「誰が拾いに来るかと思やぁ。――見ろよ。長官直々のお出ましだぜ」

車を見据えた土方がつぶやいた頃には、黒く輝く長いセダンは彼等の目前に停まっている。 急いで車を出た運転手が後部座席のドアを開け、白髪リーゼントの男が煙草片手に現れた。
警察庁長官、松平片栗虎。
武装警察真選組の創設者でもあるこの国の警察機構のトップは、二人の同行者を引き連れていた。 ノーフレームの眼鏡を掛けた知的な雰囲気の女性警官と、もう一人は、警察庁へ情報収集に出した山崎だ。 松平は敬礼してくる隊士たちに軽く手を振り、

「あーいい、挨拶はいい、俺ぁそいつに話があるだけだ」

などと断りを入れつつ、こちらへまっすぐに向かって来る。 暗い灰色のサングラスに隠された目は、近藤に支えられている金髪の青年を見据えていた。
やはりこの青年か。近藤と土方は、互いに目を見合わせた。

「話が済んだら戻るからよー。どーなってんだぁ、状況は」
「あぁ、30分前に突入させ、・・・・・・・・・・・・・っ!」

説明しかけた近藤だったが、うっ、と喉を詰まらせる。とあることを思い出したのだ。
まずい、非常にまずい。事件の厄介さに気を取られてうっかり忘れていたが、ここはまずい。まずすぎる。 他のどんな現場よりも、とっつあんに来られてはまずい現場だってえのに――!
引きつり気味だった顔面をさらに硬直させた近藤は、ぱくぱくと口を空回らせて焦り出す。 彼とは対照的に平然としている土方が、咥えた煙草の先に火を灯しながら、

「一番隊と五番隊を先陣に当てて、三隊を30分前に投入した。賊どもに応戦中だ」
「おーそうか、一番隊が・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ん?おい待て。ってえこたぁ・・・」

鷹揚に頷きかけた松平だったが、ふと表情を強張らせる。劇場のほうを顎で指すと、

「おいてめえら。まさかをあの中に投入したんじゃねえだろな」
「・・・そ、それがよーとっつぁん、言いにくいんだが、そのぉ」
「あぁ!?」

ヤクザよりもヤクザらしい佇まいの警察庁長官に真正面から唾を飛ばされ、赤く燃える煙草の先で火傷しそうな近さから凄まれる。 つーっ、と気まずい冷や汗を流した近藤は、仰け反り気味に視線を避けた。

――行き倒れていたところを土方に拾われ、男顔負けの剣の腕を買われて入隊した初の女性隊士、
隊士になっても自分の身元を明かそうとしなかった彼女だが、先日、松平が屯所に訪れた際、 彼の古い友人が引き取った養女であることが発覚した。松平はこの娘をたいそう気に掛けているらしく、 が入隊して二ヶ月ほど経った今も、彼女が男共に混じって危険な任務に就くことに反対しており――

「おいィどうなんだゴリラてめえぇぇいつまで黙ってんだ、そーかそんなに死にてーか、あぁ〜?」

――そう、だから予想はしていたのだ。
今日のような現場にあいつを投入すれば、間違いなくとっつあんは激怒するだろう。 ・・・まさに今目の前で俺にメンチを切っている、こんな感じで怒鳴り込んでくるだろうと。 しかし完全に油断していた。まさか現場に直接来るたぁ思わねえもんなぁ。江戸の治安維持よりも、馴染みの店のホステス嬢からの人気度維持に熱心なこの不良親父が――
どう返答すべきかと近藤が背筋に寒気を感じながら迷っていた間に、松平は殺気立った顔で唸りながら早くも懐から拳銃を抜く。 ごくり、と近藤は息を呑んだ。自分よりも一回り小さいはずの親父の姿が、NBAかどこかの黒人バスケットボール選手ほどの巨大さに見えてきた。 あっという間に銃口を顎下に突き付けられ、ははは、と近藤は青ざめた顔で笑う。無理だ、とてもじゃないがこの状態で事実を告げる勇気が出ない。
――とそこへ、思わぬ横やりが入った。それまでは苛立った表情で煙草をふかしていた土方が、

「俺達は止めた。止めたって聞きやしねえがな、あの馬鹿女」
「・・・!」

語気も荒く言い捨てると、ちっ、と歯痒そうな舌打ちを漏らす。 大抵の事には動じない松平が珍しく絶句、信じられん、といった顔で見つめられ、近藤は汗が止まらなくなる。
たちまちに目の色を変えた松平は土方に詰め寄り、

「おいトシてめえっ、どういう事だ聞かせろや。おじさんこの前念押ししたよなあぁぁ、あれがどうしても家には帰らねーっつーから、 仕方がねえからのこたぁお前に一任する、だがしばらく現場には出すなってよおお!」

むっとした様子で口を引き結んでいる部下の襟首をがっと掴み、唾を浴びせる勢いで怒鳴りつけた。
ところが土方も負けてはいない。常に瞳孔が開き気味な瞳の奥に静かな怒りを燃やし、松平を見据える。 マジ切れ寸前な警察庁長官の怒りを真っ向から受けて立つつもりか、目つきが据わった笑みを浮かべて、

「丁度いい、俺もあんたに訊きたかったところだ。何なんだあれぁ、どうなってんだあの馬鹿女、どうしてああも頑固なんだ!? 呑気にへらへら笑ってたかと思やぁ、一度こうと決めたら梃子でも動きやがらねえ!」
「仕方ねえだろあれの頑固さはあれを育てた頑固親父譲りだ、そこを止めるのがお前らの度量ってもんだろーが!」
「だから止めたっつってんだろうが!あれを宥めるのに俺と近藤さんがどんだけ時間削ったと思ってんだ!?」
「いやぁ違うでしょ。さんを宥めてたのは局長で、あんたはあの子とガチで口喧嘩してただけじゃないすか副長」
「「・・・・・・ぁああ!?」」

低く唸った松平と土方が、口を挟んできた山崎をぎろっと睨む。
無言で迫ってくる二人に凄まれ、監察はさーっと青ざめた。 山崎本人にしてみれば、あまり意味のない軽口だった。ところが、怒りが爆発寸前だった二人にとっては違ったらしい。 ぐんと危険度が上がった場の空気にたじろぎ、じりじりと後ずさろうとすると、

「あぁ!?んだとコルぁぁ、ろくな情報も掴まずに戻った奴が偉っっそうに口挟んでんじゃねえ!」
「そーだおめーは黙ってろ、黙らねぇと三秒以内にドタマぶち抜くぞいーち」
「!?いやちょっ待っっ、――ぅごぁあああああ!!」

三秒どころか一秒カウントすら終わらないうちに松平が発砲、放たれた弾丸が山崎の足元でびしばしと跳ねる。 不格好な足踏みで強制的に踊らされた山崎が「何すんだこのクソ親父ぃぃぃ!!」と甲高く絶叫して、

「っってか、おかしくね!?まだ1だし!まだ3まで数えてねーし!!」
「いーんだよそれでよー。男は1だけ覚えときゃ生きていけるんだよ」
「とっつあんの言う通りだ。つーかてめえ、何を見苦しく避けてんだ。黙って潔く死にやがれ」
「どーしてこんな時だけ結託するんですかあんたらはぁぁ!!」

山崎は恐怖に泣きわめきながらも、突然起きた発砲騒ぎに唖然としている女性警官をびっと指し、

「俺だって手がかりくらいは掴んできましたよっっ。ほらっ、公安部に頭下げて、その皇子の母国語が判る通訳者さんも連れてきたしっっ」
「皇子・・・?」

近藤は視線を斜め下に向け、金髪碧眼の美しい青年に目を見張る。感心しきりな様子で唸って、

「成程なぁ。どうも他の救助者とは様子が違うと思ったが、この御仁は王族の出か」
「はい、この方は銀河系を二つばかり越えた星の第二皇子だそうで――」

山崎が近藤に書類を差し出す。
それは聞き覚えがない国名の大使館からの公式文書だった。 文書自体は地球の公用語で記されているが、最後に見たこともない妙な文字の署名がある。

「御父上である王様ご本人から、大使館を通じて保護要請が出ています。それと――・・・どういったお家事情なんですかねぇ。 王様の御意向としては、息子である皇子よりも、その側近の老人の保護を優先してくれってぇ話で」
「どういったも何も、そのままの話だ。国を挙げての厄介者なんだよ、そいつは」

いまいましげに皇子を睨んでいた松平が、近藤に支えられながらぐすぐすと啜り泣いている青年を顎で指して、

「この見てくれだけは妙に神々しいクソガキの親父はよー、宇宙に名が鳴り渡るほどの賢明な君主でな。 ところがその第二皇子はてめえ専用の宮殿に星中の美女掻き集めて、国民の血税すべて食い潰そうって勢いで浪費してやがる。 王様にとっちゃ悪名高い道楽者の我が子よりも、愚息の側近を長年務めてきた奉公者のジジイに価値があるってことだろうよ」
「・・・フン、そいつは御英断だな。ガキの躾には失敗したようだが、君主としてはなかなかに物の判った名君らしい」

失笑ついでに煙を吐いた土方が皮肉な目つきを向けると、皇子はぶるっと竦み上がった。
松平が咥えた煙草を地面に落とし、足で踏みつけ、

「ああ、親父は名声に違わず実に真っ当な君主よ。だが入管で探らせたところ、この事件は御家騒動のとばっちりじゃねえかって話だ。 そのクソガキの腹違いの弟――第三皇子を擁立したい老臣どもと配下が数名、先月末に入国している。連中、暴走族上がりのゴロつき集団に幾つか接触したらしくてな。 そいつらに多額の金を掴ませた可能性がある」
「つまりあれか。こいつぁそこの腰抜けを目障りに思うジジイどもが企てた、大掛かりな茶番劇ってえことか」
「そういうこった。クソの役にも立たねぇ厄介者を、他国の事件に巻き込まれた体で殺っちまおうってぇ訳よ。 ・・・ああ公安の姉ちゃん、悪いが今のも含めてそのまま訳してくれ」

眼鏡が似合う整った容貌の女性警官は戸惑いながらも進み出て、妙な発音の言語を見事に操り皇子に語りかける。 通訳が進むにつれて皇子の顔色が変わっていく。 どうやら「自分はこの事件に巻き込まれた被害者だ」と信じていたらしい皇子は、ようやく自分が今置かれている状況を理解したようだ。 母国で自分がどう評価されているかを知り、自分を亡き者にしたい一派が策謀を張り巡らせていると知り、
――その結果、他国の民を数多く巻き添えにしたのだという認識に達したらしい。
美しい顔を真っ青にして唇を震わせる彼に、松平と土方が左右から挟むようにして迫る。 怯えた皇子はあたふたと近藤の影に隠れようとしたが、それぞれに眉を吊り上げ憤っている二人は許さなかった。 松平がまるで猫でも捕えるように純白の衣装の衿首を掴み上げ、

「おーい兄ちゃん、俺ぁ昼間の謁見の席でもおめーに言ったよなあぁぁ。 余所の国の女漁ってんじゃねえ、とっとと帰りやがれ色ボケしたクソガキ、ってよーぅ」
「×××××!××××××××××っ、××××××××!×××、×××××××××、××××××××××××〜〜!!」
「おい姉ちゃん、何を喚いてんだぁこのクソガキは」
「悪かった、すべて愚かな自分のせいだ、謝罪でも何でもする、だが自分の愚かさに巻き込まれた侍従長に罪はない、どうか彼を助けてほしい、・・・だそうです」
「言われなくともそうするさ。ただしてめえのためじゃねえ。 てめえが生まれる前から国を支えてくれていた忠臣を助けてほしいと、一国の官吏に過ぎねぇ俺に電話で懇願してきた君主様のためだ」
「・・・はっ、冗談じゃねえぞやってられるか・・・!」

鋭い目に怒りを滾らせた土方が、無言で彼の耳をわしっと掴む。 力任せにぐんと引っ張り、皇子が妙な発音の悲鳴を上げて、

「御家騒動だぁ?つまりあれか、俺がの馬鹿の頑固さに手古摺らされたのもゴネられてびーびー泣かれたのも追いかけて腹に蹴り喰らったのも、 元を質せばこの色ボケ青瓢箪のせいじゃねーか!」
「――ちょっとォォやめてよ副長、声が大きすぎるわよ。ていうかさぁ、そんな半分ノロケみたいな個人的苦労を嘆く前に、テロに巻き込まれた市民の犠牲を嘆きなさいよ」

そこへ隊長格用の隊服に血を点々と染み込ませた男が、呆れた顔で割って入る。
野太い声に似合わないなよなよとした口調で土方に釘を刺したのは、一番隊と共に劇場内へ突入した五番隊の隊長、武田観念斎。 逞しい身体つきに加えて髪型はリーゼント、眼鏡を掛けた厳めしい顔。見るからに男らしい印象に反して内面は局内一女らしい、 自称「乙女」な男である。血で濡れた刀を手にしている彼は、その切っ先で報道各社の中継車が停まる辺りを指し、

「少しは場所を弁えてよ。マスコミの耳に入ったらどうするの、また真選組の株がだだ下がりするじゃない」
「武田あぁぁ、てめえさりげに聞き捨てならねぇこと言いやがったな。どこが半分ノロケだおいィィィ!」
「やだぁ怒らないでよー、特に深い意味はないんだからさ。・・・でもねえ、あなたとあの子を見てると何ていうか・・・、ねぇ」

おネエの勘は当たるのよ。
武田は土方に意味深な視線を送りつつ、口元を手で覆ってくすくすと笑う。 けっ、と吐き捨てた土方は、綺麗にネイルが塗られた小指がぴんと立っている男の手をぎろりと睨む。 しかしその直後、怒りが漲っていた表情をすっと消した。灰色の煙を立ち昇らせている劇場の方へ視線を逸らして、

「言っとくが絶対に当たらねえからなその勘は」
「あらぁ、そこまで否定するの。これはいよいよ怪しいわねぇ」
「ちょっと待てコラ今の話は俺も聞き捨てならねえぞ。トシいいぃ、てっっめえに手ぇ出しやがったな!?」
「出さねーよ!つーかこんな危ねぇオヤジが付いてくる女に誰が出すかあぁぁぁ!!」

こめかみに青筋を浮かせて怒鳴り散らす土方の眉間に、松平が拳銃を突きつける。近藤が慌てて仲裁に入って、

「まぁまぁまぁ、とっつあんもトシも話が進まねーから落ち着いてくれ!武田、状況報告頼む」
「了解。まだ制圧出来てないエリアは、賊が押し入った一階大ホール周辺。それから2階のミキサー室ね。 ロビーに通路にエレベーターに階段、小ホール2つ、劇場裏手の搬入口を含めた関係者以外立ち入り禁止エリアは制圧済よ。 ・・・ああそうそう、そこの可愛いイケメンが這いずって出てきた二階の桟敷席はまだ未確認」

皇子に視線を向けた武田が、ぱちん、と艶めいたウインクを投げる。
いかにも頑強そうなおネエに妖しい好意をアピールされ、皇子はこれまでとは違う類の身の危険を感じたらしい。 元から青ざめていた顔をさらに青白くしていた。

「あの施設に屋上はないし、地下部分もない。これで奴等の退路は絶てたはずよ。後はとにかく大ホールの制圧を急ぎたいけど、 一階から中に入るのは難しいわね。沖田隊長が2階から徐々に切り崩してるところよ」
「そうか、一刻も早く生存者を救出してぇが・・・どうも時間がかかりそうだな。主犯はどうだ、面は見れたか」
「まだよ。あたしたちは楽屋と小ホールに避難してた関係者を救出して一足先に出てきたの。 館内に居るのは十番隊と一番隊。ああ、ちゃんもね」

の名が出た途端、松平と土方の表情が微妙に曇る。
些細な変化を見逃さなかった武田はにやりと笑い、それから、と早口に言葉を繋いで、

「敵さんそれなりに資金が充実してるみたいね、厄介なもん持ち込んでるわ。 うちの装備にもあるでしょ、茶吉尼族が去年開発した最新式の20ミリ口径ガトリング砲。 連中、あれを大ホールに持ち込んでるの。こっちが突入しようとするたび撃ってくるから、幕府御自慢の重要文化財が穴だらけよ」
「構わねえよ。重要文化財だろうと何だろうと、どうせいつかは壊れんだ。 それよりだ、あれぁ大事な預かり物だからよー。傷でもついたらてめえら只じゃおかねえぞ」

凄味を増した声で松平が告げ、場の全員を睨み回して、

「いいな、早急に賊どもを捕縛、もしくは仕留めろ。おい近藤、その馬鹿皇子こっちに寄越せ」

皇子はいつの間にか近藤の影に隠れていたが、急に松平に指されて肩を跳ね上がらせた。
再び猫のように摘み上げられた皇子が松平の公用車前まで連れて行かれ、なぜか土方までそちらに同行。 地球の言語を理解しない他星の貴人を二人がかりで怒鳴りつけ、散々に脅し、説教を始める。
皇子はめそめそと泣きじゃくり、通訳係の女性警官は、一国の皇子に浴びせるには粗暴すぎる発言に戸惑いながらも懸命に仕事をこなしていた。

「・・・皇子には少々気の毒だが、こちらで警護する余裕もねえしなぁ。国賓の身柄はとっつあんに任せるか。 山崎、通信室長に今の話伝えて、中の奴らに伝令するよう言ってくれ」
「はいっ」

長官直々の指令を劇場内の突入隊に伝えようと、山崎は通信機器を搭載したトレーラータイプの警察車両へ駆けていく。
その場に残った近藤と武田は、見るからに弱々しい皇子を二人がかりで締め上げる松平たちを呆れた目で眺めていた。 あーあー、と近藤が苦笑気味に頭を掻いて、

「しょーがねーなぁあの二人は。二人とも滅多な事じゃ動じねぇくせに、事がの身に関わるとなぁ・・・」
「そうねー、でも意外よねー。娘溺愛親バカタイプのとっつあんはともかく、あの副長がねぇ〜」

じゃあ館内に戻るわね、と武田は踵を返した。
くねくねと腰を捩るランウェイ上のモデルのような歩き方で、救助活動に励む隊士たちが走り回っている劇場の玄関口へ向かう。 しかし途中で足を止め、近藤へと振り返って。


「――ねぇ。どういう素性の子なの、ちゃんて」
「・・・? どうした、お前が他人の詮索してくるなんざ珍しいじゃねえか」
「どうしても知りたいって訳じゃないのよ。でもねぇ、刀抜いてからのあの子が・・・ちょっとね。気になったのよ」

そう言われ、近藤は疑問を浮かべた表情で武田を眺める。
現場への突入時に先陣を切るのは、通常は真選組最強と謳われる沖田が率いる一番隊だ。 しかし今回は実戦に慣れない新人隊士のが沖田の援護役を務めるため、例外的に武田の五番隊も同行させていた。
の腕前に問題がある訳ではない。 彼女を自分の相棒にと指名した沖田の御墨付に加えて、先々週の彼女の初陣でその働きぶりを目にした近藤にも異存はなかった。 ただ、何かと気紛れで暴走しがちな沖田では、想定外な事態に陥った場合に彼女を補佐できない可能性がある。 出来れば誰か、沖田以外の――を助ける腕と余裕がある奴の援護が必要ではないのか。
そう考え、「見た目はどうあれあたしの心は乙女なの!」と常に言い張っている、 局内で最も女性の細やかな心情を理解出来そうな男を世話役に付けることにしたのだが――
(刀抜いてからのあの子が・・・ちょっとね。気になったのよ)
そう口にした時の武田の声には、思い返した何かを懸念するような響きと、どこか心配そうな響きが同居していた。 劇場内での応戦中に、が何か厄介を掛けたのだろうか。

の初陣はほんの半月前だ。まだ現場に慣れねえようだし、誰か傍についててやったほうが安心かと思ってなぁ。 だがそうか、足手纏いだったか。そいつは手間ぁ掛けたな」
「あら、手間なんて掛けられてないわ。あたしも沖田隊長も、殆どあの子を援護してないんだもの。・・・まぁ、だからこそ気になったんだけどね」
「――・・・?どういう事だ?」

レンズ越しの目元を曇らせている武田の、歯に物が詰まった言い回しがどうも引っかかる。 武田はわずかに躊躇う様子を見せたが、じきに口を開いた。

「・・・そりゃあ突入時はあの子相当緊張してたし、危なっかしいかんじだったわよ。 だけど、いざ刀を抜いたら危なっかしさなんて微塵も無かった。真剣慣れしてないうちの新入りなんて、彼女に何度か助けられてたわよ」

だろうな、と近藤は納得し頷く。
二ヶ月前、を含めた十名が新たに真選組隊士として入隊した。 同期入隊組では唯一の女。身体つきは華奢で細身で、どこにでもいる年頃の娘と変わらない。だというのに、は稽古中も模擬試合でも男たちを圧倒する実力を見せていた。
(強い奴にしか興味を示さないあの沖田隊長が、一度の立ち合いで気に入るだけのことはある。)
新人隊士としては異例の高評価が局内に飛び交い、彼女の指南役を務めた隊士たちも口々に彼女を賛辞したほどだ。
見たことのない型の剣法で同期入隊の男たちを圧倒する、強く巧みな女剣士。
しかしそんな評価が定番化する一方では、実戦ではそうはいくまい、という多少棘のある見方も出ていた。
真剣で人を斬る難しさは、道場での剣技習得の難しさとはまた異なるものだ。 元は普通の娘にすぎない、しかも見るからに非力そうな彼女が、男たちに混じって血生臭い現場に立てる訳がない。 いくら巧みな試合巧者でも、それはあくまで道場内での話。現場ではそう役には立たないだろう。口に出す出さないの差はあれど、そんな見方もあったようだ。
彼女に期待する者。期待出来ないと踏んでいる者。 局内には二つの見方が存在していた――あの初陣の日までは。

(あの新入り女隊士の実力は凄い。噂以上に確かなものだ。)
実際にの働きを目にした奴の口を通し、その評価は局内の全員に知らしめられた。
その日は沖田率いる一番隊に加入、沖田の補佐を務めながら屈強な攘夷浪士を数人討ち取り、現場に慣れた古株の隊士並みの戦果を上げた――

「実戦中のあの子を見るのは今日が初めてだけど、沖田隊長が推挙するだけの事はあるわね。でも、だからこそ気になったの。――あの子、どこであれを身につけたのかしらねぇ・・・」

同情を籠めた声で武田がつぶやく。未だたちが交戦中の劇場へと振り返った。
劇場の周囲はくすんだ灰色で包まれていた。館内からじわじわと漏れ出した煙に建物全体を覆われているようだ。

「それに、なんだか苦しそうだった。呼吸も乱さずに男どもを斬り伏せていくくせに、息苦しくて仕方が無いって顔してたのよ」
「・・・・・・そうか。いや、あいつに関しちゃ判らねぇ事のほうが多くてな。知らせてもらえて助かる」
「あら、あたしにはそんな風に見えたってだけよ。でも、また何か気付いたら報告するわ」

武田はやんわりと言葉を濁し、ひらひらと手を振りつつ去っていったが、――何を思ったのかは近藤にもおおよそ理解出来た。

――が初陣を飾ったあの日。遠目ではあるが、近藤もその姿を目にしている。
あの時は俺も他の奴等と同じように、寒気にも似た軽い興奮を覚えたものだ。
独特の構えと足運びによって繰り出される、剣舞にも似たしなやかな動き。 市井の娘たちと何ら変わりのない細腕は自在に剣を操り、彼女は自身の初陣の場となった現場を目にも止まらぬ速さで駆けていた。 勘の良さ、敏捷性、周囲の変化を的確に捉える状況察知能力。沖田にどこか似た天賦の才を感じさせる、申し分のない逸材だと思った。
だがその活躍によって、以前から案じていた事がより現実味を帯びてきた。――剣を手にしたを見るたび膨らんでいた、あまり思わしくはない疑念が。

(堅気の娘が真剣を持たされ初陣に出て、古株の隊士たちと何ら変わりのない働きをする。)

――そんなこたぁ不可能だ。ありえねぇ。
武州の小さな道場の主として、また武装警察の局長として、近藤は多くの剣士を目にしてきた。 同時に多くの現場で自ら刀を奮い、実戦と経験を積み重ねてきた。その経験が否定する。 道場を構える家で竹刀を手にして育ったとはいえ、――真剣を持ちなれていない普通の娘に、そんな真似は不可能だと。 竹刀や木刀の扱いに長けているのであれば、話はまた違ってくる。道場主である彼女の義父が仕込んだのだろう。そう考えて不自然はない。 だが、廃刀令が罷り通っているこの時世に、帯刀を許されていない市井の娘が真剣の扱いに慣れているとは――

ふとの顔が目に浮かんだ。突入前に遠目に窺った、まだ少女であるかのような輪郭の細い横顔。
緊張を隠しきれない面持ちで沖田と何か打ち合わせていた、その時のの表情が脳裏になぜか焼き付いていた。真っ白な肌をうっすらと青ざめさせた、危ういまでに張りつめた表情。 あんな表情をしてもなお、あいつが剣を手にする理由は――



「・・・ああも頑なに身元を隠してたんだ。そのへんの事情を訊いたところで、話しちゃくれんだろうなぁ・・・」

どうしたもんか、と独り言をつぶやきながら腕を組み、眉を顰めて思案する。
これが他の隊士たちなら、同じ男同士として腹も割れるというか、面と向かって尋ねてみるところだ。 だが、相手が野郎どもより遥かに繊細な若い娘となれば勝手も違う。しかもの場合、さらに事は複雑だ。明るく人懐っこい普段の様子に反して、彼女は案外と思い詰めやすい性格をしているらしい。 と同時に彼女は、何やら深い事情を抱えていそうな家出娘でもある。下手な尋ね方をすれば、最悪、屯所から姿を消してしまう可能性もある。 その危険性を思えば、やはり簡単には踏み切れなかった。うーん、と唸った近藤は劇場へと振り返る。

劇場周辺を覆う灰色の靄は濃さを増しており、さっきよりも視界が悪い。
近藤がこうしている間も、周囲では負傷者たちの搬送が絶えず行われている。 劇場からやや離れた駐車場に集められた負傷者の中を縫うようにして、隊士や救急隊員たちが懸命に奔走していた。
「ねえお願い、お願いだから戻ってちょうだい。娘が中にいるはずなの、あの子を置いていけないわ、ねえおまわりさん、ねぇ・・・!」
高級そうな着物を纏った品の良い年配の女性は、隊士に背負われて救急車へ向かう。涙ながらに呼びかける震えた声が、近藤の横を通り過ぎていく。 その背後には、――頭からどろりと血を流して深くうなだれ、友人らしき男に支えられながら救急車へ向かう若い男が。 暗い声で何か話し合っているその二人連れが横を通り過ぎたかと思えば、 胸から脇腹を血みどろに染めた重症者がぐったりと横たわる担架が、救急隊員によって迅速に運ばれて行く。
悪夢のような痛々しい光景を見つめるうちに、弱く生温い風に煽られ届いた硝煙の匂いに、特有の生臭さが微かに混じっていると気づく。 多くの事件現場に立ってきた近藤には、その匂いを嗅いだだけで嫌な想像がついた。
――きな臭い靄と血臭に包まれた劇場内。
あの中で命を落とした犠牲者の数は、おそらく数十や其処らでは済まないはずだ――




「どうした近藤さん。何か気になるのか」

顎に手をやり厳しい表情で考え込んでいたところへ、背後から声を掛けられた。
追いついてきた土方が隣に並ぶ。近藤が感じた劇場側からの異臭を同じように嗅ぎ取ったのか、無言で建物を眺める目つきは険しい。 口許から流れ出る細い紫煙が、風に煽られる糸のように揺れていた。

「――こいつはやばいぜ。この距離でこの臭いだ、客席中が血の海だろうよ。あんたもそこを案じてたのか」
「んー・・・、まあ、それもあるがな。武田の話がなぁ。その、についてだが。・・・・・・――なぁトシ、お前はどう思う」
「何をだ」
「道場稽古だけで身につけたとしたら、あの腕ぁ異常だ。どこで身につけたもんかと思ってよー」
「さぁな。俺も何度かとっつあんをつついてみたが・・・、あのタヌキ、尻尾どころか埃も出しやがらねぇ」

ああ、と近藤も同意する。
松平は家出中のが何処でどうしていたかを把握しているようだ。しかし、その点については完全に沈黙を守っていた。

「とっつあんがだんまりを決め込むってこたぁ、・・・そうか。にあれが身に着いたのはやはり家出中か。・・・そこに理由がありそうだな」
「あぁ?何の理由だよ」
「いや、武田がな。気になるんだとよ。刀振り回してるはやけに苦しそうに見える、ってな」
「フン、あれか。別に今に始まったことじゃねえぞ、ありゃあ」

煩わしそうに眉を寄せ、土方は唸るような声音で答える。ぎりっと煙草を噛みしめて何か考え込む彼の様子に、近藤は目を丸くした。

「・・・・・・。そうなのか?」
「ああ。どうせこっちが気づいてねえとタカを括ってんだろうが、あの馬鹿、何かってぇとそんな面してやがる。 現場に限らず、執務中も飯時も稽古中も見廻り中も・・・・・・・・・・・・・・、 おい。何で笑ってんだ」

土方が怪訝そうに尋ねてくる。近藤が大きく頑強な上半身をぶるぶると震わせ、腹を抱えて笑いをこらえ始めたからだ。 不満げに睨まれた近藤は余計に可笑しさが増し、笑い過ぎて涙が浮いた目で土方を眺めた。

「いやぁ何でってお前、そりゃあよー・・・・・・ぷっ。はは、ははははは!」
「・・・近藤さん。何がそうまでウケたんだか知らねぇが、そろそろ笑い止んでくれねえか。さすがにここじゃ外聞が悪りぃ」
「あぁそうだな、そうなんだが、くっ、ははは、悪い悪い!」
「あのなぁ・・・悪いと思ってんならどうにかしてくれ」

嘆かわしげに煙を吐いた土方に苦い顔で指摘されたが、なかなか笑いが納まらない。
――これが笑わずにいられるか?何でも何もねえだろうよ。
互いに面も見飽きるほどの長い付き合いだが、・・・・・・俺ぁこんなお前、初めて見たぞ。
副長室での執務中、事件現場、見廻り中。副長附きの役目上、は常にトシに附き従っているが、
――そうか。任務に関わりのねえ飯時や道場での自主稽古中まで、目で追っているときたか。 しかもだ、あまり感情を表に出そうとしねえこいつが、珍しく不満気な面して女の話だ。 まぁ、これも今に限ったことじゃねえがな。の話題が出た時ぁいつもこうだが、これが何よりの証拠ってもんだろ。
もっとも、手前がどんな面でのことを口にしているか、妙なところで鈍いトシは気づいてねえらしいが――
くくく、と喉奥で笑いをこらえ、土方の肩をばしばしと力一杯に叩く。
痛てぇよ、と眉を吊り上げ睨みつけられたが、それでもばしばしと隊服の肩を叩き続けた。 ここまで惨憺たる状況を前にしているのに――決してこの場に相応しい態度とは思えないのに―― それでも、やけに嬉しそうな表情で。

「いやぁ悪い悪い、ははははは!そうか、あれは前々からか。そいつは知らなかった、いやぁ・・・どうも鈍くていけねえなぁ、俺は」
「・・・?気色悪りぃな。何がそこまで可笑しいんだ」
「そうじゃねえ、安心したのさ。お前があいつを気に掛けてくれてるんなら、何も気を揉むこたぁねえな!」
「はぁ?ぁんだそりゃ、丸投げかよ。・・・ったく」

ひどく面倒そうに、しかしどこかぎこちなく土方がつぶやく。 あまり見慣れないこんな態度すら、近藤には喜ばしいことのように思えてしまう。 苦労しながらどうにか笑いを収めると、それとなく土方の様子を横目で眺めた。
こんな現場で笑い転げるたぁ、・・・不謹慎な事をしたな。
そうは思うし、反省もする。それでもふっと口許を緩ませ、ほんの一瞬、おおらかそうで人が良さげな彼本来の表情に戻った。

――もしかしたら、当人も自分の変化に困惑しているのかもしれない。
意識しないよう努めても、打ち消そうとしても湧き上がってくる不慣れな感情。 を目にすれば自然と浮かび上がってくるそれを、こいつはまだまだ持て余しているんだろう。
――だが、トシよ。俺ぁ安心したぜ。
お前にとっては厄介この上ないだろうこのぎこちない不機嫌が、俺には、俺がひそかに願い続けてきた兆しに見える。 これまでのお前なら手前の身近に寄せ付けようともしなかったはずの、吉兆に思えてならねえんだ――



「・・・?いつまでにやけてんだ近藤さん」
「ああ、悪い悪い。いやぁさっさと片付けねえとな、とっつあんが痺れ切らして劇場に乗り込んじまう」

状況によっては実現してしまいそうな困った予想を苦笑混じりに口にした、その時だ。
きぃいいん――っ、と鼓膜を痛めそうなほど甲高い怪音が耳を突き抜け、

「――・・・・・!」

異様な音に顔色を変えた近藤は、土方と目を見合わせる。
すぐさま二人は劇場を見上げた。
拡声器を通した超音波のような耳障りな高音が響き渡り、負傷者や隊士たち、救急隊員に消防隊、門前の報道記者たちの注目も一点に集中。 耳奥に不快さを残す残響が徐々に消えてゆくと、誰もが息を呑むような緊張感を孕んだ沈黙が降り、不自然で奇妙な静寂が生まれ、

――次の瞬間、大音響が静寂を切り裂く。
短く混ざるノイズとともに強いストロークで掻き鳴らされる、エレキギターのひび割れた音だ。 誰もが思わず耳を抑えるほどのやかましさで、ドラムの速い連打音がそこへ連なる。腹に響くベースの重低音も重なる。 きつめのディストーションで音をうねらせる別のギターが力任せなカッティングを刻み、 獣の咆哮のような男の歌声が、粗野で豪快なバンドアンサンブルにメロディーを与える。

最初は耳障りな怪音として捉えられたそれは、轟音で奏でられるガレージロックとして劇場の周囲に広がっていった――





「 狼と踊れ #01-2 」
Caramelization *riliri 2013/09/16/     next →