似 て る 二 人 の 楽 園 協 定 *4
「ぅうううぅぅ〜〜〜〜。ばかぁああっ。土方さんのばかぁぁぁ・・・!!」 「・・・まだ言う気か、しつけぇぞ。服一枚で隠れたんだ、さして問題はねーだろうが。 おら見ろ周りを、誰も注目しやしねえ」 うんざり気味に目を細めた土方は、見てみろ、と周囲を顎で指す。 ちょうど昼時とあって館内通路は混み合っている。彼の背中に貼りついてはべしべしと殴り、「ばかばかっっ」を 大声で繰り返す妙な女に振り向く者は滅多にいない。 こんな遣り取りもすでに数回目、土方としてはもう食傷気味だ。せめて黙って歩きやがれ、と心中で漏らす。 しかし売店で買った土産物のTシャツを着た女はべしべしと彼の背を殴り続け、「ばかばかっ」を連呼してくるのだ。 つくづく懲りねぇ奴だ。いや、この性懲りもなさが馬鹿女の馬鹿たる所以か。 何でこいつは、手前の過去の行動と結果から学習するってことがねぇんだ?ここへ来るまでにかれこれ三回は 俺に「うるせぇ黙れ」と叱られ、拳骨を落とされているというのに。 「見られてるとか見られてないとか、そーいうことじゃなくてぇぇ!何なんですかぁもうっ、 何であんなことしたんですか!?これじゃもう泳げないぃ!プールに来たのに泳げないなんてあんまりですよぅぅ!」 「そこまで泳ぎてえんなら泳いで来いよ。別に止めやしねえぞ」 まぁ、お前がここでそいつを脱ぐ勇気があるならな。 可笑しさを噛み殺しながら買ってやったTシャツに視線を送れば、さすがにからかいが過ぎたのか、 べしっと思いきり背中をぶたれた。痛てぇな、と土方は眉を吊り上げ背後を振り向く。すると必ず、瞼の縁に涙の粒を 膨らませた女は大きな瞳をかぁっと剥いて睨みつけてくるのだ。 男物のぶかぶかなTシャツを水着の上に重ねたは、腰を覆う丈の長い裾をぎゅうぎゅうと引っ張りながら歩いている。 なぜそんなことをしているかといえば、太腿の付け根あたりまでに散らされた赤い跡が見えやしないかと心配しているから。 周囲の目線が気になって仕方がない彼女の姿は、傍から見ればあきらかに挙動不審な女だった。そわそわとはらはらと 左右をしきりに気にしながら、土方の背中を盾にして、隠れるようにしてついてくる。こんな場所で人知れず戯れた名残りは まだの身体に残っているようで、全身の肌がほんのりと艶めかしく染まっている。本人にしてみればそんな自分が 死にたくなるほど恥ずかしいらしい。しかし土方が何食わぬ顔で視線を流せば、途端に頬を膨らませて睨みつけてくる。 どうやらあれは、本人的には「あたしまだ怒ってるんだからねっ」と態度で主張しているつもりらしい。 ・・・土方としてはいくら怒りを主張されても、真っ赤な頬を風船のように膨れさせた子供に 半泣きで拗ねられているような気にしかなれないのだが。 人の波を擦りぬけながら南国風の館内を進むうちに、通路沿いのアイスクリーム屋が目に入る。 『アクアパラダイス限定 ミラクルマーメイドパフェ』 ここのマスコットキャラのウインクした人魚が微笑む看板には、縁日の屋台で見掛けるブルーハワイのかき氷のような、 目が醒めるような青さのパフェが描かれていた。何気なく背後を窺うと、フグのように膨れた女は その看板へちらちらと羨望のまなざしを向けている。人並み外れて大きく、かつ感情豊かな彼女の瞳が 「いーなぁおいしそう、食べてみたい…」と語っている。 ・・・つくづく判りやすい奴だ。まあいい、これで機嫌のひとつも取っておくか。 「おい、食いてぇんなら買ってやってもいいが」 「いい。いらないっ。…土方さんて、こーいう時は必ず食べ物で釣ろうとしますよねっ」 「・・・」 藪蛇か、と悪びれたふうもなく肩を竦め、館内のそこかしこに掲示された案内板で目的地を確かめる。 機嫌を損ねた女の扱いは多少面倒にも思えたが、だからといって悪い気はしない。 に気取られ睨まれないようたまに後ろを盗み見て、恥ずかしそうに染まった目元や頬の赤みを見物するのは なかなかどうして愉快だった。 人の悪そうな笑みに口端を歪めると、土方は足を速めた。アトラクション前の混雑を擦り抜けながら先を急ぐ。 さっき乗ったボートコースの終点へと向かえば、案の定、そこに万事屋たちの姿があった。 「だ、旦那っ。すいませんお待たせしちゃって・・・」 「――おーおー、来た来たぁ、やーっと来やがった」 女の声に素早く反応、いつにない機敏さでくるりと振り返った銀髪の男は、珍しく苛立ったような面をしていた。 はTシャツの裾が翻らないかと気にしながら、おずおずと万事屋の元へ向かう。 彼女の後を追い、土方も無言で歩み寄った。ざまあみろ、という得意げな本音は表情の薄い面立ちの裏に押し隠しておく。 「えらく遅かったじゃねーか。どこで何してやがったんだ、あぁ?」 「〜〜〜っっ。ななななっっ何もしてないですっ、何もっっ」 「こいつが水底に引っかかってくたばりかけてな。落ち着くまで休ませただけだ」 「そそっ、そうですっ。それだけですよ、それだけっ」 「それだけにしちゃあ長げー御休憩じゃねーの。あんまり遅せーからよー、御休憩どころか一泊コースに延長かと思ったぜ」 「〜〜〜いっ!?なっっ、ななな、な、なっ!!」 「休ませただけだっつってんだろ。言葉通りに取りやがれ」 どうやら万事屋は事情を見抜いているらしかったが、涼しい顔で受け流した。 ――別に嘘は言っちゃいねえ。作り物の木立の陰にこいつを連れ込んでいた間の、多少の過程は省略したが。 一方、根っから正直者のが土方のようにしれっと振舞えるはずもなく。途端にしどろもどろになり、 頭の天辺からしゅわーっと湯気が出そうなほどに赤面する。しばらくは土方の背後に隠れてあたふたとおろおろと 焦りまくっていたが、じきに何やらガサゴソと、持参したビニールバッグを探り始めた。 中から小さな袋を取り出し、白いビキニ姿のくノ一におずおずと近寄っていくと、 「・・・ぁ、あのっ。・・・猿飛さんもごめんね。いっぱい待たせちゃったよね」 「ええ全くだわ。どうしてくれるの、あなたたちのおかげで銀さんも私もうんざりするほど待ちくたびれたじゃないの」 「はぁ?てめえのどこがうんざりしてんだ」 腕を組んだ土方が嫌そうに注視した女は、万事屋の背中にべったりと縋りついてのお楽しみ中だ。 どう見たって俺らの不在を満喫してたようにしか見えねえんだが。そんな厭味の一つもぶつけたくなるほどの 嬉々とした様子で、自分を完全無視する男の素肌にねっとりした頬ずりを繰り返している。 真選組隊士なら誰もがビビる鬼の副長のガン見目線などなんのその、うっとりと幸せに浸るくノ一に は眉を曇らせて困りきっていた。知り合って間もなく交友も浅そうなバイト仲間を待たせてしまったことに、 心の底から申し訳なさを感じているらしい。 袋から取り出した小さなものを両手ですっと差し出して、 「あのね、これ、待たせたお詫びっていうか、・・・よかったら、貰ってくれる?」 さっき売店で買ったの。 が自信なさげに付け足すと、女は眼鏡のフレームを上げながら冷やかな視線を向けた。 差し出されたものは、この施設のマスコットキャラを使った土産物。 ピンク色の小さな人魚がちらちらと揺れるストラップだ。腰まである髪を靡かせた人魚は艶やかなウインクで微笑んでいる。 土産物としてはまあまあのセンスと出来ではあるが、こんな場所には縁が無い土方の目にも別段珍しくはない代物というか、 よくあるありふれたキャラクターグッズ、…といったところか。あのくノ一の目にもそう見えたのだろう。 つまらなさそうに細い眉をひそめていた。 「何よ、これ」 「この中に入った時から思ってたんだ。この人魚、髪が長くて色っぽくて、なんだか猿飛さんに似てるなぁって」 「・・・・・・」 「あ、あのね、でも、嫌ならいいの。あたしは気に入ったけど猿飛さんの趣味には合わないかもしれないし、 その時は自分で使おうって思ってたから」 「・・・・・・。本当に・・・何なのよ。どこまでお人好しなの、あなたときたら、・・・」 低い声で絞り出すようにつぶやくと、女は形の良い唇をきつく噛んだ。 赤いセルフレームの眼鏡を透し、責めるような目つきでを貫く。視線の凄味に怯んだのか、 は半歩後ずさった。それでも差し出した袋は引っ込めようとしない。申し訳なさそうな情けない笑顔で、 女の挙動を待っているのだ。 そんなに根負けしたのか、やがてくノ一は手を伸ばした。奪うようにしてストラップの袋を取り上げると、 「・・・・・・ムカつくわ。噂通りの懲りないひとね」 「えっ。な、なに、噂って」 「・・・いいえ、気にしないでちょうだい。さんには関係のない、ただの独り言よ」 などと言いながら、女はひとことの礼も無く袋を手持ちのバッグに放り入れた。 ――この女。幾らが気に入らなかろうが、こういった時は最低限の礼儀ってもんがあるだろうが。 傍で見ていた土方はあからさまにむっとした。ところが贈り主のはというと、胸の前で両手をひしっと握りしめ、 きらきらと瞳を輝かせてくノ一の行動に見入っている。嬉しそうに顔を綻ばせて、 「貰ってくれるの?よかったぁ・・・!」 「ええ、別に欲しくはないけど仕方がないから貰ってあげるわ。・・・それよりも、ねえ、言っておくけど こんなもので靡くとは思わないでちょうだい。私はこんな安物でほいほいと釣られるような女じゃないの」 「うん、わかってるよ。・・・さっきの話で、猿飛さんに嫌われてるのはよーく判ったもん」 が悪戯を叱られた子供のような、神妙な様子で肩を竦める。 高飛車な態度で腕を組んだくノ一をおずおずと見上げて、 「さっきはお詫びって言ったけど、買った時はお礼のつもりで買ったの。今日はここに誘ってくれてありがとうっていう、お礼」 だから、受け取って貰えるだけで嬉しいよ。 はにかんだ子供のような笑顔で返し、はさらにバッグの中を探る。女に渡したものとは色違いの、 水色のストラップ二つをそこから出した。 「はいっ、これは旦那に。こっちは土方さんに。二人は色もお揃いですよー、ねぇどうですかぁ?可愛いでしょ?」 「・・・おい何の冗談だ。まさかお前、俺にこれを持ち歩けってんじゃねえだろな」 「そーですよー、ケータイにつけてくださいよー」 人魚が微笑む可愛らしいストラップは、どう見たところで女子供向けだ。 ――マジか。つーか、判ってんのかこいつ。 こんなもんを付けた携帯を俺が使おうもんなら、屯所の連中は揃って怖気に震え上がるぞ。 手渡されたものを顔の前に吊り上げると、土方は興醒めしきった目つきでそれを眺めた。そんな土方を見上げたが、 幸せそうに表情を緩める。「いーじゃないですかぁ試しにつけてみてくださいよー、土方さんみたいなおっかない人が こーいうの付けてると、それだけで親近感がアップするんですよー?」などと、呑気な口調で要らないお節介を焼こうとする。 ちらちらと揺れる小さな人魚を楽しそうにつんつんと突いては、「ね?よく見ると可愛いでしょ?」と笑顔で念を押してきやがる。 土方は憮然とした様子で口端をひん曲げ、やりにくそうにを睨んだ。 ・・・まったく、何が「可愛いでしょ」だ。 金も無ぇくせにこんなちまちまとしたもんを自腹を切って用意して、それを渡せた嬉しさに顔を綻ばせて笑うお前のほうが、 こんな何処にでもある土産物より余程可愛いじゃねえか。 「・・・俺ぁいらねぇ。お前が使え」 「えぇー、土方さんも気に入らないんですかぁ。こんなに可愛いのにー」 「気に入る入らねえ以前の問題だ。このちゃらんぽらん侍と揃いのもん持たされて誰が喜ぶかってぇんだ」 ええー、と口を尖らせる女の頭に、ストラップをぽんと乗せて返そうとしたのだが――、 ・・・とそこで、土方はようやく隣の男の様子に気がついた。 彼と同じ水色のストラップを手渡されてでれでれと鼻の下を伸ばした万事屋は、笑顔のにぽーっと見惚れきっている。 「えぇっいーのマジでいーの、とお揃い!?いやいやなんかそれって彼女みてーじゃね、銀さんの彼女みてーじゃね!?」 まるで熱に浮かされたかのように図々しい独り言をぺらぺらと連発、不気味なくらい顔を緩ませへらへらぁぁ〜〜っと笑う。 その面が無性に気に食わない。畜生、帯刀してくるべきだった。そんなことを悔やむくらいの、本気の殺意がめらっと湧いた。 「おい万事屋、ちょっとそれ貸せ」 「んぁ?・・・おい、ちょ、土方くん?え、おま、何して――」 眼光鋭く万事屋を睨みつけた土方は、に見惚れて隙だらけの男からストラップをぶん取る。 そして無言のままに施設の天井を見据え、ぶんっっっ、とそれを放り投げた。 ひゅーんっ、と宙に吸い込まれるようにしてストラップは飛び、広い館内の遥か遠方 ――幼い子供たちが仲良く戯れるキッズ用プールへ、ぼちゃんと水没。 唐突な大遠投を披露した土方は顔色も変えずに「よし」と頷き、その背後では、半ば悲鳴のような万事屋の大絶叫が上がった。 「土方くんんんんんんん!!!??ちょっっっとぉおおお何やってんの君、何してくれちゃってんのおぉぉ!!?」 「なっっ、なんてことするんですか土方さんっっっ」 「あぁ、悪りぃ。うっかり手元が滑ってな」 「うそっ、絶対わざとでしょ、わざとですよね!?謝罪が完全に棒読みだしっ」 「はぁあああああ!!!??っっだとてめーコノヤローざっけんじゃねーぞあれのどこが「うっかり」なんて距離だぁ!? ちげーだろ、そんな可愛いもんじゃねーだろ!どう見たって全力投球フォーム振りかぶってたじゃねーかよぉおおお!!」 「煩せぇな、男が細けぇことに拘ってんじゃねえよ。それよりおい、いいのかあのまま放っといても。 ありゃあ早く回収しねえことには、ガキどもに踏み潰されちまうんじゃねえか」 かぁっと目を剥き掴みかかってきた男に、土方は醒めきった半目で言い返す。 彼が顎で指した方向には、混み合った浅いプールの水を蹴り散らしながらきゃっきゃと走り回る子供たちの群れが。 はっとした万事屋は残像すら見えない超高速でキッズプールへすっ飛んで行き、その後をがあわてて追いかけた。 してやった、と土方は皮肉な笑いを浮かべて見送る。すると背後から、ずっと黙っていたもう一人の女の声が響いて―― 「――銀さんの頼みとはいえ、引き受けるんじゃなかったわ。あんな女のお守りなんて・・・」 「・・・・・・」 土方が軽く目を見張り、背後のくノ一へ振り返る。 しかし女の表情を確かめると、眉間を曇らせ口をつぐんだ。 これまで散々に軽蔑してきた、性質の悪い女ストーカー。彼にしてみれば取り締まるべき犯罪者同様なふてぶてしい女が、 まるで別人のように――ひどく憐れに見えたのだ。女は彼がこれまでに目にした覚えのない、沈んだ表情でうつむいていた。 「・・・どうしてあの女なのかしら。どうして私じゃ駄目なの。どうしてあの子なのよ。 悪党の汚れた血に手を染めながら生きてきたのは、・・・しょせん日陰しか歩けない身だってところは、 わたしもあの子も同じじゃないの。・・・・・・なのに、銀さんは・・・」 「――お前・・・」 (どうしてあいつの過去を知っている。あの野郎から訊いた話か。それとも他の奴か) 幸いなことに、は万事屋の野郎と共に場を外している。事情を問い詰めるなら今のうちだが、 見慣れない女の様子に躊躇い、再び口をつぐむ。ややあってから溜め息を吐き、 子供の笑い声が賑やかな一角へと駆けていくの姿に目を向けた。 「・・・俺ぁ野郎の腹積もりなんざ知らねえし、知りたくもねえ。だが、・・・」 ―― 日陰しか歩けない身。 そうだ。このくノ一が自ら手前をそう評したように、かつてのも自分の過去をそうやって卑下していた。 人斬りとして操られていた自分を常に引け目に感じていたはずだ。だが、それでもあれは―― 「・・・・・・」 土方は再度口を閉ざした。 返答はとうに頭の中に浮かんでいる。 どう纏めようとたいして簡潔にはなりそうもない、長ったらしい返答が。 どれもを傍に置くうちに感じてきた、手前なりの実感ばかりだ。そしてどれもこれも、この女には酷なだけの言葉だ。 そもそもが、この女が答えを求めているのは俺じゃねえ。他の奴の口から何を得ようと、無用の長物にしかならねぇだろう。 「――いや。何でもねえ。・・・行くか」 独り言にも聞こえるような誘いを投げ、先に歩き出す。 前を見据えたその瞬間、彼の思考が向かう先は対象を変えた。多分、例のストラップは見つかったのだろう。 ぺらぺらと軽い調子でと喋りながら戻ってくる男には、相変わらず緊張感の欠片すら感じられない。 ちっ、と彼はいまいましげに舌を打った。まったく、見れば見るほど癪に障る。とことんふざけた面構えだ。 ――野郎の腹積もりはまだ見えて来ねぇ。だが、見当がついたこともある。 (銀さんの頼みとはいえ、引き受けるんじゃなかったわ。あんな女のお守りなんて) さっきくノ一が漏らした言葉。あれから察するに間違いはない。の店にこのくノ一を潜り込ませたのは、 やはりあの野郎の仕業。さらに野郎は、日頃から毛嫌いして避けている俺に会うため、わざとらしい段取りまで組んできやがった。 いかにもが目当てのようなあの浮かれた態度に騙されかけたが、と水遊びに興じるだけが目的であれば、 別に俺まで呼び寄せる必要はねぇ。 「・・・けっ。とことん食えねぇ野郎だな」 背後の女の耳に入らないよう声を潜め、土方は腹立たしげにつぶやく。 ――やはりあれは油断がならねぇ。 水着の女にでれでれと鼻の下を伸ばしておきながら、あの馬鹿面の皮の下では何を企んでいやがるのか。 ――それから一時間ほど後。 館内にあるファミレス風の店で遅めの昼食を終えると、万事屋とくノ一は目で合図し合うような素振りを交わし始めた。 前もって示し合わせていたのだろう。すぐさまくノ一は行動を起こした。隣に座るの腕をがしっと掴み、 「それじゃあ私たち二人で泳いでくるわね。さあ行きましょう、さん」 唐突に、しかも一方的にこの後の予定を決められてしまったは最初こそぽかんとしていたが、徐々に真っ青になっていった。 プールで泳ぐ、…それは言うまでもなく、Tシャツを脱いで再び水着姿にならなくてはいけない、という彼女にとって 最悪の事態が待っているということに他ならない。焦ったはテーブルに縋りついて抵抗したが、 そんな彼女を無情にもずるずると引きずりくノ一は店を出ていった。 「いぃぃやぁああああああ〜〜〜!!」と死に物狂いで泣き叫ぶの声はしばらく店内にも鳴り渡っていて、 その声のけたたましさには頭痛がしてくるというか、土方もさすがに他人のふりをしたくなったほどだ。 だが、――あれがこの場に居ては何の話も切り出せない。少々強引がすぎるくノ一の行動は、彼にとっても都合が良かった。 「・・・いいよなぁぁ、い〜〜〜〜よなぁああ・・・!」 館内は基本的に禁煙なこの施設で、レストランの店内は唯一喫煙が許されている場所だ。 食後にようやくありついた一本を吸い終えると、土方は向かいの席に座る銀髪の男をじとりと睨む。 今にも口端からよだれを垂らさんばかりの腑抜けきった顔面は、店の窓ガラスにべったり押しつけられている。 窓の向こうは施設の通路となっており、通路側からこの男を見れ見ればさぞかし間抜けに見えるだろう。 実際に今も、通りかかった子供やカップルがくすくすと笑っていたりするのだが、 ――呆れるほど面の皮が厚いこの男の目には、自分を笑っているどいつの姿も案山子か木偶人形程度としか 認識されていなさそうだ。奴の目に映っているのはただ一人、通路の遠方にあるエスカレーターのあたりだけ。 くノ一に無理やり連行されて上の階へと昇っていく、Tシャツ姿の女だけだ。 「出るべきとこはプリップリで締まるべきとこはきゅきゅーっだしよー、肌はやらけーしいい匂いするし、 どこもかしこもうまそーだもんなあぁぁ。あれで男慣れしてねーんだからたっまんねーわ」 「Tシャツ通して何を見てんだド腐れ野郎。もしやてめえ、この日のために透視術でも身につけてきやがったのか」 が聞いたら真っ赤になって硬直しそうなセクハラをほざいた男に、土方は吊り上った目元をぴくぴくと 痙攣させながら言い募る。それだけでは腹立ちが収まらず、灰皿に押しつけた吸い殻をぐりぐりと潰した。 早くも煮えくり返った彼の脳裏を、現在の彼の心情を的確に表現した言葉が超特大サイズで占領している。 ――実に簡潔にただ一言、「死ね!!」という呪いの言葉が。 「んだよ土方くん、何を馴れ馴れしく話しかけてんの。なんかあれじゃねお前、すっかりお友達気分じゃね? イヤイヤよしてくんねそーいうの、俺ぁおめーと仲良くする気なんざ微塵もねーし、今のは全部独り言なんだけど?」 「その耳障りな独り言やめたら黙ってやる」 「・・・いっやぁあああしっかしいい身体してんなー、周りの女どもが霞んで見えるわ」 「・・・・・・」 「あれぁ俺が見たとこ、上から88の57のはちじゅう」 「おいわざとだろ。お前絶対わざとやってんだろ!!?」 だんっっ。 拳骨を振り下ろしたテーブルに、びしっと小さな亀裂が入る。彼等のテーブルの食器を下げるためにたまたまやってきた ウエイトレスがびくーっと竦み上がり、「しっ、失礼しましたぁぁっ」と片付けも放棄して逃げ去った。 しかし肝心の男はウエイトレスのように慄くどころか、ふてぶてしい本性が滲み出た顔でにやにやと彼を眺めるだけ。 ぐぐぐぐ、と土方は震える拳を握り締め、ぎりぎりと歯噛みして万事屋を睨んだ。 野郎がへらへらと目算した女のスリーサイズは、俺が「このくらいだろう」と見当をつけていたサイズと ぴたりと合致していやがる。ろくにあいつに触ったこともねぇ奴が、どうしてそこまで正確にあれの身体つきを把握出来るのか。 その理由を考えるだけで、腸が煮えくり返るどころか腸が捩じくれ返りそうだ・・・! 「ははっ、かっわぃーよなあぁぁは。あーあー、Tシャツ必死に押さえちまってまぁ」 「・・・・・・」 「髪で隠してるつもりなんだろーけどよー、見えてんだよなー首んとこ」 「ここと、ここな」と首や鎖骨を指してみせる憎たらしい面は、人の弱みに浅ましくつけ込む 強請りたかりの常習犯どものそれだった。万事屋が頬杖を突きテーブルに乗り出す。 ひょい、と手のひらを差し出して、 「なーなーおまわりさんよー、仮にも市民の税金で飯食ってる公僕がんなとこで淫行ってのはマズいんじゃねーのー」 「・・・ぁんだこの手は」 「口止め料に決まってんだろぉ。三万と言いてぇとこだが、の可愛さに免じて一万にまけといてやるわ」 「そうかそんなにぶっ殺されてえかこのクズが・・・!」 「あれっ、何、もしかしてお前真に受けちまってんの。いやいやねーわ、それはねーわ、市民の安全を護るおまわりさんが 本気でぶっ殺す宣言とかマジで引くわー。けけっ、これだから洒落の通じねー男はよー」 「・・・!!」 目前に突き出された手をべしっと払い、土方は苛々と二本目の煙草を取り出しにかかる。 「ちょっとちょっと奥さぁぁん今のあれ聞きましたぁ〜?怖いですよねぇぇ最っっ低ですよねぇこのポリ公〜」 隣の席のママ友会的な子供連れ集団に馴れ馴れしくも同意を求めた万事屋が、ちらちらと嘲笑の目を向けてくる。 ああ畜生、殴りてぇ。怒りにまかせてこのテーブルをひっくり返し、店内を滅茶苦茶にしてでも 奴をボコボコにしてやりてぇ・・・!! 土方は手荒くライターを弾き、うぐぐぐぐぐ…!と低音の唸りを漏らしながら煙を吐く。 咥え煙草をがりがりと噛みしめて腹の底を焦げつかせる怒りをこらえながら、ひたすら自分に言い聞かせた。 落ち着け俺、ここは我慢だ。ここを冷静に乗り切らねぇことには話が一向に進みやしねえ・・・! 「・・・おい。もういいだろ。先に言っておくが、まどろっこしい前置きは無しにしろ」 「あぁ?何だよ前置きってよー」 「この期に及んでばっくれてんじゃねえ。俺にサシでつけたい話は何だって訊いてんだ」 「あれっ。んだよ気付いてやがったのかよ」 「たりめぇだ。てめえが何の理由も無しに俺に繋ぎをつけてくる奴か」 「へーえ。そこまで察してんなら、呼びつけた理由も薄々判ってんだろ」 万事屋が気だるげなうすら笑いを浮かべる。手元の小銭入れへと指を伸ばした。 中から取り出した黒い何かをぴっと弾く。それはふわりと浮き上がりつつ、テーブル上を滑ってきて―― 「なぁなぁ土方くんよー、そっちも下手な隠し立ては無しにしてくれや。胸クソ悪りーが、俺ぁ てめーらとはそれなりの馴染みなわけだしぃ?まぁこう言っちゃなんだがよー、なんやかんやと貸しもあるしな」 ひらり、と土方の手元へ着地したもの。それは黒い羽だ。細く長く、鳥の風切り羽のような形をしている。 羽自体の長さからみて、そう大きくはない鳥のもの。 土方は表情を崩すことなくそれを手に取る。反応を窺うような万事屋の視線を感じながら顔を上げた。 「あのくノ一、とっつあんとも懇意にしてるそうだな。その辺りの線から探らせたか」 試しにカマをかけてみる。万事屋はふっと目を細め、とぼけた笑みを浮かべるだけだ。 「こいつの出処ぁどこだ。胡散臭せぇ商売上、独自の情報網でも持ってんのか。それとも例の、昔のお仲間ってぇやつか」 「んぁー・・・、まぁ、ご想像にお任せするわ。しっかしどーしたよ、今日はいやに口数が多いじゃねえか」 「妙に饒舌になってんのはてめえもだろうが。どうした、何か余程に後ろ暗れぇらしいな」 「けっ、これだから嫌れーなんだよ警察ってのは。ねーよ、んなもんは。昔はともかく、こちとら今は善良な一般市民だからよー」 「・・・それともあれか。てめえらとは十年来の古馴染みだってぇ、あの鉄火場芸妓か」 「へぇ。そこまで調べがついてんのかよ」 からかうように飄々と返してきた男の態度に戸惑いはない。しかし芸妓の名が出た途端に 笑みがどことなくわざとらしさを増したし、それと同時で目つきがわずかに光を増した。 やはりそうか、と土方は表情も変えず得心する。 に懐いたあのガキどもに限らず、身内はこいつの泣きどころ。が姉のように慕っている男勝りな 世話好き芸妓も、その数のうちに入るらしい。 「呑んだくれ芸妓の身上まで洗うほど暇じゃねえよ。 あの女には一度、ちょっとした厄介になってな。そん時に出た話から推測したまでだ」 「ふーん。・・・そんならてめえにも察しはついてんだろ。沙和はただの芸妓だぜ。何の因果かお尋ね者の野郎どもと 少々縁付いちまってはいるが、俺やそいつらとは違う。血生臭さには一切関わりの無ぇ奴だ、昔も今もな」 フン、と土方は無表情に鼻先で笑う。沙和、とはあの芸妓の本名か。 話を逸らすことも茶化すこともやめた男の顔には、それでも笑みが浮かんでいる。 しかし普段の面とは違い、どうしようもないちゃらんぽらん男が隠し持っている本性が透けた笑みだ。 「つーことでよー土方くん、俺にも聞かせろや。の周りで今、何が起こってんのか。これから何が起ころうってぇのか」 手の内に収まっていた漆黒の羽を、すっと一瞬で引き抜かれた。 羽の行き先を追って動いた視線の先で、万事屋は土方と目を合わせる。その目から、あのわざとらしい笑みは消えていた。
「 似てる二人の楽園協定 *4 」 text by riliri Caramelization 2013/06/06/ ----------------------------------------------------------------------------------- next