その男、看板に偽りあり 2
「こんにちはー」 また来たのかよ、あの女。 女の声で昼寝から醒め、薄目を開けた瞬間には、銀時は早くもうんざりした顔になっていた。 ソファからのろのろと起き上がると、重い足取りで玄関へ向かう。 玄関には真選組のあの女が、笑顔で立っていた。 「こんにちは、旦那。どうですか、そろそろ考えてくれました?」 「だーからァ。要らねーつってんだろォ。つーかアンタ、いつまでウチに来る気? 面倒くせーよ。手っとり早く済ませよーぜ。つーことで手っとり早くヤらせ」 「イヤです」 真選組の女は、ムッとして口を尖らせた。 それでもボリボリと腹を掻きながら部屋へ戻る銀時の後を、追うようにしてついてくる。 こんなときに限って、新八も神楽も留守。 どちらか一人でもいたならば、こいつの相手をあいつらに押し付けて眠れるものを。 しかし解らねえもんだ。ガキどもときたら、揃ってこの女に手懐けられちまった。 三日と開けずに、この女はウチへ顔を出す。そのたびにあいつらは嬉しそうに出迎える。 こんなしつけえ頑固な女の、いったいどこが気に入っちまったのか。 それにしたってだよ。いいのかね、この女。 イヤだとかはっきりぬかしたくせに、解ってんの?ガキどもはいねーんだぜ? 男一人しかいねえ家だってのに、ほいほいと上がり込んじまって。 「あ、そうだ旦那。これ、みんなで食べてください」 ソファに座った女は、いつものように手土産を差し出した。 受け取った紙袋から中身を覗き見た銀時は、あからさまに嫌そうな顔をする。 「・・・だァーからよォ。コレもよー。要らねェっつってんじゃねーかよー」 「そんなぁ、手ブラじゃ来れませんよー。それに、旦那のご機嫌を取るには甘いものだって、総悟が」 そりゃまあ、俺は糖分王と呼ばれる男。 だが、甘けりゃ何でもいいってモンでもない。 土産の甘味ってのは糖度はもちろんのこと、味もそれなりに旨いってのは基本だろ。 つーか何だよ、この女。 本気で俺の機嫌取りてーの?おかしくね?嫌がらせじゃね?コレ。 おかしーだろコレ。機嫌損ねるだけだっつーの。毎回毎回クソ不味い土産ばっか持ってきやがって。 何だよコレ。「真選組バナナマヨサブレ」ってよー。味以前、ネーミングからして食欲減退だろ。 二日前は「北海道限定熊肉アイス」先週は「ナマコとカラスミのチーズケーキ」 その前は「ゴーヤ最中」その前は……イヤ、んなこたどーでもいいんだよ、どーでも。 何考えてんだ?この女。 諦めの悪さもかなりのもんだが、食い物の趣味の悪さも相当だ。 と、胸のうちではボヤきまくりつつ、銀時は女に問いかける。 「なあ。この菓子、姉ちゃんの趣味?」 「いいえ?総悟が選んでるんです。旦那の好みならよく知ってるから、俺に選ばせろって。 買いに行こうとすると、必ずついてくるんですよー。ここにも一緒に来たがるし。 ホント、旦那のことが大好きなんですよね、総悟って」 「・・・んだよ。そーゆーコトかよ」 「え?」 「や、なんでもねェよ」 あの男だけかと思ってたが。どうやらもう一人いたらしいや、俺に牽制掛けてるヤツが。 ったく、何やってんだァ?あいつら。必死じゃねーか。面白れェから黙っとくけどよー。気ィ回し過ぎだよ? んなことに時間使うくれーだったらマジメに仕事しろよ、税金泥棒どもが。 生憎だがよ。こちとらキョーミねーよ?こんなしつけえ、諦めの悪い女。 つか、面倒くせーよ。どこがいいんだよ、こんな女。カラダ以外にキョーミ持てねーよ。 それにしたってよォ。いつまで来る気だろな。姉ちゃんよォ。 うっとおしんだよなァ。どーにかなんねェもんかねえ、この姉ちゃん。 こうしょっちゅう来られたんじゃ、おちおち昼寝も出来やしねーよ。 なんとか追い出してえなァ。 こんなとこに二度と来るかって気に、させられねえもんかなァ。 そうして画策し始めたものの。 寝起きの頭は銀時本人よりもさらに眠いらしく、いっこうに働きたがらない。 ちょっと甘めの刺激でもくれてやれば、起きるだろ。そう思って、銀時は無言で立ちあがった。 台所へと向かいかけて、ふと振り返る。 「あんたも食うか?アイス」 「え、いいんですかあ!嬉しいっ。すごく暑かったんですよ、外」 嫌そうな顔を隠そうともせずに、銀時は女に視線を投げた。 彼の態度にたじろぐこともなく、にこにこと女は顔を崩して笑う。 その顔はやっぱり子供っぽい。澄ましているときとは違って、どうにも色気に欠ける。 痛ェ女だなァ、オイ。 しつけえうえに図々しいときたもんだ。 すこしは遠慮しろよ、遠慮ォ。 ・・・そーいやあの熊肉アイス、まだ残ってんだよなァ。 どーしろってんだよ、あんなもん。ケモノ臭くて食えねーよ。神楽ですら手ェつけねーもんな。 ・・・・・・・・・・・おォ? アレ?そーだよ、そーそー。 姉ちゃんに食わせりゃいんじゃね?いっそ鼻に突っ込んでやるか? イラつきながら、冷凍庫のドアを開ける。 熊肉アイスのパックは、広いとは言えない庫内の大半を占める大きさ。堂々と彼を出迎えた。 それを目にした銀時の頭に、とある不埒な考えが浮かぶ。 へらあっとだらしなくも卑猥な笑いを浮かべた彼は、大きなパックを取り出した。 「はいっ、です。お疲れ様で・・・はいっ、はい、・・・・えェ?・・・」 戸の向こうから、女の声が聞こえてきた。 電話らしい。ちょっと高くなった声やあの口調からして、相手は奴かもしれない。 そんなことを思いながらアイス片手に戻ると、女はソファから立ち上がっていた。 前で手をきちんと揃え、銀時に向かって笑顔で頭を下げる。 「すみません、今日はこれで帰りますね」 「あっそ。・・・仕事か?」 「うーん・・・よくわかんないんですけどー。 土方さんがね、近くに来てるみたいなんですよ。」 と言いながら、小さなものを取り出す。 ピンクの表紙のスケジュール帳だった。女は首を傾げながら、ペラペラと捲りはじめた。 「これから帰るから、お前もさっさと降りて来い、って。 おかしいなあ。たしか今日の副長スケジュールは、十番隊と一緒のはずなのに」 途中で捲る手を止めた。 確認してから「やっぱりィ。どーしたんだろ」と不思議そうに首を傾げる。 長い髪をさらっと耳に掛ける、女の細い指先。荒っぽい仕事の割には白く映る、しなやかそうな指。 制服のワンピースからすらりと伸びた脚は、目につきすぎるほどに露出が多い。 今まではうっとおしさが先立って、眺めようともしなかった女の姿や仕草。 他に誰もいないせいなのか。なぜか今日は、銀時の目に付いた。 こうして見ていれば、想像出来ないこともなかった。 真選組の奴らがこぞって、この姉ちゃんに色気を持つ理由。まあ頷けないことはない。 男所帯のムサ苦しには覚えがある。攘夷戦争のころ、かつては自分もウンザリさせられ、辟易したのだから。 黙ってる限りにゃ、別嬪だ。しかも品が良い。どこに出したっておかしくねえ上玉ときてる。 こんなのがあのムサ苦しい中にあっちゃ、誘蛾灯も同然。虫もケモノも吸い寄せられて、群がってくるに決まってる。 俺だって、こうして見てるうちにまた「やっぱ一遍ヤラせてくんねーかなァ」くらいのことは思うわけだし。 「おめー、アレなんだってな。あの男の専属なんだろ」 「はい。今は見習いだし、まだパシリ状態ですけどね。 サポート役、って言うんですか?役割は一応、副長直属です」 銀時の持っているアイスに気づき、女は「あ、それって」と笑った。 ひとくち食べてもいいですか。そう訊かれた彼は、黙ってスプーンを差し出した。 「でも、土方さんには『煩せェ荷物が増えただけだ』って言われてますけどォ。 ホント素直じゃないんですよ、あのひと。口悪いし、何かっていうと手上げるしィ。」 蓋を外して、大きなパックから大きなひと匙を掬い取る。 自分の口には運ばずに、まず銀時に向かって差し出した。 「はい旦那、あーん」そう言って、子供のように笑う。 正直イラッときたが、怒る気にもなれなかった。 無邪気なんだか、無神経なんだか。マジでこれが俺の好物だと信じてんのかねェ。 「時々あるんですよね、こーゆーこと。理由はわかんないんですけど、いきなり連行されちゃうんですよ。 そういう時に限って、急に機嫌が悪くなったりするし。聞いても話してくれないし。意味不明なんですよ。 人権無視ですよ。いつも人間扱いされてないしィ。女扱いもされてないし。」 女の愚痴に耳を傾けながら。 自分でも何をしているのかと驚きながら、銀時はそれを口にした。なぜか口にしてしまった。 マズい。目を剥くほどマズい。ケモノ臭いアイスなんて、この世にあっていいもんじゃねー。 どーして俺、こんなゲテモノ食ってんだ?と、自分を疑わずにはいられない。 だが、なぜか撥ねつけられなかった。ひとくち食ってもいいような気になったのだ。 案の定、口に入れてしまえば、吐き気とともにいっそう苛々が募った。 なぜか知らないが撥ねつけられない自分に。そして目の前の女の、愚痴りつつもどこか楽しげな口調に。 「そーかァ?つか、違げーだろ」 「え?そうですか?」 「だろォ。あんたが俺といるのが気に食わねんだよ、あのヤロー。」 舌触りも最悪なアイスを、ごくんと飲み込む。 唇に残ったものを指で舐め取ってから、銀時は女の手からスプーンを取り上げた。 「この前だってよー。滅多に俺にゃ近づかねーヤツが、自分からあんた連れ戻しに来たんだぜ? ありゃあ独占欲だろ、男のみっともねー独占欲。 つーかアレだよ、アレは野郎のマーキング行為と見たね、俺は」 女はしばらく、ぽかんとして銀時を見上げていた。 削り取ったアイスが乗ったスプーンを、ほら食え、と差し出しても固まったまま。 と思ったら、突然吹き出し、ケラケラと笑いだした。 彼が差し出したままのスプーンには、見向きもせずに。 「えええーーー。まさかァ!ないですって!有り得ないですよォ、そんなのォ!」 おいおいおいィ。食えよ! 笑ってねーで食えって!食えやオラァ!!それこそ有り得ねーよ! んだよこの女ァ。っとにムカつくよ!?俺にだけ苦しい思いさせといて、何笑ってんの!? 可笑しそうに肩を竦めて笑っていた女だが、しだいに笑いも収まってきた。 笑いすぎて目元に浮かんだ涙を拭いているうちに、頬がほんのり赤くなる。 潤ませた目を窓の外に向けて、つぶやいた。 「・・・・でも。旦那の言う通りだったら・・・いいのにな・・・」 うっわ。 おいおいおいィ。やァーーめろってェ。 そーゆーツラは野郎の前でしてやれよ。俺に見せんなよ、俺にィ! んだよソレ。恋する乙女の恥じらいってヤツですかァ?つか、恥じらってんなら俺に見せんな。 ソレってよー、結局アレだよ?全然恥じらってねんだよ、ソレ。恥ずかしげもなく人前で、目ェウルウルさせやがって。 んなモン見たかねんだよ。身体に合わねんだよ俺ァ、そーゆーの。 ゲテモノアイスとダブルで胃がムカムカすんじゃねーか。っとにイラッとくんなァ、この女ァ。 他のヤローに焦がれる女の顔なんてよォ。誰が見てェかってーんだよ。 アッタマ来んなァ、姉ちゃんよォ。 もォ怒った。怒ったよ俺。 あーん、とか言われた時にゃ、やっぱヤメとこーかと思ったけどよ。 「そーゆーコト。ふーん、あっそォ。んーじゃ、こっちも急がねーとなァ」 アイスのパックが、床にゴトンと響いて落ちる。 手から離れたスプーンも、床でカランと鳴った。 突然銀時に押された女の身体が、ドサッと音をたててソファへ沈む。 「だ・・・んな・・・・」 「野郎のお古なんざ、食ったら胸焼けしちまうからよー。悪りィけど、お先に頂いとくわ」 息を呑む暇も与えなかった。 銀時は女の身体を押し倒し、ソファに組み敷いた。 ニヤニヤしながら、唖然としている女を見下ろす。 腕を伸ばすと、落ちたアイスのパックを拾い上げた。 「これよー。誰も食わねんだよなァ。マズすぎんだよなァ。始末に困ってたんだけどよ。 しょーがねーから、あんた食ってくれる?いや、口じゃねーよ?口じゃなくて、こっちな」 跨った女の身体の、下腹のあたりを制服の上からゆっくりと撫でる。 びくりとも動かず固まったままで、女には何の反応も無い。 無表情で澄ました様子がまた、腹立たしさを煽る。銀時はわざと愉快そうに笑ってみせた。 「大丈夫だって。いきなり突っ込んでも痛くねーよーに、たっぷり入れてやっから。」 動かなかった女の腕が、静かに、のろのろと動いた。 自分の顔を手で覆うと、肩が小刻みに震えはじめる。 ・・・おいおいおい。なんだよこのねーちゃん。もしかしてよォ。泣いてんの?泣いてんのかァ? 冗談じゃねーよ。泣きゃあ済むとでも思ってんの?泣きゃあ誰でもコロッと落とせるとでも思ってるんですかァ? か弱いお嬢気取りですかコノヤロー。んだよつまんねーよ。つまんねェ反応すんじゃねーよ。こっちが萎えるってーの。 あのチンピラ集団で、あのキレっぱなしの番犬に就かされるくれーだからよ。 どんだけ肝の太ェ女かと思ってたが。怯えすぎて動けなかっただけ?笑えねー反応すんじゃねーよ。 ところが女は笑っていた。 最初は小さな忍び笑いだった声はどんどん大きくなり、クスクスと肩を揺らす。 さっきとは逆に、気づいた銀時が唖然とさせられた。 「・・・ごめんなさい。だってぇ。 旦那って。あたしのこと嫌いでしょ?来んじゃねーよ、ウゼーよこの女、って思ってるでしょ?」 顔を隠した手をずらし、可笑しそうに細めた目を覗かせる。 女は銀時を、まっすぐに仰ぎ見た。 組み敷かれたままだということなど、忘れているかのようなまっすぐさで。 「だって、無理がありますよォ。バレますよ?こんなの。 総悟も旦那のこと、江戸一番の面倒がりだって言ってたし。女にこんなことするような人には見えないもん。 どっちかっていったら、もう来るな、って脅しみたいなカンジですよね、これって。」 にっこり笑うと、子供のように無邪気な顔になる。 その目には何の疑いも曇りもない。自分に圧し掛かったままの銀時を映して、それでも澄みきっていた。 「ここで新八くんと神楽ちゃんを見てたら、誰だってわかります。旦那はいいひとなんだなって」 きっぱりと言い切って、女は銀時の肩を押してきた。 「ほらあ旦那、立って下さい。もう行かないと。怒りっぽいんですよウチの副長。 カルシウム不足なんですよォ、マヨばっか食べてるから」 銀時の胸を、細い腕でえいっ、と押した。仕方なく、押されるままに銀時は立ち上がる。 何も言わない彼を見上げると、早く行かないとまた鉄拳制裁です、と楽しげな声で笑った。 乱れたスカートを直しながら。 「彼氏にしたら意外と優しかったりするタイプですよね、旦那って。 いつも口だけだもん、セクハラなのは」 「俺ァ、見てもいねーのにわかったよーな口聞く女も嫌ェだよ。」 きまりの悪そうな口調でそう言った銀時は、女から目を逸らした。 白銀の髪をグシャグシャと掻き乱し、拗ねたような顔になる。 それを見て、女がふふっ、と柔らかく笑った。 「また来ます。あ、そーだ。今度こそ考えておいてくださいね、お礼」 再び行儀よく頭を下げると、女は玄関へ向かって消えた。 言葉もなく彼女を見送った銀時は、ふと言い忘れたことに気がついた。 玄関に向かって、せめてもの抵抗を投げかけてみる。 「イヤ、だからァ。もォ来んなってーの」 ガラガラと、戸の開く音がした。 せめて最後くらいは体裁をつけておきたかった銀時の、半ばヤケクソな訴え。 だが、彼女にはそれが届かなかったらしい。 答えは返ってこなかった。
「 その男、看板に偽りあり 2 」text by riliri Caramelization 2008/10/10/ ----------------------------------------------------------------------------------- next