片恋方程式。

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拝啓 天国にいる、顔も覚えていないお父さん、お母さん。 は今、江戸で一番お父さんたちに近そうな場所にいます。 二人ともびっくりするかもしれませんね。天上人と呼ばれる方々の住まわれる楼閣、江戸城にいるんです。 どーしてこんな場違いなところにあたしがいるのか。そこは長くなるから省略しますが、 将軍さまの妹姫さま、そよ姫さまの専従SPとなるべく、は日々お城で警護の研修を積んでいます。 厳しい訓練続きで大変だけれど、とっても充実した毎日です。元気に楽しく頑張っています。だから心配しないでね! ・・・なんてかんじで、笑顔で報告出来たらよかったんだけど。 天国のお父さん、お母さん。 実はは、あまり元気じゃありません。ここでお世話になっている方たちには悪いけど、あまり楽しくもありません。 「はぁああぁあああああぁぁ〜〜・・・・・、いったいどうしたらいいんですかぁぁ、お父さんんんん!!」 「・・・さん?急にどうなさったんですか」 このお茶室で茶の湯の先生役を務めてくださっている方が、お抹茶を点てる手を止めて こっちにくるりと振り向かれました。つやつやな黒髪をさらさらと傾けて、とても不思議そうな お顔をなさっておいでです。 ご紹介します、お父さんお母さん。 このぱっちりした目とふんわりほっぺが可愛らしい方がそよ姫さま。当代将軍、茂茂様の末の妹姫さまです。 そしてここは、隅から隅までぴっかぴかに磨かれた姫さま専用のお茶室。中央に置いてある古そうな茶釜は有形文化財。 手にしている黒のお茶碗はなんと国宝級の逸品だそうで、貧乏症のあたしは持ってるだけで手がガクブル震えます。 首を傾げられたそよ姫さまの視線が、立派なお茶室の中を一回りします。おっとりした仕草でこちらを向いて、 あたしを見つめてきょとんと目を見開かれました。 「ところでさん。いったいどこにお父様が・・・?」 「い、いえっ、何でもないんです、申し訳ありません姫さま!どうぞお気になさらないでくださいっっ。 これはあの、ちょっと、取り乱したときの悪い癖っていうか、急に天国の父と母に近況報告したくなったっていうか、・・・」 「まあ、そうなんですか。さんのお父様お母様も、天国にいらっしゃるんですね」 私と同じですね。 そう言って姫さまは清らかに微笑まれました。 林檎のような紅地に色とりどりの牡丹を散らした羽織を纏ったお姿から、今にも後光が差しそうです。 お父さんお母さん、天使です。天使が目の前で微笑んでいます。 お二人の住んでいる所にも可愛い天使がいるかもしれませんが、江戸城にも愛くるしい天使が住んでます・・・! 「でも授業中によそ見はいけません。他の候補生さんたちに早く追いついて、遅れを取り戻さなくては いけませんもの。さあ、次はさんに点ててもらいますから、私の手許をよく見ておいて下さいね」 「は、はいっ、すみませんっっ」 あわてて大きく頭を下げて謝ると、そよ姫さまは楽しそうなお顔で、くすくすと笑われました。 すべすべした真っ白な手が、内側に瑠璃色に光る模様が入った黒のお茶碗に添えられます。 茶筅をしゅしゅしゅと手際よく動かしているうちに、たちまちに濃緑のお抹茶が 美味しそうに泡立っていきます。 ちなみにお母さん、あたしがさっき点てたお茶が、今、手許にありますが ――なんでしょうこれは。どろっどろのヘドロ色。はっきりいってグロいです。しかも、いったいこの 小さなお茶碗の中でどんな未知の化学反応が起こっているのか、・・・・・真ん中あたりがプスプス煮立って焦げてるんです。 とても姫さまと同じ超高級お抹茶を使ってるとは思えません。ある意味脅威の出来上がりです。 ・・・・・・・・・・情けないですお母さん。 ここに来て半月ちょっとが経ちました。なのに来る日も来る日も、は一人で絶賛居残り特訓中なんです。 目の前で優雅なお手前を披露して下さってる方は、あたしよりもずーっと、ずーーーーーっと年下の女の子。 万事屋の神楽ちゃんと同じくらいのお年頃のお姫様に、あなたの娘は茶の湯の作法を教わってるんです。 そう、ここまで見ていたら、もう大体の事情はおわかりですよね。「チンピラ警察」なんて有難くない 呼ばれ方をしている真選組ではそこそこ働けていたあなたの娘は、ここでは完全な落ちこぼれなんだってことが。 武道や体術の訓練なら、どうにかついていけています。ところが他の訓練となると、 まったく、全然、さっぱりついていけません。さまざまな技能が求められる姫さま専従SPにとっては、 お茶の点て方なんて基本中の基本。他にもお華、お習字、香道、一般教養に芸術的教養、家事全般、 ちょっとした楽器の嗜み、詩歌の嗜み、などなどなど。小さい頃から木刀振るしか能がなかったあたしには、 どれも馴染みがないことばかり。SPとして姫さまをお護りする以前に、そんなところでがっつりつまずいて 居残りを命じられちゃった候補生は、歴代の候補生の中であたしだけだそうで。 ・・・ちなみに他の候補生のみなさんは、とっくに次の講義を受けに城内の修練場へ向かっています。 あたしみたいな素人の目にも見事な手つきでお茶を点て終わったそよ姫さまが、茶筅を置いてこちらに振り向かれました。 すべすべな可愛らしい手の中で、すっ、すっ、と黒のお茶碗が回ります。 「それではおじさま、お召し上がりください」 「んぁー、俺はどっちかっつーと酒のほうがいいんだがよー。まぁ折角だからな、頂戴するわ、そよちゃん」 あ、そうだ。言い忘れてましたお父さん。 実はここに、そよ姫さまとあたし以外に、もう一人のお客さまがいるんですよ。 お父さんのお友達、松平のとっつあ、・・・じゃなくて、松平さまです。国宝級のお茶碗を豪快に掴んで、 ぐっと一息。まるでお抹茶を一服というよりは「駆けつけビール一杯」の勢いだけど、これはこれで、 かえって清々しい飲みっぷりに見えないこともありません。かすかに眉を上げて空のお茶碗を眺めた松平さまは、 「上達したなぁそよちゃん。なかなか結構なお点前じゃねーのォ」 と、ヤクザな口調で誉め称えました。 にっこり微笑まれたそよ姫さまは心から嬉しそうです。きっととっつあ、・・・じゃない、松平さまは、 将軍さまにとってだけじゃなく、そよ姫さまにとっても心を許せる友人なんだろうな。見ていて微笑ましい光景です。 まあ、この二人が並んでると、友達というよりマフィアの大ボスとその組織に誘拐されたご令嬢にしかみえませんけどね。 ねえ、どうですかお父さん、懐かしいでしょ?同じ道場の門人だったお母さんにも、懐かしい顔じゃないのかな。 お父さんが知っている頃の松平さまはもう少し若かったでしょうから、この姿はちょっと見慣れないかもしれないけど、 サングラスに悪人顔のこのおじさんが、あたしの後見人を務めてくださってます。 ここの研修で落ち込みっぱなしのあたしを心配してくれてるみたいで、たまにこうしてお城に顔を出してくれるんです。 小さい頃もよくお菓子を持って道場に遊びに来てくれたけど、・・・顔に似合わず優しい方ですね、お父さんのお友達は。 「ではさんもどうぞ。わからないところは私がお教えしますから、頑張って上達しましょうね」 「はっっっ、はいぃぃ!が、がんばり、まふ、っっ」 緊張しすぎて噛んでしまったけれど、いよいよあたしのお点前披露です。 姫さまと松平さまの視線を一身に浴びながら、ごくりと固唾を呑みました。 ふくさを畳もうとして却ってグチャグチャにしたり、お湯を入れたお茶碗を落っことしそうになったり、 その他にも色々とぎくしゃくした手つきで準備を終えて、耳かきみたいな棒(茶杓と言うそうです)を手にします。 お抹茶の容れ物(棗と言うそうです)に震える手を添えます。 ええとまず初めに、このフタを開け、・・・・・・・・ってあれっ、何これ、きつくて開かな、 「!!」 「ふごォっっっ」 はぅぅぅ!手が滑りました!耳かきとフタがびゅーんと飛んでとっつあんの顔を直撃です! 焦ってぶつかった茶筅がコロコロコロコロ、手許から逃げて行く・・・!! 「す、すすすみませんんんん!あ、あたし、飛んだそそそっ粗相を!」 「まぁ、そんなに固くならないでください。・・・ふふっ、真選組に楽しい女隊士さんがいると 兄上にお聞きしていましたけど。本当に面白い方なんですね、さんて」 何かあるたびに表情がくるくる変わって、一緒にいると楽しいです。 口許を手で隠してくすくすとお笑いになったそよ姫さま、耐えきれない、といった顔で うつむかれました。ああ、まだ肩を揺らして笑っていらっしゃる。本当に楽しそう、いえ、可笑しそうです。 ・・・生前は江戸で指折りの美人剣士だった(と、お駒さんに誉めちぎられていた)お母さん。 徳川家のやんどころないご兄妹の目には、あなたの娘のの顔はどこまで面白く見えてるんでしょうか。 「さん。茶の湯のおもてなしの真髄は、心です。心が一番大事なんです」 笑いすぎて目元に浮かんだ涙を指で拭いながら、そよ姫さまはあたしを諭されました。 「不慣れなお点前でもいいんです。 お点前にさんのおもてなしの心がこもっていれば、必ず美味しいお薄が出来あがるはずですもの」 「お、おもてなし・・・ですか」 「ええ。さんが一番おもてなししたい方のことを思い浮かべて点てられたらどうですか?」 「あたしが、一番おもてなししたい人、・・・?」 「ええ、そうです。大事な方に飲んでいただきたいなぁって思いながら点てたお茶は、きっと美味しくなりますよ」 大事な人。 そう言われたら、・・・悔しいけど、すぐにあの仏頂面が思い浮かびました。お腹の中がムカムカしてきます。 土方のバカ土方のバカ土方のバカ土方のバカ土方のバカ土方のバカ土方のバカ土方のバカ。 でも、最悪にバカなのはあたしのほうです。 なにしろそのバカな上司に缶コーヒー投げつけて出て来た、ちっとも立場を弁えないバカな部下ですから。 それにしたってあれはないです。ありえないです。ひどいと思います。 だってあれ。あれはあの時と同じ反応なんです。当の土方さんは気付いてないかもしれないけど、 あたしはあのひとのあの反応に見覚えがあります。お風呂場でばったり遭遇した土方さんに裸を見られて、 パニくった挙句にとち狂ってほぼ告白したも同然になってしまったあの時。あの時のあれ。 あれとそっくり同じ状況なんです。 その後で土方さんは、急にあたしを避けるようになりました。あれとまったく同じ反応をされた結果、 あたしは自分勝手な上司に屯所を追い出されて、慣れないお城に通う破目になっているんです。 ・・・天国のお父さん、お母さん。 もしもお二人が雲の上からあたしを見守っていて、その時のことも知っているなら、ぜひぜひ教えてほしいです。 あたしも一応、これでもお嫁入り前の娘です。こんな怖ろしいことは考えたくはないけれど、 もしかして、あたしは、あの夜、酔った勢いで、土方さんの前で、 ・・・・・・・す、す、すスキップ、じゃない、す、すすっ酢昆布、いやそうじゃなくて、 ストリップ、 ・・・でもしでかしたんでしょーか。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「ふぎゃあああああああああぁぁああああああああァァァァァ!!」 「さん!?ど、どうしたんですかっ」 「あー、そよちゃん、いーのいーの、放っといてやってくれや。こいつなー、突然こうなっちまうんだわ。 ガキの頃からこうだから白石の奴も口酸っぱく注意してたんだがよー。ま、今から治そうたって治んねーだろうしよー」 ありえない想像で全身が火を吹きました。べしっ。国宝級のお茶碗を投げつけます。 ゴロゴロゴロゴロ。茶室の高級畳の上をのたうち回ります。 しばらくしてからあたしはやっと正気に返りました。あたしの奇行を本気で心配してくださる優しい姫さまに 土下座せんばかりに謝って、顔を赤くしながらそそくさと、乱れた髪や身なりを整えます。 茶釜に向き合って姿勢を正します。 じゃあ早速。おもてなしの心を思いっきりこめて、お湯を注いで茶筅を握って、 「土方のバカ土方のバカ土方のバカ土方のバカ土方のバカ土方のバカ土方のバカ土方のバカあぁぁあああああ!!」 「・・・!?さん!?」 姫さまにうわずった声で呼ばれてはっとしました。手許を見下ろします。 ・・・・・あれっ。 「そっ、それは、なぜ、そんなことに・・・・・・・!」 お茶碗を囲んで、全員が愕然です。 なんということでしょう。匠の技を堪能するあの番組じゃないけれど、・・・なんということでしょう・・・! あたしの点てたお抹茶、どう見てもお抹茶には程遠いです。異界から来た謎の物体Xにしか見えません。 SF映画なんかで地球を侵略しに来たエイリアンが口から吐き出しそうな、ヘドロ色の何かが煮え滾ってます。 国宝級のお茶碗の中身が地獄の釜状態で、ガンガン煮え滾っているんです。 今も音がしています、グツグツグツグツグツグツ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ これはさすがに言葉がないです。あまりの事態に顔が青ざめてるのか、血の気がすーっと引いていくのが判ります。 天国のお父さんお母さん。なぜですか。 グラム数万円の超高級お抹茶がまさかこんなことになるなんて。いったいこれはどういうことなんでしょう。 フツーに茶の湯道の扉を叩いたつもりが、深淵なる神の領域の扉を開けてしまうなんて・・・!! 「〜〜〜〜っっ。そ、粗茶、ですが、っっ」 「お茶・・・?お茶なんですかこの匂い。すっぱい・・・!酢昆布より、じいやの脇より強烈にすっぱい・・・!」 「おーいィ、誰が飲むんだそいつはァ。つーか飲めんのかそれ。飲み物なのかそれェェ」 「そ、それは勿論、お客様に飲んでいただくために点てましたから、ここは当然松平さまに召しあがっていただきますよ!」 ぐぐっ。顔中をピクピク引きつらせて笑いながら、煙を噴いてる危険なお茶碗を怪訝そうな松平さまに押しつけます。 冗談じゃない、こんな危険物を将軍家の姫さまにお毒見させたら、首を刎ねられるどころか お家断絶に決まってるじゃん! 「ー?あのよー、オジさんまだまだ死ぬ気はねーんだけどぉ。 ジジイんなっても元気にキャバ通いしてーし、娘の嫁入りも孫の顔も見届けてーんだけどぉ」 「そんなぁ、大丈夫ですよこのくらいっっ。松平さまならこのくらい平気ですってば!これ一服どころか 百服飲んだって、あと三百年くらいは余裕で長生きしますってば!!さあさあここは男らしく一気に、ぐぐっと!」 二人でじたばたと見苦しく謎の液体を押しつけ合っていたら、松平さまの携帯が鳴りました。 鳴っているのはゴッドファーザーのテーマです。いつ聞いても耳が痛くなる、大音量の着信音。 てゆうか、これっていいんでしょうかお父さん。仮にも警察庁長官の着信設定が、マフィア映画のテーマ曲って。 お茶碗をあたしに押しつけ、松平さまはいそいそと電話に出ました。 明らかに「命拾いをして良かった」的な顔をしています。あの電話、お相手はどこかのお店のお姉さんかも。 今夜松平邸に帰ったら、さっそく奥さまと栗子さんにチクってあげましょう。 「・・・・。人に言われて止まる奴でもねぇからな。あれの頑固さはてめえが一番知ってんだろ」 「本人が行くっつってんだろ。行かせりゃいいじゃねーか。怪我がどうあれ死にゃあしねーよ」 「戦力が足りねーなら本庁から貸してやる。言ってみろ、幾つだ」 「・・・てっめぇこの、しつけーぞ、いい加減にしねえとオジさんキレんぞ?」 携帯の会話、なかなか終わりません。 お相手が何か松平さまを説得しようと粘っているみたいです。 「服部のボンクラ息子が一月っつったんだろ、あと半月あるじゃねえか! 今そっちに戻して何かあったらどーしてくれんだ、あぁ!?」 話しているうちに、松平さまの背中から、殺気と呼んでもいいくらいのピリピリした気配が出るように なりました。その背中をそよ姫さまがきょとんと見ていらっしゃいます。あたしも隣で目を丸くしました。 「服部の、ボンクラ息子・・・?」 「ええ、服部さんと仰ってましたね。さんのお知り合いですか?」 「はい。該当しそーな人に心当たりが・・・いえ、でも、服部さん違いかもしれません」 松平さまの広い交友関係には、全ちゃん以外にも「ボンクラ息子の服部さん」が存在するのかもしれないし。 ところで誰からの電話なんでしょうね、あれ。機嫌がどんどん悪くなっていくかんじからして、 綺麗なお姉さんからの同伴のお誘いじゃなさそうだけど。 不思議に思って見ていたら、ぽいっ、とあたしに携帯を投げてよこしました。 呆れきった顔で煙草を咥えると、お前が出ろ、と顎で携帯を指してきます。 ・・・こういう場所ってたしか全面的に禁煙のはずなんですけどね。 それにしても、いいのかなぁ、あたしが出ても。ていうかこれ、誰からの電話・・・? 『頼む、とっつあん!!!』 「・・・・・!!」 ひぃっ、とうめいて飛び上がりました。 携帯から放たれたのは、耳をつんざく豪快な大声です。 ああ、でも、・・・この声は知っています。あたしがよく知ってる人の声なんです。 『あと半月、俺の首でも何でも賭けて責任持つ。極力屯所は空けねぇようにするし、 お妙さんとこにだって通わねえ。いや、絶対に目を離さねぇ!だから頼むとっつあん、あいつを』 「こ。近藤さん・・・・・・?近藤さんですかぁ?」 『・・・・・・・・、か!』 どうしてなのかわからないけど、ほっとした様子であたしを呼んでくれました。 携帯を両手で握りしめました。じわあっと目の中が熱くなります。なんだか涙が出そうです。 「近藤さぁん・・・・・・」 たった半月会わなかっただけなのに。なのに、すごく、すごーく懐かしい声に聞こえたんです。 迷子になっていた子供がようやく家族の声を聞いて、それまでの緊張が一気に溶けて、 急に泣きたくなってしまった気分。そんな気分でした。だからあたしは、 ――だから。 すぐには判らなかったんです。お父さん。お母さん。 「〜〜っ。近藤さん、近藤さんだぁぁ・・・!!うわぁ〜〜、なんだかすっごく久しぶりな気がしますよぉっ。 あのっ、屯所のみんなは元気ですか?あ、でもっ、この前山崎くんがメールくれて、」 『あのな、。聞いてくれ』 「あっ、はい」 『・・・・・・・・・・・・・・が、 ・・・・・・・に・・・・・・・・・・・・・』 久しぶりに聞いた声にほっとして。胸が詰まって、泣きそうだったあたしは、 そのすぐ後に携帯が伝えてきた声が何を言っているのかも、 「聞いてくれ」と言った近藤さんの声に滲み出ている疲れの色が何を意味しているのかも、ちっとも判りませんでした。 「・・・・・・・・・・。え?」 『・・・、。聞こえてるか?』 「・・・・・・・・・・・・・、は。はい、・・・?」 掠れ声で曖昧な返事をしました。 聞きたくない言葉がぽつぽつと耳に飛び込んできている、・・・気がする。 そういうぼんやりした、急に回りの時間の流れが遅くなったようなかんじがして。 やたらと遠く聞こえる携帯からの声は、頭にひっかかって残っているのに、 それが――耳が捉えたその言葉が、どういう意味なのか判らなくなっていました。 もしかしたら、あたしの心がその言葉を聞くのを拒んでいたのかもしれません。 「総悟の姉さんが亡くなった。 昨日、・・・いや、今日の未明だ。こっちの病院で息を引き取って、・・・・・・・・・・・」 亡くなった。 その言葉の意味をやっと呑み込んだとき、だらりと下がった手から携帯が滑り落ちました。 指にも腕にも、背筋にも。どこにも力が入りませんでした。 身体の中が砂に変わって、さあっと崩れていくような。そんな感覚がしたんです。

「 片恋方程式。40 」 text by riliri Caramelization 2011/09/17/ -----------------------------------------------------------------------------------       next