・・・・・・・・・・・なんていうかもう・・・泣きたい。 「すいませーん、マヨボロ二つ下さーい」 「はいはいマヨボロね、毎度ー・・・・・」 頼まれた煙草を買おうと立ち寄った、街角の小さな煙草屋の店先。 声を掛けてきたあたしを見た途端、店番をしてた割烹着姿のおばさんは真っ青になって腰を抜かした。 しかも「ぉおおおお父さん警察!警察呼んでぇぇ!」なんて震え声で呼びかけながら店の奥へ這っていくから、 結局煙草は買えなくて。それで、同じ通り沿いのコンビニへ入ったんだけど―― 「・・・マヨボロ二つ下さい」 「はいマヨボロですね、ありがとうございま・・・・・・・・・・・・、〜〜〜っっ!!!??」 レジ打ちしてた店員のお兄さんには、目玉が飛び出そうな顔で絶句された。 しかもそのお兄さんが「〜〜ひぃぃぃぃいいっっ!!」と叫んでざざーっと後ろに引き下がって、 煙草が並ぶ大きな棚にどぉおおんっと体当たりしたから、狭いレジカウンターの中は散乱した箱で足の踏み場もなくなって。 そんな気まずい騒ぎのせいで、ここでも煙草は買えなくて。仕方なく諦めてすごすごと店を出たら、 ちょうどそこへ走ってきた小さい男の子とぶつかってしまって。 「大丈夫?どこか痛くない?」と転んだその子の膝についた砂埃を払ってたら、今度はその子のお母さんらしき人が青ざめた。 金切り声で「ぎゃーーーっ!」と叫んで、その子を抱いてびゅーんっと走り去る。 お母さんの派手な絶叫のせいで集中した視線の痛さに、あたしは力無くうなだれた。 「・・・・・・・・・・あーぁぁ。もうやだ・・・」 また駄目だった。ここでも買えなかった。かなしいことに、これで通算7件目だ。 いつになったら買えるんだろ、土方さんに「5分で買って来い」って言われたマヨボロ二箱・・・! 道行く人全員に明らかに避けられ、物騒な「異臭」を平和な街の人通りが多い商店街に漂わせ、 煙草を売ってそうなお店をうろうろと探す。そこそこに混んでる通りなのに、 あたしの半径5メートル圏内だけは不自然なまでにガラ空きだったりするのがすごくさみしい。 ちょっと視線を向けただけでみんな目を逸らすし。…あ、また逸らされた。しかも、まるで野生の クマにでも会ったんですかっていうくらい驚愕した顔されちゃうし。 「なにあの子、やだ怖い・・・!」 「なにあれ、怪我してんの?それとも・・・・・・おいおいやっべーよ、通報したほうがいーんじゃねーの」 「うっそマジで?通り魔!?おい誰かそこの交番行っておまわり呼んでこいよ・・・!」 ・・・・・すいません。信じてもらえないかもしれないけど、おまわりさんならここにいます。 弁明したい気持ちを噛みしめて怪訝そうな声と視線を一身に浴びながら、半ば涙目になってとぼとぼと歩く。 ――どーしてあたしがこんな目に遭ってるのか。街の治安を護り、善良なる市民のみなさんから 頼られるはずのおまわりさんが、どーしてこんな腫れモノ扱いを受けてるのか。その理由は、 今のあたしを一目見た人なら誰でもわかる。 ―― 頭のてっぺんから足の先まで、全身が血まみれになってるからだ。 ・・・とはいっても、自分の血なんて一滴も混ざってない。ついさっきまでこの通りの先の銀行に 強盗に入った攘夷浪士たちと斬り合ってて、その時に浴びた返り血ばかり。実はかすり傷一つ負ってない。 こんなおどろおどろしい格好で街をフラフラしてる理由は、その銀行での捕り物が終わった途端に 「5分で煙草買って来い」とあのひとの財布を押しつけられたからで。要はこの血みどろ姿って、 現場では常に特攻役のあたしが自分の役割を果たすため、人質に取られた銀行員さんたちを護るため、 ひいては江戸の治安を護るため、一生懸命、文字通りの命懸けで任務を遂行した証みたいなもので。 ・・・ところが常識的な市民の皆さんにしてみれば、これがどれだけ物騒で危ない姿に見えることか。 〜〜ぅうう、悲しい。道行く人に自分がどう思われてるのか、想像するだけで悲しくなるよ。 これって全部土方さんのせいだ。三度の飯より喧嘩好きな鬼の副長さまのせいだ。 日頃溜まったストレス発散も兼ねて銀行強盗犯を相手に暴れてるうちに、持ってた煙草を 箱ごとぽろりと失くしたりするから・・・! 「あーあぁぁ・・・ヘコむなぁ・・・。せめて刀だけでも置いてくればよかったぁぁ・・・・・」 口を尖らせて眺めた電気屋さんのショーウインドウに目が留まる。映ってるのは、腰に刀を提げてる 返り血まみれの自分の姿。鼻につく血の匂いに眉を曇らせながら覗き込むと、髪も頬も首も手も、 べったりと赤黒く汚れてる。こんな人通りの多い場所にいると、通りすぎていく女の子たちの可愛く着飾った姿と つい見比べてしまうから、余計にいやになってしまった。気分を紛らわすために溜め息をついて、 ショーウインドウのガラスを鏡代わりにぼさぼさに乱れた髪を直す。正面にどんと置かれた 「特価」の札付き大型テレビは、寒い季節になるとやたらに増える温泉番組を流してた。 場面はちょうど、グラビアアイドルみたいな女のひと二人が入浴するところ。 周りを山に囲まれた、雪深い温泉宿の露店風呂みたいだ。お風呂は広い石造りで、背景になってる雪山の景色が 見るからに野趣溢れるかんじ。温泉に入らなくても充分お肌がすべすべな二人が、バスタオルを巻いた身体を しずしずとお湯に沈めていく。お湯は半透明の乳白色。ほわほわと立ち昇る湯気の量がすごい。撮影してるカメラが すぐに曇っちゃいそう。 ――いーなぁ温泉。気持ちいいんだろうなぁ、露天風呂。 一度でいいからあんなところで、ゆったりのんびりお風呂を満喫してみたいなぁ。 そりゃあ屯所のお風呂だって、銭湯なみの大浴場だ。紅一点のあたしは毎日が貸切湯状態だから、 いつものびのび使わせて貰ってる。だけどあたしが入ってる間は、他の全員がお風呂の順番を 待ってくれてることになる。だから、いくらゆっくりお湯に浸かりたくてもそうのんびりとは浸かれない。 おかげで屯所に来てからというものすっかり早風呂の癖がついてしまったし、みんなをお待たせしないためにも 一番最後にお風呂を使わせてもらうのが恒例になってるんだけど―― ・・・・・・あたしだってたまには、すぐにお風呂に入りたいなぁ。 熱いお湯の中で身体の芯まで癒されたいなぁ。この番組のおねえさんたちみたいに頬染めて、 手足がぽかぽかになるまでくつろいでみたいなぁ・・・・・・。 …と、ガラスに鼻先がくっつきそうなくらい近づいてうらやましがりながら見ていたら、 「姫ィさーーん」と間延びした声が。あれっ、と振り返った時には、黒の隊服姿の二人に左右から挟まれていて。 血なんて一滴も浴びてない綺麗な顔が、右から頬を寄せてきた。 ――いつも同じ現場で、同じくらいの人数を相手取ってる。なのにあたしは、一度も血を被った総悟を見たことがない。 「ずりーや姫ィさん。サボるんなら俺にも声掛けてくんねーと」 「総悟こそどこでサボってたの。現場の指揮もしないで消えちゃったって、副隊長さん嘆いてたよ」 「俺ぁサボってやせんぜ、ちょいと車に戻って昼寝してただけでさぁ。ところで何をぼけっと見てるんでェ」 目が合うと明るい色の瞳がやんわりと細められて、たまに見せる悪戯っ子みたいな表情に変わった。 ――こーやって間近で見ると、ほんとに総悟って可愛いなぁ。 髪はサラサラで肌が白くて顔立ちも整ってて睫毛も長くて、・・・まぁ、よく見るとこの子のひねくれた性格が 表情の端々に滲み出てるんだけど。それでも童話なんかに出てくる王子さまみたいだよね。 この子の可愛さに慣れてるあたしでも、近づかれると思わず見入っちゃう端正さ。こんな綺麗な男の子に この至近距離まで迫られたら、世の女の子たちは全員ときめいちゃうだろうなぁ。 ・・・なんて感心してた、その瞬間だった。 がしっっっ。 見た目だけなら王子さまな澄まし顔が、指を目一杯広げた赤黒い手に握られて。 「〜〜、ひっっふぇーなぁぁあにするんれェ」 「総悟ぉぉぉぉ。てっめえええ、何度言わせりゃあ気が済むんだ? 何かってえと近づきすぎなんだよてめーは、ちったぁ気ィ使いやがれ!」 「いーじゃねーれすかィこのくれーよー、っとにあんたときたらケチくせぇ――っ、ぃででででででっっ」 呂律が回っていない非難の声は、がしっとアイアンクローをキメてきた手に遮られた。 さっき捕えた銀行強盗たちに負けず劣らずな悪人顔で総悟の顔をメキメキ言わせてるのは、 あたし越しに腕を伸ばしてきた土方さん。こっちはあたし以上に全身が返り血まみれ、頭も隊服もドロドロだ。 ・・・どーしたんだろ、なんだか機嫌悪そうだなぁ。 「ちょっとちょっとー、落ち着いてくださいよ土方さぁん。 ていうか何でそんなに怒ってるんですかぁ、総悟が何したって言うんですかぁ」 「うっせえお前は黙ってろ鈍感女。・・・ちっ、年始のあれで目障りな虫どもも一斉駆除出来たかと思やぁ、 こいつだけは一切遠慮しやがらねぇ・・・!」 「いーじゃねーですかィちょっとくれーよー。それに姫ィさんは俺が近づこうが何しようがちっとも嫌がりゃしね、 〜〜〜〜〜ぃぃいてえぃてェ、鼻っっ、鼻潰れるぅぅ!っっなにするんれェてっめえ死ね土方ぁあああ」 瞳孔全開な目をかぁっと剥いて、土方さんは総悟を顔からぐいっと持ち上げる。 めきめきめきっ、と嫌な音が鳴る。痛てぇ痛てぇと呻きながらじたばたと腕を振り回して暴れる総悟の頭は、 今にも握り潰されそうだ。あはは、とあたしは顔を引きつらせて呆れ気味に笑った。 キレかけてるせいで人相の悪さが増した顔。全身が血まみれ。腰には鞘が赤く染まった刀のおまけ付きで、 一回りも年下の総悟の顔を馬鹿力で鷲掴みにして、大人気なく食ってかかってるおまわりさん。 ・・・自分で自分がわからない。どーしてこんな危ないひとを好きになったんだろう、あたしって。 「はいはいはい、二人とも離れて離れて。市民のみなさんが見てるんだからもうそのへんにしてくださいよー。 これで警察呼ばれたりしたらどうするんですかぁ、近藤さんに要らない恥かかせちゃいますよー」 間に入って宥めたら、二人とも渋々だけど離れてくれた。・・・どっちもかなり不満そうだけど。 でも、変なの。なんだか不思議っていうか、可笑しいよね。 犬猿の仲で性格もまったく違う二人なのに、最大の弱味が近藤さんってとこだけは同じだなんて。 「てっめええ、何を笑ってやがる。元はといやぁお前がんなとこでチンタラしてっからだろーが」 「そーだぜ姫ィさん、んなとこで立ち止まってどーしたんでェ。こんなチンケな街の電気屋で 面白いもんでも見つけたんですかィ」 「総悟こそどーしたの。土方さんと二人仲良くお散歩なんて、めずらしいね」 「んなわけねーだろ、こいつが勝手についてきただけだ。それよりお前、煙草はどうした」 「それが、そのぉ・・・買えませんでした」 寄越せ、と手のひらを出されたけど、いじいじと指先を擦り合わせながら答える。 これは一発来るだろうなぁと肩を竦めて身構えてたら、・・・案の定ガツンと、頭上から拳骨を落とされて。 「ったぁああい!」 「買えてねーだぁ?おかしいだろ、こんだけ店が並んでんのに買えねえってどーいうこった」 「仕方ないじゃないですかぁ!どのお店の人もこの格好見るとびっくりしちゃって、煙草どころの騒ぎじゃなくなっちゃうのっ」 「だからって買わずに引き下がる奴があるか。・・・ったくしょーがねえな。おい財布返せ、俺が行く」 「!〜〜ちょっっ、やめて土方さんっっ、ダメっっ、そのお店はダメぇええ!」 常に速足な土方さんがまっしぐらに前進していく先には、さっき入ったあの煙草屋が。 だめですっ、と血がこびりついた隊服の腕にあわてて抱きつく。 だめ、だめだよ、絶対にだめ!こんなひとをあの店のおばさんに会わせちゃいけない。こんな瞳孔全開で 全身から殺気が垂れ流しな人が店に現れたら、今度こそおばさんの心臓が止まっちゃうよ・・・! 「おい何やってんだ離せ。こっちはヤニ切らしてイラついてんだ、邪魔すんな」 「違いますぅぅ!これでもあたしは尊い市民の人命を護ってるんですっっっ」 「何が人命だ、また訳の判らねぇこと言い出しやがって。いーから離れろ、現場はとっくに撤収も終わって 車に近藤さん待たせてんだぞ。だってえのにどこぞの馬鹿パシリが戻らねぇから迎えに来てやってんだろーが!」 「ダメですよやめてくださいっ、もしこれでおばさんに天からお迎えが来ちゃったらどーするんですかぁぁ!」 「まぁまぁ姫ィさん、そんな奴のこたぁいーから早く戻ろーぜ。近藤さんが待ってまさァ。 ――あぁ、そーだ忘れてた。俺ぁこいつを渡しに来たんでェ」 まだ痛そうに鼻を押さえてる総悟が、腰のあたりをごそごそ探る。ぽいっ、と何かを投げてよこした。 見ればそれは小さな白い箱で、水色のベルベットのリボンが綺麗に結んである。 「・・・?何これ。どーしたの、これ」 「開けてみなせェ」 「え、いいの?」 ああ、って総悟が頷くから、細いリボンの端を引いてしゅるっと解く。 フタを開けると―― 「わー、可愛い・・・!」 思わず頬が緩んじゃう。箱の中身はピンクの大きな花とリボンとレースで出来た髪飾りだ。 うわぁ、可愛い。レースもリボンもすごく凝ってる。お花も淡い色合いで、上品なピンクベージュのリボンにぴったりだ。 髪飾りの素敵さに見蕩れて、あたしは手の中に収めた箱を目を丸くして眺めた。 ――その時、横にいる土方さんがなぜか「…ちっ」と小さく舌打ちしたのは気になったけど。 総悟はあたしの反応を眺めて、それから憎たらしいくらい澄ました笑顔で土方さんを眺める。 してやった、って顔してにんまり笑って。 「一日早ぇーけどあんたの誕生祝いでさァ。気に入ったんなら使ってくだせェ」

願 わ く ば 花 の 下 で 君 と #4 蜜 月  *1

ニコチン切れが限界に達した土方さんは、それからすぐにあのコンビニへ乗り込んだ。 例のお兄さんの恐れ戦いた悲鳴がお店の外まで轟いたけど(可哀そう…)、煙草はどうにか買えたみたいだ。 早くも咥えた一本に火を点けながら出てくると、気が短い土方さんは総悟とあたしを引きずって現場へ戻った。 そこで待ってた近藤さんと車に乗って、屯所へ直帰することになって―― 「・・・あの〜〜、土方さん土方さん、喉乾いてませんかぁ。銀行の支店長さんからお茶貰ったんですけど、飲みませんかぁ」 「いらねぇ。疲れてんだ少し黙ってろ」 「そ、そうですよねぇお疲れですよねぇっ。あ、そうだっ、あたし運転代わりますよー!」 「冗談じゃねえ。お前になんざ任せられるか」 「ぇえーそんなぁ、大丈夫ですよー。ちゃんと免許持ってるんだから」 「持ってるってだけだろ。ほぼペーパーじゃねーか。近藤さんをんなとこで危ねー目に遭わせるわけにいくか」 「・・・・・・・」 土方さんてばずっとこんな調子だ。ずっと不機嫌が治らないし、隣のあたしが煙の多さで目が痛くなるくらい 黙々と煙草をふかし続けてる。運転席に座ってからというもの、脇目もふらずに前方の車を睨んでるだけ。 近藤さんやあたしが話を振ってみても、会話がほとんど続かない。 ついさっきまでニコチンが切れてたせいかなぁ。それとも、あたしが煙草を買えなかったことをまだ怒ってるとか? ――首を傾げてたら、トントン、と真後ろから肩をつつかれて。 「放っときなせェ姫ィさん。どーせあれぁ俺に先越されて頭に来てるんでェ」 「あれって?」 「だからさっきのあれだろ」 総悟が耳打ちしながら指したのは、あたしが両手で包むようにして持ってる小さな箱。 さっき貰った髪飾りの箱だ。 「あの人ぁ女喜ばすことなんざ頭に無ぇ朴念仁だが、あの様子だ。あんたに隠れて何か用意してたんじゃねーかィ」 「えぇ・・・?ないない、それはないって。だって土方さんだよ?まさかぁ」 「そのまさかだろ。他に何があるってんでェ」 「えー・・・、それは。何がって言われると、思い当たらないけどー、・・・」 ・・・ないない。そんなの無いよ、絶対ない。 だって土方さんだよ?一年中忙しくって仕事漬けで、真選組を大きくすることしか頭にないような人なんだよ? それに、――ありえないよ。土方さんがあたしの誕生日を気にするなんて。 近藤さんの誕生日ならともかく、日頃から「馬鹿パシリ」って呼んでこき使ってるあたしの、 本人すら忘れかけてたような誕生日だよ?もし万が一覚えてたって、黙ってスルーするんじゃないのかなぁ。 ちらちらと隣の運転席を窺いながら、そんなことを考える。あたしの視線が煩わしかったのか、 そのうちに土方さんはこっちを向いた。何か勘に触って仕方ないってかんじで眼光鋭いあの眼が じとーっと睨んでくるから、後ろめたいことなんて何もないのに、あたしは身体を押さえてるシートベルトを 握りしめておどおどと身じろぎした。 「な、なんですかぁ?」 「・・・お前、何か欲しいもんとかねえのか」 後ろの二人には聞こえないような、低く落とした声で尋ねられた。 「へ?」 「明日が誕生日なんだろ。仕方ねーから買ってやる」 「・・・!」 気難しい顔してハンドルを握ってるひとを、バレないようにほんの一瞬盗み見る。 とくん、と心臓が高鳴って、あたしはあわてて目線を逸らした。 「〜〜ち、ちょっとぉ何ですかぁその不満そうな申し出。そんな仏頂面で言われてもちっとも嬉しくないですよー」 目を合わせたら顔が一気に火照ってしまいそうだったから、窓の外を眺めながら文句をつけた。 陽が沈んだ街の暗いけれど華やかな景色が流れていく車窓には、土方さんの横顔が映っている。 むすっと口を引き結んだその顔を、だんだん熱くなってくる頬の赤みを気にしながらこっそり眺めた。 さっき総悟に貰ったプレゼントの箱を、手の中できゅっと握り締める。なんだかじっとしてられないくらいにそわそわしちゃう。 どうしよう。・・・嬉しい。すっごく嬉しい。 いくら仏頂面でも、不満そうでも、こんなことをこのひとに言われて嬉しくないわけがない。 だってこんなの初めてだもん。去年までは、誕生日なんて気にしてもらえるような立場じゃなかったし。 「・・・・・・で。でもまぁ、・・・あの。・・・・・・・・ええと。 ・・・・・・・・・・ぃ。いーですよ・・・?土方さんがどーしてもって言うなら、・・・仕方ないから貰ってあげますよっ」 「んだとコラ。誰に向かって上から目線だこの野郎。 ・・・・・いや、まぁいい。今日は多少の生意気は許してやる。で、何がいいんだ。言ってみろ」 「えー、そんなこと急に言われても。欲しいものですかぁ、ええとー、・・・・・・・・・・あ、」 「何だ」 「ううん、たいしたことじゃないんですけど。 さっき電気屋さんのテレビでね、温泉番組見たんですよねー。それでね、早くお風呂に入りたいなあって!」 その一言ですっかり呆れたらしい。 「はぁ?」と唸った土方さんは、最初から険しかった眉間をさらに狭めて溜め息をつく。 溜め息と一緒に吐き出された多めの煙で、目の前がうっすらと白く曇った。 「何だそりゃ。温泉の素でも買えってのか」 「だって気持ちよさそうだったんですよぉ、広ーーい露天風呂が! あれ見たら、たまには時間なんか気にしないでお風呂でのんびりしたいなぁって思ったんですよっ」 「――うーんそーかぁ、そーだよなぁ。にはいつも終い湯で我慢させてるからなぁ。こんな時は辛れーよなぁ」 後部座席にもあたしたちの声が届いていたみたいだ。シートの陰から顔を傾けて後ろを見ると、 近藤さんはコクコクと顎を押さえながら頷いていた。 「そうでなくたって野郎どもに気ぃ遣っちまって、のんびり浸かれたもんじゃねーだろうになぁ・・・、 よーし、こうなったら来期の予算で女性専用風呂を増築するか!」 ぽんっと手を打った近藤さんが目を輝かせて、「なぁ、どーだトシ」と運転席の土方さんのほうへ身を乗り出す。 「なぁ、じゃねえよ勘弁してくれ。んな大金、どっから捻り出そうってんだ・・・?」 尋ねられた土方さんが、ハンドルにぐったりともたれかかって眉間を押さえる。頭痛でもこらえてるような顔になってた。 車は幹線道路どうしが重なる大きな交差点に差し掛かって、赤信号で車が停まる。道沿いに続く照明灯と 周囲のビルからの灯りで照らされる道を、大勢の人がぞろぞろと渡っていった。 それまで何か考え込んでるような顔して黙りこくってたひとが、汚れきった隊服の懐から携帯を取り出す。 どこかへ電話を掛けたんだけど―― 「――おう、俺だ。・・・・・・ああ、暫くだな。・・・・・・ああ、まぁな。こっちは変わりねえ。お前らはどうだ。 ・・・・・・・・・・・・・そうか。いや、それでだ。話が急で悪りいんだが、これから寄ってもいいか」 ・・・誰と話してるんだろう? どこへ行っても不愛想が基本な土方さんにしては珍しい。どことなく口調が親しげっていうか、気安いかんじっていうか。 じきに信号は青に変わって、車はすーっと走り出す。だけど土方さんは、なぜかすぐに路肩に寄せて車を停めた。 不思議そうにしてる近藤さんやあたしをよそに、さっさとドアを開けて車を降りる。 その間も耳から携帯を離そうとしない。どうしたんだろ、って車の前を横切っていく人の姿を目で追ってたら、 今度はあたしが座ってる助手席側のドアを開けた。ボンネットに片腕を乗せた恰好で腰を屈めて、 後部座席の総悟のほうへ身を乗り出す。かと思ったらあたしの腕を急に掴んで、 「総悟、お前が運転しろ。俺とはここで降りる」 「・・・・・・、へ?」 「へ、じゃねえお前だ。ほら降りろ」 「・・・ちぇっ。そんなこったろーと思ったぜ・・・」 「判ってんならさっさと席移れ。近藤さん、勝手しちまってすまねえ。後で連絡する」 「おう、別に構わねえさ。こっちのこたぁ気にすんな」 「えぇ?降りろって・・・?えっ、何で、っっ、わ、ちょっ・・・!?」 きょとんとしてる間に助手席から引きずり出されて、わけがわからないまま人で溢れた賑やかな交差点を渡る。 振り返ると、近藤さんが車の中から手を振っている。運転席へ移ろうとしている総悟は、睨むようにしてこっちを見ていた。 時間はもう六時前。仕事を終えた人たちが一斉に駅へ向かっているから人混みがすごくて、 すぐに土方さんと離れそうになった。どうしても人の流れに巻き込まれてしまって、足早に進む目の前の背中についていけない。 「ど・・・どこに行くんですかぁ」 「ついて来りゃあ判る」 「なにそれ、っ、わ、ちょっ・・・、ひ、土方さんっ」 横を走り過ぎたおじさんと肩がぶつかったせいで手が離れて、あわてて隊服の袖をぎゅっと握る。 すると土方さんは振り返った。背中にさりげなく腕が回ってきて、人混みから護ろうとするみたいに身体を引き寄せられる。 わわっ、と脚をもつれさせながら隣に体重を預ければ、すっかり土方さんの腕の中に収まってしまった。 近づいたら途端に強くなった煙草の香りと、間近から向けられた強い視線ににどきっとさせられて。 汚れたままの長い指が、しっかりと手に絡まってきて―― 「大丈夫か」 「〜〜っ。は、はい・・・っ」 「ここからそう遠くねぇ。歩くぞ」 「え・・・っ?・・・ぅ、あ、は、はぃぃ、っ」 深く絡まった指や重なった手のひらの感触を意識してしまって、思わず声が裏返った。 血がところどころにこびりついた黒い背中を、道の左右を何気なく見渡す横顔を、 走って行く車のサーチライトが照らし出す。困りきった気分で後ろ姿を見つめながら、心臓が煩く弾む胸を抑えた。 人混みを切って前を進むひとの脚はあたしに合せてくれているのか、さっきよりも少しだけ速度が落ちている。 土方さんは一度も振り向かなかった。手を繋がれただけで顔が真っ赤になってしまったあたしには、 ちっとも気づいていないみたいだった。

「 蜜月 *1 」 text by riliri Caramelization 2013/02/24/ -----------------------------------------------------------------------------------       next