猫 可 愛 が り に も ほ ど が あ る *4 「――ふーん、メイドカフェかぁ。珍しいよね祭りでカフェなんて。ねぇ指名とか出来る?僕、君がいいなぁ」 「いえ、指名とかそういうのはやってなくて。あのー、すみません、あたしそろそろ仕事しないと」 「あぁごめんごめん、忙しいんだよね。いいよー、しつこくしてウザがられるの嫌だしね。 ここは引いてあげるからさぁ、代わりに名前教えてくれる」 「・・・ええと・・・です」 「そう、さんていうんだ。何さん?」 「・・・・・・」 黙って右へ踏み出せば、右の人がささっと出てきて進行方向を塞がれる。 左へ行けば同じように、左の人が立ち塞がる。真ん中を通れたらいいんだけど、 真ん中は「ねぇ名前教えてよ」って、一番積極的に話しかけてくる人に塞がれてる。 おかげであたしは賑やかに人が行き交う通路の真ん中で立ち往生、すっかり通せんぼ状態だ。 「はーいどうぞ見ていってちょうだい、焼きたてベビーカステラだよー、蜂蜜たっぷりで美味しいよー!」 すぐ目の前の屋台では、真っ赤な法被姿のお姉さんが道行く人たちに威勢良く呼びかけてる。 甘い匂いがほわほわ漂う通りの真ん中で、笑顔をぎこちなく強張らせながら心の中で溜め息をつく。 あぁ、どうしてこんなことになっちゃったんだろう。 名前を言ったら本当に引き下がってくれるのかなぁ、なんて疑いつつも一応名乗ってみたけど ・・・やっぱり言わなきゃよかったよ。目の前のチャラそうな金髪お兄さん三人組は、 引いてくれる気配もない。右の口端が早くもびくびく痙攣しはじめた作り笑顔を精一杯にキープしながら、 手にした紙を三人の前に掲げてみる。 「女装した隊士がお迎えします」の赤い大文字が人目を惹く、真選組カフェの宣伝チラシ。 半分くらいは配り終えたから、残りは20枚くらい、かな。これを全部配るのが、 今のあたしの最優先任務なんだけど―― 「あのー、もういいですか。いいですよね、あたしこれを配りたいんです」 「いーじゃん名前くらい教えてくれてもさー。何ちゃん?」 「俺達もう友達だろ、教えてくれたっていーじゃん」 「友達って・・・今会ったばかりじゃないですかぁ」 普通に歩いていても肩と肩がぶつかっちゃうくらい混み合った通路で、右へ、左へ、また右へ。 ちりんちりんと鈴を鳴らしてキレのない反復横跳びみたいな動きを繰り返しながら、ちら、と人混みの向こうに視線を送る。 美味しそうな匂いや湯気を立ち昇らせるたくさんの屋台が、まっすぐ伸びた通路に沿って軒を連ねる通りの向こう。 ベビーカステラ屋さんの三件先、白のカーテンで目隠しされた真選組カフェの前。 そこではカフェのチラシを手にした女の子二人が、看板に書かれたメニューを あれこれと指差しながら眺めてる。大人しそうな印象のその子たちは、チラシを渡した時は 「女装した隊士」の文字にちょっと引き気味だった。だけど、それでもお店に興味を持ってくれたみたいだ。 何か話し合っていた二人が、左右を白いお花とグリーンで飾った入口へ向かっていく。 入ってくれるのかな、って期待一杯でそわそわしながら見つめていたら――まだ迷ってるみたい。そっと中を覗いてる。 お店の様子を確かめてるみたいだけど・・・あっ、また看板のメニュー表見てる。あぁ、あと一押しで入ってくれそう…! 「だからさー、いーじゃん名前くらい。下の名前だけ教えてくれたらオッケーだって言ってんじゃん」 「――え?えぇ、はい、えぇと・・・」 「ちょっとちょっと、どこ見てんのちゃーん。俺達の話聞いてくれてるー?」 いつのまにか爪先立ちになって人混みの向こうばかり見ていたら、首にじゃらじゃらと ネックレスを下げた左のお兄さんが迫ってくる。マスタードがたっぷりついたフランクフルトを持っていて、 あたしの視界を遮るようにしてぶんぶん振るからちょっと困る。ひどいなーこっち見てよー、 なんてふざけたかんじで言われたけど、正直あの二人が気になっちゃってお兄さんたちをお相手するどころじゃない。 ――だめかな、あの二人にもう一回声を掛けたら。もう一回お誘いしたらしつこく思われるかな。 入ってくれたら嬉しいんだけどな。何かこっそりサービスしちゃいたいくらい嬉しいんだけどな。 だって、あの女の子たちだけなんだもん。悲しいことに、チラシを受け取ってくれたお客さんの中で お店まで足を向けてくれたのは彼女たちだけ。渡そうとした殆どの人は、真選組のお店だってわかった途端に 態度を変えて立ち去ったり、「チラシだけ貰っておくよ」って苦笑いで立ち去ったり。 真選組に対する冷たい風当たりをこれでもかってほど体感してしまって、あたしは内心ヘコみかけてたんだけど――。 ・・・・・・よし、行こう。 行ってお誘いしてみよう。しつこくならない程度に、ちょっとだけ! さっそく決めたあたしは、ささっ、と右へ動いてみる。 だけど、お兄さんたちを上手く突破出来ない。周りのお店がどこも混雑してるから、あまり大きく動けないんだよね。 いっそのことダッシュで振り切っちゃおうか。・・・でも、誰かにぶつかったら危ないし。 口を尖らせたあたしの前を、にやにや笑う三人が塞ぐ。真ん中の人が悪意のかけらも無さそうな表情でにこっと笑って、 「だめだよー、下の名前も教えてくれないと」 「・・・・・・」 どうにか笑顔をキープしようと頑張って上げてた口角が、ひくっと引きつる。 ――困ったなぁ、早くお店に戻りたいのに。 「ねぇねぇ、そこの猫耳の彼女ー」なんて軽いノリで近寄ってきた三人組のおかげなのか、それとも他に原因があるのか、 周りを通る祭り客の皆さんに微妙に避けられてる気がする。むしろ遠巻きにされてるかんじまでする。 誰かに助けを求めたい気分なんだけど、どの人もなぜかあたしと目を合わせてくれない。もしかして 「猫耳付けた変な女には関わりたくない」って思われてるのかなぁ。・・・うぅ、なんだかちょっと悲しいよ。 江戸って人情の街じゃなかったの。猫耳メイドってそんなに世間に冷遇されるものなの?犬耳だったらよかったの・・・!? 「真選組ってあの真選組?ふーん、警察ってけっこう暇なんだね」 流行の帽子を被ってる真ん中の人が、帽子の下の金色の前髪をしきりに直しながら話しかけてくる。 ・・・あれっ。気のせい?あたし気にしすぎてる?さりげなく失礼なこと言われた気がするんだけど。 それでも「ここは我慢、我慢だよ」ってすでに拳を握り締めてムカムカしてる心の中の自分に言い聞かせてたら、 「君も真選組の人?他にも女の子いるの」 「いえ、あたし一人です。・・・あの、お祭りに参加したのは任務の一貫で、別に暇だから出店してるわけじゃ」 「えーマジで一人?女の子一人で野郎に混ざるなんて大変じゃん!」 「いえ、そんなことは」 「そんなことあるでしょー。ビラ配りなんてどーでもいい仕事押しつけられて大変だよね、かわいそー」 「・・・ど、どーでもいいって・・・」 ひくっ、とさっきよりも大きく口端が引きつったところで、帽子の人が肩に手を置いてくる。 驚いてその手を見つめていると、白のエプロンドレスの肩紐のあたりをすりすりと撫でられてしまった。 にこにこと笑うその人は、顔を寄せてあたしの目を覗き込んでくる。咄嗟に後ろへ下がったけど―― うわぁ、今、背筋がぞわぁっとした。何なのこの距離感、近すぎだよ。それに触り方が気持ち悪い。 手つきが妙にねちっとしてるっていうかいやらしいっていうか・・・き、気持ち悪くて肩に鳥肌立ってきた! 「だけどさ、こんな宣伝したって客が来るとは思えないけどなぁ。真選組って、どうしようもない 野蛮な奴らの集まりなんでしょ。そいつらがメイドやってる店とか、ははっ、無理無理。 いくら君が頑張ったって誰も来ないよ」 「――・・・」 あたしは口まで半開きにして、肩を抱いてきた人の顔をぽかんと見上げた。 ・・・・・・ここまで一方的に「当然でしょ」ってかんじで決めつけられると、呆れすぎて怒る気も失くしちゃうものなんだろうか。 そんな感情すら飛び越えてるっていうか、頭の中は真っ白だ。 だけど――なに、この人。いま、何て言われたんたっけ。どうしようもない野蛮な奴ら?無理無理?誰も来ない? 言葉が出ないあたしの肩を、帽子のお兄さんが「諦めなよ」とばかりにぽんぽん叩く。 「だからさ、そんな無駄なこと適当に終わらせちゃえば?」 手伝ってあげるからさ、と囁いたお兄さんに持ってたチラシをすっと全部引き抜かれて、 「その代わり、終わったらこの会場一緒に回ってほしいな。付き合ってくれるよね?」 「――いやです」 くすくす笑う人を横目に睨みつけて、取られたチラシを奪い返す。 肩に乗った手もぱしりと払えば、お兄さんは意外そうに目を瞬かせて、 「あれっどうしたの、怖い顔して。もしかして怒っちゃった?」 「・・・怒ってますよ。そんなのただの偏見じゃないですか。 どうしようもないとか野蛮だとか、知りもしないくせに勝手に決めつけてるだけでしょう」 チラシを胸に抱きしめて、あたしは一人一人の顔を見回した。 「今の言葉、撤回してくださいっ」 馬鹿にしきったかんじでにやつくお兄さんたちを睨みながら、「ああ、やっちゃった」とほんのちょっとだけ後悔する。 だって、これはまずい。一般市民の皆さん相手に、おまわりさん自ら喧嘩を売っていいはずがない。 それでも、黙ってなんかいられないよ。ここは怒っていいところだよ。噂を鵜呑みにしてるだけの人に、あたしの大切な人たちを頭ごなしに否定されたんだから―― 「評判は悪いかもしれないけど、真選組のみんなは頑張ってます。何を言われても命懸けで頑張ってるんです。 少し乱暴なところもあるけど、どの人も根は優しいんです。怖そうに見えるかもしれないけど、すっごくあったかい人たちなんです!」 「ははっ、まあぁそーだーろーね。君みたいな子なら僕だって手取り足取り優しくするよ」 「そうそう、俺達女の子には優しいよー。あんたのビラ配りも手伝ってやるよ」 「いいえ結構で――あっ、ちょっ!」 チラシの束をもう一度、強引に胸元から引き抜かれる。 「返してください」ってあわてて腕を伸ばしたら、 「遠慮しなくていいよ。タダで手伝ってあげるからさ、お礼に僕たちと遊んでくれるよね?」 きつめに肩を抱いて引き止めてきたのは、ちっとも悪びれていなさそうな表情で笑う帽子のお兄さんだ。 その一瞬でチラシは右のお兄さんの頭の上まで上げられてしまって、背伸びしたけど届かない。 するとその手から、さらに誰かがチラシを引ったくった。 あたしの真後ろから伸びてきた手だ。頭上の青空へ高々と振り上げられる紙の束を目で追ったら、 その手がなぜかこっちへ向いて、肘のあたりを掴まれて、 「っ!?」 「・・・ったく、戻ってこねぇと思えばまたこれか」 「えっっ、――ひゃ、っっ!?」 ぐい、って後ろに引っ張られたら、倒れかけた背中がぽすんと誰かの胸に収まった。 ふっと流れてきた煙草の香りと密着した身体の感触にびっくりしながら振り向けば、そこには黒の燕尾服を身に着けたひとが。 すっごく不愉快そうに眉間を顰めた切れ長の目が、ぱくぱくと口を空回らせるあたしを真上から睨みつけていて―― 「〜〜っひ、土方さんっ」 「だからお前を表に出したかねぇんだ。いつまでも客と遊んでんじゃねぇ、ビラ配りはどうした」 「遊んでないですよー!そうじゃなくて、この人たちがチラシを!」 「ああ、店から見えた。おいてめえら三名様だ、丁重に御案内しろ」 「うッス、了解です」 「はぁい、任せてちょうだい」 えっ、と目を見張った三人を左右から挟むようにして現れたのは、頑丈そうな指の関節をベキボキ鳴らしながらやって来た 原田さんと武田さん。そしてその背後には、あたしと同じく猫耳メイド姿の五番隊の隊士さんたちが。 その場の注目を総ざらいしながらこっちへ向かってきたみんなは、なぜか全員が不自然なくらいに笑顔。 その笑顔に隠しきれない凄みと迫力が滲み出てるせいか、それとも全員が女装してるせいか、 屋台の店主さんも通りがかった祭り客のみなさんも、みんなこっちに目が釘付けになってる。 中でも、原田さんと武田さん――身体が大きくて厳めしい雰囲気の隊長二人は、女装姿も大迫力だ。 あまりに迫力がありすぎて圧倒されるっていうか、小さい子が見たら怖がって泣き出しそうなかんじかも。 ・・・なんて思ってたら、あたしの予感は見事に的中してしまった。びぇええええんっっ、て 火が点いたみたいな勢いで泣き出したのは、ベビーカステラ屋さんで買い物していた家族連れの、 お父さんらしきメガネの男の人に抱っこされた男の子だ。だけど武田さんが 「あらぁ驚かせちゃった?ごめんなさいねパパ」ってウインク付きの投げキッスを送ったら、 赤ちゃんは武田さんの色っぽい仕草が気に入ったのか、泣くのも止めてきゃっきゃと楽しそうに笑い始めてしまった。 ・・・その代わり、今度は赤ちゃんのお父さんのほうがさーっと青ざめてしまったけど。 そんな武田さんと無言で笑う原田さんに迫られて、金髪お兄さん三人組はすっかり怯んだ顔してる。 肩を竦めておどおどしてる三人を視線で射竦めてた土方さんが、なぜか一歩進み出て、 「お客様、当店のメイドが大変失礼いたしました」 燕尾服の胸元にすっと手を当てて、執事らしく畏まったかんじで深々と頭を下げる。 もしかして、周囲の目を意識してるのかな。人に頭を下げたりへりくだった態度を取るのが 嫌いな土方さんにしては、やけに恭しい仕草だった。 だけど口調はひたすらに無愛想だし、どちらかといえば慇懃無礼ってかんじだし。 ・・・それに、気のせい?あたしの気のせいなの?なんか怖い。すっごく怖いんだけど。 ゆっくりと頭を上げながら三人を睨み据えたひとの目に、絶対に許せない宿敵でも見つけたみたいな、寒気がするほど物騒な殺気が漲ってる気がするんだけど・・・? 「お詫びとしてお食事を御用意いたしますので覚悟しやが・・・じゃねぇ、存分にお楽しみください」 「えぇっ!?違う違う、俺たち客じゃねーって!」 あわてて否定する右のお兄さんの肩を、凄味のある笑顔を浮かべた武田さんががしっと掴む。 そのままがっちり腕を組まれて、本人曰く「普段のあたしは偽りの姿、これこそが真の姿よ」な武田さんの 大迫力のドラァグクイーン風コスチュームにおそれをなしたらしい。「どぁぁああああああ!」って、 まるでお化けにでも遭ったような、うろたえきった悲鳴を上げて暴れていた。 その横では猫耳を揺らすメイド姿が同じく大迫力な原田さんが、真ん中と左のお兄さん、両方の肩をわしっと掴んで、 「さてと、さっそく連行・・・じゃねーや、ご案内しますぜお客様」 「はぁ!?何ぶっこいてんだおっさん、俺達行くとか言ってねーし!」 「はいはい、ここで話し込むと他のお店に迷惑よ。 ここから先は野蛮なメイドと野蛮なオネエがお相手するわ、大人しくついて来てねお客様」 「ちちっ違うよ、君たち何か誤解してるよね!?僕たち、彼女を手伝ってあげてたんだけど!?」 「そうかい、うちの大事な看板娘が世話になったな。まぁ、鉄格子付きの洒落た店で飯でも食いながら話そうや」 「・・・?土方さん、あのお店に鉄格子なんてありましたっけ」 「ああ、あったんじゃねーか厨房の窓に」 心底どうでもよさそうな溜め息付きで答えられて、あたしは腕組みしてる隣の人を見上げた。 そうかなぁ、厨房にそんな窓なんてあったっけ・・・?店の内装を思い出しているうちに、 三人のお兄さんたちは五番隊のみんなにぐるりと周りを囲まれていて。 スキンヘッドの猫耳メイドさんと二の腕が逞しいドレス姿のお姉さんに肩を組まれて青ざめていた三人は、あっという間に連れて行かれる。 そのままお店に入るんだなって思いながら、皆の姿を目で追ってたら・・・・・・えっ。あれっ・・・? 「原田さんたち、お店とは反対方向に行っちゃいましたよ。いいんですかぁ」 「店中は客の目がある。ふざけたチャラ男をたっぷりもてなせねぇからな」 「何ですかぁ、たっぷりもてなすって。もしかして、男の人用の特別メニューでもあるんですか」 「まぁな。あの手の腐ったナンパ野郎向けの特別フルコ−スだ」 「えーっそうなんだぁ、知らなかった」 「んなこたぁいい。服直せ」 「え?服?」 「ここだ、ここ。ずり落ちてんだろ」 白手袋の指先が、あたしの左肩をとんと突く。 見れば、エプロンドレスの肩紐が二の腕まで下がっている。 そういえば、帽子の人がこっち側の肩に手を置いていた。それで紐がズレちゃったのかな。 フリル付きの布地に指を伸ばそうとしたら、手袋で覆われた長い指があたしの動きを遮った。 え、と目をぱちくりさせているうちに、白い肩紐が掬い上げられる。二の腕から肩口へと服越しに撫で上げながら、 土方さんは肩紐を元の位置に戻してくれた。何か言いたげな目つきであたしを見つめていた人を、思わず見上げる。 「。さっきの奴等に何かされてねぇか」 「えっ。な、何かってえぇと・・・あのお兄さんたちに呼び止められて、なぜかしつこく絡まれちゃって。 仕方なく話してるうちに言い合いになって、チラシを取られて・・・」 (その時に肩とかべたべた触られたから、すごく気持ち悪かったです。) なんてこともぽろっと漏らしそうになったけど、口から出そうになった言葉をあたしは寸前で飲み込んだ。 そこまで報告しなくていいよね。 だって、痴漢みたいな目に遭った、なんてことを土方さんに話すのはなんだか恥ずかしいし。 「・・・他には何も、大したことはなかったです。ちょっとチラシ配りを邪魔されたくらいで」 「そうか。ならいい」 「・・・?」 首を傾げて不思議がっていると、今度は頭に手を伸ばされて。 まさかここでお仕置き?またデコピン!?ってあわてて肩を竦めたんだけど、なぜか髪を撫でられた。 猫耳カチューシャを付けた天辺のあたりから、耳のほうまで手のひらが滑る。 帽子の人もそこには触れていないから、髪が乱れてるわけじゃないと思うんだけど・・・手袋越しにも 硬い指の感触を伝えてくる手は、何度も繰り返し撫でてくれた。 しばらく無言で撫でた後で、土方さんの肩が小さく揺れる。 長めに伸びた黒髪の影で、きつい印象の目元が細められていく。無表情に引き結ばれていた唇がふっと緩んで、 「どいつも根は優しくてあったかい、か」 「――ふぇ・・・?」 「えらく買い被られたもんだな。 お前さっきのあれ、うちの奴等に直接言ってやったらどうだ。どいつも泣いて喜ぶぞ」 「え、な、何で知って・・・もしかして、聞いてたんですか」 「聞こえただけだ。耳に刺さってうるせぇからなお前の声は」 「・・・だって、悔しくて。あの人たちがひどいこと言うから」 自分の行動を思い返して、言われたことも思い出して、再び湧き上がってきた悔しさに唇を噛む。 あたしの行動がマズかったってことは判ってる。いくら痴漢みたいで気持ち悪かったとはいえ、 あのお兄さんたちと揉めてしまった。こちらから喧嘩を売るような真似もしてしまった。 あたしが普通の女の子だったら、どれも問題にならなかっただろう。だけどあたしは、半人前とはいえおまわりさんで。 普通の女の子よりもうんと厳しく、一挙一動の是非を問われる立場にいるんだもの。思慮が足りない、って咎められても当然だ。 「――んなしょぼくれた面してんだ、もう手前でも判ってんだろうが・・・ ありゃあ駄目だ。隊士としては褒められたもんじゃねぇぞ」 「・・・はい、すみませんでした。反省してます。お仕置きでも何でもしてください」 どーぞ、って自分からぺこっと頭を下げて、瞼をぎゅっと瞑ってその瞬間を待つ。 土方さんのお仕置きってあたしにとっては日常茶飯事なんだけど、何度やられてもこわいものはこわい。 だって痛さがハンパないんだもん。さっきもお店でやられたけど、デコピンなんで凶器を通り越して兵器だよ。 ・・・あぁどっちだろう、拳骨?それともデコピン・・・? 唇を噛んで肩を竦めて、そのままじっと身構える。でも―― 「・・・・・・・・・・・・っ?」 土方さんは怒らなかった。 黙って耳元の後れ毛を掻き上げられて、指先がほんのちょっとだけ肌に触れる。 えっ、て驚いて顔を上げても、何度かそれを繰り返された。 何も言えずに目の前の人の影が落ちた表情を見上げるうちに、とん、と肩が誰かと触れ合う。 無言で間近を過ぎていったのは、後ろから来た男の人だ。「すみません」と肩を竦めて道を譲ろうとしたら、 その肩をやんわり掴まれて。そのまま軽く引き寄せられたら、白いエプロンドレスの胸元が 土方さんの燕尾服と擦れ合う近さになってしまった。それでも何もなかったみたいにもう一度髪に触れられて、 頭に乗せられた手の重みを感じれば胸がとくとくと弾み出す。 「・・・ぁ。あのぅ・・・・・・お仕置きは・・・?その、えっと、しないんですかぁ・・・?」 「何だ、これじゃ不満か」 「ふ、不満って・・・・・・不満じゃ、なぃ、けど・・・っ」 しどろもどろに答えれば、唇を軽く歪めた苦笑と、そうか、といつになく和らいだ雰囲気の低い声が返ってきた。 流れに逆らうようにして立ち止まったあたしたちの左右を、たくさんの人が通りすぎていく。 笛の音が軽やかな祭り囃子のゆるやかな調子に合わせるみたいに、がやがやと、ざわざわと、 賑やかに押し寄せてくる人の波は、あたしたちを自然と避けながら通りすぎていく。 どの人も楽しげに話しながら、ゆったりとした足取りで過ぎていく。足音、物音、屋台からの呼び声、人の声 ――雑多で騒々しい音や気配に埋め尽くされた狭い通りは、その風景を目まぐるしいくらいに移り変わらせていく。 だけどあたしは周りの賑やかさなんて忘れかけて、目の前のひとの表情と手の感触ばかり追っていた。 ・・・何で。どうして。 呆然と見つめたひとは、普段はあまりあたしと視線を合わせたがらない。 なのに今は、珍しいくらいまっすぐに視線を注いでくる。 煙草の匂いが染みついた手が軽く頬に触れてきて、そこに乱れかかった髪を肩のほうへ流してくれる。 頬が、耳が、首や肩が――手袋越しにほんのちょっと触れられただけのところが、どんどん熱を上げていく。 そのうちに顔中が火照り出して、ただでさえ鼓動が早かった胸はとくんとくんと高く鳴り響いて止まらなくなった。 「〜〜っ。ひ、土方さんっ」 「あぁ?何だ」 「あの、えっと、・・・手、が、ぅ、うぁ、あのっ・・・・・・な。何でも、なぃです・・・っ」 熱い、顔が熱い、耳が熱い、全身が熱い。しゅうううっっ、って今にも頭から湯気が昇りそうだ。 ああ、どうして言えないんだろ。だめだなぁ、あたしって。 「くすぐったいです」「人目が気になるからやめてください」 他の人になら――例えばさっきのお兄さんたちになら迷わず言えてしまうようなことが、 このひとの視線を浴びると途端に言えなくなるなんて。 見られているのは着ているメイド服だけのはずなのに、なんだか胸の奥まであの目で射竦めらてるみたい。 そう思うと心臓がきゅうっと竦んで、身体中が落ち着かなくなって・・・何をされても拒めなくなっちゃうんだよね。 手袋のなめらかな感触にほんのちょっと肌を掠められるだけなのに、なぜか全身がくすぐったい。くすぐったくてくてどきどきする。 ――それに、すっごく恥ずかしい。 だって周りが、人目が。お祭りに来た町民の皆さんはもちろん、この通りに面したあらゆるお店の人たちに 見られてる気がするのは、あたしが自意識過剰すぎるせいなの・・・!? うぅ、って唇を噛んで首を竦めるたびに、首元のチョーカーがちりんちりんと可愛い鈴の音を弾ませる。 純白のエプロンドレスのフリルを弄ってもじもじしながら、目の前のひとをちらちらと見上げる。 その落ち着かない仕草が可笑しかったみたいだ。 ふ、と一瞬だけ目を細めて苦笑めいた声を漏らした土方さんは、「どうした」って小声で尋ねてきた。 今の声を聞き取れたのは、たぶんあたしだけだろう。屋台からの呼び声があちこちから飛んでくるこの場所は、 会場中に流れる祭囃子のBGMや、人混み特有の波音みたいなざわめきも混じって賑やかだ。 そんな中で漏らされた、まるで子供でも宥めるような、低くやさしく囁く声。 身体の芯まで届く響きは、このひとの恋人になったことにいまだに慣れていないあたしを、いつもすごく困らせる。 ・・・・・・そりゃあ、もちろん嫌じゃない。むしろ、こんな声を聞かされるたびに嬉しくなる。 こんな声を聞かせてくれるのは、二人きりになれた時。 いつも忙しい土方さんが、あたしだけを見てくれてる時。 無愛想で素っ気ないひとに構ってもらえる、特別な時間だけに貰える特別な声だ。 こんな声で囁かれるたびにあたしはどきどきさせられて、恥ずかしいけど嬉しくて。 どうしていいのかわからなくて未だにすごく困るけど、いつも身体がふにゃりと蕩けちゃいそうなくらい幸せになる。 「本当に彼女になれたんだ」って、実感出来て幸せになれる。 ――でも。だけど。だけど、だけど・・・! それはあくまで、二人きりになった時の話で。今この瞬間も誰かに見られてるって思うと、 身体中の血が沸騰してるんじゃないかってくらい熱が上がって、頭の芯までかーっとのぼせ上がってくるのに―― 「ど、どどど、どどどどどど・・・・・・どっっ」 「あぁ?まだ何かあるのか。・・・おい、まさかお前、やっぱあいつらに何かされたんじゃねぇだろうな」 「っち、ちが、違うのっ。だ、だから。えっと、ぅ、ぁあ、あぅ・・・・・・〜〜〜っっ」 誤解したひとの片眉がたちまちに吊り上って、すっと不機嫌そうで厳しい表情へと変わる。 あわててかぶりを振って否定したら、すぐにその表情は消えたけど・・・・・・だめだ、やっぱり聞けなかった。 どうして撫でてくれるの、ってたったそれだけが言えない。言おうとするとそれだけでどきどきして、 喉が詰まって言葉にならなくなってしまう。 目でも訴えかけてみたけど、土方さんは気付いてくれない。そして、なぜかあたしから視線を逸らそうとしない。 指先を髪の内側まで潜らせて遊ぶように梳きながら、何度も頭を撫で続けてる。 耳元からゆっくり滑っていった手が、火照りきった頬を大きな手のひらにすっぽりと収める。 それだけでも心臓が止まりそうなくらいどきっとしたのに、皮膚が薄くて感じやすい顎下を手袋の爪先で掠められて―― 「〜〜っ」 ぅうっ、くすぐったい。 触れられた顎をきゅっと竦めて、力が抜けてかくんと膝から落ちそうになってる下半身に力を籠める。 へなへなと崩れそうになるハイヒールの爪先まで力を籠めて、エプロンドレスの柔らかい布地を皺になりそうなくらい握りしめて、ぞくぞくと背筋を駆けるくすぐったさをこらえる。 それでも震えを我慢しきれなくてちりんと軽やかに鈴の音が響けば、あまり感情を見せてくれないひとの目がどことなく満足そうに細められた。 土方さん、どうして撫でてくれるんだろう。それに、なんとなく――表情が、いつもと違う。 どこが違うかって言われたら答えられないけど、でも、どことなく機嫌がよさそうっていうか。 じゃあ、これって・・・・・・・・・・・・もしかして―― 「あのっ。ああぁ、あのねっ。ぁ。ああああああ、あの・・・っ」 「だから何だ」 「こ。これって・・・・・・もしかして、ごほうび・・・?」 もしかして。ひょっとして。 ――嬉しかったんじゃないのかな、土方さん。さっきの三人組の前で、あたしがみんなを庇ったから。 全く当たっている気がしない予想を思い浮かべてどぎまぎしながら、こっちを見下ろす鋭い双眸をぽーっと頬を染めて見つめ返す。 すると、なぜか土方さんが不意を突かれたように目を見張った。おかげであたしも驚いて、目をぱちくりさせてしまった。 だって、思わず見入っちゃうくらい珍しいんだもん。 滅多なことじゃ動じないひとが、あたしの言葉でこんなふうに驚くなんて―― 「・・・?ど、どうしたんですかぁ土方さん」 かっと目を見張ったまま凍りついたひとと、見つめ合ったままで数秒が過ぎる。 かと思ったら、ぬっ、と目の前まで伸びてきた白手袋の手が目の前を急に暗くして。えっ、とつぶやいた瞬間には おでこに指先が当てられていて、 びんっっっっっっ。 「〜〜〜っっったぁああああいぃぃぃっっ!」 放たれたのは鬼の副長の殺人兵器、衝撃が強烈すぎて気を失いそうになるデコピンだ。 親指と人差し指、たった二本の指で弾かれたあたしの頭が後ろへ吹っ飛ぶ。それでも必死で踏ん張ったから、 かろうじて尻餅をついてすっ転ぶくらいの被害でおさまったんだけど、 「〜〜ちょっっっ、なにこれぇぇ!ぃいいいいたいっっ、痛い痛い痛い痛い痛い痛いぃぃぃ!」 ぐわんぐわんと鳴り響く痛みに涙が滲んで、悲鳴をこらえながらあたしは仰け反る、 両手で押さえた頭をぶんぶん振る、泣きわめきながらじたばた暴れる。押し寄せてきたのは、 頭蓋骨を通り越して脳までヒビが入ったんじゃないかってくらいの悶絶必至な痛さだ。騒ぎの一部始終を 目撃していたベビーカステラ屋のお姉さんが、土方さんを避けながらおそるおそる出てきて、 「大丈夫お嬢ちゃん、救急車呼ぼうか?それとも警察かい」 土方さんにちらちらと警戒の目を向ける法被姿のお姉さんに「ありがとうございます、だだだ大丈夫ですっ」と 痛む頭をぺこぺこ下げて涙目でお礼を言う。すみませんお姉さん、警察なら間に合ってます。 だっておまわりさんならここに二人もいますから・・・! 「ひ、ひひひ土方さんひどいいぃ〜〜〜! そっっ、そりゃあ言い出したのはあたしだけどっ、〜〜ひどいですよぅ、少しは手加減してくれると思ったのにぃぃっ」 しばらくたってもズキズキが鳴り止まない頭を抱えてて文句をつけたけど、 土方さんはあたしのことなんてそっちのけで、なぜか自分の右手を呆然と眺めていた。 さっきまであたしをしきりに撫でていたほうの手だ。 困惑しきったように眉を顰めてその手をガン見していたひとが、そのうちに気まずそうに唇を引き結ぶ。 ふいと視線を横に逸らして口許を手で押さえて、かと思ったら髪をぐしゃぐしゃ掻き回して、何かとてつもなく後悔してるような苦悩顔で、 「・・・・・あー危ねぇ。やべぇなこりゃ」 「危ないのもヤバいのもそっちでしょ!?反対いぃぃっ、過剰な暴力反対ぃぃぃ! 何なんですかぁっ撫でてくれたと思ったらデコピンフルスイングって、どーいうこと!?」 何なのどーいうこと、ちっとも意味がわからない・・・! 土方さんそんなに怒ってたの?だったらさっきのナデナデは何だったの!? いくら何でも今のはないよ。さっきお店で武田さんとあたしにしてみせた、ちょっとしたお仕置き程度の威力じゃなかった。 パワー全開、フルバーストだった!なのに何ですか、こっちを向いた途端の舌打ちは。 「こいつ何もわかってねぇ、ムカつく」ってかんじの不満たらたらな顔は! 部下を殺しかけといて何なんですかその態度。ていうか、何がしたかったのこの人。 結局あたしは褒められたの、怒られたの!? そして何より、こんな人のナデナデにどきどきして顔まで赤くして見惚れてたあたしって何だったの!? 「ひじかたさんっ、自分のデコピンの威力がどんだけか知らないでしょ? すっっっごく痛いんですよ気絶するほど痛いんですよっ、当たりどころが悪いと即死するレベルですよ!?」 「うっせぇ、てめーこそ何してくれてんだバカ犬が。ちっ、おかげでうっかりやらかしそうになったじゃねぇか・・・!」 「舌打ち!?ここで舌打ちってどーいうことですかコノヤロー!ていうか犬じゃないですっ、猫ですぅぅ!」 「どっちも似たようなもんだろ。つーかあんまこっち見んなバカ犬」 またやっちまったらどーすんだ、とまた理不尽にぺしりと頭を叩かれる。 かと思ったら「いつまでもへたり込んでんじゃねぇ」って腕を引っ張って立たせてくれたり、 スカートに付いた砂埃を払ってくれたり、デコピンの衝撃で外れかけた猫耳カチューシャを 元の位置まで戻してくれたりと、すっごく嫌そうな顔してるくせになんやかんやと世話を焼いてくれる。 ・・・だから何なの、どっちなの。 この世話焼きはごほうびなの?叱られてばかりのバカ犬に対する飼い主さまからのごほうびなの? だったらさっきのデコピンは何だったの。その前のナデナデは?結局あたしは褒められたの、それとも怒られたの!? 何なんですかぁ、どっちなんですかぁ!って抗議してみたけど、土方さんは教えてくれない。 それどころか「うるせぇ、聞くな」って今にも刀抜いて斬りかかってきそうな瞳孔全開の怖ーい目つきで睨んでくるし・・・! ――その後も土方さんとあたしは、祭り客の皆さんがぞろぞろと流れていく道のど真ん中を占領して お互いにあーだこーだと喚き合っていた。すると徐々にあたしたちの周りで足を止める人が増えてきて、 「何だ、どうした」って騒ぎ立てる野次馬さんまで集まり始めた。・・・まぁ、そうだよね。そうなるよね。 頭に血が昇っていたせいで気付かなかったけど、猫耳メイドと執事さんがケンカしてたら誰でも驚いて足を止めそうだもん。 そこで一旦ケンカを中断、まずはお店に戻るぞってことになって。あたしはまだ配り終えていないチラシが 心残りだったんだけど、なぜか土方さんが許してくれない。さっさと店に戻ろうとするひとの燕尾服に 縋りついてお願いしても、頑として首を縦に振らなかった。 おまけにあたしと目を合わせるのをあからさまに避けてるっていうか、一切こっちを向いてくれなくなった。 ・・・何だったんだろう、さっきまでのあれは。まぁ、このくらい無愛想なほうが土方さんらしいし、あたしも変に緊張しなくて済むからいいんだけど。 「駄目ったら駄目だ、店に戻れ。てめえを野放しにしておくと俺まで気が散って仕方ねぇだろうが。 ・・・目ぇ離した隙に、また妙な野郎にコナかけられたんじゃかなわねぇ」 「妙な野郎って、さっきのお兄さんたちみたいな人のことですかぁ。だったら大丈夫ですよー、 あんなにかんじ悪く絡んでくる人なんてそういませんよ。いくらお祭りで人がいっぱいでもそうそう会いませんから」 「・・・。いいから黙ってついて来い、散歩の時間は終わりだバカ犬。 ・・・ったく、どーなってんだこの女。どーでもいいこたぁ嗅ぎつけるくせに肝心なこたぁ毎回スルーしやがって・・・」 「ああっ、今悪口言ったでしょ!?聞こえなかったけどわかりますよっ、土方さん「ふざけんな」って顔してたもん!」 「・・・」 ムッとした顔で人混みを掻き分けていくひとの背中をばしばし叩きながら戻ってみれば、 ・・・なんと、チラシ配りが上手くいかなくてヘコみかけていたあたしには奇跡としか思えないことが待っていた。 カフェの入口前にいつのまにか椅子が並んでいて、そこに数人のお客さまが座ってる。 短いけれど行列だ。席が空くのを待ってくれてる人たちだ。中にはあたしがチラシを渡した 大人しそうな女の子二人組も混ざっていて、目が合うとはにかみながら笑いかけてくれた―― 「ここから中を覗いてたら、私たちに気付いた人が椅子を出してくれたんです。 その後も何度か様子を見にきてくれて、「待たせてすみません、暑くないですか」ってお水も貰って・・・ 思ったよりも優しいんですね、真選組の人って」 その時のことを思い出したらしい女の子が、隣のお友達と目配せしながら楽しそうにくすくす笑う。 おかげであたしは泣きそうになった。隣にいる仏頂面の副長さまのことも、さっきのかんじ悪い三人組のことも すっかり頭から吹き飛んでしまった。あんなにムカムカしてたのに、今はすべて報われたみたいな感動的な気分だ。 嬉しさのあまり「ありがとうぅぅっ」って二人に抱きつこうとしたら、抱きつく寸前で「やめろバカ犬」って、 土方さんに頭を掴まれて止められたけど。 感動の涙に両目をうるうるさせながら、お祈りするときみたいに手を胸の前で組む。 店に着くと同時でさっそく煙草を吸い始めたひとが「泣くほどのことか、これが」って 醒めきった顔で毒を吐いてたけど、そんなの全然気にしない。何かと皮肉っぽくてたまにめちゃくちゃ理不尽なニコ中上司の厭味なんて気にするもんか! ――よかった、判ってくれる人もいる。認めてくれる人だっているんだ。 あたしの大切な人たちの良さは、いつもちょっと伝わりづらい。 だから判ってくれない人もいる。チラシを渡しても受け取ってくれなかった人たちみたいに。さっきのお兄さんたちみたいに。 けど、全員が全員ってわけじゃない。判ってくれる人は判ってくれる。気付いてくれる。 みんなの優しさが、不器用で不格好だけどあったかい人達の良さが、ちゃんと伝わってる。 そう思ってすっかりいい気分になって、緩みきった顔でへらへら笑いながら「遅くなってすみませーん」ってお店に入ったら―― 「遅いですよ副長っ、どこまで行ってたんですか!はいピッチャー持って、テーブル回って水注いで下さい! さんはレジでお会計ね!やり方はレジ担当の奴に聞いて、あぁそれと席が空いたら並んでる人案内して!」 入ってみれば店内は満員御礼、トレイを両手に持った山崎くんがあたしたちを発見した途端に駆け寄ってくる。 畳みかけるような早口の説明に唖然としながら、半透明のカーテンで囲まれた明るい店内を見回すと、 ――そこはさながら戦場だった。 人手が足りなくてずっとバタバタしてたみたい。店内ではあわてふためく女装メイドさんたちが右往左往してるし、 厨房ではオーダーの声が飛び交っていて、調理担当のみんながそれぞれの持ち場で汗だくになって奮闘していて。 そのまま土方さんもあたしも慣れない接客に借り出されて、とても話をするどころじゃなくて。結局、褒められたのか 怒られたのかもよくわからないままうやむやにされてしまった。
「 猫可愛がりにもほどがある #4 」 text by riliri Caramelization 2015/05/27/ ----------------------------------------------------------------------------------- next →