「あら、男の人ばかりかと思ったら女の子もいるのね。まぁまぁ、かわいい猫さんだこと」 「そのお洋服も似合ってるわねぇ」と笑顔を向けてくれたのは、ちょこんと椅子に座る姿が 子供みたいに小さくて可愛いらしいおばあちゃんだ。「えへへ、ありがとうございます」と 照れたあたしが何度もぺこぺこ頭を下げて、そのたびに鈴がちりんちりん鳴ってたのが可笑しかったみたい。 「あらあら」とおばあちゃんがまた笑えば、「面白いお店が見つかってよかったわね、お母さん」と、 向かいに座った娘さんらしき女の人もティーカップを口元に運びながら微笑んでくれた。 中央にオレンジのお花を飾ったテーブルに、水色のコースターと真っ白な紙ナプキンを敷く。 ストローやスプーンもちょこちょこと並べて、しゅわしゅわと泡が弾ける緑色のクリームソーダもコースターの上に。 表情が生き生きとして快活そうな雰囲気の娘さんが、店の中をぐるりと興味深そうに眺めて、 「それにしても壮観ねぇ。猫耳つけた男の人がこーんなに、しかも全員真選組の人なんでしょ。 ねぇ、どうしておまわりさんがこんな格好でお店やってるの」 「はい、町内会の世話役さんから、お祭りで飲食店を出してほしいってお話を頂いたんです。 それでカフェを開こうってことになったんですけど、・・・でもうちのみんなは ちょっと、ええと、なんていうか、あんまりお祭り向きじゃないっていうか・・・」 表現に詰まってしどろもどろになりながら、背後の客席に振り向いてみる。 夕暮れ時を迎えてうっすらとオレンジ色に染まった店内に 昼間ほどの忙しさはないけれど、数組のお客さまが遅めなティータイムを楽しんでいた。 そんな和やかな店内で目についたのは、トレイに乗せた大量の食器を ガチャガチャ鳴らして厨房に向かう、右の瞼の斬られた跡が悪目立ちしてる猫耳メイド。 次に目に入ったのは、プロレスラーみたいにムキムキでメイド服の胸の釦が 今にも弾け飛びそうな筋肉自慢の猫耳メイド。他には――来店したお客さまに 「おかえりなさいませお嬢様」と笑いかけては慄かせている、 眉毛を剃り落とした凶悪犯顔のメイド、片付けていた食器を落として 大慌て、「ぅおおおお〜〜!」と店中に轟く大音量の雄叫びを上げて嘆くメイド、 「うっす!お水のおかわりいかがっすか!」とカップルで来店された お客さまを脅迫する勢いでグイグイ迫って、大人しそうな彼氏さんをすっかり青ざめさせてるメイド―― 「えっと、その・・・みんな見た目も中身もアクが強・・・こ、個性的すぎて 接客向きじゃないから、可愛いメイド服と猫耳で緩和したらどうだろうって案が出て、 こんなかんじになったんです。 ・・・まぁ結局、メイド服でも猫耳でもぜんぜん緩和できてないんですけど・・・」 肩を竦めてそう締め括れば、ぷっ、と娘さんが吹き出した。 あはは、と身体を揺らして笑い始めて、 「そうねぇ、たしかに誰も似合っちゃいないわねぇ。だけど楽しいお店じゃない、 普段は刀持ってご近所を練り歩いてるおっかない人たちがスカートなんか穿いちゃって、 危なっかしい手つきで一所懸命お茶を運んでくれるんだもの」 下手な接客も御愛嬌ってもんよ、と笑いかけられたら、まるで自分が褒められたみたいに嬉しくなる。 「ありがとうございますっ」とぺこぺこ頭を下げれば首の鈴がちりちり鳴って、 「あらあら」とおばあちゃんがまた可笑しそうに笑っていた。 「――あら?あなた、どこかで見たような子だと思ったら・・・もしかして、引ったくりを捕まえた人?」 「はい?」 「あら、あらあらあら!そうよあなたよ、あなたよね!」 急に顔を近づけてきてまじまじとあたしを眺めた娘さんが、ぱぁっと丸く目を見開いた。 椅子を倒しそうな勢いで立ち上がると、 「そうよお母さん、この子よ、この子!」 「・・・?ぁ、あのぅ、あたしが何か・・・??」 いったいどうしたんだろう、娘さんはすっかり興奮状態だ。 ぽかんとしているあたしの両手をぎゅっと握って、ぶんぶんぶんっっ、とパワフルに振って、 「あなたが取り返してくれたバッグの持ち主は、私の友人なの。さっきはどうもありがとう!」 「バッグって、・・・――あっ」 あぁっ、と何度もぱちぱちと瞬きする。 混乱する頭の中に浮かんできたのは、引ったくりに遭った被害者さんだ。 バッグをお返しした時に顔を合わせただけだから、 顔立ちくらいしか覚えていないんだけど。でも、確かにこの人と同じ年代の女性だった。 法被姿のお祭りの実行委員さんに支えられるようにして立っていた、青ざめきった女の人―― 「人は見かけによらないって言うけど、強いのねぇあなた!あなたも真選組の隊士さんなの?」 「はっ、はい。まだ半人前ですけど」 「それにしては大活躍だったじゃない。若い娘さんが大の男をやっつけちゃって、すごかったわぁ」 「まぁ、知らなかったわ。あなた猫さんとお知り合いだったの?」 「違うわよお母さん。お母さんも見てたでしょう、お昼のあれ。 お園ちゃんがバッグ奪られて引ったくりが逃げて、大変な騒ぎだったじゃない」 「あら、まぁ。あの女の子、猫さんだったの。まぁまぁまぁ」 おっとりした口調で「まぁまぁまぁ」を連発しながら、おばあちゃんは口許に手を当てて驚いていた。 ――お二人の話から推測すると、どうやらバッグを盗られた女の人は 「お園ちゃん」と呼ばれている娘さんのお友達らしい。しかも このお二人はあたしが引ったくりを蹴りつけた現場にも偶然居合わせたみたいだ。 見てるだけでほっこりしてしまうおばあちゃんの優しそうな顔から笑みが消えて、瞬きも忘れてこっちを見てる。 「あのぅ・・・すみません。乱暴なところをお見せして」 ・・・そっか、見てたんだ。 あれを見てたんだ、おばあちゃんも娘さんも。 それを知ったらしゅんとした気分になって、あたしはぺこりと頭を下げた。 おばあちゃんの反応を目にしているうちに、チラシ配りの時に会った 人たちの真選組に対する反応や、金髪お兄さん三人組の言葉を思い出したせいだ。 『真選組って、どうしようもない野蛮な奴らの集まりなんでしょ』 それが世間で罷り通っている真選組の評判なら、あたしがしたことは、 真選組のためにならなかったのかもしれない。 引ったくりを捕まえたことで、喜んでくれた人たちもいた。 盗まれたバッグも、持ち主に無事お返し出来た。 でも、真選組の悪いイメージを助長させることにもなったんじゃないかな。 これだから野蛮な奴らは嫌だって、真選組はやっぱり怖いって、町の人たちは思ったんじゃないのかな―― 「あら、どうして謝るの」 「えっと、その・・・よく言われるんです。 真選組って乱暴で怖いって、何をしても嫌がられちゃって・・・」 「まぁ。まぁまぁ、そうなの」 胸に抱えたトレイをもじもじと弄りながら答えると、おばあちゃんは悲しそうに眉を下げた。 「それは辛いわねぇ」と同情を込めた声でつぶやく。 何か考え込んでいるかのような表情でしばらくお店の中を見渡した後で、 皺が寄った目元がやわらかく細められる。ふっくらした口許にえくぼが浮かんで、 「猫さんたちは立派なお仕事をしているのねぇ」 「えっ」 思いもよらなかったその言葉に、あたしはきょとんとしてしまった。 目を丸く見開いておばあちゃんを見つめると、 「人に嫌がられても挫けないで、町を守ってくれてるのよね。とっても立派じゃないの」 「そ、そうでしょうか」 「そうよ。今日だって、娘の友達を助けてくれたじゃない。ねぇ、そうよねぇ」 「そうよー、お母さんの言うとおりよ。 お園ちゃんね、引ったくりに刃物突き付けられたってかなりショック受けてたけど、 バッグを取り戻してもらえてよかったって、ほっとしたって言ってたわ」 椅子に座り直した娘さんも、そうそう、と頷く。 明るい笑みにほころぶ顔には、おばあちゃんそっくりのえくぼが浮かんでいた。 「お園ちゃんもそうだし、町の人たちも助けられたはずよ。 もしあの引ったくりのせいで誰かが大怪我を負っていたら、祭りは 中止になったかもしれないでしょう?中止になれば今日を楽しみにしてた子供たちは みんながっかりしただろうし、町内会の世話役さんたちは頭を抱えて困り果てたでしょうね」 だけど、見てごらんなさいよ。 そう言った娘さんは、薄いカーテンの向こう側の景色に視線を移す。 つられてあたしも目を向けた。 色鮮やかに並ぶ屋台とたくさんの人で賑わっている、茜色を浴びた日暮れ前の景色に―― 「あなたたちが騒ぎを鎮めてくれたからお祭りは続いてるし、 みんなが笑ってお祭りを楽しんでる。ほら、この店のお客さんだって楽しそうでしょ。 私たち親子もそうよ、呑気に笑ってるでしょ?」 「・・・」 「そうよ、猫さん。あなたたちが、私たちを笑顔のままでいさせてくれたのよ。 だからね、あなたにも笑顔になってほしいの。今日は年に一度のお祭りですもの、 一緒に楽しんでくれたら嬉しいわ」 クリームソーダのグラスにストローを挿しながら、ね、とおばあちゃんが目で問いかけてくる。 だけどどう答えればいいかわからなくて、ほっこりした笑顔で微笑む人ををぼうっと眺めた。 言われたことは素直に嬉しい。何より、見ず知らずのあたしを励まそうとしてくれるお二人の気持ちが嬉しい。 ここにも真選組を認めてくれる人がいる。それが判って、すごく嬉しい。 でも、・・・なんだろう。嬉しいだけじゃない。 『あなたたちが、私たちを笑顔のままでいさせてくれたのよ』 周りの目を気にして萎縮していたあたしを、元気づけようとしてくれたんだろう。 おばあちゃんの温かい励ましの言葉は、あたしのしたこと全てが 間違っていたわけじゃないって、そのおかげで助かった人がいるんだって、 見失いかけていた大切なことを、それとなく優しく教えてくれた。 だけど、――なんだろう。それだけじゃない。 その中に、今まで見落としていた、何か他の大事なことが隠れているような気がして。 なのにそれが何なのか、どうしてそう思ったのかもわからなくて―― 「――ありがとうございましたー!」 店の隅から声が上がって、あたしはふっと我に返った。 食事を終えたお客さまが立ち上がって、後ろを通りすぎていく。 「あら、やだ」と回りの席を見回した娘さんが、 「つい長話しちゃったわ。ごめんなさいね引き止めちゃって」 「い、いえ、そんな・・・あ、あのっ。ありがとうございます」 「ふふっ、やーねぇ。お礼を言うのはこっちのほうよ」 「いえ、いいえ・・・!あたしこそ、励ましてもらって・・・今のお言葉、本当に嬉しかったです」 「ごゆっくりどうぞ」と笑顔で頭を下げてから、次は隣のテーブルへ。 夕方近くなってぽつぽつと出来始めた空席の、まだ下げられていないグラスやお皿を重ねてトレイに乗せていくと、 「ありがとうございましたー!」 お客さま全員が思わず振り向いてしまうくらいの、通りのいい声が店中に響く。 見れば入口前に整列した近藤さんと数人が、お会計を済ませたお客さんを見送っている。 あたしも片付けの手を止めて、「ありがとうございました」とお辞儀した。 頭を上げてからあらためて店内を見回してみれば、お客さまが座ってる席と空いてる席は半々くらい。 四時くらいまでは客足が絶えなくて大盛況だった店内は、五時を過ぎたあたりから 空席がぽつぽつ目立ちはじめて、陽が暮れかけた今はゆったりとくつろいだいい雰囲気だ。 「ここからの時間帯は大人の時間、お好み焼きや焼きそばなんかのがっつりご飯系や、 お酒に合いそうなおつまみの店が繁盛するのよ」って武田さんが言ってたけど、その通りみたい。 店を囲む薄いカーテン越しに見える向かいのお好み焼き屋さんは、夕方前から大繁盛してる。 ご夫婦らしいおじさんとおばさんが二人で切り盛りしている店だ。大きな鉄板で一度に数枚ずつ焼いても 注文に追いつかないみたいで、香ばしい匂いを振り撒く暖簾の前には長い行列が出来ていた。 「・・・みんな笑って、お祭りを楽しんで・・・」 行列を形作っている人たちの様子や通りすぎる人たちを眺めながら、さっき言われたばかりの言葉を口にしてみる。 外の景色を白く遮る布の向こうを横切っていく人たちは、娘さんの言った通りに どの人もお祭りを楽しんでいるように見えた。 どの顔もしあわせそうで、穏やかで。どの人の姿も、温かそうな夕陽を浴びてまぶしく輝いていて。 『あなたたちが、私たちを笑顔のままでいさせてくれたのよ』 さっきおばあちゃんに言われた言葉が、頭の中を駆け廻ってる。 あたしはまだ半分も片付いていないテーブルを見つめて、 氷だけが残ったアイスコーヒーのグラスを持ったまま、ぼんやりとその場で考え込んだ。 指先にじんと染みてくるグラスの冷たさも忘れて、自分が何をしていたのかも忘れかけて。不思議な気分に身体中を満たされながら、外へ視線を移してみる。 かすかに肌をひんやりさせる心地いい宵の風が、ふわりと揺らすカーテンの向こう。 そこは昼間と同じ景色のはずなのに、なぜか違う景色のようにも見えた。 空や光の色合いが変わって、流れる空気の質感まで昼間とは変わってきたせいなのかも。 会場中に広がる祭囃子の軽やかな音色に、近くの屋台からの呼び声。 どこから流れてきたのかわからない、子供の泣き声。笑い声。 どれも昼間聞いたものと同じはずなのに、なぜか昼間には感じなかった、胸のどこかを 優しく締めつけられるような懐かしさを感じてしまう。茜色に染まる賑わった光景に、 ふと思い出した過去の自分の姿を重ねてしまう。すこしだけ鳥肌が立つような昂揚感が、 旋風みたいに巻き上がって身体の中心を吹き抜けていく―― 「――あぁ。・・・・・・そっか・・・」 その風が一瞬で消えてしまえば、唇からぽつりと声が漏れた。 ――あぁ、そうだ。 あたしもそうだった。あの日、この景色の中にいた。 信じた人に騙されて、裏切られて、何もかも失くした気になって―― 笑う気力も生きる気力もなくしてしまった馬鹿な子は、拾ってくれたあのひとのおかげで救われた。 不器用だけれど優しい人達の仲間にしてもらって、失くした笑顔を取り戻した。ここに戻れた。 二度と戻れないはずだった、まぶしく輝く温かい場所に。 猫 可 愛 が り に も ほ ど が あ る *5 「すみませーん、注文いいですかぁ」 「はぁい、かしこまりました!」 「ごちそうさま」と帰り際に挨拶してくれたおばあちゃんと娘さんを 入口でお見送りしてからも、あたしは絶えずぱたぱたと店の中を往復していた。 真っ白なエプロンドレスの胸元に挟んだオーダーシートを引き抜いて、声を掛けてきたお客さまのほうへ。 「おすすめメニューってありますか」と尋ねてきたお客さまは男女二人ずつ。 お祭りを満喫した後らしくて、男の人たちは頭にお面、女の人たちのバッグからは 綿飴や林檎飴の袋が頭を覗かせていた。四人分のドリンクとスイーツの注文を受けて、その足で急いで厨房へ戻る。 厨房とはいっても、屯所の備品の古いテントで作られた簡易キッチンみたいなものだ。 そんなに広くはないんだけど、設備はわりと充実してる。おかげでメニューも お祭りの出店とは思えない豊富さで、お客さまにはなかなか好評だったみたい。 「あーさん、お疲れさんっす」 仕切りのカーテンを潜って中へ入ると、飄々とした声を掛けられる。 目を合わせて軽く会釈してくれたのは、きれいに仕上げられたオムライスのお皿を手にした 一番隊の副隊長さんだ。「お疲れさまです」と返しながら壁際へ避けて道を譲ると、 「いやー今日も疲れましたよ、隊長のおかげで」なんて、冗談か本気か よくわからない口調で言いながら、可愛いメイド服に似合わない大股でずんずんとお店のほうへ出て行った。 コンロやオーブンなんかの熱気が籠っている中は、客席よりもうんと熱い。 手前のコンロでは真っ赤なトマトのパスタソースがぐつぐつ煮え立っていて、 白くたちこめる湯気とおいしそうな匂いにふわりと顔を撫でられる。 その匂いのおかげで途端にきゅるるっとお腹が鳴って、食欲に忠実すぎる 自分の身体にあわてたあたしは、顔を赤らめてあたふたとエプロンドレスの上からお腹を押さえた。 そういえば、忙しすぎて忘れてたけど――朝からずっと働き詰めで、お昼ごはんを食べていない。 とはいえお腹を空かせているのはあたしだけじゃなくて、まだ半分くらいの隊士が お昼ごはんにありつけていない状態だ。先に休憩に入った人たちの話だと、 カフェでお出ししているものと同じメニューで美味しい賄いを作ってもらえるらしい。 何を作ってもらえるんだろう、楽しみだなぁ。 「オーダーお願いしまーす!」 思いきり声を張り上げれば、額に汗を流して調理している厨房のみんなが振り返る。 おたまにフライ返しに木べら、泡立て器にアイスクリーム盛りつけ用の大きなスプーン ――手にしている調理器具を振り上げて、「うぃーっす!」と声を揃えてくれた。 目が回るほど忙しかったピークの時間帯を過ぎても、厨房にはあいかわらず活気が溢れてる。 開店した時は慣れない作業に戸惑っていた調理担当のみんなも、今ではすっかり 余裕が出来て、それぞれが自分の持ち場の作業を楽しんでるみたいだ。 「さんお疲れー。そろそろ店も空いてきたから、キリのいいところで休憩行っていいってさ」 オーダーを読み上げて客席に戻ろうとしたところへ、山崎くんが戻ってきた。 トレイ片手にスカートを揺らしておしとやかに歩く猫耳メイド姿は、 他の人よりも一回り小柄で動作もしっかり女の子。 うん、これならどう見ても男の人には見えないよね。さすが監察科の精鋭、完璧な女装姿だ。 だけど・・・メイドも女装も初心者な皆の先頭に立って、朝からあれやこれやと奔走してたせいかな。 「いやー、忙しかったねー。ティータイムなんてどうなるかと思ったよー」 真っ白な泡がシンク一杯にもこもこ膨らんでる洗い場に食器をぽちゃぽちゃ入れながら、 ぼそぼそ、ぼそぼそ・・・。力の入ってない声で話しかけてくるんだけど、その笑顔も 疲れきって生気がないっていうか、頬のあたりがげっそりしてるっていうか・・・。 「だ、大丈夫?山崎くんこそ休憩入ったほうがよくない?なんか表情がやつれてるよ」 「ははは、そう?・・・うーん、まだ内容は話せないんだけどね。実は最近、厄介な任務が多くてさぁ・・・」 眉をへなっと下げて笑った山崎くんが、トレイを置いて溜め息を落とす。 男の人に戻った仕草で頭をわしわし掻きながら、 「昨日は一日取調室に詰めっきりで、その後も深夜まで偵察任務の引き継ぎとか調書作成とか、 息つく暇もなかったんだよね・・・」 「働き過ぎだよ、少し気分転換したほうがいいよ。そうだ、知ってる? 夜にね、河川敷で花火上げるんだって。さっきお茶していった隣のお屋敷のおじいさんがね、 真選組の皆さんも手が空いたら見に来てくださいよって言ってたよ」 「へぇ、来てたんだご隠居さん」 「うん、愉快な店ですねぇ、って笑ってたよ。他の実行委員さんたちと巡回してる途中だったみたい」 これ貰ったの、と黒いワンピースのポケットに入れておいた四つ折りのチラシを開く。 『第○○回 ××町春祭り』 夜空をバックに大輪の花火がデザインされた下には、出店や催し物の案内に混ざって 花火の打ち上げ時間、会場になる河川敷までの地図も載ってる。とはいえ河川敷は この総合グラウンドの裏手にあるから、野球場やテニスコートなんかを 横目にてくてく歩いて通用門を抜けるとすぐに着いちゃうんだけど。 チラシを眺めた山崎くんが、ああ、って何か気付いたような顔になって、 「このポスター商店街で見たよ。入口前の掲示板にも貼ってあったね」 「予算が少ないからそんなにたくさん上がらないけど、有名な花火師さんが作った 大玉もあるんだって。夏の大きな花火大会で上げるような豪華な花火でね、川辺で見ると水に映ってすっごく綺麗らしいよ」 「花火かぁ。そういやぁこの祭り、毎年打ち上げてるらしいけど・・・春祭りで花火って、ちょっと時季外れだよね」 うん、言われてみれば確かにそうかも。 花火といえば春より夏なんじゃないの、って不思議に感じる部分もあるよね。 何でもその有名な花火師さんがこの町の出身で、その縁もあって 「お祭りのフィナーレは花火」が春祭りの恒例行事になってるんだそうだ。 警察のお仕事に就いているとゆっくり花火見物する機会なんて 滅多にないんだけど、屯所のお隣に住んでるだけあってご隠居さんも そういう事情を察してくれていたみたい。「この機会にぜひ皆さんでどうぞ」って メイド役のみんなにチラシを渡して薦めていた。それで近藤さんも 「売上目標も達成したことだし、どうだ、早めに店閉めて見に行くか」なんて 自ら切り出してくれて。その場に居合わせた人たちと、すっかり盛り上がってたんだよね―― そんなことも話してから、もう一度チラシをきれいに畳む。はい、と山崎くんに手渡して、 「山崎くんも近藤さんたちと行ってみたら。 任務のことはちょっと忘れて、綺麗な花火で癒されるの。きっといい気分転換になるよ」 「うぅぅ・・・ありがとう、俺にこんなに気を使ってくれるのさんだけだよ・・・」 ぐすん、と鼻を鳴らした山崎くんはチラシをぐっと握りしめていた。 ああ、目がうるうるしてる。でもよかった、喜んでもらえたみたいで。 お互いに土方さんからお目玉を食らいやすい立場、っていうちょっと情けない連帯感の おかげもあるのか、山崎くんは何かにつけてあたしをお世話してくれる。土方さんにキツい こと言われたときには半泣きで愚痴ってくるけど、あたしが叱られて半泣きになったときには 同じように愚痴を聞いてくれる。半人前で失敗も多いあたしにとっては身近で頼れる 先輩なんだけど、今日はその先輩にちょっとした恩返しが出来そうだ。 「ところで片付け途中になってたテーブル、もう終わったよ」 「えっ、やってくれたの?ありがとー」 「いいよ、ついでだから。でさ、片付け終わってないテーブルもう一席あるんだけど」 「うん、行ってきます!」 「よろしくねー」 手を振って見送ってくれる山崎くんに「任せて!」って 意気込んで拳を握ってみせて、トレイを手にして客席へ。 テーブルの片付け始めると、「お店の写真撮ってもいいですか」って お客さまに尋ねられたり、「お水ください」って頼まれたり、 お会計を済ませて外へ出るお客さまにご挨拶したり―― 忙しい時間帯が終わっても、こうして客席に立っているとお仕事は途切れることなく押し寄せてくるみたいだ。 でも――楽しいな。 忙しくてバタバタしちゃうけどそれも悪くないっていうか、充実した忙しさ、ってかんじかも。 最初は慣れなくて大変だった接客も、どうにか手順を覚えてしまえば楽しいことがけっこう多いし。 何より、お客さまたちの笑顔を見れるのが嬉しいかな。真選組のお仕事は 笑顔とは縁遠い殺伐とした現場が中心だから、こういう安全で和やかな場で市民の皆さんに 接する機会ってないんだよね。飲み物や料理を運ぶ合間にお客さまの姿を 眺めるだけでも、なんとなくほんわかした気分になってそれだけで楽しくなっちゃう。 それでなくとも、さっきのおばあちゃんたちが気づかせてくれた ちょっとした発見のおかげで、目にするもの全部がこれまでよりもっときらきらして見えるのに。 ・・・ああ、いいなぁ、こういうの。 警察のお仕事とはまったく違う何かを、みんなで一致団結してやれるって楽しい。 いいのかなぁ、いちおう任務なのにこんなにわくわくしてばっかりで。それでなくともお祭り好きなあたしにとって、今日は特別に楽しい日なのに。 しかも――今日は他にも、大きな楽しみがあるんだよね。 「・・・・・・うぅぅ・・・やっぱり土方さん、かっこいぃぃ・・・」 ちた、ちら、ちら。 視線や気配に敏感なひとに気付かれてしまわないように、ほんの一瞬だけ背後のテーブルに 視線を送る。頬にじわじわ熱が集まってくるのを感じながら、ぎゅっと抱きしめたトレイで 口許を隠す。恥ずかしいひとりごとを誰にも聞かれないように、ぽそぽそ小声でつぶやいた。 ――いつのまにか武田さんまで同席してきゃあきゃあと楽しそうにお喋りしてる、一番奥の席。 店内で唯一黒い燕尾服を着てる執事さんは、色違いのロングドレスであでやかに着飾った 長身のお姉さまたちに囲まれてる。白とグリーンで統一されたガーデンテラス風の明るい店内で、 なんだかあそこだけが松平さまが通ってる高級クラブみたいなゴージャスで妖しい 景観になってるんだけど、どの人もスタイル抜群でキラキラ輝いてるあのお姉さまたちは 全員武田さんのお友達なんだそうだ。 (そして――何度見ても信じられないんだけど、実は全員が男の人なんだそうだ。) 片付けを再開させてからも、あたしはそのテーブルのほうばかり盗み見てた。 そのたびに頬を赤らめてぼーっとしたり、そんな自分に気付いてあたふたしたり、 片付けるはずのカップやお皿をあやうく落としそうになったり。通りがかった近藤さんが 「!皿ぁぁ!皿が!!」ってあわてて駆け寄ってこなかったら、失敗ばかりのぼんやりメイドは 武田さんが集めてきたブランド物のお皿を粉々に割っていたかもしれない。 ――だって。今日はいつもと違うんだもの。 隊服姿か着流し姿以外を見るのは初めてで、あたしが知ってる土方さんじゃないみたい。 ・・・それに、本人は「窮屈だ、柄じゃねえ」って不服そうだったけど、 人によっては服に着られましたってかんじになっちゃう礼装を、服に負けない迫力と 整った容貌を持ってる土方さんは、すっかり自分のものとして着こなしちゃってる。 あれを見てどきどきするなってほうが無理だよ。あんな人に屋台に挟まれた通りのど真ん中で 頭なんか撫でられたんだもん、どんな女の子だってドキドキするよ。 心臓バクバクで全身真っ赤で頭が沸騰寸前だった、あたしの気持ちも察してほしいよ。 「・・・結局何だったのかなぁ、あのナデナデって」 そのときの土方さんの毒気が抜けた表情が、ふいにぽわんと浮かんでくる。 撫でられたのは頭の天辺、猫耳カチューシャのあたりだ。 なんとなくそこに手を伸ばして触れてみたら、まだうっすらと、大きくて硬いあの手の 感触が残ってるような気がした。だんだん気恥ずかしくなってきて 「うぅぅっ」と唇を噛みしめたあたしは、焦ってティーカップを持ちあげる。 だけど焦ったせいで妙に力が籠ったみたいで、底に残っていたミルクティーがぱしゃっとテーブルに飛び散ってしまって、 「わ!〜〜〜ゎわわっ、やだ、ど、どうしよっ」 「――すいませーん、三人なんですけど入れますかぁ」 「っ!は、はいぃっ、いらっしゃいませ!」 テーブル拭き用のタオルを掴んで真っ白いクロスの茶色い染みをあたふたと擦っていたら、 入口前に女性三人連れのお客さまの姿が。 いちばん近い場所に居たあたしが出迎えようとしたら、後ろから肩を掴んで止められて。と同時で、黒の燕尾服姿がすっと傍を横切っていった。 「いい、俺が出る」 「あれっ、土方さん。奥の席のお客さんのお相手しなくていいんですかぁ」 「あれぁ客じゃねぇ、武田のダチだ。フン、あんな化け物どもにいつまでも構ってられるか」 すれ違いざまに声を掛けたら、憮然としたように口端をひん曲げた土方さんが お客さまに聞こえない程度まで落とした声でぼそっと答える。 細めな黒のネクタイを締め直しながら入口へ向かうと、 「――おかえりなさいませ、お嬢様。こちらのお席へどうぞ」 三人の金髪お兄さんたちにやってみせたのと同じように、 土方さんは畏まった仕草で胸に手を当て、深々とお辞儀してみせた。 大きなパラソルが立てられたテラス席を白手袋を嵌めた手で指すと、お客さまを誘導していく。 朝からお店に入ってるメイド役のみんなは慣れない接客にまだまだ悪戦苦闘してるのに、 何でも飲み込みが早い副長さまときたら、ここに務めて数年です、ってかんじの涼しい顔で執事役をこなしてる。 しかも、お客さまへの対応を繰り返すうちに笑顔を見せる余裕まで 習得したらしい。「こちらへどうぞ」って、女性三人を席へ誘導する時だ。 無表情に引き結ばれていた口許にほんの一瞬笑みが浮かんだから、 あたしと同じくらいの年に見える三人は、頬を染めてきゃあきゃあとはしゃいでいた。 ・・・その見たこともない愛想の良さのおかげで、あたしの表情はかちんと固まりきってしまったけど。 ・・・・・・。あれっ。なんだろ。なに、この暗くて重たい、もやもやした気持ち。 なんか胸の奥がちくちくするよ。どんよりするよ。なんだか面白くないよ。うん、面白くない。 だって、あの土方さんが。 いつでもどこでも目つきが悪くて仏頂面、誰に対しても無愛想がデフォルト対応の鬼の副長さまが。 「接客業はとにかく笑顔、笑顔が大事よ!」って、お店に出る直前に 武田さんから言い聞かされた時には、「けっ、祭りの飯事遊びでそこまでやってられるか」 なんて心底嫌そうに舌打ちまでしてたひとが。なにそれ。なんですかその顔。 そんな愛想のいい顔、飼い犬呼ばわりしてるおバカな部下には一度たりとも見せてくれたことないですよね? ・・・・・・・・・ていうか、なにこれ。あたし、もしかして嫉妬してる・・・? 「・・・ぃ。いいもん別に。気にしてないもん。・・・誰にどんな顔しても、土方さんの自由だし」 ごし、ごし、と汚れたテーブルクロスを擦る合間に、テラス席のほうをチラ見してはブツブツ漏らす。 ・・・そう、そうだよ。あたしには土方さんの行動に口出しできる権利なんてないんだもん。 屯所の中では副長の彼女として認めてもらってるけど、それはあくまで表面上のことで、 正真正銘の彼女です、なんて名乗れるような立場じゃないし。どっちかといえば 「土方さんの彼女(仮)です」って名乗るほうが正解なくらいだし。 いや、それどころか「彼氏」と呼ぶべき立場の人には人間扱いすらされてないし。さっきもずーっとバカ犬呼ばわりだったし―― 「・・・うぅぅ・・・どーせあたしはおバカな飼い犬ですよぅ。人間扱いしてもらう価値もないですよぅぅ」 ごしごし、ごしごし、ごしごしごしごしごしごしっ。 ヤケになってテーブルクロスを破りそうな勢いで擦りまくってたら、 「ねーぇそこのお嬢ちゃん、猫耳のお嬢ちゃん。ちょっといいかしらー」 色っぽく掠れた低めなハスキーボイスが、お店の奥から飛んできた。 くるりと振り向いてみれば、胸も脚も大胆に露出した三人のお姉さまが こっちにひらひら手を振ってる。 「はぁーい仔猫ちゃん、アタシたちと遊ばなぁい」 色っぽいウインクと手招きつきで声を掛けてきたのは、奥の席に座ってた 武田さんのお友達の一人。 夜の海みたいな深いブルーのドレスを着た、ハスキーボイスのお姉さんだ。 「えっっ。あ、あたしですかぁ」 「そうよー、あなたよー。 可愛い子がいるから気になってたの、女同士で楽しくお喋りしましょうよ」 「っ!!?」 うわぁどうしよう、可愛いって。あんなに綺麗な人に可愛いって言われた・・・! 光栄すぎるお言葉に浮かれてぽーっとしてしまったあたしは、 まるでお姉さまたちの甘い香水の匂いに引き寄せられた虫か何かみたいに ふらふらそっちへ寄っていった。 すると気だるげな雰囲気と妖艶な流し目が印象的な ピンクのドレスのお姉さんが、ちょっと、とブルーのドレスのお姉さんの肩を叩いて、 「ダメよ、その子はダメ。 アタシたちの毒牙にかけたら副長さんに殺されるって武田ちゃんが言ってたわよ」 「あら、副長さんってあのイケメン執事?」 「やだぁそうなの?真選組って職場恋愛アリなの!?」 「やーんどうしよう!ごめんね仔猫ちゃん、アタシ調子に乗って彼に抱きついちゃったわぁ」 「アタシも!しかもすっっごくイヤそうな顔されたわ、なんか「死ね!」ってかんじで睨まれちゃって ゾクゾクしちゃったぁ。やっっばーいぃどうしよう、惚れそうぅぅ」 いやぁ〜〜ん、と胸が大きくてスタイル抜群な白いドレスのお姉さんが きゅきゅっと細いウエストをクネクネさせて身悶えれば、他のお姉さまたちが 「大丈夫よ、向こうは絶対に惚れないから」と声を揃えて、どっと笑いが巻き起こる。 お互いをバシバシ叩きながらゲラゲラ笑うお姉さまたちは多少雰囲気が男の人に 戻っていたけど、それでも充分に色っぽい。そんな三人を前にして、 あたしはただぽかんと見蕩れるばかりだった。 な、なんていうか・・・口を挟む隙もない。どの人もすっごくパワフルだ。 「私を見て!」って全身で表現してるかんじの派手な雰囲気にも圧倒されるし、 何より三人とも逞しそうというか、あっけらかんとしていてすごく明るい。 土方さんが憮然としてた理由が判ったよ。 このお姉さまたち相手じゃ、さすがの鬼の副長も太刀打ち出来なさそうだもん。 「ちょっとちょっとあんたたちっ、いつの間に!」 そこで悲鳴じみた声を上げたのは、厨房から出てきた武田さんだ。 ドレスの裾を跳ね上げてだだーっとこっちへ走り寄ってくると 腰に手を当てて仁王立ち、かぁっとお姉さまたちを睨みつけて、 「ちゃんはダメって言ったでしょ!?まったく油断も隙もないんだからっ」 「何よー武田ちゃんのケチ! いいじゃない、アタシたちだってたまには可愛い女の子とお話ししたいのよぅ」 「あなたちゃんていうのね。ねぇ、よかったらうちの店に遊びに来ない」 「えっと、お店って・・・?もしかして、みなさんホステスさんなんですかぁ」 「ええ、まぁそんなようなものよ」 ピンクのドレスのお姉さまがドレスの胸元に指を差し込み、まるで手品師みたいな 鮮やかな手つきで紫の名刺をすっと抜き出す。 どうぞ、と手渡された紙の裏面に地図が載ってる。 場所はかぶき町の繁華街。 キャバクラやホストクラブが並ぶ賑やかな通りから一本外れた、ちょっと暗めであやしい雰囲気の通りだ。 「デカいオカマばかりの店だけど怖いところじゃないのよ、気軽に来てね。 そこの二人が副長さんにちょっかい出したお詫びに、いっぱいサービスしてあげるわぁ」 「えっ。いえ、でもあたし、別にあのっ、ひ、土方さんがモテるのは よくあることなので、気にしてないので・・・!」 「いいのよー隠さなくたって。さっきだってすっごい顔して副長さんのほう睨んでたじゃなぁい」 「〜〜っっ!ち、違います違うんです誤解ですっ、あれはそのっ、別件で!」 「仔猫ちゃんお酒は好き?うちはね、飲めない子も楽しめるように ダンスショーなんかもやってるの。あたしたちも踊ってるのよー」 「そ、そうなんですか楽しそ・・・じゃなくてっ、違うんです聞いてくださいぃぃ」 「絶対に来てねー、さっきのイケメンも誘って一緒に見に来てえぇ」 「えぇっ、土方さんもですかぁ」 お姉さまの見事な女の勘で嫉妬心を見破られてしまって じたばたおろおろしていたあたしは、そこでふっと考え込んだ。 どうかなぁ、誘ったら来てくれるかなぁ土方さん。 さっきの態度だとお姉さまたちのことはちょっと苦手みたいだし、なんだかばっさり断られそう。 なんて思って腕組みまでして真剣に考え込んでたら、 「いいのよちゃん、こいつらは真面目に相手しなくていいのっ」 そう断言した武田さんが、あたしとピンクのドレスのお姉さまの間にずいっと割って入ってきて、 「ちょっとそこ!うちの子を悪の道に引きずり込まないでちょうだいっっ。 ほらほらちゃんは仕事に戻って!こいつらこう見えてケダモノよっ、ここに長居しちゃダメっっ」 「ケダモノ?ええっ、このお姉さんたちが・・・?」 三人を指して叫ぶ武田さんの剣幕と意外な言葉にびっくりして、武田さんと三人を見比べる。 鮮やかな色に塗られた唇を蠱惑的に吊り上げてにっこりと微笑むお姉さまたちは、 松平さまが贔屓にしてる高級クラブのホステスさんに匹敵するレベルの美人さんばかり。 ケダモノ?この三人が?いくら元が男の人とはいえ、間違っても「ケダモノ」なんて罵倒されそうなかんじじゃないんだけど。 「ていうか、ケダモノって・・・?どういう意味でケダモノなんですかぁ」 「あらぁそんなの決まってるじゃない、もちろん性的な意」 「おだまりケダモノ!ちゃんはこういう方面に疎い純情な子なの、穢さないでちょうだい! えぇとだからあれよ、同じ女だと思って油断してるとガブっと食われちゃ・・・じゃなくて、危ないってことよっ」 「へ?ガブっと?」 「そうよ冗談じゃないわ、もしそんなことになったらあたしが 副長と沖田さんに粛清されるわ、細切れにされて食堂のカレー鍋にぶち込まれるわ!」 「あらぁそうなの?武田ちゃんを食べちゃうなんて、ゲテモノもイケるのねあのイケメン」 「うるさいっ、おだまり肉食獣!!」 「・・・?あのー武田さん、お姉さんたちがガブっとって、一体どういう」 「〜〜あぁもうそんなことどーでもいいからっ、とにかく離れて、ここから離れてっっ」 なぜか顔を青くしてる武田さんに背中を押されて、貰ってしまったお名刺を手に 片付けが途中になっていたテーブルへ。 戻ってみればテーブルクロスの染みが消えている・・・なんて 都合のいいことにはなっていなかった。溜め息をついてゴシゴシと、タオルで染みを擦り出す。 ちろ、と肩越しにテラス席へ目を向けてみれば、さっき来店した女の子たちに お水を配る土方さんが目に入る。執事さまに熱い視線を注いでる子が メニューを指して何か尋ねると、部下のあたしでもこれまで一度も見たことがない、 まるで人が違ったみたいに穏やかな態度で答えていた。女の子たちが メニューのひとつを指して笑えば、土方さんの顔にも女の子たちに同調したような穏やかな笑みが。 それを見ていたあたしの目は、これ以上開いたら目玉がぽろっと転がり落ちそうなくらいにかぁっと大きく見開かれた。 「・・・・・・・・・・・だっっっ。誰・・・!?」 誰ですかあれ、誰なの、あの愛想のいい人!? 見たこともない態度に開いた口が塞がらないくらい唖然としてしまって、 思わずふらっと揺れた手が、運悪くコーヒーカップとシュガーポットに当たる。 ばちゃっと中のコーヒーが飛び出て、ごろんと倒れた丸いポットから、さぁーっ、と真っ白なお砂糖が流れ出て―― 「ぁああああああ!」 あわててカップとポットに飛びついたけど、飛びついたときにはもう遅い。 テーブルクロスに染みたコーヒーにこぼれたお砂糖がざざーっと積もって、 水分を吸ってじわじわと茶色の液状に変わっていく。 あぁやっちゃった、今日一番の大きなミスだ。どんどん溶け出していく お砂糖を前になす術もなく、おろおろ、おろおろ。 あぁぁ!って頭を抱えたり意味なく腕を振り回したりの末に、 あたしはがっくりとテーブルに顔を伏せて崩れ落ちた。 ・・・・・・あああああ、何これ。どうして、なぜこんなことに。 まぁ、原因ははっきりしてるけど。原因のほとんどはあたしがうっかりしてたせいだけど。 自分の仕事はそっちのけで、土方さんのほうばかり余所見してたのがいけないんだけど。 だけど、なんだか納得いかない。これだけ人を動揺させたんだもん、 半分くらいは土方さんのせいだよね。うんそうだよね、それでいいよね、誰かそうだと言ってください! 「・・・ていうかひどくない、差別じゃない?あたしにはすぐ怒るし すぐ鉄拳制裁するのに、他の子にはそんなことしないし。何この格差、ひどくない? 土方のバカ土方のバカ土方のバカ、鬼っ陰険っニコ中マヨラーハゲハゲハゲっっっ」 「んだとコラ、誰がハゲだ」 仕方なくのろのろと立ち上がって、口を尖らせてブツブツ文句をつぶやいてたら、 いつの間にか近くまで来ていた土方さんに頭をわしっと掴まれた。 自分じゃ見えないから判らないけれど、きっと子供っぽく拗ねた顔になっていたに違いない。 あたしが振り向いて真正面から視線がぴたりと重なると、すでに眉が吊り上ってた執事さまの顔はいっそう眉間が険しくなって、 「ぁんだコラ、出店の水風船みてーな面しやがって。何か文句でもあんのか馬鹿犬」 「・・・別に文句はないですよー。文句とかじゃないですけどー。 何ですかぁ今のあれ。誰ですかぁ今の人」 「あぁ?」 「あれってほとんど詐欺ですよー、あんなに紳士的な土方さんなんてあたし初めて見ましたよー。 あたしには馬鹿とかマヌケとか犬とかボロクソ言うくせに、お嬢様ー、とか普通にしれっと言っちゃって」 「しょーがねぇだろ。柄にもねぇこたぁやりたかねぇが、これも任務だ」 他の奴に任せようもんなら、真選組の評判が下がる一方じゃねーか。 嘆かわしげな溜め息交じりでそう言うと、「それ寄越せ」って、 あたしが手にしていたコーヒーカップをソーサーごと掴んでトレイに乗せる。 まぁ、わかるけど。土方さんの言いたいことは、あたしだって何となく判る。 うちの猫耳メイドさんたちって、みんなやる気に溢れてるんだけど――悲しいことに そのやる気が裏目に出ちゃってるというか、どの人も表情や声に迫力がありすぎるんだよね。 「いらっしゃいませお嬢さまあぁぁ!」なんて揃って声を張り上げる時の姿なんて、 カフェに来店したお客さまをお出迎えするメイドっていうよりは、 カチコミに来たヤクザを拳銃だのドスだの片手にお出迎えしてるヤクザみたいだ。 時々、その場違いな荒々しさにびっくりして逃げちゃうお客さまもいるくらいだし。 「でもー、だからって違いすぎですよー、なーんか納得いきませんよー!あたしに対する態度と360度違うぅぅ!」 「それを言うなら180度だろ馬鹿。おら愚痴ってねぇで手ぇ動かせ馬鹿、働きやがれ馬鹿お嬢様」 「そーやっていちいち語尾に馬鹿ってつけるのやめてくださいぃっ」 ぷーっと頬を膨らませたあたしの腕を肘でガツガツ突きながら、白手袋を嵌めた手は手際よく動く。 ティーカップにケーキのお皿、透明なグラスにシュガーポット、コースターやストローの袋―― かちゃかちゃと軽い音を鳴らしながらすべてがトレイに収まって、食器と紙屑が 広がっていたテーブル上はあっというまにきれいになった。食器が山盛りになった トレイを持つと、じろりとあたしを睨み下ろして、 「どこが文句はねぇだ。一から十まで文句たらったらじゃねぇか。破裂寸前じゃねーか水風船が」 「・・・。だからー、文句じゃないって言ってるじゃないですかぁ」 「じゃあ何だってぇんだ」 何か見極めようとしているみたいな遠慮のない目つきで、しげしげとじろじろと眺めてくる。 かと思えばすっと顔を寄せてくるから、急に近づかれたこっちはたじろいでしまう。 両手でぎゅっとタオルを握りしめて、それでも「な、なんですかぁ」って睨み返したら、 「――あぁ。妬いてんのか」 「っっ!」 平然とした表情で言い切られて、手からぽろりとタオルが落ちる。 あうあうあうぅぅ、と唇を震わせて絶句したあたしは、真っ赤になって固まった。 なのに土方さんときたら容赦がない。「図星か」なんてぼそりと間近でつぶやくと、 黙ってねぇで答えろ、ってかんじの目つきで無言の追い打ちをかけてくる。 おい、と返事を催促されたけど、どうにもならなくなったあたしには ぷいっと赤い頬を背けてうつむくのがやっとで。 悔し紛れに握りしめていた濡れタオルで、燕尾服の腕をべしべし叩いて、 「〜〜〜ぁ、あははは、やだなぁそんなぁ妬いてるなんて、違いますよー。 どーしてそこまで自信過剰なんですかぁ土方さん、そんなわけないじゃないですかぁ」 なんて、自分なりに精一杯動揺を押し殺したつもりで、ぎくしゃくした笑顔まで 作ってこの場を取り繕おうとしたんだけど、 ・・・悲しいことにあたしの演技は、屯所の拷問部屋であらゆる攘夷浪士に 暗殺計画だの爆破計画だのを白状させてきた鬼の副長さまには、まったく、 これっぽっちも通用しなかったみたいだ。おそるおそる視線を上げてみれば、 長めに伸びた黒髪の影で鋭い両目が細められる。ふ、と低く失笑を 漏らした唇が愉快そうに弧を描く。 「ほら見ろ、やっぱり妬いてたんじゃねぇか」と言わんばかりの勝ち誇った 表情のまま、土方さんは踵を返した。 燕尾服の裾を翻らせて厨房へ向かう背中を見送って、あたしはぷーっと大きく頬を膨らませた。
「 猫可愛がりにもほどがある #5 」 text by riliri Caramelization 2015/06/30/ ----------------------------------------------------------------------------------- next →