「・・・総悟。お前、今までてめえが何人斬ってきたか覚えてるか」 帰りの車中でそう尋ねると、沖田は隣の運転席からちらりと視線を投げて寄越した。 きっ、と強めなブレーキが効いて、車は赤信号が点灯する交差点前で停車する。 見ようによっては少女のような印象もある端正な造りの顔が、意外そうに土方を眺めた。 人の波が交差して流れる横断歩道へと視線を向けると、馬鹿にしたような笑みをふっと浮かべて、 「さぁねェ。昨日の夢ん中でぶった斬った土方さんの数なら覚えてますけどねェ。 ああ、ちなみに昨日は4832人の新記録でさぁ」 「誰もんな数訊いてねぇよ。つーか訊きたくもねえんだが」 はぁ、と嘆かわしげに煙を吐いた土方は、うんざり気味な様子で目を伏せる。 羊の代わりに人の死体を指折り勘定する、…という物騒で腹の立つ数え唄が、相も変わらず寝つきが悪い こいつの子守り唄替わりらしい。んなもん数えてねーでさっさと寝ろ。そうつぶやき、薄い髪色をした小さな頭を べしっと強めに殴ってみる。案の定、殴られた奴がその程度で懲りるわけもなく、「痛てーや土方さぁん」などと 不満そうに言いつつ、けろっとした態度で頭を擦っているだけだったが。 「斬った数ねェ・・・いちいち数えてられねーや、そんなもん。下手すりゃあ一つの現場で二十三十が当たり前、 年間で百や二百じゃきかねーくれーの数ですぜ」 数えたってきりがねぇ。くだらねぇや。 独り言のようにつぶやいた沖田が肩を竦める。 目前の交差点の赤信号をしばらく黙って眺めていたが、ああ、と思い出したように眉根を寄せて。 「そーいやぁ数えてましたねェ、最初は。殺った数が両手の指で足りたうちは、 毎日指折り数えてましたよ。まぁ、そのうち面倒になってやめちまったけど」 言いながらハンドルに腕を乗せた。その上にだるそうに上体を伏せ、あまり思い出したくもなさそうな表情で答える。 明るい色をした丸い瞳が怪訝そうな瞬きを打って、土方のほうを流し見た。 「それがどーしたんです。現場で気になることでもあったんですかィ」 「別に。たいした意味はねえが」 「つーか誰の話なんでぇ、そいつは。あんたがんなこと気にするよーなタマとは思えねーし」 「・・・・・。俺の話だ。悪いか」 窓の外へと視線を逸らし、土方は投げるように素気なく返す。 すると沖田は目の色を変えた。皮肉気な笑いに口許を歪めると、 「へぇ、そいつは驚きだぜ。あんたはどっちかっつーと俺と同じで、何人斬ろうが何人死のうが おかまいなしだと思ってましたがねィ」 「ああ。俺もそう思ってたがな」 「ふーん。まぁ、あんたが何考えてようが俺の知ったこっちゃねーんで 別にどーでもいいですけどねィ。――さてと。早く帰りたいんで飛ばしやすぜ」 信号が青に色を変えた途端、ぐんっ、と車体が加速する。疑問をさらりとかわされたことが あまり面白くなかったらしい。つまらなさそうにフロントガラスを睨んだ沖田の足は、アクセルを目一杯に強く踏み込む。 交差点から続く渋滞中の幹線道路へと、パトカーは矢のように飛び出していった。 屯所の門前でパトカーを降りた土方は、戻ったその足で自室へ向かった。 明りが消えた部屋には誰の姿も無く、灰色の影が落ちた畳の上には 毛糸針が刺さった編みかけの何かと、淡くて子供染みた色をした毛糸玉が数個転がっている。 ここでこれを編んでいたはずの女の姿を求めて、開け放した障子戸から廊下へと顔を出す。 見上げた空は薄曇りに翳り始めていた。西の彼方には雨の気配が濃く感じられたし、 わずかに湿りかけてきた空気の質も、快晴だった朝方のそれとは違っている。それでも赤く色づいた桜の葉が 芝に落ち始めたばかりの庭は、穏やかな陽光を浴びてまぶしかった。 「・・・二時半、か」 さっき廊下で眺めた壁時計が指していた時間を思い返し、合点がいったように小声でつぶやく。 来たばかりの廊下を再び戻り、女中衆や食堂の賄い婦たちが溜まっている小さな棟へと渡っていった。 普段は滅多に足を運ぶことのないそこは、屯所内で唯一と呼んでいい女の園だ。細い渡り廊下を進むにつれて、 何重にも重なる軽やかな笑い声が近づいてきて。 「えーっ!そうなのぉ!?ちょっとぉずるくないそれ、抜け駆けなしって言ったでしょ!」 「違う違う、ちょっとだけだもん、抜け駆けなんてしてないから。でね、持って行ったら沖田さんがぁ――」 渡りきったところで鉢合わせたのは、ここ数カ月で入ったばかりの若い女中たち数人だ。 何やら楽しげに語りながら歩いてきた女たちは、足早に向かってくる土方の姿に気付くなり、 ぎくりとした様子で竦み上がった。 「・・・・・っ!」 「・・・おっ、お疲れさまですっ・・・!」 「――・・・、」 絶句してじりじりと後ずさる者に、挨拶はしても表情がぎこちなく引きつる者。 こんな時に感情を伏せ隠すことをまだ知らない年頃の彼女たちは、珍しくこの棟に姿を現した 副長の姿に困惑しきりな様子だった。少々気まずい思いはしたが特に何の反応も示さず、 軽く目を合わせるだけでその場を後にした。 ――女たちのこういった反応には慣れている。 彼にとってはままあることだ。なにしろ市中でもこの屯所内でも、若い女たちが彼に寄せてくる視線の種類は、 そのすべてがほぼ二通りに括られると言っていいほどに偏っていた。一つには、さっきの女中たちのような、 あからさまな怯えを含んだもの。もしくは、どこか挑発的な色香を含んだ妖しいもの。 殆どがそのどちらかで、どちらかに該当しない女など滅多にいない。 ・・・いや。もっとも、たまには稀少な例外もある。現にあいつは、そういう奴で―― 通路の角を折れ、庭沿いへと出て、数歩も進まないうちに足を止める。縁側沿いに広がる庭を、 晴れない表情でじっと見つめた。紅色や黄色の落ち葉が鮮やかに敷き詰められた庭。 高い塀で隣の屋敷と区切られたその端に、探し求めていた女の姿を見つけていた。 「・・・・・おーいぃ。出てきてよー。そんなに怒らないでよー・・・」 今日が非番のは、薄桃色の短い着物を身に付けた普段着姿だ。 塀に沿って続く草むらを前にしてしゃがみ込んでおり、こちらに背中を向けているために表情は見えない。 だが、土方の元まで届く女の声は、なぜかすっかりしょげきっている。 ちりん、ちりん。彼女の手許が右へ左へと揺れるたび、何か耳をくすぐるような音色が鳴った。 「大丈夫だよ、あたし、こわくないよ?近所の男の子たちみたいにいじめたりしないから。ねっ。 ほら見てこれ、いいでしょ?あんたに餌をくれる鬼河原さんがね、あんたのために買ってきてくれたんだよ。 これで遊んでお友達になろうよー、ね?」 庭へ降りて近づいていったが、が彼に気付く気配はない。 草むらに向かって懸命に話しかけ、手に握った細い何かをしきりにひらひらと振っている。 背後まで寄って見下ろせば、それは先に小ぶりな鈴が付いた猫じゃらしだ。 土方が腰を屈め、上から彼女を覗き込む。するとは長い髪をさらりと揺らして振り返り、 何の驚きもなさそうな様子で彼を見上げた。ふいに目元を曇らせ、頬をぷーっと膨らませる。 叱られたことに拗ねている幼い子供のような顔になって、他愛もない愚痴をぶつけてきた。 「ねえ土方さぁん、ひどくないですかぁ?この子ね、鬼河原さんが来るとごろごろーって喉鳴らして出てくる んですよぉ。甘えて膝にすりすりしてるんですよ?なのに何でかなぁ、どーしてあたしには懐いてくれないのかなぁ〜」 すっかり落ち込んでいる女の顔を、土方はどこか困ったような目つきで眺めた。それから草むらに目を遣る。 端が切れて傷だらけな白黒の耳が、葉の影からぴょこんと飛び出ている。全力を籠めて彼を威嚇しようとしている、 二つの光と目が合った。尻尾を逆立てた白黒ぶちの汚い子猫が、ふーっ、と激しく喉を鳴らして 彼らの前に躍り出てくる。ひゅっ、と高く跳ね上がったかと思うと、土方の傍を擦り抜けて走り去った。 「あぁー・・・!行っちゃったぁ・・・・・!」 「諦めろ。野良は一度警戒した奴には滅多に懐かねえよ」 「あのねあたしね、あの子に毎日おやつあげてるんですよ?ペットショップの店員さんがこれがいいって薦めてくれた、 カリカリしたやつ!それにね、いつも三十分は話しかけてるんですよ?なのにぜんぜん遊んでくれないんですよー!」 「煩せぇ。人の話を聞け」 むっとした口調で叱りつけ、土方はの頭をぽかりと小突く。 「〜〜〜っっ、いたいぃ!」 「あれが懐かねえ理由ったら一目瞭然じゃねーか。その調子でしつこく追い回すせいだろーが。 ・・・ったくてめえときたら、どーしてそう懲りねぇんだ?そのうちばりっと顔引っ掻かれんぞ」 「えぇぇ違いますよー、あの子はそんなひどいことしませんよっ。 見てて下さい、今に鬼河原さん以上にラブラブになってみせますから!最終的には膝でお昼寝してもらうんだから!!」 「ああそーかよ。随分と見通しが暗そうな野望だな」 頭を押さえて上目遣いに睨んでくる情けない表情の女を、醒めきった目つきでじろりと睨んだ。 まあ、今までも数えきれないほど繰り返してきた遣り取りなため、実をいえばこんな小言は、 彼としても食傷気味だったりするのだが。・・・まったく。どうしてこいつときたら、こうも懲りねぇ奴なのか。 「つーかお前、馬鹿か。三十分も石みてーにしゃがみ込んでんじゃねえ、脚に・・・・・、」 (脚に響くじゃねえか。) 言うつもりのない一言は喉の中で押し止めた。仔猫のつれなさにしゅんとしてうなだれていた女を、 腕を掴んで引っ張り上げる。猫は紅葉した桜の幹の下でぴたりと動きを止めており、は名残惜しそうに その姿を見つめている。猫じゃらしをちりんちりんと振りながら「戻っておいでー」と懲りることなく呼びかけていた。 そんな仕草を――猫じゃらしを持った右腕のどこかぎこちなく硬い動きを、土方は曇った目つきで見下ろした。 白のレースで縁取られた着物の袖口からすんなりと伸びる、淡い色をした細い腕。袖に隠れて見えはしないが あの肩口から肘にかけては、着物のレース飾りと似たような色合いの包帯で覆われている。 びっしりと巻かれた包帯の下には、先日の出入りで負った長い刀傷が隠れている。左脚にも傷があり、 膝から太腿の半ばほどにかけてが、右腕と同じように白い包帯で覆われていた。 (腕が使えるようになるまでに十日。歩けるようになるまで二週間。完治までには一カ月以上。) 医師からはそう言われたが、その宣告を上回る快復を見せたは、負傷から十日後には 通常の任務が行えるまでになっていた。腱を切断するような深手を負ったわけではないし、後遺症も残らないという。 ただ、二の腕から肘下へ向かって肌を縦に裂いた長い傷跡までが、この身体からすっかり消え失せてしまうか どうかは判らなかった―― 「・・・あーあぁ、行っちゃった。ばいば〜〜〜い、また明日ねー」 軒下へ消えていった懐かない仔猫を、はしばらく手を振りながら見送った。しかし、そのうちに 土方の視線に気付いたらしい。吊り上がり気味なその目をふわりと柔らかい笑みに崩した。 隊服の袖の端を遠慮がちにそっと摘み、わずかに力を籠めて引っ張ってくる。 ちりん。ちりん。猫じゃらしの先では、転がるような鈴の音が鳴っていた。 「そんな暗い顔しちゃってぇ、どーしたんですかぁ土方さん。何かあったんですかぁ?」 「・・・別に。何も無ぇよ」 「本当ですかぁ?だって珍しいじゃないですか、みんなよりも先に戻ってくるなんて」 石蕗の研究所はどうでしたか。 三件の爆破現場の状況についてを、非番のはまだあまり耳に入れていないのだろう。 何気ない調子で尋ねてくる女の声には、何の揺らぎも感じられなかった。 「・・・・・・・・。。お前、」 「はい?」 は嬉しそうに細めた目で見つめてくる。土方は薄く開きかけていた口を引き結ぶ。視線をすっと横へ逸らした。 ここへ来るまでに反芻し続けていた問いかけが、喉を重く塞いでいる。現場から持ち帰った煤だらけの 紙片の文字が、思考の片隅に鮮やかに浮かんでくる。突如として記憶の中から浮かび上がってくる光景。 同じようにして浮かび上がってきた数人の残像。次に奴等が仕掛けてくるのはいつなのか。 間髪入れずに次の手を打ってくるのではないか。これからも起こりうるだろう騒ぎの連鎖を食い止める手立てはあるのか。 小さな紙に綴られた二行の文面を、に見せるべきか。今暫くは伏せておくべきか。いや、それとも―― すべてが彼の脳裏を一瞬でよぎり、冷静な判断の採択を妨げられた。やや唇を噛みしめ、 身の内にある何かと葛藤しているような表情で沈黙する彼を見上げ、は不思議そうに首を傾げていた。 「・・・?土方さん?どうしたんですか」 問いかけられた土方は眉を顰める。 それでも再度、口を開きかけた。だが――ふと思い直し、無言のままに腕を伸ばして。 「っ!!?」 「――いや。何でもねぇ」 薄桃色の着物の肩を抱き、そのままを引き寄せた。っっ、と声を詰まらせて胸元に飛び込んできた女の頬が、 彼と目が合っただけで、ぽうっと火照りきった色に染まる。普段ならここで、こいつの顔の赤さでも からかって楽しむところだが、――今はそんな気分には程遠い。 口にすることなく終わった問いかけは、苦しげな呼吸とともに喉の奥まで押し戻した。 背中を抱きしめた腕に力を籠める。息を詰めて驚いている身体の初々しい抱き心地を複雑な思いで味わってから、 背中から肩を撫で、困りきって赤面している顔に触れる。頬を撫でた指先の感触がくすぐったかったのか、 はびくんと肩を震わせ、恥ずかしそうに首を竦めていた。 「煙草が切れた。後で買いに出るが、お前も来るか」 「・・・・・・ぅ。うん、・・・」 滑らかな髪を指で梳きながらゆっくりした手つきで撫でてやると、は何か安心を覚えたらしい。 かちんと強張っていた彼女の身体は、徐々に柔らかさを取り戻していく。張りつめていた気配も 少しずつ溶けて緩んでいく。自分から土方の胸にもたれかかり、遠慮がちながらも体重を預けてくるようになった。 「ついでに何か奢ってやる。 ――ああ。お前、昨日総悟と、どこぞの汁粉が食いてぇだ何だって騒いでたな。あれぁどこの店だ」 たまには付き合ってやる。 喜ぶだろうと思い、そう告げた。だが、女の口から返ってきた反応はどうも的を得ないものだった。 「・・・・・・どうしたんですかぁ・・・?」 「あぁ?」 は眉を八の字に下げ、心配そうな顔つきになる。 まっすぐに土方を見つめる大きな瞳が、何度も瞬きを繰り返す。真剣に彼の様子を窺おうとしていた。 「今日の土方さん、変。変ですよ。近藤さんに休めって言われても 休んだふりして部屋で書類とにらめっこしてる土方さんが、自分から仕事サボろうとするなんて」 「・・・。徹夜明けで疲れてんだよ。それとも何か、俺に過労死するまで働けってのか」 「えぇー、そんなこと思ってませんよー。大体、一晩徹夜しただけで過労死とか土方さんに限ってありえないし。 大丈夫ですよ土方さんなら、十日連続徹夜した直後に南極に置き去りにしたって絶対余裕で生き残れますよー」 「馬鹿言え、死ぬに決まってんだろ。つーかてめぇ、絵空事たぁいえ人をどんだけ過酷な環境下に置こうとしてんだ」 ざっけんな、との頭にぐりぐりと拳を捩じ込み、眉を吊り上げ睨んでみる。 しかしはあまり堪えた様子もなかった。却って怪訝そうな表情になり、土方をじっと見返してきて。 「・・・やっぱり変。おかしいですよー。いつもの土方さんなら、徹夜明け程度で疲れたなんて言わないもん。 それに、・・・・・・・・・・・・・・いつもなら。こ。こんなところで。こーいうこと・・・・・・・っ」 ぽつりぽつりとつぶやくうちに、女の唇は拗ねたようにつんと尖っていった。赤みを帯びた小さな顔が、 下へ下へとうつむいていく。かと思えば、自分を抱き留めた黒い隊服の腕をまじまじと眺めたり、 庭の周囲や休憩中の女中たちが詰めている控えの間のほうを、きょろきょろと落ち着きなく見回している。 どうやら今の視線で、自分が置かれた状況を再認識していたらしい。しだいに頬が真っ赤に染め上がり、 垂れてきた髪で頬の赤さがすべて隠れてしまうほどに深くうつむき、「うぅうう〜〜〜・・・!」と 悔しそうな声を漏らしながら土方の胸をポカポカと拳骨で殴ってくる。 土方は涼しげな切れ長の目元を細め、失笑とも苦笑ともつかない微かな笑みを浮かべた。 腕の中で小さな反抗を繰り返す女を黙って見つめる。 ――またこれだ。どうにもガキっぽいこの照れ隠しは、世辞にも年相応とは言い難い。 そんな風に思って肩を竦めたくもなる。けれど、職務を離れた時のが見せる少女じみた甘えや恥じらいは、 男の扱いを心得た大人の女ばかりを相手にしてきた土方の目には珍しく、いつ眺めても新鮮に映った。 この落ち着きのないガキっぽさには、たまに手古摺らされもする。だが、 ――こんなを眺めていられる男は、俺だけだ。そんな嬉しくもこそばゆい優越感に 気付いてしまってからというものは、尚更にこの子供じみた照れ隠しが愛しい。まぁ、これも秘かに抱いた 独占欲の強さの象徴ってやつか、…などと思えば、我ながら辟易するというか、自分に呆れもするのだが。 可笑しくなった土方は、わざと醒めた目線で彼女を見据えた。姿勢をやや前屈みにして、うつむいた赤い顔を覗き込み、 「何だ、来ねぇのか。なら甘味は無しだな」 素っ気ない口ぶりでさっくりと前言撤回する。するとは途端に顔を上げ、目を丸くした。 少女のような恥じらいぶりなど何処へやら、おろおろと必死になって隊服の胸元に縋りついて、 「行くうぅぅぅぅぅ!!」 「フン、結局行きてーんじゃねえか。しょーがねえな、店はどこだ」 「奢ってくださいお汁粉っっ!隣町のね、おじいさんが一人でやってる甘味屋さんの田舎汁粉っっっ」 「あぁ。汁粉でも蜜豆でも好きなだけ食え」 腹の中ではこみ上げる笑いをこらえつつ、土方はいかにもどうでもよさそうに答える。 戻るぞ、とぼそりと投げかけ、の頭をぽんと叩いた。さっき降りてきた縁側へと、いつも通りの無表情さでさっさと向かう。 …内心では、未だに治まらない可笑しさをこらえていたが。 「その前に仮眠させろ。一時間経ったら起こせ」 「・・・・・・・。はい。あの。・・・あのね。土方さん」 呼びかけられた土方が振り向くと、はたたっと駆け寄ってくる。ばっ、と彼の袖にしがみついてきた。 きゅっと絡みついてきた細い腕は温かく、二の腕に押しつけられた頬は何とも言えずに柔らかい。 何かを言いかけてほんのりと顔を赤く染めたは、気恥かしさに躊躇ったように口籠る。深く伏せた長い睫毛は、 何度も繰り返し瞬いていた。 ―― 早く帰ってきてくれて、うれしい。 ぽつりと漏らしたその声は、屋根上に並んだ小鳥たちのさえずりに紛れそうなほどにか細く。ひどく恥ずかしそうだった。 意外な言葉に面食らった土方が、彼女に目を見張る。やがてふっと眉をひそめ、困ったような笑みへと表情を崩した。 何も答えることなくふたたび歩き出せば、ちりん、ちりん、と隣で小さな鈴の音が転がる。足元ではざくざくと、 乾いた落葉を踏む二人の足音が重なり、鈴の音と混じって心地良く響く。 とこうして穏やかな陽光の下を歩いていると、現場で目にしてきたことがすべて嘘であったかのように 思えてくる。うつむいた女の小さな頭に、土方は彼女に気付かれない程度の視線を投げかけてみた。 一度は飲み干し、聞けず仕舞いに終わった問いかけが、喉の奥からゆっくりと、もどかしい遅さで浮上してくる。だが。 ・・・やはり、実際にそれを口にする気にはなれなかった。
「ワンダーブルー *2」 title:alkalism http://girl.fem.jp/ism/ text by riliri Caramelization 2012/06/07/ ----------------------------------------------------------------------------------- next