「――ー、こっちは終わったぜー。そっちはどうでェ」
「・・・・・・うん。もう動けないみたい」
「・・・。またそれかィ」
赤く濡れた幾つかの財布や、見るからに高価そうな腕時計が数個。
薄汚れてもきらきらとまばゆい光を失わない、大ぶりな輝石をあしらった宝飾品たち。
斬り倒した男の腹からこぼれ落ちたそれらを刀の先でつつき回していた沖田は、呆れたように眉を吊り上げ振り返った。
握った柄を手の中で素早く躍らせ、ひゅん、と空を切り血を払った刀身を半回転させて鞘へと納める。
「悪りィがちょいと待っててくだせェ」
背後の椅子に腰を下ろした、異国の客人に断りを入れる。曇り空のような色合いの風変わりな衣装を身に着けた老人は、負傷した脚の痛みに眉を顰めつつも無言で彼に頷いた。
何の緊張感もなさそうな足取りの沖田は、この部屋の奥へと向かっていく。
そこに居る女を――この室内に彼と共に飛び込み、ものの数十秒で一人の腕を斬り落とす腕前を持つ新人隊士のを、どこかもてあましたような苦笑いで眺める。
床に出来た血溜まりを――強烈な匂いを放つ赤黒い水面を、まるで雨上がりの路上に出来た水溜りでも踏むかのように平然と蹴散らし、立ち尽くすに近づいていった。
「あんたこの前もそうだったな。どいつもこいつも腕だけ落として終わりにすんのは、何か理由でもあるのかィ」
「・・・駄目かな。利き腕が使えなければ攻撃出来ないから・・・だから腕だけでいいかなって、思って・・・ごめんなさい」
血が溢れ続ける肩を押さえて泣き喚き続ける男を見つめ、苦しげな声でがつぶやく。
「別に謝るこたァねーよ。俺ァ何も、あんたの遣り方が駄目とは言ってねえぜ」
冗談めいた軽い口調に笑いを交えて沖田は返し、彼女の傍へと寄って行った。
(――まぁ、あんたの様子を見る限り、この遣り方に拘る理由がそう単純なもんだけとは思えねーけど)
男から目を逸らそうとしないを眺めながら、そんなことを考える。ずっと疑問だったことの核心を突いてみたくなったが、
――ここは現場だ。二階はほとんど制圧したが、一階では五番隊と十番隊が犯人たちと未だ交戦中でもある。
館内全体に響き渡っている煩い音楽に混ざり、かすかに流れてくる銃撃戦の音。その音に耳を傾けながら、追及するのは後にするか、と彼は思い留まった。
「姫ィさんは甘すぎるんでェ。そんな下衆野郎、ここでばっさり殺っちまうのが世の女どものためってもんだぜ」
「・・・・・・うん。ごめん。半端なことして」
深くうなだれたは部屋の奥へと視線を流し、青ざめた唇を噛みしめた。
鼓膜を痺れさせる大音量を吐き出し続けるスピーカーの山と、傾斜が付いた広いテーブル状のミキサー卓。
その二つの音響機器に挟まれ隠れた女の遺体は、見るも無残な姿で横たわっている。
死に際に辱めを受けたらしい亡骸の傍で跪くと、は目を閉じ手を合わせた。
それから乱れきった血塗れの布を重ね合わせ、着物を元のように着せ直してやる。
彼女の傍にしゃがみ込むと、沖田は彼女が遺体の身仕度を整えてやる様子を黙って眺めた。
どれだけ斬っても血飛沫ひとつ浴びることがない彼とは違い、は身体の至る所に赤黒い返り血を滴らせている。
悲しそうな横顔にも、背中へ流れる長い髪にも、ほっそりとした首筋にも、黒い隊服の短いスカートからすらりと伸びる腿や膝にも、点々と散る鮮血の赤。
こんな場で目にするあの色なんて、とっくに見慣れているはずなのに――どうしてなのか、彼女を汚したその色だけはひどく鮮やかに映えて見えた。
せめて他の隊士たちの目に付かないように、と少し焦っているのだろう。解けかかっていた遺体の帯紐や帯締めを、は懸命に結び直そうとしている。
爪まで赤く染まりきった指の先が、ほんのわずかに震えている。女らしいことが総じて不得意な彼女の仕草は、決して器用とは言い難い。
それでも思い詰めた顔で紐を結ぼうとしている女の額に、沖田は黙って手を伸ばす。
汗で貼りついた前髪を避けて手のひらを軽く押しつければ、はびくりと肩を揺らして動きを止めた。
肌にしっかりと押し当てられた、白く骨ばった手へと視線を上げて、
「・・・どうしたの」
「確認してるんでェ。いつも賑やかな姫ィさんが、今日は妙に大人しいじゃねえか。こりゃあまた熱でも出てんのかと思ってねェ」
「ないよ、熱なんて。・・・・・・今日は大丈夫。平気だから」
何食わぬ顔で答えれば、は視線を逸らしたかったのか瞼を伏せた。かと思えば長い睫毛の隙間から、咎めるような暗い目つきを向けてくる。
そんな視線に臆するようなこともなく、沖田は口端を吊り上げ微笑む。
熱はない、などとは言っていたが、彼の手のひらに伝わる温度は高い。微熱と呼ばれる範囲を超えた熱さだ。
上目遣いに視線を上げた女の瞳に、いつもの澄んだ輝きはない。
人形のように硬い表情。身体の内側では熱に蝕まれているはずなのに、血の気を失くした青白い素肌。
(――またカラクリ人形に逆戻りか。・・・やれやれだ、出入りの度にこんな顔されたんじゃたまらねェや。)
沖田は心中で肩を竦める。
屯所に来たばかりの頃に逆戻りしたの姿はどこか懐かしくもあるのだが、本来の彼女の生き生きとした姿や表情、花のような笑顔を知った今では、むしろ違和感のほうが強かった。
「・・・総悟。あのおじいさん、助けた時に脚の出血が凄かったの」
は疲れや焦燥が滲んだ声でつぶやき、背後を見遣る。沖田も視線だけを後ろへ流し、椅子にぐったりと凭れて座る異国の老人を二人で眺めた。
事前に無線で連絡を受けていた、この事件の第二の保護対象者。
が容態を心配している浅黒い肌の異邦人は、お忍びで観劇中だった某国の皇子の従者だ。
脚には怪我を負っており、幾枚も布を重ねた裾の長い衣装に多量の血を滲ませている。
老人はその布を裾からびりびりと裂き、包帯代わりに脚に巻きつけようとしていた。
彼を心配そうに見つめていたが、ねえ、と沖田に呼びかけて、
「さっき肩を貸したときもね、呼吸するだけで辛そうだったよ。急いで下に連れていって、すぐに搬送してもらわないと」
「そうかィ、俺には爺さんよりあんたのほうが辛そうに見えるけどねェ。それに、あの爺さんなら――」
そうそう簡単にくたばるタマでもねーだろう、と言いかけて沖田はやめた。
言えば心配性のはすぐさま反論してくるだろうし、ここで彼女の心配事を増やすようなことを彼が言えば、ただでさえ悪い顔色はもっと悪くなりそうだ。
薄灰色の切れ端で脚を縛り上げて血止めを施している爺さんは、彼の話を聞いていたのだろう。
痩せこけた褐色の髭面を上げると、沖田と視線を交わらせる。
私は大丈夫です、お気遣いなく。穏やかだが毅然とした印象の老人の目は、そんなことを彼に語りかけているように見えた。
『――皇子を砲弾から庇うはずが、爆破の風圧で飛ばされてしまいました。
その時に飛んできた破片が脚に刺さり、動けずにいたところを二人の男に捕えられたのです』
老人からそんな説明を受けたのは、犯人たちに占領されていた階段を最初に二階へと駆け上がった沖田とだ。
劇場を襲撃した一味に引きずられるようにして連行される老人を見つけ、賊の手から奪還したのが彼等だった。
保護されるや否や自分の身元や名を名乗ってきた老人は、失血のためかやや衰弱しているようだ。
それでも救出されたことへの礼を述べ、彼が仕える皇子の身が無事に保護されていると知ると、さらに丁重に礼を述べてきた。
彼等がこの国の警察組織に属していることを油断のない目で確かめ終えると、老人は次に自身が置かれた状況を説明し始めた。
この国の言葉にも堪能だという彼の説明は簡潔で明解、そして自身の事だけに留まらなかった。
老人は彼を捕えた一味の前では言葉が解らないふりをしていたそうで、この国一の大劇場を殺戮現場に変えた犯人たちの言動から密かに情報を集めていたらしい。
おかげで彼の証言は、沖田たちが舌を巻くほど多岐に渡った。
大ホールが爆破されたときの状況。おおよその観客の人数。場内に乱入してきた犯人一味のおおよその人数。
連中が劇場内に持ち込んだ銃火器の種類、仕様、その開発国。
特別観覧席で昏倒していた老人を捕えた男たちの会話。この部屋に居た男たちの言動。老人を一階の大ホールへ連れて行こうとしていた男たちの言動。
それらの情報から推測するに指揮系統は一階に集中しており、事件の首謀者は大ホールに陣取っていると考えるのが妥当ではないか、
という彼自身が立てた推論。そして――
『最初に乗り込んできたのは、右目に斬られた跡があり、身長が2メートル近くある男です。
一味の数人が彼の意向を窺うような態度を取っていましたし、観客を銃で脅して外に出るよう促したのもその男でした。
私には彼が首謀者のように思えました』
犯人一味を操る男に目星をつけていた老人は、激しい痛みに呼吸を切らしながらもさらに自身の見解を付け加えてきた。
しっとりと汗ばみ熱を発する女の額を撫でながら、老人の話を思い出した沖田は肩を竦める。
部屋の隅で自ら怪我を手当てしている老いた異邦人を、瞼を伏せ気味にした冷えたまなざしで盗み見た。
――若けぇ頃は王様の護衛役だったと言っていたが――何者だ、あの爺さん。
見た目はくたばりかけた只のジジイだが、隙の無ぇあの目つきに、賊の動きから状況を察知する洞察力。
武器についての知識も豊富で、血みどろの室内に怯えるようなこともなければ、驚いた様子すら見せやしねえ。
あれぁどう見たって俺達側の人間だ。それがどうして、芝居見物にうつつを抜かす軟弱な皇子の子守り役なんぞに就いてやがるのか――
「――ねえ、総悟。ちゃんと話聞いてくれてる?早くおじいさんを」
「ああ、聞いてますぜー。そんなに爺さんが心配なら、あんたも爺さんと先に戻ってくだせェ。今にもぶっ倒れそうな顔してんのは、爺さんもも同じだぜ」
「・・・・・・あたしは大丈夫だよ。熱なんてないよ」
「報告しやすぜ近藤さんに。あんたの様子が変だって、ここに着く前から心配してたからなァ。そうそう、ついでに土方の野郎にも報せねーと」
「・・・・・・」
隊服から取り出した小型の無線機を見せながらふざけた調子で言い足せば、の眉間がきゅっと狭まる。
口は閉ざしたままだったが、やめて、と彼を睨んでくる青ざめた顔にはっきりと書いてあった。
へえ、と沖田は表情を緩める。普段は弟扱いされている彼が、に拒まれることは滅多にない。
そもそも、人懐っこくて誰とでも打ち解けたがるがこうして誰かを睨むこと自体が珍しいのだ。
その珍しい反応や怒った顔つきが、彼の目には却って新鮮で初々しかった。
面白がった沖田は額に当てた手を外し、彼女に顔を寄せていく。顔周りで乱れ跳ねている長い髪にも血が飛んでいて、髪の香りに混ざった血の香りが鼻腔をくすぐる。
嗅ぎ慣れた匂い。一番隊隊長として数々の実戦をこなしている今となってはあまり気にすることもなくなったが、どちらかといえば不快な匂いだ。
おかしなもんだぜ、と沖田は少年めいた楽しげな笑みを浮かべる。それが彼女から香ってくるだけで、なぜか甘いもののように思えた。
顔を背けて拒もうとするの耳に唇を寄せ、二人だけが共有できる内緒話であるかのようにささやいた。
「そんな顔するほど嫌なのかィ、あの人に報告されんのが」
「・・・土方さんには言わないで」
「屯所出る寸前に喧嘩してたよなァ、あの野郎と。廊下で揉めてただろ」
「・・・・・違うよ。揉めてたんじゃない。叱られただけだよ」
「そうは見えませんでしたぜ。野郎があんたを追いかけて廊下走って、追いついて、あんたに触ろうとして手ェ払われて。
ああ、その後で腹蹴られてうずくまってたっけ。あんたが何か叫んで逃げたんで、あっちも怒鳴ってやしたねェ」
結び終えた帯締めを、血に汚れた女の手がきゅっと握る。
ずっと硬かったの表情に、わずかな動揺の色が浮かび始める。沖田は何も言わずに頬を隠した長い髪を指先で掬い、彼女の耳に掛けてやった。
――沖田が二人を目撃したのは、二時間ほど前のことだ。
屯所を出立する直前だった。本庁からの出動要請が降り、屯所中を総動員した準備に皆が追われている最中だ。
出立の準備を終えた沖田は愛刀を携え、自室から出た。出たばかりのところで、向かいの棟の廊下に佇む彼女の姿を目撃したのだ。
それは土方に手を伸ばされてびくりと大きく身体を竦め、あわてた様子でその手をぴしゃりと払い除けたの姿。
隣の棟の廊下から遠目に見掛けただけの沖田には、彼等がどうしてあんなところに居たのかも、なぜ揉めていたのかも解らない。
ただ、が泣いているらしいことは判った。声がわずかに聞こえたからだ。涙で喉が詰まったような、ひどくうろたえた声だった。
「なぁ、あれァ何て言われてたんでェ」
笑顔を崩すことなく沖田は尋ねる。
するとは深くうつむき、総悟、と低めた声をぽつりと漏らして。
「・・・お願い。大丈夫だから。熱はたいしたことないから、まだ動けるよ。ねえ、あたし、ちゃんとやれるから。だから・・・」
頼りなくて重苦しい声で、彼の隊服の袖口をきゅっと握りしめて懇願してくる。
いつになく張りつめた表情には暗い影が落ち、元より悪かった顔の色はいっそう青ざめて見えた。
彼女をしばらく眺めた沖田は、ふい、と一階ホールを見渡せる大きな窓へと視線を背ける。
何かを考え込むような顔でほんのわずかに唇を噛んだが、やがてへと振り返った。
彼女に甘えたり我儘を言って困らせたいときによく使う、悪戯好きな子供のような表情を作ってにやりと笑う。
「いーですぜ、黙っといてやらァ。その代わり、土方さんと何を揉めてたのか教えてくだせェ」
「何って・・・何もないよ」
「本当ですかィ」
「・・・・・・何もなかったよ。ただ、ちょっと・・・ちょっとしたことだよ。
あたしが命令に従わなかったから、叱られたの。それだけだよ」
「へぇ。俺や他の奴らにはいつも愛想振り撒いてる姫ィさんが、あいつにはやけに反抗的じゃねえか」
しっとりと手触りのいい女の髪を撫で下ろしながら、沖田は嘘の笑みに瞳を細めてを見返す。
は顔が見えなくなるほど深くうつむき、どう返事をしようかと迷っている。
沖田の表情から笑みがすうっと引いていき、うつむく彼女を冷ややかな目でじっと見つめた。一瞬だけ悔しげに表情を歪め、
「そうかィ。・・・・・・あんたもあの男か」
独り言めいた声でつぶやけば、え、とが不思議そうに目を瞬かせる。
たちまちに作り物の笑みへと表情を戻した沖田は、彼女の腕を引っ張った。
ぐい、と多少乱暴に引いて立たせると、は沖田が彼なりに自分を労わろうとしているのだと思ったらしい。
ありがとう、と背後から声を掛けられたが、沖田はその声を無視してホールを見下ろせる大きな窓のほうへ向かった。
数時間前までは関係者だけが出入りを許されていただろうこの部屋には、窓から見える大舞台の音響効果を調整するための専門機器が並んでいる。
彼が防音ドアを断裁して飛び込んだ時には、既にこの部屋は賊共の凶行によって蹂躙された後だった。
部屋の隅々まで並ぶ名前も用途も判らない大きな機材たちも、壁や床や天井も、どこを見ても返り血を浴び赤黒くまだらに染まっている。
観客席を見下ろす大きな窓はガラスが割られて開放状態になっており、階下のホールにはざっと数えただけでも数十の遺体が転がっていた。
沖田は割れた窓の端に寄せてあった分厚いカーテンで身を隠し、銃火器や刀で武装した男たちに占拠された階下の様子を覗き見る。
この劇場全体を振動させるほどの音量で煩いロックが流れる大ホールから、何かが焦げたような匂い、硝煙の匂い、それと生々しい血臭が昇り詰めてくる。
客席や舞台上、半地下になったオーケストラコンソールの状況をざっと確認し終えると、ほんの一瞬、わずらわしそうに顔を顰めた。
彼にとってうっとおしかったのは、匂いではなく音のほうだ。
そもそも血生臭さなど気にしていたら、刀一振りであらゆる現場を突破するのが役目の一番隊隊長は務まらない。
だが、この音のデカさはいただけねえや。鼓膜を破りそうなやかましさのおかげで、一階を占拠した奴等の気配が掴みにくくなる。
次に彼は、客席後方から舞台へと伸びる中央の通路へ視線を移す。
客席を区分けするように伸びる通路の数は縦に三本、横に二本。
その中で最も幅が広い中央の主要通路には、白地に青で蔦模様が入った高価そうな絨毯が敷かれている。
ところどころに観客の遺体が倒れ付しているため、絨毯の美しい白地も生々しい赤を吸い込んで汚れていた。
通路が舞台へ行きつく手前には、銀色の大きな砲台が設置されている。あれが爺さんが言っていた、最新型のガトリング砲か。
そういやぁ、うちの装備に似たようなやつがあった気がする。
そんなことを思い返しながら、沖田は砲台の傍に立つ砲手らしき男が砲身の角度を調整する様子を眺めた。
砲手の男が角度調整を終えると、視線をちらりと背後に流す。
腕を斬られた若い男の元に跪いたは、痛みに泣きわめく男の腕から袖布を千切り取ろうとしていた。どうやらあれで肩の傷口を止血してやるつもりらしい。
(暴れると余計に血が止まらなくなる、動かないで。)
そんなことを小声で告げ、床を蹴って暴れる男を窘めていた。
「――物好きだねェ、姫ィさんも。そこまでしてやるこたぁねーのに」
意地の悪い口調でひやかしてみたが、彼女からの返事はない。
は千切った袖を慣れない手つきで巻きつけることに奮闘しており、彼の声は聞こえてもいないらしい。
フン、と沖田は面白くなさそうに鼻先で笑う。もっとも、彼女のこんなつれない反応は今に始まったことではなかった。
今日の彼女は、沖田が何を話しかけても反応に乏しい。何をしていてもどこか上の空だ。
剣技の冴えこそ凄まじいものがあるが、言動は常にぼんやりしている。何かを一人で思い詰めているらしく、その表情は一瞬たりとも晴れることがなかった。
彼がこんなに憔悴したを眺めるのは、前回の出入りの時以来。彼女が真選組初の女性隊士として初陣を飾った、二週間前のあの日以来だ。
あの時彼女に何があったのか、沖田は知らない。だが、今日のの不調の原因になら多少の心当たりはある。
(やっぱりあいつと何かあったんだろ。何があったんでェ。)
そう尋ね、はぐらかされた問いかけをもう一度突き付けてみたい気持ちもあったが、沖田は再び客席を見下ろす。
あの野郎、と煩い音楽に紛れる程度の小さな声で吐き捨てる。微笑が消えた薄い唇を、ぎりっときつく噛みしめた。
――まただ。またあの野郎だ。
いつもこうだ。近藤さんの時も、姉上の時も。思い返せばきりがねぇや。もう何度、あの野郎のせいでこんな気分にさせられてきたか。
身体を焼き焦がしそうな熱く激しい苛立ちが、沸々と腹の奥からこみ上げてくる。
それはすべてあの男のせいに違いないのだが、すべての怒りがあの男に向いてしまうのも沖田にはひどく腹立たしかった。
何か事があるたびにあの男を意識してしまう自分が、癪で癪でたまらない。
あの場を目にしてからというもの、胸の中はざわつきっ放しだ。
あんなを、沖田は知らない。彼が知っているは、相手が誰でも笑顔を振りまき自然と受け入れてしまうような女。
誰かを否定する言動を取るのがひどく苦手な女。
誰かを傷つけたりがっかりさせるくらいなら、自分が我慢したほうがいい。心のどこかでそう決め込んでいそうな、ひどく御目出度いお人好しだ。
そんなが唯一、あの男だけを拒んだ。
感情的にあの男を拒み、今にも泣き出しそうな表情で睨みつけ、それでも一歩も引かない頑なさを見せつけていた。
夢中であの男の手を払ってしまった後は、自分のしたことに自分でも驚いていたのか、半ば呆然とするくらいにうろたえていた。
あんなは見たことがない。どっちもそうだ。どっちのも、俺は知らない。
分が悪いと判っていても土方に反抗する意固地なも、誰かを拒んだことに驚きうろたえるも、どっちも俺が知らない姫ィさんだった。
人懐っこくていつも明るく賑やかで、屯所中の誰のことも拒まない。そういう彼女が、唯一誰かを拒んだ姿。
――弟扱いされて甘やかされている存在の沖田にとっては、一度も目にすることがなかったの姿だ。
あれを目にした時には驚いた。
底無しのお人好しなでも人を睨むことがあるのかと目を見張り、あんなに子供っぽく頼りない表情で涙ぐむのかと戸惑った。
けれどその直後、彼はもっと驚くべきことに気が付いた。
腹立たしげに怒鳴って彼女を追いかけるあの男の顔には、戸惑いなどどこにも見当たらなかった。
見慣れないの一面に戸惑っている沖田とは違い、土方は驚いてなどいないのだ。
あの時の土方を目にして判った。奴は前から知っていたのだ。蹴られた直後の土方は苦々しい顔をしていたが、その表情のどこにも戸惑いや驚きはなかった。
あいつは元から知っていたんだ。屯所中の誰よりも姫ィさんに近い存在の俺でも、一度も目にしたことのない姫ィさんの姿を。
俺が知らなかった泣き顔だって、あの男はこれまでに何度か見てきたんだろう。
他の奴には滅多に見せることがない、あいつしか知らないの姿を――
「・・・・・・ちぇっ。あーあー、面白くねェや。折角の出入りだってぇのに」
しばらく黙って回想に耽っていた彼は、うるさく泣き喚く若い男を不愉快そうに見下ろした。
傍に落ちていた銃にちらりと視線を向けると、思いきりそれを蹴り上げる。
がんっ、と壁にぶつかって落ちた血塗れの武器を、は眉をひそめて眺めていた。じきに何か決心したかのように彼を見上げて、
「・・・総悟。あのね、さっきの話だけど。やっぱり言わないでほしいの。お願い」
普段は濡れたような輝きを放つ大きな瞳は、光を失い曇ったままだ。
そんな顔をしている彼女を見ているだけで歯痒くて、沖田は苛立ち混じりの笑みで表情を歪める。
刀を頭上に持ち上げる格好で両腕を組み、困ったような顔で見上げてくる彼女の周りをゆっくりと回った。
「さぁて、どーしよーかねェ。あいつが絡むとどうもらしくねーんでェ、姫ィさんは」
「・・・そんなことないってば。それよりも、おじいさんのこと連絡しないと」
「連絡ならとっくについてんだろ。さっきうちのパシリが下に走ってったぜ」
「パシリって・・・そんな言い方していいの。また副隊長さんに怒られるよ」
「ご心配なくさん、その程度で怒りやしませんよ。それに人使いが荒い隊長のおかげで、怒る暇すらねぇときてるんで」
ドアが無くなった入口がコンコンとノックされ、数名の隊士を引き連れた一番隊の副隊長が面倒そうに顔を出す。
沖田よりも一回りほど年上、体つきも一回りほど大きい彼は、何かと問題の多い、しかもまだ十代の隊長を補佐させるため、土方が隊士の中から厳選した男だ。
沖田は数多くの現場で先陣を切り、真選組の名を江戸に知らしめる一端となった天才剣士だが、今日のような血で血を洗う現場以外での仕事ぶりときたら、
・・・近藤が頭を悩ませ、土方が激怒するようないい加減さだ。
そんな隊長の雑務を一手に引き受けることとなった副隊長は「勘弁してほしい」と愚痴りつつも仕事は早く、優秀な補佐役として沖田を支える一番隊の要となっていた。
ただし「総悟の我儘に振り回されることがない男」という基準で土方が選んだために、性格が妙に図太いというか、沖田を上官だと認めているような態度はあまり見受けられない。
腕は立つが生意気な子供の世話係をやっている、とでも思っていそうな節はあるが。
「隊長、奥の特別席で重傷者を二名発見。至急搬送します」
「おぅ、そっちのこたぁ任せたぜー。ああそーだ、こっちに一人置いてってくれ」
へーい、とあまり乗り気でもなさそうに請け負うと、副隊長は隊士たちに指示を与える。
言われた通りに一人だけを残し、他の隊士を引き連れて通路の奥へと走って行った。
この先にある特別席で救助者を保護してから突き当りの関係者専用階段を降り、裏手の通用口へと向かうつもりなのだろう。
建物裏手にある通用口は、すでに真選組が占拠している。
階下で五番隊と十番隊が応戦を続けている一階正面口よりは安全で、救助者もすぐに運び出せるはずだ。
「沖田隊長、何かご指示は」
「俺とお前でそこの爺さんを一階へ下ろす。その前に怪我の手当、手伝ってやってくれィ」
「はい!」
沖田が視線を老人のほうへ向ければ、副隊長が残していった隊士は緊張した面持ちで一礼して室内へ入ってくる。
入った途端に、うっ、と口元を押さえてよろめいた。確かあれもと同期の新人だ。
配属されたばかりの彼は、こんな現場を見るのも立ち入るのも初めてらしい。
数歩進んだだけで血相を変えてうずくまり、室内の惨状を目にして湧いてきた嘔吐感をこらえているようだった。
(あーあァ、この程度で戻しちまうかねェ。どーにもだらしねー奴だぜ)
そう思い一度は失笑したが、そうでもねーか、と間もなく沖田は思い直す。
これまでに見てきた新人隊士の反応としては、どれもあれが普通だった。
顔色は悪くても遺体や血の匂いは一向に気にしていないのほうが、年に一人入隊してくるかどうかの特例だ。
「――しかしこいつら、間抜けにも程があらぁ」
が怪我を手当てしている男と、床に金や貴金属を撒き散らしたもう一人を見下ろし、沖田が冷えた笑い声をこぼす。
窓に面したコンソールの中央には、銀色のスタンドで支えられた細いマイクが立っている。
舞台との連絡用か何かだろう、と当たりをつけた彼はマイクの先をコツコツと叩き、そこに顔を寄せてわざと喋り始めた。
案の定、音響調整室のスピーカーが耳に触る破裂音を二度鳴らし、唸るように空気を震わす。
唐突に喋り始めた少年の生意気そうな声音は、階下のホールの巨大なスピーカーの塔から響きをうねらせながら広がっていった。
「てめえらの話がここのマイク通して館内中に筒抜けだって、最期まで気づいてなかったのかねェ。
まぁ、俺がここでぶっちゃけてんのは、下のホールに居るあんたたちにこの話が届いてるってぇ前提ですがね」
ばん、と高い音を上げてコンソールを叩き、そこに両手を突いた沖田は窓際まで身を乗り出す。
階下の犯人たちをゆっくりと見渡し、ふっと息を吸い込むと、明るい色の瞳を細めてふてぶてしい挑発の笑みを浮かべた。
「おーい、聞こえやすかィ。あんたたちの中のどいつが頭だ?俺ぁ失態犯したあんたの子分を親切にも処分してやったんだぜ、
礼でも言いにここまで上がってきちゃくれやせんかねェ。今なら真選組の一番隊長、沖田総悟が死出の花道を飾ってやりまさァ」
マイクを通しての宣戦布告に、真選組の装備にも使われている携帯式のバズーカ砲を持つ数人が目の色を変える。
今にも攻撃してきそうな反応を見せたが、客席中央に居る長身の男に咎められたらしい。
しばらく沖田を睨んでいたものの、全員が担いだ武器を床へと下ろす。
長身の男は他の奴よりも一つ半は頭が高く、がっしりとした身体つき。この距離だと傷跡までは目視できないが、右の目を常に瞑っている。
――あれが爺さんが言ってた一味の頭目か。
賊たちの様子から首謀者をたちまちに見抜いた沖田は、わざと澄ました表情を作りひらひらと手を振る。
それでも向こうに攻撃しようという様子はない。こちらの腹積もりを見定めているようだ。
随分と余裕じゃねえか。その余裕を挫いてやろうと、沖田は血を浴びたコンソールのスイッチを片っ端から切っていく。
脳天に響く大音量で流れていたギターやドラムの音はじきに止まり、スピーカーから床を伝わって室内全体を震わせていた振動もぴたりと止まった。
ただし、犯人たちが占拠している大ホールの音は止めない。
止めてしまったらスイッチをオンに戻し、ハウリングが不協和音を起こしてうるさく鳴り響くようでたらめに音質を弄り回し、音量を最大にして放置する。
これで向こうは混乱する。俺達の声や気配を感じづらくなるだろうし、そのうち数人が頭痛でも起こして使い物にならなくなるだろう。
「ああ、そーいやぁこいつら、何だか聞き捨てならねえことも言ってやがったなァ」
沖田は部屋の中央へと振り向き、が手当している男の顔を冷えた目で見下ろす。次に老人へと視線を向けた。
「皇子様の従者のあんたが、実は王族だったとはねェ。どうなんです、こいつらが言ってたこたぁ本当ですかィ」
「・・・・・・匪賊から救ってくださった恩人とはいえ、他国の警察の方に私がお答えする義務はありませんな」
新人隊士から怪我の手当てを受けている老人は、痛みを噛みしめながらも毅然とした態度で答えてきた。
沖田は肩を竦めて苦笑すると、血に濡れたコンソール上に何の迷いもなく腰を下ろして、
「そらぁごもっともでさァ。外交特権やら治外なんとかやら面倒くせー決まりごともあるし、出来れば俺も深追いしたかねーんですが」
「・・・おじいさん。あなたの国の国王さまから、あなたを救出し保護してほしいとの要請が出ています」
さっき通信技師を通して入ったばかりの情報を、が硬い表情で伝える。
すると老人は顔色を変えた。「我が王が、ですか」と目を見て尋ね返され、沖田とはそれぞれに頷く。
それまでは緊張を解くことなく彼等へ向けていた視線を、老人はふっと床へと伏せた。
口許が髭で覆われた顔に苦悩するような色が浮かび、徐々にそれは憂いを帯びた複雑そうな笑いへと変わっていった。
「・・・・・・私に対しての情など、とっくに捨て去ってくれたものと思っていましたが。まったく、あの御方は・・・いつまで経っても困った弟です」
「――・・・・・・」
何気なく明かされた真実に、が思わず息を呑む。ひゅう、と沖田が冷やかすような口笛を鳴らす。
扉を失ったこの部屋の外では、まだ生存していた観客たちの救助を続ける隊士たちの声や足音、銃弾が建物を穿ち振動させる音、鼓膜に響く煩い音楽が混じり合い騒然としていた――
「 狼と踊れ #02-2 」
Caramelization *riliri 2014/04/01/ next →