痛そうに顎を押さえた土方さんがお風呂場に乗り込んできたのは、それからすぐのことだった。 頭までお湯に浸かって真っ赤に茹で上がっていたあたしは「お前はちったぁ頭冷やせ」と脱衣所へ放り投げられて、 あわててお風呂へ戻ろうとしたら、早速服を脱ごうとしてるひとの姿がばばーんと目に飛び込んできて。 「ぎゃあぁああああああ!!」と回れ右して脱衣所へ転がり出たら―― 「ははっ、いやに静かだと思ったらお取込み中だったんだねぇ。すまなかったねぇ野暮な真似して!」 ばふっ。 前のめりに倒れた身体は、柔らかい何かに抱き止められた。見上げると、両手にバスタオルを広げ持った 赤ジャージの女の子が。とんでもないところを目撃されて気が動転してるあたしは顔を真っ赤にしてドモりまくりなのに、 ――彼女ときたらまったく動じたふうもなく、あっけらかんと笑ってる。 「お前なぁ・・・堅気のガキの気遣いか、それが」 思春期の女の子らしくない発言に、頭痛でもしてきたらしい。脱ぐのを止めて戻ってきた土方さんは、 眉間を顰めて唸っていた。 ・・・この二人って知り合いみたいだ。どういう関係なんだろう・・・?
蜜 月 *4
「ちょいと、誰がガキだって?あたしだって来年は十六だよ、女が十六といやぁ立派な大人なんだからね!」 「ほら見ろそれだ。やっぱ堅気からズレてんじゃねえか」 「なにさ、久しぶりに会ったってのにさあ、顔見た傍から説教かい? あいかわらず厭味ったらしいねぇ兄さんは。ほらほら、姉さんの世話はあたしに任せてひとっ風呂浴びておいでよ」 まだ説教し足りないって顔した土方さんをお風呂場に押し込んでしまうと、彼女は用意していたバスタオルで 手際よく頭を拭いてくれた。次は洗面台まで引っ張っていかれて、棚にずらりと並んでる高級そうなコスメを あれこれと薦めてくれる。何でも美容全般に詳しいお姉さんが二人もいて、その二人からの受け売りなんだそうだ。 ドライヤーで髪を乾かしていた間も、用意してくれた着物や帯を着やすいようにきちんと揃えて並べてくれたり、 着付けを手伝ってくれたり、その合間に人懐っこい笑顔を向けてくれたりする。最初は恥ずかしさと困惑で 物も言えなかったあたしも、いつのまにか彼女の嬉しそうな様子と、おおらかで健康的な雰囲気にすっかり引き込まれてしまって。 借りた白粉や頬紅なんかを肌にぱふぱふと乗せながら、二人で色んな話をした。 通っている女学校の話を聞いて、そこで仲良くなったお友達の話も聞いて。寺子屋に通っているっていう、 まだ小さい弟さんの話なんかも聞いた。あたしはあたしで、今日の任務のことや、土方さんの屯所での様子、 局内の様子なんかをあれこれ話した。いつも早風呂な土方さんがほんの十分で脱衣所へ戻ってきた時には、 洗面台の鏡越しに睨んでくるひとのことは無視して二人でお喋りに熱中していたくらいで。 「・・・おいお前ら、口動かす前に手ぇ動かせ。飯の用意はもう出来てんだろ、冷めるじゃねえか」 「えぇー、いいじゃないですかぁちょっと待ってくださいよー」 「そうだよケチな兄さんだねぇ。いいじゃないか待っておやりよ、女の支度は時間がかかるってのが相場だろ」 あたしの真後ろに立った女の子が答える。ぱちん、と彼女が耳の上に止めてくれたのは、さっき総悟がくれたあの髪飾り。 「可愛いねぇこれ」「うん、そうなのー」なんて、可愛いものに目がない女の子同士の話を弾ませていたら、 そこへ土方さんが割り込んできた。見たことがない羽織に袖を通しながら女の子の横に立つと、 鏡に映ったあたしに向かって「遅せぇ、まだか」って催促してくる。その姿を目にしたら、なんだかどきっとしてしまった。 ・・・これも旅籠からの借り物なのかな。深みのある黒橡色の着物姿だ。羽織も着物も紬みたいな光沢があって、 すごく上等な織物を使ってるみたい。普段着にしてる真っ黒な着物に少し似てるけど、あれよりも格段に よそ行きっぽいっていうか――普段の姿とは雰囲気が違ってみえる。ついつい髪を直す手を止めて、 ぽーっと目で追って見蕩れてしまった。 「お前、寺子屋はどうした。ちゃんと通ってんのか」 「寺子屋じゃないよ、もう女学校だよ。本当に兄さんたら、何度言ったらわかるのさ」 「ん?そういやぁ・・・しばらく見ねぇうちにまた伸びやがったな。どこまでデカくなる気だ」 「そうそう、気づいたかい?そうなんだよすごいだろ?去年も5センチ伸びたんだよ!まだまだ伸び盛りだからねー、 兄さんなんてあっというまに追い抜くよ」 「俺を超えたら180越えだぞ。やめとけ、嫁の貰い手に不自由する」 やんやと言い合う二人を鏡越しに眺めて、軽いお化粧を終えたあたしは首を傾げた。 ――見れば見るほど不思議だなぁ。二人の態度はすごく自然で親しげだ。大抵の人にガードが固くて不愛想な土方さんが、 口調も雰囲気も珍しいくらい砕けてる。彼女のほうも土方さんに懐いてるみたいで、年の離れたきょうだいみたいって いうか、いかにも「昔からお互いを知ってます」ってかんじだし。 でも、この二人にどこで接点があったんだろう・・・? 「あの〜〜・・・・・。もしかして、土方さんとも知り合い、・・・・なんですかぁ?」 「・・・はぁ?何言ってんだい姉さんたら。そりゃあそうだよ、姉さんだって」 「何だお前ら、顔見知りか。お前、こいつとどこで知り合った」 「――へっ?」 それを聞いた女の子がなぜか唖然とする。持っていたヘアブラシをぽろりと落として、 何言ってるのさ、って顔であたしと土方さんを交互に眺めた。 ――土方さんの問いかけに相当びっくりしてるみたい。どうしてそこまで驚くんだろう・・・? ちょっと不思議に思いつつ、あたしは頬をぽりぽり掻きながら口を開いた。 「それがね、その、・・・ええと、ごめんね。実はあたし、彼女に全然覚えがなくて・・・」 「そうか。ならあれだ、人違いじゃねえのか。他人の空似ってやつだ」 土方さんは立てた親指の先で女の子を指して、 「こいつぁ知り合いが多いからな。チビの頃から早とちりで怖いもん知らずの世話焼きで、やたらと口煩せぇガキだった」 「・・・はぁああ!?ちょっと兄さんよしとくれよっっ、そいつは一体どんな寝言なんだい?」 「あぁ?何が寝言だ」 「だからそれはこっちが訊きたいんだって!なんなのさあんたたち、まさか気づいてないとでも――・・・・・」 ショートカットの頭を掻き毟りながら土方さんを問い詰めてた女の子が、なぜか急に黙り込む。 呆れ半分、感心半分といった表情でしげしげとあたしたちを眺めて、ぽんっ、と手を打ち鳴らして。 「はぁあ・・・・、そうか、なぁーんだ、そういうことかぁ・・・」 「・・・?だから何がだ、一人で納得してんじゃねえ。こっちはまるで腑に落ちねえ」 「〜〜ぷっ、ははは、なーんだ!だから「声は掛けるな」って・・・はぁぁ〜〜、何だい、そういうことか! いやだけどそれにしたってさぁ・・・ああ、そういやぁ昔っから妙に鈍いとこがあったよねぇ、兄さんは!」 「うっせえ放っとけ。つーか何の話だ、勿体ぶってねえで吐けコラ」 「はいはいはい、判った判った!判ったところでもうこの話はお開きにしようよ、さぁさぁ次はご飯だよ!」 ――なぜかけらけらと笑い出した彼女に、あたしと土方さんはぐんぐん背中を押されて連れ出された。 連れ出された先は二階のレストラン。ここへ着いた時に外から眺めた、ガラス越しに光り輝いて見えたあの場所だ。 二階に着いてまぶしい金色のエレベーターがすーっとドアを開けた瞬間、あたしはわあっと感嘆の声を上げた。 「すごーい・・・!」 目の前に現れた光景は、贅沢に慣れてない貧乏道場育ちの小娘にはふさわしくない豪華さだ。 家具、っていうより、調度品、って呼んだほうが良さそうな、凝った装飾品が並んでる。通路は緋色の絨毯敷きで、 壁や天井も暗い赤で統一されたその空間は、以前に近藤さんのお供で行った某星の大使館と並ぶくらいに立派だった。 お料理に使う香辛料みたいないい匂いと、むせかえりそうなくらいの濃い高級感が場の空気を埋め尽くしてる。 ・・・ああ、なんだか緊張してきた。いいのかなぁ、あたしなんかがこんなところにお邪魔しても。 心細くなって隣に立つひとの袖に縋りついたら、 ――さすが土方さん。見てるこっちが呆れ返るくらいの、筋金入りの図太さだ。 少し先に見えるレストランの様子と入口に貼られた禁煙マークのシールを見据えて、 「ぁんだ、禁煙じゃねぇか」って、眉間を険しくしてぼそりと一言。気後れして腕にしがみついてくる 面倒臭い女(=あたし)のことは完全にスルー、緋色の絨毯を下駄で踏んですたすたと行ってしまった。 「ひ、土方さぁぁん!待ってぇぇ、待ってくださいよぉっ、まだ心の準備がっっ」 「情けねえ声出してんじゃねえ。場所がどうあれたかが食事だ、さっさと来い」 「?どうしたのさ姉さん、泣きそうな顔しちまって」 「だ・・・だって。いいの?あたしなんかが行っていい場所なの・・・?」 「いいに決まってるじゃないか。こんな恰好のあたしだって入れるんだよ?」 女の子はそう言って、校名が入った赤いジャージの胸のところをおどけた仕草でくいくい引いて。 「どこも変なところはないし、その着物だってすごく似合ってるよ。それ、あたしの姉さまのお気に入りなんだ」 「お姉さんの・・・?」 「ああ、もうお嫁に行っちまっていないんだけどね」 女の子はあたしが身に着けた着物を眺めて、懐かしそうに目を細めた。あたしもつられて自分の姿を見下ろす。 ――連翹に木蓮、雪柳にすみれ、撫子。 膝から裾までにやわらかな色合いの春の野花がちりばめられた、白い着物。隊士になってからは 膝上丈の短い着物ばかり着ていたから、我ながら新鮮なかんじがする。 生地に染み込んだ残り香なのかな。襟足の辺りからは、ほのかで甘い花の香りが立ち昇ってくる。 ・・・どこでだろう。こんな着物をずーっと前に、どこかで目にしたような気がするんだけど。 「姉さまがよく言ってたよ。この着物は一見着こなしやすそうに見えるけどさ、意外と着る人を選ぶ色柄なんだって。 だけど姉さんが着るとすごく可愛いよ。よく似合ってるよ!ねえ兄さん、そう思わないかい?」 「・・・・・・」 「ちょいと兄さんてば。聞こえてんだろ?・・・あーあぁ、相変わらず面白味のない兄さんだねぇ。 姉さんがこんなに可愛く着飾ってるんだよ、一言くらい誉めてあげたらどうなのさ」 女の子が半笑いで呼びかけると、土方さんの足が止まった。肩越しに振り向いて、きつい視線を流してくる。 「ほら、姉さん」 誉めろって言ってみなよ、と耳打ちされて、あたしは肩を竦めて苦笑いした。 土方さんがあたしの見た目を褒めてくれたことなんて、一度としてないんだけどなぁ。――でも、ダメモトで言ってみようかな。 振袖の袂をちょこんと指で摘まみ上げて、くるり。その場で一周回って、照れ隠しにへらへら笑って、 「ねぇねぇどうですかぁ、これ。ちょっと可愛いく見えたりしませんかぁ?」 「――あぁ。まぁ、悪かねぇ」 「!」 「・・・・・。いや。まぁ、つったって、あれだ。普段に比べりゃ、って話だ」 脚が隠れたぶんだけ、ガキ臭さも隠れるからな。 びっくりして固まったあたしをやや細めた目で上から下までひととおり眺めて、ふいっと仏頂面を逸らす。 ふぁぁ・・・!とあたしは振袖を胸の前で握りしめて喜びに震えた。 悪くないって・・・・・・、悪くないって言われた。何に対しても手厳しくて評価が辛い土方さんに!! 「い、今の、夢?夢じゃないよね!?褒められたぁっっ、初めて褒められちゃったぁぁ!!」 「はぁ?初めてなのかい!?今のあれが??」 「いやそれ以前にさぁ…あれって誉められたうちに入るのかい」と怪訝そうに尋ねてくる女の子と、 女の子に抱きついてはしゃぐあたしを置き去りにして、土方さんはまたすたすたと、深い赤で彩られた通路を足早に進む。 それ以降は呼びかけられても振り向きもしない。そんな土方さんを指して、女の子は意味深な目つきでにやついていた。 「――さあ、ここだよ。いい席用意してもらったから、夜景見ながらゆったり楽しんでおくれよ」 案内されたレストランの入口には、「いらっしゃいませ、土方さま」と上品に微笑む女の人が待っていた。 その人に先導されて、通路と同じ深い赤を基調にした内装を落ち着きなく見回しながら歩く。他の席とは少し離れた、 奥まった場所にあるテーブルへ案内された。 ・・・なんだか夢の中にいるような気分だ。 間近で見るそこは、外から眺めた時の印象以上にきらびやかな世界だった。 お風呂で見たのと同じ夜景が窓辺を華やかに飾っていて、上から燦々と降り注ぐシャンデリアの光は、 テーブルに着いて食事する大勢の人たちや、給仕しているボーイさんたちを柔らかく照らし出している。 ゆったりと幅を取って配置されたテーブルが並ぶフロアの奥へ進んで行くと、落ち着いた談笑の声と、 お肉やお魚を焼いた時に漂ってくる、香ばしくって美味しそうな匂いに包まれる。ボーイさんたちはどの人も、 所作のひとつひとつが洗練されていて優雅だった。給仕するときの何気ないしぐさや動きを見ているだけでも、 「ここって高級なお店なんだなぁ」って実感できるくらいに。 「じゃあね、また来ておくれよ、絶対だよ!」 「――えっ。あ、あの」 引かれた椅子に座ってぼーっと辺りを見回してる間に、女の子は席を離れていった。 一階のロビーでそうしていたのと同じように、店内に待機しているボーイさんたちと挨拶を交わしながら去っていく。 ・・・せっかく仲良くなれたのにな。もう行っちゃうんだ。 名残惜しくなって立ち上がって手を振ったら、人懐っこい笑顔で手を振り返してくれたんだけど、 ――彼女を目で追ってるうちに、ちょっと不思議になってきた。 番頭さんには「お嬢さん」て呼ばれていたし、従業員さんたちは皆、彼女を明らかに特別扱いしてた。 ・・・あの子、一体何者なんだろう? 遠くなる赤ジャージの姿をじっと見つめていたら、真正面に腰を下ろした土方さんはあたしの疑問を察してくれたみたいだ。 自分から口を開いてくれた。 「あれぁここの社長の娘だ。三年前に親ぁ失くして、弟共々引き取られて養女になった」 「・・・そうなんだ。・・・・・・そっか。同じような境遇なんですねぇ、あたしと」 「――あぁ。まぁ、似たようなもんかもしれねぇが」 そこで口を濁して、街灯やビルの灯りがきらきらと瞬く窓の外に視線を移す。それ以上のことは 教えるつもりがないみたいだ。間もなくお酒が運ばれてきたから、話は自然とうやむやになった。 お酒、・・・といっても飲むのは土方さんだけ。 あたしだって飲みたくてたまらないけど、いつも土方さんに阻止されてしまうから 泣く泣く諦めるしかないんだよね。それでも口に指を咥えて、グラスになみなみと注がれたビールに 羨ましそうに見惚れていたら、グラスを傾けて白い泡に触れた口元がすごく嫌そうにひん曲げられて。 「物欲しげな面ぁしても無駄だ。ガキは大人しくそこの水でも飲んどけ」 「だからガキじゃないですってばー、もう大人なの!ほらぁ、そこの時計見てくださいよー、もう九時ですよ。 あと三時間でもう一つ大人になるんですってばぁぁ!」 遠目に見える金色の装飾がまぶしい壁時計を指したけど、土方さんてば知らん顔だ。 ぐいとビールを煽って、美味しそうに喉を鳴らす。そんな仕草をじーっと眺めて、あたしは膝に広げた真っ白なナプキンを ぐちゃっと握った。頬が自然にぷーっと膨れてくる。「飲みたい!」て判りやすく書いてある目でじとーっと睨んでも、 土方さんは涼しい顔してビールを煽る。それなら、とへらへら笑って両手を出して、「ください!」って主張してみたんだけど ・・・「馬鹿かこいつは」って目をしたひとが見せつけるように残りを飲み干してしまったから、すごすごと手を引っ込めた。 ――いいなぁぁ。いいなぁビール。グラスに霜がついて白く曇ってる。きっとグラスまで冷え冷えなんだ。 ああ美味しそう。あたしだって飲みたい。お風呂上りで喉乾いてるし、お酒大好きだし。 グラスの縁に残ってるあの白い泡だけでも舐めたいくらいなのに・・・! 「・・・ずるーい。ずるいですよー土方さんばっかりぃ・・・。いいじゃないですかぁ一口くらいー」 「フン、ざっけんな。誰が呑ませるか」 「ええーっ、何で!?」 「・・・。お前が酔うと都合が悪りぃ」 「なにそれぇ。いーじゃないですか酔ったって!大丈夫ですよー、あたしは近藤さんみたいに全裸になったりしませんよっっ」 「たりめーだ。なられてたまるか」 たん、と勢いづいた音を立て、土方さんはグラスをテーブルに戻す。 何かを確かめようとしている目が、あたしをじっと眺めてきた。それから、歓楽街のまぶしいあかりが 星みたいに輝く窓の外に顔を逸らして。 「酔って正体なくした女なんざ、抱く気がしねえ。無理やり手籠めにしたようで気が引ける」 「・・・っ!」 かぁーっ、と頬を染めた顔をぐちゃっと握ったナプキンで隠したら、土方さんがこっちに視線を戻してきた。 一見、冷然とした表情だ。けれどあまり感情を上らせない目の奥には、あたしのあわてぶりを面白がっているような、 愉快そうな色がちらついていた。テーブルに頬杖をついて少し前へ乗り出して、 「まぁ、お前がそれでも飲むってぇなら話は別だが」 「ぅう・・・!」 挑発的に覗き込んでくるひとのせいで耳まで赤くなってしまったところへ、一皿目のお料理が運ばれてきた。 魚介のカクテルでございます、と説明されたお皿を、ナイフやフォークが整然と並ぶベージュのクロスの真ん中に置かれる。 わぁ、と恥ずかしさも忘れて目を見張った。 まるで宝石がちりばめられてるみたいにきらきらしてる。 細かく切った海老や貝、魚のお刺身がたっぷり盛られた上に、真っ赤ないくら、みずみずしい緑色の野菜、細かく崩した飴色のゼリー。 細い線で描いた波模様みたいな白いソース、緑色のソース。黒いつぶつぶ状の何か。 ・・・・・何だろうこれ。つやつやしてる小さな粒は、よーく見るとちょっとグロ・・・・・・、 いやいや、ええと、正体不明な食材だけど、もしかしてこれって高級食材なのかなぁ。 自腹で外食といえば牛丼かラーメンが限界なあたしには、お目にかかったことがない代物だよ・・・? 「今夜は祝いだ。甘味でも何でも、好きなもん好きなだけ頼め」 酒以外なら許してやる、と土方さんが薄く笑う。 ボーイさんが渡してきたメニューの冊子を、ほら、と手渡ししてくれた。 土方さんは普段通りの平然とした態度。・・・だけどあたしは、まだ恥ずかしさで顔が火照ったままだ。 だからひたすらにこくこく頷いて、なるべく目を合わせないように受け取った。 「ぃ、いいんですかぁ・・・?こんな高そうなことろなのに・・・」 「年に一度くれぇはな。たらふく食っとけ」 「・・・・・・・ぅ。うん。じゃああの、お言葉に甘えて・・・。いただき、ます・・・っ」 「食ったら部屋に引っ込むぞ」 「ふぇえ?・・・へ、部屋、って・・・・・・?」 ぽかんと目を見開いて尋ねた。 部屋?部屋って、 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・この旅籠のお部屋、ってこと? 「〜〜え! ・・・っっ〜〜〜!!?」 ええぇええええ!と突拍子もない声を上げそうになった口を、メニューでばっと塞いで押さえる。 挙動不審なくらいにきょろきょろと、おたおたと周りを見回した。 ・・・あ、危なかった。穏やかな談笑の声しか聞こえない上品なお店の空気を壊しちゃうところだった・・・! 取り乱したあたしの一連の行動を、土方さんはとてつもなく残念なものでも見るような、醒めきった半目で眺めてた。 明らかに馬鹿にしてる目だから、ちょっと悔しい。 ・・・いや、悔しいけど、・・・・・・そ、それよりも、へ、へへへへへっっっ、部屋って・・・!! 「おい。まさかたぁ思うがお前、これから屯所に戻る気でいたのか」 「〜〜〜〜っっ。ち、違うんですかぁぁ・・・?」 「隊服もここのクリーニングに出してんだ。一晩泊まってくに決まってんだろ」 折角の祝いだからな。 そんなふうに言われてしまえば、あたしは返す言葉もない。 あぅあぅぅ、と口籠って、「どれにする」って土方さんに促されるままにメニューを開いて、 わけがわからないままにケーキやアイスを盛り合わせたデザートのお皿を頼んだ。 銀色に輝くフォークとナイフをおっかなびっくりに握って、きらきらしたお料理の最初のひとくちを遠慮気味に味わう。 ――魚介のカクテルって言われたそのお料理も、それを夢中で食べ終えた頃に運ばれてきたお皿も、 その次のお皿も、――どれも舌が蕩けそうなくらいおいしかった。 どれも食べたことがないものばかりで、見惚れてしまうくらい綺麗な盛り付けのお皿ばかり。 口に入れるたびに頬が緩んで、新しいお皿が運ばれてくるたびに溜め息が漏れた。 けれど――たまにテーブルを挟んで向き合うひとの、こちらの様子をそれとなく眺めているような視線を感じるから恥ずかしい。 視線の理由が気になって顔を上げて目が合えば、土方さんはいつになく和んだ、毒気が抜けた表情で「何だ」って問いかけてくる。 普段ならすかさず投げかけてくる皮肉もない。どう見ても不自然なはずの顔の赤さも、ぎこちない態度も、からかおうともしなかった。 食事を味わって、お酒を飲んで――その合間に、思いがけないことばかりですっかりうろたえてるあたしに いつになくゆっくりと視線を注いで、この状況を悠々と楽しんでるみたい。 おかげでどんな顔をして食べたらいいのかわからなくて、困りきったあたしはひたすら食事に励んでしまった。 贅沢すぎるくらい贅沢な食事を終えると、土方さんはあたしを連れて金色のまぶしいエレベーターに戻った。 あたしたち以外に乗っている人がない小さな空間の中で、黒い羽織の後ろ姿をぽーっと見つめた。 肩越しに見える操作パネルでは、乗った時に土方さんが押した七階のボタンがオレンジ色に灯ってる。 ・・・・・・・お部屋、七階なんだ。 そこでどんなことが起こるのかと思ったらどきどきしてきて、耳まで赤く染まってしまうからいたたまれない。 ――だって、ここに泊まるっていうことは。 たぶん、二人一緒の部屋で。・・・番頭さんがあたしを土方さんの奥さんだって勘違いしていたんだから、 ベッドも二人でひとつかもしれない。・・・そ、そりゃあ屯所ではいつも一緒の布団で眠ってるけど、 それとこれとはまた違うっていうか、場所が違うだけで気分も違って緊張しちゃうというか―― まだ見ていないお部屋の中と、そこに居る土方さんの姿を想像するうちに、食事が始まる前に言われた、 土方さんがあたしにお酒を飲ませたがらない理由を思い出す。それから、脱衣所で抱きしめられたことと、 ・・・誰がいつ入って来るかわからないあの場所で、抱きしめられる以上のことをされてしまったことも。 「・・・〜〜っっ!」 思い出した途端に肌に蘇ってきた土方さんの手の感触が、じわりと身体を熱くする。 じたばたと手足を振り回したり足踏みしたりで自分を誤魔化そうとしたんだけど、困ったことにどれも全然効き目がない。 そのうちに、落ち着きの無い背後の気配に気付いたひとに訝しげに眉を吊り上げられて、 「・・・何がしてぇんだお前は。食い過ぎで腹でも下したか」 「違いますよ失礼なっっっ。これはぁあああのっ、なんだか、っっき、緊張、して・・・!」 せめてもの距離を取ろうと、狭い空間の隅っこに避難して壁に貼りつく。そんなあたしを眺める ひとのうんざりしきった目には、「こいつ、また無駄にテンパってやがる」ってしっかり書いてあった。 「おら馬鹿女、こっち来い」って、躾けがなってないダメ犬でも呼ぶようなぞんざいな手招きもされたけど、 ぶんぶんかぶりを振って断固拒否した。 ・・・無理、無理だよ、これ以上は近寄れない。 今、土方さんの傍に寄ってあの煙草の匂いを感じたら、恥ずかしすぎて頭がぱーんって破裂しそう・・・! すると土方さんが、意地の悪い笑みに表情を崩して。 「どうした。口に出すのが憚られるような、ろくでもねぇ事でも思い出したか」 「〜〜〜っっ!な、なななななっ、っっ」 「はっ。図星か」 「ち、ちちち、ちがっ!」 「じゃあ何だ」 見られたこっちの心の中まで射抜くような、鋭いあの目が細められる。一瞬で間を詰められて、 えっ、と口籠って後ずさろうとした時にはもう肩を押さえられてしまっていた。 真正面から、お互いの息遣いを感じる近さまで顔を寄せられる。逃げ場もない狭い空間の、さらに隅っこに閉じ込められた。 上から迫ってくる影の落ちた顔が、あたしをじっと見つめている。恥ずかしくて顔を逸らそうとしたら、 羽織の中に仕舞われていた手がすっと現れて、火照った頬を広い手のひらに収められた。 お酒と煙草の強い匂いにふわりと全身を覆われて、もう恥ずかしさも限界だ。あたしは涙目で土方さんを見上げた。 「何だ。聞かせろよ」 「・・・・・・・いじわる・・・」 「あぁ?」 「そんなの・・・・・・ゎ。わかってる、くせに・・・っ」 視界を潤した涙のせいで喉が詰まる。目の前を塞がれた息苦しさに喘ぐような、か細い声しか出せなかった。 薄く笑んでいた唇の端が微かに上がる。土方さんは黙って顔を寄せてきて、 笑いに緩めた唇をあたしの唇にそっと重ねた。 ――エレベーターが着くまでのわずかな時間は、肌と吐息が重なるだけの優しい口づけに費やされた。 同じキスを飽きることなく幾度も交わしているうちに、髪を撫でられて、肩や腕を撫でられて、 甘い気分で胸の中が一杯になる。 背中と腰に回された腕に抱き寄せられた頃には、あたしは自然と土方さんにしなだれかかっていた。 チン、と高く明るく、エレベーターが目的の階に着いたことを知らせる音が鳴る。 ドアが開く気配がしたけれど、――土方さんは降りようとしない。 唇がもっと深く重なってくる。閉じた境目をゆっくり割って、中へ舌を滑りこませてくる。 んん、と背を逸らしたら、まだだ、とばかりに壁に押しつけられた。 口の中の濡れた粘膜を味わうようにして撫でる、熱い感触。腰に回されたがっしりした腕。強いお酒の香り。 どんどんあたしの中へ入り込もうとする土方さんを感じて身体中が満たされていくうちに、 こんな場所で人に見せられないことをしている恥ずかしさを忘れそうになってしまう。 「・・・んん、っ。・・・・・・ひ、・・・かた、さぁ・・・」 袖に縋りついて名前を呼ぶと、キスはなぜかもっと深く、熱くなった。 壁に押しつけてくる力が強さを増す。反り返るほどきつく抱かれた腰が壁を擦ってずり上がって、踵が宙に浮き上がる。 舌先で感じやすい上顎を弄られて、びくんと背中が跳ね上がる。その拍子に弓なりに反った喉を撫で下ろされて、 手足の先までぞくぞくと震えた。 もうだめ、と真っ赤になった顔でかぶりを振っても、土方さんはしばらくあたしを離してくれなかった。 離れようと胸を押したら、黙って腕に力を籠めてくる。口内を舐め回す舌の動きが、さらに激しくなってくる。 舌を深く絡め取られて、息苦しいくらいに強く吸われる。まるで、逃げようとしても無駄だ、って あたしの身体に教え込もうとしてるみたい。そう思ったら抱かれた腰が奥から熱くなって、手足の力が抜けていく。 いつも冷静で場を弁えているこのひとが、我を忘れているような――ここがどこなのかも、このままこうしていたら 人目に晒されそうなことも忘れかけているみたいな強引さ。 ・・・そんな、らしくない土方さんに求められていることに、すごくどきどきしてしまって――。 じきに腰に力が入らなくなって、脚がかくんと崩折れる。 ふぁ、と涙で曇った声を上げて、かすかに震えてる手で黒橡色の羽織の肩に縋りついた。 縋りついた肩の向こうで音が鳴る。ドアが開閉する音と、到着を知らせる明るい音が繰り返し鳴り響いていた。
「 蜜月 *4 」 text by riliri Caramelization 2013/03/30/ ----------------------------------------------------------------------------------- next