――たとえば。市中の至るところで増殖している、小洒落た雰囲気が売りのカフェや甘味処。 たとえば、この百貨店でも年に幾度か開催されている女たちの激戦地、バーゲンセール。 ここへ移動する際に見掛けたリボンとレースとフリルと花柄で溢れ返っていた雑貨売場も然り、 同じくリボンやレースやフリルや花柄で占領されていた下着売場も然りだが、あそこもそういった 「男の居心地を最高に悪くさせる場所」の一つに違いねぇ。 ・・・・・・しかも。しかもだ。煙草が吸えねぇときてやがる。 そんな間の持たせようも無い場所で、一体俺にどんな面でどうしていろというのか。 「・・・・・・・・・・・・ちっ。 あのバカが電話さえ寄越さなきゃ、もう暫く上に居られたもんを・・・・・・」 せめて二、三本吸い終わった頃合いを見計らって寄越せってぇんだ。 不満と腹立ちに荒んだ目つきでぼそりと愚痴を吐き出すと、土方は手にした携帯を見下ろす。 しきりに細かく振動しながら着信を報せる画面には、またもや部下の名前が表示されていた。 これで五度目の着信だ。このしつこい着信のおかげで、「屋上の喫煙スペースで のんびりと紫煙を燻らせる」という、愛煙家にとってのささやかな充実を 味わうことすら叶わなかった。 山崎の奴、覚えてやがれ。連休明けは目一杯こき使ってやる。 本人が耳にすれば「そんなぁ、勘弁してくださいよぉぉ」と泣き言を漏らしそうなことを 心中でつぶやき、振動し続ける携帯を苦々しい表情で袂へ戻す。エレベーターで 階下へと降りた彼は、女性向けのファッションフロアを苦々しい表情のままどかどかと直進。 買物客の女性たちの熱い視線を振り切りながら、ほんの十五分前にも訪れた店の敷居を再び跨いだ。 なんとなしに見上げた天井を輝かせているのは、きらきらと目に眩しいクリスタル製の照明たち。 壁面の飾り棚には、美しくディスプレイされた色とりどりの高級反物。 鮮やかな配色が目立つ帯や小物。巧緻な細工のアクセサリー。 華やかな着物姿で居並ぶマネキンと、ファッション誌から抜け出したかのような店員たちに、 彼女たちに負けず劣らずの装いで訪れる客の女たち。そんな彼女たちを 映し出す壁一面の姿見の前には、藤色の外套を試着した白髪の老婦人が一人。 少し離れて隣には、金糸銀糸を織り込んだ豪奢な着物に袖を通した若い娘が。 どちらも正面を向いたり横を向いたり、鏡に映る自分の姿をくまなく確かめるのに余念がない。 もっとも、あの老女と娘が特別に熱心というわけでもないだろう。 売場中に視線を巡らせてみれば、目に入るのは自分をより美しく見せてくれる とっておきの一枚を見極めようと、時間も忘れて品定めに励む女の姿が殆どだ。 ・・・ただし、中には着物も帯もそっちのけのうっとりした表情を浮かべて 土方を目で追う姿もあって、彼が店内を進むにつれて徐々にその数は増えていく。 おかげで土方の居辛さも歩を進めるほどに増していき、黒い前髪の下で眉をやや吊り上げた顔は あからさまに憮然とした面持ちになっていく。自から足を運んだ場だというにも関わらず、 彼はこの煌びやかな女の園に戻ってきてしまったことを早くも後悔し始めていた。 ――世話になっている豪邸からは、車で30分ほど。 屯所からもそう遠くない街の中心地に建ち、これまで何度か出入りしたことがある老舗の有名百貨店。 その高層階に暖簾を掲げているのが、女性向けの着物や装飾品を扱うこの高級呉服屋である。 女性の服飾品が専門の店だけあって、どこを見回しても店内は女の姿だらけ。 男の姿はといえば――中央の巨大なガラスケース前に居る、あれ一人か。 髪飾りや簪を眺める女の横で所在なさげに携帯を弄る中年男の動向を 土方がそれとなく確かめていると、店の奥から携帯を耳に当てた人物が 黒のワンピースの裾をふわふわと躍らせながら近づいてくる。 そいつの姿を認めた途端に何とも言い難い気分になり、彼は眉間を押さえ顔を背けた。 ・・・いや違う。そうじゃねぇ。違和感が無さすぎる化けっぷりのせいで 見過ごしかけたが、あのおっさんと俺以外にも男はもう一人いたんだった。 「あぁやっと戻ってきた、副ちょ・・・じゃなかった、若旦那様」 そう呼んで土方を出迎えたのは、至って地味な顔立ちの地味なメイド――にしか見えないのだが、 そんなメイドの正体はといえば、今回の作戦内容に合わせて女に扮した山崎だ。 ちなみにメイドのエプロンドレスは昨晩が身に着けていたのと同じものだが、 土方の目には似ても似つかない、全くの別物にしか見えなかった。 が身に着けているのであれば、背中で結んだ長めなリボンは さながら天使の羽のようだったし、純白のフリルを翻しながら笑顔で駆け寄ってくる様は、 思わず抱きしめそうになるほど愛らしかったが―― 眉をひそめた土方は、近づいてくる地味なメイドを醒めきった目つきで眺める。 ・・・衣装ってのは、見る側の心持ち次第でこうも違って見えるもんか。 こいつがと同じもんを着たところで、俺の目にはただの白い布としか認識出来ねぇし 何の感想も浮かばねぇ。 「どこまで行ってたんですか、支払いだけ済ませていなくなるから店員さんが探してましたよ」 「これ以上近づいてくんじゃねぇ」 「は?」 「気味が悪りぃんだよてめえの女装は。違和感ってやつが無さすぎだ」 「ちょ、なんすかそれ、ひどくないですか。 そもそも俺に女装の任務を命じてんのはあんたでしょうが」 小声で話しかけながら追い払うようにして手を振れば、理不尽な文句をつけられたメイドが 不満そうに反論してくる。しかし土方が「おい、あれはどうした」と周囲を見回し尋ねると、 メイドはすぐに表情を変え、「あちらです」と彼を店の奥へと先導していった。 支払いカウンターのすぐ傍に3つほど並ぶ、深紅のドレープカーテンで丸く覆われた試着室。 あの中のどれかで、連れてきた女が身支度を済ませているはずだ。左端の試着室の前には 派手なミニ丈の着物をセンス良く着こなしたモデル風の店員が佇んでおり、 土方と目が合うと愛想よく微笑む。試着室へも何やら声を掛けてから、 颯爽とした足取りで彼等の前へ進み出てきた。 「お待たせいたしました、土方さま。 奥さまのお支度が整いましたので、ご確認をお願いいたします」 声を掛けてきた店員に、ああ、と土方は鷹揚に頷く。彼から一歩離れた位置に 頭を下げて控えていた、山崎の前を通り過ぎた。土方が通り過ぎるのを待って 頭を上げたメイドが、主に随従するようにしてその後に続く。 豪邸でも演じていた、若き資産家とその使用人という役柄に沿った演技だ。 「奥さま、ご主人さまがお戻りになられました。開けてもよろしいでしょうか」 案内役の店員が深紅のカーテン越しに呼びかけると、 「・・・〜〜は!?ごしゅっっっ!!?・・・っは、はひいぃっっ、だいじょぶ、れすっ」 恭しく接してくる店員の口調や「奥さま」などという呼ばれ方、 さらには店員が口にした「ご主人」という存在。そのすべてに慣れていない彼女は、 ひどく動揺したのだろう。やや間を置いてから返ってきた返事は声が甲高くひっくり返っていて、 噛みまくりな口調からも戸惑いや恥じらいが滲み出ていてた。 「失礼いたします」 店員の手によってほんの少しだけ引かれたカーテンから、ほんのりと頬を染めた女が顔だけを見せた。 猫のそれにも似た吊り上がり気味な目は土方と視線を合わせようとせず、 やたらにぱちぱちと早い瞬きばかり繰り返している。 白く細い指がカーテンの端をきゅっと握りしめていて、そんな子供っぽい仕草からも、 そわそわと落ち着かなさそうなの心情が垣間見えた。 「・・・ひ。土方さぁん。・・・・・・見てもがっかりしない?」 「あぁ?」 「だってこれ、なんていうか・・・変じゃないかなぁ、って・・・」 「――まぁ、お気に召しませんでしたか。大変申し訳ございません。 こちらは当店の最新作で、お客様からの人気も高いのですが・・・」 済まなさそうに眉を曇らせ、店員が深々と頭を下げる。 ところが言われた側の女は、「・・・は?」と人並み外れて大きな瞳を丸く見開き、 ぽかんとした表情で店員を見つめていた。なぜ店員が謝ってきたのかも、 なぜ頭を下げられたのかも、さっぱり理解出来ない、といった顔だ。 そして――不思議そうにちょこんと首を傾げてから、数秒後。 自分の発言を店員がどう受け取ったかに、はやっと気付いたらしい。 「あっ、あああ!ちがっ違うんですごめんなさいっ」とあわてふためき頭を下げる。 しかも、店員のそれよりも深々と。資産家の妻らしくもなく、何度も何度もぺこぺこと。 そんな「腰が低すぎる資産家夫人」の態度に店員がおろおろと狼狽え始め、 その様子を目の当たりにした土方は、頭痛でもこらえているかのような顔で眉間を抑える。 さらに彼の背後では、山崎が困ったような苦笑いにぴくぴくと顔全体を引きつらせていた。 「ぉ、奥さまそんな、どうかお顔をお上げくださいっ。お好みに沿うものを ご用意出来なかった私共の不手際ですので、すぐに他のお品物を・・・!」 「違うんですっ、この着物が変で気に入らないとか、そういう意味じゃないんですっ。 むしろすっっごく素敵なんですけどっ、その素敵な着物を着たあたしが変だって話で!」 「・・・は、はぁ・・・?」 「だってだって、こんな大人っぽい着物これまで一度も着たことないし・・・ だから着物と不釣り合いっていうか、ぜんぜん似合ってなくて・・・!」 右に左に身体をくねらせ、艶めいた深紅のカーテンに自ら巻きつくようにして がもじもじと言い訳を続ける。ぶんぶんと振りまくっている頭以外を すっぽりと布に覆われた姿は、誰がどう見たところで上流階級の奥方だとは思うまい。 精々が店に紛れ込んだ子供が試着室でカーテンと戯れていると思うか、 もしくは巨大な深紅の蓑虫が紛れ込んだと思うくらいか。 そんなことを考えてこめかみに青筋を浮かべつつ、土方が前へ進み出る。がしっ、と女の手を掴み、 「手間ぁ取らせんじゃねぇ、さっさと出てきやがれ」 「で、でもぉ」 「いいから見せてみろ。話はそれからだ」 「ちょっ、ゃ、引っ張らないでくださ・・・っぎゃあああ!」 そのままぐいと試着室から引きずり出されそうになり、は甲高い悲鳴を上げる。 カーテンに必死で縋りつきどうにか逆らおうとしてみたが、ちっ、と舌打ちした土方に 彼女の抵抗を軽く上回る、圧倒的な腕力を発揮されてしまった。 おかげで足は前へ前へとたたらを踏み、レース模様の足袋の爪先で着物の裾を踏みつけてしまう。 ――そう、この裾。足の甲までを覆い隠す、この裾の長さだ。 洗練された大人っぽいデザインに加えて、この裾の長さも彼女にとっては問題だった。 なにしろ普段は短い丈の着物ばかり着ているし、普段は感じない窮屈さに 膝から下の動きを奪われ、ほんの一歩踏み出すだけでも思うようにいかない。 いつも着ているミニ丈なら、もっと自由に動けるのに・・・! なんてことを思いながらあわあわと焦っていた彼女の腕が、さらにぐいっと引っ張られる。 おかげで試着室とフロアのわずかな段差を踏み外し、ぐらり、と身体が前のめりに。 きゃあ、と二度目の悲鳴を上げたは深紅のカーテンに縋りつこうとしたが、 それより先に伸びてきた男の腕に腰を抱かれた。 ぽふ、と軽い音を立て、目前まで迫っていた黒い羽織に頬が埋もれる。 たちまちに身体を包み込んだ煙草の香りと高めな体温にどきりと心臓を震わせた時には、 土方に縋りつくような格好で抱き留められていた。 「〜〜〜っっ。も、もぅ、土方さんが無理に、引っ張るから・・・!」 腰を抱え込んで離そうとしない腕の中で顔を赤らめ、もぞもぞとは身じろぎした。 恥ずかしさで全身が火照っていく感覚に困りながらも、土方と顔を合わせようとする。 けれど、気まずくてたまらない。カーテンに縋りつくつもりが土方の胸に 飛び込んでしまってからというもの、自分を抱き留めている男はひたすらに黙りこくったままだ。 ・・・どうしよう。やっちゃった。こんな高級ブランド店で大声を上げて、 土方さんにも大恥をかかせてしまった。もう呆れて物を言う気にもなれないって 思ってるのかも。ずしりと頭上から圧し掛かってくるような無言の重圧にも怯えたは、 おそるおそる顔を上げる。ところが土方と目が合った途端、そんな彼女の心配は 宇宙の彼方まで吹き飛んでしまった。彼がこちらを覗き込むようにして顔を近づけていて、 しかも普段から開きがちな瞳孔をうんと見開き、唖然としたような顔つきで自分を凝視していたからだ。 「・・・ぇ。えぇえ・・・??ひ。ひじか、た、さ・・・・・・?」 「・・・・・・」 ただでさえ鋭い双眸を見開いたために目つきに迫力を増した男が、まるで言葉を失ったかのように 呆然とこちらを凝視している。鬼の副長と呼ばれる彼がここまでの呆然自失に陥っているところは、 部下として常に行動を共にしていた頃から殆ど目にしたことがなかった。 試しに土方の目前でひらひらと手を振ってみたが、全く、何の反応もない。 「ど・・・どうしちゃったんですかぁ・・・?」 こわごわと掴んだ羽織の袖をくいと引っ張り、弱りきった声で尋ねてみる。 しかし、やはり返事はない。こんな至近距離にいるというのに、 土方の耳にはの声がまったく届いていないらしい。 視線はに固定させたまま、まるで彫像か何かのようにびくりとも動かなくなってしまった。 やがて試着室周辺から「ねぇあれ、ちょっと…」「大胆ねぇ」などといった、 ひそひそとさざめくような女性たちの声が響き出す。 入店と同時で彼女たちの視線を浚い、その動向が注目されていたイケメンが 白昼堂々女を抱き寄せ、互いに見つめ合っているのだ。相手の女であるの容色が どれほどのものかも、観客と化した女性たちにとっては気になるところだったのかもしれない。 の背中に突き刺さるような視線の数は増え続け、しまいには店中の注目が 二人のほうへ集まってしまった。耳までかーっと茹で上がったは、 とにかくこの恥ずかしい状況を打破しようと羽織の袖を引っ掴む。 未だに目を剥いている男のかちんと固まった腕を揺さぶり、じたばたと身体を捩りながら、 沸騰しかけていた脳内を必死でフル回転させて―― 「〜〜〜っっぇ、えぇっと、えっと・・・!もしかして、ぁ、呆れてる? 呆れすぎて言葉も出なかったとか?あたしがぜんぜん、似合ってないから・・・!」 咄嗟に思い浮かべたことを半ば叫ぶようにして問いかければ、土方ははっとしたような表情になる。 やがてきまり悪そうに眉間をきつく顰めると、の腰から手を離す。 その手はすぐさま頭の後ろへと伸びていき、がしがしとわしわしと、 まるで自棄になっているかのような荒い仕草で黒髪をひたすらに掻き乱し始めた。 日頃はあまり感情を浮かべることがない男の口許は、やけに悔しげに噛みしめられている。 そんな彼の口からやや間を置いて返ってきた返事は、常に冷静沈着な鬼の副長とは思えないような、 これまたきまり悪そうな声色だった。 「・・・・・・ぁ。呆れてねぇ。つーか叫ぶな」 「じゃあどーして睨んでたんですかぁぁ」 「・・・。別に睨んだ覚えはねぇ」 「うそー睨んでましたよー、今にも刀抜きそうな怖い顔してずーーーーっと睨みつけてましたよー。 まぁこの格好が似合ってなくて変なのはあたしも認めますけど、何も睨むことないのにぃ・・・」 「いやいや違うってさ・・・じゃなくて、違いますよ若奥さま。 若奥さまはどこも変じゃありません、むしろすごく似合ってるし綺麗だから 若旦那さまは見惚れて言葉が出な――んがっっ!」 ごっっっっっっっ。 ぎろり、と眼光も凄まじくメイドを睨みつけた土方が腕を振り上げ、 白いカチューシャのような髪飾りを付けた頭に全力で拳を激突させる。 呻いたメイドはどっと床に崩れ落ち、殴られた頭を抱え込んで悶絶しつつ 「いってぇえええええ!!」と喚き散らしていた。 ・・・喚き散らしてぇのはこっちだ、この野郎。人が呆気に取られてる隙に 余計な解説入れやがって。存在感の無さを生かした潜入任務の上手さのみならず、 人の意を汲み取るのがやたらと上手いあたりにも重宝しているこの監察だが、 こういう時ぁ汲み取ったもんをぺらぺらと口に出すなってぇんだ・・・! 「〜〜ぇ、ええ本当に!メイドさんが仰ったとおりで、とてもよくお似合いですっ」 「そ・・・そうですかぁ・・・?」 「はい!帯や裾の色合いがお肌の白さに映えてますし、奥さまの可愛らしい雰囲気が引き立って・・・」 床に転がった山崎が激痛にもがき苦しんでいる間に、なんとか気を取り直したらしい。 まだ表情にも口調にもぎこちなさが残る店員が、それでも笑顔での姿を褒め称える。 それから土方へと向き直り、「菊永さまのお見立てどおりですね」と話を向けてきた。 内心では戸惑いはしたものの、ああ、と土方は無愛想に頷く。まだ動揺が残る心中を あまり見抜かれたくなかった彼は、再びをあれこれと褒めちぎり始めた店員の影から 着飾った女を流し見た。 ――すんなりと伸びた脚線を覆い尽くす丈の、上品で清楚な白地の着物。 胸元から裾にかけて咲き誇るのは、珊瑚色の乙女椿。赤や薄紅の梅や桜に、 水色や萌黄色、海老茶などで描かれた雪華紋様もあしらわれている。 帯と膝下あたりからは紅葉した木々のような深い赤で彩られており、 さっき店員が言っていたとおりに、淡い色をしたの素肌によく映えていて美しかった。 土方にこの店を紹介し、「ついでだからあたしがコーディネートしてあげましょうか」と 着物の見立ても引き受けてくれた世話好きな女は、の親しい友人だけあって、 彼女に最も似合う組み合わせを選び抜いてくれたようだ。 「・・・・・・まぁ、いいんじゃねぇか。お前にしちゃあ上出来だ」 「え」 と店員に背を向けたまま、小声でぼそりとつぶやいた。 すると彼の背後から、驚きに満ちた女の声が上がる。 その声にはっとした土方は、ぐっと喉を詰まらせた。 気まずさに顔を強張らせながら肩越しに背後を見遣ってみれば、 たちまちにと目が合ってしまう。大きな瞳は濡れたような光を放ち、 淡い期待の色を浮かべてじっと彼だけを見つめていた。 そんな彼女の可愛らしい表情はこれまで何度も目にしていたが、 困ったことに何度目にしても慣れる気がしなかった。何度目にしようと どきりと心臓が弾んでしまい、まるで初めて女に惚れたガキのような気分になってしまう。 またもやに見惚れそうになっている迂闊な自分に歯噛みしながら、 土方は不自然なほどの速さで仏頂面を被り直す。 羽織の内で手持無沙汰に泳がせていた手を伸ばし、ぽん、との頭を叩いた。 「こっちばっか見んじゃねぇ」と心の中で念じつつ、片手に納まる小さな頭をぐいぐいと手荒く押し返す。 「いや。その。あれだ、勘違いすんな。いつものガキくせぇ格好に比べりゃ、ってぇ話だ」 「・・・っ。な、なにそれぇ・・・土方さんは余計なひとことが多いんですよっ。 いっつもあたしががっかりするよーなひとこと付け足すんだからぁっ」 赤らめた頬を膨らませながら文句をつけてきたに、手の甲をぱちんと引っ叩かれる。 だが、女は存外に彼の言葉を喜んでいるらしい。 ほんの一瞬だけ盗み見た顔は深めにうつむき、土方と目を合わせようとはしなかったが、 さっきまでは不服そうに尖っていた唇は嬉しくてたまらなさそうに綻んでいた。 そのうちは何を思ったのか、彼の羽織の二の腕あたりを遠慮がちに掴む。 踵を上げて背伸びをすると、内緒話でもするかのように彼の耳に唇を寄せて、 「でも、これじゃあぜんぜん動けませんよー。 これじゃあいざって時に回し蹴りも膝蹴りも飛び蹴りもできませんよー」 「・・・お前なぁ。どこの世界に、何かってぇと足技繰り出してくる資産家の奥方がいると思ってんだ」 「それにもったいないですよー。たった2日間お芝居するだけなのに、着物買ってもらうなんて」 土方さん、指輪も買ってくれたのに。 ぽつりと小声で漏らしたは、左手で光る銀色を見つめた。 ついで新品の着物を見回し、申し訳なさそうに眉を曇らせる。 そんな彼女を見下ろした土方は、ふ、と湧いた苦笑に口許を緩めた。 「借り物が濡れちまったんだ、仕方ねぇだろ。 まぁ、お前が風呂に入ってこなけりゃ買う必要もなかったがな」 「えぇー、あたしのせいみたいに言わないでくださいよー。 着物濡らしたの土方さんじゃないですかぁ、人をお風呂に引きずり込んだじゃないですかぁ。 何だったんですかぁ朝のあれ、ほんとにびっくりしましたよー」 「行きがけの車ん中でも言っただろうが。あれぁ寝惚けてやっちまっただけだ」 ――まったく、今朝はあの薬のせいで散々な目に遭わされた。 つい数時間前の馬鹿げた光景を脳裏に思い浮かべた彼は、 うんざりしきった表情でまばゆく光る天井を仰ぐ。 完全に意識が覚醒したのは、を浴槽に引き込んでしまってから。 「いやあぁぁぁ!着物が着物が着物があぁぁ!!」と泣き叫ぶ女に がつんと目一杯顎を抉られ、頭に突き抜ける衝撃と痛みで我に返った瞬間だった。 それ以前のことはよく覚えていない。が浴室に飛び込んできたあたりから うっすらと記憶はあるものの、まだ夢の中にいるような気分で女の話に付き合っていたのだ。 それもこれも、総悟が昨晩置いていったあれのせいだ。 まあ、寝惚けたおかげで借り物の着物がずぶ濡れになり、それを口実として この店へと連れ出せたあたりは、却って好都合だったといえなくもないが―― 「・・・ったく、前のもんより効き目が長げぇならそう書いとけってんだ藪医者ジジイ・・・」 「?藪医者ジジイって誰のことですかぁ。あー、ひょっとして松本先生? ちょっとひどくないですかぁ、お世話になってる先生にジジイだなんて。 今度先生に会ったら告げ口しよーっと、先生のこと妖怪藪医者子泣きジジイって呼んでましたよって」 「待てコラ。誰も子泣きジジイとまでは言ってねぇだろうが」 ったく、と呆れたようにつぶやいた土方が、ぱし、との頭を叩く。 かと思えばその手を前髪へと滑らせ、子供をあやすような甘い手つきが髪をゆっくり撫でつけ始めた。 途端にかーっと赤面したはもじもじとうつむき、 着物の袖端を両手にぎゅっと握り締めながら、うぅぅ、と唇を噛みしめて唸る。 髪の内側まで潜ってくる指の熱に胸を高鳴らせながら隣の男を見上げてみたが、 女慣れしている土方にとっては、この程度の戯れは意識するほどのことでもないらしい。 涼しげに切れ上がった双眸は憎たらしいほど平然としていて、帯や帯締め、帯揚げなどが 色とりどりに並ぶ壁際の飾り棚を眺めていた。 ・・・ああ、またこれだ。付き合う以前から困らされていたし、 未だに困ってしまうけど――土方さんって罪作りだなぁと思わされるのはこういう時だ。 どこへ行ってもモテまくりで女の扱いにも慣れているこのひとは、 女の子がどきっとせずにいられないようなタイミングで、しかも何の気なしに触れてくる。 この悪い癖に勘違いさせられて土方さんに熱を上げてしまった不憫な女の子が、一体何人くらいたことか。 少なめに見積もったって数十人は下らないはずだ。現にあたしも、まるで猫でも構うような この手つきには数えきれないくらいどきどきさせられてきたし。 「とにかくだ、こいつも指輪と同じで今回の駄賃みてぇなもんだ。 気に入らねぇなら後で突き返せばいい。気に入ったんなら遠慮せずに取っとけ」 照明を浴びて光り輝く中央のショーケースに目を向けつつ、土方は淡々と言い聞かせた。 すると彼の胸の高さあたりから女の小さな溜め息が響いて、 「・・・どーしちゃったんですかぁ、土方さん」 「あぁ?」 ふわりと触れてきたやわらかな感触が、土方の右手を包み込む。 ふと見下ろせば彼の手はいつの間にかの頭の上に乗せられていて、 頬を染めた女の子供のような膨れっ面に、その手の影から睨みつけられていた。 「指輪だけでもびっくりしたのに何なんですかぁ、仕事のしすぎで頭おかしくなってませんかぁ」 「頭の具合が年中おかしいてめえに言われる筋合いはねぇ」 「だって心配になるじゃないですかぁ。 大金叩いて買うのは刀くらいな人が、昨日からお金遣いすぎだもん」 「・・・・・・」 「それに任務はもう終了でしょ。あたしが着飾る必要なくないですかぁ」 「それも車ん中で説明しただろうが。掃討作戦は終了したが、任務はまだ続行中だ。 屋敷に滞在する明日の夜までは予定通りに行動しろ、いいな」 「それはもちろん、予定通りにしますけどー。でも土方さん今日からお休みだし、 昨日みたいに誰かの前で奥さまのふりする機会もなさそうだし。 それなら安い着物でじゅうぶんですよー」 二階にはあたしでも買えるくらいのお店があるんです、そっちでいいじゃないですかぁ。 不満そうに唇を尖らせたが、店員の耳に入らないよう小声で彼にささやいてくる。 彼女の頭に置かれたままだった土方の手を取り店の入口へと向き直ると、 試着室前からも見える階下行きのエスカレーターを指し示してみせた。 「ねぇ行きましょうよー二階のお店、あそこにも可愛いのいっぱいあるんですよー。 ついでに同じ階のカフェでちゃんにケーキとかパフェとか奢ってくれてもいいんですよー」 「ざっけんな、甘味ならさっきも食わせただろうがここの上で。 つーかあれだ、設定を考えろっつってんだろ。資産家の奥方が庶民向けの安物の店なんざ入るかよ」 「でもこのお店、ほんとにお高いんですよー。 小菊姐さんに付き合って何度か入ったことはあるけど、あたしのお給料じゃ足袋すら買えなかったもん」 百貨店の上階といえば、高級なブランドショップが並ぶもの。 この老舗デパートの高層階も例に漏れることなく、江戸でも屈指の有名店をひしめかせていた。 そのうちの一つであるこの呉服屋はの友人の行きつけで、 彼女の買い物に付き合った際に何度か暖簾を潜っている。 だから近くの飾り棚に美しく納まっている反物や帯の金額に目を剥いてしまった ことが何度もあるし、着物一式を買い上げた友人が数十万単位の 支払いを済ませるところを目撃し、仰天してしまった覚えだってある。 当の友人は職業柄もあって高額な買い物に慣れていて、 「ここはまだお安いほうよ、本店に行けば百万単位の反物や帯ばっかりだしね」と 笑いながら会計を済ませていたが。そんな話を土方に語れば、 「安心しろ、そこまでの大枚叩く気はねぇよ。 あの芸妓も、こっちの財布に見合ったもんを見立ててくれたようだしな」 「えっ」 「お前が着てるそいつは、その小菊姐さんの見立てだ。 店を紹介してもらうついでに、適当なもんを見立てて貰った」 が姉のように慕う世話好きな芸妓の名を出せば、人並み外れて大きな瞳が ぽかんと最大限に見開かれた。最初のうちは不思議そうな色を浮かべてぱちぱちと瞬きを 繰り返していたその目が、やがて猜疑心をありありと浮かべた疑いの眼へと変わっていき―― 「・・・やっぱり変。変ですよー」 「まだ言う気か。 言っとくが、そいつはてめえが思うほど分不相応には見えねぇぞ」 「着物の話じゃありません、土方さんが変だって話ですよー。 どういうことですかぁ、小菊姐さんに見立ててもらったって」 だっておかしいじゃないですかぁ、とは唇を尖らせる。 両手で掴んだままにしていた男の手を左右に意味なく振り回しながら、 「あたしがお風呂に落ちて、栗子さんの着物がずぶ濡れになっちゃったのは今朝ですよ今朝。 なのになにそれ、おかしいですよー。 姐さんにお店紹介してもらって、着物見立ててもらって、って・・・ それって、土方さんがもっと前からあたしの着物を買うつもりだったってことでしょ」 「・・・・・・」 背伸びで視線を合わせてきた女と眉一つ動かさない無表情で見つめ合った後、 彼は何事もなかったかのように顔を逸らした。そんな見るからに怪しい態度を、 つかず離れず土方の傍にいた「元カノ」が黙って見逃すわけもない。 「あれっ無視?無視ですかぁ?もう都合悪くなるとすぐそーやって黙っちゃうんだからぁ」 ぶちぶちと文句を垂れつつ、女は上目遣いに睨んでくる。眉を吊り上げた表情から察するに、 それなりに怒ってはいるようだ。感情が手に取るように判ってしまう表情の素直さや、 土方の手をぶんぶんと左右に振り続ける仕草を見れば、年端のいかない幼女に 駄々を捏ねられているような気にしかなれなかったが―― ――しまった、つい口が滑っちまった。 拗ねる女の甲高い声を素知らぬふりで聞き流しながら、土方は心中で迂闊だったと肩を竦める。 睡眠時間が短いせいか、昨夜の薬が効きすぎたのか。はたまた、 久々の非番で気が緩んでいるのか。原因なんざ知れねぇが、 今日の俺の頭の螺子はどこかが外れたままらしい。 「けっ。相も変わらずどうでもいいことだけ勘付きやがる」 「ちょ、今何か言いましたよね。聞こえなかったけど悪口でしょ、あたしの悪口っ」 「言ってねぇ。気のせいだ」 「違いますー気のせいじゃないですー、なんかじとーっとこっち見てたしすっごくバカにしきった顔してたもんっっ」 「フン、これのどこがおかしい、どこもおかしかねぇだろうが。 新婚の男が着物を嫁に買い与えて、自分好みに着飾らせようってだけだぞ。どこが変だ」 「ほらぁ、やっぱり変じゃないですかぁー。 まぁらぶらぶな新婚さんはそういうものかもしれませんけどー、土方さんの口から嫁とか自分好みとか そーいう発言が出るのがおかしいしありえないしとにかく変で・・・・・・・・・・・・・」 途中で言葉を途切れさせたが、え、と小さな声を漏らす。 「・・・ょ、め・・・?・・・・・・自分、好み・・・?」 「ああ。そういうもんなんだろ、新婚夫婦ってぇのは」 「・・・・・・しんこ・・・」 目も口もぽかんと間抜けに開ききった顔は、何かこれまで見たこともないものでも 前にしているかのような驚きの表情で彼を暫く見つめていた。 そんな女を眺めていれば、ついついからかってみたくなる。 右手を包み込んでいた華奢な手を平然と掴み直した彼は、 どうなんだ、と彼女に目で問いかけ、互いの指と指を絡め合わせた。 皮膚の硬い男の指先が、やんわりとした力を籠めつつ細い指の根元を撫でる。 そこに嵌められているのは、土方に贈られたあのエンゲージリングだ。 彼が何を言おうとしているかに気付いたが、ぼんっっ、と爆発するような勢いで顔中を真っ赤に染め上げて、 「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ!!?」 ばっっっ。 猛然と土方の手を振り払ったが、空の試着室へ突進する。 まるでプールにでも飛び込むようなポーズでダイブ、 ばたっとうつぶせに倒れ込めば、彼女の巻き起こした風圧が 深紅のカーテンをぱあぁっと舞わせる。金色のカーテンレールがさーっと流れ、 半円形の洒落た試着室は自動的に閉じられた。 「〜〜〜っっっよょよよょ嫁ってっっぅぁうゃぅぇええええ」 腰から下だけをカーテンの外へはみ出させた状態になった女が、、 ぃやぁああああああ!だのひぁあああああああ!!だのと恥ずかしさに悶絶しながら じたばたと足を暴れさせる。その格好は、昨日の夕刻、土方が屋敷の主寝室で 目にした彼女と寸分違わない間抜けさだ。突然の奇行に走った資産家夫人に ぎょっとした店員が「奥さまぁぁぁ!?」と叫び、メイドが大慌てで駆け寄っていく。 甲高い女の叫び声のせいもあってまたもや店中の注目を浴びることとなった土方は、 肩を微妙に震わせながら試着室に背を向けた。思わず緩んでしまった 表情を見られないよう軽くうつむき口許を覆い、くく、と湧き上がった可笑しさを噛み殺す。 いくら求婚を繰り返してもまったく気づかず、ことごとくスルーし続けてきた超鈍感女が、 ここまで俺との結婚を意識するようになるとは。たいした効果は期待できまいと 諦めていた例の指輪も、思った以上にの心を揺さぶっているらしい。 これなら買った甲斐があったというものだ。 「はっ、またそれか。いい加減にしねぇと昨日と同じ折檻すんぞ馬鹿女」 「笑ってる場合じゃないですよ若旦那さまっ。 昨日といい今日といい、そーやってあんたがからかうからさ・・・ 奥さまが暴走するんですよっ」 「うっせぇ。たったあれだけでここまで暴れるたぁ思わねぇだろ、普通」 可笑しさをこらえきれずに失笑しつつ言い返すと、メイドに支えられて起き上がった 女の姿をふと見遣る。顎に手を当て瞼を伏せた彼は、冷静そうな素の表情に戻って考え込んだ。 普段のとは異なる大人びた着物姿は、このままでも充分に彼女を引き立てているように思える。 ――だが、自分がしてやれるのは準備だけだ。出来得る限り万端に整えてやりたい。 女を眺めながら考えること数秒、土方は背後へ振り向いた。 深紅の絨毯を敷き詰めたフロア中央には巨大なガラスケースが設えられており、 その前ではと同じような年頃の娘たちがアクセサリーの品定めをしている最中だ。 そちらを目線で指しながら、少し離れた場に控えていた店員へ告げた。 「髪飾りを見立ててくれるか。これに合いそうな、派手すぎねぇやつがいい」 「はい、かしこまりました」 「ついでに帯と小物ももう一式頼む。山崎、俺ぁ二十分ほど外す。後は任せた」 「えー、またですか。次はちゃんと電話に出てくださいよー」 「は?髪かざ・・・帯と小物!?ちょ、待って土方さんっ、そんなに買う必要ないですよっっ」 がばっっ。 あわてたが羽織の背中に飛びつくようにして引き止めてくる。 値の張るブランド品の追加購入をあっさりと決めた土方に驚き、 驚きのあまりにさっきまでの恥ずかしさが頭の中から吹き飛んだらしい。 ころころと変わる表情と必死な仕草もおかしくて、土方は振り向きざまに口端を歪める。 花のような甘い香りとやわらかな肢体を押しつけるようにして 縋りついてきた女に、いつになく愉しげな笑みをこぼした。 「土方さん、じゃねぇ。てめえも土方だろうが」 「〜〜〜っ!」 試着室から出てきた直後から指摘したかったことを意地の悪い口調で言ってやれば、 は絶句して固まってしまった。あぅあぅ、ぁうぅぅぅ、と意味不明な声を漏らす顔は 熟れた林檎のような鮮やかな色に染まっていく。羽織をひしっと掴んだ手からも、 へなへなと力が抜けていくのが判った。 「お前、この芝居を全うする気なんだろ。なら俺の呼び方もどうにかしろ。 それらしく呼べたら返事してやるよ、奥方殿」 「〜〜っそ、そんなの無理ぃぃっ。無理ですぅぅぅぅ」 「お待たせしました奥さま、こちらの帯などいかがでしょうか。 こちらも当店の新作で、お若い奥さまに人気のお品なのですが――」 いつの間にか場を離れていたらしい店員が、帯や帯締め、髪飾りや草履やバッグなど、 土方が頼んだ装飾品一揃えを両腕に抱えて現れる。幸いなことにこの店員、 おかしな客にも慣れているらしい。桃色の帯や水色の帯締めをに差し出し、 夫に置き去りにされあわてふためく「変わった若奥様」を上手く宥め始めていた。 軽く挙げた手で天井を指し「一服してくる」とメイドに告げると、土方は早々に踵を返す。 通りざまに何気なく店内を眺めた。鏡に映る自分の姿と睨み合っている年配の女は、 親子でこの店を贔屓しているようだ。ごてごてと派手な宝飾品や けばけばしい化粧までそっくりな若い娘と共に、試着室へと案内されていく。 「これ、見せてもらってもいいかしら」と店員に尋ねているのは、 洗練された立ち居振る舞いが目につく妙齢の女。あれはおそらく水商売を生業とする玄人か、 それとも花柳界隈の姐さんか。照明を浴びて煌めく金糸の帯を差す仕草も艶やかで、 松平のお供で何度か足を踏み入れている会員制クラブのホステス達を彷彿とさせるものがあった。 土方は他の客の様子にも目を配りつつ、ショーウィンドウに挟まれた店の入口を抜ける。 左奥に見えるエレベーターに向かおうとしたその矢先に、 「――あら。ひょっとして、土方さん?」 媚びを含んだ甘ったるい声が後方で上がり、彼の足を引き止めた。 思わず背後を振り向けば、見覚えのある容貌の女が 手を振りながらこちらへ向かってくるところで――
「 おおかみさんとおままごと *7 」 text by riliri Caramelization 2018/05/05/ ----------------------------------------------------------------------------------- next →