ご主人さまと受難の日々 *2 笑顔は仕様、プライスレスですご主人さま
なぜ俺が。 あいつが折れるならともかく、どうして俺が先に折れてやらなきゃならねえんだ。 ・・・と、どこにもぶつけようがないイライラに肩を強張らせながら。 土方は見慣れた小さなアパートの前に、今にも怒鳴り出しそうな不機嫌顔で立っていた。 一週間前のあの悪ふざけ。バイト先のカフェで反抗的な態度に出て以来、は一度も彼の前に姿を見せていない。 毎日のように屯所へ顔を出していた女が、いきなり一週間の音信不通だ。 は何かに腹を立てている。他の誰かではなく、明らかに彼の、何かに。 しかし土方にしてみれば、なぜがあそこまで機嫌を損ねているのかがわからない。 いや、自分がに機嫌を損ねる理由なら事欠かない。それこそ日常茶飯事だ。だが、逆はない。ありえない。 あのフラフラと頼りない、人の気を揉ませるような真似ばかりするやつに、俺が機嫌を損ねられる理由がどこにある。 だがまあ、これから先を考えれば、あれを躾けるいい機会ともいえる。 この際だ。しばらくこのまま放置してやる。 どうせこの手の怒りは一過性。最初のうちこそ火がついたかのように燃え上がりはするが、長続きはしないはず。 数日も放っておけば音をあげて、向こうから半泣きで屯所に謝りに来るだろう。 早々に見切ってたかをくくった土方は、最初の二日ほどは「勝手にしろ」と息巻いていた。 …いたのだが。本人も達観したとおり、この手の怒りはたいして長続きしないものである。 会うこともないまま数日も経てば、自然と怒りの炎は勢いを弱めて消えていく。 そうなると、今度は妙に物足りない気分になってきた。 毎日のように屯所に来て「おかえりなさい」と出迎えてくれた女の笑顔が見れないことに、たまりかねてきたのだ。 仕方ねえ。今回だけは許してやる。あの悪ふざけにも目を瞑ってやろう。 と、惚れた女の顔が見たいばかりに、わずか一週間で音をあげ・・・・・、 あくまでも余裕のある大人の態度として自ら折れてやることに決めた土方は、ひさしぶりに彼女の携帯に電話してみたのだが。 その携帯が繋がらない。着信を無視されているのだ。 つまり。一週間で音をあげた土方と違って、はいまだに怒っているらしい。 怒りの炎はいまだ衰えを知らずに燃え盛っている…、ということなのだろう。 というような、人には言えないなんやかんやの経過を経て。 土方はこうしてのアパートの前に立っている。 アパートの塀の上でくつろいでいた野良猫が、ぞわっと毛並みを逆立てて一目散に逃げ出すほどの不機嫌顔で。 隊服姿の背中には「女に会いに来た」というよりは「大捕り物に出向く前」といったほうが相応しい 殺伐とした緊張感まで漂っている。 しかしまあ、実のところは、さっぱり姿を見せなくなった女の機嫌伺いに出向いただけでしかないのだが。 手には某百貨店で仕入れてきた、お気に入りのチョコレート。 甘味に目が無いのことだ。これにつられていくらか態度も変わるだろう。 そう思いながらいくらか楽観気味に中へ入り、一週間ぶりにと顔を合わせたのだが。 彼は無言で慄いた。巷では鬼の副長と恐れられる冷静沈着なはずの男が、女の家の玄関先で声もなく固まった。 「どうしたんですか土方さん。てゆーか何しにきやがったんですかぁ土方このヤロー」 突然やってきた彼を出迎えたは、予想に反して笑顔だった。が、その笑顔が実に異様だった。 いつもなら目にした土方の仏頂面まで自然と緩ませてしまうはずの、激務の疲れを癒してくれるはずのの笑顔が。 荒れ狂う怒りでガチガチに硬直している。例えるならばその表情は『笑いながら怒る人( ©竹◎直人)』。 しかもその背後には、ドス黒い怨念のブラックホールまで背負っているように見えるのだが。 ・・・・・・・いや。おそらく気のせいだろう。 「えー、もしかして中に入る気ですかぁ。呼ばれてもいないのに入る気ですか。 てゆーかどこまで面の皮が厚いんですかぁ。ふざっっっっけんじゃねーぞこの女ったらしいぃぃ」 笑顔の異様さにすっかり気勢を削がれ、いつもなら彼女が生意気を言い終わる前に繰り出す拳骨もすっかり忘れ。 とにかく彼は部屋に上がった、いつものように。 いつものように居間に居座ると、いつものようにお茶を差し出された。 ・・・いや、いつもの湯呑に入っているのだから、これはおそらくお茶のはずだ。 だが、そこに注がれているものはといえば、童話に出てくる魔女の家で煮えたぎっている鍋の中身のような ブクブクと泡を立てる禍々しい紫色の液体にしか見えないのだが。 ・・・・・・・いや。これもきっと疲れのせいだ。単に気のせいだろう。 額にじんわりと冷汗を浮かべ、湯呑の中のデストロイから目を逸らし。 とにかく彼は手土産を渡した、いつものように。 硬直させた笑顔を一秒たりとも絶やすことのないが、お礼の一言もなしにそれを開け始める。 「何ですかこれ。何のつもりですかぁ。やだなーもォ、なめてませんかぁあたしのこと。 てゆーかなめてますよね、どーせバカには甘いものでも与えておけば済むとか思ってるんでしょっっっ」 箱から一粒を取り出すと、は素早い動きでチョコを彼に押し込もうとした。 口に、ではない。目に、である。一発目はさすがの瞬発力で避けきった。 しかし予想外の早さでもう片方の目に抉りこまれた二発目までは防ぎようがなかった。 味だけに留まらず、見た目も美しい菓子というものは、芸術品に例えられることがままあるものだ。 菓子を目で味わう、というのは、その観点からいえば決しておかしなことではないのだろう、だが。 俺にそんな趣味はねえ。 険しくなるばかりの眉間をきつく抑えながら、彼は心中でつぶやいた。…誰か、気のせいだと言ってくれ。 「・・・・・・ってられるか。」 「は?」 「やってられるかあああァァァァ!!!」 唐突に、というべきか、それとも、ついに、というべきか。土方はブチ切れた。 テーブルを殴りつけ、それこそあのデストロイな湯呑をひっくり返しそうな剣幕で。 「いい加減にしろ!なんなんだテメエは!こっちが下手に出てやりゃあつけ上がりやがって!! つーかテメ、言ってみろ。ここまでしでかしやがったんだ。それなりに大層な理由くれえはあるんだろうな!? 俺を納得させられるだけの真っ当な文句があるなら、しっかり目ェ見て言ってみろ!」 土方に怒鳴られ、迫られたは顔色を失くして黙り込んだ。異様な笑顔もすっかり消えている。 数秒睨みあいになった後、それまでずっと強張っていた彼女の表情は突然ふにゃっと崩れた。 とたんに泣き顔に変わった。ぽろり、と涙が淡く色づいた頬を転がる。手元にあったチョコの箱に染み込んだ。 続いてまた透明な粒がひとしずく、それからまた、次のひとしずくが、ビー玉のように頬を転がり落ちていく。 潤んだ目で土方を見つめたまま、は叱られた子供のように細い声を震わせて泣き始めた。 泣かれる理由すら判らない土方が「このくれえで泣く奴があるか」と宥めてみても効果がなかった。 何かを訴えかけるような悲しげな表情で、じいっと彼を見つめている。 宥めようとするほどにか弱かった泣き声は大きくなるし、涙はポロポロとこぼれ続けるばかりだ。 ムッとした顔で黙り込むと、土方は諦め混じりの溜息をついた。 本人が口を割ろうとしないのだ。これでは反抗的な態度に出られる理由も、泣かれる理由も判らない。 しかも会うのは一週間ぶりだ。潤んだ目で言えない何かを訴えてくる無防備な泣き顔も、妙に新鮮で可愛かった。 これでは他に手の出しようが。・・・・・いや、他に手の施しようがないだろう。 即座に割り切った彼は、自分のしたいように振舞うことに決めた。 逃げられないように素早くを抱き寄せて、泣き声を漏らしている唇をあっという間に塞いでしまった。 それから手慣れた仕草での着物の衿を緩め、手慣れた仕草で押し倒し、それから、 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ * * * * * * * * * * お知らせ 「No.5」シリーズをお読みいただき、ありがとうございます。 ここから先、およそ一時間ほどの経過に、青少年のみなさまの視聴に際して著しく配慮に欠けた面がみられますので 誠に勝手ながら自主規制をかけさせて頂きます。 どうぞこの間、各自お好きな、清らかなイメージを想像してお楽しみください。 (参考例として:小学校理科の教科書掲載の「雄蕊と雌蕊の図解」などが相応しいかと思われます) 以上、お知らせでした。 * * * * * * * * * * ・・・・・・・・・・・・・・・ それから約一時間に及び、青少年の視聴にまったく相応しくない時間が経過。 その間泣き止まざるを得なかったは、閉じ込められた土方の腕の中で 火照った頬を膨らませて拗ねていた。 「・・・・放してください。てゆーか放せ!」 「フン。放してほしけりゃあ先にお前が話せ。 膨れる理由も言わねー奴の言うこたあ、聞いてやる気にならねーよ」 軽く鼻先で笑われ、相手にもされない。のうなじに唇を落とした土方は、満足そうにぎゅっと抱きしめてくる。 その腕を解く力も残っていない彼女は、赤く泣き腫らした目を悔しそうに細めた。 目元には、じわあっと新たな涙が滲み始めている。 「・・・・なによ。そんなこと言ったって、・・・・あたし。知ってるんだから。 もうやだっ。こんなの、もう最後にするっっ。今までみたいに都合よく騙されたりしないんだからっ」 「あァ?騙すだァ?・・・お前なぁ、いい加減にしろっつってんだろ。大体そりゃあ何の話だ?」 「ほらあ、騙してるじゃん!今もまた、そーやって騙そうとしてるんでしょ!? ・・・・ひどい。ひどいよ。土方さんの嘘つき。バカ。バカバカバカっっ、土方さんのバカああああ!!」 ふえぇぇぇん、と、悲しげな声が上がる。は高々と号泣し始めた。 泣きじゃくる女を苦い顔で眺めていた土方は、天井を見上げて溜息をついた。 結局何も解決してはいないのだ。話が振り出しに戻っただけである。 とにかくここは、手っ取り早くの口を割らせるのが先決だ。でなければ話が先に進まない。 仕方なく彼は、あまり彼らしくない手を使うことにした。 要するに、滅多に与えない「飴」を与えてみることにしたのだ。 の好きな老舗和菓子舗の菓子を買ってやる、とか、次の休みにどこかに連れてってやる、とか。 いつにない穏やかさでの耳に囁きながら、心の中では眉を顰めて「なぜ俺が」と諦め混じりの自問自答を繰り返し。 普段はここまで女の機嫌を取ることをしない男が、さんざん苦労して宥めすかしていると。ついには泣き止んだ。 そして一言だけ「だって」と、萎れた声で漏らした。 話せ、と促す土方を真っ赤な涙目で見上げて、こう言った。 「・・・・・だって。見ちゃったんだもん。土方さんのポケットの中の、・・・あれ」
「 ご主人さまと受難の日々 *2 」text by riliri Caramelization 2009/06/25/ ----------------------------------------------------------------------------------- next