ぱしゃ、ぱしゃ、ぱしゃ、と、何かを叩くような音がしていた。頭の上からだ。 「・・・傘持ってくればよかったぁ・・・」 資料整理の手を止めて、暗くてちょっと埃っぽいこの部屋の――屯所の離れにある倉庫の 壁を見上げた。天井沿いに並んだ明り採りの窓が濡れている。大きな雨粒に打たれていた。 『けさ未明に上陸した季節外れの大型台風23号は、勢力を強めながら北上を続けています。 深夜には江戸が暴風圏に入るおそれもありますので、夜にお出掛けされる方は充分ご注意くださいね――』 食堂でお昼ご飯を食べながら見た結野アナの天気予報ではそう言っていたけど、 この様子じゃ夕方には大雨になりそう。ガラスの向こうに見えるどんよりした曇り空は、すごい速さで流れてる。 早く切り上げて戻ろうっと。 独り言をつぶやきながら捜査資料を片付け始めたら、ファイルの一つがぱさっと落ちた。 床にしゃがんで拾い上げて、ふーっ、と吹いて埃を払う。 落ちたファイルは開いていたから、最初のページをなんとなく眺めた。事件は××××年、あたしが真選組に入る前の案件だ。 かなり大がかりな事件だったみたい。表紙からぱらぱらと捲っていくと、被疑者氏名の欄だけで、 ずらりと5ページにも及んでいた。表紙の右端にはこの案件に関わった隊士の名前が十名以上並んでる。 そこには知らない名前もあったり、よく知ってる人の名前もあったり、なんだけど―― その中から、一人の名前が目に飛び込んできた。 『沖田総悟』 ――名前を目にしただけなのに、自然と顔が曇ってくる。 あれから総悟はどことなく元気がない。 一緒にご飯を食べていても食が進まないのが気になるし、たまにぼうっと何かを考え込んでいるみたいだし、 顔色だって優れない。話しかければいつも通りにけろっとした様子だし、適当に任務をさぼっては どこかへ消えちゃういい加減さも相変わらずだ。「真面目にやれ」って言い聞かせる土方さんをからかっては、 さらに激怒させて面白がったりしているのも相変わらずだけど。 ・・・いつも通りなようでいて、どこか無理してるっていうか、空元気っていうか。 あれは元気がないのを悟られまいとして、意識して強がってるんじゃないのかな。 棚にファイルを詰め込む手を止めて、ガラスのむこうの鉛色の雨空を見上げる。はぁ、と溜め息をついた。 自分でもちょっと驚くくらいに重苦しい溜め息だった。 誰にも言うな、って総悟には口止めされた。 けど、やっぱり誰かに相談したほうがいいんじゃないのかな。 ・・・うん。そうだよね。戻ったら近藤さんか土方さんに話してみよう。 あたしがバラしたら総悟は怒るかもしれない。でも、 「このまま放ってなんておけないよ、・・・」 独り言をつぶやきながらファイルを戻していく。 考えながら手を動かしているうちに整理した資料はすべて棚に収まって、 土方さんに頼まれた過去の事件の容疑者ファイル数冊を抱えて出口へ向かう。 その途中で、真っ暗な部屋の隅にぽつんと置かれているものに気がついた。 「・・・?」 遠くから首を伸ばして覗き見たのは、蓋が半分開いた段ボール。 中には端を黒い紐で閉じた、紙の日焼け具合からしてかなりの年代物っぽい捜査資料が詰まってる。 前に来た時にはこんなもの無かったと思うんだけど。あれって何の資料だろ、ずいぶん古い資料だなぁ。 紙は黄色くなってるし、表紙なんて筆字の手書きだもん。 誰かが持ってきてあそこに置いて、仕舞い忘れたままになってるのかな。 …あれもついでに戻しておこう。 出口に向かっていた足を逸らして、暗い足元を気にしながら近づいていく。 埃で滑りやすくなってる古い床は、あたしが踏み込むごとにみしみしと大きく軋んでいた――

片恋方程式。 35

「・・・道理で部屋にいねえと思ったぜ」 傘を挿して向かった屯所の外れでは、木々の枝葉を激しく騒がせる強風が唸っていた。 江戸の街を覆った季節外れな大型台風。その風雨はこの庭にも容赦なく吹き荒れ、 傘があっても雨を防げるのはせいぜいが頭くらいのものだった。 本棟を出てここまでがほんの数分。その短い間に濡れた隊服の肩や背中が、ずっしりと冷えて身体に貼りついてくる。 ひでぇ嵐になりそうだ。 土方は傘の上に広がる、暗雲垂れ込める頭上を仰いで思った。 おどろおどろしい灰色の雲が蠢く夕空は真っ暗。台風の最接近も間近とあって 江戸中がまるで陽が暮れた後のような雰囲気だが、時間はまだ五時を回ってもいない。 ぱしぱしと雨粒に叩かれる傘から顔を出し、目の前の建物の屋根を見上げ、呆れきった顔で溜め息を吐く。 それから口許に視線を落とした。ここへ来る道すがら、風雨のおかげで湿って火が消えてしまった煙草を見つめ、 面白くなさそうに眉を寄せる。 濡れた吸いかけをぽいと地面に投げ捨てていると、一人の男が彼に気付いた。 「おぅ、トシじゃねーか。どうした、お前がここまで来るなんて珍しいなぁ」 「珍しいなじゃねーよ。ったく・・・・」 雨どいに滝のような雨水を流してくる屋根の上から、ひょい、と顔を出して見下ろしたのは フード付きの雨合羽を被った近藤だ。片手には金槌を、もう片手の指の間には釘を挟んでいる。 屋根瓦にしゃがんで修繕に精を出していた彼の傍には、同じく金槌を手にした数人の隊士たちが。 傘を挿して屋根を見上げる土方の周囲では、十人ほどの隊士たちが長い木材をせっせと運んでおり、 戸板の端が朽ちていそうな古い雨戸が強風で外れたりしないようにと、木材を打ちつけて補強している。 妙に楽しげな様子の近藤を見上げ、土方は肩を落とし、再度溜め息をこぼした。 「んなとこ上がって何やってんだ。もうじきここも暴風圏に入るってえのに」 「何ってお前、見ての通り屋根の補強さ。こーいうこたぁ俺が一番手慣れてるからなぁ」 「近藤さん。何度も言うようだがな、手慣れてようが何だろうがやめてくれ」 台風前のボロ屋の穴塞ぎ。んなこたぁ誰が見たって下っ端の仕事だ。 組織の頭がいそいそと出向いて片付けるような仕事じゃねえだろ。 頭の内では文句をつけながら、土方はげんなりした目で屋根上を見上げた。 近藤が昇っているのは、主に客人の宿泊用として使っている古びた建物。通称「離れ」とも呼ばれている。 本棟よりも二十年は昔に建てられたというこの離れ、たしかに他より老朽化が進んでいて 特にこんな台風の日の雨漏りは酷かった。 江戸に台風が近づくたびに、こうして手の空いている奴らが総出で雨戸を打ちつけたり、 屋根に上って穴開き箇所を塞いだり、――と、使用頻度が少ないわりになかなか手のかかる建物でもある。 「なぁ近藤さん。そこはほどほどにして降りてくれ。目ぇ通してほしいもんが溜まってんだよ」 遠くではどろどろと雷鳴が響き、雨音はいっそう煩くなってきた。土方は声を張り上げて呼びかけたのだが、 「いやーこういうのも懐かしいよなぁー。なあトシ、お前も懐かしいだろー?武州のボロ道場、 あそこも雨漏りが酷かったなぁ」 ざあざあと大雨に打たれる屋根上で大工仕事を楽しんでいる近藤には、土方の訴えが聞こえていないらしい。 カンカンと調子よく金槌を鳴らしながら、大声でほがらかに話しかけてきた。 「台風のたびにお前と屋根上がって、雨風の中を金槌鳴らしてたもんだよなぁー」 「いや鳴らしてたっつーか、あんたが俺に無理矢理付き合わせてただけじゃねーか」 土方は醒めきった目でぼそりと返したが、ここへ来た目的を思い出して顔つきを変えた。 「それはいいとして近藤さん。あんた見てねえか。 三時間前にここに行くって出てったっきり、ずっと戻って来ねえんだ」 「ところでトシ、お妙さんはどうしてるかなぁ」 「俺が知るかよ。つーかコラ、本当に聞こえてねーのか?」 わざとやってんじゃねーだろな。 屋根を睨んでむっとしている土方をよそに、近藤は雨合羽から手帳を取り出して ぱらぱらと捲った。何かを調べているようだ。 「心配だなぁ、今日の新八くんは大口の仕事が入っているとかで、帰りが深夜になるんだよなぁー。 しかしお妙さんはバイトが休みだし、今夜はあの大きな家で一人きりだ。きっと心細い思いをしているに違いない・・・!」 「ぁに言ってんだ、あの女が台風ごときにビビるタマかよ。 つーかあんたも人ん家のスケジュールを当たり前のよーに把握してんじゃねーよ」 「よーし、こうしちゃおれん!ここは手早く終わらせてお妙さんを護りに行かねば! 待っていてくださいお妙さんっっ、あなたの専属ナイト聖闘士イサオが今すぐ、っっほごォォォォっっっ!!」 愛する女性の危機を思って顔つきもきりっと引き締めた近藤だったが、意気込んで屋根に立ち上がった瞬間に 強風でどこからか飛ばされてきたバケツを顔面にモロに受けて撃沈。倒れた局長を囲んで屋根上が大騒ぎになる。 ゴロゴロと屋根を転がり、ガコンっっ、と地面に墜落してきたバケツをすっと避け、土方は頭痛をこらえているような 苦しげな顔つきで眉間を抑えた。 「・・・。おい、天気予報で言ってたんだが、さっき台風が江戸に上陸したそうだ。 川の増水だ何だで事故が出りゃあ、深夜に出動がかかるかもしれねえ。お前らもここは適当に切り上げて早めに戻れ」 へーい、と雨戸を打ちつけている隊士たちがそれぞれに答えてきて、 土方は黙って彼等に頷き返した。それから辺りを一回り見渡し、 「ところで、誰か見なかったか」 「さんですか?いやぁ、・・・おーい、お前ら、さんを見掛けたかぁ?」 土方に尋ねられた隊士が声を上げて呼びかける。しかし誰も見た覚えがないと言う。 吊り上がり気味な目元を軽く曇らせ、土方は離れの玄関へと向かった。 「ちょっと倉庫で資料を片付けてきます」と断って、あいつが副長室を出ていったのが三時間ほど前。 それ以来が副長室に戻ってこない。最初は「どうせそのへんで女中や調理場の姐さんども相手に油売ってんだろ」 などと思い、しばらく放っておいたのだが、刻々と時計の針が回っていくにつれてどうにも行方が気になり始め、 一度気になったらじっとしていられなくなった。念のためにとの部屋や食堂なども回ってみたし、 屯所中をあっちこっちと探してみた。それでもの姿はどこにも見つからないのだ。 携帯も鳴らしてみたのだが、・・・何度掛け直しても応答がない。 取り出した携帯をもう一度鳴らしながら、土方は、ちっ、と舌打ちした。 ――迂闊だった。服部からの忠告もあり、ここ二、三か月ほどは屯所内でもなるべくあいつから目を離さないようにしていた。 しかし、これまでに大した危険性を感じていなかったこともあり、いつのまにか俺の中にも 「屯所内なら多少は放っておいても平気だろう」という慢心が根を張っていたようだ。 靴を脱いで玄関に上がる。風雨のおかげで濡れた隊服をざっと払いながら、 土方は雨戸にガンガンと木材を打ちつけている最中の真っ暗な廊下を急いだ。 普段は人気のないこの離れは、縁側付きの細い廊下沿いに畳の間が数室並んでいる。 奥には小さめながらも資料倉庫があり、台所、浴室などの水回りも備わった平屋建ての家屋だ。 小さめな一戸建て相応の広さはあるし、本棟から離れているために静かで居心地もいいのだが、 いかんせん普請が古すぎるため、恒常的には使えない。この屯所を借りうけた当初には ここを副長室として使いたいとも思ったが、本格的に住むとなると手を入れるべきところが多すぎて断念したのだ。 ――しかし惜しい。 早くも隊服から煙草を取り出し、土方は思案に耽りながら歩いた。 手の掛かりそうなこの古さを含めて、前からこの家は気に入っていた。 ここならうちの祭り好きたちの馬鹿騒ぎに巻き込まれるこたぁ減るだろうし、思索を廻らすのに もってこいの静けさだ。それに、家ってえのは生き物で、放っておかれるよりは誰かが住んで 風通しを良くしてやったほうが保ちがいいとも聞く。 ・・・そのうち自費で水回りや屋根を直して、ゆくゆくは本棟を離れてここに移るか。 いや、とはいえこれを一人で使うには広すぎか。平屋とはいえ部屋数はそこそこあるわけだし。 「・・・この広さなら二人くれえが丁度じゃねえか・・・?」 抜き取った一本を仏頂面で咥え、ぼそりとつぶやく。 そう、ここなら二人は住める。俺ともう一人で、二人 ―― そんなことを思いながらライターで火を灯すうちに、思考の中にはふわりふわりと女の顔が浮かんできた。 の顔だ。 それに気づいてはっとする。足が止まった。同時に、隊服の内ポケットに入れていた携帯がブルブルと震え出した。 「・・・・・!」 土方は全身を急に固められてしまったような、不自然な体勢で立ち止まった。憮然としながら奥歯を噛みしめる。 (違う、あいつじゃねえ。はっとしたのは携帯が震え出したからだ!) ――などと、誰に向けてなのかが自分でも不明な言い訳を捻り出しつつ、慌て気味に携帯を確認した。 着信が入っている。電話は潜入捜査中の山崎からで、内容はいつもの定時連絡だったが 捜査の内容はの耳には入れられないものだ。やむなくそこで立ち止まり、土方は電話に専念することにした。 最初はただの定時連絡かと思われた山崎からの報告には意外な情報も含まれていて、 細かく聞き出しているうちに、五分、十分と時間が費やされていく。そんなわずかな間にも、 季節外れの大型台風は着々と江戸の上空へ侵攻していたらしい。話を終えて電話を切ったころには、 閉め切った雨戸の外では雷鳴が轟き、雨音は屋根を殴りつけているかのような荒い音へと変わっていた。 「――。おい、いねぇのか、」 離れへ入って十数分後。 湿気を避けるため半二階建てになっている倉庫へと階段を上り、土方は暗く湿った雰囲気の室内に声を掛けた。 しばらくその場で待ってみたが返事はない。はここにもいないようだ。 だとしたら一体どこにいるというのか。屯所はほぼくまなく探し歩いた。 職務時間中に黙って屯所を抜け出すようなこたぁしねえ奴だ。とすれば、他に考えられる可能性は―― 「・・・、あのバカ。まさか本当に、例の兄貴の一味に攫われたってぇのか・・・・・・・?」 最後の楽観が潰えた。 眉を顰めた土方が、どん、と拳で壁を突く。焦りの滲みはじめた視線を床に落とした。 落ち着け。まだ攫われたってぇ確証はどこにもねえ。 原因は今のところ未確定。だが、こいつがどう見ても異常事態だってこたぁ間違いなさそうだ。 ・・・どうする。後を考えるとあまり騒ぎ立てるのはまずいが、手を回すなら早いうちに限る。 本棟に戻って他の奴等にも探させるか。 そう決めて一旦踵を返しかけたのだが、ふと足を止めて倉庫に振り返った。 待て。あいつがもし本当に攫われたにしても、ここに何か手掛かりを残しているかもしれない。 戸口前の照明スイッチに手を伸ばしかける。とそこで、かすかな異変を耳が拾った。 「 ・・・・・・・けて、ぇええ〜〜〜〜・・・・・・・・・・・ 」 ・・・声だ。声がしやがる。 なんだあの死にかけたようなうめき声は。どう聞いても表で木材打ってる奴らじゃねえぞ? 屋根を叩く豪雨の音に混じって、倉庫内には啜り泣きながらの小さな声がもの悲しく響いていた。 それはひゅーひゅーと部屋の隙間を抜けていく風の音のようでもあり、 臨終間際のご老体が死に際に振り絞って出しそうな、枯れきった声ともとれた。とにかく薄気味の悪い声だ。 「・・・・・お、おい。・・・だっっっ、誰だ!?」 ぞくりと悪寒がこみあげて、土方の背筋を生温い汗がつーっと伝っていく。 すると背後で、ぴちゃん、と小さな水音が跳ねた。それは単なる雨漏りの音だったのだが、 「―――――――――― っっっ!!?」 おののき動揺していた彼には、この世のものではない何かが背後で蠢いた音にしか聞こえなかった。 ずざざぁーっと一気にそこから後退、あやうく倉庫入り口前の階段から落ちかける。 じたばたしつつもなんとか背後の壁を探り当て、力の抜けた足に喝を入れ、壁を支えにどうにか立ち上がって、 「は、ははは、ぁんだコラ、こここんな子供騙しに誰が、ひ、人をび、びびびびらせよーたって そーはいくかぁっっ、どどどーせあれだろ総悟が何か仕掛けて、で、ででっ出て来いゴルァァァァ!!!」 裏返りまくった声で彼は怒鳴った。震える手を刀に掛け、腰を落として構えながらの必死の虚勢である。 しかし返答は返ってこない。周囲に弱味を見せられない立場上、ひた隠しに隠してはいるが、 実はこの手の怖さに滅法弱い彼にとっては耐えがたいうすら寒さが、首筋をひやぁーっと撫でていった。 (そうだ、あと5秒経っても返事がなかったらマヨネーズ王国の入り口を探しに旅立とう!) 隊服の下は冷汗でびっしょり、クールな鬼の副長の体面もすっかり忘れて顔面蒼白の土方が 明らかに現実逃避な決意を固める寸前、ふたたび声が。 「・・・・そ、その声はぁ・・・ひじかたさん、ですかぁぁ・・・・・? た、たすけてぇぇえ。助けてええええぇ〜〜〜〜、土方さぁあんんんっ」 わずかに生気を取り戻したその声――女の声が、えぐっ、えぐっ、としゃくり上げ、涙ながらに訴えてくる。 それを耳にした土方が我に返り、ごくりと息を詰めて声の方向を見つめる。刀の柄に掛けていた手を緩めかけた時だ。 屯所のどこかに雷が直撃、地を裂かんばかりな雷鳴ががらがらびしゃーんっと落ちて倉庫を揺らした。天井近くに 配置された明り採り窓から真夏の太陽光のごとき強烈さで侵入してきた青白い光が、室内の暗さに隠されていた 不気味な光景を、かあっ、と鮮明に照らし出して。 ・・・・・・・・・ ――あまりの怖さに目すら逸らせず、全身を恐怖にわななかせながら土方は見た。 見たくもないのに見てしまった。 並ぶのは書棚だけの殺風景な部屋の片隅。雷光に照らされたその床の上。 そこで乱れた長い髪をだらりと顔に貼りつけ、えぐっ、えぐっ、と鼻を啜り上げながら泣きじゃくっている、 青ざめた女の生首を。 「うぁあああん、よ、よかったぁああ、土方さんが来てくれて・・・! ここね、床が腐ってたみたいで、ズボっと身体がはまって出られなくなっちゃったんですよぉぉ。助けてくださ」 「 ぅがああああああああああああァァァァ!!!!!! 」 「・・・?あのぉ、な、なんで刀抜くんですかぁ?そんな怖い顔、して、・・・・ってちょっ、ぇえええェェ!!?」 怖さのあまりにブチ切れて猛然と抜刀、だっと駆け出した土方は唖然としている生首女に斬りかかった。 一旦恐怖感が緩みかけてほっとしたところに、しかも本物の雷という、天然の音響とライティングを兼ねた 効果抜群の演出付きで見てしまったのだ。心霊なんとかだの怪奇現象だのにすこぶる弱いというのに その手の現象にやたらと縁がある彼が、普段のクールさをかなぐり捨てて乱心するのも無理はない。 こうなってしまった彼に、どうして多少なりとも平常心を残しておけなどと言えるものか。それはもう台風にも負けない 凶暴さと勢いで土方は躍りかかった。そんな彼のご乱心は、彼の太刀筋を間一髪でかわした生首女の正体が だと気づき、普段の冷静さとかっこつけたがりな性分をわずかなりとも取り戻すまで続いたのだった。

「 片恋方程式。35 」 text by riliri Caramelization 2011/08/02/ -----------------------------------------------------------------------------------       next