「ほらほら早くー!急がないと席が埋まっちゃいますよー」 羽織の袖をぐいぐい引っ張るに先導され、やって来たのはこの街で一番人気の甘味屋だ。 時刻は開店直後の10時過ぎ。だというのに、店内はすでに空席が数えるほどしか残っていないという盛況ぶり。 黒の羽織の中で腕組みした彼がを伴って入口前に立つと、あちらこちらからちらほらと視線を向けられ始めた。 振り向いて彼を眺める顔は、どれも女性のそればかり。俺が唯一の男の客らしいが、 ――それにしても、朝っぱらから甘味を食べたい女はこうも多いものなのか。 呆れ半分、物珍しさ半分といった面持ちの土方が店の奥まで視線を向けていると、 くい、と袂を遠慮がちに引かれた。はなぜか彼の斜め後ろに隠れるようにして寄り添っており、 袂の端をきゅっと握っている。うつむいた表情はあまり面白くなさそうというか、 なんとなく曇っているように見えるのだが―― 「どうした。入らねえのか」 「・・・・・・入りますよ。入りますけど」 「ならお前、先に入れ。男には勝手が判らねぇんだ、この手の店は」 「・・・・・・。気づいてないんだ、土方さん」 「あぁ?何をだ」 「・・・・・・・・・いいです。なんでもないですっ」 柔らかそうな女の頬が、ぷぅ、と焼けた餅のように丸く膨らむ。なぜか機嫌を損ねられてしまったようだが、 その原因が判らない。まぁ、こいつの行動の突拍子無さと意味不明さはいつものことだが―― 不思議に思った土方は、ぷくりと膨れた頬をむにっと摘まむ。さらにむにむにと、遠慮なく引っ張る。 するとが拗ねた上目遣いを向けてきて、 「・・・痛いです土方さん。ほっぺた伸びたらどーしてくれるんですかっ」 「何を膨れてんだ。お前の気に入りのあんみつは目の前だぞ」 「別に。膨れてなんかいませんよ超ご機嫌ですよっっ。あーあぁ楽しみだなぁ絶品あんみつっっ」 「嘘つけ。おい見ろ、そこのガラスにも映ってんじゃねえか。焼けた餅みてーな面ぁしやがって・・・」 言いかけた土方が口籠る。店内からの気配にわずかな変化を感じたのだ。 怪訝そうに眉を顰めた彼の目線が、女性客のお喋りが溢れ返る賑わった店内を物色する。 間もなくの頬から手を離し、ああ、と一言、どうでもよさそうにつぶやいた。 ――暖簾の奥に広がっている妙に浮足立った空気。こちらへ向けられている多数の視線に含まれた、微妙な熱気。 これがに拗ねられた原因か、…と、納得はしたがそれまでだ。彼の表情には何の反応も浮かばない。 女性の、しかも不特定多数の女性たちからの熱い視線の集中。それは総じて女に縁がない 屯所の野郎どもにしてみれば超常現象レベル、世の大半の男たちにとっては垂涎ものの出来事なのだが、 ・・・女に不自由したことのない土方にとっては、これは生まれながらの日常茶飯事。毎度のことだから 対処には慣れているが、どちらかといえば窮屈な状況というか、あまり歓迎したくはない状況でもあった。 とはいえ今回に限っては悪い気がしない。つまりはあれだ――餅は餅でも違う餅、ってえやつか。 皮肉気な笑みを浮かべて隣の女を見下ろすと、はかあっと頬を染めた。 「っな、なんですかぁぁっ」 「お前こそ何だ、その赤けぇツラは。とうとう餅が焦げ出したじゃねーか。…はっ、つまんねーこと気にしやがって」 「ち・・・!違ぅぅ!違いますよっっ。あたしはあの、そっ、そういうアレじゃないから、違うからっっ」 「その割にはえれぇ膨れっぷりだな」 「〜〜〜〜っ!」 「そんなもん焼いてねえで早く入れ。汁粉でも団子でも好きなだけ食え」 今日は好きなだけ奢ってやる。 判りやすいの反応に気を良くして、土方は籠った笑い混じりに言い足した。 着物の袖をもじもじと弄り出した女の肩を、ぽん、と甘味屋の暖簾下まで押し出してやる。 すると、中で給仕をしていた店員の娘がこちらに気づいて。 「いらっしゃいませー。何名様ですか?」 「えっ。えっと、あの、・・・・・・二人、です」 「二名様ですね、お席へご案内いたしますー」 どうぞー、と白のフリルつきエプロンを着けた娘が、愛嬌のある笑顔で入口近くのテーブル席を指す。 は一度振り返り、何か言いたげな顔をした。だが土方と目が合うと、頬を真っ赤に火照らせて あたふたと踵を返す。どことなく危なっかしくて慌てた足取りの女に続いて、彼も店内へ踏み入ろうとしたのだが―― 「――・・・・・・ん?」 暖簾を腕で押し上げた時に、異変を感じて立ち止まる。 異変、…というか、おかしな気配だ。びりっと背筋に電流が走るような、不穏な気配を背中に浴びた気がする。 入り口前から数歩戻り、やや眉を顰めながら路上を見渡そうとして――その瞬間、 ゴッッッッッッッッ。 唐突に脇腹を襲ってきた強烈な衝撃によって、土方は真横に吹き飛ばされた。 隣の定食屋の軒先に置かれた品書きの看板にどかっとぶち当たって地面に落下、通りを行く人々の 唖然とした視線を一身に集めながらげほげほと咳込む。 ・・・畜生、何だ?一体何が起きやがった。吹き飛んだ瞬間の感覚からして、どうやら誰かに 不意打ちで腹を両足蹴りされたらしいが・・・、 脇腹の痛みをこらえながら困惑していると、彼の元に一人の男が。 呑気そうな鼻唄混じりにやってきた男は、土方の懐から財布をすいっと抜き取った。 「んぁー、諭吉が三枚ー、四枚ー、五枚ー・・・、けっ、これだから嫌れーなんだよ幕臣ってやつぁよー」 などと言いながら人の財布の中身を勘定しつつ、どこかかったるそうな独特の足取りで 甘味屋へと向かって行くその後ろ姿は、 ――銀色がかった癖だらけの白髪。着崩した白地の着物。腰元で揺れる木刀に、黒のブーツ。 「いよぅ!!久しぶりーーー!!」 甘味屋の暖簾をばっと跳ね上げて店内に乗り込んだその男は、いかにもへらへらとにやついていそうな 浮かれた調子でを呼んだ。 しまった、油断した。 痛む腹を押さえてぎりぎりと歯噛みする土方にとっては、またしても非常事態の出現である。 しかも彼にとっては何かと癪に障る、天敵と呼ぶに相応しい男の登場だ。

L O V E & R O L L *2

「かーっ、うめー!マジでうめー!やっぱ甘味は人の金で食うに限るわ」 …なんて正直すぎる本音を口にしながら、ぱくぱくぱくぱく、がつがつがつがつ。 目の前でどんどん銀色のスプーンに削られていくのは、さっきお店の女の子が持ってきてくれた特大の和風パフェ。 上に飾られてた栗が生クリームが餡子がアイスが、夢中で頬張る万事屋の旦那の口に消えていく。 思いきり膨らんだ頬が、冬眠前にエサを溜め込んでるリスみたい。口元がアイスや餡子で汚れても一心不乱に 食べ続ける様子が子供みたいで、ついついあたしは笑ってしまった。自分の顎を指差して、 「旦那旦那ー、アイスが垂れてますよー、ここ」 「えぇー、どこ、ここってどこ。銀さん忙しいからちょっと拭いてくんね、」 「あはは、しょーがないなぁ。はいはい、拭きますからじっとしててくださいねー」 んんー、と目を瞑った顔を突き出されて、くすくす笑いながらおしぼりを持つ。もう、面白いなぁ旦那って。 こうしてると、いつも「しょーがないなぁ銀さんは」を連発しながら旦那の世話を焼いてる 新八くんの気持ちがなんとなくわかるような気がするよ。いざって時は頼りになるのに、 普段はなんだか子供みたいなところがあるんだよね、旦那って。――なんて思って 可笑しくなってるうちに、手からおしぼりをもぎ取られた。 べしっっっ。 旦那の眉間におしぼりが命中。おそるおそる隣に振り向いてみたら、 「〜〜〜ひぃぃっっ!」 恐ろしすぎて背筋が跳ねて、お尻まで椅子から浮き上がる。 ・・・やばい。やばいよやばい、さっきから一言も喋らないから気づかなかった。 瞳孔全開で旦那を睨む土方さんの目つきが凍りついてる。旦那の向かいにどかっと座って腕組みしたきり 微動だにしなかった全身から、極寒の雪山に雪女が出たときみたいな、吹雪みたいに冷たい氷点下の殺気が。 女の人だらけでにぎやかな甘味屋の店中にひゅるる〜〜〜っと、ひゅわひゅわ〜〜〜〜〜っと・・・! 「・・・人が黙ってりゃあいい気になりやがってこの野郎。離れろ貧乏侍、 こいつに汚ねー面寄せてくんな。次にやりやがったら問答無用でぶった斬る・・・!」 「へっ、やれるもんならやってみろや。つーかてめーこそから離れろや税金泥棒。 何ならそのまま店ぇ出てってくれて構わねーぜ、んな辛気臭い面見せられたんじゃ甘味がマズくなるからよー」 「ざっっっけんな何が不味くなるだ。その甘味代の全部が全部、俺の財布から出てんじゃねーか!」 金返しやがれ!と悔しそうに唸った土方さんが、だんっっ、とテーブルを殴りつける。 テーブル中に所狭しと並べられたお椀やガラス鉢、背が高いグラスがカチャカチャ鳴った。 ――ところてんに蜜豆、お汁粉にぜんざい、みたらし団子にこし餡の団子に胡麻団子、 抹茶ババロアに抹茶パフェ、甘酒にくずもちに揚饅頭に白玉あんみつ、お店で一番人気のクリームあんみつ。 この店の人気メニューを完全網羅した豪華な品揃え。これが全品、強奪したお金とはいえ土方さんの奢りなんだもん。 大好きな甘いものをタダで堪能できるんだから、糖分王を自任する旦那のテンションが上がらない訳がない。 真正面で激怒してるひとを馬鹿にしきった薄笑いで眺めながら、旦那はさっき強奪した土方さんの黒い財布を ひらひら振ってみせた。まるで「悔しいならかかってこいや」って顔だ。 「・・・。てめえ、同じこと何度言わせる気だ?いつも口酸っぱく言ってんだろーが、 野郎の半径1メートル以内に入るんじゃねえ。貧乏菌に汚染されたらどーすんだ」 「ちょっ、貧乏菌て・・・さすがにそれは旦那に対して失礼ですよ。いいじゃないですか口拭いてあげるくらい」 「いいわけねーだろ馬鹿女。何が「じっとしててくださいねー」だ猫撫で声出しやがって。俺が横に居るってえのに 他の野郎の、しかもこのバカ侍の世話ぁ焼く気か?なかなかたいしたタマだな、てめえも」 「・・・じゃああたしも口酸っぱく言わせてもらいますけど!土方さんが思ってるほど嫌な人じゃないんです旦那はっ。 総悟だって懐いてるし、近藤さんや山崎くんとも仲良しだし、何よりあたしの命を救ってくれた恩人だし!」 「それを言うなら俺ぁてめーの窮地を何十回となく救ってやってんだろぉが。だってぇのにてめー、俺より野郎を優先すんのか!?」 「そんなこと言ってないじゃないですかぁ!・・・なにそれっ。ほんっと意固地っていうか、心が狭いですよねぇ土方さんって!」 凄んだ顔でボソボソ小声で文句つけてくるひとにこっちも口元を隠してこそこそ言い返してると、 真後ろの席に座ってる奥様っぽい二人連れからひそめた声が。 「・・・やーねぇヤクザよ。ヤクザ同士の小競り合いよ・・・!」 「違うわよよく見なさいよ、ヤクザ二人とその情婦の三角関係よ、ドロドロの修羅場よ・・・!」 ・・・ヤクザだって。真選組の副長ともあろうお方が、ドロ沼三角関係を演じるヤクザの一人に間違われてるよ。 もしここで土方さんがブチ切れて暴れでもしたら、――「ヤクザが甘味屋で暴れてる」なんて通報されちゃうんだろうか。 そんなありえない不安のせいで、顔がひくひくひきつってきた。 ああ逃げたい。正直、この二人を置いてここから逃げ出したい。・・・でも、この人間離れした体力と腕っぷしを 持ってる二人が臨戦態勢に入っちゃってる以上、ここはあたしが頑張って円満に収めるしかないよね。 気を取り直してどうにか笑顔を作り直して、 「まぁまぁまぁまぁ、旦那も土方さんも落ち着いてくださいよー。 こうして同じ席で美味しいもの食べてるときくらいは仲良くしたっていいじゃないですかぁ、ねっ」 「よかねぇ。こんな不快な野郎と相席するくれーならゴキブリと相席したほうがまだマシだ」 「おいおいやめとけよ可哀想だろー、ゴキブリにだって相手選ぶ権利くれーあんだからよー。 つーかあんまりグダグダ言ってっとてめー、そのクソつまんねー仏頂面にゴキブリ100匹叩きつけんぞコラ」 「やれるもんならやってみろ。その前にてめえの薄汚ねー口にゴキブリ1000匹押し込んでやる」 「じゃあ俺はてめーのパンツにゴキブリ10000匹」 「やーめーーてーーー!飲食店でGの話はやめてえぇ!周りの目が痛いからやめて!」 「うっせえぞコルぁぁ」 「ったぁああ!」 しゅっと伸びてきた黒い着物の腕に、びんっ、とおでこを弾かれた。 痛い、痛い痛い痛い痛いぃぃぃ!と、ズキズキと強烈な痛みを訴えてくる頭を押さえて、 ばたばたと足を振り上げる。 ・・・違う。こんなのデコピンじゃない。やられるたびに思うけど、土方さんのこれは「デコピン」なんて 呼べる程度の可愛いお仕置きじゃない。お仕置きって言うより攻撃、攻撃って言うより兵器だよ!頭蓋骨にヒビが入りそう・・・! 「むやみにでけー声出すんじゃねえ、店の迷惑になるだろーが」 デコピン第二弾の手つきを構えたしかめっ面が、半泣きで痛みに悶えるあたしにしれっとそんなことを言う。 ・・・・・・・いやそれ、あたしの台詞ですけど!? 「あぁもうっ、何なんですか二人ともっ。どーしてそんなに仲悪いの!? 二人ともなんだか似たところとかあるし、実はそんなに相性悪くないはずですよ?なのにどーして仲良く出来ないんですかぁっ」 「――はぁ!?いや、いやいやいやいや!何言ってんの、びっくりするわ!」 「まったくだ。それをてめえが言うな!」 「えーっ。何それー、どーしてあたしが言っちゃいけないんですかぁ」 「えぇええええ!?ねーわ、それはねーわ!!いくら何でもそれはねーわ!!!」 「はぁああ!!?ざっっっけんなこの鈍感女!」 旦那がぽろっとスプーンを落として、素っ頓狂な悲鳴を上げて目を剥く。土方さんにはがつんと一発、 重たいゲンコツを落とされた。なぜかめずらしく結託した二人は、二人揃って似たような表情。 「馬鹿かこいつは」って呆れきってる時の顔だ。ほらぁやっぱり息ぴったりじゃないですか、…って思わず言いそうになった。 言ったらもう一回ゲンコツ落ちてきそうだから、やめておいたけど。殴られてずきずき痛む頭をすりすりしてたら、 「うぁー、っだよびっくりしたぁ・・・・。相当鈍いとは思ってたけどよー、まさかここまでとはなぁ・・・」 まだ驚きが醒めてなさそうな声でぼそぼそ唸ってた旦那が、かぱ、とお汁粉の蓋を開ける。 朱塗りのお椀からほんわり立ち昇る白い湯気。ふわ、と漂うあったかい餡子の匂いに鼻をくすぐられた。 はっきりして華やかな香りが多い洋菓子とは違って、どこか懐かしさを感じさせる、ほんのりした甘さを思わせる香りだ。 旦那が持ち上げたお椀をじーっと見つめてたら、――きっと物欲しそうな顔をしてたんだと思う。旦那はにっと笑って、 美味しそうな餡子をとろりと纏ったお餅を一個、お箸でひょいと摘まみ上げた。 「なあなぁ、も一口どーよ。好きだろぉ、汁粉」 「えっ。いいんですかぁ、貰っても」 「いーってこれだけあるんだからよー、遠慮すんなって」 わーい嬉しい、優しいなぁ旦那は。 実はさっき食べきったクリームあんみつでお腹が冷えてたから、何かあったかいものが食べたかったんだよね。 「はいよ、あーん」 「ありがとうございまぁす、それじゃあ遠慮なく!あーん!」 うきうきと口を開けて目を閉じて、お餅を入れてもらう瞬間を待ってたら、 ――ぐいっ、と肩を引っ張られて、 「何が、あーん、だこの野郎。お前はこれでも食ってろ」 「っっぐ!」 むぎゅっ。仏頂面の土方さんに顎をがっちり掴まれる。 ぐいっと首を回されて、ぐききっ、と関節が痛々しい悲鳴を上げて・・・痛い!痛い痛い痛いぃぃぃ! ――と叫びたくても苦痛が上回って声も出な、 「――っっ!?」 ・・・・・・えっ、何これ。 間髪入れずに何かが口に飛び込んできた。口をいっぱいに埋めたむにむに柔らかい弾力。 舌でとろける甘さとお醤油味と、それから、 「〜〜〜〜っっっ!!!?」 冬眠前のリスみたいに膨らんだ顔を青くして、うぐぐっ、と息詰まる。 ――こ、これは。この味は。 一瞬にして広がる醤油餡の上品な甘さ、軽く焼いたお餅の香ばしい風味。 そして、みたらしのタレには全く不必要な油分と酸味とわずかな塩気、さらには卵黄独特のコクとまろやかさ・・・! 「いっっっ。犬の餌団子!!!――っふごぐごっ、ふごっっっ」 「っだコルぁ口開けんな、吐くんじゃねえ。おい、お前餅が食いたかったんだろ。 俺のを分けてやるから遠慮すんな、たんと食え」 「してないっ、遠慮してないぃ!って土方さっ、ちょっとおぉっ、強制的に口閉じよーとするのやめてくださふごむぐごっっ」 くくく、と笑った顔が並みの攘夷浪士以上に悪人顔なひとに「絶対に吐かせるものか」とばかりに 頬を両側から押し潰されて、こっちはすっかり涙目だ。マヨネーズ3:団子1、っていう常識を逸した割合の トッピングでせいで口の中はマヨ味一色、飲み込もうにも油っ濃さが気持ち悪くて飲み込めなくって、 やめてぇぇ、と頬を抑えてる腕をべしべしタップして訴えたら、 ――逆に首をがちっと羽交い絞めされた。 ・・・どうせ旦那と張り合うことで頭が一杯で、悶絶して死にかけてるあたしのことなんて どうでもよくなってるんだ、この喧嘩好きは。 「おいおいィ、なんだてめー妬いてんのかぁ?俺とがラブラブだから妬いてんのかぁ?」 「ぐふごふぉっ、だ、旦那ぁぁったすけてふごふぉっっ」 「ったくよー、相変わらず空気が読めねー男だねぇ。 せっかくがその気になって可愛いチュー顔差し出してくれたのに水差しやがって」 「はぁ?何がチュー顔だ、笑わせやがる。言っとくがにそんな気は微塵もねーぞ。ありゃあ偶然の産物だ」 口端を吊り上げて嘲笑った土方さんがこわい。笑ってるのに目がぜんぜん笑ってないから凄まじくこわい。 だけど旦那との言い争いに注意が向いているせいか、腕の力はかなり緩んでる。 今だ、この隙だ!土方さんの手を跳ね除けて、お茶の湯呑にはしっと飛びつく。 このテーブルの騒ぎに注目してる周囲の空気に恥ずかしい思いをしながら、顔色を青くしたり赤くしたりしながら、 お茶と一緒に死ぬ気でマヨ団子を一気飲み。どーにかこーにか喉を通過してくれた奇怪な味に ダラダラ冷や汗を掻いてる横で、二人はまだ言い争ってた。 「いやいやあるって。あれは本気のチュー顔だって」 「フン、馬鹿かてめえは。そんなわけあるか」 「いーやあるね大アリだね」 「ねえ。ねえったらねえ。そいつはてめえのいかれた妄想だ」 ・・・判らない。男のひとって判らない。 テーブルに身を乗り出して言い合う人たちは無駄に真剣だ。二人を呆れた目でしばらく眺めて、 それからがっくりと肩を落とす。 判らない。本気で判らないよ。争いの渦中に立たされてるあたしにとっては心の底からどーでもいい、 しかも「チュー顔だったかどうか」なんて心の底からくだらないことで、どうしてこんなにムキになれるの・・・!? 「だ、旦那ぁ!ほらぁ抹茶パフェが溶けかかってますよ!早く食べましょーよ、ねっ」 「あー悪い、悪りーけどちょっと黙っといてくれる。 ・・・いやいやそんなん本人に訊かねーとわかんねーだろぉ、案外その気だったかもしれねーだろぉ?」 「ひ、土方さぁん!もうこのへんにしておきませんか、ねっ?これ以上騒がしくするとお店に迷惑が」 「うっせえてめーは入ってくんな」 笑顔を引きつらせながら二人の間に割って入ろうと試みたけど、・・・だめだ、相手にもしてもらえない。 がっくりとうなだれたあたしは、すごすごと引き下がって残りのお茶をずずっと啜った。 「・・・もういいです。思う存分いがみ合って通報でも何でもされちゃってください。 あたしまで巻き添え食ってこのお店に出禁になるかもしれないけどもういいですもう勝手にして・・・!」 「わかんねーだろーよんなもんはぁぁ。女心ってのは複雑なんだよ微妙なんだよ、もしかしたら 餅食うついでに唇奪われてもいーかなー、とか思ってたかもしんねーだろォォ」 「けっ、馬鹿かそんなんありえるか。餅食うついでにってどんな女だ」 「だいたいよー、何でてめーにそこまで言われなきゃなんねーんだぁ?てめーにの何が断言出来んだよ。 何かってえとに構ってるらしいがよー、お前結局ただのインケン上司だろ。なぁ、そーなんだろ?」 「――えっ。・・・・・・ええと、」 急に話を振られたからどきっとしちゃって、お茶を飲むふりでうつむいてごにょごにょ口籠る。 旦那にどう言おうか、考えただけでなんだか顔が熱くなった。 ・・・そっか。そうだよね。旦那はまだ知らないんだよね。 土方さんとあたしの関係がちょっとだけ変わったことは、屯所のみんな以外には内緒だから。 「・・・・・・そ、それは。・・・・・・それが、ですねぇ。なんていうか、・・・ぇえ、と・・・」 しどろもどろに言葉を濁して、手の中に包んだ湯呑を見つめる。 ――でも、何て言えばいいんだろう。 「実は土方さんとお付き合いしてます」 そんなふうに言っちゃっていいんだろうか。土方さんから言い出すならともかく、あたしから そんなこと言ったら図々しくないかな。土方さん、気を悪くするんじゃないのかな。 だって彼女って言っても、あたしは成り行きでそうなっちゃっただけの子で。土方さんのお情けで 彼女にしてもらった、いわば間に合わせの彼女っていうか暫定彼女っていうか・・・・・・・。 はぁ、と小さく溜め息をこぼす。 手の中から温かい湯気を昇らせる湯呑のせいで、目の前が白く曇ってる。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・はぁぁ。なんだか情けないなぁ。 「あたしが土方さんの彼女です」 そんなことを人に言い切れる自信なんてない。お付き合いが始まってからもう一カ月経つけど、 ――でも、まだ一ヶ月だもん。自分でも情けないなあって思うけど、自信なんて全然持てないよ。 「・・・あ。あの。・・・ちょっと面倒くさい話になるっていうか。・・・ちょっと長い話になるんですけど、・・・」 小声で切り出してみたものの、言葉がちっとも出てこない。 膝に置いた湯呑をもじもじと弄りながら困り果てていたら、 「――っ」 ――急に視界に入ってきたものに驚いて、ぱちりと大きく瞬きした。 横から伸びてきた大きな手が、あたしの手に重ねられる。土方さんの手だ。固くて熱い手のひらの感触に 息を呑んだら、持っていた湯呑ごと、軽く、簡単に包み込まれて。顔を上げると、土方さんはこっちを見ていた。 あたしの反応を待っていてくれたみたいで、お互いの視線がすっと重なる。 いつもならすぐに逸らされてしまう鋭い目が、あたしをまっすぐ見つめたままで離れない。そのまま土方さんの 視線の強さに吸い込まれてしまいそうでどきどきして、元から熱かった顔がもっと火照った。 「ひ、土方さん・・・・」 どうしていいのかわからなくて呼びかけたら、ここは黙ってろ、とでも止めるみたいに、ぎゅっ、と手を握られた。 ――あたしは急にほっとして、胸の中まであったかくなって。 「・・・無ぇ。ねぇったらねえ。俺がねぇっつったらねーんだよ」 「はっ、何だぁ?しつけーゴリ押ししてきやがって。どっから湧いてんだぁその根拠レス自信」 「俺ぁ事実を言ったまでだ。根拠はあるがてめえに教える義理はねぇ」 感情を抑えた低い声で。――けれど一字一句を言い聞かせるようにはっきりと、土方さんは答えた。 ・・・かちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃ。 テーブルにずらっと並ぶお椀やガラス鉢たちが、まるで地震が来た時みたいにすこしずつ揺れて音を立て始めた。 下ではカツカツと下駄を打ち鳴らす土方さんの足が、上ではトントンとテーブルを弾く旦那の手が、 貧乏揺すりなのか武者震いなのかよくわかんない不吉な動きを続けてるせいだ。四人掛けのテーブル席を包んだ 肌がぴりぴりするような緊迫感に、あたしはごくんと息を呑む。表情を険しくした土方さんが、 狙いを定めた獲物を射竦めるような目で旦那を睨む。かちゃかちゃ鳴ってるテーブルに、どん、と 頬杖を突いて乗り出した旦那は、ふてぶてしい顔つきでにやりと笑って。 「いやいやいや、だーからよー、ちょっと黙っててくれや土方くーん。 てめーにはハナから訊いてねんだっての。第一、てめーの言うことなんざ信じられるかよ」 「〜〜〜っあぁ畜生っっ、面倒臭せぇ。察しの悪りぃ野郎だな・・・!」 がたんっっっ。 苦々しい顔で舌打ちした土方さんが勢いよく立ち上がる。椅子が横に転がった。 と思ったら肩をぎゅっと抱かれて、びくっと背筋が跳ね上がって。かーっ、と一気に耳まで火照らせながら 隣のひとを見上げたら、 「おい万事屋、耳かっぽじってよーく聞きやがれ。この先後腐れがねえよう、ここで直々に引導渡してやる! いいか、こいつはなぁ。もうとっくに俺の――」 べちっっっ。 言いかけた土方さんの顔に、飛んできた何かがぶち当たる。そしてテーブルにぼとりと落ちる。 ――見ればそれは黒いお財布だった。旦那が強奪した、土方さんのお財布―― 「はいストーップ、はいはい終了ーーー」 「・・・・・・・あぁ?」 怪訝そうに土方さんが唸る。醒めた口調で歯止めを掛けた旦那は、 ――にやついていたさっきまでとは打って変わって、つまらなさそうな顔になっていた。 尖らせ気味な口が小さく溜め息をつく。頭の後ろで腕を組んで、伸びをするような格好で天井を見上げて。 「もぉ知ってるって、付き合ってんだろおたくら。とっくに聞いてたしな」 平然とそう言われて、あたしと土方さんは顔を見合わせた。 「・・・・・・・・・・えっ。聞いてたって・・・えぇっ!?」 「聞いてた聞いてたー。だからまぁ、腹いせにそこの仏頂面からかってやるかと思ってよー」 「・・・?そんなはずがあるか、うちは局員全員口止めしてんだぞ。おい、誰に聞いた」 「誰って、てめーんとこの坊ちゃんだけど。時々ひょっこりウチに顔出すからよー、あいつ」 お前ら知らなかったのかよ、って顔でけろっと旦那が言うから、言われたこっちはびっくりだ。 土方さんなんて目の色を変えて、おしぼりをテーブルに投げつけて怒りを発散してるし。 「〜〜〜っのクソガキ、すっかり飼い馴らされやがって・・・!」 「いやいや飼ってねーし、飼う気もねーし。誰が飼うかっての、あんな腹黒いドS小僧。 まーな、あのガキの言うことだし半分本気にしてなかったけどよー。私服で並んで歩いてんだもんなぁ。 ・・・そりゃー誰でも一目瞭然だわ」 瞼が半分落ちた旦那の目が嫌そうに土方さんを見て、それからふいっとこっちを向く。 何か言われるかなぁと思って緊張しながら身構えていたら、ものすごーく醒めた目つきで、 はっ、と冷たく失笑されてしまった。 「だ。旦那ぁ・・・・・。ごめんなさい」 「んだよ、何で謝んの。・・・まぁ神楽の奴ぁ、ニコ中に奪られたってヘソ曲げてたけどよー。 俺ぁ別に怒っちゃいねーよ。どーせいつかはこんな日が来るだろーと思ってたしよー。 ただ、隠しとくなんて水臭せーよなぁと思ってるだけで」 「・・・・・・・・・・・・・・・・そ、そう、ですよね。・・・ごめんなさい」 ・・・そ、そうだよね。旦那や神楽ちゃんとはこの前も偶然会ったんだけど、その時は 土方さんとのことは話せなかった。あたしには別に隠してるつもりはなかったけど、 ・・・・・・・・・・・本人じゃなくて総悟の口から聞かされたんだもん。旦那にしてみればいい気はしないよね。 だから旦那に、ちょっと距離を置かれたような、こういう態度を取られても仕方ないかなぁって思う。 そう思っていても湧いてくるさみしさと申し訳なさに、肩を小さく竦ませてしゅんとしてたら、 ――どうしたんだろう。旦那の表情がふっと崩れた。 ちょっと困っているみたいに眉が歪んで、それから、今までに見たことがないような優しい笑いに口許が緩んで。 ゆっくとり口を開いて―― 「」 「は、はいっ」 「今、幸せか」 ――そう尋ねられたら、胸の中があったかい気持ちで満たされて。目の奥が熱くなってくる。ぶわっと涙が出そうになった。 すごく・・・・・・すごく嬉しかった。泣きそうなくらい嬉しかった。 そういえば、土方さんと付き合ってることを屯所のみんな以外の人に認めてもらったのも初めてだし、 誰かにこんなことを訊かれたのも初めてだ。 ああ、・・・そっか。 あたし、本当に土方さんの彼女になれたんだ。 このひととお付き合いしてます、って言ってもいいんだ。 土方さんが掴んだままの、自分の肩を見下ろす。 あたしを護るようにしてしっかりと支えてくれてる、大きな手を見下ろす。 ・・・そうだ。そうだよ。あたし、もう一人じゃない。一人じゃないんだ。 くすぐったくてあったかくて嬉しくて、けれど泣きたくなるような実感が、じわじわと身体中から湧き上がってくる。 土方さんをちらりと見上げてその表情を確かめてから、顔が見えなくなるくらい深くうつむく。 だけど旦那にしっかり伝わるように、大きく、はっきり頷いた。 「・・・はい」 「んぁー。・・・そっか。よかったな」 白い着物の袖がすうっとこっちに伸びてきて、あたしは旦那に頭を撫でられた。 「――よかったな。」 旦那は声を小さく落として、言い聞かせるみたいに繰り返した。頭の上を大きな手が滑って、くしゃ、と 髪を掻き混ぜられた。指を潜らせて髪をくしゃくしゃにするその手つきは力強くて、 土方さんがあたしの頭をぐしゃぐしゃにして遊ぶときのあの感じにどことなく似てる。 そんなことを思い浮かべたせいで、ちょっと頬が赤くなってしまった。 でも、・・・・・・・不思議。どーしたんだろ。 旦那があたしに近づくと必ず怒り出す土方さんが、何も言わない。椅子に腰を下ろして腕組みして、 むっとした顔で黙りこくってる。ちょっとそっぽを向いてこっちの様子を目に入れないようにしてるっていうか、 意図的に無視してるみたい。思いきって理由を尋ねてみたら、土方さんは表情をすっと消してこう言った。 「これまでの借りをまとめて返しただけだ」 それ以上はうんともすんとも言わない。その言葉を耳にした旦那もなんだか意味深な笑みを浮かべるだけで、 あたしは余計に不思議になった。 「ははっ、の髪やーらけー。いー匂いすんなー。俺手ぇ洗わねーわ、今日」 「洗え、ここ出たら即刻洗え。何なら俺が頭から冷や水ぶっかけてやる。 つーかおい万事屋っ、いい加減にしろ!人が黙って見逃してやりゃあてめえっ、いつまで触ってやがんだ!?」 がちゃんっっ、・・・かちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃ。 旦那の前に列を成して並ぶ食器がまた鳴り始める。ほんのちょっと前まで苦い顔して黙ってた土方さんが 急に怒り出して、またテーブルを殴ったせいだ。 なのに旦那は土方さんのことなんてまるっきり無視して、傍を通りかかったお店の女の子に手を挙げて、 「おーいそこの姉ちゃん、追加な追加!みたらし十本と汁粉十杯とあんみつ三杯、特大和風パフェ三つな!」 「――はぁああ!!?」 「あーっ、いいなぁおかわり。あたしもクリームあんみつもう一杯食べたーい!」 「!!てめえまで乗るんじゃねえ!!」 「っだよケチくせー男だねぇ。あんみつの一杯や二杯でグダグダぬかしてんじゃねーよ」 「一杯どころの騒ぎかこれが!?」 旦那が注文した大量の甘味がびっしりと書き込まれた、長い長い伝票。 こめかみの青筋がブチ切れる寸前の土方さんがそれを引っ掴んで、ばっっ、と旦那に突き出したんだけど、 「大丈夫だって心配すんなや。ここに諭吉がたっぷり詰まったムカつく税金泥棒の財布があっから、な?」 旦那は土方さんとは対照的なすっとぼけた顔で、こともなげに言ってのけた。 げっ、と呻いた土方さんが目を見張る。あたしまで目が点になった。 ひょいと上げた旦那の手には、いつのまにか土方さんのお財布が戻ってる。 ぐぎぎぎぎぎ、と土方さんが壮絶に恐ろしい顔で歯ぎしりする。 持っていた伝票がびりーーーーーーっと、怒りに震える手で縦に真っ二つに破られて、 「てーことで、残りのコレ、急いで食っちまおーぜ。ああそーだ、次はどこ行く? 小金も入ったことだしよー、銀さん二人で甘味屋巡りがしてーんだけどォ」 「てっっっめええええ上等だぁあああ、表へ出ろォォォ!!」 「っちょっっ、土方さんんん!?ゃやややめてぇえっ、こんなとこで刀抜かないでええぇ!!」

「 LOVE & ROLL *2 」 text by riliri Caramelization 2012/11/23/ -----------------------------------------------------------------------------------       next