「――あぁ?宴会だぁ?」 開けた運転席の窓からやや身を乗り出し、壁が迫る車庫の後方を確認しながら車のハンドルを切り、 車内に座した土方は面倒そうに尋ね返した。場所は屯所内の車両倉庫。夕刻に向かったとある張り込み現場で 張り番の隊士たちとの打ち合わせを済ませ、つい先程戻ったばかりだ。 昼間は数人が常駐している車両整備士たちも勤務を終えた時間とあって、数十台の警察車両を納めた 天井の高い倉庫内はしんと静まり返っている。土方が操るパトカーの排気音だけが薄暗い中に響いていたが、 やがてその音もぴたりと止まった。八の字に眉を下げた情けない表情で彼の帰りを待ち構えていたは、 困りきった様子でひっきりなしにこくこくと頷く。エンジンを切って早々に煙草を取り出し、シートベルトを外すよりも 煙草に火を点けるほうを優先している男に、彼女はおずおずと訴えてきた。 「はい。急遽決まったんですけど・・・・・・お酒もおつまみも準備したから、 新年会も兼ねてみんなで祝おうって近藤さんが。・・・土方さんが戻ったら宴会場まで連れて来いって、近藤さんが」 「新年会か。そういやぁ年末の出入りだ何だで先延ばしになってたな。で、どこだ。客間か?もう先に始めてんのか」 そういえばパトカーを戻しに入った裏門からここまで、隊士たちの姿をほとんど見かけなかった。 てことは連中、さきにおっ始めてやがるのか。そんなことを思い巡らしながらシートベルトを外し、 醒めた目つきをフロントガラスに向けつつ煙を吐く。 するとがどこか浮ついた、そわそわと落ち着かない様子で寄ってきて、 「・・・ち。違うんですあの。新年会だけじゃなくてその。・・・し。新年会だけど。新年会だけじゃないっていうかぁ・・・」 「何だ、新年会じゃねえのか。何の祝いだ?」 「新年会です。基本はあくまで新年会です。で。でも。・・・・・それだけじゃないっていうかぁ、・・・違うんですよぅ〜〜。 もっ、もちろんあたしは遠慮したんですよ?お願いだからやめてくださいって、丁重にお断りしたんです! ・・・・・・・・・・だってそんなに派手に盛り上げられたら、土方さん、迷惑するに決まってるし・・・」 「・・・・・・・?」 運転席からを見上げ、土方は怪訝そうに眉を潜めた。両手の指先を擦り合わせながらもじもじと語る。 そんなばつが悪そうな仕草を続けっ放しな彼女の話し口は、えらく歯切れが悪かった。 「これでも真剣に頼んだんですよぅ・・・!あたしはみんなが思ってるような立場じゃないから、その横断幕は 見当違いもいいところです、降ろして下さいって。でも、何言っても聞いてもらえなくて。みんな変な目つきで にやにや笑って、「いいからいいから、照れなくていいから」って。ちっとも、全っっ然相手にしてくれないんですよぅぅ!」 「・・・・・・?よく判らねぇが、新年会に横断幕たぁ近藤さんも妙なとこに張り込んだもんだな。 まぁ、あの人の祭り好きは今に始まったことじゃねえが。――あぁ、。ちょっと来い、顔貸せ」 上着の内側へ手を突っ込んでごそごそと、そこへ忍ばせていたものの在り処を探りながら呼びかける。 言われた瞬間には「はい?」と反射的に訊き返してきただったが、その三秒後には驚いて目を剥き、 「っっ!」と絶句しながらずりずりと後ずさった。 『』 そう呼ぶのが当たり前だと言わんばかりな態度で土方に名前を呼ばれるようになってから、すでに数日。 これまでは上司としての態度を梃子でも崩そうとしなかった男の口から出てくるその響きは、彼女にとっては 他とは比べようもなく特別だった。他の人の口から出てくるそれとは明らかに違う。土方さんに呼ばれると それだけで胸が高鳴る。ぶっきらぼうな響きで耳に飛び込んでくる愛想のない声なのに、なぜかどきっとしてしまう。 は絶句したまま土方を見つめた。淡い色をした頬も耳も、隊服の衿元から覗く首筋も、 短いスカートからすらりと伸びた太腿も ――土方の目に映る限りの彼女の肌を、どこも真っ赤に染め上げて。 「逃げてどーすんだ逃げて。つーかおい、どうにかならねぇのか?その素っ頓狂な反応はよ。 ・・・ったく、俺が呼ぶたびにいちいち泡ぁ食ったよーな面しやがって」 いい加減に慣れろ。 そう言いながら咥えた煙草をもどかしそうに揺らす土方は、見るからにうんざりしきっている。 うぁうぁうぅ、と涙目で呻いたはさらに数歩引き下がった。隣の車のボンネットの影にこそこそっと隠れて。 「だって、だってぇぇぇ!土方さんがぁぁぁ。ひ、ひじかたさ、がぁあああ!」 「あぁ?俺のどこが悪りぃってんだ。せいぜいがバカパシリの呼び方を変えたってぇだけじゃねーか」 不満そうに言い返し、土方は細い煙を長々と口から漏らす。 窓の縁に乗せていた腕の指先が軽く曲がり、に向かって「いいから来い」と手招きしてくる。 は渋々にその命令に従い、車体の影からのろのろと身を起こした。窓を全開にした運転席から こちらを睨んでいる男の元へ、やや警戒気味でおっかなびっくりな様子で向かったのだが―― 「少し屈め。もっと頭ぁ下げろ」 「え。な、なんで・・・?」 「いいから屈め」 車内から差し伸べられてきた土方の手が、の目の前をふいと掠める。 かと思ったら首へ腕を回され、うなじのあたりで髪を掴まれ。ぐい、とやや乱暴に顔を引き寄せられた。 「んなっ、なにす、・・・・・・っ!」 車内に上半身を半分突っ込んだようなおかしな格好になってしまい、はあたふたと顔を振って抵抗した。 土方は黙って彼女を見上げてくる。あわてた女の仕草が滑稽だったのか、煙草を咥えているほうの口端が 引きつり気味な動きで笑っていた。その何気なくて毒気の抜けた表情にどきりとしてしまい、呼吸が触れ合い そうな近さに居る男の顔から目を離せなくなってしまう。 土方の指先が耳へ伸びてくる。ところどころに皮膚が固くなった熱い感触が、ゆっくりと髪を掻き分けながら 耳たぶへ触れる。耳に掛けていた髪を後ろへ流すように手櫛で梳かれて、の心臓はきゅうっと縮んだ。 「っっ。やぁ、く、くすぐった・・・・・・っ!」 「おい。目ぇ瞑れ」 「〜〜〜なっ、どっ、どーしてぇ・・・!?」 「聞くな。そのくれーのこたぁ気配で察しろ」 「!!?」 気配って何の気配!!? 口から飛び出そうになった疑問はどうにかごくりと飲み干した。とはいえこの手の状況に あまり免疫がないには、土方が言う「気配」とやらが具体的にどんなものなのかが解らない。 それをどこからどう読めばいいのかも解らないし、ましてやその「気配」とやらを自分がどう受け止めて どう応えればいいのかなんて、皆目見当もつかなかった。顔から火が出そうなくらい真っ赤になって 左右をきょろきょろ、落ち着きなく見渡しながらうろたえていると、今度はぺちぺちと頬を打たれた。 「ただでさえでけー目ぇまじまじと開けてんじゃねえ。見られるこっちがやりづれーだろーが」と、 何か理不尽さを感じずにはいられない、どう考えても横暴な理由で叱られる。それでもこの至近距離に ――目を逸らしようもない顔の近さに焦りに焦っていたは、訳もわからないままにこくこくと頷く。 言われたとおりにぎゅっときつく目を瞑れば、ふっ、と低く笑うなんとなく楽しげな声が耳に届いた。 「ぁんだその面。もしかして誘ってんのか」 「・・・ふぇえ?」 我慢出来ない、といった風に土方が吹き出し、ははっ、と短く笑った。 何で笑うんですか。そう尋ねようとして開きかけた唇に、土方の指が口止めするかのように重なってくる。 他の指よりもさらに確かな重みと感触。親指の感触だ。ふにっと唇を押され、驚いたは思わず肩を 竦め、唇をきゅっと噛みしめたのだが。 「やっぱ目ぇ開けろ。んな面ぁ差し出されたんじゃ目的がズレる」 「も。目的・・?」 「あぁ。まぁあれだ。・・・・・・・・・ここで持ち出すのも今さらだがな」 何か言い辛そうに口籠った土方の手が耳元で蠢く。かさ、と耳元で何かが鳴った。 軽くて乾いた何かが擦れ合ったような音だ。は眉を寄せて考え込み、閉じかけていた唇をふたたび緩めた。 ・・・何だろうこの音。どこかで聞いた覚えがある音だけど―― 「おーーーいぃぃ、ー、トシぃー!何やってんだぁ、あんまり遅せぇから迎えに来たぞー!」 「っっっっっひぁぁぁああああああ!!!」 「ふごほォっっっっっ!!!」 とそこへ、あっけらかんとして陽気な男の大声が割って入った。すでに酒が入った近藤が缶ビール片手に現れたのだ。 は誰もいないはずの車庫に飛び込んできた局長の姿に飛び上がらんばかりに驚き、裏返った声を張り上げる。 と同時に土方の頬を全力で引っ叩いた。頬を強襲した手加減無しのビンタで首を180度捻ってしまった土方が、 どどっ、と助手席に吹っ飛んだ。危うくムチ打ち症になりかけた彼はずきずきと激しく痛む首を押さえながら、 しかし無言でゆらりと起き上がる。ひいっ、とは真っ青になって震え上がった。こめかみや額にびしびしと、 幾つも青筋を貼り付けた凄まじい顔の男が無言で車内を出て、全身から怒気を発しながらこっちへ迫ってくるのだ。 恐怖に慄きがちがちと歯を鳴らし、涙目で平伏せんばかりに謝るの首を、ブチ切れた土方はやはり無言のままで がしっとホールド。ごめんなさいぃぃと泣きわめく彼女のおでこにぐりぐりと手加減無しで拳を捩じ込み、そのへんで 勘弁してやれよ、とあわてて止めに入った近藤の声も無視で振り切り。か弱い女に対してどーしてそこまで 容赦がないのか、と見た者が青ざめつつも呆れそうな大人気のない折檻を心ゆくまで繰り広げたのだった。

片恋方程式。 57

「ぅっっしゃぁああ、いくぞォォ!おいっおめーら、酒は行き渡ったかぁ?」 ひっく、ひっく、としゃくり上げながら、一升瓶を振り上げ立ち上がった永倉の声が部屋中に響く。 へらへらと上機嫌で笑う永倉の顔も、おぅ、と手にしたビール缶を持ち上げ答えた仲間の顔も、 酒のつまみとして用意されたスライストマトとほぼ変わらない赤さだった。時間も深夜へと 差し掛かって宴もたけなわ、夕刻からお祭り騒ぎが繰り広げられている広い客間は 詰めかけた隊士たちで埋め尽くされている。男たちが鮨詰め状態でがやがやと騒ぐ隙間には 空になった乾きものの袋が散乱、空になったビール缶や酒瓶も散乱、さらには酒で潰れて途中離脱した奴が ぐうぐうといびきをかいて寝転がる姿なんかも、そこら中にごろごろと散乱している始末だ。 完全に無法地帯と化した宴席の中心に立つ二番隊長に合わせ、めいめいに缶ビールや酒の入ったコップを 手にした男たちの腕が高々と上がる。今日何度目かもわからない陽気な乾杯の音頭が、部屋を突き抜けて 廊下まで轟き渡った。 「俺らの姐さん誕生を祝して、かんぱぁあ〜〜〜〜〜〜いィィィ!!!」 「かんぱぁぁああ〜〜〜〜〜〜〜いィィィィ!!!」 「ちっがーーーーうぅうううぅぅぅぅぅぅ!!!」 裏返った声を震わせ叫んだ女に、その場の全員の注目が集まる。酒席の主役として土方と共に上座に 据えられていたはよろよろっと立ち上がる。酒が入って赤みを帯びたあまり迫力のない顔ではあったが、 あらん限りの抗議の気持ちを籠めた目で周囲に訴えかけてみる。すると上座近くにいた五番隊長武田が 新入り隊士の背中を指先でつんつんとつつき、指示を出す。数多くの猛者を擁する真選組内においても 際立っていかつい、オールバックの筋肉質な男だ。しかし、そんな彼の力強くて骨太な指先には、 可愛らしいハート型モチーフをデコったマンゴーオレンジのネイルがつやつやとキュートに輝いている。 「ちょっとぉ新入り君たちぃ、気がきかないわねぇ何やってんのよ。姐さんのビールが空じゃないの、 今すぐお注ぎしてきなさい」 「うっす、武田隊長!」 「そうじゃなくてぇえええ!!」 「あら、日本酒がよかった?それとも焼酎?女の子にはチューハイのほうがいいかしら」 「そっちでもなくて!〜〜〜そういうことじゃなくて武田さんっ。こ、これっ、姐さん誕生って・・・!」 「やぁねえ何よ、嫌なの?いいでしょ別に嘘じゃないんだから。言葉どおりの事実じゃない」 がわななく指で頭上を指せば、武田はすっくと立ち上がる。 まるでモデルのキャットウォークのような、くねくねと腰を使った女らしい足取りでやって来ると、 天井から吊るされた大きな布―― 畳一畳ほどはある横断幕をぴしりと決めたポージングで指し示してみせる。 『 祝・姐さん誕生 』 四隅に大輪の薔薇を刺繍で描いた桃色の布の中央には、そんな文句がどどーんと盛大に書かれていた。 「あのね、あたし達はこの真選組始まって以来の歴史的快挙を心から喜んでるのよ。不特定多数の女を 渡り歩いてた薄情な副長についにステディと呼べる女が出来て、むさ苦しい屯所に我らが姐さんを迎え入れるって いう諦めかけてた夢が奇跡的に叶って、しかもそれが嬉しいことに仲間のちゃんだったんだもの。 これを祝わずして何を祝えっていうのよぉぉぉ」 もう一人の姐さん候補はどう見たって望み薄なんだもの。こんな時くらいはしゃいだっていーじゃない。 と控え目につぶやき、酒が回ってどろんとした目をちらりと近藤のほうへ向ける。 憐れんでいるのか呆れているのかよくわからない複雑そうな視線を注がれている局長は、 お約束通りすでに全裸だ。やいやいと囃し立てる酒が回った隊士たちに囲まれ、お盆で局部を隠しながらの 得意の裸踊りを披露していた。 「違いますっっ。盛り上がってるところに水を差すようで申し訳ないですけど、違いますっ。 みんな絶対何か思い違いしてますよっ。そんな、姐さんだなんて・・・あたしは、そんな・・・違うのにぃぃぃ!」 空のコップをぶんぶんと振り回して叫んでみたが、どの顔もけらけらと愉快そうに笑うだけ。 誰もの言い分など、真面目に請け合ってはくれなかった。 入隊してわずか数週の新入り隊士二人がどすどすと畳を踏み鳴らしながら、ビールを注ぎ足しに走ってくる。 どちらもよりも年上なはずの、見た目柔道部員のような巨体の男たちだ。左右からがちっと挟まれ、 「失礼しましたあァ、姐さんんんん!!」と体育会系特有の絶対服従なノリでお酌された。 壁に挟まれたような圧迫感に気圧されて身体を小さく縮めたは、コップに盛り上がっていく白い泡を 唖然とした目で見つめる。とその時、くっ、と押し殺したような笑い声が隣で鳴った。 の左隣に座した土方は隊士たちに囲まれ、杯になみなみと注がれた冷酒を一息に飲み干したところだった。 「土方さぁん。笑ってないでちゃんと説明してくださいよっ」 「はぁ?何を説明しろってんだ。まさかお前、こいつらに今までの経緯を洗いざらいぶちまけろってえのか」 「ち、ちがっ!そういうアレじゃなくてぇええ!」 「じゃあ何のアレだ。つーかそんなに釈明してえんならお前が話せばいいじゃねえか」 「おおっ、いーねぇ!うぉーいぃおめーらぁっっっ、全員こっちに集まれ! ちゃんが副長との慣れ染めから決定的瞬間まで洗いざらい打ち明けてくれるってよー!!」 土方の言葉を耳聡く聞きつけた永倉が一升瓶を振り回し、宴席の中央から大声で煽る。 うおぉぉっ、と野太い男どもの歓声が上がり、待ってましたぁ、と目を輝かせた奴らの野次が飛ぶ。 「そんなこと話せませんんんっっっ」と真っ赤になって困り果てたがおろおろと立ち上がり、 「違いますっっ、違いますからっっ」と両手をブンブン振って全否定。素直なだけに何でも真に受けやすい彼女の 必死な姿を面白がってか、隊士たちはより可笑しそうに腹を捩ってゲラゲラと笑い声を渦巻かせた。 「・・・・・・・だって。姐さんって。・・・そんな。全然そんなかんじじゃないのに。 あたしと土方さんは、・・・な。なんとなくっていうか。単になりゆきで、そうなっちゃっただけ、っていうか、・・・・・・・・」 は眉を曇らせたしょぼんとした顔で座り直した。黄金色のビールが注がれたコップに、 ほんのちょっとだけ口をつける。普段なら喜び勇んで味わうはずの大好きな酒の味は、今日はやけに苦く思えた。 「・・・っ。だ、だから、あの。・・・・・・・・・・・・・・っっ、と、とにかくこんなに盛大に、 姐さんなんて呼ばれたり、横断幕作ってもらったり、晴れ晴れしく祝ってもらうほどのことじゃないしっっ。 違います。ぜんぜん違いますよぉ。・・・みんなが思ってるようなこととは違うんですってばぁぁぁ」 「違わない違わない。だめよちゃん、おめでたいことはもっと積極的に喜ばなきゃ。 ていうか何よあんた、そんなにこの横断幕が気に入らないの?あたしの力作に何か文句でもあるっていうの!?」 二晩夜なべして完璧な刺繍を施したのよっっっ。 薔薇の刺繍といい字の書体といい妙にロココ調な横断幕の端を握り、武田はくねくねと妖艶に腰を捻って嘆いている。 そのあやしい腰使いを遠目に目撃してしまった隊士たちは全員が全員、揃って畳に突っ伏した。うぷううぅっ、と口を 押さえて背中を丸めて悶絶、急激に湧き上がってきた嘔吐感を必死にこらえているのだった。困った顔で武田を 眺めていたは、冷酒を啜っている土方にちらちらと助けを求めるような視線を送る。しかし土方は の気配に気付かない。彼に祝杯の一献を傾けに寄ってきた山崎と、何やら難しげな顔で話し込んでいる最中だ。 「・・・・・・・・・・だから違うんです、そうじゃなくて・・・。あの。嫌だとか気に入らないとか、 そんなんじゃなくて。みんながこうして集まって、お祝いしてくれる気持ちはすごく嬉しいんです。 武田さんの横断幕に文句があるとか、そういうことでもないんです。でも、あたし。・・・・・・」 「煮え切らないわねぇ、何よ。何の文句があるっていうのよ」 「文句なら腐るほどありやすぜ〜〜。あるも何も、大ありでェ」 そこへ近づいてきたのはふらふらと覚束ない千鳥足の男だ。 よろけながら近づいてきた沖田はすっかり出来あがっていて、酔いの回った赤い目で武田とをぼうっと見つめる。 右手には酒がたぷたぷと波打つコップ。そして左手には、・・・物騒なことにバズーカ砲をずりずりと引きずっていた。 ひぃっく、うぃっっっく、と絶えず肩を揺らしながら、担いだバズーカの先端をすっと横断幕に合わせると、 「・・・やだ。ちょっと。沖田隊長!?どこ狙ってんのよちょっとぉぉ!!」 「そっっ、総悟ぉぉ?ちょ、待って、な、」 何する気!?とが止めに入る前に、エネルギー充填が終わった砲身が唸る。 飛び出した砲弾は武田特製の横断幕を軽く突破、鴨居と天井にずどぉぉおぉんっと命中。 鮨詰めの酔っ払いたちで賑わう客間を混乱に陥れ、きな臭い煙を充満させ、耳が痺れる轟音に震わせた。 「局長っっ。しっかりして下さい局長ォォっっ」と、落ちた天井板の下敷きになって気絶した素っ裸の近藤を 懸命に呼ぶ奴。煙にゲホゲホと咳込む奴。襖や障子戸を開けて濁った空気を換気するためにあわてて走る奴。 宴会場は今までとは違う意味で騒然としていたが、そんな中、落下した重たい横断幕と鴨居の残骸を ガラガラと掻き分け、落下物から庇った女を腕に抱えた土方が顔面を硬直させた怖ろしい形相で飛び出してきた。 沖田の胸ぐらをわしっと掴み、噛みつかんばかりの剣幕で、 「総悟ォォォてっめえええええ、殺す気かぁあああ!」 「・・・ひぃぃっく、あれっ。っかしーなぁ、何を怒ってるんです土方さぁん。別に死にかけたくれーでそこまで怒る こたぁねーでしょう。あんたのうっぜー思いが成就したんだ、ここは何があっても機嫌よく笑顔でいきやしょーぜ」 「いけるかぁああああ!!!」 ふらふらと頭を揺らしていつになく無邪気に笑っていた沖田の肩から、ごとん、とバズーカが滑り落ちる。 一杯お注ぎしやーす、と手にしたコップ酒を高々と上げた。ばしゃーーっと一気に、怒りでわなわなと震えている 土方の頭に浴びせかける。真っ黒な髪の毛先からぽたぽたと雫を垂らしている男をとぼけた笑みでにやりと眺め、 沖田はやや眠たそうに細めた目元をごしごしと擦った。ふらついた蜂蜜色の頭はぐらーっと前に傾いて、 ぼすっ、と土方の肩に着地して。 「ん〜〜・・・?ぁんでェこりゃあ。ヤニくせーしマヨくせーし酒くせーし、最悪な寝床だぜ」 「おいィィィ!まさかタマ奪ろうとした奴の肩で寝ようってんじゃねえだろな・・・!?ったく、 一体どーいう神経してんだてめえは!油断してっとマジで殺すぞっっっのクソガキがぁああああああああああ」 「ぅいっく。・・・・・・・・・大丈夫ですぜー。安心してくだせェ、姫ィさん。今日はちっとばかし調子が悪りーが、 明日っからは。・・・・・俺が。・・・・・・・あんたを。姐さんなんて。・・・・・・呼ばせ・・・・ゃ・・・しね・・・、」 「いい、お前はいい!こいつのこたぁ俺に任せろ、てめーは金輪際何もするな! ・・・・・・・・・・・・・・・・っっておい。どこにしがみついてんだコラ。総悟ぉぉてめっっ、何やってんだあぁぁ!!」 土方に凭れかかって目を閉じた酔っ払いの膝が、力を失くしてかくんと折れる。 蜂蜜色をした小さめな頭は土方の隊服に額を擦りつけ、ずりずりと下がっていった。ところが沖田が 畳に落ちていく途中で、泥酔しているはずの彼の腕がなぜかひらりと素早く動く。土方が腕に抱えていた女に がしっと抱きつき、その身体を土方の腕の中からするりと綺麗に掻っ攫った。 「総悟ぉぉおおおおおおおお!!」 部屋中を揺るがす二度目の怒声が宴会場を突き抜けた。が横断幕に潰されてぐったりしているのを いいことに、沖田は彼女をまるで抱き枕のような扱いでむぎゅっと力強く抱きしめる。うっすらと笑みを浮かべた ふてぶてしい寝顔を、よりにもよっての胸にむぎゅっと埋める。「うぁー・・・やーらけえぇ・・・」などと 満足げにつぶやくと、あっというまにすぅすぅと気持ちよさそうな寝息をこぼし始めた。そんな沖田を間近で目にして 怒り心頭、背中からごおっと火を出しそうなくらいの怒気を噴出させた土方がすかさずバズーカを引っ掴み、 沖田の頭に突きつける。ぎょっとした隊士たちが焦って駆けつけ、どうにかその場に割って入ったが、 ――普段からして喧嘩っ早くて何かとキレやすい鬼の副長の激怒は、そうは簡単に収まらない。 爆煙漂う広い客間には「どさくさに紛れてどこに顔埋めてやがんだっっ頭ブチ抜くぞっっっの野郎ぉぉぉ!」などと 悔しげに怒鳴る男の声が突き抜け、何度か爆音が弾け飛び。土方が暴発させた砲弾の穴が、さらに三つほど空いたのだった。

「 片恋方程式。57 」 text by riliri Caramelization 2012/07/19/ -----------------------------------------------------------------------------------       next