猫 可 愛 が り に も ほ ど が あ る  *2 「何だぁ、今のは」 「女の声だったな。あぁ、あっちのお化け屋敷じゃねぇか?」 町民たちが怪訝そうな表情で言葉を交わす中を横切り、とりあえず会場の中央を目指す。 背後は振り向かなかったが、すぐ後ろからが追ってきていると足音で判った。 会場となった区民総合グラウンドは、名称そのままに区が運営する総合スポーツ施設だ。 屋内競技用の大きな体育館が二つに多目的ホール、夏になると一般開放されるプールが一つ、 隣接する河川敷に面した野球場、サッカーコートに屋外バスケットコート、テニスコートに陸上競技場… それ以外の競技用に作られた建物も幾つかあり、その敷地はちょっとした遊園地以上に広い。 祭りは土方たちが居た入場ゲートから最も近いエリアで行われており、地元商店街や町内の有志が出店した 屋台が立ち並んでいる。狼狽えきった女の声は、中心部に設営された本部テント方面から響いたような気がしたが ――この人出の多さだ。 人混みを避けながら進んでいっても、通路の先の状況は確かめられない。 「捕まえろ、引ったくりだ!そっちへ逃げたぞ!」 蠢く人の波を縫って進んで行くと、通路のどこからか声が上がる。途端に客たちのざわめきが大きくなり、 それと同時に異変が起こった。 「きゃああぁぁっ」 混雑のせいで目視が利かない数十メートル先から悲鳴が上がり、賑やかな場内を突き抜ける。 それから悲鳴は止むことなく、次々と上がり続けた。何かが衝突したような音、大きな物が倒れる音もそこに混ざる。 じきに誰かが「やべぇぞ、あいつら刃物持ってやがる!」と狼狽えた大声を上げたせいで、混乱は一気に広がった。 わあっ、というどよめきと共に人混みが揺れ、あちこちで衝突を起こしながらも通路から人々が逃げていく。 祭り客が逃げ惑う通路に土方とが立ち塞がれば、二人の男が目に入った。 女物らしき花柄のショルダーバッグを抱え、こちらへ走ってくる男。それと、その後に続くもう一人だ。 やたらと腕を振り回している後方の男は、運悪く逃げ遅れた客たちを手当たり次第に押し退けていた。 右に左に罵声を撒き散らしながら走るそいつが、通路に落ちた大きなゴミらしきものに躓く。 よろけた男は飴細工の屋台に派手にぶつかり、見本品の飴を飾った台が横転。 がしゃあぁんっ、と音を上げて屋台が崩れ商品が飛び散り、あやうく下敷きになるところだった法被姿の店主が あわてて店を飛び出した。そんな店主にも律儀に罵声を浴びせかけ、男はさらに人々を押し退け強引に進む。 通路の端では射的屋の親父が子供たちを背に庇うようにして構えていたが、男は彼も突き飛ばし、倒れた店主を口汚く詰った。 「――どきやがれジジイ、殺されてぇのか!」 「はっ。殺されてぇのか、ときたか」 醒めきった顔で笑い飛ばした土方が、背後のを振り返りながら男二人を指差して、 「おい見ろ、お前以上に張り切ってやがる奴がいたぞ」 「えーっ、泥棒と一緒にしないでくださいよー。ところで刃物って何でしょうね、あの大きさだとナイフかなぁ」 陽射しのまぶしさを遮るようにして、片手で廂を作りながらが言う。 見ればどちらの男の手にも、白っぽく光る何かが握られていた。土方はざっと周囲を見回し、 ソースと油の香ばしい匂いを漂わせるお好み焼きの屋台の奥に、得物としてはまぁまぁ手頃そうなものを見つけた。 長さ2メートルほどはありそうな鉄製のポール。屋台の骨組みとして使われた建材の余りか、 似たような数本が積まれている。屋台のほうへ歩み寄りながら引ったくり犯の容貌を目で捉え、 ああ、と不愉快そうに眉間を狭めた。 どちらもついさっき目にしたばかりの顔だ。ゲート前で風船を手渡した、目つきの良くない若い奴二人―― 「あのガキどもか。職質掛けときゃ良かったぜ」 「あれっ、何ですかぁその棒。ずるいですよー自分だけ先に得物見つけちゃって」 「お前も使うか、似たようなやつならまだあるぞ」 「うーん、それだと長すぎて振り回されちゃいそうなんですよねぇ。えぇと他に使えそーなものは・・・」 くるりと回って辺りを眺め、は屋台と屋台の隙間に避難していた親子連れのほうへ寄って行く。 「すいません警察ですー。それ、ちょっと貸していただけませんかぁ」 誰の目からも警官とは信じがたい猫耳メイドが、緊張感のかけらもない緩んだ笑顔で 「貸してください」と頼んだもの。それは、両親の背後に庇われた少年が抱きしめていた玩具のライフル銃だ。 迷彩色の銃身は子供の身長ほどの長さがある。そういやぁ、商店街の玩具屋もここに出店を並べていたか。 手にしたことのない武器擬きが珍しいのか、は預かった銃をしげしげと眺めながら戻ってきて、 「あの二人知ってるんですかぁ、土方さん。どっちも手配書じゃ見たことない顔ですね」 「俺も入口で見掛けただけだ。面構えが怪しいっつーか、どうも気になってな」 「面構えの怪しさなら土方さんも負けてませんよー。目つき悪すぎておまわりさんには見えないもん」 「お前も人のこたぁ言えねーだろうが、猫耳女。――・・・って、おい婆さん!何やってんだ、逃げろ!」 はっとした土方が声を張り上げたが、もう遅い。 通路上に居た他の町民たちは、とっくに避難を終えている。だがただ一人、 引ったくり犯の逃走路上に取り残された者がいた。杖を手にした老齢の女性だ。青ざめ震えながら立ち竦んでいる。 周囲の緊迫した雰囲気に呑まれ、身体が固まり動けないようだ。男の片割れは老女の横を擦り抜けたが、 もう一方は腹立たしそうに顔を歪めて「邪魔だババア、ぶっ殺すぞ!」と怒鳴りつけ、伸ばした腕で突き飛ばす。 弱々しい悲鳴を上げた小柄な身体は、杖と共に地面に激しく叩きつけられた。老女の知り合いなのか、 心配そうに走り出てきた中年女性たちがすぐに彼女を抱き起こす。しかし、足腰を痛めて立てないようだ。 人々に囲まれ介抱される老女を見つめて、が歯痒そうに唇を噛む。その瞬間、緊張感の欠片もなかった 大きな瞳に怒りの焔が燃え上がった。借り物の玩具を握り締め、きっ、と吊り上り気味な目で引ったくり犯を睨みつけて、 「何あれ最低、調子に乗っちゃって・・・!か弱いお年寄りまで巻き込むなんて!」 「ガキは祭りではしゃぐもんだからな。とはいえあいつらはしゃぎすぎだ、被害が広がる前に片付けろ」 「はい!」 長い銃を素早く手の内で一回転させた彼女は、銃床をぱしりと掴み取る。 ざっ、とストラップ付きのハイヒールの片足を大きく引くと、剣を扱う要領で銃を瞬時に正眼に構えた。 黒の膝丈スカートとエプロンドレスをひらめかせ、引ったくり犯めがけて疾走する。 履いているのは走りづらそうなハイヒールだというのに、全くスピードを落とすことなく駆けながら、 「そこの二人、止まりなさーい!これ以上酷いことすると可愛いメイドと変なパンダが許しませんよぉぉ!」 「おいもう喋るな、気が抜ける」 緊張感ってもんがねぇ、とうんざり顔で溜め息を吐きつつ、土方も彼女の後に続く。 ところがいざ踏み出してみれば、下半身にもたもたと纏わりつく分厚さがどうにも邪魔で走りにくい。 そういやぁ失念していた、これは隊服じゃねえ。あのいまいましいパンダの皮だ。 はたと気づいていつになくマヌケな自分の姿を見下ろせば、それなりにあった緊張感も一気に吹き飛びやる気が失せた。 「・・・あー面倒くせぇ。何だってんだ。あー、やってらんねぇ。水、いやビール。いやその前に煙草・・・」 ブツブツと独り言を唸りながら半分脱いだ着ぐるみをズルズル引きずり、不満そうに眉を顰めた土方が やっとに追いついた時には、彼女は既にショルダーバッグを抱えた男を足止めしていた。 男が滅茶苦茶に振り回しては斬りかかってくる、サバイバルナイフらしき銀色の刃物。 上下左右から襲いかかってくるその勢いを、は上手く削ぎ殺しながら攻撃を躱す。 玩具の銃身を盾にして、右へ左へと受け流す。素早く巧みな防御に驚き、がむしゃらに切り込むだけの男の 表情が変わり始める。 「〜〜〜っ!?なっ、何なんだこの女、畜生っ・・・!」 焦った声で男が唸り、彼のすべての攻撃をいとも簡単に防いでしまうメイド姿の女を悔しげに睨む。 かきんっ、かきんっ、と甲高い金属音を立ててナイフを弾き上げられるたびに、男の目つきに 困惑と怯えが増していく。それと同時に、刃物を握る手の動きにも迷いが生じ始めていた。 たぶん男は、逃走路に躍り出た相手を第一印象で舐めてかかったのだろう。 なにしろ奴の前にいるのは、華奢で非力そうなメイド姿の女だ。だがは女は女でも、局内で五指に入るほど 確かな剣技を持つ女。あの単調な攻撃をあと数手も繰り返せば、奴が手にした小さな得物は 遥か遠くへ弾き飛ばされてしまうはずだ―― 「っっらぁああああ!どけっそこの女、ぶっ殺すぞ!」 とそこへ、ナイフを振りかざしたもう一人が走り込んできた。 老女を突き飛ばしたほうの男だ。言動からして頭に血が昇りきっているようだし、追い詰められたら横道へ逸れて 退路を塞いだ追手を躱す、などという、盗人稼業には必須だろう小賢しさすら忘れてしまっているらしい。 目の色を変えた男は、怒鳴り声を上げながら彼女のほうへ突っ込んでくる。 数歩進み出た土方は鉄パイプを両手にがしりと掴み直し、同時に声を張り上げた。 「、跳べ!」 「――っ!?ぐおぉっっ」 重心を落とし低く構えを取りながら、長く重たい鉄棒をぶんっっと水平に一閃させる。 風音を唸らせ豪快に振り抜くその寸前、は素早く地面を蹴って飛び上がった。 だが気付くのが遅れた引ったくり犯たちは、足許から襲ってきた急な一撃に反応できない。 足首あたりを強かに打ちつけられ、薙ぎ払われた男二人が地面に転がる。ざあぁっ、と砂埃が一面に舞った。 「〜〜〜っっ!・・・・・・〜〜〜っああいてぇ・・・っ、クソっ・・・!」 鉄棒をぶつけられた衝撃で、骨を痛めたらしい。 ショルダーバッグを運んでいたほうの男は足首を押さえて暴れている。 じたばたともんどり打っている男が盗んだバックはといえば、犯人の手を離れて地面を滑り、 避難した町民たちの足元に転がっていた。男が手にしていたはずのナイフは、どこへ飛んだものか見当たらない。 ざっと見回した限りではさっきの婆さん以外の怪我人が出た様子は無いし、とりあえず二次被害は免れたようだが。 「あれだけ離れてりゃあ盗品に手も届かねぇだろ。さてと、もう一人は――」 「〜〜っ、おいってめぇらよくも邪魔してくれやがったな!ぶっ殺す、てめえらどっちもぶっ殺す!!」 「ちっ、まだピンピンしてんじゃねーか。つーかお前、ぶっ殺す以外言えねぇのか」 どん、と鉄棒の先を地面に叩きつけ、面倒そうに土方は振り向く。仕留め損ねたもう一人の犯人は、 よろよろと立ち上がろうとしている最中だった。こちらも足が痛むのか、歪めた目元には脂汗が滴り、 呼吸も荒く苦しそうだ。それでもショルダーバッグを取り戻そうと、握ったナイフを振り上げて一歩踏み出そうとした時だ。 ――ひゅんっっ。 空気を裂くような音を響かせ、何かが土方の後方から飛来する。 背後に建つたこ焼きの屋台からだ。 彼の耳の横を一瞬で通過したそれは、長さ10センチ足らずのごく細いもの――たこ焼き屋の店先に並んでいた竹串だった。 引ったくり犯を狙い定めて放たれたそれが、ナイフを手にしたほうの手首にとんっと深く突き刺さる。 さらに同じ方向から連射された串が、ととと、とんっ、と男の手首から肘にかけて並んで刺さり、 「うああっ」と叫んだ引ったくり犯は、ついに凶器を手放した。光り瞬く白い刃はあっけなく地に落ち、 ぽたぽたとこぼれる赤い雫で濡れていく。 「〜〜〜っいっってぇぇ・・・!」 腕を押さえてがくりと崩れ落ちた男は、地面に頭を擦りつけるようにしてうずくまっている。 足の痛みもおさまっていないようだし、この様子なら当分は刃向ってくることもないだろう。男の元へ走り込んだが、 素早くナイフを確保する。すると周囲から「おーっ」という感嘆の声が上がり、賞賛の拍手が巻き起こった。 しかし当のはぽかんとした表情になり、かと思えばきょろきょろと周りを見回し始める。 まさかこの拍手が自分に向けられたものだとは思わなかったのだ。拍手喝采に包まれている猫耳メイドの正体は、 何かと市民に嫌われがちな悪名高い真選組隊士。市民からの手放しの賞賛に預かる機会なんて、これまで殆ど無かったのだから。 玩具の銃を胸に抱きしめた彼女が「何が起きたの!?」といった顔でおろおろと辺りを見回していると、 「いやぁ、若い娘が大したもんだ!」 「あんたすごいな、メイドさん!どこの店の子だい?」 「えっ!?あの、お店っていうか、これでもいちおう公務員なんですけど、 あのっ、だから本来はメイドじゃなくて、えぇと・・・・・・えへへ、どーもどーも!ありがとうございまぁす」 最初はエプロンドレスの裾を弄ってもじもじしていただが、やがてへらぁっと表情を崩した。 照れたような笑顔で頭を掻きつつぺこぺこと、この捕物劇の観客たちにやたらとお辞儀を繰り返す。 そんな光景を眺めていた土方の視線に気づくと、より嬉しそうに顔をほころばせてひらひらと手を振ってきた。 大きな瞳が生き生きと輝くその表情に、思わずどきりとさせられる。それでも彼は何もなかったような風を装い、 屋台のほうへと顔を逸らした。 ――まったく、我ながら呆れたもんだ。いつになったら俺はこれに慣れるのか。 手を振り続けているメイド姿に、ややぎこちなく背を向ける。肩越しに視線を戻してみれば 猫耳メイドはまだこちらに手を振っていて、再びどきりとさせられた土方は不貞腐れたような顔で彼女を睨んだ。 「あれっ、土方さんてばまた怒ってるんですかぁ。えっ、無視?頑張った部下を無視ですかぁ?」 勘違いして膨れるを何も聞こえていないようなフリでやり過ごし、土方は腰ポケットに入れた煙草を探る。 分厚い着ぐるみを着用したおかげで潰れかけた一本を口端に咥え、背後の店に振り向いた。 赤い暖簾を掲げた、たこ焼きの屋台だ。 「おい、いつまで隠れてやがる。さっさと出て来い」 土方の声が届いたのか、屋台の奥でゆらりと細い人影が動く。 そこに居るのは、竹串数本で引ったくり犯を仕留めた奴なのだが――どう見てもたこ焼き屋とは 思えない格好をしており、さらに言えば、土方ももよく知った顔の奴だ。 箱に入ったたこ焼きを竹串に刺しながらのんびり通路へ出てきたそいつが、 上半身は裸で下半身は着ぐるみという、何かと誤解を招きそうな姿の真選組副長を頭から爪先まで眺め回す。 生意気そうな目元を細め、嘲笑うような笑みが浮かんだ唇を開いた。 「――へぇ、どこの動物園から逃げたやつかと思やぁ土方さんじゃねーですかィ。 どうしたんです、その愉快な格好は」 「何が土方さんじゃねーですか、だ。居たんなら最初っから手伝いやがれ」 斜めに頭に被せた帽子と、そこから飛び出た長い耳をひょこひょこ揺らして寄ってきた男。 それは真選組が出店したカフェで接客係を務めているはずの沖田だ。 彼も同様に、衣装係が用意したコスプレ衣装に身を包んでいた。紺と濃緑の細いストライプ地の燕尾服に 淡いグレーのベスト、燕尾服と揃いのパンツ、足には黒革のロングブーツを合わせている。 燕尾服の衿元からは白のシャツが覗き、光沢のある臙脂のタイはリボンのような蝶結び。 腰には金の鎖が付いた懐中時計、燕尾服の背中あたりで丸くふわふわした白い尻尾が揺れていて、 金色と見間違うほど明るい髪色の頭には、濃緑のシルクハットが乗っている。その鍔の左右には、 ゆらゆら揺れる白く長い耳が生えていた。が白猫なのに対し、こいつの衣装は白兎をイメージして 作られたものらしい。・・・まぁ、猫耳と尻尾をふわふわ揺らして動くがうっかり抱きしめそうになるほど 可愛らしく見えるのとは違い、こいつの場合は耳を揺らそうが何をしようが、不思議なくらい憎たらしさが 増して見えるだけなのだが。 「総悟お前接客担当だろ、何やってんだんなとこで」 「何って、見てわかんねーんですかィ。たこ焼き食ってるんでェ」 「あーっ、総悟!何やってるのこんなとこで!」 「よう、姫ィさん。一緒にたこ焼き食わねーかィ」 白い頬を膨らませてもぐもぐと大粒のたこ焼きを頬張りながら、沖田はに手を振っていた。 が真選組の一員となって以来、沖田は親しみを込めた口調で「姫ィさん」と彼女を呼び続けている。 黙っていれば気位の高そうな令嬢にも見える、の雰囲気を喩えた愛称、・・・ではないらしい。 あだ名を付けた本人によると、時に呆れるほど世間知らずな天然箱入り体質が由来だそうだ。 とはいえ、沖田が未だに彼女を諦めていないと薄々察している土方には、ただそれだけが理由とも思えなかったが。 「総悟ってばこんなところでサボってたの?お客さんが増えたらひょっこり消えちゃったって、 近藤さんが困ってたよー」 「女どもの相手するのに飽きちまったんでェ。あいつらどいつも年は幾つだとか好みの女のタイプは どんなだとか、似たようなことばっか聞いてきやがる。いちいち愛想振り撒いてんのもバカバカしいや」 つまらなさそうに首を竦めてそう言うと、たこ焼きの箱をにぽんと手渡して、 「まぁ、その話は後にしてくだせェ。俺ぁそこの兄さんに用があるんで」 「用って?」 「これでさぁ、これ」 とぼけた顔で燕尾服の衿元を開いた沖田が、グレーのベストで覆われた胸元を指す。 そこには茶色に黄色に緑に赤――ソースとマヨネーズと青のりと紅生姜が混ざり合った、 たこ焼きのかけららしきものがべっとりと貼りついていた。先に倒れたほうの引ったくり犯に視線を投げて、 「そこでひっくり返ってる奴のナイフが、俺が食ってたたこ焼きに命中したんでェ。 おかげで全部こぼれちまって、借り物の衣装がこのザマだ。つーわけで引ったくりの兄さん、 クリーニング代払ってくれィ」 「〜〜〜っっっ・・・!?」 言われた男は当然男は驚き、呆れきったのか物も言えずに固まっていた。 その顔が青ざめながら強張っていき、やがて怒りに震え始めて、 「〜〜てっっ、てめぇ頭イカれてんのか!人の腕に穴開けた奴がクリーニング代だと!?」 「あれっひでーなぁ、踏み倒すつもりかィ。お連れさんが粗相をしでかしたんだ、あんたが責任取るのが筋ってもんだろ」 「いや俺じゃねーし、あいつのナイフだし!?」 「何でェもう数本刺されてーのか、それならそうと言ってくんねーと」 そう言って沖田はにやりと笑い、に持たせたたこ焼きの箱から竹串だけを摘み上げる。 男のほうへ寄って行き、通路に伏せて痛みにもがく引ったくり犯の胸倉をぐいと掴むと、 ――彼の眼球に串の先端が刺さる寸前まで、ひゅんっ、と一瞬で突き出した。 あまりの素早い攻撃に驚き痛みも忘れた引ったくり犯が、あわてて仰け反りひっくり返る。 「ひいいぃぃ!!」 「次はどこがいい、頭か喉か、それとも目玉なんてどーでェ。あぁ、そーいやぁそこの屋台に包丁もあったよーな」 「ほっっ、包丁!!?〜〜ちょっ、待て待て待てっっ、待ってくれおいィ!」 やけに楽しそうに口笛を吹き、耳と尻尾をゆらゆらさせるウサギ小僧はたこ焼き屋へ戻って行く。 そんな沖田を目のあたりにして、得体の知れない恐怖と混乱に陥ったらしい。 みるみるうちに表情を失くし震え出した男はずるずると這いずって土方に接近、助けてくれ、と言わんばかりの 必死な形相で彼の脚にがしっと縋って、 「〜〜〜なっっ、なななな、何なんだあいつ!?あんた仲間なんだろ、何とかしてくれ!!」 じろり、と射抜くような目つきで男を見下ろし、土方は手の中のライターをかちかちと弾く。 汗に濡れて湿気かけた一本に火を灯しながら、 「諦めろ、相手が悪りぃ。あれは弱ってる奴を痛めつけるのが趣味の本物のドSだ、 逆らえば目玉を串刺しどころじゃ済まねぇぞ。大人しくクリーニング代払っとけ」 「止めてくれよぉぉぉ!」 「無理だ。つーか面倒くせぇ」 悲壮な顔で泣き叫ぶ引ったくり犯をからかい半分であしらっていると、「ああっ!」とどこからか声が上がる。 比較的近い距離からだ。えっ、とつぶやいたが周囲を見回し、竹串と包丁を手に屋台から出てきた沖田も足を止める。 土方も前方の屋台へ視線を巡らせ、それから背後へ目を向けると、 「――バッグが!」 「逃げたぞ、誰か止めろ!」 祭り客たちが口々に叫び、引ったくり騒動のおかげで人気が消えた通路の先を指している。 人々が指しているもの――それは、路上に投げ出されたままだった盗難品のバッグを鷲掴み、 猛然と走り出した男の姿だ。男は逃走路上にいた人々を次々と突き飛ばし、土方たちが捕えた二人とは 比べ物にならない速さで場内から駆け去ろうとしていた。 「あれっ、もう一人仲間がいたのかィ」 足の早えー奴だなぁ、とやけに呑気な沖田の声が後ろから聞こえる。 土方は眉間を寄せて遠ざかっていく男の背中を見つめ、次に足元の男を見下ろす。 してやった、とばかりに唇を歪めてほくそ笑む顔は、男が逃げた方向を目で追っていた。 この得意げな表情を見る限り、沖田の読みは当たっていそうだ。自分を捕えた奴の鼻を明かして すっかり気分が良くなったのか、男は薄笑いで土方を見上げて、 「また盗られちまったな。あんた、あっちを追わなくていいのかよ」 「いや。その必要はねぇ」 逃げていく男を目で追いながら土方が返すと、男は目を丸くした。 かと思えば、げらげらと腹を抱えて笑い出し、 「何だそりゃあ、負け惜しみかよ。まぁ、重そうなもん着てるもんな。 その格好じゃ、全力で走ったってあれには追いつけっこねぇよなぁ」 「あぁ。だろうな」 「じゃあ何だ、俺らは捕まえたくせに、あいつは見逃すってぇのか。ははっ、ろくでもねぇな――・・・っ!?」 あんたらも、と言いかけたらしい男は、次の瞬間には声も出せずに固まっていた。 馬鹿にしきった笑いを浮かべる男の鼻先をひゅっと掠めて、人影が通過したからだ。 ――男のほんの目の先を風のように擦り抜けた、揺れる猫耳、流れる長い髪、黒と白のメイド服。 しなやかに駆けるハイヒールの爪先が地面を蹴り、目を見開いた彼の視界を横切って消える。 かと思えば次の瞬間、引ったくり犯の頭上にはたこ焼きが箱ごとべちゃっと降ってきた。 たこ焼きに続いて落下してきた玩具の銃を、土方が頭上で掴み取る。紫煙が昇る口許を愉しげに緩めて男に告げた。 「ほら見ろ。俺が追う必要なんざねぇんだよ」 一瞬で目の前を駆け抜けた人影――それは、三人目の男の姿を目に捉えるや追走を始めただ。 長い髪とひらひらした衣装の裾を舞わせながら、低めた姿勢で疾走していく。 たちまちに引ったくりの背後まで迫り寄った彼女が、地面を踏み切り高く飛び立つ。 高々と飛び上がった女の足は近くの屋台の支柱を蹴りつけ、その先にある屋台の調理台を蹴りつけ、 まるで階段でも駆け上がるかのように屋台を足場に跳ね上がる。 ついには青いビニールが張られた軒上まで駆け上がったが、逃走中の引ったくりめがけて空高く跳躍。 屋台の影に避難している祭り客から驚きの声が上がる中、身を捻って方向転換した猫耳メイドが宙に躍って―― 「――そこの引ったくり、止まりなさああぁい!」 頭上からの声に気付いた引ったくり犯が視線を上げた時には、回し蹴りを繰り出したハイヒールの爪先が 男の横っ面にめり込んでいた。スカートの内側の太腿が露わになるほどの速度で回転をかけた、自慢の得意技だ。 蹴りを食らった男は見事に吹っ飛び、屋台と屋台の狭い隙間を、ずざざざあぁぁーっ、と一直線に滑っていく。 長い髪を靡かせたメイド姿が、こつん、と小さくヒールを鳴らして着地する。 白のエプロンドレスの背中で結ばれた長めのリボンが、まるで彼女の背に生えた羽のように空中でふわりと翻った。 猫耳メイドの意外な強さに、あっけにとられていたらしい。屋台周辺に避難していた祭り客達は水を打ったように 静まり返り、通路に降り立った一人の女に全員が視線を奪われたままだ。 やがて誰かが「よくやった、姉ちゃん!」と力強い拍手を送り、それをきっかけに次第に拍手が広がっていって、 「こんなお嬢ちゃんが盗人相手に立ち回りとは、いやぁたいした度胸だ!」 「ありがとねーメイドさん!ところであんた、どこの店の子だい」 「はい、お店はこの奥のコスプレカフェです!ご来店お待ちしてまーす」 再び湧いた祭り客たちに笑顔で何度もお辞儀をすると、は足許に落ちていた盗難品のバッグを拾う。 そこへ藍染の法被を着た祭りの実行委員たちと、バッグの持ち主らしき年配の女性が憔悴した表情で駆けつけた。 彼等と何か言葉を交わし、は女性にバッグを手渡す。それから――回し蹴りで仕留めた引ったくり犯の 容態が気になったらしい。実行委員たちに取り押さえられる男の様子を見届けてから、すぐにこちらへ振り向いた。 間もなく土方の姿を見つけた彼女は、ぶんぶんと無邪気に手を振りながら満面の笑みで駆けてくる。 引ったくりを追いかけていた時の、凛とした女剣士の表情はどこへやら。 打って変わって崩れまくった、けれど他の誰に向けた表情よりも嬉しそうなその顔を眺め、 土方はほんの一瞬、気まずそうな苦笑いを浮かべた。 こんな時の彼女を、未だにどう受け止めたものか判らないのだ。ああいうを目にするたびに つられて表情を緩めてしまう、見慣れない自分にも困惑する。 それでもから目を逸らせず、目を逸らしても気付けばまた追ってしまっているのだから 本気で惚れた弱味というのはこれほど厄介なものなのか、と日々思い知らされてばかり。 今もそうだ。が引ったくり犯を仕留めるまでの一部始終を見ていたし、普段もほんのちょっとした 仕草のやわらかさに目を奪われたり、何気ない表情の可愛らしさに見惚れたり――は普段から 俺ばかり見ていると言っていたが、実のところは俺のほうがあいつよりも重症だろう。 勘はそこそこ良いくせにおかしなところで鈍いあいつは、自分がそこまで俺を籠絡しているとは 夢にも思いやしねぇだろうが。 「土方さぁん、どうですかぁ?あたしもたまには役に立つでしょー?」 「・・・フン、しまらねぇ面しやがって」 「あーっ今何か言った、悪口言った!聞こえなかったけど判りますよー、すっごく悪い顔で笑ってたし」 口では文句を言いつつも笑顔を絶やそうとしないは、ハイヒールで器用に駆けてきた。 どこか甘酸っぱいきまりの悪さに辟易しつつも、土方も彼女のほうへと向かっていく。ところが―― 「――っ!?っっひあああぁああああっっ」 一直線に駆けてきたが、急にびくうっと肩を竦めて凍りつく。 かと思えば大声で叫び、全力疾走で屋台の影まで逃げていった。まるで何かから身を守ろうとしているかのように 頭を抱えてしゃがみ込み、 「だだだだめですっっ、来ちゃだめぇ!こっち来ないでえぇぇぇ!」 「はぁ?」 「〜〜〜だって土方さん、なにも、着てな・・・!はっ、はははだだだだだっっっ」 驚いた土方が近くに寄ってみれば、猫耳と尻尾をぶるぶる震わせ縮み上がっている女の肌は どこも熱湯で茹で上げられたような赤さだ。 またこれか、と呆れきった目でを眺めた土方は、やがてがくりとうなだれた。 きつく皺が寄った眉間を押さえて「お前なぁ・・・」と溜め息混じりに漏らし、 何も纏っていない自分の胸元をばしりと叩いて、 「今まで何を見てやがった?俺ぁずっとこのナリだっただろーが!」 「だってそれどころじゃなかったんだもん、引ったくり捕まえるのに夢中だったんだもん! と、とにかく何か着てくださそそそそぅだっ、これ!」 あわてたが背中で結ばれたリボンを解き、着ているものをぱぱぱっ、と脱ぐ。 土方に差し出されたのは、メイド用の白いエプロンドレスだ。 いやな予感に顔中を強張らせこめかみをひくひく引きつらせる彼に、おろおろしながらメイドが叫ぶ。 「とりあえずこれ着て隠してくださいぃっ」 「・・・ちっ、やっぱりそう来たか。ざっけんな、んなもん誰が着るか!」 「えぇええええ!?」 「ええぇ、じゃねえ!今俺がそんなもん着てみろ、裸エプロンだろーが、紛うことなき変態の出来上がりだろーが!!」 「はっっ、はだっ、えぷっっ・・・!?」 怒り漲る凄まじい形相の土方が怒鳴れば、がかちんと凍りつく。 何かと思い込みが激しい性格をしている女の頭は、「裸エプロン」という想像を絶した言葉に衝撃を受け、 さらなる混乱を起こしたらしい。さぁーっと青ざめていった彼女は、ガタガタ震えながら土方を見上げて、 「ひひ土方さんにそんな趣味があったなんていやあぁぁ変態いぃぃ!」 「お前が俺を変態に仕立て上げようとしてんだろーが!」 鷲掴みにした猫耳頭を土方がぶんぶんと左右に揺さぶり、いやあぁぁ、とまだ誤解しているが 顔を覆って泣きじゃくる。と、そこへ――間の悪いことに、さらに彼を困惑させる事態が訪れた。 再び賑わいが戻り始めた祭り会場の、数十メートルほど先からだ。 「副長――!応援に来ましたぁぁ!」 「・・・・・・」 その声を耳にした途端に急な頭痛に見舞われてしまい、はーっ、と溜め息を吐いた土方は眉間を押さえてうなだれる。 出来れば見て見ぬふりをしたいところだ。・・・既に名指しで呼ばれてしまったし、無視するわけにもいかないだろうが。 渋々で諦めをつけた土方は顔を上げ、眉間に当てた手の影から心底嫌そうに前方を眺めた。 判で押したように誰もが驚いた顔をしている町民たちの波を掻き分け、おかしな集団がこちらへ迫り寄ってくる。 ・・・いや、おかしな、などという生温い表現では、今日の奴らには見合わないかもしれない。 異様というか面妖というかある意味凶器というか・・・とにかく、町内会の春祭りというのどかなイベントからは 浮きまくった、破壊力抜群な集団だ。 数人――いや、総勢十人ほどはいるだろうか。 どどどどど、と猛々しい足音を通路に轟かせ、ちりんちりんちりん、と騒々しいくらいの鈴の音の大合唱を 響かせながら、と同じ衣装で揃えた猫耳メイドたちが駆けつける。 ――ただしそいつらは全員がむさ苦しい強面で、やたらといかつい身体つきの男ばかり。 格好だけはを真似て女装姿に身を包んでいるが、中身はどいつもこいつも真選組の隊士たち。 全員が全員、真選組が出店したカフェで給仕を務めているメイド役である。 引ったくり騒ぎを聞きつけ駆けつけた彼等は、土方の前でびしっと整列。一人が前に進み出て、 ちりんちりんと鈴を鳴らしながら真剣な表情で敬礼する。 「お疲れさまです副長!向こうで転がってる二人、とりあえず本部テントに連行でいいでしょうか!」 「・・・・・・。あのなぁお前ら。いくら局長命令でも、ここまで酷でぇ役目は拒んでいいんだぞ」 「いえ、どうぞご心配なく!女装といえど我らがアイドルさんとお揃いです、むしろ全員喜んで引き受けました!」 「・・・・・・・・・・・・町内会のジジイどもが一人取り囲んでんだろ、あれも入れとけ」 「了解しました!おいお前ら、手分けしてしょっ引け!」 「「「「「うっス!」」」」」 野太い声を響かせると、彼等は早急に任務を遂行すべく行動する。 エプロンドレスを翻らせた猫耳メイドたちが、げんなりしている土方の前からたちまちに四散していく。 すると彼らが向かったうちの一ヶ所から「うぉっ!?」と何かに驚愕したような声が上がった。 見れば沖田に腕を串刺しにされたあの男が、手足を振り回して暴れていて、 「ゃやややめろ寄るな化け物っっ、きめーんだよ!なっっ、何なんだお前ら、何者だ!?」 メイド姿の屈強そうな男たちに急に囲まれ、引ったくり犯はちょっとしたパニックに陥ったらしい。 清楚なメイド服から伸びた手足が無駄に骨太で逞しく、ゴツい顔にうっすらと施した化粧が 見るもおぞましい怪物たち――いや、隊士たちが、怯える男をぐるりと囲んで声を揃える。 「「「「「真選組だ!」」」」」 「はぁぁ!?ぶっこいてんじゃねー!真選組ってのは攘夷浪士も震え上がるならず者揃いだって評判だぞ、 お前らどう見てもかぶき町のオカマじゃねーか!!」 ふざけんなぁぁ!と今にも掴みかかりそうな剣幕で男が怒鳴る。 隊士達は正直に身分を述べただけなのだが、男のほうには信じる気などなさそうだ。 しかし周囲の祭り客たちは小声でひそひそと囁き合っており、「聞いたか、あいつら真選組だとよ」 「あれが真選組?マジかよ」といった声や、異様なものを見る人々の視線が土方にまで突き刺さってくる。 ・・・・・・あぁ頭が痛てぇ。おい、どーすんだ。どーすんだ、これ。 ただでさえ市民から毛嫌いされてきた俺達だが、これで更なるイメージ低下は確実じゃねぇか。 激しい頭痛に耐えきれなくなりこめかみを押さえた土方は、の服の首根あたりをわしっと掴む。 「副長ー、こいつ腕に何か刺さってるんですが病院に送ったほうがいいっすか」などと猫耳を揺らして尋ねてくる 強面メイド隊に無言で背を向け、まだ泣いている女を引きずり超高速でその場を去ったのだった。

「 猫可愛がりにもほどがある #2 」 text by riliri Caramelization 2015/05/05/ ----------------------------------------------------------------------------------- 副長今年もおめでとうおめでとう !!!       next →