江戸の中心にそびえ立つ巨大な空間転送装置 ――通称「ターミナル」を擁し、大小のビルが林立する官公庁街。 もうすぐ夕暮れが差し迫ろうかという頃、この街の景観の中でも一際目立っているのは 夕陽の茜色を受けて輝く白銀の塔だ。去年リニューアルオープンした高級ホテル、「ホテル雪妃離宮」。 江戸の玄関口でもあるこの街に名だたる高級ホテルは数多あれど、この建物のまばゆさときたら、 見上げただけで目がくらみそうなほどだった。まばゆいのは建物の外観ばかりではない。 常時数人のドアマンが待ち受ける、光り輝くエントランス。そのエントランスから金色の回転ドアをくぐれば、 吹き抜けからの照明にキラキラと彩られた純白のロビーが現れる。併設された広々としたティールームには どこぞの星から地球へ訪れたVIPたちや商談に勤しむビジネスマンの姿が多く見られ、また、身なりの良い有閑マダムたちが くつろぐ姿も少なくはない。抑えた色調でまとめられた優美な内装や家具調度品に囲まれたなら、ここを訪れた誰しもが、 三階から最上階まで配置された百を超えるゲストルームの洗練ぶりはさもあらん・・・、と思い描くことだろう。 訪れる人々に圧迫感を与えないさりげなさを前提にしつつも、完璧なまでに美を追及し極めた空間。まさに贅沢そのものな 空間である。 ――ところが。 つい先頃このホテルに飛び込んできたこの二人に限っては、そんな贅沢空間の美しさなど味わうべくもないのだった。 急遽宿泊することになったホテルの豪華さを目で楽しむ…、なんて余裕がどこにあるのか。二人は文字通りお互いのことしか 見えていない状態だった。まあ、そのうち一人には周囲の状況をなんとなく察知する程度の余裕はあったが、もう一人のほうは 自分がどこにいるのかを理解しているかどうかすら怪しかった。元真選組隊士でもあり女性としてはかなり腕の立つ 剣士でもある彼女が、普段はそれなりに持ち合わせている判断力、認知力や観察力、それなりに持ち合わせている羞恥心や 理性や遠慮や気遣い、他にも諸々の、お年頃の女の子として必要なはずの常識的な感覚その他エトセトラエトセトラ・・・・・・・・・、 そんなすべてが、今の彼女からは見事にぶっ飛んでしまっている。高層ビルの二十五階に位置する この部屋の窓から拝む絶景な夕暮れの紅く染まった地平の彼方あたりまで、ひゅーーん、と吹き飛んでしまっていたのだ―― 「や〜〜だぁぁあ。逃げちゃや〜〜ですよぅぅ、ひじかたさぁんん」 「〜〜〜っっああ畜生・・・!てめっ、自分が何やってんのかわかってんのか!?おいィィィ離せ、離せって言っ、」 「やーれすぅぅ。ちゅーしてくれたら離してあげますぅー」 「さっきもしたじゃねーか!」 「足りませんよぅー。土方さぁぁ、ほんのちょっとしかしてくれないんらもんっ。もっともっとぉ、おかわりれすぅーー」 むにむにと押し付けられた弾む柔らかさを胸元に感じて身体をむずむずと疼かせながらも、真選組鬼の副長、 土方十四郎さんは激しく困りきっていた。いや、正確に言うなら全身棒立ちで顔面硬直、正直に言うなら内心たじたじだった。 今の彼が一体どれくらい困りきって判断力に欠けているか。それを知るには、まずは彼の手の動きに着目してみるのがいいだろう。 隊服の胸元にひしっと抱き縋ってキスをねだる、彼の元カノ。とろりと潤んだ目で彼を見上げてくる女の身体に 触れていいものかどうかを迷っている彼の手は、着物が乱れて肌があらわになった肩から帯が垂れ下がった背中にかけてを そわそわと上下、それでも決して彼女に触れることなく、落ち着きなく何度もさまよっている。 ぐらりと後ろへ傾いた彼の背中を支えているのは、今まさに開けて出ようとしていた高級ホテルの分厚いドア。 そして焦りまくった視線の真下には、この部屋から退散しようとしていた彼に体当たりで抱きついてきた顔の赤い女。 二人がドアの内側で何やらモゾモゾと揉み合っているこの部屋は、雪妃離宮の中腹ほどの階に位置したセミスイート。 本来は、このホテルを定宿とするお得意様の急な宿泊に応対するための予備用客室である。そこを土方が無理を通して (半ば脅迫的に)開けさせたのだ。ちなみに、真選組副長の看板付とはいえ一介の警察官でしかない土方に、 なぜこんな高級ホテルに無理を通せるようなコネクションがあったのか。それは以前に攘夷浪士掃討のために 手入れさせた女装バーで、ここの統括支配人を務めるおっさんの人に知られたくない趣味嗜好、いわゆる女装趣味という 個人的な弱みを偶然握っていたからで・・・、 ――いや、そんなどうでもいい裏事情はさておいて、 「ちぇ〜〜、してくれないんれすかぁ・・・・けーちーーーぃぃぃ。ひじかたさんのけちー、へんたぁーーい、はげー、」 「誰がハゲだ誰が!ちっ、酔いにまかせて好き勝手しやがってこの酔っ払いが・・・!」 「酔ってませぇんーー。ちゃんは酔っぱらってなんかいないのれすよー。ちょーーっとお酒は飲んだけどー、 ちっとも酔ってないんれすぅー!」 ふにゃふにゃと緩みきったご機嫌な顔で笑いながら、は土方に全身で飛びつく。 すんなりとした二の腕を彼の首に巻きつけて、 「なんれすかもぉ酔っぱらい酔っぱらいってぇぇぇ、っとに失礼れすねぇばーかばーかばーか! 醤油1リットル飲んで死ねぇええひじかたぁぁぁ、マヨネーズのプールで溺れて死ねぇええひじかたコノヤロー!!」 なんて罵詈雑言を浴びせた酔っ払いは何を思ったのか、土方の口から吸いかけの煙草をびしっと払い落とした。 次いで、彼の頬を両側からがちっと固定。うっ、と息を飲んで目を剥いた男との間を瞬時に詰めて その唇を塞いでしまった。ふんわりとした頼りない感触に呼吸を奪われる。ふぁ、と鼻にかかった声を漏らした の舌が、驚いて固まった彼の口内に押し入ってくる。 「・・・・・んん、・・・・・ふぅ・・・・っ、」 「〜〜〜っ、おいやめっ、・・・・・・・っっ待てっっっ!」 いつになく狼狽えてに主導権を奪われかけた土方だったが、やがて彼女の両腕を掴む。 縋っていた女の身体をべりっと、力任せに引き剥がした。それでもは何のためらいもない表情で まっすぐに彼を見上げ、ちょこんと首を傾げる。猫を思わせる吊り上がり気味な目が悪戯っぽくにまぁっと笑って、 「えー、やらーーー。もっとぉぉ。もっと、しよ?」 「駄目だ!っ、その、〜〜ぁあああれだお前っ、いくらお前の頭が飛んじまってるからってこれはよくねえ、よくねーだろ! こっちだってその、お前が酔って正体もねえのをいいことにってのは気が引け、・・・・・・・っておいィィ、何してやがる!?」 「ぇえー。らってぇ、汗掻いちゃったからぁ」 唖然とする土方をよそに、いきなりは脱ぎ出した。 まずは結び目が緩んで解けかけていた帯や帯留めをしゅるしゅるしゅる。すとん、と床に落下させる。 次に薄桃色の着物がはらりと落ちて、さらには襦袢が淡い色の肩を滑っていく。慌てた土方はせめて襦袢だけでもと 瞬時に薄い布地を掴み止め、 「待て!脱ぐな、脱ぐんじゃねえ!せめて俺が出てってからにしねえか!」 「やーだぁぁ、脱ぐの〜〜。この部屋暑いぃ。あっつくってぇ、なぁんかー、息がー、くるしいんらもん〜〜・・・」 やだやだぁ、と彼の手を払ってあっというまに艶めかしい下着姿になった女に、きゃっきゃとはしゃぎながら抱きつかれる。 土方は頭を抱えたくなった。ひどく甘ったるい、嗅いだだけでどきりとする匂いが鼻先を掠める。数えきれないほど を抱いてきた彼の記憶に、消しようもなく染みついた匂い。ほとんど肌が露わになった女の身体から漂ってくる、 花のような甘い香りだ。それに混じってかすかなきな臭さが嗅覚を刺激している。何かと思って苦い表情を真下に向ければ、 それはさっき落ちた吸いさしが足元の絨毯をちりちりと焦がす匂いだった。だんっ、と吸い殻を踏み潰した彼の顔は、 さらに苦々しくなっていく。 ・・・・・・何が息苦しいだ。何が暑いだ。 んな時に限って妙に積極的ってえのはどーいうこった、勘弁しろ。 息苦しいのはこっちだ。暑いのはこっちだ。てめえのせいで身体どころか頭ん中まで焦げつきそうだ。 いや、それもこれも、元はと言えば俺の不手際が原因ではあるが。今回ばかりはこいつだけを責めるつもりはねえんだが―― 「・・・・・っ。あぁ畜生。もう知るか。もうどうなったって知らねえぞ・・・!」 ぎりぎりと歯噛みして唸っていた土方が、何か無理やりに踏ん切りをつけたかのような顔で目の色を変える。 ちっ、と歯痒そうに舌打ちすると、下着以外は何も身に着けていないの肩をわしっと掴んだ。 どんっ。 何かをぶつけられたような音を立てた分厚いドアは、それからしばらくの間、小刻みな振動に揺れていた――

お お か み さ ん と こ ま っ た く す り

――さて、どうして土方とがこんな場所にいるのか。なぜこんな事態に陥っているのか。 事の起こりからを辿るなら、話は一時間ほど前へと遡らねばならない。 場所は真選組屯所の局長室。そこには土方と山崎、そして、今しがた出先から戻ったばかりの近藤の姿があった。 今朝発覚したとある事件の現場状況を確認してきた山崎は、二人を前に報告を始めたところで―― 「今回の事件で使用されたのは、合成麻薬「千夜一夜」。 深夜の遊興街や若者が集うクラブでひそかに出回っている、いわゆる非合法ドラッグです」 時刻は八つ時を過ぎた頃。縁側から部屋へと差し込んでくる陽光も肌にほんのりと暖かく、 遠くからは屯所で働く女中たちの穏やかな話し声や笑い声がかすかに届く。広い庭ではちゅんちゅんとさえずる雀が のどかに駆け回っている。ともすればここが「チンピラ警察」などという物騒かつ不名誉な浮名で呼ばれる団体の 本拠地であることを忘れそうになる麗らかな光景が、部屋の外には広がっていた。とはいえ、この部屋に集った男たちの 話題はといえば、穏やかさにものどかさにもほど遠い、まったく殺伐とした内容なのだが。墨書の掛け軸が飾られた床の間を背にして 近藤と土方が座っており、彼らに向き合う形で山崎も畳に腰を下ろした。手にした資料の中央に載せられた小さな写真を指し示して、 「うちの管轄では初ですが、この薬を使った婦女暴行事件は今月だけですでに四件検挙されてます。 被害者の大半が夜遊び好きな若い女性。加害者の男たちが犯行に至る手口も、その大半が同じですね」 狙われるのは酒が入ってほろ酔い状態の女性ばかり。彼女たちのほとんどが、被害に遭った状況について こんな証言をしているらしい。 『遊びに行った先で知り合った男と意気投合し、酒と偽った千夜一夜を「奢るから」と勧められた』 酒気を帯びて夜遊びに浮かれ、羽目を外しがちになっていたとでも言うか、ただでさえ開放的な気分になっていた女性たちだ。 そう言われれば悪い気はせず、男の態度を疑うこともなく軽い気持ちでその「酒」を口にしてしまう。飲めば途端に酔いが回って 身体の感覚がおかしくなり、さらに時間が経てばその薬効で一種のトランス状態に陥ってしまう。 加害者たちの卑怯な手口も同じなら、その後の女性たちが辿る末路もこれまた同じだ。 そのまま店のトイレなどに連れ込まれて強姦される。仲間の男たちが待つ車に連れ込まれる。 見知らぬ一室に閉じ込められ、複数の男の相手を強要される、・・・というのが、お決まりのパターンなようだった。 「ドラッグとしては比較的安価で手に入りやすく、今のところは主な流通ルートもはっきりしていない薬です。 おかげで被害は後を絶ちません。なんといっても厄介なのは、この薬がビールに酷似してることですかねぇ。 見た目だけならまだしも、味や匂いまでそっくりらしいんですよ」 手元の資料をぱらり、ぱらりと捲りながら山崎が続ける。 手にした資料の内容は、例の薬についての概要とその被害状況についてだ。本庁から送られてきたデータを そのままプリントアウトしたものだった。 「それとですね、幸いに、…といっていいのかどうか判りませんが、この薬に中毒性はないそうです。 飲んでから数時間ほどは厄介な副作用が出ますが、被害者の身体に後遺症が残ることもありません」 「・・・うーん、どうも許せん話だなぁ」 腕組みをして話を聞いていた近藤は、苦々しい表情で首を捻る。 俺にも資料を見せてくれ、と山崎のほうへ手を出した。 「こういった場合、被害に遭ったのが警察に届出を出してくる気丈な女性ばかりとは限らんからなぁ。 ひっそり泣き寝入りしている被害者も多そうだ。それを思うとなんとも気の毒じゃねぇか」 せめて薬の出処だけでも早く掴めりゃあいいんだが――。 顎鬚のあたりを手で弄りながら、近藤は手渡された資料の一枚目に目を落とす。被害者となった女性たちの証言を読み、 心から同情的な、痛ましげな顔つきになる。ぱらり、と捲った次の紙面には、夜の街で実際に出回っている 千夜一夜の現物写真も載せられていた。 ビールにそっくり、というこの薬の特性を最大限に利用しているのだろう。市販されている発泡酒のようなデザインの缶だ。 オレンジ色のロゴに銀色と白で描いた模様が見た目にも爽やかな、小さめな缶。寸法はビールの350ml缶と同程度、 といったところか。とはいえ資料の写真は小さく画質も荒く、正確な大きさや見た目の細部までは把握できないものだったが。 「しかしよー、ビールにそっくりってのは面倒だよなぁ。そんなに似てるのか、その薬」 「ええ、泡の立ち具合いといい色といいそっくりでした。市販のビールと並べたって遜色なさそうな出来ですよ。ねえ副長」 「ああ」 それまで話を黙って聞いていた土方が、わずかに頷く。 そうかぁ、困ったもんだなぁ。独り言のように言いながら写真を見つめる近藤を、土方は横目に一瞬眺める。 鋭い双眸をふっと細め、薄く開いた唇の端からゆっくり煙を吐き出した。煙草を手元の灰皿に押し付けて火を消しながら、 「近藤さん、今日しょっ引いた奴らが隠し持ってたブツがあるぜ。資料よりも現物を見ておいたらどうだ」 「おお、そうだな。どこにあるんだ?」 「俺の部屋だ。今持って、」 「やぁらぁあ〜、こんなとこにいたんれすかぁひぃいいじぃぃぃかぁああたぁあさぁあああ〜〜んんんっっ」 「っっ!!?」 べしいいいっっっ。 立ち上がりかけていた土方が、背後からいきなり頭を張り飛ばされる。常人であれば間違いなく首が折れそうなスピードで 斜め下に吹っ飛んだ彼は、顔から畳にどどっと激突。驚いた近藤と山崎は畳に半分めり込んでいる土方を唖然と眺め、 さらに、彼の後ろに突如として現れた一人の女を、 ――不意打ちとはいえ鬼の副長を畳に沈めるという、ある意味偉業をやってのけた張本人をぽかんと見上げた。 「っっ、・・・!!?」 「さんっ、いつの間に・・・!?」 「こんどうさぁああん、やまざきくぅん、みんなで集まってなにしてるんれすかぁぁぁ? なになにぃ、なんのはなしぃぃ?ちゃんも仲間に入れてくらさいよぅぅ!」 「そ、それは構わんが、どーしたお前、真っ赤じゃないか」 「そーなんれすよぉ、よくわかんないけどさっきからすっごく暑くってー。それにねー、なんだかねー、 楽しくってしかたないんれすよー。身体が浮いてるみたいにふわふわしてー、気持ちいーんですよ〜〜・・・・・!」 なんて言いながら赤らめた頬をにまぁーっと緩め、はけらけらと笑い出した。 名目上は「土方の元カノ」、しかし実質上は「ほぼ土方の現カノ」というややこしい立場にある彼女は、 どうやらいつものように、アルバイトしているコスプレ喫茶からの帰りに屯所へ立ち寄ったらしい。 肩に下げた大きなショルダーバッグからは、バイト先で使用するコスプレ衣装の小物たち ――メイドさんのヘッドドレスとか猫耳とかウサ耳とか、魔法少女の必須アイテム的なやけにキラキラした棒なんかが ひょこひょことはみ出して見える。手には飲みかけの缶ジュースらしきものを持っており、なぜか上機嫌な彼女は 鼻唄を歌いながらバレリーナのピルエットよろしくクルクルと回る。旋回した勢いで投げたバッグは山崎の顔に ぼすっとぶち当たったが、そんなことは見えてもいないようなぼうっとした目つきでよろよろっと入ってきて、 「「「・・・・・・!!!」」」 そこで、男三人が声もなく驚愕する事態が起きた。 ふらふらぁ〜〜っと近藤へ寄っていったはふらふらぁ〜〜っと足をもつれさせ、その場でかくん、と膝を折って横座りした。 それだけなら何の不都合もない。だが、問題はその場所だ。着地したのはあろうことか、胡坐を掻いた近藤の脚の上だった。 むにゅ、と脚に押し付けられた女の柔らかい腰に近藤が目を剥き、飛び上がらんばかりに背中をびくーーっと震わせる。 ぶつけられたバッグを抱えた山崎が、ええっ、と驚きに目を見張る。畳にめり込んでいた土方に至っては、 血相変えてがばっと瞬時に跳ね起きた。女に乗られてどうしていいのかわからない近藤があたふたと意味なく腕を振り回す中、 は近藤の隊服の胸に指先でくるくると円を描く。殺気みなぎる土方の視線が気になって仕方ない近藤に ふらりと色っぽくしなだれかかる。まるで彼氏におねだりをするような甘えた声で、 「あのねーねー、今日もすっごくバイト頑張ったんですよぅ。 だから近藤さぁん、ご褒美くらさぁい!なでなでしてぎゅーしてほめてくらさぁいい!」 「お、おおそうか、そのくらいならお安い御用、・・・って、っっいやいやいや!それはちょっと、ぇええ!?」 「ひじかたさんはねー、いっつも厭味ばっかり言うからー、ぜんぜんほめてくれないからぁー、 ー、いっつもつまんないんれすよぅ!おねがいですぅ近藤さぁん、ちゃんかわいいねーって、ほめて、ほめて!」 「うっ、うんそーだなっ、もももちろん可愛い、可愛いぞォォは!」 今や部屋中にメラメラと嫉妬まみれな怨念を垂れ流している男の視線に怯えつつ、近藤はとりあえずの頭を撫でてやる。 どうも様子がおかしいぞ、どうしたんだの奴。・・・なんてことを頭の中では訝ってはいたが、その表情は 考えに反してひたすらにデレまくっていた。ちょこんと膝に乗った女の頭を撫で撫でしながらでれーっと鼻の下を伸ばし、 「っし、しかしだなっっ、トシの許しもなくお前を撫でるとかぎゅーするとかそういうアレはな、 ぃぃいやだってほらっ、ぉおお俺にはお妙さんという心に決めた人もいるわけだし!?」 「・・・。おい。その割に随分と積極的じゃねーか・・・?」 「っっっ」 ひいいぃっっ、と近藤がを乗せたまま後ずさる。 部屋の温度が5度は下がりそうな冷えた殺気を大放出した土方が、奇妙に歪んだ引きつり笑いを張り付かせて 彼に迫ってきたのだ。はは、は、と地を這うような低音で笑った彼の腹心の友はの首根をむんずと掴むと、 「悪りーなこいつが騒がせちまって。後はこっちで面倒見るからとりあえずその手ぇ離してくんねーか」 「えっっ、ちょ、トトトシぃぃ、もしかして疑ってる?疑ってんの!!? ちちちちっっ違うからねこれはがしてくれって言うからっ、俺は常にお妙さん一筋、――ってっっうごおぉおおっっ!!」 近藤の言い訳を黙って聞いていた土方が何の脈絡もなくいきなり抜刀。びゅんっ、と疾風を唸らせた一撃が 近藤の頭上に降りかかる。彼の姿に仰天した近藤が目を剥いて絶叫、襲いかかってきた鋭い斬撃を 命からがら白刃取りした。…が、直後に瞳孔全開のドス暗い顔で不気味に笑う土方に迫られ、ひぃぃぃっと涙目で叫ぶ。 「あぁ疑ってねえ、疑ってねーよ。だが近藤さん、悪りーがさっきから手が勝手に動くんでな。これ以上ここにいると 手が勝手に疼いて刀ぁ抜いちまいそーになるんでな。悪りーけど今すぐ離してくんねーかなぁああその手をよぉおおお!!」 「いや抜いてるけど!?抜いちまいそーっていうかもう抜いてるけど!!!?」 「ちょっっ、そんなことより見てくださいよっ局長、副長!・・・さんが持ってる、あれって・・・!!」 土方の剣幕に震え上がって部屋の隅に避難していた山崎が、はっとした顔でを指差す。 近藤と土方が監察が指した一点を見つめる。次の瞬間、うっっ、と言葉を詰まらせた。 山崎が震える指で差したもの。それは、近藤の膝上に座るがにまにまと笑いながら飲んでいるジュースか何かの缶である。 その缶は、どこかで見たような覚えがあるデザインだった。いや、見覚えがあって当たり前というものだ。 ここにいる三人の男たちが三人とも、ついさっき同じものを目にしたばかり。――オレンジのロゴ、銀と白で描かれた模様、 女性受けが良さそうな爽やかなデザイン。これと全く同じデザインの缶を、本庁から送られてきた非合法ドラッグの 資料で、巷で出回る性質の悪い薬物の現物写真として確認したばかりなのだから。「あれぇ、どーしたんれすかぁみんな 怖い顔しちゃってぇえ」と、不慮の事故とはいえしっかりドラッグをキメてしまってごきげんなに三人の視線が集中する。 嫉妬に燃えていたさっきまでとは全く違う意味で顔を引きつらせた土方が尋ねると、 「はぃ〜〜、そぉれすー、これ、土方さんの部屋に置いてあったビールですぅ。 あのね〜あたしぃ、ここ一週間くらいずーっと我慢してたんれすよぅビールを。ほんとはすっごく飲みたかったけど〜〜、 お給料日前でお金ないからいっしょけんめい我慢してたんれすよぉー!」 などと歌うような調子で話しながら、手にした缶の薬を――飲んでいる本人はビールだと信じているらしいそれを、 実に嬉しそうにぐびぐびと煽る。 「でもね〜、さっき土方さんの部屋に行ったらぁ〜、これがあってぇ〜〜。バイト帰りで喉乾いてたしぃぃ〜、 土方さんに見られたら「飲むな」って取り上げられちゃうしぃ、じゃあ今のうちにちょっとだけ貰っちゃおうかなぁ、 ちょっとだけ!なぁぁんてぇぇえ!」 この時すでに陽気な酔っ払い一名を除く全員が全員、顔を青くして絶句していた。 のどかな午後の日差しが差し込む局長室に、重ーーい沈黙が吹き溜まる。 「・・・おい山崎。たしか資料に、この薬は副作用があるとか何とか書いてなかったか・・・?」 ぼそり、と最初に発したのは、肩をわなわなと震わせた土方だった。 ピクピクと顔をひきつらせた山崎は、はぁ、と小声で同意した。 徐々にこめかみに青筋を浮かせ始めた土方の気配に怯えながら、 「しっ、資料によれば、ですねぇ、女性がコレを飲んでからほんの数分で体温上昇が始まります。 理由のない昂揚感を覚えたり、何かちょっとしたことでも可笑しがって大笑いしたり・・・いわゆるハイになる状態が 現れるのが十分後。二十分も経つと、・・・そのぉ・・・・・・媚薬効果というか、ゆ、誘淫作用、とでも呼ぶんですかねぇ? 女性は過剰な性的興奮を覚えるようになる、…と。まあさんが局長に抱きついたのもこの薬の影響なんでしょーけど、 誰彼構わずスキンシップしたがったりキスしたがったり、果てには見境なく男に身体を委ね、――ぶふぉっっ!」 イラっとくる余計な説明を最後に付け加えた監察の頭をどかっと殴り、土方は近藤から薬の資料を奪い取る。 主に薬効が説明してある部分を目を血走らせてだーーっと速読。みるみるうちに滝のような冷汗を流し始めた。 (・・・冗談じゃねえ。要はこの薬を飲んだ女はもれなく春先の雌猫みてえにサカり出すってぇことじゃねえか。 ざっけんな。そんなこいつをこんな男だらけの場所に――女に飢えたケダモノどもの巣窟になんざ置いておけるか!!!) わずか三秒でそんな結論に達した土方は、無言でをがばっと抱える。びゅんっ、と風を起こす超高速で 局長室からいなくなった。そのまま屯所内を走り抜けてパトカーでを連れ去った彼が到着したのが、 のアパートやそこいらの安ホテルやラブホテルよりもはるかに防音性が高く、しかも支配人を脅せば 何かと融通が利きそうな高級ホテルである。悪名高いチンピラ警察の、――しかも鬼と呼ばれる副長からのご指名に、 このホテルグループを牛耳る支配人は泡を食ってフロントに駆けつけた。「なぜ統括支配人が…?」と不審そうな 受付係たちに個人的な秘密をバラされたらどうしよう!?と全身汗だくになった中年男に直談判、 あまりに切羽詰まった気分のせいで傍目には恐ろしく凄味が効いてみえる形相で「つべこべ言わずに鍵出せ、一室貸せ!」と 脅しつけ、わずか一分足らずで空き部屋のカードキーを強奪。けらけらと意味なく笑い続ける酔っ払いを担いで エレベーターに飛び込む。エレベーターが二十五階に到着するなりダッシュして駆け込んだこの部屋で、 ぽいっっ、とをベッドに放り出したのだが、 ―― あらゆる事件に対して常に非情に、冷静沈着に対処してきた「真選組の頭脳」土方十四郎。 彼を翻弄する非常事態は、残念なことにこれだけには留まらなかったのだ。 「・・・ん〜〜。やーーんん。やだぁ。抱っこがいーのにぃぃ。どぉして降ろすの〜・・・?」 ぜぇぜぇと息を切らして疲労困憊中の土方ががっくりとベッドの端に膝を突いた時には、屯所を出てから 十五分以上が経過していた。山崎が言うところの「誘淫作用」とやらは、すでにの身体に芽生え始めているらしい。 短い着物の奥に隠れた白の下着が露わになるほど高くぱたぱたと足を振り上げ、やだやだ、と拗ねる。かと思えば、 どこかせつなげな、物欲しげにも見えるとろんとした表情になって腕を伸ばし、「土方さぁん、抱っこぉーー!」などと 平素の彼女なら死んでも言いそうにないことを言ってくる。しまいにはぽうっと頬を染めたおねだり顔で抱きつかれる。 首にぶら下がった女の重みで姿勢を崩した土方は、ベッドに腰を下ろさざるを得なかった。するとはばんざいして 「わーいぃ、抱っこらぁぁ」と呂律の回らない口調で無邪気に喜ぶ。まるでガキの態度だ。もぞもぞと動いて 真正面から彼の膝上に跨ってきた。眉間も険しいうんざり顔で彼女を眺めていた土方だったが、視線を真下へ下げた途端、 うっ、と顔を引きつらせて仰け反った。 左右に大きく開いたせいで、淡い色の柔らかな太腿は着物の裾がずり上がって剥き出しだった。さっきも覗いていた 白い下着が、腿と腿の谷間で淡く光ってちらちらと視覚を刺激してくる。 「ねえ。土方さぁん。ねえねえねえ。」 「〜〜〜っ。・・・・・・・ぉ、降りろ。俺ぁ一旦屯所に戻る」 「え〜〜〜!!」 「お前のその馬鹿げた症状が引いた頃に迎えに来てやる。正気に戻ったら電話しろ」 「やらぁああ!やだぁぁっ一人やだぁぁ、土方さんといっしょがいいぃぃ、さみしぃぃ!」 「うっせえゴネるな!まだ仕事が残ってんだ、ここで大人しく――ってコラてめっ、何を!」 「えー、だってぇ、暑苦しいんだもぉんこの恰好」 なぜか突然、が土方の隊服のスカーフを解き出した。首元を覆った布をいきなり引っ張られた ことにも驚いたが、その手つきにも土方は驚く。致命的に手先が不器用なはずの彼女が、まるで別人のような 滑らかな動作で、しゅる、と首元のスカーフを抜き取っていく。「ほらぁ、涼しいでしょ?」とが自慢げな 子供のように笑顔をほころばせる。しかしその目はうっすらと濡れたような輝きを放っていて、子供のそれとは 明らかに違うものだった。無邪気な中にもあやしさを秘めたその表情に土方が見蕩れる。どきりと心臓が高鳴った。 「〜〜〜〜っ、悪かったな暑苦しい恰好で。仕方ねえだろ、多かれ少なかれ暑苦しいのが役人の制服ってもんだ」 フン、と鼻で笑って顔を逸らし、どことなくぎこちない様子で土方が答える。ぐい、との身体を引き離した。 ところが彼女はその程度の拒否では懲りなかった。次は白シャツの衿元を留めた第一ボタンに指をするりと絡めて、 「ね、土方さぁん。これ、脱ご?も脱ぐからぁ」 「っ!?」 ぷちん。一つ目のボタンが外れ、白いシャツの衿元から土方の喉元が覗く。 は満足そうににっこり笑う。黒の隊服の上着の肩のあたりを掴み、がばっ、と思いきり下へ引いて肌蹴させる。 それからシャツの二つ目のボタンも同じように外して、呆れて物も言えない土方の胸にするりと手を滑り込ませたのだが、 「・・・ふぁ・・・、あぁもー、やらぁー、背中ぁ、べとべとするー。いっぱい汗掻いちゃったぁ。 ここ暑ーーーーいぃ。もっと涼しい格好にならないとぉー、熱中症になっちゃうぅー・・・・・」 などと鼻にかかった色っぽい声で理屈の通らない独り言をつぶやきながら、薄桃色の着物の衿を引っ張りはらりと落とす。 大胆に広げた衿はかろうじて肩先に引っかかったが、ショーツとお揃いの白いブラは肩紐が外れ、身体の細さに似合わない 豊かな膨らみが半分露わになっていた。土方の目に飛び込んできた女の素肌は、汗に濡れてしっとりと光っている。 薬を飲んだ女は体温が上昇すると山崎が言っていたが、――たしかに普段の彼女よりも熱があった。胸板に触れてくる細い手も、 脚上に感じている太腿や腰も、着物越しに擦り合わせられた弾む胸もそうだ。こいつが風邪を引いたときの状態と同じだ。 土方さぁん、とが上目遣いに見上げてくる。困惑して黙りこくっている男の胸元に、つん、としなやかな指先を押し当て、 「ひじかたさぁん・・・ねー。ねーねー。だめぇ?ねー、キスしたいのー。土方さんとー、したいのー」 ぎくっ、と土方は肩を揺らして固まった。 耳の奥まで絡みついてくる、舌ったらずな甘え声。ひどく艶めかしいのに無邪気な態度。 こいつが妙な病に罹ってガキに戻っちまった時の、あの状態にも似ているが―― 「・・・ひじかたさんはぁ。とー。したく、ないのぉ・・・?」 ざっけんな、んなわけねえだろ。 ・・・という困った本音は心中で即答するだけに留めた。ごくり、と土方は苦々しい顔で息を呑む。自分に馬乗りしている女の 欲情で濡れた瞳を眉を寄せて見つめた。とはいえ、決して嫌ではないのだ。惜しげもなく摺り寄せられる着物越しの 柔らかさを拒む気にはなれない。を困ったような目で見つめたが、媚薬の効果に酔っている彼女は 彼の気まずそうな様子には気づかない。目を閉じてそうっと唇を重ねてきた。その甘い感触についつい流され、 そのまま彼女の動きに任せてベッドカバーに背中を沈める。ちゅ、ちゅ、と繰り返し唇を啄んできたは、 んっ、と詰まった声を漏らしながら彼の唇を割る。熱く湿ったちいさな舌を歯の先に感じて、土方は一瞬ためらったのだが―― 「っっ・・・、ふ・・・・ぅ、く・・・・・ん・・・」 入り込んできた舌先を絡め取り、口の奥まで引き込んだ。の唾液を吸うようにして強く絞り、柔らかく撫でる。 上を見上げれば目を閉じたがせつなそうな息遣いに胸元を弾ませていて、たまにもじもじと細い腰を捩る。 下半身にやわやわと太腿や腰を押し付けてくる、艶めかしい仕草に煽られる。 しかし、伝わってくるのはどうにももどかしい感触ばかり。土方にとっては却って焦らされてしまう類の、微弱な刺激ばかりだ。 じきに彼は耐えきれなくなった。の背中に両腕を回し、強引に抱き締めて横に転がす。互いの身体を上下逆に入れ替えて、 「んんっ・・・!」 ぎっ、とキングサイズのベッドのスプリングが軋む。光沢のあるアイボリーのベッドカバーにの身が深く沈んだ。 勢いよく押し倒した女の両手に指を絡める。んんっ、と驚いて身じろぎする身体を固く組み敷き、唇を割って舌を素早く差し入れる。 熱く喘ぐ口内を存分に、好きなように味わった。最初は抵抗気味だったの声がしだいに小さくなり、弱りきった声に変わっていく。 彼女の身体が長いキスでじわじわと蕩けていく感触は、心臓の鼓動を伝えてくる胸元や、すっかり力が抜けて ベッドに沈んだしなやかな手足からも感じられた。 「ひじか・・・・・さぁ、・・・」 「・・・、何だ」 「ん。もっと。もっとぉ・・・っ」 体勢を立て直そうとしてほんのちょっと身体を浮かせただけで、が隊服の背中をぎゅうっと握ってくる。 身体を浮かせれば自然と唇も離れることになる。キスを中断されたことがもどかしかったのだろう。 困ったように口端を曲げた土方は、奪うようにしての唇を強く塞ぐ。ふぅ、と諦めの溜め息を熱く蕩けた口内に吹き込む。 行為に夢中になったときの彼女が欲しがりそうな、舌を強引に絡めて奥まで入り込む深いキスを与えた。 ・・・何やってんだ俺は。こんなことをしている場合か。 頭の奥ではさっきから大音量で危険信号が鳴っている。もうやめておけ、引けなくなるぞ、と発しているのは、 かろうじて欲に流されず冷静さを保っているもう一人の自分だ。だが、身体がどうにも言うことをきかない。 これを拒むのはどうも惜しい。同じ年頃の娘たちに比べると、はひどく奥手な女だ。キスはおろか、滅多に自分からは 抱きついてこない。そんな彼女の、いつまで経っても色事に慣れない少女のような初々しさも 一度はと別れた土方が彼女を離したがらない理由の一つだ。・・・しかしだからといって、 積極的に男を求めて自ら快感に溺れようとする淫らな彼女なんて見たくない、・・・などと 土方が思っているわけでもない。恥ずかしがりな彼女にしては大胆で奔放な、いつもとは違う特別な姿。 そんな姿をほんの鼻先に見下ろしていれば、いくら理性が押し留めても身体は自然と動くのだ。 抱きしめればいつも恥ずかしがってうつむく表情の下に、こいつが何を隠しているのか見てみたい。 普段は閉じ込めている欲に素直に従い、我を忘れて快感に溺れる奔放な肢体を見てみたい。そんなを抱いてみたい―― 屯所に残してきた大量の書類整理のことも、土方が指示を出さない限りは進展しない幾つかの 隊務についても、いつしかすっかり忘れていた。いくら脳裏から追い払おうとしても、抱きしめた女の感触ばかりが頭を占める。 駄目だ、と思いながらも熱い舌を吸って、ごくりと唾を呑み下す。はぁ、はぁ、と口づけの合間に漏らす の吐息を耳にして、腹の奥がかあっと火照りきった瞬間だった。懐に仕舞っておいた携帯が、ブルブルと小刻みに震え出した。

「おおかみさんとこまったくすり *1」 text by riliri Caramelization 2012/09/08/ -----------------------------------------------------------------------------------       next