L O V E & R O L L *3

――間違いねぇ。今日は厄日だ・・・! 額に滝の汗を流し、かっと見開いた瞳には焦りの色を浮かべた土方は、 吸いかけの煙草をぎりぎりと歯噛みしながら心中でそう叫ぶのだった。 に気がある白髪天パのバカ侍・坂田銀時を相手にひと暴れしてから映画館へ来てみれば、 目当ての映画の上映時間は過ぎていた。仕方なく映画は諦め、煙草を買いにコンビニへ入ったのだが、 ――そこでまた、土方の表情が険しくなる事態が起きた。 ほんの一、二分目を離した隙に、がナンパ野郎三人に囲まれていたのだ。 『違う、ナンパなどではない、我等はそんなつもりではなかった、ただ、・・・そう、ただこの娘に道を尋ねたかっただけだ!』 青い顔で言い訳していたのは、貧乏浪人風の男たち。必死すぎるくらい必死に弁解するむさ苦しい男どもの態度は どう見ても怪しいものがあったが、・・・あの万事屋と一戦交えた直後だ。たいした害もなさそうなナンパ男風情に いちいち目くじらを立てる気力も残っておらず、そこは睨みをきかせて適当に追い払うだけにしておいた。 そしてナンパ野郎を追い払った険しい顔のまま、が今日の予定に組み込んでいた人気のたこ焼き屋へと向かってみれば――。 ・・・どーなってんだ今日は。予定では今頃と二人、のんびりと羽を伸ばした休日を 過ごせているはずだった。ところがどうだ、甘味屋でムカつく馬鹿に絡まれてからというもの、 一瞬たりとものんびり出来た覚えがない。まだ休日は始まったばかりだが、これでは先が思いやられる。 ・・・何なんだ?なんだってぇんだ、今日は? 季節は真冬、野の生き物が厳しい寒さに寝静まる冬眠時。そうだ、どう考えたって虫退治にはまだ早い。 だってぇのにどうしてこうもわらわらとゾロゾロと、面倒な虫ばかり湧いて出やがる・・・!? 「――困ったものだな土方くん。君という男は、僕の邪魔ばかりしてくれる・・・!」 「っっだとおいィィィィ!その台詞、そっくりそのままてめえに返してやる!」 ――毎日客足が絶えないという人気の店の行列に並び、と二人でたこ焼きを食べるどころの騒ぎではなかった。 人気のたこ焼き屋を目前にしたところで、彼はいきなり斬りかかられたのだ。 真冬の柔らかい陽光をぎらりと不気味に照り返し、真上からじりじりと圧し迫ってくる白刃。 そして、その刀を構える凛々しい顔つきの隻眼の剣士、――名門柳生流の御曹司、柳生九兵衛。 男装した美少女のあからさまな殺気みなぎる顔を、土方はややうんざり気味に睨み返していた。 彼の喉元を狙ってくる刃の先をどうにか横へ逸らそうと、ぐぐぐ、と抜いた刀で躍起になって圧し返しながら、 「おい柳生の、てめー毎回言ってんだろーが!街角で出会い頭に斬りかかってくるんじゃねぇ! 俺ぁ女とやり合う趣味はねえんだ、血の気が余ってんなら他を当たれ!」 「何を言う、僕は血の気など余っていない。常に冷静に臨機応変に、全力で君の命を狙っている!」 「ほら見ろ血の気有り余ってんだろーが!余った血の気が腐りきって頭の髄までいかれた奴の発言じゃねーか!」 「そんなことはない、僕は常に冷静だ。常に冷静に計画的に、さんを柳生家にお迎えする算段を立てている! そのためにも土方くん、まずは君に消えてもらう。目障りな君さえいなくなれば、さんもきっと目が覚める。 評判の悪いチンピラ警察なんてすぐ辞めて、僕を頼って来てくれるに違いない・・・!」 「あぁ!?んだとコラ、誰がチンピラ警察だコルぁああ!!」 とチンピラそのものな啖呵を切った土方が、振り上げた下駄の裏で、がっ、と九兵衛の手元を蹴る。 鍔元を蹴られたために手の中で剣が浮き上がり、九兵衛の殺気が一瞬途切れる。しかし駿速の剣を謳われる 名門柳生流の次期当主は、一瞬で体勢を立て直した。ぱしっと柄を握り直すと、ひゅん、と光る剣先が 土方の鼻先で風を切り、目視するのがやっとな速さの剣戟が次々と襲ってくる。乱れ撃ちはかろうじてすべて躱しきったが、 攻撃の早さについていけず足元が崩れた。ちっ、と舌打ちした彼はざっと飛び退って間合いを取り、 迫ってくる九兵衛に構え直す。身軽な九兵衛が高々と飛び上がり、土方の目前を黒い影となって覆う。次の瞬間、 頭上から袈裟掛けに振り降ろされる、女のものとは思えない鋭さと重みを備えた斬撃。刃と刃がぶつかる鈍い音を 立てて受け止めれば、痺れが両腕を突き抜けた。――その時、間近から「ちょっとあれ、何」と不安そうに話す 女たちの声が耳に入る。続いてパシャパシャと、携帯で写真を撮るような音が。 ・・・やべえ、野次馬が集まってきやがった。早く切り上げたいところだが―― 周囲のざわつきを気配で感じ、土方がわずかに視線を右へ振ると、 「どこを見ている土方くん!随分と余裕があるようだな!」 「うっせぇてめーも周りを見ろ、ちったぁ頭ぁ冷やせ! ――っておいィィィ!止めろ、てめーがこいつを止めろ!呑気にたこ焼き食ってる場合か!!」 目の前に迫った九兵衛を睨み据えつつ、背後のベンチを怒鳴りつける。 するとそこに座った二人の女が、口一杯に頬張ったたこ焼きのせいでもごもごと籠った声を掛けてきて。 「ねえ九ちゃん、もうやめておいたら。たこ焼きが冷めちゃうわよ、せっかく並んで買ったのに」 「そうですよ九兵衛さまー。そんな喧嘩好き放っといていいですよー、早く食べましょうよー」 一人は。そしてもう一人は、九兵衛と共にたこ焼きを買いに来ていたお妙だ。 隊士なら誰もが震え上がるはずの鬼の副長の怒声をあっさり受け流した女二人は、広い歩道沿いに並べられた ベンチの一つに腰を下ろしていた。土方たちの命を張った諍いを横目にしつつも、買ったばかりのたこ焼きを ほくほく顔で美味しそうに味わっているところ。他のベンチは彼女たちと同じようにたこ焼きを齧っている人々で 埋まっており、ベンチの列が続いた先には数十人の行列が出来ている。その先頭にはこのたこ焼きを販売している店が あるのだが、行列の賑わいで店の様子が見えない有様だった。 は焼きたてのたこ焼きをぱくんと頬張る。タコの旨みとソースの甘辛さ、マヨネーズのまろやかな風味と熱い湯気を 吹き出すそれを口の中ではふはふと転がし、ベンチ横に飾られたたこ焼き屋ののぼりをなんとなく眺める。 それから、そののぼりと同じ絵――タコとマヨネーズ、…という、あまり関連性がないためにどこか珍妙な 印象を受ける組み合わせの絵がプリントされた箱を見下ろす。半分自棄になってぱくぱくと食べまくったため、 たこ焼きの残りはわずか二つだ。 『美味しそうな匂いにつられて買い過ぎてしまったんです。よかったらこれ、お二人でどうぞ』 そう言ったお妙がに譲ってくれたのは、このたこ焼き屋の看板商品。テレビやその他メディアにも取り上げられて 毎日行列が絶えないマヨネーズ風味の新感覚たこ焼きだ。商品名はそのままずばり、「マヨタコ」らしい。 「――意外においしいですねぇこのたこ焼き。マヨネーズたっぷりなんてどんなゲテモノかと思ったけど・・・」 「ええ、ほんとに意外なお味ね。次に来た時はもっと多めに買って帰ろうかしら、新ちゃんや神楽ちゃんへのお土産に」 ゆったりとくつろいだ様子でたこ焼を味わうお妙の言葉に、ははっとして膝上の箱を見下ろす。 (もしかしたらこれ、新八くんたちへの差し入れだったんじゃ!?) そう思い、あたふたと慌て出したが、――残りは箱の隅にちんまりと固まった二粒だけ。これを差し出しても何にもならない。 「す、すみません姐さん!姐さんが並んで買ったものを図々しく頂いちゃって・・・!」 「いいえ、どうぞご遠慮なく。さんには新ちゃんにお稽古をつけてもらってますから、そのお礼です」 上品な仕草でたこ焼を串に刺したお妙が、どこか茶目っ気のある、けれど彼女らしく涼やかな 微笑みを目元に浮かべる。その表情にほっとして、も嬉しそうに微笑み返した。 万事屋の三人と知り合い、新八を通じてお妙とも交流が出来て以来というもの、 は新八に稽古をつけるという名目で何度か志村家に通っている。屯所でも土方や沖田の代理として 大勢の隊士に稽古をつけている彼女にとって、志村家での稽古は新鮮だ。まだ十代の新八は、 すでに身体が出来上がっている隊士たちに比べればやはり非力。しかし成長期だけに剣技の習得は早く、 稽古中でも驚くような飛躍を遂げることがある。少年の成長を直に感じられる楽しさは、屯所では味わえないものだった。 稽古が終われば新八に誘われ、夕食を御馳走になることもある。志村姉弟と同じ食卓を囲み、その日その日に あったことを語り合う二人の仲睦まじい姿を目にして、自分もその家の一員であるかのようなひとときを過ごす。 それがにはとても嬉しい、心和む時間だった。 まるで小さな町道場を営む義父の元へ一時だけ戻れたような、懐かしくも温かい気分になれるのだ―― 「・・・あら。ねえさん。いいんですか、それ。少しは残してさしあげたら?」 「え?」 「新ちゃんが言ってました、副長さんはマヨネーズが大好物だって。あの方のために買いに来たんじゃないんですか」 笑い混じりにたこ焼きを指すお妙に、は喉を詰まらせたような顔で目を見張る。 やがてたこ焼きの箱に目を落とし、唇をやや尖らせた。残り二個となったうちの一つを串でグサグサと突き始めて、 「・・・・・・・いいんです。どーせ土方さん、気づいてませんから」 さんざん刺されて中身が飛び出た一粒に、ぱくりと大口で齧りつく。さっきからお腹の底に 溜め込んでいたもやもやとした気分が、お妙の言葉でさらに膨らんだせいかもしれない。 中身が飛び出て冷めかけたそれは、なんだか味気ないものに感じた。 「それに土方さん、たこ焼きなんて興味なさそうだし。・・・たぶん、九兵衛さまに遊んでもらうほうが楽しいんですよー」 普段は何があっても悠然と構えてるようなあの態度で隠してるけど、本来の土方さんは三度の飯より喧嘩好き。 面白そうな喧嘩相手を見つければ、何を置いたってそっちへ行っちゃうような人だ。 さっきだってそうだった。あたしのことなんてすっかり忘れて、旦那と楽しく喧嘩してた。 ・・・・・・逆に、旦那と別れて二人でここへ来るまでの間は、少しも楽しくなさそうだった。 はたこ焼の箱にぽとんと串を戻し、小さく肩を落とす。 大勢の野次馬に囲まれ、目の前で派手な討ち合いを繰り返している二人を曇った目つきでじっと見つめた。 九兵衛の刀をじりじりと押し返している男の、煙草をぎりっと噛み潰しそうな苦々しい横顔。 その表情はすこぶる機嫌が悪いようにも見えたが、自分の横をむっとした顔で歩いていた時の土方よりも はるかに生き生きとしているように思えて―― 「――あーあ。つまんないなぁ・・・」 「あら、何が?」 「・・・・・・・ほんとはね、土方さんが一緒に出掛けてくれるって言うから、昨日からずっとわくわくしっ放しで。 すごく楽しみにしてきたんです。でも、これじゃ何しに来たんだかわかんないっていうか。・・・あたしといても なんだかつまらなさそうだし。ずっと怒った顔ばっかりしてるし。それに――」 ――今日の土方さん、あたしにはぜんぜん構ってくれない。あたしのことなんてぜんぜん見てくれない。 他の人のことばかり気にして、他の人のことばかり見てる。 それどころか、あたしがここにいることなんて忘れてそうな顔してる。 ・・・・・・どうしてこんなことになっちゃったんだろう。 予定ではもっと楽しい日になるはずだった。もっと土方さんに楽しんでもらえるような、そんな一日にしたかった。 ・・・こんな気分になるはずじゃなかったのにな。本当なら今頃は、土方さんが好きなあの映画を二人並んで見ているはずだった。 そのために上映館も上映時間もばっちり調べておいたんだし、このたこ焼き屋さんの情報だって、 お店の場所から定休日、ここのたこ焼きを食べた人たちのクチコミ情報まであれこれと調べてきたのに。 なのに土方さんはどれもこれもそっちのけで、旦那や九兵衛さまの相手ばかりで。・・・なんだかすごくがっかりだ。 つまらない。期待外れだ。一緒にいるのに置いてけぼりにされてしまったみたいで、すごくさみしい。 ――けれど、土方さんの態度に気落ちする一方で、自分がとてもわがままな、独りよがりな子のようにも思えてしまう。 今日の予定は全部あたしが決めたこと。このたこ焼き屋さんも映画館もどれも、あのひとが言い出した予定は一つもない。 なのに、あたしは勝手にがっかりしてるんだ。自分の思った通りに事が運ばないことに、 ――自分が思った通りには土方さんが楽しんでいてはくれないことに、がっかりしてる。期待外れだ、なんて思って拗ねてる。 期待を勝手に膨らませて、ちょっと思うようにいかないからって勝手にがっかりするなんて。 ・・・それって、子供じみたわがままじゃないんだろうか。 「――まぁ、驚いた。新ちゃんが言ってたあれ、本当だったのね」 隣で小さくひそめた声がして、はふっと我に返る。 目を細め気味にしたお妙が、不思議そうにこちらを眺めていた。 「あれ、って何ですか、姐さん」 「いやだわさん、何度言ったらわかるんですか。姐さんなんて呼び方やめてくださいな、あなたのほうが年上なんですから」 「えぇーっ、そんな!そんなわけにはいきませんよ! 姐さんは姐さんです、真選組局長の未来の妻でもあり、あたしの心の師匠でもある方ですから!」 「ふふっ、あなたときたら本当に物分りの悪い方ですね。いい加減にしないとアツアツのたこ焼き目に押し込みますよ」 と、笑顔で凄んだお妙だったが、――何を思ったのか、の手からたこ焼きの箱を取り上げた。 え、とつぶやいてお妙の行動に目を見張るをよそに、残りが一個だけとなった箱の蓋を閉じる。 はい、とそれをに差し出して、 「自棄食いはもうやめたらどうですか。あなたはこれを、副長さんに食べてほしかったんでしょう?」 「・・・・・・・。でも。もう一個しか残ってないし。食べ残しみたいで嫌がられそうじゃないですか」 「そうかしら。あなたがここに来た理由を知れば、喜んで食べるんじゃないかしら」 お妙が目の前の人垣へ視線を向ける。その視線を追うようにしても顔を上げた。 街中で突然始まった果し合いのような一戦を面白がってか、今や目の前には道幅を一杯に埋めてしまうくらいに 大勢の人だかりが出来ていた。人の壁の合間から見える土方の姿を、さみしげな目では追う。 早く戻ってきてほしい。自分がここで待っていることに、早く気づいてほしい。 誰の目から見てもそんな思いが感じ取れそうな顔をして、丈の短い着物の裾を不安そうにきゅっと握って。 ――まぁ。なんて素直な、馬鹿正直な態度かしら。 彼女をさりげなく横目に眺め、可笑しくなったお妙はくすりとひそかに笑った。 とても私より年上だなんて思えないわ、とわずかな皮肉も交えながらそう思う。けれど、思う男にあんなに いちずになれる彼女のひたむきさは嫌いではなかったし、少し羨ましいような気もした。 この人は、あんなに熱の籠った目で、――愚かだけれどひどく美しい、見る者を惹きつけてやまないまなざしで 思う相手を見つめられる。あの瞳に宿った不安定に揺れる熱は、恋を知った女性だけが放つ特権のようなもの。 誰かに愛されることを知り、誰かを盲目なまでに思うことを知ったひとたちだけに宿る輝き。本気の恋に落ちたひとのまなざしだ。 「正直に言えばいいじゃありませんか、副長さんに。他の人にばかり構っていないで、わたしにも構ってほしい、って」 「え・・・!」 どうして判ったんですか。 大きな目を最大限に見開き、かちんと固まった表情がそう言っていた。 その反応に、逆にお妙が驚いた。どうしてって――どうしてもこうしてもないくらい感情がだだ漏れ、丸判りだというのに。 は急に立ち上がり、たこ焼きの箱が膝から滑り落ちそうになる。 「ああぁあの、えっ、かまってほしいって、な、何で、・・・あたし、姐さんにそんなこと言いましたっけ!?」 意味なく手を上げたり引っ込めたり、オーバーな身振り手振りを繰り返しておろおろしながら尋ねてくる。 ・・・本当にこの人ったら。こうも正直に出られると、皮肉のひとつもほのめかす気がなくなるわ。 ぷっと吹き出しそうになったが、澄ましてにっこり笑い返した。 「それに、そんな、かまってなんて、そんな・・・!恥ずかしくて言えませんよぅぅ、そんな子供っぽいこと・・・!」 「いいんじゃないですか子供っぽくても、それがあなたの本音なんだから。 それに、目上の方にこんなことを言ったら失礼になるけれど――あなた、普段から十分子供っぽいじゃないですか」 「うぅ・・・・・!!!」 ぐうの音も出ない、という顔でが唇を引き結び、心底恥ずかしそうにへなへなとうつむく。 握ったたこ焼きの箱に「の」の字を書き出したばつが悪そうな様子の女を、お妙は下から覗き込むようにして見上げて。 「ねえさん。いくら身近な人でも、どんなに察しの良い相手でも、その人に面と向かって言葉にしなければ 判ってもらえないことってあるんじゃないかしら」 「は、・・・・・・・・はい。・・・そう・・・ですよね」 「そうですよ。それじゃあ早速伝えに行きましょうね」 「え、―――っっ、ちょっと、姐さ――!?」 すらりと美しい姿勢で立ち上がったお妙が、がしり、とと腕を組む。 問答無用な勢いでそのまま人垣へ突っ込んでいき、唖然とするばかりのは彼女にずるずると引きずられるようにして 連行された。「ごめんなさい、ちょっと通してくださるかしら」などと、持ち前の美貌を生かして笑みと愛想を 振り撒きながら、お妙は野次馬たちの壁をすいすいと、いとも簡単に突破していく。 あっというまに人垣を割り、何重にも取り巻いていた人垣の円の中心――お互いがお互いに歯を食い縛り、 もう一歩も引くものかという気迫で睨み合っている土方と九兵衛の元へずんずんと向かう。 かきん、かきんっ、とぶつかり合う刃と刃が甲高い金属音を鳴り響かせてせめぎ合っている、 白昼堂々の激しい剣戟の最中へ躍り出て。 「――ねえ副長さん、九ちゃん、そろそろお開きにしてくださいな」 「あぁ!?っせえな口挟んでくんじゃ――」 「すまない妙ちゃん、もう少し待っ――」 彼女に気づいた決闘中の二人は、うっ、と二人揃って息を呑む。お妙を見つめたまま、かちん、と石像のように凍りついた。 一見したところはしとやかそうなお妙の笑顔には、見覚えがある迫力がみなぎっている。 あれが出たら誰が彼女に適うものか。誰が何を言おうと引かないときの彼女の顔――彼女が彼女たる本領を発揮し、 寒気がするような氷の微笑と罵倒の言葉一つでその場の全員を屈服させてしまうときの、あの顔だ。 土方と九兵衛、二人はさぁーーっと青ざめた。そして、測ったかのように同じタイミングでふらふらと刀を下げていく。 この三人のある意味複雑な人間関係において、常にトップオブトップ、完全な優位性を保っているお妙の否応なしな介入に、 すっかり戦意が萎えてしまっていた。 ・・・これってあれに似てるかも。縄張り争いに負けた猫が、んぎゃー!って情けない声で鳴いて じりじり後ずさりながら逃げようとする、あのときのかんじに似てるかも。 ・・・と、お妙の背後からこわごわと二人を眺めつつ、は土方が知ったら無言で殴ってきそうなことを思った。 「さぁ九ちゃん、行きましょう。私たちはお邪魔みたいだから」 「っっ!?待ってくれ妙ちゃんっ、あと少しで決着が!」 「あら、決着なんてつけてもつけなくても同じよ。今のところ、さんは何があっても 心変わりしそうにないもの。ねえさん、そうなんでしょう?」 「――へ!?」 「・・・!そ、そうなのかさんっ。そんなにこの男がいいのか!?こんな男にそこまで惚れ込んでしまったと・・・!?」 「〜〜〜っっ!?」 抱えた頭をぶんぶんと振り、九兵衛が信じられない、といった面持ちで嘆く。 頬をかーっと染め上げたが、ぼとっ、とたこ焼きの箱を落とす。周囲をおろおろと見回して、 「〜〜〜っっ。あ、あのぉ・・・、姐さん?九兵衛さま?・・・・・そ、そういう話はここではちょっと・・・ で、できればあの、・・・・・・・・・・・こういう場所ではもう少し小さい声で――」 「そのようよ。この前新ちゃんから聞いたのだけれど、すでにお二人はそういう仲になられたんですって」 「!!そ、そんな・・・!嘘だ。嘘だろう、嘘だと言ってくれ妙ちゃん!ぼ、僕のさんが、 僕のさんがこの男と、ぁああああんなことやこんなことやそんなこともすでに経験済みだと・・・!!?」 取り乱して叫んだ九兵衛の言葉に、っっっ、とは絶句した。なにしろ周囲を 野次馬の群れが取り囲んでおり、うろたえた九兵衛が声を震わせて叫んだために話がすべて筒抜けだったからだ。 仰け反らんばかりに背中を跳ね上がらせた女の顔が、ぼんっっっ、と真っ赤に発火する。 判りやすいその反応にショックを受けた九兵衛がぶるぶると唇をわななかせ、がくり、と四つん這いで崩れ落ちた。 それを眺めた土方はにやりと意地悪くほくそ笑み、 「まぁそーいうこった、てめえに勝ち目はねえ。これを機にこいつを追い回すのはやめてほしいもんだな」 「ま、まさか、・・・そうなのか?あれは本当だったのか・・・!?先月東城が「若ー!どうやらすでに あの二人、デキてるらしいですよ!?」なんてふざけた報告を持ってきたから延髄斬りをキメて無視したんだが、 ・・・・・・・・悪夢だ・・・!この男がさんの純潔を奪ったなんて、まさかあれが真実だったなんて・・・・・!!」 「九兵衛さまぁあああ!!?ややゃめてくださいぃぃこんなとこでそんな、じゅ、じゅんけ、とかそんなっっっ」 「お願いだ考え直してくれ、今ならまだ間に合うんださん!こんなクズのような男といたってあなたのためにならない!」 「っだとコラ誰がクズだこのガキ。もう一回戦るかコルぁああああああ」 「副長さんは口を挟まないでくださいな。話がややこしくなるわ」 などと言いつつ、お妙は笑顔で九兵衛の腕を取る。九兵衛は「待ってくれ妙ちゃん」ともがいていたが ――彼女が誰よりも愛してやまないお妙に、ぴったりと寄り添うようにして腕を組まれてしまったのだ。 最初のうちは渋っているような顔で土方を睨んでいたものの、じきに逆らう気をなくしたらしい。 ふう、と諦めの溜め息をつき、美しい装飾が施された高価そうな鞘へ刀を戻す。隻眼が土方に射るような目つきを向けてきて、 「・・・妙ちゃんのおかげで命拾いしたな、彼女に感謝しろ」 「間違えんな、命拾いしたのはてめえのほうだ。次にやりやがったら公務執行妨害でしょっ引いてやる」 「それじゃあ副長さん、さん。よろしかったら今度お店に遊びにいらして下さいね、ゴリラは抜きで」 そう言われ、さっそく煙草に火を灯しかけていた土方は苦々しげに溜め息をついた。 「そいつは無理だ。あの人抜きであんたの店に行ったもんなら、優に三日はゴネられるからな」 「まぁ、そうですか。それなら三人でぜひどうぞ。ただし近藤さんには迷惑料としてドンペリ十本入れてもらいますね」 おそろしげなことを微笑みながら言い残し、お妙は落胆気味な九兵衛を支えるようにして去っていく。 彼女たちの姿が遠のいたことで、野次馬たちの熱も冷めたらしい。一人二人と人垣が崩れ始め、 数分も経たないうちに、土方との周囲は平穏な昼時の商店街の景色に戻っていった。 「・・・やれやれ。手強ぇ女だ」 どちらの女を指してのことか、細い紫煙を吐き出した土方が肩を竦めてつぶやく。 一戦交えた後の休憩を兼ねた一服を終えた頃には、たこ焼き屋の前には何事もなかったかのように 大行列がうねっていた。道沿いのベンチには焼き立てのたこ焼きを買い求めた人たちが座っており、 どの顔も満足そうに熱々の一粒を頬張っている。騒ぎから数分経ってようやく顔の赤みも引いてきたは、 そんな彼等の様子を、どこか羨ましげな目をして眺めていた。赤みの残った頬を抑えながら しばらく何かを考え込み、それから、隣に立っていた土方の羽織をきゅっと掴んで。 「・・・・・・ひ。土方さんっ」 「あぁ?何だ。まさかお前、食い足りねぇから行列に並ぶだのと言い出すんじゃねえだろな」 「違いますよー、そうじゃなくて・・・・・。あ、あのね、あの・・・っ!」 はひどく焦った態度でぐいぐいと彼の袖を引き、空いているベンチまで引っ張っていった。 こいつ何がしてぇんだ、と目を見張っている土方に「す、座ってくださいぃ」と裏返った声で頼み込んで座らせる。 彼が咥えていた煙草の吸いさしをすいっと抜き取る。抜き取った吸いさしは、彼女がいつも土方用に持ち歩いている 携帯灰皿に押し込まれた。 「・・・・・・?おい、何すんだコラ」 怪訝そうに見上げてくる男の鋭い視線を気にしつつも、一度落としたせいで潰れかけているたこ焼きの箱を あたふたと開ける。そこに残っていた最後の一粒を、――外装の箱と同じに、それも半分潰れかけていたが ――さくっと串で刺し、怪訝そうな目で自分を見つめている男の口元に押し付ける。 土方は一瞬戸惑ったが、「食べて」と目で訴えてくる女のはらはらと落ち着かない表情と、 見る間に赤らんでいくその頬の火照りを見つめるうちに、妙に愉快な気分になった。 何だこいつ。俺を餌付けでもしてぇのか。 ふっ、と薄く笑んだ唇が開いて、潰れかけの一粒を呑む。噛みしめるごとに広がる旨みは すっかり冷めきっていたが、これが焼き立てならなかなかの味だろう、と想像させるものだった。 タコもデカいしソースも旨い。だが、それよりも・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 そうだ、この生地の味だ。何よりも、この―― 「・・・・・・おいしい?おいしいですか?」 「んぁ?」 「これね、マヨタコっていうんです。・・・土方さん、こういうの、きらい・・・?」 「・・・・・あぁ。いや。まぁまぁ、旨めぇんじゃねーか」 たしかに旨いし、気に入った。――とはいえ、マヨの量は圧倒的に足りねぇが。 するとはぱちりと瞬きして、なぜか深くうつむいた。着物の帯のあたりを両手で弄りながらおずおずと口を開いて、 「ほんとに?」 「あぁ」 「・・・ほんとに、ほんと?」 「しつけーな。旨めぇって言っただろーが」 唇に残ったソースを指で拭いながら土方は答える。 すると彼女の唇がきゅっと噛みしめられる。ややあってからほっとしたような吐息を漏らし、 口許から淡い白色が宙に上った。 「・・・・・・・・・・よかったぁ・・・」 「――・・・・・・」 うつむいたまま帯元を弄っていた女の緊張気味だった表情が、ふわりと柔らかくほころんでいく。 すでに色づいていた頬には隠しきれない喜色が混ざり、嬉しくてたまらない、といった表情で ゆっくりと視線を上げてくる。土方と目が合うと軽く首を傾げて、心の底からしあわせそうに微笑んだ。 その表情に眉を曇らせ、土方は不貞腐れたような目つきでを眺める。 それは思いがけないタイミングでのとびきりな笑顔を引き出してしまい、内心ではどきりとさせられていた彼の、 天の邪鬼な照れ隠しでもあったのだが―― ・・・時々こいつの反応が判らねぇ。俺はたかだか、旨い、とほざいただけじゃねえか。 空になった箱に目を向ける。気恥ずかしさと気まずさを紛らわすためにその箱を手に取って眺めようとしたが、 それに手を伸ばした瞬間、指先が偶然に、――ほんの一瞬だけ、の指先と触れ合った。 土方が眉を軽く吊り上げる。の手は氷のように冷えきっていた。 その冷たさに驚くと同時に、考えるまでもなく当然のことに、今まで自分が思い至っていなかったことに気づいた。 ――そりゃあそうだ。季節は真冬、さっきのたこ焼きだって出来立てのはずが、 柳生の小僧に手古摺らされている間にすっかり冷えきっていたくらいだ。 それだけの時間を、――手先がかじかむほどに冷えきってしまうくらいの時間を、こいつは寒さをこらえながら 俺を待ちぼうけていたのだ。 ――だってえのに、文句ひとつ言おうとしない。それどころか―― 「・・・・・・・・。だからてめえは馬鹿だってぇんだ」 腹の奥でもどかしさを噛みしめ、口の奥で低く漏らす。 籠って聞き取れなかったその声が気になったらしく、は何度か瞬きをして、 「え?なに?何か言いましたかぁ、今」 「・・・いや。その。まぁ、何だ、・・・・・・・・・・待たせたな」 土方が羽織の中で腕を組み、斜め下に視線を逸らす。のほうを見ることなく、ぼそっと低くつぶやいた。 感情の揺れが感じられない仏頂面で、けれどひどく言いにくそうに言葉を絞り出していたぎこちない様子に、 はほんのりと頬を染める。嬉しさに輝く瞳をにっこりと細めて彼を見つめた。 ――きっと今のはこのひとなりの、最大級のねぎらいの言葉だ。 あんなぶっきらぼうな口ぶりだから、とてもそんなふうには聞こえないけれど。 「――行くぞ」 「はいっ」 ベンチを立って歩き出した土方にが並ぶ。しばらくの沈黙が続いた後に、土方はに手を伸ばしてきた。 きょとんとした顔で自分を見つめてくる女の頭を手のひらで覆い、ぽん、ぽんと、軽い手つきで何度か叩く。 まるで何か良いことをした幼い子供を「よくやった」と褒めるときのようなそれは、彼にしてみれば詫び代わりのつもりだった。 ・・・放っといて悪かった、なんて台詞は口幅ったくて言えやしない。大きな手のひらで頭を撫で、ぐしゃぐしゃと髪を掻き回す。 土方の腕の重みで真上から押され、首を竦め気味にしているは、くすぐったそうな、 恥ずかしそうな顔で唇を尖らせる。もじもじとうつむいたり、自分を子供扱いで撫でてくる男の手を ちらちらと見上げてみたりと、落ち着きのない仕草を幾度か繰り返して―― 「な・・・なんですかぁ・・・?」 「別に。何でもねえよ、気にすんな」 「〜〜〜っ。無理ですよそんなっ。気になりますよっ」 は黒い羽織の袂をくいくいと引っ張り、土方はそんな彼女を見て見ないようなふりをして 面白がりながら、腹ぁ減った、飯でも食うか、と空とぼけたことをつぶやきながら歩く。 昼時に差し掛かって人足が増えた通りはにぎやかで、降り注いでくる真冬の日差しのやわらかな温もりが心地良い。 が道沿いの店を指しては他愛のないことを言い、土方はそんな彼女の笑顔を横目に眺めたり、 たまに茶々を入れてからかってみたり。ようやく休日らしくなってきた雰囲気を楽しみながら、二人は肩を並べて歩いていく。 たこ焼き屋から彼等二人を追跡してきた視線には ――数十メートル離れた路地影からの視線には、 まったく気づいていなかった。

「 LOVE & ROLL *3 」 text by riliri Caramelization 2012/11/29/ -----------------------------------------------------------------------------------       next