり掴まれた腰を、ちいさな子を「高い高ーい」する要領でぶんっと高く持ち上げられる。
腕に抱えた洗濯物も着崩れた着物もあたしの身体も、ふわああぁっっ、と宙に浮き上がった。まるで重力から解放されたみたいに――
「〜〜えっ、なっっ、ちちちちょっ、〜〜っっ!?」
そのまま腕を下げて引き寄せられてしまえば、へらへら笑う銀ちゃんの顔はあっという間に目の前だ。
何が起きてるのかもわからなくてぽかんと目を見張ったまま、すとんと着地させられた。
硬い腹筋で覆われた男の人のお腹の上に・・・!
「っ・・・!?ち、ちょっと銀ちゃんっ」
「神楽いねーんだろぉ?新八も夜まで来ねーしちょうどいーじゃん。なーなーいーだろぉちゃーん、このまま昼までいちゃいちゃしよーぜ」
「いい!いいから!朝からそんなことしなくていいっ、いいから起きてよ!大江戸マート半期に一度の超特売セールがあたしを待ってるんだからっ」
「まぁまぁいーじゃん、いーからしよーぜー。だいじょーぶだって、スーパーは昼過ぎでもお前を待っててくれるって」
「よくないぃっ、ちっともよくないいぃ!――って、ひぁあ!!?」
ぐいっっ。
力任せに裾の合わせ目を掴んだ手に、着物を襦袢ごと左右にめいっぱい開かれる。
途端に目に飛び込んできたのは、膝どころか太腿の付け根やショーツまで丸出しになった自分の脚だ。
いきなりあられもない恰好にされちゃったことに驚く間もなく、もう一度、ぐいっっ。
今度は膝を掴まれて左右に割られて、露わになった太腿をめいっぱい開いたはしたない格好で銀ちゃんを跨ぐポーズを取らされた。
がばっと豪快に開かされた太腿の間から、白っぽい髪を寝癖だらけにしたお寝坊さんのにやけきった寝惚け眼がこっちを見てる。
し・・・信じられない。信じられないぃぃ!
こんな・・・こんな、銀ちゃんが見てるえっちなビデオのお色気溢れるお姉さんみたいないかがわしい悩殺ポーズを、まさか自分がやることになるなんて・・・!
あたしはもちろんじたばたもがいた。
いやらしいにやにやが止まらない銀ちゃんのゆるゆるでれでれな寝惚け顔を、「いやぁあああぁあああ!」って泣き喚きながら足の裏で蹴ろうとしたけど――そんな抵抗は、毎度のことながら泣けてくるほど無駄だった。
いくらあたしが蹴りつけても、銀ちゃんたらあたしの攻撃を腕一本で完璧に防いじゃう。
二十数年間一度も鍛えたことがないふにゃふにゃした女の子の足と、いつどこで鍛えてるんだかしらないけどどこを触っても硬くて引き締まってる銀ちゃんの腕。
どっちが勝つかなんて、そんなこと考えるまでもないよ。悲しいくらい決着が目に見えた盾鉾勝負だよ・・・!
それでも足を振り回しながら腰と太腿を押さえつけた手を振りほどこうと必死でもがいてるうちに、銀ちゃんが腰をもぞもぞ動かし始めて。
「っっ!?」って、声にならない悲鳴が喉を突き抜ける。背筋がびくんと勝手に跳ねる。
着物越しにお尻に当たるごつごつ骨っぽい感触に、何なのかよくわからないおかしな違和感が混ざってたせいだ。
「・・・ふぇえ?」
楽しそうに目尻を下げた顔と目を合わせたまま、間の抜けた声を漏らして首を傾げる。
お尻の下――ちょうど脚の間あたりに挟まってる固まり。
ここだけ妙に盛り上がっててやたらと熱くて、芯はかちかちで硬いのに肌触りはやわらかいっていうか、なんだか矛盾してるその感触が妙に生々しい。
しかもたまに動いてる。びくん、びくんって。
「え?えぇ?こ、れ・・・・・・・・・っっ!?」
はっとして真下を向いて、うっっ、とあたしは息を詰めて呻いた。
よく見れば開かされた太腿の向こうでは、うっすら汗を掻いた分厚い胸板がちらちら覗いてる。
・・・き、着てない。銀ちゃんてば、何も着てない。
いつもは着てるよれよれにくたびれた寝間着も何も、それどころかパンツすら穿いてない。どこもかしこも露わになった、全身肌色。
つまり全裸。えっちなビデオの女優さん並みに乱れた格好のあたしよりもさらにあられもない、まごうことなき素っ裸だ。
・・・・・・・・・ってことは、つまり、お尻の下で生々しくもぞもぞびくびくしてるこれは、
「っっっぎゃあああああ!!」
裏返った声で叫ぶと同時で、ぼんっっ、っと音が出そうな勢いで顔が真っ赤に染まり尽す。
あわてて逃げようとしたところで、いきなり銀ちゃんのあれを押しつけられてセクハラされてたかわいそうなお尻が両手でむぎゅっと鷲掴みされる。
深く食い込んできた指の感触にびっくりして、あたしは全身を跳ね上がらせた。
ひあっっ、って悲鳴を上げて銀ちゃんの腕をがしっと掴んで、
「〜〜〜ちょっっ!ゃだ、やだやだ、放してぇっ」
「いや声でけーって、外まで響くって。
どーしたよぉちゃん、いっつも朝はだるそうにしてんのに珍しく元気じゃん。まぁ俺も今日は朝から元気だけどー」
「朝からそんなとこ元気にするなあぁぁ!ていうか何で、何で裸!?」
「んぁー、何でだろなー。ゆうべのこたぁなーんも覚えてねーんだよなぁ。
たぶんよー全身ぐしょぐしょで酒臭せーから気持ち悪かったんじゃねーの、全部脱いでそのまま気持ちよく寝ちまったんじゃねーの」
「ひっっっぎゃああああぁぁぁ!!」
むにゅっ。
脚の付け根のやわらかいお肉に食い込んできた長い指が、さらに動きを大胆にする。
あろうことかショーツのゴムのあたりまで、するするっと図々しく潜り込んできた。
爪先でそこを掠めるみたいにすりすりこしょこしょくすぐられたら、ぶる、って下半身が爪先まで震え上がった。
「あっっ」って思わず飛び出た甲高い声が、窓の外まで突き抜ける。
銀ちゃんが触ってるところが急にかぁっと熱くなってきて、なのに熱いはずのその感覚のせいで腰や太腿がぞくぞくする。
這い上がってくるそのぞくぞくをこらえようとして、銀ちゃんの腕をぎゅっと掴んで身体を竦める。
それでも大きく開かされた脚がぶるぶる震えて、咄嗟に唇を噛みしめて目まで瞑ったけど――
「〜〜ん・・・っっ!」
「あれっ、どーしたぁ震えちまって。え、お前、まさかもうイっ」
「〜〜〜ちっっ、違うぅぅっ」
「じゃあ何だよ今のえろい声。つか、脚まだ震えてんじゃん」
「〜〜〜っっっ」
真っ赤になって口籠るあたしを、銀ちゃんは至近距離から穴が開きそうなくらいしげしげとじろじろと見つめてくる。
「いやいや女ってすげーよなぁ、あっとゆーまに変わるもんだよなぁ。
こないだまで処女だった子がよー、男の上で股開いてえっろい顔しちまって」
すっとぼけた口調で感心したみたいに言うから憎たらしくて、べしっ、って腕を引っ叩く。だけど銀ちゃんたら、嬉しそうににやにやへらへら笑うだけ。
また両手の指をうにゅうにゅうにゅうにゅ、お尻のお肉に指を埋もれさせて好き勝手に弄り始めた。
あられもないポーズを取らされてるのに手も足も出なくて泣きそうなあたしを、なんだかうっとりした目つきで観察してる。
朝っぱらから人の隙をついて襲ってきた全裸の彼氏は、そのうちに何がおかしいのか、肩まで揺らしてうひひひひってムカつくかんじで笑い始めた。
「なぁなぁー、いーのそれ。いや俺は嬉しいけどー。朝からいいもん見せてもらって嬉しいけどー」
「っ・・・?」
「いやだからー、さっき帯解いただろぉ。着物ずり落ちてっけどいーの」
「っっ!?」
ぎょっとして視線を真下に落とせば、そこには白い花模様のレースで飾られたピンクのブラやお腹が丸見えになってる自分の身体が。
着物はいつのまにか襦袢ごと肩を滑り落ちていて、肘のところでくしゃくしゃ折り重なってた。
「っっぅ、ゎわわわわわ、わわ!」
裏返った声で叫びながらあわてて衿元を引っ掴むと、「ん?」って銀ちゃんが何かに気付いたみたいに唸る。
なぜかきらりと目を光らせて、さっきまでの眠そうな糸目状態が嘘みたいな、やけにきりっとして熱の籠った真剣な視線をあたしの胸に集中させて、
「何これかわいーじゃん、銀さん見たことねーんだけど。
これ新品?え、前で外すやつ?フロントホック?ちょ、どーなってんのか見せてみろよ」
「触るな変態っ、ぅわ、ちちちょっ、さっそく外そうとするなぁぁ!」
べしいぃぃっ。
早速ホックを外しにかかろうとする油断ならない変態の手を、手刀で思いきり叩き落とす。
それから着物の前をぱぱっと合わせて、着物どころかブラまで外されるっていう洒落にならない事態だけは免れたけど――
それでも銀ちゃんは楽しそうだ。
朝から女の子を恥ずかしい目に遭わせて楽しむなんて、ほんとに銀ちゃんたら趣味が悪い。
茹でダコみたいに全身赤らめて胸元と口を必死に押さえてるおぼこい女の反応が、きっとお気に召したんだろう。
もう面白くてたまりませんってかんじで、よだれの跡が残った唇の端がにんまりと嬉しそうに吊り上がる。
ふんふんふふ〜〜ん、なんて気の抜けた声の鼻歌なんか口ずさみながら、あたしを乗せてもびくともしない頑丈な腰を上下にゆらゆら揺さぶり始める。
がっちり掴んだお尻から露わになった太腿まで、好き放題にむにゅむにゅ揉んだりすりすりなでなでし始めた。
「っっや、ゃめ、っは、放し・・・〜〜ばっ、ばかばかぁ、ぎんひゃ、の、ばかあぁっ、あっ」
「あーあーダメだろちゃーん、今喋ったらダメだって。
朝っぱらから男に跨って気持ちよくなってる子のやらしー声、外まで聞こえちまうだろぉ」
「〜〜っっ。・・・んんぅ、ぅぅ〜〜っ・・・!」
ばかばかばか、銀ちゃんのばかっ、痴漢!変態!強姦魔!!!
誰のせいでやらしい声が出たと思ってんの!?ていうかあたしが自分から進んで跨ったみたいに言うな、人を変態みたいに言うなっっ。
自分こそ朝っぱらから女の子にひわいな猥褻物ぐりぐり押しつけてくる変態のくせに!
「っ・・・ひ、ぅぅ、んっっ、ふぁ・・ん、んん〜〜っ」
ひっきりなしに飛び出そうになる甘ったるい声を必死に両手で閉じ込めながら、真下から腰を突き上げてでれでれにやけっ放しな銀ちゃんを恨めしさたっぷりな涙目で睨みつける。
両手で口を押えてるから、さっきあわてて隠したブラはまた丸見えになっちゃってる。
今の声もさっきの裏返った悲鳴も、きっと外まで突き抜けただろう。下の通りを歩いてる人に聞かれたかも。
ああ、だけどだけど、今はそんなことよりも・・・!
がっちり押さえつけられた腰を必死で捩ってどうにか斜め後ろへ腕を伸ばして、むにゅむにゅ動く銀ちゃんのいやらしい手つきに「ひー!」とか「ぎゃー!」とか泣きわめきながら布団の端へ手を伸ばす。
人よりも少し身体がやわらかくて柔軟運動は得意なおかげもあって、そこに落ちてたある物はどうにか自力で引っ掴めた。
どんどん悪質になっていく全裸の痴漢の猥褻行為を何とか食い止めようと、下着の中まで入り込んできた手を叩く。
べしべしべしべしべしべしいぃぃぃっっ、こっちの手まで腫れちゃいそうなくらい全力でめちゃくちゃに引っ叩く。
だけどこのふてぶてしい上にやたらと頑丈な変態ときたら、あたしの渾身の全力攻撃なんてものともしない・・・!!
「ふぇぇ、ばかばかやだやだぁっっもぅ放せえぇっ、ちょっ、ゃややだぁっどこ掴んでんの、何でぱんつ脱がそうとしてんのっっ」
「ん〜〜、騎乗位の練習?お前いっつも恥ずかしがってやってくんねーからぁ」
「しねばいいのに!しねばいいのにいぃぃぃぃ!!!」
最っっっ低!銀ちゃんさいっっっっってーーーーーー!!!
恥ずかしさと怒りで全身ぶるぶる震わせながら心の中で泣き叫んだあたしは、間髪入れずに最終手段を実行した。
布団の端っこから拾い上げてた銀ちゃんの木刀を、両手でぎゅっ。
へ、ってきょとんと目を見張ってる痴漢の顔の真上で、握りしめたそれを頭上まで思いきり振り上げる。
「へ?な、何やっ・・・〜〜ちちちちょっ待てって!いややめろってあぶねーって、ちょっぉおおぉお前っ、どこ狙ってんのそれ!?何で牙突の構え取ってんのぉぉ!?」
「悪・即・斬っっ!!くたばれ変態成敗いたすうぅぅぅ!!!」
「っっぐごっふぉおおおおぉぉぉ!!!」
震える両手で構えた刀を、ぶんっっっ、と真下に振り下ろす。
木刀なんて握ったこともないあたしの素振りは、大きく開いた銀ちゃんの口の中に奇跡的にずぼっと命中。
喉をぶち抜く寸前まで突っ込まれた木刀にさーっと青ざめた全裸の変態が、がくがくぶるぶる震え出す。怖さのあまりに泣き叫ぶ。
甲高くて震えまくってる情けないその絶叫は、万事屋どころか半径100メートルくらいのご近所中に轟き渡った。
「――それで銀ちゃん、ごはん食べながらぐすぐす泣きべそかいてたアルか。いい気味ネ、いたいけな少女に留守番させて飲み歩いてるマダオにバチが当たったアル」
「ただいまヨー!」って元気な声を響かせて万事屋へ帰ってきた神楽ちゃんは、きらきら輝く青い瞳をものすごく意地悪そうに細めてにやぁっと笑った。
あたしが持ってきたお芋のあられを入れた菓子鉢を抱え込んで美味しそうにぱりぽり食べてる女の子の隣では、さっきから銀ちゃんが貰い物の栗の皮剥きをしてる。
お風呂上がりの濡れて癖が弱くなった髪にはタオルが無造作に被せられてて、その陰に半分隠れたほっぺたが、ぷーっ、って餌を頬張ったハムスターみたいに膨れ上がる。
真っ赤なチャイナ服からすんなり伸びた女の子の脚を大人げなく蹴りつけようとしてたけど、お行儀悪く真横にひゅんっと突き出した足は、本気を出せば銀ちゃん以上にすばしっこい神楽ちゃんに見事にひょいっと避けられてた。
残りわずかになった菓子鉢を、神楽ちゃんは顔まで持ち上げる。ざざーっ、と黄金色でころころ丸いあられの粒を一気に口に流し込んだ。
さっきの銀ちゃん以上に大きくほっぺたを膨らませて口の中のあられをもぐもぐもぐもぐ、幸せそうににこにこ笑って、
「ー、これカリカリでほくほくで甘くてめっちゃおいしいアル!芋ってダサいと思ってたけどこんなにおいしくなるアルな」
「あはは、そんなにおいしかった?それ会社の近くのお店の看板商品なんだ、気に入ってくれてよかったよ」
「気に入ったアル、もっと食べたいネ、おかわりプリーズヨ!」
「あーごめん。今出したので全部なんだよね」
「えっ全部?あれで全部?俺まだ一個も食ってねーのにぃ!?」
神楽あぁぁ!って甘いものに目がない銀ちゃんは血相変えて、包丁を振りかざした物騒なポーズで怒り出す。
だけど、怒られた神楽ちゃんはまったくの無反応だ。
けろっとした顔でテーブルの上から銀ちゃんの湯呑みをひったくると、湯気をほわほわ昇らせる熱いほうじ茶をずずーっと啜る。
なんだか納得いかなさそうな顔で首を捻って、
「うーん、お茶は組み合わせがいまいちアルな。やっぱり芋とあんパンには冷たい牛乳が最高ネ」
「それ俺のお茶!」
銀ちゃんがさらに声を張り上げても、神楽ちゃんたら部屋の隅で再放送のドラマを流してるテレビに夢中だ。
隣からぎゃーぎゃー喚いてくる声なんて、ちっとも聞こえてないみたい。
そんな万事屋では御馴染みのよくある光景を二人の背後から眺めながら、はは、ってあたしは醒めきった目つきで笑う。
・・・いつも思ってることだけどさ。よく自分のこと棚に上げてあんなに怒れるよね、銀ちゃんって。
あれって万事屋ではよく見る光景だけど、見るたびに自業自得だよねって思うよ。
銀ちゃんはよく神楽ちゃんにおやつとかおかずとか奪られて怒ってるけど、自分だって神楽ちゃんのおやつ奪っちゃったり、育ち盛りの女の子からおかず奪ったりしてるじゃん。
そんな子供レベルで食い意地張ってる銀ちゃんを、神楽ちゃんはこの家に住むようになってからというもの、食事作法のお手本として見てきたんだよ。
お箸の上げ下ろしから隣の人のおかずをいかに上手く掠め取るかまで、何から何まで銀ちゃんの真似をしてきたんだよ。
だからしょーがないと思うんだよね、お芋を勝手に完食されちゃっても。自業自得だよね、銀ちゃんが台所で淹れてきたお茶を平気で横取りされちゃっても。
あっというまに空になった湯呑みを、とんっ。
銀ちゃんが睨みつけてる目の前でテーブルに戻すと、
「ごちそーさまアル、とっても美味しかったネ!」
白いお砂糖のかけらを唇の端っこにくっつけたまま、神楽ちゃんは無邪気に顔中をほころばせる。
かと思えば、隣で包丁握りしめてる銀ちゃんを呆れたような目でじとっと眺めて、
「でも牙突一回じゃお仕置きとしてはまだ甘いネ、芋あられより甘々ヨ。はもっと銀ちゃんを厳しく躾けるべきネ。
木刀喉に突き刺すくらいじゃ足りないアル、もっとお仕置きしてやればいいネ」
「えー、でもあのときの銀ちゃん完全にブルってたよ。さすがに反省したと思うよ。
ていうか神楽ちゃん、木刀喉に突き刺す以上に厳しい躾けとか思いつかないよ」
「そこが甘いネは、喉ぶち抜かれたくらいじゃ銀ちゃんたいして反省しないヨ。
二度と悪さが出来ないように木刀で下の棒もへし折ってやればよかったアル」
「・・・あのよー前から思ってたけどー、おかしくね。お前ら銀さんに厳しすぎじゃね?」
朝ごはん用に作ってあげた小さめのおむすびをテーブルの上のお皿から摘まむと、ぽいっ。
大きく開けた口の中に放り込んで不満そうな顔してもぐもぐもぐもぐ噛みしめてから、ごっくん。
あっというまに呑み込んじゃうと、銀ちゃんは神楽ちゃんを横目に睨む。
それからくるっと振り向いて、銀ちゃんの真後ろ――ソファの背もたれに腰かけて、スマホの画面をぽちぽち押してるあたしを見上げた。
ものすごーく不満たらたらだけど目尻に涙の跡が残ったちょっと情けない顔が、上目遣いにじとーっとこっちを睨んできて、
「え、何なのお前ら、鬼?鬼なの??銀さん危うく殺されかけたんだよ?
昨日は酒樽で溺れて死にかけてんのに、今日は起きた途端にあれを上回る恐怖体験しちゃったんだよ?
え、おかしくね、おかしーだろぉ?付き合ってる女に牙突食らって殺されかけるとかよー、ダメだって絶対おかしいって!」
ないない、ないからね、あれ以上厳しい躾けなんてないからね!
なんて言いながら、次のおむすびを口の中にぽいっ。
早くも通算3個目のおむすびをむぐむぐしてるほっぺたをぷーっと盛大に膨らませてるくせに、銀ちゃんの右手は手際よく包丁を動かしてる。
これ剥いて、ってさっき手渡したばかりの栗は、お登勢さんからのおすそ分け。
なかなか大きくて立派な栗で、今夜はこれで栗ご飯を作る予定だ。
でも生の栗って、おいしいけど下ごしらえが面倒なんだよね。
つやつや光る表面の鬼皮は、すごーく硬くて剥きづらい。
だけど器用で力も強い銀ちゃんの手にかかれば、この手強い皮もどうってことなくさくさくと剥けちゃうみたい。
タオルを被った頭の後ろから胡坐を掻いた足の間に挟まれてるボウルを覗き込めば、剥き終わった淡い黄色の栗がころころと、すでに10個くらい転がってた。
ぴぴぴ、ぴぴ、ってスマホの画面を操作して、さっき着いたメッセージに返信する。はい、これで送信完了。
使い終わったスマホを着物の袂に戻そうとしたら、なぜかこっちを気にしてちらちら振り返ってくる銀ちゃんと目が合って。
「なに、どーしたの」って首を傾げて尋ねたら、
「ー、まだ怒ってる」
「もう、またそれ?さっき言ったじゃん、栗ぜんぶ剥いてくれたら許してあげるって」
「じゃあ返してくれる俺の木刀。何で常にそれ持ち歩いてんの、ずっとそこに挿しっぱなしじゃねーかよー」
まだ怒ってっからそれ持ってんだろぉ、って、こっちへ向けた包丁の先であたしの帯の辺りを指す。
帯の上には銀ちゃんのベルトがぐるぐる巻きにしてあって、それと帯の間には銀ちゃんの木刀が挟まってる。
脇に挿した刀の持ち手…ええとこれって、柄、って言うんだっけ?
そこをぽんぽん叩きながら、疑念とか警戒心をありありと浮かべた引き気味な目でこっちを見てる銀ちゃんに向かって、
「安心しなよ、単なる護身用だよ。気にしなくていーよ」
「いやいや気にするって、気にするからね。
さっきから銀さん後ろから牙突食らわされんじゃねーかってひやひやしっ放しだからね、生きた心地しないからね」
「安心してよ銀ちゃん、もうあんな技使わないから。
だってほら、喉なんかぶち抜いちゃったら後が面倒っていうか大変そうじゃん」
「こぇーよこの子、これっぽっちも安心できねーよ。
なんだよ大変そうってよー、何が大変なの、俺を牙突で始末してからの後始末が?」
それによー、って口を尖らせながら、毛先が自由気ままに跳ねた前髪の影からの不服そうな視線をあたしの手元に集中させて、
「お前さっきからそればっか弄りっ放しじゃん。まだ怒ってっから携帯ばっか見てんじゃねーの」
「・・・」
あ、やっぱり気付かれた。
手のひらに乗せたスマホに訝しげな目を向けてくる銀ちゃんに「えー、そうかなぁ」って返事しながら、心の中では肩を竦める。
見た目けっこう豪快そうで何かとだらしないいいかげんな彼氏を、実は意外と細かく気にする繊細な面もあるのかも、なんて思うのはこういう時だ。
「なにそれ、メール?台所でもやってたよなぁ」
「SNSのメッセージだよ。この前交換したばっかなんだけど、けっこうマメに送ってくるタイプの人みたいで」
「ふーん。それって」
「銀ちゃんおむすびもういらないアルか?もう満腹アルか?しょうがないアルな、残りは私が食べてあげるヨ」
「へ?いや残してねーし、まだ食・・・っって神楽てめっっ、何で残り全部口に詰め込んでんの!?」
「おむすびならまだお昼のお弁当用があるよ。別にケンカしなくても・・・って、ねぇ聞いてる銀ちゃん、神楽ちゃん」
返せ俺の朝飯いぃぃぃ!
顔色変えて包丁をテーブルに投げ捨てると同時で銀ちゃんがびょーんと高くジャンプ、お口をむぐむぐさせながら中国拳法っぽい構えを取る神楽ちゃんに飛びかかる。
うん、これも万事屋的にはいつものよくある光景だ。
「お弁当の用意してくるね」ってだけ言うと、ドカドカ蹴り合う音を背にしてあたしは台所へ避難を始めた。
うん、さっそくだけど前言撤回。
さっきは銀ちゃんにも意外と繊細で人に気を遣う一面があるかもなんてとち狂ったこと思ったけど、あれ全部無し。
あたしが間違ってたよ。あれを全部、全面的に前言撤回するよ。
子供におむすび奪られたくらいであんなに大人げなくなる銀ちゃんが、間違っても繊細なはずないもんね。
今もほら、テレビの音が聞こえなくなるくらいの大声でぎゃーぎゃー怒鳴りまくってるし。
見た目は年齢不詳だけど実年齢はとっくにアラサー、いくら何でもそろそろ大人になってもいいはずの彼氏の子供っぽさに呆れながら、あたしは醒めきった顔のまますたすた歩いた。
台所に入ってシンクの前でスポンジを握って、オレンジの香りがする洗剤をちょっとだけ振りかけて、ぎゅ、ぎゅ、ぎゅっ。
もこもこした白い泡でお箸やお皿を次々洗って、シンクの端にちょこんと落ちてたスプーンも洗う。
細い銀の柄をあわあわもこもこにしながら、居間のほうの音に耳を澄ました。
・・・銀ちゃんの声、もう聞こえない。どうやらいつもの兄妹喧嘩は終了したみたいだ。
さっきは聞こえなかった再放送ドラマの俳優さんのせりふが、ぽそぽそ、ぽそぽそ、ってないしょ話みたいなひそひそ声で台所まで流れてきてるし。
「・・・ほんと大人げないよね銀ちゃんて。やっぱり牙突で喉潰してあげればよかった」
「ほらぁやっぱまだ怒ってんじゃん」
「きゃああああああ!!!」
ぎゅうぅぅぅーーーーーーーっっ。
何の断りもなく胸元へ巻きついてきた硬い腕に、後ろから思いっきり、力一杯抱きつかれた。
ぼとっ、とスプーンがシンクに落ちる。
心臓が飛び出そうなくらい驚いて青ざめたあたしの背筋は、少なくとも10センチくらいは跳ね上がったと思う。
ショック死しそうなほど驚いたせいでばくばくしてる胸を着物の上から勝手にむにむにされながら、驚きのあまりかぁっと開ききってる目を白黒させて振り返る。
なのに銀ちゃんはしれっとした顔で言葉も出ないあたしを眺めて、「んだよぉ、そこまで驚くこたぁねーだろぉ」なんてすっとぼけたことを言い出した。
驚くにきまってるでしょ、いつの間に来たの!?いつからそこに立ってたの!?
「〜〜やだもぅやめてよっ、びっくりしてお皿割っちゃうでしょっ」
「せっかく連休なんだしぃ、機嫌直して仲良くしよーぜー。なぁなぁ、昼からお前ん家行っていい。久々にラブホでもいーけど」
「だめ。銀ちゃんのお酒臭いお布団干しちゃったし、買い物終わったら栗ご飯炊くの」
「ちぇっ、っだよぉケーチ。のケチー。つーかよー、今朝のあれは半分はのせいみてーなもんだろぉ」
「はぁ?なにそれ。あれは100%銀ちゃんのせいでしょ。銀ちゃんが朝から変なことするから大騒ぎになったんだよ、人のせいにするなド変態」
「おいおい、誰のせいで朝から俺がド変態になったと思ってんの。お前が朝から寝起きの男の目の前で、ふにゃふにゃ笑って嬉しそーに「おはよう」とか言うからだろぉ」
「・・・?何その屁理屈。意味わかんない」
文句を言われないのをいいことに人の胸を両手で握って好き放題触ってくる図々しい手を、ぺちんっ。
心持ち強めに引っ叩いてから、帯のところに刺さったままの銀ちゃんの刀をむんずと掴む。
「銀ちゃんそんなにお仕置きされたいの」そう言ってあげたら効果は覿面、つい一時間前に痛い目に遭ったばかりの前科犯は、あわててその手を引っこめた。
・・・ほんと銀ちゃんたら、わけわかんない。何なの、その意味わかんない屁理屈。
今朝のあの騒ぎが半分はあたしのせいって、何をどう考えたらそうなるの。だって、おかしくない?
あたしが笑ったから?どうしてそれが、銀ちゃんが朝から発情期のケダモノみたいにサカってた理由になっちゃうの。
目を覚ました人に「おはよう」ってあいさつするのは普通でしょ。
ていうか、嬉しそうな顔って何。あたしそんな顔してた?
「…ていうか、ちょっと嬉しそうな顔しただけで襲われるってどんな理不尽なの。
それ以前にあたし、嬉しそうな顔なんてした覚えないんだけど」
「したした、したって。あんなぽやぁーっとした可愛い顔で朝っぱらから覗き込まれてみろよ、世の中の殆どの野郎は3カウントで女押し倒してサカり出すからね」
「あはは、まさか。そんなはずないでしょ、あたしみたいな子でも興奮しちゃう物好きなんて銀ちゃんだけだよ」
「あー、またそーいうこと言う。やめろって言ってんだろぉそれ」
「えぇー。だって事実だもん。あたしぜんぜんモテないもん」
手の中でもこもこ泡立ってるスポンジとシンクに落ちたスプーンを見つめて、ぷくっとほっぺたを膨らませる。
そうだよ、それが事実だよ。認めるたびに悲しくなるけど、いくら悲しいことでも現実は現実。悲しいけど認めなくちゃいけない。
(、可愛い。)
本来は女の子をマメに褒めるタイプじゃないはずの銀ちゃんは、あたしとお付き合いを始めてからは何かといえばそう言ってくれる。
言われたあたしが恥ずかしくなるくらいに、何度も、何度も。
そうやって繰り返し言い聞かせて、どうにかあたしに自信を持たせたいって思ってくれてるみたいだ。
そういう銀ちゃんの優しさはすっごく嬉しい。
言われるたびにどきどきするし、ひょっとしたら少しは可愛くなれてるんじゃないかなぁ、なんて思うこともある。
――でも、そうやって自惚れていられるのはそんな時だけ。
ふと鏡を眺めてみれば、そこにいるのはいつもの見慣れた地味な女の子。
これといって良いところもなく、男の人に好かれることもなさそうな地味な顔立ち。特に見所のない地味な身体つき。
そんな自分が「可愛い」なんて、到底思えないんだよね。
それって多分――ううん、きっと、ここ数年特定の彼女がいなかった銀ちゃんが、久しぶりの恋人関係にはしゃいでるからじゃないかなぁ。
もしそうじゃなかったとしても、友達付き合いが長かったあたしに対する「身内の欲目」じゃないのかな。
だって自慢じゃないけど、あたしは男の人にモテたことなんて一度もない。
つい最近まで「彼氏いない歴=年齢」だったのが、その純然たる証拠だよ。
好きな人に告白したことはあっても、告白されたことなんて一度もない。それどころかナンパされたこともない。
友達とその手の体験談すると、必ずといっていいほどびっくりされてきたんだよ?
だからもちろんモテない自覚はあるし、いっそ自分のモテなさに自信まで持ってるくらいだ。
自分は男の人に好かれるような可愛さや綺麗さにはほとほと縁遠い、つくづく残念な子なんだって。
・・・まぁ自信を持ってるからといってまったく何の役にも立たない、ものすごく悲しくて情けない自信だけど。
「まぁ男の人にモテなくても楽しく暮らせてるし、今はそんなこと気にしてないしね。だから銀ちゃんもいちいち慰めてくれなくていーよ」
「・・・お前ほんっと判ってねーな。あのよー、ここまで言わせてんだから少しは自信持ってくんね。
別に俺が特別物好きなわけじゃねーって、何遍言ったら信じてくれんの」
どーして判ってくんねーのかねぇ、この子は。
くす、って笑った唇から、嘆かわしそうな長い溜息が溢れ出す。
うわ、くすぐったい。
不意打ちで吹きかけられた吐息の熱にどきっとして、銀ちゃんの顔がもう少しでくっつきそうな耳元までざわっと肌が粟立った。
「・・・・・・し。信じてって、・・・っ」
手の中で滑るスポンジをぎゅうって強めに握りしめて、耳元にある熱の感触に困りながらもごもごぼそぼそ口籠る。
途端にどぎまぎして顔が熱くなってきた自分に気付かれたくなくて、あたしはそろっと足を左へ。
自然なかんじを装って、少しずつ銀ちゃんから離れようと思ったんだけど――
「と、とにかくもうやめてよねあーいうの。銀ちゃんのおかげで爽やかな休日の朝が台無しに――・・・っっ!?」
だけどあたしが何をしようとしてたのかは、銀ちゃんにはバレバレだったみたいだ。
ぎくしゃくした動作で足を横へずらした瞬間、お腹に腕が回ってくる。
巻きついてきた熱い腕はあたしの腰を絡め取って、ぐい、って後ろへ引っ張った。
途端にぐらりとよろけた足がたたらを踏んで、ぼすっ、と背中から、逞しい胸に抱き留められて。
うぅっ、って恥ずかしさのあまり唇を噛んで、耳まで真っ赤に染めた顔で振り返ろうとしたら、
「それそれ、その顔。それがだめなんだって」
「えぇっ、なっ、何そのダメ出し、意味わかんないぃ!――んっ、ぁ、ちょっ・・・!」
はーーーっ。
銀ちゃんはわざとらしいくらい盛大に溜め息つくと、唇をあたしの首筋に押しつけてきた。
ちゅく、って尖らせた舌先で強めに吸いつかれる。
艶めかしく肌に触れてきたやわらかい熱にぞくぞくしちゃって、ひぅ、って背筋を跳ねさせて、
「〜〜っっ。ゃだやだ、も、はなしてぇ」
「だめー。銀さん今すげームラっとさせられたからね、せめてちゅーくらいさせろや」
腰を抱いた腕にゆっくり力を籠められたら、ごつごつしたあったかい身体と隙間なく密着する。
そしたら銀ちゃんの部屋で身体中撫でられたあの感触まで思い出しちゃって、抱きしめられる息苦しさにどきどきした。
きゅん、って身体の奥が甘く疼いて――
「・・・〜〜っ」
「はは、足震えてんじゃん。そんなに気持ちーんだぁちゃん」
「っっち、違っ・・・それより、は、放してよっ。ここ台所!台所だよ!?」
「だよなー台所だよなぁ。台所でちゅーされて、気持ちよくなって震えちまうんだもんなぁ。悪い子だよなーは」
「っっ!?」
腰をがしっと掴んでた手に強制的に方向転換させられて、おそるおそる顔を上げたときにはもう両側から頬を挟まれてて。
ううっ、って恥ずかしさに震える唇を噛みしめながら、あたしは涙が浮かんだ情けない目で銀ちゃんを見上げる。
握ってたはずのスポンジはいつの間にか足許に落ちて、古い床板に白い泡を撒き散らしてる。
気付けば泡だらけな手は銀ちゃんの胸との間に窮屈に挟まれてて、どうしたらいいのかわからないまま着古した寝間着に縋りついた。
左の耳へ唇を寄せてちゅっと啄んだ銀ちゃんが、ないしょ話みたいに低く潜めた甘い声でささやいてくる。
「なぁ、どーしてほしい。もっかいちゅーされたい?それともここでさっきの続きされてーの」
「〜〜〜・・・っっ」
(こんなところで見境なくサカるな、神楽ちゃんもいるのに!)
押さえつけられて動かしにくい口を開く代わりに、非難をこめて睨みつける。
なのにあたしの精一杯の抗議は、銀ちゃんにはちっとも伝わらなかったみたいだ。
寝室で見たのと同じような、どこか色っぽくてうっとりした目つきで銀ちゃんは笑う。
手のひらにすっぽり収めたほっぺたを硬い指先ですりすりされて、くすぐったさとない交ぜになった気持ちよさが全身に走る。
そのおかげできゅうっと締めつけられてた胸の奥がとくんと弾んで、目尻にじわぁっと熱いしずくが滲んでくる。
じっとしていられないくらいにぞくぞくしてる身体が、落ち着かない気分を運んでくる。
「・・・っ。うぅぅ〜〜、も、やだぁ、こんなところで・・・っ」
「ほらどーすんだよ、どっちがいーのか言ってみな。が言ったらちゅー1回で我慢してやるから、な?」
どう見ても一回のキスじゃ済ませてくれそうにないふてぶてしい顔が、可笑しそうに目を細めながらゆっくり間を詰めてくる。
そんな顔で笑われたら、こっちは本当に食べられちゃうんじゃないかってどきどきする。
まだ見慣れない男の人の顔した銀ちゃんに尻込みしちゃって、今すぐどんっと突き飛ばして台所から逃げたくなった。
だけどこうなっちゃったら最後、銀ちゃんの腕から逃げられたことなんて一度もない。
それに――恥ずかしいけど、やっぱり嬉しい。
だって好きな人の腕の中だもん。他のどこにいるより嬉しいにきまってる。
さっきは銀ちゃんのお腹に跨って身体中撫で回されるっていう、ただ抱きしめられるよりもはるかに大胆なことされたけど、抱きしめてはもらえなかったし・・・キスもしてくれなかったし。
そんなことに物足りなさを感じてしまうようになった自分が恥ずかしくて、どうしたらいいかわからない。
かーっ、と頭の中まで火照りきったあたしは、おろおろとふらふらと視線を左右に彷徨わせた。
それからどうにか覚悟を決めて、ぎゅっと目を瞑って唇を開く。
「・・・ぃ・・・一回だけ。ちょっとだけ、だから、・・・ね・・・?」
「・・・」
もじもじしながら身体の力を抜いて分厚い身体に寄りかかったら、そんな仕草も可笑しかったのかも。
銀ちゃんが短い笑い声を漏らす。
ふ、って笑った吐息めいた声が、ほんの間近から伝わってきて――ふわ、っておでこにやわらかい髪が触れる。
ちゅ、って最初に落とされた熱くて短い口づけは、手のひらで覆われた右のほっぺたに。
次に甘く吸いつかれたのは、反対の左側。やわらかい音を鳴らして離れていった唇が、こらえきれねー、ってかんじの声でまた笑う。
こつん、っておでことおでこをくっつけて涙目なあたしと目を合わせると、銀ちゃんはなんだかせつなそうに眉を寄せた。
せつなそうな顔のままで首を傾げてくるから、ざわざわとおでこで白い髪が擦れる。
指先で肌をくすぐるみたいにそうっと弱めに、真っ赤に染まったほっぺたを長い指が撫でてくる。
その感触がすごく気持ちよくて、銀ちゃんを見つめてた目がとろんと潤む。ふぁ…、って自然に吐息がこぼれた。
するとなぜか銀ちゃんが、ふっと息を呑んで。かと思えば、眉間がちょっと怒ってるみたいにぎゅーっと寄せられていって、
「だからそれな、それ。その顔な。そーいうぽやぁーっとした可愛い顔されっと、ちゅーだけじゃ済まなくなるんだって」
「〜〜えっ、っっわ、っやぁ!?」
いつのまにか下がってた大きな手が、あたしのお尻を抱え上げた。
硬い腕の中へ閉じ込められた身体が、ふわ、って高く浮き上がる。
途端にお互いの視線が重なって、頭の後ろを逆の手で押さえつけられたらもう逃げられない。
くたびれた寝間着をぎゅっと握って分厚い胸を押し返しても、銀ちゃんの身体は微動だにしない。
睫毛を伏せ気味にした熱っぽい表情が、あたしの視界を影で覆いながら迫ってくる。
だめだ。やばい。間違いないよ。これって絶対、ちゅー1回じゃ済まないやつだ・・・!
すっかりその気な銀ちゃんを泡まみれな手で押し返しながらあたしが心の中で泣き叫んだ、その時だ。思わぬところへ救いの神が現れた。
視界を塞いだ銀ちゃんの肩の向こうで、ひゅんっ、と流れたピンクの髪。続いて赤いチャイナ服の裾がぶわっと翻ったのが目に入って――
「いいかげんにしろヨエロ天パ!」
「ふぇ!?」
「ぅごっっっ」
悶絶気味な低い悲鳴が台所中に響き渡る。
全身を急に硬直させた銀ちゃんが、どどぉっっっ、と床に倒れ込む。
倒れ込む直前に腕をくいっと引っ張られて銀ちゃんから離されたおかげで、食器棚までガタガタ震わせた大転倒には巻き込まれずに済んだけど――、
・・・何これ。一体何が起きたの。ぽかんと銀ちゃんを見つめていたら、いつの間にか隣には女の子の姿が。
音もなく台所へ現れたのは、右手には銀ちゃんの湯呑み、左手には食べ終わったおむすびのお皿を持ったお団子頭の世紀末救世主…じゃなくて、アイドルも顔負けの大きな瞳をまるで虫ケラでも見るような蔑んだかんじにうーんと細めて、うつ伏せに倒れた大人の背中をぎゅうぎゅう踏みつけてる神楽ちゃんだ。
小さな足を高々と上げては、容赦なく銀ちゃんを踏みつける。その音がどんどん大きくなる。むぎゅっ、がつんっ、どごっ、どかっっ、
「おいマダオ私こないだも言ったアルな、あんまりを困らせるとそのうち捨てられるからいい加減にしろって。
それとももっかい牙突食らいたいアルか、胃までぶち抜かれたいアルか」
「いでっっっ、いでででで!ギブ、神楽っっギブうぅぅ!!腰ぃっ、腰の骨折れるうぅぅぅ!」
「ちょうどいいネ腰骨折ってやるヨ。
銀ちゃんと付き合うよーになってから無駄に元気だって、あれじゃも毎晩大変だろうからちょいと痛い目見せてやったほうがいいって、こないだ下のばーさんが言ってたネ」
「はぁぁ!?何だそりゃ、ガキにいらねー入れ知恵しやがってクソババっっんぎゅうぅぅっ」
顔にだらだら冷や汗流しながら痛そうに悲鳴を上げてる銀ちゃんの頭が、むぎゅっ。
即座に狙いを変えた女の子の足裏でぐりぐりぐりぐり踏みにじられて、
「いでででででで!」
「実は私、ばーさんの話よくわからなかったネ。おしえてヨ、どーして銀ちゃんが無駄に元気だとが毎晩大変アルか」
「〜〜そ、それはぁ、ええっと・・・と、とりあえず、そろそろやめてあげてくれる?
銀ちゃんたぶん限界だから、死にそうな悲鳴出ちゃってるから」
あわてて飛びついて頼んだら、神楽ちゃんはまだ踏み足りないって顔をしつつもやめてくれた。
今にも銀ちゃんに唾を吐き捨てそうな荒んだ顔でくるりと方向転換、台所の隅の冷蔵庫へ向かう。
扉を開けて庫内を覗き込むと、赤い半額シールが貼られた生クリーム乗せプリンを取り出した。
甘党の銀ちゃんが自分のおやつ用に買ってきたそれを堂々と手にした救世主は、寛大にも半額スイーツ1個でお怒りを収めてくれるみたいだ。
もちろんあたしは食器棚に走って、また一つ新たな世紀末救世主伝説を打ち建てたばかりのかぶき町の女王様に恭しくスプーンを差し出した。
満足そうにスプーンを受け取ると、神楽ちゃんは悠々と台所を出て行こうとした。
だけど途中で、何か思いついたみたいにこっちへ振り向く。
不思議そうな丸い瞳でじぃーっとあたしを見つめてから、床に転がってうんうん呻いてる銀ちゃんを眺める。
それから台所じゅうをきょろきょろ見回して、
「・・・やっぱりおかしいネ。、何かいいことあったアルか?」
「え?」
「なんだか、ときどきすっごく嬉しそうな顔してるネ。今もちょっとだけ嬉しそうネ。
それ、銀ちゃんと付き合うよーになってからヨ。私いつも不思議だったヨ、どーしてアルか」
「えっっ。うそ、あたしそんな顔してる!?ふにゃふにゃしてる?どのへんが??」
こめかみや目許、ほっぺたや顎までぺたぺた触って、あたふたしながら尋ねてみる。
どこ、どのへんが?一体どこがおかしいんだろう。まさか神楽ちゃんにまでそう思われてたなんて!
でも神楽ちゃんはピンクのお団子頭をぶんぶん振って、
「そんなに気にすることないネ。そーいう時の、いつもすごく可愛いアル。見てると私まで嬉しくなるネ」
瞳を細めて楽しそうに笑った神楽ちゃんが、なぜか表情を一変させる。
しきりに腰をさすりながら床でうんうん唸ってる銀ちゃんを、氷みたいに冷えきった視線でじとりと見据えて、
「それに、ふにゃふにゃしてるのはだけじゃないアル。銀ちゃんだっておんなじヨ」
「え」
「このマダオ、たぶん気付いてないけどナ。が万事屋にいる時は、銀ちゃん何かっていうとのこと眺めてるネ」
「えっ」
「そーいう時の銀ちゃん、すごーーく嬉しそうネ」
「・・・」
「私たちに気付かれないよーにこっそり見てるつもりでも、妙に嬉しそうなあの顔でバレバレヨ。
あんなにわかりやすい顔してたらばーさんどころか定春だって気付くアル」
いつものこと目で追いかけてるって、新八だって言ってたネ。
最後にそんなことを言うと、神楽ちゃんは居間へぱたぱた戻っていった。
真っ赤なチャイナ服の背中をぽかん目と口を開ききったまま見送ると、銀ちゃんがううぅって唸りながらぎくしゃくした動きで起き上がる。
膝を立てた四つん這いポーズを取ると、痛そうに目許を顰めて踏まれた腰をさすりながら、
「な?だから言ったじゃん」
うん、ってあたしはぽかんとした顔のまま頷いた。
神楽ちゃんの話を聞きながら、不思議に思ってたんだけど・・・そっか。
初恋もまだだって公言してる神楽ちゃんの中では、万事屋にいる時のあたしの顔がいくら緩んでいても、どれだけ嬉しそうにしてても、それが銀ちゃんと一緒にいるせいだってこととは繋がらないみたい。
それにもしかしたら神楽ちゃんて、銀ちゃんとあたしの関係性をちょっと誤解してるのかも。
ただの友達だった頃からあたしが万事屋に入り浸っていたのは、こっそり銀ちゃんに片思いしていたからで。
銀ちゃんとお付き合いできるようになったのは、あたしから銀ちゃんに告白したからで。
だけどあたしにやたらと構ってはウザがられてる銀ちゃんを日々目の当たりにしてる神楽ちゃんの中では、そこが事実とは逆の構図になってるのかもしれない。
(とことんモテない銀ちゃんにが無理やり押し切られて、仕方なく彼女になってあげた。)
そういうことになってるのかも。
だからあたしが銀ちゃんといられるのが嬉しくて自然とふにゃふにゃ笑ってても、理由がわかんなくて不思議に思ってたのかな。
そっか。それならあの反応も納得いくよ。なんて気付いたらおかしくなって、ぷ、って思わず吹き出してしまった。
くすくす笑いながらスポンジを拾って、銀ちゃんが身体を起こすのを手伝ってあげる。
胡坐を掻いた銀ちゃんの傍にぺたんと座り込んで、「痛ってぇぇ…」って情けない顔して腰をとんとん叩いてる彼氏の姿を笑って眺めた。
すると銀ちゃんがちろりと視線だけをこっちへ向けて、何も言わずに目を細める。
お付き合いするようになって初めて知った、普段の銀ちゃんよりもほんの少しやわらかい表情。
その顔を目にした瞬間、こう思った。もしかしたらあたしも、こんなかんじの表情で銀ちゃんを眺めてるのかも、って。
『、ときどきすっごく嬉しそうな顔してるネ』
神楽ちゃんはそう言ってたけど、それもこんな表情なのかも。
あたしは銀ちゃんを、銀ちゃんはあたしを。
お互いに似たような顔でお互いを見つめて、同じように嬉しそうに笑ってたのかもしれない。
そう感じたら胸の中にあったかい気持ちが溢れてきて、似たようなことを考えてそうな銀ちゃんとお互いを見つめて笑い合う。
なんとなく二人で近づき合って、古びた寝間着の銀ちゃんの肩にちょこんと頭を凭れさせた。
座った床はオレンジの香りがする洗剤の泡で濡れてるし、着物までぬるぬるになっちゃいそう。
でも今はそんなことも大して気にならなくて、後で拭けばいいかなって気分だ。
「・・・ふふ、やだなー、ぜんぜん気付かなかったよ。あたし、銀ちゃんたちの前で無意識に嬉しそうな顔してたんだね」
「あー?いやいや違げーって、そこじゃねーって」
「え。違うの」
「まぁそれもだけどー、もう一つあんだろ。言ってただろぉ神楽も、が最近可愛いって」
「っっ。〜〜そ、それは。ぇ、えと、だって、ぅあ、あの、・・・・・・っ」
もじもじと両手を握り締めたりうつむいたりしているうちに、上からの視線に気がついた。
猫背な背中を丸く屈めた銀ちゃんは、にやけた顔でこっちを見下ろしてる。
いつもすっとぼけてて何を考えてるのかよくわかんないあの目が、肩を竦めて赤面してるあたしをまっすぐに覗き込んできて。
「なーなー、邪魔者もいなくなったしよー、しよーぜさっきの続き」
「え。つ、続き?」
「あれっ。んだよその顔、もう忘れたのかよー。さっき約束したじゃん、好きなだけちゅーしていいって」
「〜〜っ。違うぅ、一回だけでしょっ」
「んー、じゃあ一回な。ほんとはもっとしてーけど、がちゅーしてくれたら痛てーの吹き飛びそーだし」
床に降ろしていた右手の先を、きゅ、って優しく握られる。
もう一度指先を握りながらあたしの腕を軽く引っ張ったその仕草は、たぶん銀ちゃんなりの「もっとこっち来て」の合図だ。
床の上でもぞもぞ身じろぎして、ちょっとずつ身体を近づけていく。
腰を支えてくれた腕に抱き寄せられながら斜め上を振り仰げば、上から影を落としてくる顔が、ん、って小さく顎を上げてみせた。
たぶん今のは「もっと上向いて」の合図、かな。
乞われるままに顎を上げて、満足そうに細められた目と見つめ合う。
・・・なんだか不思議。
こっそり片思いしていた頃は、こんなふうに銀ちゃんと目や仕草だけで会話できるようになるなんて思いもしなかったよ。
くすぐったい嬉しさを感じながら、熱くなったほっぺたを緩めてあたしも笑う。
すると斜め上で笑ってた顔がゆっくり覆い被さってきて、薄く笑ったかたちに緩められた唇を、ふに、ってそうっと押しつけられた。
「んー、まだ足りねーかも。まだ痛てーから、もう一回な」
「――んっ。んん・・・」
しれっとした口調でそう言いながらまた顔を寄せてきた銀ちゃんのキスは、やっぱり「もう一回」じゃ終わらなかった。
唇を塞いでいた熱がほんの数センチだけ離れて、またゆっくりと口づけられて。
そうして繰り返し触れるたびに、銀ちゃんの体温やもどかしそうな息遣いがあたしの唇をふわふわした甘い感覚で融かしていく。
(いたいのいたいの、飛んでいけ。)
だいすきな人に身体ごと預けてしあわせな気分に浸りながら、心の中でそう唱える。
口の中まで入り込んできた舌にやわらかく撫でられる感触にどきどきしながら、がっしりした背中に腕を回した。
オレンジの香りに包まれながら何度も何度も、息が上がっちゃうような深くて息苦しいキスを夢中でする。
数えきれないくらいキスしたせいで終わったときには腰が抜けてぐったりしてたことは、何かとあたしを心配してくれる優しい神楽ちゃんにはないしょだ。