ちりん、ちりん。 誰かが吊るしたままにしている風鈴の可愛らしい音が、縁側からの柔らかい風に乗って耳に届いた。 ちいさな響きに耳を澄まして、青紫の桔梗の花が揺れている庭を眺めて脚を止めて、それからまた廊下を歩き出す。 それは古い屯所の中を吹き抜ける風も幾分涼しくなって、江戸の夏も終わりに近付いていたある日の午後。 午前中にかかりきりで頑張っていた勘定方への経費報告の書類を提出して、ぱたぱたと局長室に向かった。 障子戸も襖戸も開けっ放しの風通しのいい部屋に着くと、中にはもう十数人が集ってる。 大きな茶卓の上座についた近藤さんを囲んでがやがやと賑やかだ。一歩入って茶卓を見て、あたしは「うわぁ」と声を上げた。 「すごーい、近藤さん、こんなにいっぱい買ってきたんですかぁ・・・!!」 「おお、来たな」 入れ入れ、と手招きされて、近藤さんの横に座って手を畳に着いて、ぺこっと頭を下げた。 これをやると、近藤さんは必ず照れ臭そうな顔で頭を掻いて困り出す。今もそうだ。 「お帰りなさい、上様護衛の大任お疲れさまでした!」 「いやいやぁ、そーいうのはやめてくれって!ほら、お前も好きなやつを持っていけ。これなんかどうだ?」 「しかしまあ、これだけあると壮観だよなぁ。けど、俺らが貰っちまっていいんですかぁ局長」 「おう、いいぞー。上様からの御心遣いだ、酒でもどれでも持っていってくれ」 派手な原色の包装紙で包まれたお菓子の箱や、地域限定のスナック菓子やおつまみの袋、 大きな泡盛の瓶が十数本に、透きとおる水色に気泡が浮かんだ、涼しげな琉球ガラスで出来た風鈴が数個。 畳二畳分もある茶卓いっぱいに広げられているのは、さっき屯所に帰ってきたばかりの近藤さんの沖縄土産たち。 5日ぶりに見る局長の笑顔はこんがり日焼けしている。上様のお忍び旅行の護衛にと、松平さまのご指名でお供していた 近藤さんは、「市井の者たちの目線に立った旅がしたい」と仰る上様に付き従って毎日島内を歩き回っていたそうで、 沖縄生まれの人にも負けないくらいの浅黒さになって戻ってきた。 「いいなあ沖縄。うらやましいなぁ沖縄あぁ。あたしも行きたかったですよぅぅ・・・」 モゴモゴモゴ、・・・と黒糖風味で素朴な沖縄の揚げ菓子、 サーターアンダギーをほっぺた膨らませて味わいながら、不満げな子供みたいに口を尖らせた。 上様のご静養を兼ねたお忍び旅行はおととしにもあって、その時にはあたしも同行させてもらった。 土方さんのオマケとして美味しいおこぼれに与れたんだよね。残念なことに今年は屯所でお留守番だったけど。 「ははは、悪いなぁ、連れてってやれねえで。 上様は今年もお前らを同行させるつもりでおられたようだが、とっつあんがなー。まだ拗ねてるからなー」 「松平さまが?」 警察庁長官の松平片栗虎さまは、どう見てもヤクザの親玉にしか見えないこの国の警察庁のトップ。 この真選組の創設者でもあり、あたしを育ててくれた義父さんの友人でもあり、家出して真選組に入ってからは 身元保証人まで引き受けてくれた方でもある。見た目はその筋の人以上にその筋の人だし、時々とんでもなくヤバくぶっ飛ぶ、 存在自体が核融合炉クラスの危険物みたいなお方なんだけど、昔からの知り合いとはいえ、こんな小娘の身元保証人を 快く引き受けてくれるくらいだ。顔に似合わず優しくて、なかなかどうして懐も深い、困ったところもあるけれど愛すべきおじさんだ。 …という素晴らしい長所は、せめてもの恩返しにあたしがしっかり保証してあげないといけない。 (いや、でも、趣味のキャバクラ通いはどーかと思うけど。 それにその、ご家族を・・・特に一人娘の栗子さんを熱狂的に溺愛しているのもどーかと思うけど。) 昔はよく、あたしが育った家にも時々ひょこっと現れて、お土産に美味しいお菓子をくれたりした。 あの頃はまさか、たまに現れる「お菓子のおじちゃん」がこんな危ないおじさんだとは思ってなかったなあ。 毎回貰うお土産につられて、すっかり懐いてたんだよね。――あれっ。そういえば、最近は顔を合わせたことがないよーな。 「あっ。もしかしてあれですか。また栗子さんに彼氏でも出来てヘコんでるとか」 「いやあ、そっちじゃねえ。今回はな、栗子ちゃんじゃねーんだ」 「え。てことは、まさか。ついに。キャバクラ通いが昂じて、ついに奥様に逃げられたとか!?」 松平家の家庭崩壊!?と驚いて茶卓に乗り出したあたしに、 違う違う、と苦笑いした近藤さんは、持っていた団扇の先をひょい、と向けた。 「。お前だよ、お前。をトシにとられた、ってなぁ。すっかりヘソ曲げちまってよォ」 「へ?とられた、って、・・・・・・え?」 ぱちっ、と大きな瞬きをしてあたしは固まった。近藤さんがにやっと目を細めて「トシにとられた」と言った瞬間、 山崎くんや原田さんや藤堂さんたち――局長室にいる全員の視線が、揃いも揃ってこっちに向けられたからだ。 筆字で「めんそーれ沖縄」と書かれた、お土産物屋さんで売っていそうな団扇で顔を扇ぎながら 近藤さんが、ははは、と爽快に笑う。 「いやあ参った参った、とっつあんが酒入るたびにグチグチと煩せえんだ。海でも行き帰りの機内の中でも これは娘を嫁に出した父親の傷心旅行だ、ムカつくトシのツラなんかパパは当分見たくねーんだあぁ!ってよー」 「そっ!そんな、よ、・・・よめ、・・・って、・・・・・・あ。あたしは、そんな」 「いやー、どうかなあ。相手があの副長ですからねー。嫁に行くにもさんは前途多難そーだなぁ」 と、近藤さんにお茶を淹れている山崎くんがクスクス笑いながら口を挟む。 「ああ、だがなあ、覚悟は早いに越したこたぁねえぜ。なにしろうちの副長は、あれで案外と気が短けえ」 「だよなあ。気長に見積もってもあと数年ってとこじゃねーかぁ?しっかしまあ、とっつあんも憐れだねェ。 その頃にはちょうど栗子さんはお年頃、ちゃんも嫁に行っちまって、それこそ傷心旅行どころじゃねー騒ぎだろうさ」 と、開いた障子戸の前に胡坐をかいて並んでいた原田さんと藤堂さんが目を見合わせた。 (上背があって強面な二人がこうしていると、なんだかお寺の山門を守護してる風神雷神とか毘沙門天みたいだ) 隊長二人が同時ににやあっと目を細めて、なあ、と同時に頷き合うと、困ったことに他の人たちまでそれに習って、ああ、とか、 違いねえや、とか、口々に言いながら頷き出した。焦ったあたしは、うぐ、と唸ってむせそうになった。 口に残っていた揚げ菓子を喉に詰まらせたのだ。 ・・・ううっ、なにこの空気。 みんながあたしを生温かーい目で見守っているよーな、単にからかって面白がってるだけのよーな、妙な空気。 全員が意味深に目尻を下げてにやついて、なあなあ、そのへんどーなの、聞きてーなぁ、って顔してる。 「え、や、違っ、やっ、・・・ややや、やだなぁもおっ、むっっ、昔っからほんっとに大袈裟なんですよぉ松平さまはっ。 あ、あたしのことはともかくっ、あんな親馬鹿パパがいたんじゃ大変ですよね栗子さんはっ」 近藤さんが沖縄の水族館から貰って来たらしいマリンブルーのパンフレットを引っ掴み、パラパラ捲って、 ごまかしようもなく赤らんだ顔を隠した。だって困る。こういう時のみんなの興味津々な視線って、 どう受け止めたらいいの。いまだにわかんないから焦っちゃうよ。ああ、急に顔が熱い・・・! しかも、よ、    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・嫁って。 (うわあああああああああああぁぁぁ!!) と頭の中で素っ頓狂な声で絶叫して、あたしはパンフレットで頭を、がばっっ、と覆って突っ伏した。 ・・・・・・・誰から見ても甚だしく奇行だったに違いない。だけどもう無理。自分の動転ぶりを隠す余裕なんてない。 だって、だってだって、ダメだよっ、考えただけで顔が火照りすぎて目が回るっっ。 頭の中で「嫁」をつぶやくだけで精一杯だよ!てゆうか松平さまってば、先走り過ぎもいいところだ。 だってそんなんじゃないのに。土方さんとあたしは、そういうあれとは全然違うのに。 ただその、こうなったのは、土方さんが、あたしがあんまりめげないからさすがに呆れて諦めてくれたっていうか、 もう面倒だ、仕方ねーからてめーにしとくか、くらいのかんじで許してくれただけっていうか、 ・・・ええと、つまりですね。掻い摘んで話すと、あたしが色々しつこくした結果、あの頑固なひとが何の奇跡なのか 気まぐれなのか、突然気を変えたみたいで、厳しい上司とおバカな部下よりも説明しづらい関係になったっていうか 前よりも近くに居られるようになった、・・・ってだけの話で。 ほんとにそれだけの変化なんだもん。お嫁に行くとかどうとかなんてレベル、考えられないよ。 そんなの宇宙の彼方の、夢のまた夢、映画とか小説の中の出来ごとに近いレベルでありえない話だよ。そう、例えば 『ええっうそっ、DVDで見たダースベーダーが目の前に!えっマジで!?目の前でスターウォーズ始まったあああぁ!』くらいの、 最高に無茶で、実現しても現実感がミジンコほどにも漂いそーにない展開。それこそ奇跡なんですけど。 …いや、でも、実は…たまにあの素っ気ない横顔を見ながら「もし万が一億が一、土方さんとそーいうことになったら…!」 なんてありえない想像しちゃって、一人でこっそり、胸から飛び出そうなくらい心臓バクバクさせることも、・・・まあ、ええと。 「――、・・・・・・え?」 あれっ。どうしたんだろ。部屋の中に話し声がない。やけに静まってる。 顔を上げると――総勢十数人の目がどの人も三日月みたいに細くなっていて、 全員興味たっぷりの「へええぇ〜〜〜〜」って顔になっていて、穴があくほどあたしの顔を、じいいいーーーっと、・・・ 「「「「・・・・・・・・・・・・・・・」」」」 「――!!っ、や、山崎くんっ、ああ、あたしもお茶っ、淹れるの手伝うぅ!」 かああっ、と真っ赤に沸騰した顔をうつむいて隠して、がばっと立ち上がって山崎くんのほうへ逃げた。 布巾を敷いたお盆に並べられたお茶碗にあわてて飛びつく。背後からはみんながケラケラと楽しげに笑う声が刺さってくる。 ・・・いや、だから、お願いだからもう勘弁してください。そんなに面白いのかなぁ、こーいう時のあたしの顔っっ。 土方さんがいるときは誰も何も言わないくせに、いないと途端にこうなるんだから。 ポットのお湯以上に沸騰した顔が熱くてしかたない。もじもじとお茶碗の縁を指でなぞった。 あたしと土方さんのことは、その、・・・別に、これまで通りに副長とその直属隊士って立場は同じだし、 仕事中は特に、土方さんの態度も今までとまったく変わりないし。・・・みんなが面白がるようなことなんて何もないんだけどなあ。 「・・・・・ん?そういやあ、」 つぶやいた近藤さんが団扇を止めて、不思議そうに眉をひそめる。 周りのみんなをぐるりと見回してから、あたしに問いかけた。 「トシをまだ見てねえな。出掛けたのか?」

おおかみさんとひみつの小部屋

「はーぁ・・・・・・。こんだけの人数で囲んでも起きねえとはなァ」 陽射しが障子戸を明るく透かしている、西向きに面した副長室の文机の前。 そこで横を向いて、隊服の上着と自分の腕を枕にして、眉を寄せて気難しそうに眠っているひとを見下ろした近藤さんは、 感心したような、呆れたような感想をつぶやいた。山崎くんはその隣から、珍しそうに目を丸くして覗きこんでいる。 土方さんの頭の横にしゃがみ込んだ近藤さんが「おーい、トシぃ。俺だー、帰ってきたぞー」と、 声をひそめてぼそぼそっと耳元に話しかける。驚いて目を見張りながら顔を上げた。 「話し声にもびくともしねーじゃねーか。気配に敏いトシにしちゃあ珍しいな」 「それだけ疲れてたんですねえ。そーいやあ、朝の会議でも声に張りがないっていうか、やけに静かだなーって思ったんだよね」 「うん。・・・朝からなんとなく疲れたかんじだったんです。昨日は何か重要な調べ物があって、 それを片付けたくて徹夜したとかで。昼食のあとですぐ横になって、二時間経ったら起こせ、って」 「へー。水臭せーなぁ土方さんも。一言俺に言ってくれりゃあ、二時間と言わず一生目が覚めねーよーにしてやるのに」 「あ、ちょっ、だめだよ総悟っっ」 何するのっ、とあわてて飛びついて止めた。 持っていた黒の極太油性ペンの先を、総悟は土方さんの裸足の足裏に向けている。何か落書きする気だ。 手を掴んで止めたあたしを澄んだ薄茶の瞳を凝らしてじろっと睨んで、総悟がちぇっ、と舌を打つ。 そのつまらなさそうな怒った顔が、何を考えてるかよくわかんない普段の表情よりも子供っぽくてちょっと可愛い。 この顔を見ると、ついついお姉さんぶりたくなっちゃう。「仕方ないなあ総悟は」って、たいていのことは 笑って許しちゃうんだけど・・・「だからてめえは甘めーってんだ」って怒られるんだよね、土方さんに。 「いーだろ姫ィさんこのくらい。こっちは朝から始末書書かされてうんざりしてんだ。 ささやかな気晴らしくれーのこたぁさせてもらったってバチは当たらねーや」 澄ましているけど洒落にならない殺気を滲ませた、不穏な顔で総悟が笑う。 油性ペンをあたしにぽいっと放ると立ち上がり、腰のポケットに手を突っ込んでじろじろと土方さんを見下ろす。 寝ているひとが腕枕にしているほうの腕を、ちょい、と足の爪先でつついた。 「つーかバチ当たりはこの人のほうでェ。毎日いい思いしやがって。フン、いつかぜってー寝首かいてやらァ」 「いや寝首って・・・それのどこがささやかな気晴らしなの、どこが。てゆうか何、バチ当たりって」 「いーや別に。ただの意味なしな独り言でさァ。ああ、そーだ。その人が目ェ覚ましたら、 こいつを借りてったって言っといてくだせェ」 土方さんの書棚から抜いた漢和辞典を頭の上に振り上げると、総悟は口笛を吹きながら出て行った。 局内でも一、二、を争うくらいに達筆な総悟だけど、寺子屋通いをしてる小さな子供並みに漢字を知らない。 報告書や始末書の字はいつ見ても意外すぎる流麗さというか、書道家みたいに洗練されたかっこいい字なのに。 総悟がいなくなると、珍しい寝顔を見物した近藤さんと山崎くんも続いて部屋を出ていった。 二人を見送ってから障子戸をそーっと閉める。音をたてないように爪先立ちで、静かに、ゆっくり。 多少煩くしても熟睡してるから起きないってわかってるけど、出来るだけ静かなほうがいいもんね。 一つ向こうの部屋は近藤さんの部屋で、そこにはまだ、山崎くんや原田さんたちがいる。 何を話してるのかはわからないけど、たまに湧き起こる笑い声は、障子戸を閉めてもはっきり聞こえるくらいだし。 そんなことを考えながら部屋を閉め切って、折り畳みの小さなテーブルに向かおうとした。 この部屋で仕事するときに使ってる、あたし専用の仕事机だ。その前で膝をつこうとしたときに、 がさっ、と布が擦れる音がした。もう起きたのかな。振り向いてみると、土方さんの頭の向きが変わってる。 腕枕が外れて仰向けになっていた。白いシャツの腕が顔に乗って、眉間に皺が寄るくらいきつく閉じた目元を隠してる。 起こせ、と言われた時間まではあと一時間以上ある。 腕時計をちらっと見てから、寝ている土方さんに目を向けて、あ、とつぶやいた。 なんとなく思いついてしまった。寝ている土方さんに近寄ってみたくなった。 だって、あんなに爆睡してる土方さんなんて初めて見るんだもん。週の半分以上はここで一緒に眠ってるけど、 朝はいつもあたしより先に起きてるし、夜だってあたしのほうが先に布団に入って寝ちゃうし。 あとから土方さんが布団に入ってきたら、なおさら、その・・・何も見れない。 ・・・・・・・・・・土方さんと同じお布団にいると、あたしは何も確認出来ない。いつもいつも、上も下もわかんないよーな 状況になっちゃうし、気づいたら庭で雀がチュンチュン鳴いてて障子戸がまぶしくて、とっくに朝になってるし。 「〜〜〜〜〜〜〜〜・・・・・・・・っっ。」 ふぎゃあぁ、と恥ずかしすぎて口から飛び出た変な声を漏らして、色々思い出して真っ赤になった頬を抑えた。 そろそろっと膝をついて畳を這う。天井を仰いで動かないひとの腕で隠した寝顔まで、猫みたいにすり寄った。 「・・・・・。土方さぁん」 試しにおもいっきりひそめた小声で呼んでみた。 やっぱり聞こえてないみたい。ちょん、と、顔に乗せているほうの腕もつついてみた。 何の反応もない。すごい。ここまで無防備な、何の警戒もなく緩んでる土方さんなんて見たことない。 なんだか面白くなってきて、わくわくしながらその腕を掴んでみた。 何度触っても体温が高いなあって思う。あたしの倍くらい骨太な手首をシャツの上から握って、そーっと動かして顔から下ろす。 下ろした腕は、いつ触っても重たい。またそーっと動かして畳に伸ばした。 それからこの偉大な成果にすっかり満足して、ぱちぱち、と顔を緩ませて笑いながら小さく手まで叩いてみる。 ・・・ここでいきなり目を覚ましたら、土方さんはまず間違いなくあたしに呆れ返るだろう。 「ひーじかーたさぁん。ねえ、聞こえますかぁ」 声をちょっと強めてみた。それでもやっぱり起きない。 一度頭を起こしたあたしは、これからやろうとしていることがさすがに恥ずかしかったから、部屋の中をきょろきょろ見回した。 どう考えてもあたしたち以外に誰もいないけど。もし見られたら死ぬほど恥ずかしいし、 ちょっとだけとはいえ今は勤務時間中だし、一応用心しないとね、一応。 「・・・いいよね。すぐ起きて仕事するし。ちょっとだけ、だもん」 横に投げ出すように置いた腕を見つめて、おもむろにそこにぱたっと倒れた。 伸びた腕に頭を置いて、腕枕してもらった。いや、してる本人は何も気づいてないけど。 こんなに近くから見られるチャンスはもうないかもしれないし、じっくり観察したかったし。 伸びた腕の端――手首のあたりに頭を置いたまま、横向きになって土方さんの寝顔をじっと見た。 こんなに堂々と見たことないから、なんだか胸の中がざわめいて落ちつかない。 首元から立ち昇ってくる煙草の匂い。この匂いに近づくことにも慣れてきたはずなのに、今はなぜか恥ずかしい。 それでもそれなりにしっかりと、顔をなんとなく赤くしながら見続けた。で、つくづく思った。 普段は怒った顔か無表情くらいしか見せてくれないから忘れそうになるけど、 この距離で見ても、このひとがただ歩いてるだけで女の人の目を惹くのは仕方ないかなあって思う。 冷たそうに見えるくらいに顔が整ってるんだよね。逆を言えば、すごーく整ってるから冷たそうに見えちゃうんだ。 こんなことを男のひとに言うのは変なのかな。でも、かなり綺麗な寝顔だ。 睫毛は切れ長の目を長く縁取ってる。寝ていてもむっとして見える口元は今にも怒鳴り出しそうだし、 夢の中でも誰かを睨みつけてそうに険しい目元なんだけど、それでもぼーっと見蕩れちゃうくらい・・・うん。かっこいい、かも。 そういえば、目を閉じていても美しいのが真の美人だ、って、何かの番組で学者の先生が言ってたっけ。 ああ。でも。だけど―― ころん、と腕の上を転がって身体の向きを変えた。 目の前に投げ出された手がある。何かを半端に掴んでいるようなかたちの、力の抜けた手。 手を伸ばして親指の先を握った。刀を持つひと特有のごつごつと固まった感触を、起こさないようにそっと包んだ。 線の掠れた細い古傷がある。新しくてまだ生々しい傷も。紫がかった小さな火傷の跡も。 この手から傷が絶えることはない。毎日、次から次に、新しい傷跡を重ねて塗り替えられていく手。 この傷跡のひとつひとつに、このひとの辿ってきた時間が棲みついている。あたしが傍にいた時間も。あたしの知らない時間も。 自分のことは話したがらない土方さんの思いが。どんなにぼろぼろになっても音をあげないこのひとの、語らない思いが 煙草の匂いと一緒に、この手には染みついている。 この傷だらけの手が好き。冷たそうに整った見た目の下で、隊服のポケットに突っ込んで隠しているこのひとの勲章だ。 あたしにとっては、この手がこのひとそのものだ。 カタン、と音がした。障子戸を動かした音。 すこしだけ驚いて手が揺れて、目が障子戸のほうへ泳いだ。 黄色味を帯びた陽射しをあたしたちの足元にも落としている、真っ白な障子戸。そこには影も何も映っていない。 よかった。この部屋じゃない。ほっとして肩を竦めて、小さく溜め息をついた。 ちょっとだけ我に返ったけれど、まだ起きる気にはなれない。ぼうっと潤んだ目を土方さんに戻した。 誰かが近藤さんの部屋を出ていったみたいだ。 ざっ、ざっ、と規則正しい足音が、廊下を擦って遠くなっていく。 こうやってあらためて見てると・・・・・・・・見つめれば見つめるほど不思議になる。 ここにいるのはあたしを偶然拾ってくれたひと。 ずっと一方的な片思いをしていたひと。気持ちが届かないまま終わるんだって諦めていたひと。 それでも好きで、大好きで、あきらめきれなかったひと。毎日一緒で、誰より近くにいた。なのに誰より遠かったひとだ。 それなのに、あたしは今、このひとと一緒にいない時間のほうが短いくらいに傍につきっきりになってる。 一年前には、そんな夢みたいなこと一生無いと思ってたのに。 今は当たり前みたいに、毎日この腕に抱きしめてもらえる。今の生活が、あたしにはいまだにふわふわした夢の中みたいだ。 関係が変わってからも、特別なことなんて何も言われたことはないけど。だけど。 ・・・・・いいんだよね。このまま傍にいても。 誰よりもこのひとに近いところにいられる。こうやって寝顔を眺められる。 目の前で投げ出されてる、この腕。この腕に触ったり、ちょっと調子に乗って、頭を乗せて腕枕も出来る。 一年前には叶わなかったことも出来る。一年前よりもずっとずっと、土方さんを大事に思える。もっと好きになっても許される。 そういう特権を貰ったんだと思っても・・・・・・・いいんだよね? ころん、と腕の上を転がって近寄って、畳に肘を着いて顔を上げる。 寝息もたてずに眠ってる土方さんの顔。目の前にある、ちっとも安らかそうじゃない寝顔を見下ろした。 「・・・土方、さん」 とくん。とくん。とくん。 こうして見てるだけで心臓が少しずつ早くなってるのが、なんだか気になる。 シャツの衿元をそっと握って、起こした身体を寄せていく。こんなにくっついたら心臓の音が聞こえないかな、と心配になった。 そう思う間も、さっきから心音を高鳴らせていた悪戯心が急かしてくる。どきどきしながら顔を近づけていった。 ゆっくり、ゆっくり。垂れてきた髪が落ちないように掻き上げながら、起きないように、ゆっくり。 唇に触れる手前で吐息がかかった。熱い。 ふ、と一瞬だけ触れて、すぐに離れて。それからもう一度。 起こさないようにそうっと触れた。どきどきしすぎて唇が震えそうになるから、ちょっと触れるだけにした。 口から漏れてくる息遣いがかあっと火照ってくるくらい心臓をどきどきさせながら、もう一度。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 ・・・なんだろ。変なの。すっごくいけないことをしてる気分になる。 眠ってるひとに勝手にキスしてる。 そこにはただ、そうしてみたかったって理由しかなくて、他には何も、考えらしいものがなくて。 お腹の奥のほうに湧いてくる火照った何かにまかせて、したいようにしているだけ。 仕事中なのに。まだ昼間なのに。一つ部屋を空けて向こうには近藤さんたちがいて、 楽しそうな笑い声が壁を通して、波音みたいにざわめいて聞こえるのに。 ああ、あたし、おかしい。身体も、心も、頭の中までおかしい。でも。 ・・・もっと。 ぼうっとして燃え上がりそうな熱い頭の中で、ぽつんとつぶやいた。 一度起き上がって、遠ざけた顔にまた近付いてみる。さっきと同じようにシャツの衿を握って、 髪を落とさないように抑えて、そっと、ゆっくり―― 「――!」 びっくりして背筋が震え上がった。声も出なかった。 唇に触れるだけのキスのはずが、深く埋もれるキスに変わった。変えられてしまった。 頭を後ろから抑えられてる。大きな手で胸板に押しつけられて、肩と背中は身動きもできない。土方さんの手だ。 「・・・・っ。ゃ、ん、・・・・ふ、」 入り込んできた土方さんは力の加減をしなかった。唇を隙間なく塞いで、熱い感触があたしの中を這い回る。 この容赦のなさ。何の予兆もなく急に始まるかんじ。どっちも身体が覚えてる。たまに夜中のお布団の中で起こる、あれと同じだ。 抱きしめられてる熱さで目が覚めたらもうキスが始まっていて、土方さんがあたしに圧し掛かってる。 口の中にも、体勢を変えてあたしを覆った身体からも、強くて眩暈のしそうな煙草の匂いが絡みついてくる。 わけがわからないままにこのひとに流されてしまって、「だめ」って拒んでも止めようがない。あの瞬間と、同じだ。 いつのまにか首に腕を回してしがみついていた。驚いていたこともいつのまにか忘れて、口内を荒らし回る熱を 受け止めるだけで精一杯になっていた。息が苦しい。だんだん呼吸が浅くなってきてる。 ちょっと離れようとしたら、ぐしゃっ、と後ろ頭で髪が鷲掴みにされた。硬く髪を握った手が頭を抑えて、逃げるな、って言ってる。 でも、もう息が出来ない。首を振って喘ぎながらシャツの衿を引っ張ると、髪を掴んだ手が力を抜いた。やっと離れてくれた。 「・・・・・・っ、・・・・は、・・・、ぁ、」 荒い呼吸を吐き出しながら、離れていく土方さんの顔を手で追った。 指先に力が入らない。でも触りたい。 何か言おうとして口を開いたら、視線が合った。起き抜けの細めた目は、鋭さがわずかに抜けている。 あたしの目をじいっと見ながら、起き上がりかけていた身体が降りてくる。畳に投げていた右手に ごつごつした硬い手のひらが重ねられて、唇をくっつけるだけの短いキスをされた。 身体が重なる。重たさに押し潰されて、土方さんの脚があたしの脚を割って絡まってきた。 熱い手が頬に触れる。感触を確かめるように一撫でして、畳に擦りつけてぐちゃぐちゃになった髪に移っていった。 嬉しくて思わず顔が緩んだ。うっとりしながら目を閉じる。今度のキスは優しかった。髪を撫でる手もさっきとは別人みたいだ。 このまま眠っちゃいたい。そう思った瞬間、 あたしの身体に施してくる甘い仕草とはまったく正反対な、甘さの欠片もない口調で現実に引き戻された。 「おい。もう二時間経ったのか」 「・・・・・・・・ま。まだ、・・・・・・・・あと、一時間、ある、・・・」 「そうか。・・・・・で。お前は」 いったい何をやってんだ、何を。 尋問でもしてるような低い声で言われた。目を開けると、そこにはこんな状況だというのに真顔で問い詰めてくる人が。 「てめえから人の寝込みにのこのこ寄って来るのか、最近の抱き枕は。いや、てえしたもんだ」 「・・・・・っっ」 頬をむにっと摘まれて「随分柔らけえ枕だな。手応えがねえ」とつまらなさそうに鼻で笑われた。 動けないあたしは足だけを思いきりじたばたさせた。顔が火を噴きそうだ。 恥ずかしすぎて何をどう言っていいのか、しかも何かこうプチッと切れたというか、恥ずかしさのあまり 頭の中の大事な部分まで壊れてしまったみたいで、必死に口をパクパクさせても呻き声すら出ない。 「何がちょっとだけ、だ?人目がねえと途端にサボりやがって。――いや。それにしても、お前、・・・」 なぜか途中で言葉を切り、あたしを物珍しい動物でも見るような、不思議そうな目つきで眺める。 かと思ったら、眉をひそめて黙り込んでしまった。なんだか複雑そうな顔だ。 「・・・・・・・え。な・・・・なに?」 「襲われるより襲うほうが趣味か」 「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!」 死にたくなった。ううん、正確に言うと、恥ずかしすぎてもう生きていたくない、 今すぐこの世から儚く消えてなくなってしまいたい、だ。耳元でこう叫んでやりたい。 『そんな顔で言うな!眠気も醒めてすっきりした、いつも通りに無表情で冷静な顔で言うなあァァァ!!』 ああもう恥ずかしすぎて土方さんの顔なんか見れないっっ。てゆうかもうやだ。 こんな平気な顔で、人の弱味をおろし金でジャカジャカとすり下ろすようなデリカシーのないひと、もう一生見てやんないっっ!! と怒鳴ってやりたい。だけど、ここで大声を出すと近藤さん達に聞こえるかもしれない。 叫ぶわけにもいかないから、あたしはうんと小さなひそひそ声で、顔を真っ赤にして泣きながら力一杯訴えた。 「・・・・・ひ。ひどぉいいい。ひどいよォォ!おっっ。起きてた、でしょ、最初っから起きてたんでしょ!?」 「?さあな。醒める間際に総悟の声らしいもんは聞こえたが・・・・ああ、そういや近藤さんも」 帰ってきたか。 ぼそっとつぶやくと、ふぁあああ、と欠伸をしながら土方さんは起き上がる。 光をたっぷり染み込ませた白い障子戸を眠たそうに目を伏せて眺め、真っ黒な前髪に手を入れて、頭をボリボリ掻いている。 「今ぁ何時だ?・・・・・・・・ぁあ。一時間経ってねーじゃねーか」 腕時計に視線を落として確かめると、何度か頭を振る。 さっきあたしが「あと一時間」と答えたのは覚えてなかったみたいだ。 まだ眠たいのかな。寝惚け気味な口調だったし、ああいう独り言を口に出すのも珍しい。 「」 「はっっ、はいィ!?」 「お前、今朝渡した勘定方の。あれァどうした」 「て、提出・・・して、きました、勘定方に。・・・さっき」 口籠りながら答えると、土方さんは、フン、と微かに口端を上げて笑った。 何か意味ありげな笑顔から慌てて顔を逸らして、あたしは起き上がって背を向けた。 胸をどきどきさせながら、もつれていた髪を梳いて整える。寝乱れて脚の付け根まで捲れ上がっていた 隊服のスカートにはっとして、裾を引っ掴んで下ろした。 こっちへ近付いてくる気配がする。スカートの裾を握って身体を硬くした。 どうしよう。まだ恥ずかしくて目が合わせられない。 「お前、机仕事は早くなったな」 「・・・へ?」 何の話ですか唐突に。 え。てゆうかこれ、もしかして誉められたの? 「あれァ俺は、一日懸りのつもりで渡したんだ。それが半日で終わった。他に急ぎの用向けもねえ。となると、時間は余るな」 「う。・・・・・・・うん。そう、・・・・だけど」 「てえことでだ。この際だから俺の仮眠を削ってお前を躾けておく。お前が人の寝込み狙ってまた妙な気ィ起こさねえようにな」 「!?」 ふっ。笑ったような吐息が首筋を掠める。 背中が温かくなってお腹に腕が回って、肩に手が置かれて、硬い指先が衿元に触れた。 と思ったら・・・衿の合わせ目から一番上のボタンをぴっと弾いて、あっというまに、するするっと入り込んできた! 「な、ななっひぅあ☆◎×△☆!!!?ちょっ!ひ、ひじか・・・た、さん!ゃあ、な、何、す・・・っ」 「あぁ?んなもん聞くまでもねーだろうが」 「だだっ、だって、かか仮眠は!?」 「バカ言え。こうも妙な起こし方されちまったんだ。二度寝なんざ出来るか」 「でででも、あと一時間、あ・・・・っ、やめ、ややや、な、その手っ、ひゃ、や、やだあばかっ」 暴れるあたしを土方さんが後ろから抑え込む。ほとんど羽交い締めだ。 それでも肘や腕で押して脚をバタつかせて、暴れるだけ無駄なんじゃないかと悔しくなりながら揉み合っているうちに スカートの裾から手が入り込んできた。その手が大胆にスカートを捲くり上げた。 露わになった下着は白のレース付き。横暴な手がそこに伸びていくところを目の前で見せつけられて 「!!!!」とあたしは絶句した。肩を抑えていた腕を全力で振り払って、がばっっ、と両手でスカートを抑える。 「ばかぁ変態ぃぃ!ひひひっ、昼間だよ!?すぐそこに近藤さんたちだっているのにいぃ!!!」 悔しいぃ!ほんとは泣きわめいてやりたいのに、ひそめた声でこそこそと怒鳴るしかないなんて。 泣きたい。マヌケすぎる。本来なら仕事中のはずだった上司の部屋で――執務室も兼ねた部屋で、 なんであたしはこんなに必死に抑えてるんだろう、パンツを!!ああ、なのになのに、怒れない。 いっそそこに転がってる刀で頭かち割ってやりたいってくらい真剣に怒ってるのに、顔は茹でダコみたいに 真っ赤だし、あんまり今の自分の格好が情けなくって勝手に涙が出てくるんだもん!! 涙をこらえて唇も肩もふるふるさせながら土方さんを睨みつける。ところが面の皮がタウンページ並みに 分厚い副長さまは、真昼間から上司に襲われてパンツ抑えて泣いている可哀そうな女の子に、何の憐れみも感じなかったらしい。 ぼそぼそっ、と、腹立たしいくらいにすっとぼけた無表情で命令した。 「邪魔すんな。おら、何もしやしねえからその手をどけろ」 「うそだああぁ!今っ、邪魔すんなって言ったじゃんんん!!いや!絶対いや!! 放した途端に脱がせるつもりだろぉぉぉ!!!」 「バーカ、何考えてんだ。そこまでするか。 真っ昼間の勤務中だぞ、いつ誰が入ってくるか判ったもんじゃねえってのに」 「・・・・・・・」 「ぁんだその目は。不満タラタラのぶすったれた面しやがって。お前、俺を信用してねえだろう」 「信用出来るかァァァ!!!!」 「ばっっ、叫ぶな!興奮してんじゃねえ!」 聞こえんだろうが!と目の色変えてあわてた土方さんに飛びつかれ、口を抑えられる。 身体ごとぶつかってこられた勢いで二人で畳にばたっと倒れて、ガキが、とあたしの上に跨ったひとが眉を吊り上げて唸った。 「どっっ。どいて、ください。ふざけるのも大概にしてください、し、仕事中、なん・・・だから」 「はっ、言いやがる。仕事中に男襲った奴が」 「そ・・・!そそ、そっちだって襲ってるじゃん!今!!」 それまでは仏頂面だった土方さんはうつむいて、突然、くっ、と吹き出した。下から覗きこんでみると、 口許を広げた手で覆って、可笑しそうに表情を和らげている。 その滅多に見れない優しげな顔を見ただけで、胸がかあっと火照って何も言えなくなった。 首まで真っ赤にして歯を食い縛るあたしが可笑しかったのかもしれない。 喉の奥で、くくっ、と笑いを噛み殺しながら近付いてきて、あたしの前髪を指先で掻き分ける。 広がったおでこに顔を寄せて、からかうようなくすぐったいキスを落とした。 ・・・悔しい。目の前にある喉がまだくつくつ言って震えてる。まだ笑ってる。 頭に来てぷいっと顔を逸らした。 ああ、このひとはこういうところがひどい。ずるい。 こんなことをされたらあたしは逆らえないだろうって、全部判った上でやってるんだもん。 「そこまでしねえから安心しろ」 「・・・・・っ、」 言えばいいのに。 こんな明るい時間に、こんな人気の近いところじゃ嫌だって。 もし誰か来たら。こんなところを見られたら。廊下からの物音や気配が気になって怖い。出来ない。だめだって言いたい。 何も難しいことじゃない。ここであたしが困った顔して「やめて」って頼めば、土方さんはたぶん引いてくれる。 本気で嫌がったことを無理強いするようなひとじゃない。しどろもどろな足りない説明でも、怖いって言えばちゃんと引いてくれる。 あたしが赤面して固まっちゃうような、困ったこともするけれど、本当はあたしよりずっと大人で余裕もあるから。 だからあたしはひとことだけ言えばいい。いやだ、って。蚊の鳴くような小さな声でも、たぶん聞き届けてくれる。・・・でも。 「」 「あ、・・・っ」 すこし強引に衿を割って、腕があたしの胸元から差し込まれた。伸びた手が隊服の奥へ入っていく。 胸元の第二ボタンが、ぱちん、と音をたてて外された。止める間もなく肩先まで服をずり下ろされる。 もうブラも肩も丸見えだ。閉め切って暖まっているはずの室温がひやりと肌を刺した。 とくん、と下着越しに触れられた胸が鳴る。 無言であたしを見下ろしている土方さんと目が合った。もう笑っていない。 目の色がさっきまでとは違っている。暗く影が落ちていて熱っぽい。 あ、と声を上げそうになった時には、もう組みついてきたひとに唇を塞がれていた。 ひらいていた唇を割り込んで土方さんが中に入ってくる。ふ、ぁ、と溜め息のような声が漏れた。 絡みついてくる呼吸が、舌先が熱い。口の中を焼きそうに熱い。苦しい。 胸の上を滑らせている手が強弱をつけて動く。膨らみをやんわりと握られるたびに、身体の中のどこか奥まったところが とろり、と緩んで蕩け落ちた。 「・・・しねーよ、これ以上は」 「・・・・・・・・・・・」 「返事しろ。・・・なぁ。判ったか、」 「・・・・・・・ん、・・・・」 恥ずかしいから横を向いて畳に目を逸らした。 甘えて鼻にかかった声で、返事にもなっていないような返事をした。 結局、いやだとは言えなかった。 言えなかったんじゃない。言わなかったんだ。だって、本気で嫌だなんて思ってない。 「ね。・・・・・っ。も、う、・・・・・・・・やぁ。だめ、っ」 黙って待ってみたけど、返事がない。このひとの癖だ。都合が悪くなるとすぐ黙っちゃう。 何が「これ以上はしない」なんだろう。これ以上ってどこまでなのか、ちゃんと訊いておけばよかった。 薄く開けた目で自分の胸元を見下ろしてみる。ひどい格好。執務中とは思えない格好にされてる。 ボタンを全部外された上着は、かろうじて腕を覆っているだけ。ブラはホックが外されてしまって、 その中に収まっていた胸は、ブラが外される前からずっとこのひとの手のひらや指の動きに弄ばれている。 スカートはお腹にたくし上げられていて、何の用も成していない。 今、あたしを見下ろしている土方さんの目線に晒されているそこは、白い薄布一枚で隠されているだけ。 土方さんはあたしの身体をさんざん「躾け」た。髪の先から順に、面倒くさくないのかなって思うくらいに いろんなところにキスをした。唇を這わせる間に手が服を剥いでいって、胸を揉みしだきながら先端を口に含んで、 馬鹿みたいに甲高い喘ぎ声を上げさせて、「バカ」と笑ってあたしの口を手で覆った。 キスで塞がれながら太腿を丹念に撫でられたら、下半身の強張りはみるみるうちに溶けてしまった。 指先を動かす力まで抜けてしまうくらいに、あたしをだらしなく蕩かしてしまった。 さっきからだめだって言ってるのに、膝ががくがくして立たなくなった脚を割った。あたしの腰を持ち上げて抱えた。 「――あ、・・・・・っ」 内腿を掴まれて開かれた脚の間に、真っ黒な頭が埋まっていくのが見える。 布一枚でしか覆われていないところに息を吹きかけられて、びくっと腰が震えた。 いやだ。恥ずかしい。唇が布に触れた。線に沿ってゆっくり舐められた。舌や唇の感触が熱い。 まだ触られていなかったところなのに、もうじっとりと濡れた布の感触が肌に貼りついてる。 びくびくと脚や背中が震える。何度も繰り返し舐められているところの奥も。 「ゃ、あん、・・・・だ、めえぇっ、ね、土方、さ・・・っっ」 「煩せぇ。・・・・・黙ってヤラれてろ、抱き枕」 やっと返ってきた返事がこれだなんて、ひどい。ちょっと悲しくなった。 なのに、お腹の底がきゅうっと縮んで腰が疼いた。 下着越しにしか触れられていないのに、身体はとっくに蕩けてる。息がすっかり上がってる。土方さんの息も荒くなってる。 これからどうなるかなんて決まってる。きっとあたしはこの先を拒めない。 だめ。止めなくちゃ。でも止め方がわからない。なんでわからないんだろう。それもわからない。 圧し掛かってくる重たい身体。土方さんの身体。この身体をどこか蹴飛ばせばいいのかな。だけど、もう手足に力が入らない。 きっとあたしたちは今、大事な何かを忘れちゃってる。 ううん、このまま離れたくなくて、二人で忘れたふりをしているのかもしれない。忘れちゃいけない何かを。 「、・・・・」 「ん、っ」 低くて強い声で呼ばれて、耳の奥まで甘く痺れる。薄暗い天井が迫ってくる顔で隠された。 脚の間に残された手が、ぐちゃぐちゃに乱れて蜜の溜まったところに指を捻じ込んで撫でている。 「っっ、んん・・・ぁ、ああ、ぃやあ、っっ」 蠢く指先から捏ねられる。そこからぞくっと走った快感に身体が強張る。反射的に閉じ合わせようとした太腿を 大きな手が力ずくで開いた。 ぼうっと薄れていく意識を必死に集めて、視界を黒く覆っている土方さんの髪越しに上を見上げた。 どうしよう。もう声が止まらない。溢れた涙で障子戸がゆらりと歪んで見える。 お昼には目を灼きそうにまぶしかった白が、なんとなく赤みを帯びてきていた。 今は何時なんだろう。こうしてもつれあっている間に何分経ったんだろう。わからない。 少しずつ、手の動きが深くなってる。布まで捻じ込んで弱いところを指先に突かれると、身体の奥が跳ね上がる。 そこが熱すぎて頭がぼうっとして、何もわからない。 「ん、っ、はぁ、・・・・・も・・・ぉっ、やぁっ、やめ、・・・!あぁっ」 「・・・・・・、、」 土方さんが頭を起こした。伸びてきた手があたしの頬に触れて、親指の先がじれったそうに肌をなじる。 そんな目で見ないで。そんな、もうどうしようもないって目で熱っぽい視線を注がれたら、身体が拒めない。 だけど。だめだよ。だって―― 「おーい、トシぃ。起きたのかー?」 その声と同時に、ガタン、と障子戸を揺らす音が鳴った。 この部屋じゃない。近藤さんの部屋の戸が開いたんだ。判っていても、びくん、と背筋が跳ねた。 土方さんが顔を上げて廊下のほうへ振り向く。ああ、うそ。どうしよう――

「 おおかみさんとひみつの小部屋(前編) 」 text by riliri Caramelization 2010/08/30/ -----------------------------------------------------------------------------------             next