『 ありがとう、銀時。 ――――― 』 めずらしく夢に現れたその人は、かつての幼かった自分が背伸びするように見上げていた師と同じ姿で。 一言ずつをゆっくりと、子供の耳にも馴染みやすいよう、言葉を選んで丹念に語るようすも、あの頃と同じで。 肩よりも長いまっすぐな髪。背筋がすらりと伸びた、どこにも力みや歪みのない立ち姿。 性格のしなやかさや穏やかな強靭さをそのままに体現した、懐かしい姿と表情。 記憶に残っている鮮やかな残像そのままに、こちらを見下ろしやわらかく微笑んでいた。 黙ってその姿を見上げていたちいさな彼は、ぅ、と小さく息を詰めた。 ぎゅう、と目元に皺が寄るほど、きつく、きつく、瞼を閉じる。 ――あー。そうそう。そーだったよなぁ。 今んなって思やぁ、これも懐かしいもんだよな。 あの人はいつもこうだった。 近くに俺を見つけると、嫌がる俺を必ずってほど追いかけてきて。名前を呼んで頭に手を置いた。 毛先の跳ねた髪をゆるゆると優しく撫でられれば、身体中を走り回っていく、妙に温かなむず痒さ。 暴れたくなるほどに手足が疼いて、いてもたってもいられなくなるきまりの悪さ。 なのに今思えば、俺は一度も、その手の下から逃げ出そうなどと思ったことがなかった。 このデカくなった身体にまだ残っていたのか、と自分でも可笑しくなるような童心を 今もさざめかせる、何気なく委ねられた手のくすぐったさ。重み。居心地の悪い温かさ。 それらがすべて夢だと知りつつも懐かしく思い出しながら、彼は気づいた。 ああ。ぁんだ。そーいうことか。 この期に及んでまだ、俺ぁあの言葉の続きを聞きたがってんのか。 一生消えそうもねぇ影を残していなくなったあの人に。 出来るもんならもう一度会いてぇ、だなんて思ってんのか。
ジ ュ ビ リ ー
「ん・・・・・・・・・、ん、ぐ、・・・・・・・・・・・っっ!!?」 ・・・・・・・・・。や。あれっ。 何これ。どーなってんのこれ。いや、なんか、おかしくね?すんげー息苦しいんだけど、これ。 めずらしく夢に現れた人への思いや、懐かしさだの郷愁だのにぼんやり浸っていたのも束の間、 頭上に押し寄せる今にも首を折りそーな圧迫感と呼吸困難に、彼は、ぐぐぐ、と歯を食い縛って耐えていた。 一体我が身に何が起こっているのやら。夢の中にいるはずだというのに、頭上がじわじわと重くなっていくのだ。 おかげで硬く平べったい何かに押しつけられた顔がまったく上げられず、口呼吸どころか鼻呼吸すらままならない。 ぁんだこれ。おかしいだろこれ。ただの夢にしてはやたらにリアルな、この重量感は何なのか。つーか何だこりゃ、 俺に対する悪意のある何かっつーか、確実に仕留めにかかってます的な、俺を亡き者にしよーとしてる何かっつーかぁ、 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、 ・・・っ、おいィィィ、まさか地縛霊とか怨霊とか貞子とかトイレの花子さん的な、スタンド的何かじゃねーだろな!? 「〜〜〜〜〜っっっぷ、はァァァァァ!!!」 だぁああっっ、と力任せに頭上の重みを振り払い、海底から急浮上してきたダイバーの勢いでぐんっと顔を上げて呼吸して、 彼は寸でのところで息を吹き返した。いや違う。単に居間の机に突っ伏しての居眠りから目覚めただけである。 頭上に感じていたあの懐かしくもせつない感触は、すでに彼を見放して去ってしまったらしい。 目覚める前にはかすかに残っていた、髪を撫でる手の淡い感触も、今は跡形もなく消えてしまっている。 所有者の意向などおかまいなしで自由に跳ねまくった天パの頭に手を向け、ざわざわと髪を探る。なんとなく感じる 一抹のさびしさにぼーっと浸っているうちに、自然と言葉が吐いて出た。 「・・・や。・・・・・・まーそーだわな。あんなん夢に決まってんだ、・・・」 万年眠たげでやる気のなさげな目元を擦り擦り、かったるそーな伸びをしたこの家の主はつぶやいた。 坂田銀時 ――巷では「万事屋銀さん」と呼ばれる銀髪の男。彼が終戦後に辿りついた江戸で始めた何でも屋がここで、 屋号がそのまま彼のこの街での通り名となり、本人もそれを当然と受け止めるようになってからずいぶんと久しい。 まあ、今を遡ること十年ほど前には、攘夷戦争も盛りなかつての激戦地で 「白夜叉」だなんてけったくそ悪い呼ばれ方をしていたこともある。いや、あったらしい。らしいのだが、 この手の英雄伝のオチにはよくある顛末で、鬼神扱いで騒がれ恐れられていた当人には、 今や伝説として一人歩きしているこの名にほとんど興味や執着がない。 本人にしてみればカビの生えた昔話でもあるし、今でもこの名前に引っかかって彼を追いかけてくれる人種といえば、 むさ苦しい攘夷浪士どもかむさ苦しいポリ公どものどちらかときている。 やれやれだ。色っぺー姉ちゃんの集団にでも、ハーレム状態で追いかけられるんだったらいいものを。 「・・・あー。あーーーー。そーだっけ。そーいやぁ十日だっけ、今日」 柱に掛けた日めくり暦に、眠気でどろんと澱んだ眼差しを向ける。大きくくっきりと刻まれた数字は「十月十日」。 寝言でもつぶやいているような呆けきった顔でぼそりと漏らすと、銀時はふたたびばたりと突っ伏した。 今醒めたばかりの夢は、彼がまだ幼かった頃の夢。この日にまつわる思い出の夢だ。 当時の彼は浮浪児だったところをかの恩師に拾われたばかり。「銀時」と名を呼ばれることにまだ慣れず、 呼ばれるたびにおもばゆくこそばゆく感じていた。そんな頃の、些細でぼやけかけた記憶の断片なのだが。 「そーネ今日は十日ネ、銀ちゃんの誕生日ヨ。今ごろ思い出したアルか?」 「んー、思い出したっつーかぁ。思い出すよーに夢ん中で仕向けられたっつーかァ・・・」 後ろからむぎゅっと銀時の首に抱きついてきたのは、ついさっきまで彼を金縛りと呼吸困難に陥れていた原因だ。 桃色のお団子頭を傾けて「何の夢見てたアルか」と、神楽は無邪気に尋ねてくる。くりんと丸い子供の瞳で 覗き込んできた少女は、回転椅子に座る銀時の肩のあたりに、薄くふわふわした柔らかさを押しつけてきた。 「ねーねー銀ちゃん、何の夢見てたアルかー、教えろヨー」 「ぅっせーよ教えねーよ、貧相なモン押しつけんじゃねーよ。いや、てか、あれだわ神楽、いいなお前な、 外でヤロー共にこーいう真似すんじゃねーぞ?いいなこれ家訓だからな、『男を見たらロリコンと思え』はい復唱」 「男を見たらロリコンと思えー!」 ぴしっと伸ばした腕で天井を指し、神楽は高らかに宣言する。銀時の肩の上までせっせと登って頭に胸を押しつけ、 肩車状態でぎゅっと抱きつく。銀髪をもみくちゃにしながらきゃはははと声を弾ませ、顔をくしゃくしゃにして笑っていた。 自分の胸がどこに当たっているかには気付いていない。そして、押しつけられた銀時にとっても、それはあくまで 自分に懐いた子供の無邪気なスキンシップでしかなかった。これを押しつけられたところで、俺に何のお得感や ときめきがもたらされるというのか。つーかこんなん、ペットの犬猫とじゃれ合ってんのと同じだろ。 違げーだろ、触ってお得感のある女の胸ったらこんなもんじゃねーだろ。 もっとこう、たわわっつーか、はちきれそーなっつーか、触れたら最後手放したくなくなる禁断の果実っつーか。 何かと接触しただけで、ぽよんぽよんとボリューミーに弾んじまうよーな、・・・・ 「〜〜〜〜〜っ」 「?何を唸ってるアルか銀ちゃん。まだ寝惚けてるアルか」 むすっと眉を顰めた浮かない顔で、銀時はぶんぶんと左右に首を振る。 ・・・そーだよ、これじゃねーだろ。どー間違ってもこれじゃねーだろ。 俺が触って嬉しい胸ったらあれだろ。あの子の胸みてーなアレだろ。つーかあの子の胸だろ。 服越しにその中がどーなってんのか想像するだけで、いつも男の性がきゅんきゅん疼いちまうあれだ。 まぁいつも想像するだけで、実際はろくに触ったこたーねーけど。いくら想像して鼻の下伸ばしたって、 どーせあの野郎のもんだけど。 「〜〜〜〜っ。あ〜あ〜、あ〜〜〜〜ぁっっ。 んだよ誕生日だろぉ?も少し何か俺得イベント的なアレとかねーのかよォォォ」 「何言ってるアルか。さえないおっさんが若い子のキュートな胸を堪能出来たアル。嬉しいダロが!」 「ざっけんな。これがのキュートでスウィートな胸だってんならともかくよー、お前じゃ何の得もねーよ。 ぺらっぺらの煎餅蒲団よか薄っぺらいガキの胸押しつけられたってよー、銀さんなーんも面白かねーっての!」 「ウザいねごと言ってねーで起きろ天パ。神楽さまはさっきからお前が起きるのを今か今かと待ってたアル!」 「アル!じゃねーよ。今お前何したよ?さりげに殺す気だったよな?家主の座を奪う気満々だったよなぁ?」 「フン、こんなチンケな家主の座誰が欲しがるネ。頼まれたってノーサンキューネ」 きゃー、天パが伝染るアル!なんて甲高く叫んだ小娘は、はしゃいで抱きついてきやがった。 フン、ガキが。天パの伝染を恐れてんのかものともしねーのか、どっちなんだよお前はよ。 だいたい天パは伝染病じゃねーんだよ。 傷つきやすい思春期の少年に一生消えないトラウマを残す、過酷な試練なんだっつーの。 などと心の中でぼやきながら、肩上に跨る少女の笑顔をとぼけた視線でちろりと見上げる。 ・・・ところでこいつもそろそろ必要になんのかねぇ、一丁前にも、ブラってやつが。 けどこいつ、色気よか断然食い気だしな。自分で用意とかしそーもねーしなぁ。 しゃーねーなぁ、そのうちお妙にでも頼んで一緒に買いに行かせるか。・・・って、なに俺、 今のこれ。お母さん?お母さんなの、俺? 「あーあーあーっ。んだよ銀さんまだまだ若けーのによーっ。 お前らガキどものせいでどんどん所帯じみ、・・・てっっ、っのやろっ、降りろ神楽っっ」 「いやヨ。今日は銀ちゃん寝てばっかだからつまらないネ!」 「ばっ、やめろそこォォ、乗るなって。今日はいてーんだって、腹とか肩とか足とか!」 「・・・?銀ちゃんお腹痛いアルか?あの日アルか?」 「いやいやいや、男の俺に何の日があんだよ。やめてくんない、キモいこと言わねーでくんない!?」 ふざけて目隠ししてくる神楽の手をうんざり顔で引き剥がし、銀時は背後に振り向いた。 降り続く秋の長雨に濡れた硝子窓。そこから臨む薄灰色の景色を、幾分うらめしそうな目つきで眺める。 先週からモタモタと江戸に居座り、今朝も早くから降りっ放しのあれ。 あれがこの痛みの原因だ。 いってぇ、と唸りながら、子供一人ぶんの重さのせいで痛みが増した左肩を押さえる。 これは今始まったものでもない。いわゆる「古傷が疼く」というやつで、全身の至る所に 銃に撃たれた傷だの刀で斬られた創傷だのを負っている彼にとっては、お馴染みの慣れた痛みでもある。 普段は本人も忘れかけているのだが、その感覚が主張し出すのは、大抵が雨が降り出す半日ほど前だ。 昔刺された腹だの肩だのが、痒みに似たような感覚程度に疼き始める。 もっとはっきりした痛みを訴えてくるのは、そのおおよそが、寒さが増してくる時期の入口。 他には梅雨入り前や台風の前、雪が降る前日。この時期の気候を一気に冷やす、秋の長雨の時季もそのうちのひとつか。 「・・・旦那の身体が痛くなるのって、ひょっとして雨が続いてるせいですかぁ?」 「そーそー、そういうことな。 こーいううっとーしい天気の日はよー、なーんか勝手に痛てーんだわあちこちが。前にやっちまったとこが疼くっつーか」 「つまりはジジイの腰痛と一緒ネ」 「やなこと言うんじゃねーよ、っのガキがぁあああ」 回転椅子を左右に揺すり、ブンブンと大きく振り回してやれば、神楽は彼の首にしがみついて けたけたと楽しそうに笑い転げる。 ちぇっ、と銀時は不満げに舌打ちした。この年でジジイと一緒にされる不名誉には反論したが、 実はまあ、認めたかねえが、神楽に言われた通りである。腕をグルグルと肩から回しながら付け加えた。 「まぁなァ。こーやって動かしてりゃあどーってこたーねーんだけどォ・・・」 「ふーん、やっぱりそうなんだ。旦那もそーなんですね、土方さんといっしょですよー」 「土方さん」 いかにも呼び慣れたような口調で、可笑しそうな女の声が発したその名前。銀時と神楽は黙り込み、 同時にくるりと振り向いた。 二人とも表情がやけに険しい。神楽は円みを帯びた白い頬をさらにぷーっと膨らませ、ソファに座っている声の主を見つめる。 そして神楽の倍以上表情を険しくしている銀時は、ぴくりと眉を動かし、声の主をじとーっと眺めた。 「またニコ中の話アルか。はいっつも、ずーっとあいつの話ばっかしてるアル!」 「えっっ。うそっ、そんなに言ってた!?」 神楽が心底いまいましそうに口を尖らせ言った「あいつ」の一言。 いつのまにか居間のソファに座っていた女――は、その言葉をきょとんとした顔で聞き届け、 かーっ、と頬を桜色に染め上げた。 「・・・そ、そそっ。・・・・そんなに言ってた?」 もう一度尋ね直し、神楽がコクコクと頷くのを見届けると、 うつむいてもじもじと、丈の短い着物の裾を弄り出す。そこからすらりと伸びた脚の、膝と膝を擦り合わせて―― 「ごめんね。本気で気付かなかったよ。ごめんね神楽ちゃん、 ここではあんまり言わないよーに気を付けてるんだけどね、つ、つい、・・・・」 あーあー畜生。んだよあれ。可愛いーったらありゃしねーっての。 んだよ野郎の名前出したってぇだけで、ぽーっと頬染めちゃって。ただでさえ細い肩竦めて小さくなっちゃって。 あんなに真っ赤になってんのが野郎のおかげってのがムカつくけどよ。あーいういつまでたってもスレねー、 今どき珍しいくれーの初々しさと天然さがまた可愛いーんだよなァ、は、―― なんて歯の浮くようなのろけを真顔で思った銀時が、かぁっっ、と目を剥きがばっと立ち上がり、神楽をばばっと振り落とす。 一瞬にして表情を激変させる現実に、今になってようやく気付いたのだ。 「っっていつ来たのォォ、んんんんん!!?」 「え、いつって、・・・ええと確かー、旦那がそこに突っ伏してぐーぐー寝息立ててた時、ですけど?」 「神楽ぁぁぁ!!早く起こせよ何で起こさねんだよ!?」 「人のせいにするな腐れ天パ。私は起こそーとしたアル」 「そうですよ。さんが「気持ちよさそうに寝てるからもう少し眠らせてあげようよ」って止めてくれたんですよ」 と説明を付け加えたのは、四角い箱と四人分のお皿を持って居間に現れた新八だ。 半分呆れたような苦笑いで銀時を眺めた新八が、はいこれ、と箱を突き出してくる。 取っ手のついた白い箱。側面には中が透けて見える覗き窓が付いていて、その中には―― 「え。ちょ。これ、」 「よかったですね銀さん、誕生日らしい俺得があって。さんが買ってきてくれたんですよ、これ」 「この前神楽ちゃんから聞いたんです。旦那って今日がお誕生日なんですね、おめでとうございます!」 「え。なにこれ。え。が、俺に、誕生日の、・・・・・・・・ケーキ?」 「はい!お誕生日ですから!」 大きく頷いて彼を見つめてくる心からの笑みに、銀時はぼうっと見蕩れた。 どーしてこの子が笑ってくれるだけで、飾りも素っ気もないこの室内にぱあっと花が咲くような錯覚が生まれるのか。 ケーキだ。嘘だろ。マジでか。俺に?いや、本人がそう言ってんだし、あれはどう見てもケーキだろ。 むしろこの状況であそこにケーキ以外が入ってるって、そりゃねーだろ。 マジで。ええっ、マジで!? が俺に。 ・・・・・・・・・・俺のために! 銀時は嬉しさのあまり反応すら出来ず、つっ立ったままで呆然と箱を見つめる。 見慣れない銀時の様子がおかしくて、新八は顔を背けてこっそりにやにやと笑ったのだが――、 いつもなら食べ物の差し入れを銀時以上に喜ぶはずの神楽が、何も言わない。なぜか表情を曇らせて、 「、こんなの買って大丈夫アルか?」 「えっ、何が?」 「この前スーパーで会った時、言ってたアル。今月はお金がなくってお米も買えないって。 お米も買えないの財布に、ケーキ買うお金なんて残ってたアルか」 「あはは、そ、そういえば・・・そんな話したよね」 何でも顔に出やすいが、ほんの少しだけ眉を曇らせる。 その表情を見逃さず、神楽はたたっとソファの前に駆け寄ってきた。 ぺたんとの横に座り込んだ少女の顔はいかにも心配そうだ。はにっこりと笑って、 真っ白でふっくらした手に自分の手を重ねながら語りかけた。 「大丈夫だよ神楽ちゃん。それにあたし、このケーキひとつ程度じゃ全然お返しにならないくらいに 旦那にはお世話になってるんだもん。まぁ、たしかにお金はないんだけどね。せめてこれくらいはしたかったんだ」 「でも私、心配ネ。私たちのせいでがごはん食べられないなんていやヨ」 「平気だよー、たいした金額じゃないから。それにこれだって、ほんの一週間ぶんのお昼代くらいだし、・・・」 はっとしては口を抑える。そのまま黙りこくったが、思っていることはしっかりとその顔に書いてあった。 (何言ってんのあたし!ど、どうしよう、ついうっかりと具体的な財布事情を漏らしちゃった・・・!) 実に判りやすく気まずそうな表情を浮かべるに、万事屋全員の表情が、さぁ―――っ、と暗くなっていく。 真選組を辞めて以来万事屋レベルにまで転落したの涙ぐましい貧乏っぷりは、ここにいる全員が知るところだ。 顔を引きつらせて固まった新八の手に載っている、三十センチ足らず四方の小さな箱。 この箱ひとつに、これから一週間分のの切羽詰まった辛抱が詰まっているのだ。 それを思うと、どーにもこーにもいたたまれなくなる。このぐーたらでちゃらんぽらんで ダメ人間を絵に描いたよーなおっさんの誕生日風情に、そこまでの覚悟を懸けられちゃってどーしよう!? ・・・という、無言のうちに顔が強張ってくるプレッシャーと罪悪感は拭えない。 中でも、ずーん、と顔に影を落として暗くなっているのは銀時だ。口から生まれた男の押しが強くてよく滑る口も、 この時ばかりはまんじりとも動かなかった。 「だ、大丈夫っ。そんなっ、このくらいっっ、大丈夫ですよ!?そ、それにっ、 いいんですあたし、お昼ごはんはどれだけ貧しくても平気なんです。だって夜は確実に奢ってもらえるアテがあ、・・・っ!」 おろおろと腕を振り回して全身で否定していただが、ぴたっと固まり、頭からしゅーっと煙が出そうなくらい真っ赤に顔を火照らせる。 顔の高さに上がっていた元気な両腕がへなへなと下がる。「奢ってもらえるって、誰に」とは、もはや誰も問わなかった。 たまにはケンカもしているようだが、野郎とはおおむね円満らしい。・・・仲がよろしくてけっこーなこった、チッ。 「ちがっっ、違いますよ今のは!?今のはあれですよほらっっっ、元隊士の特権っていうか、屯所に行けば あそこの食堂でタダメシ出来るんですよって意味で!べ、別にっ、あのインケンニコ中に毎晩奢ってもらってるとかじゃ!!」 「おい神楽覚えとけ。こーいう聞きたかねーノロケを聞かされた時はなぁ、ごちそーさまって言うんだよ」 「何も美味しい思いしてないのにアルか?・・・大人ってむずかしいアルな。ごちそーさまアル」 「そーそーそれな。そんで最後にぺっとツバでも吐いとくのが大人の作法ってもんよ」 「そんなやさぐれた作法教えないで下さい旦那!神楽ちゃんもっ、ほんとにツバ吐かないのっっっ」 銀時が頭を掻き掻き不貞腐れた顔になっていき、ぷーっと頬を膨らませて神楽が拗ねる。 にとってはいたたまれないその雰囲気をとりなすようにして、新八は銀時の許へ寄ってきた。 「ほらほら銀さん、いつまでもぼけーっとしてないで、洗面所行って顔洗ってきてくださいよ」 垂れてますよ、よだれのあとが。 顎のあたりを指差され、背中を押され、不貞腐れた顔の「ささやかな宴の主役」は あっというまに部屋の外へと追いやられた。ちらりと後ろを振り向けば、新八は早くも神楽を宥めにかかっている。 一体何をどう上手く言い含めたのか、神楽はすぐに機嫌を直し、いそいそとケーキの箱に飛びついた。 ある意味こいつのほうが俺よかよっぽどオカンだな。 口端に飄々とした笑みを浮かべ、銀時はぺたぺたと裸足で廊下を鳴らしながら歩いていった。
「 ジュビリー (前編) 」 text by riliri Caramelization 2011/10/19/ * next *