似 て る 二 人 の 楽 園 協 定 *5
透明なドーム型天井から降り注ぐ陽光は、男二人が前にした回遊式プールを白くまぶしく煌めかせていた。 水着姿の女性たちの肌に飛び散る涼しげな水飛沫。友達や家族とはしゃぐ子供たちから弾ける歓声。 健康的で楽しげで開放感に溢れた光景が広がる中、彼等がつい今しがたまで情報を交換し合っていた例の話は、 とてもこの場に相応しい明るく平和な内容とは言い難い。互いの顔を見ることも無く並んでプールを 眺める男二人は、自然と表情に影を帯びていく。そんな二人がこの場から浮いた存在に見えたのだろう。 イルカ型の浮き輪を抱えてぱたぱたと走る幼い子供が、二人の前でぱたりと止まる。 彼はちょこんと、不思議そうに首を傾げた。 ――どうしてこんなに楽しい場所で、こんなに怖い顔をしてるんだろう。 そんなことを感じていそうなあどけない姿は、母親らしき女に呼びかけられて我に返る。すぐに元気よくぱたぱたと、 まぶしくも穏やかな光に彩られた彼の日常へと走り去った。離れていく小さな姿を目で追うと、 プールサイドに腰を下ろした万事屋は横に立つ男に視線を投げた。 「――ってぇことでよー土方くーん、俺が聞きかじった話はここまでだ。これ以上はいくら叩いたって 埃ひとつ出ねーぜ。あの羽含めて後はてめえらに任せっから、煮るなり焼くなり好きにしろや」 「・・・わざわざ念押ししてくるあたりがどうにも臭せぇな。てめえ、まだ何か出し惜しみしてんじゃねえだろな」 「あぁ?しつけー奴だなこっちはとっくにすっからかんの打ち止めだって言っ・・・、」 あまり旨くもなさそうに棒つきアイスを齧っていた男は、なぜか唐突に目の色を変える。 ぱぁっと表情を輝かせて身を乗り出し、 「おおっ!が俺に手ぇ振ってるー!!ーーーーーーー!!ぅおーーーーいィィィ!!」 「俺に振ってるに決まってんだろうが。つーかてめえ、人のもんを卑猥な面して見てんじゃねえ・・・!」 ぶんぶんと千切れんばかりに腕を振る万事屋を、土方の拳骨がどかっと襲う。 土方たちが女二人を発見したのは、最初に彼らが待ち合わせを果たした場所だ。 流れるプールに取り巻かれた巨大な滑り台の順番待ちの行列に、とくノ一は並んでいた。 どうにかしてTシャツを脱ぐことだけは免れたらしいは、レストランを出た時とは打って変わって楽しげな様子。 そんな姿を万事屋は崩れきったにやけ顔で眺め、土方はそんな男にじろりと凍てついた視線を送る。 これだから来たかなかったんだ、ともどかしそうに顔を顰めた。 喫煙OKのレストランでようやくニコチン成分を補充できた土方としては、他に場を移すつもりなど無かったのだが―― 「おいおいィィふざけんなよ水着の姉ちゃんだらけの男のパラダイスで仏頂面のいけすかねー野郎だけ眺めてろってのかよ? え、なにこれ拷問?拷問なの?善良な情報提供者に対してどんな仕打ちだよこの税金泥棒」 男のスケベ心全開な身も蓋もない悶着をつけられ、仕方なくたちを探しに店を出たのだった。 「・・・しっかしよー、いーのかよーポリ公がパンピーに情報漏えいしちまってよー。 俺ぁてめえら警察から見りゃあ、紛うことなき部外者だぜ?しかも、どっちかっつーとお尋ね者寄りの」 「いいわけねえだろ。てめえに聞かせた話はどれもこれも、紛うことなき内部機密だ」 土方は腹の辺りで腕を組み、裸足の足先でばしばしと床を打ち鳴らし続けている。 横からの気配を感じるだけでイライラが募って、募りまくって、とてもじゃないがじっとしてなどいられない。 この手の腹立ちを抑えるための彼の必需品――ニコチンはかろうじて摂取出来たのだが、 とはいえそれもほんの二本だけ。しかも付かず離れず横にいるのは、天敵と忌み嫌ってきたこの男。 激務で溜めた鬱憤のせいで何かと上がりやすい鬼の副長のストレスゲージは、まるで宇宙を目指す通信衛星発射の勢いで 果てしなく高く上昇中だった。 「へっ、判らねーなぁ。その内部機密とやら、どうして俺に漏らす気になった」 「・・・てめえはいざってぇ時の保険だ。よりにもよっててめえに頼らざるを得ねぇってとこが、 我ながら不本意で仕様がねぇが。だが、もしも俺が動けねえような日が来たら、他にあいつを託せる奴がいねえ」 苛立ちをぶつけるように機関銃のような早口で白状すれば、万事屋はわずかに目を丸くした。 しばらく黙っていたのだが、やがて「なにこいつ、寒っっ」とでも言いたそうに自分の身体を抱き竦めて、 「おいおいィ、勘弁しろやー。俺ってそんなにおめーに頼りにされてんの、そこまで腕を見込まれてんの。けっ、うっぜえ」 「自惚れんな。誰が馬鹿侍の鈍った腕なんざあてにするか」 俺がアテにしてんのはそこじゃねえ。 腕の良し悪しなんざ問題じゃねえんだ。…まぁ、あるに越したこたぁねえだろうが、そんなもんは二の次だ―― 鋭いその目をやや伏せ気味にした土方は、すぅ、と軽く息を吸い込む。 ある種の覚悟が必要だった。これから言おうとしているのは、これまでに白状したどの話よりも一等口にしたくない話だ。 「てめえなら、何があろうがあいつを見放さねぇ。腕の一本二本失くそうが、死に物狂いであれを護るだろうからな」 そう語る間にもじわじわと悔しさが募ってきて、ちっ、と舌を打ちたくなる。 ――ここへ来るまでにも、散々に他の方法を探し続けた。 よりにもよってあの野郎に頼るなんざ冗談じゃねえ。男の沽券に関わる大問題だ。 他に選択肢はねえものか、と半ば意地になってあらゆる手を考え尽くしたのだが、どれもこれも愚策に思えた。 ――何故この男なのか。 土方自身も、未だに答えが出ないのだ。それどころか、考えれば考えるほどに疑問が生じる。 なぜ俺はこうまでに、何の疑いも無く、こいつにならを託していいと思い切れるのか。 そこに普段抱いているこの男への評価との矛盾があるというか、自分でも自分を測りかねてしまう。 我ながらどうにも理解しがたい決定事項だ。奇妙なむず痒さを伴ったそれは、腹の中でもどうにも収まりが悪かった。 彼のそんな葛藤を知ってか知らずか、横の男はすっとぼけた半目顔にするりと戻る。面倒そうに眉を寄せてアイスを齧り、 「だからって何でご指名が俺だよ、他にいんだろぉ、他に。事がの身に関わるってぇなら、 おたくの坊ちゃんも黙っちゃいねーだろうによー」 「あれには任せられねえよ。一丁前に隊長格なんざ張っちゃいるが、まだガキだ」 未だ少年の面影を残した生意気面が目に浮かぶ。その顔を思い出せば、自然と口端に笑みが上った。 いや、――もしも俺が手前の知らねぇ舞台裏で、しかもこいつを相手にこんなナメくさった台詞を ほざいたと知れば、あれぁ普段の澄まし面もかなぐり捨てて、烈火のごとく怒り出すだろうが。 「俺が言ってんのは、何らかの理由で俺が動けなくなった緊急時の話だ。そん時ぁ無論、あれにはあれが担う役目がある。 それ以上の負担が掛けられるかよ。ひいては局内の負担に…近藤さんの負担にもなりかねねぇからな」 「・・・前から思ってたけどよー、過保護すぎじゃねーのそれ。いつまでガキ扱いしとくつもりだよ」 「はっ。てめえがそれを言うか」 きな臭せぇヤマからはガキどもを遠ざけておきたがる悪癖は、てめえも同じかと思っていたが。 そんなことを感じながら皮肉気に笑う。おそらく万事屋にも彼の失笑の意味は届いたのだろう。 銀髪の後ろ頭をボリボリと無造作に掻き、ちぇっ、と吐き出すような声でこぼした。 「やれやれ、・・・とんでもねー奴に見込まれちまったもんだなぁ、俺も」 「お気に召さねぇってんならこの場で突っ撥ねてくれて結構だぜ」 「けっ、んな話のどこがお気に召しますかってーの」 「報酬なら払う。今回ばかりはてめえの言い値で手ぇ打ってやる」 土方は指に挟んだ細長い紙片を男の目前に突き出した。 この日のために松平に頭を下げ、借り受けてきた一枚の小切手。金額欄は空のままだ。 それを万事屋は珍しく真摯な目つきで眺めていた。じきにゆっくりと口を開いて、 「これが仕事の依頼なら門前払いだ。山と金積まれたって受けねぇよ。 依頼人の面は気に食わねぇし、面倒な奴ばかり絡んだ厄介なヤマときてらぁ」 目の前を塞ぐ小切手を、邪魔だ、とばかりに払い除ける。彼等の目前にそびえ立つ 巨大な滑り台を――そこを滑り降りてくる女を、万事屋は目で追いかけていた。 は両手を高く挙げ、水が流れる螺旋状の滑走路をはしゃいだ様子で滑り降りてくる。 ドーナツ状の流れるプールに水飛沫を跳ね上げて落ちた彼女は、濡れて肌に貼りついた長い髪を掻き上げながら 楽しそうに笑っていた。その姿をどことなく和んだ目で追いながら、呆れたように肩を竦めて。 「報酬だぁ?馬鹿かてめえは。惚れた女の一大事に黙っていられる男がいるかよ」 「・・・・・・。厄介なヤマは受けねぇんじゃなかったのか」 「受けねぇよ。金なんざいらねえ。てめえはてめえ、俺ぁ俺だ。こっちはこっちで今まで通り、勝手にやらせてもらうとするさ」 独り言のようにつぶやいた男が、ひょい、と何かを宙に投げる。 ぱしり、と確かに握り取ったものは、さっきが男に渡した土産物のストラップ。 しっかりと手に収めたそれに万事屋は至極満足そうな、愛おしそうな視線を注ぐ。 ・・・大見栄張りやがって。普段は俗で下世話な野郎が、あれっぽっちの報酬で請け負うってのか。 土方はしばらく横目にその姿を眺めると、複雑そうな溜め息を吐いた。 「・・・呆れたもんだな。馬鹿もここまで来ると極まれりだ。いいのか、いくらあれを庇ったところで てめえにゃ一銭の得にもならねえんだぞ」 「へっ、馬鹿に馬鹿たぁ言われたくねーんだよコノヤロー。つーかいつかと言わずによー、今にしてくんね、今。 のこたぁ今すぐ俺に任せてよー、てめえはむさ苦しい山猿どもんとこに帰りゃいーだろ。 ゴリとドSに挟まれて侘しくマヨネーズでも啜ってろや、お山の大将」 片腕をぐんと上へ伸ばし、あーあーちくしょー、と万事屋はかったるそうに伸びをする。 土方へちろりと恨めしげな視線を投げて、 「しっかし何が一等気に食わねえかってよー、面も見たくねー奴の尻拭い役ってとこだわな。 どーせ俺が引き受けると踏んで来たんだろ、てめえ」 「・・・」 そうでもねえぞ、と土方は内心で答えるに留めた。 いざという時は土下座でも何でも、のために出来ることなら何だってしてやるくらいの覚悟は決めてきたのだ。 とはいえ、そこまでをこいつに白状してやる気などない。いつかを託すかもしれないとはいえ、 相手は何かにつけては人の弱みにつけ込もうとするムカつく野郎だ。 「とんだ貧乏くじだが、・・・ま、しゃーねーか。あの子の笑顔のためだ」 自分に言い聞かせるようにつぶやいた男の目は、彼等が待つプールサイドへと泳いでくる女を見つめている。 食い終えたアイスの棒をぷらぷらと揺らしながら微笑む顔はどこか居心地が悪そうで、そして照れ臭そうでもあった。 ――あぁ畜生。・・・気に入らねぇ。 何度眺めても気に食わない面だ。を眺めるこいつの面など見たくもないが、特に腹立たしいのが こんな時だ。こんな顔つきを眺めていれば、判りたくなくとも判ってしまう。どれだけ気に食わない野郎だろうと、 認めざるをえなくなる。笑うあいつを目にしたときに溢れる眩しくもくすぐったい感情は、俺もこいつも似たようなものなのだろうと。 だからこそ託せると思ったのだ。 これまでにも散々に敵視してきた、胡散臭くていい加減で得体の知れない男。 そんな虫の好かない奴ではあるが、への思いの深さだけはいい加減でも不誠実でもないのだと、あの表情を 眺めていれば感じたくもないのに感じ取ってしまう。あいつを手に入れた男の立場としては死んでも認めてやりたくなかったが、 ・・・こいつは人を煙に巻くようなふざけた態度の裏側で、ずっとを思い続けてきたのだ。 「・・・・・ちっ」 悔しげに眉間を顰めた土方は、突き返された小切手をぐしゃりと握る。 認めざるを得ない。だが悔しい。 背反する感情が彼の中でせめぎ合っていた。こんなふうにこの男を認める自分が腹立たしく、 あまつさえ頼ろうとしている自分が不甲斐ない。 けれど同時に、肩の荷がほんの僅かに軽くなったような気もしていた。 昨日までは心のどこにも存在しなかった、心強さを得ているのだ。高額の報酬を蹴り飛ばした後に見せた、 この男らしい天の邪鬼な「承諾」のおかげで―― 「旦那ー、土方さぁん、すっごく気持ちいいですよーあの滑り台。二人も滑ってくればいいのにー」 プールから上がって濡れたTシャツの裾を絞り、全身からぽたぽたと水を滴らせたが話しかけてくる。 水遊びの心地良さを無邪気に満喫している女の笑顔も素肌も、光を浴びてきらきらと輝いていた。 男二人はそんな彼女をそれぞれの思いで黙って眺めた。なぜか二人に見つめられてしまい、 は不思議そうに首を傾げる。先に行動を起こしたのは万事屋だった。目を細め気味にしてくすりと笑い、 口に刺さったアイスの棒をするりと引き抜く。それを目の前に突き出され、はきょとんと目を丸くした。 「これにやるわ」 「え?」 「さっき貰ったもんの礼とー、・・・ああ、ちょー可愛い水着姿見せてもらったお礼な」 ひらひらと目の前で振られた棒には「あたり」と焼印で綴られた文字が。その字を目で追ったの 半開きになった柔らかそうな唇に、むにっと棒が突っ込まれる。 「ふ、むっっ」 つい数秒前までは男の口に入っていたものを咥えさせられ、はぱちくりと目を瞬かせる。 げっ、と土方が目を剥いて呻く。挑むような笑みをほんの一瞬土方に向けると、 万事屋はに顔を寄せた。ちゅ、と迷いなく濡れた頬に唇を落とす。さりげない早業に固まったが、 ぼんっと顔中を火照らせる。目の前で不意を突かれた土方は絶句したが、たちまちに目の色を変えて突進した。 「てっめえええ・・・!」 にやにやと笑う男に掴みかかろうとしたのだが―― それを見越していた万事屋にをどんっと押しつけられてしまい、その勢いのままに二人でプールへ落下。 ばっしゃあああん、と派手な水音とともに水柱が上がり、沢山の人で賑わうプール中の視線が集まる。 近くで遊んでいた子供たちが頭から水を浴びてきゃあきゃあとはしゃぎ、抱き合う格好で飛び込んできた大人ふたりを 面白がってけらけらと笑う。そんな賑やかな様子を上から見物する銀髪の男のふてぶてしい顔には、 ざまあみやがれ、とひどくご満悦そうに書いてあった。 「またなー。次は邪魔者抜きで銀さんとデートしてくれやー」 大量に水を呑んでしまった土方がゲホゲホと咳込み、があわてて彼の背中を摩る中、万事屋は二人に背を向ける。 じゃーなー、と手を振りながら、かったるそうな独特の足取りでプールサイドを去っていった。 「――土方さん土方さん、さっきのあれ、持ってますよね?」 「あぁ?」 「さっき渡した人魚のストラップですよー。ちょっと貸してもらっていいですかぁ」 そんなことを尋ねられたのは、更衣室で着替えた後に待ち合わせていたレジャー施設の入場口でのこと。 まだ陽も高いだけあって入場口付近に人気はなく静かで、プールやアトラクションの混雑ぶりが嘘のような雰囲気だ。 そこへは慌てた様子で駆けてきた。極彩色の緑と花が生い茂る南国風の通路から「土方さーん」と呼びかけてきた女は、 ドリンクの自販機が並ぶ休憩用スペースで待っていた土方の前に立つと、同時に手を出す。早く早く、と急かしてきた。 彼は渋々で腰を上げ、着物の袂を探る。例のストラップを差し出した。 するとはいそいそとくノ一の元へ走っていった。女は彼等のことなど見向きもせずに自動ドアを抜けて出ていくところだ。 そこをが呼び止め、二人を追って土方も館内を出た。 「・・・・・・――フン、そういうことか」 少し離れた場所で何やら話し始めた女二人を眺め、土方が眉をひそめる。 万事屋が一足先に帰ってしまったためなのか、あれからくノ一は殆ど口を聞かなくなった。奴が去ってからほどなくして 「私も帰るわね」と無表情に言い出した女は、表情こそそんなふうには見えないが落胆気味なようだ。 そんな彼女を放っておけなかったのだろう。「あたしも一緒に帰る」とが言い出し、妙な組み合わせのダブルデートは あっけなくお開きとなった。万事屋に置き去りにされたくノ一を少々気の毒には思ったが、 ここへ来た目的をすでに果たした土方にとっては都合の良い展開だ。 袂から出した煙草に火を点けながら、土方は言葉を交わす二人の様子を眺めていた。 それまではつんと澄ましきっていたくノ一の態度が、どことなくおかしくなってきている。 に厭味でも言っていそうな高慢な態度を通してはいたが、時折そわそわと腰をくねらせたり、 変装のために染めた薄茶色の髪をやたらに撫でつけてみたりと落ち着きがない。 しばらくするとはぱたぱたと駆け戻ってきて、土方の手を取る。はい、と彼の手のひらに小さなものを乗せてきた。 渡した時には水色だったはずのストラップは、ピンクのそれに変わっていた。 彼が予想した通り、万事屋と揃いになる水色のほうはあのくノ一へ渡したらしい。再び女のほうへ目を向けてみると、 手のひらに収まる小さなものにぽうっと頬を染めて見惚れていた。しかし彼の醒めきった視線を感じたのかはっと我に返って、 「かっ、勘違いしないでちょうだい!別に嬉しくないわよこんなもの!?」 「ああそーかよ。その割には後生大事に握ってるように見えるが、気のせいか」 「ちょっと土方さぁん、どーしてそんな意地悪言うんですかぁ。ごめんね猿飛さん、ええとあの…よかったら一緒に帰らない?」 「結構よ!」 やけに甲高く言い放ち、くノ一は館内から出てきた親子連れの集団に紛れて逃げていった。 ・・・が、そのまま去っていくのかと思われた女はなぜか途中で立ち止まる。赤のセルフレームを くいと上げながら振り返り、 「・・・さっきの言葉は撤回するわ」 「え?」 「見てるだけで腹の立つ人だけど、あなたのことはそんなに嫌いじゃないわ。・・・おバカさんすぎて嫌う気にもなれないもの」 地面を睨みながら言いにくそうに告げると、そそくさとその場を去っていった。 嫌われていると諦めていた相手の、意外な反応に感激したらしい。は 街の雑踏に飲み込まれていく女の姿が見えなくなるまで、嬉しそうに手を振っていた。 「・・・・・・でお前、こいつを俺に持てってのか」 「・・・あれっ、何ですかぁ厭そーな顔しちゃってー。もしかして土方さん、ピンクも嫌いなんですかぁ」 「いや嫌いっつーか…それ以前にあるだろうが、好きだ嫌いだ以前の問題が」 目の前に提げた可愛らしいピンクの人魚をちらちらと揺らし、土方はうんざり気味に眉を寄せる。 女子供向けの携帯の飾り。しかもふわふわと甘ったるいピンク色。彼が決して選ばない色の筆頭色だ。 土方にとっては難易度が無駄に上がったというか、屯所の連中が彼に向けてくる畏怖の目に、 無用な誤解やら、もっと無用な怖いもの見たさゆえの好奇心やらが混ざりそうで嫌なのだが―― 「男の人は水色がいいのかなと思って旦那とお揃いにしたんだけど、土方さん、水色は 気にいらないみたいだったから。だから交換してもらったの。猿飛さんは旦那とお揃いのほうが嬉しいみたいだし」 「・・・・・・」 ・・・いや、そりゃああの女にとってはそうだろうが。 と揃いのはずがストーカー女と揃いだったと知りゃあ、野郎は俄然気を落とすだろう。 まぁそこまでは俺の知ったこっちゃねえし、奴の知り及ばないところでこっそりと鼻を明かせたようで愉快でもある。 あれこれと考えを巡らせた結果、意地の悪い笑みを浮かべた土方は黙ってストラップを袖の内へと滑らせた。 「・・・ふふっ」 「あぁ?何が可笑しい」 「あのね。・・・お揃いなの」 肩を竦めて悪戯っぽく笑ったが、携帯を取り出す。 自分用にも買ったから、と付け加えながら、ちらちらと揺れるピンクの人魚を指してみせた。 お揃い、と独り言のように繰り返し、心の底から嬉しそうな笑みに顔をほころばせて土方を見上げる。 彼への信頼の程が伝わってくる、屈託のない心からの笑みだ。 その表情を目にした土方の口許に、ぎこちない笑みがふっと浮かぶ。漏れ出た紫煙がふわりと揺らいだ。 「おい。楽しかったか」 「え?」 が目を丸くする。これまでに土方の口から出たことのない、珍しい問いかけだったからだ。 しばらくは不思議そうに彼の瞳を覗き込んでいたが、なぜかそのうちにもじもじとうつむく。 抱きしめたバッグで顔を隠し、ミニ丈の着物から覗く膝を擦り合わせながらぽつりと漏らした。 「・・・なにそれ。変なの・・・」 くぐもった声で拗ねたようにつぶやく女の頬は、ほんのりと薄赤く染まっていた。 「・・・楽しい、ですよ・・・?・・・・・・・・土方さんと一緒なら、どこに行っても楽しいもん・・・」 「・・・・・・。そうか」 ならいい、と吐息程度の小ささに低めた声でつぶやく。 女の頭にぽんと手を置き髪を撫でてやれば、は困ったような目をして見上げてくる。 心の揺らぎや恥じらいを隠すことを知らない素直な瞳と見つめ合えば、彼の手の動きに逆らうことなく じっとしているのすべてが――頼りなく揺れる小さな頭の、しっとりと冷えた感触までもが愛おしかった。 最初は戸惑っていた女の顔が、やがて表情を緩ませ始める。土方の手がなめらかな頬を撫でて顎の先まで滑り降りると、 くすぐったそうに首を竦めてその手を取る。自分に触れる男の手を見つめ、それから顔を上げてふわりと柔らかく微笑んだ。 「土方さんは、楽しかった?」 「・・・ああ。そうかもしれねえな」 考えた末にぼそりと答える。 思いがけない彼の返事が嬉しかったのか、大きな瞳が輝きを増した。 甘く香る肌の感触に指を沿わせながら、笑いかけてくる女を眺める。どこか居心地が悪そうな笑みに 顔を歪めてから、ふと思った。 ふらりと姿を消したあの野郎も、今頃はどこかでこんな、どうにもならない苦さを味わってやがるんじゃねえか、と。 ――刻限はいずれやって来る。 俺や野郎がどれだけ必死に足掻こうと、いつかそれは始まるのだ。 が今のでいられる穏やかな日々が、唐突な終わりを告げて崩れ去る時。その崩壊を境に、 こいつの世界は一変する。逃れようにも逃れられない苦しみは、何も知らずに無邪気に笑う今のを 違う女に変えてしまうだろう。 ならばせめてその時が来るまでは、何も知らないままでいさせてやりたい。 その決めつけこそが俺の身勝手だと恨まれることになろうと、それまではこの腕の中に閉じ込めてでも護ってやる―― 「・・・土方さん?どうしたんですかぁ」 「・・・・・・」 不自然に黙りこくって立ち尽くす彼を、は満ち足りた笑顔で見上げてくる。 何でもねぇ、と普段通りに誤魔化すには重たすぎる鉛のような気分が、胸の内に垂れ籠めてくる。 改めて立てた虚しい誓いは澱む胸の内に押しやり、土方は黙っての肩を引き寄せた。 小さな頭を掻き抱いた腕に多少の身勝手さを籠めつつも、強く願う。 出来得る限りに長く引き伸ばしてやりたい。こいつが心から笑っていられる、まぶしくも幸せな楽園の日々を。
「 似てる二人の楽園協定 」 text by riliri Caramelization 2013/06/11/ ----------------------------------------------------------------------------------- 現在編で「ご主人さまと…」の後くらいの話。くノ一さんは「片恋…*32」で通りすがってます