片恋方程式。 27
「・・・・・・一人で十数人、かぁ、・・・・・・・・・」 気が遠くなりかけているような、途方に暮れているような男の声が土方の後ろをついてくる。 階ごとに常駐する監守たちの前を通って専用のエレベーターに乗り、一階で降りた二人は病院の玄関口へ向かっていた。 先を歩く土方は、普段通りな急ぎ足。エレベーターを降りてすぐに視界に入った監守付きのガラス張り自動ドアを まっすぐに見据えている。その背後に附き従った山崎は、18階の廊下でもエレベーターでも終始無言だった 彼の反応が気にかかって仕方がない。前を歩く上司の様子をはらはらと、左右両側から落ち着きなく窺っていた。 「副長。今の話、局長にはどう報告するんです」 「どうも何も。そのまま話す以外にあるか」 「さすがに顔色変えるでしょうね。・・・道場の娘とはいえ素人だったさんが、一人で血の海作った、・・・だもんなぁ」 「いや。近藤さんはたいして驚きゃしねえだろ」 あいつへの態度も変えやしねえだろう。一度受け入れた奴のこたぁ捨て犬だって見放さねえ。 そういう人だ、あの人ぁ。・・・もっとも俺にしたって、そうして拾われたクチの一人だが。 病院の職員や見舞い客で混み合った総合案内所の前を足早にすり抜け、先を急ぎながら土方は思う。 山崎は何か思い悩むような顔で彼の横に並び、玄関口を通り過ぎながら尋ねた。 「副長はどうなんですか」 問いかけられた土方は、一瞬だけ隣を歩く男に視線を投げる。 警備に立つ警官の前を過ぎ、いかめしい護送車が並ぶ警察車両専用の駐車場へと向かった。 「別に。知ったからってどうもしやしねえが」 平然と答えると、なぜか山崎の足はぴたりと止まる。 背後でくつくつと笑う彼の声が耳に入って、土方も怪訝そうに立ち止まった。 「・・・?何がおかしい」 「ははっ、それだけですか。副長らしいや」 山崎はほっとしたような笑いを浮かべていた。軽くうつむき、へらっと顔を緩めている。 こいつ。てめえには関係のねえ話だってのに、自分が命拾いしたような面してやがる。 そんな彼の様子を眺めて、土方は薄い失笑に表情を和らげた。 「お前こそ驚いたんじゃねえのか」 「ええ、まあ。けど、薄々は勘付いてたっていうか。 さんの動きは、・・・最初の出入りで目にした時から、人を斬ることに慣れた奴のそれでしたからねぇ」 そう言った山崎の目は、駐車場で彼等を待つパトカーを見つめている。 監察らしい冷静さに立ち返った、どことなく抜け目のない表情を浮かべていた。 「うちへ来る以前の話をしたがらないのは、その手の引け目もあるんじゃないか。そのくらいには思ってましたから」 十数人も手に掛けちまった理由は気になりますけどね。 すれ違った警察関係者らしき男に聞こえないようにと、抑えた声でつぶやく。 「けどね、俺も副長と同じですよ。あの子の昔がどうだろうといいんです」 ちろりと意味ありげに土方を見上げた山崎は 何かおかしなことでも思い浮かべたのか、くすくすと苦笑混じりに続けた。 「俺たちが知ってるのは今のさんで、死神なんて呼ばれるような女の子じゃない。ちょっとおかしなところもあるけど、 男どもでも投げ出したくなる任務にも弱音一つ吐かずに、毎日笑顔を振りまいてくれるような子ですよ。 他の奴等だって、これを知ったらそう言うはずです。・・・それに、古傷があるのはどいつもお互いさまですしね」 そういうもんだって、さんが知ってくれたらいいんですけどねえ。 もどかしそうに言うと口を閉ざした。 煙草の箱から飛び出した一本を咥えながらその表情を目の端に確かめ、土方は足を速める。 彼等の姿に気付き、エンジンを暖め出した一台のパトカーを目指した。 人のことは言えないのはどいつもお互いさまだ。 肩書きが警察とはいえ、しょせん俺たち真選組は荒くれどもの寄せ集め。 さんに限らず、おおっぴらに出来ない古傷や咎を抱えた奴も多い。だから誰も自分の過去を引け目にしなくたっていい。 さんだって勿論そうだ。そうだってことに気付いてほしい。山崎の口ぶりは、そんな風に思っていそうに土方には聞こえた。 その足で黒鉄組に取って返した土方は、夕方まで現場の検分に明け暮れた。 屋敷の制圧こそ終わったが、明日以降もこの広い敷地内の捜索は続く。 明日は畳や天井裏までひっくり返し、時間と根気の要る厄介な大掃除を一日かけて行わなければならない。 朝早くから総員の半数をここに送り込み、屋敷中を片っ端から洗っていく手筈となっていた。 現場警備の引き継ぎや押収した密輸品の運搬も済ませ、ひとまずの撤収を終えてみれば 夕陽はすでに西の空へと沈んでいる。黒鉄組の屋敷を後にした土方は、後部座席に近藤とを乗せたパトカーを走らせていた。 車窓を流れる江戸の街は、とうに紫紺の夕闇に包まれている。 繁華街には鮮やかなネオンが星のように灯り、人が溢れ。薄暗い車内から目にするどの場所にも、 夜の喧騒と人工的な色味をした強い光が生き物のように蠢きはじめていた。 「?どうしたトシ。何か気になることでもあったか?」 「・・・いや。気になるっつーか。・・・別に気にしちゃあいねえんだがな」 「そーかぁ?お前、さっきからやけにこっち見てるじゃねえか」 気づいた近藤が不審さに首を捻るほど、土方はある仕草を繰り返していた。 何かを気にした様子で頭上のバックミラーを覗いては、言いたいことを喉の奥で噛み潰したような、 なんともいえない憮然とした表情になり。かといって何を言うわけでもなく目を逸らす。 座席から乗り出した近藤は不思議がり、バックミラーを覗き込んできた。 鏡越しの視線に土方は眉を顰め、煙草の煙と一緒にうんざり気味な溜め息を吐いた。 「いやまああれだ。確かに目について仕方ねえんだが、あんたじゃねえ」 「俺じゃねえ。ってこたぁ、・・・」 バックミラーから90度横につーっと動いた近藤の視線が、自分の隣に座る女隊士に固定される。 視線の方向からして、土方が気にしているのはの頭。つまりは彼女の髪型だ。 しかし当のは土方の冷たい視線をものともせずに、問題の髪型を触りながらけろりと言った。 「これですかぁ?」 「これですかぁ?じゃねえ。ぁんだそれァ、ふざけた頭しやがって」 男二人の視線を浴びているのは、車窓からの風に揺られ、の頭の天辺でそよぐ巨大なピンクの蝶々だ。 ふわふわと重ねて髪を結んだ薄手のハンカチは、蝶の姿を模した形に器用にまとめてある。 躍る蝶々を睨んだ土方は苦々しい顔で舌打ちした。 あれと似たようなもんには見覚えがある。そいつらは来月あたりに晴れ着を着て、集団で神社に詣でるのだ。 こいつと同じ年頃の女たちではない。付き添いの親に宛がわれた千歳飴を手にした、七五三祝いの幼女たちだが。 「だってここだけ短いから。結んでおかないと邪魔なんですよー」 「だからってそこまで浮かれた頭にする必要があんのか? つーかおい、鏡は見たのか鏡は。ツラといいナリといい、どこから見てもバカ丸出しになってんぞ」 むっとしたが隊服のスカートを膝元で握り締め、頬をぷーっと膨らませる。 「悪かったですねバカ丸出しな顔でっ。こういう結び方が江戸の女の子の間で流行ってるんですっ。 このほうがひらひらして可愛いわよって、武田さんがわざわざ結び直してくれたんですよぉ」 話題に上げられた名前に近藤はぷっと吹き出し、土方は頭痛にこめかみを抑えた。 五番隊隊長、武田観念斎。 頑健な体格で顔には眼鏡、髪型はびっちり固めたオールバック――という、 猛者を率いる真選組の隊長らしい風体を持つ彼。しかしその中身は見た目に反して女性的で、自称は「永遠の夢みる少女」。 見た目と中身のギャップの落差は屯所随一、普段から口調はおネエ言葉、イケメン好きを堂々カミングアウトする乙女な彼が と交代で買っている少女マンガ雑誌を二人ではしゃぎながら捲る姿は、屯所ではもはやおなじみの光景とされていた。 「元はと言えば土方さんじゃないですかぁ、あたしをバカ丸出しにする原因を作ったのは!」 「原因は原因だ。結果と混同してんじゃねえ。俺が作ったのは原因だけで、バカに見えるのはあくまでお前のせいだ」 「まあまあ二人とも、落ち着けって」 困ったような笑顔で近藤が割って入る。 「いいじゃねえか、こうやってが着飾ればムサ苦しい現場も少しは華やかになるってもんだ。 それにな、俺はなかなか可愛いと思うぞ!まあはどんな髪型でも可愛いがな!なっ、お前もそう思うだろ?トシっ」 などと精一杯の慣れないお世辞を早口に述べた彼は、運転席に詰め寄り土方の髪を引っ張ろうとしているを 土方から引き離す。その一方では「お前は前!前向けって!」とハンドル片手に振り向いて応戦しようとする 土方をあわてて押し戻した。 「なぁっ、今日は早めに終わったことだしよー、どうだ、今から飯でも食いに」 「あんたもあんただ近藤さん。何で注意しねーんだ?そーやって甘やかすからこいつがつけ上がんだ」 「い、いやほらトシ、前向けって前っっ、もーすぐ信号だぞ、危ねーって!」 「近藤さんからも言ってやってくださいよぉ!女の子の髪型にバカ丸出しとか言うなんて最低っ。だから土方さんって」 「い、いやまぁその、な、お互い言いてぇこたぁあるだろーがな?ここは一時休戦ってことにしようや。なっ? でねーとほら、・・・ってうぉおおお!ちょ、トシぃ!?前前前、前ぇぇぇ!!!!信号ォォォォ!!?」 「!ひぃゃああああああ!!」 信号が赤に変わった交差点をがあわてふためいて指し、目を剥いた近藤が絶叫する。 キ、キィ――――っっ。 土方が当てつけのような急ブレーキを踏み、交差点に突入する寸前でがくんと前のめりに車が停車。 後部座席の二人は前のシートの背面に顔からぼすんっと突っ込んだ。 両手で鼻を押さえたが涙目で運転席を睨みつけ、がばっとシートから跳ね起きる。 「らにするんれすかぁ!鼻潰れるじゃないれすかぁぁ!」 「うっせえなちゃんと停まってやっただろーが。それとも交差点に突っ込まれてーのかこの野郎」 怒りに顔を強張らせて不気味に笑ったが、皮肉気な目で赤信号を見つめる土方のスカーフをぐぃーっと引っ張る。 鬼と呼ばれる上司の首を締めようとする身の程知らずな直属部下と、その部下の膨れた頬をむぎゅっと掴んで凄む 大人気ない上司。見慣れた応酬が始まった中、近藤は打った額をさすりつつ二人の様子を呆れ気味に眺めていた。 遠慮なく言い合う二人を左右にきょろきょろと見比べて腕を組み、うーん、と考え込んで目を閉じる。 いや。俺だって先だっての柳生の失敗でわかってんだ。 こいつらのこたぁ、外野は口を出さねえに限るんだってな。 それァ解っているつもりだ。解っちゃいるんだがよー。・・・いったいどうなってんだ?この二人。 ここ半年、妙にぎくしゃくしていた二人の様子を気に掛けて影では何かと骨を折ってきた近藤だが、 最近はどうもわからなくなっていた。たしかにあの柳生との騒動後、以前のようなぎくしゃく感は消えた気がする。 とはいえ、柳生九兵衛に俺、さらには万事屋たちまで居たあの宴席でを浚っていったというのに あの日以来、トシとの間には何の変化も見られない。毎日間近で見ているというのに、それらしい気配は一切なし。 今だって痴話喧嘩どころか、まるで総悟とトシのいつものあれを見ている気分だ。 ・・・もしやすべてが俺の早とちりだったのでは。そう訝しみたくなるような、狐につままれた気分に何度させられたことか。 いや、実際に今もそんな気分になっているんだが。首を傾げて悩んでいた彼は、ふと車窓の外を眺めた。 青信号が点滅し始めた横断歩道は、帰宅時間とあって人通りも多い。そこを涼しげな微笑をたたえて渡っていく 一人の若い女性が目に入る。「恋は盲目」という特殊なフィルターを装着した彼の目には、 きらきらと眩しいステージ上のスポットライトくらいの強烈な後光を背負って見える女の姿が―― 「お妙さぁあああああんんんん!!!」 途端にドアを開けてロケット噴射の勢いで飛び出し、夜の街に吸い込まれてしまった近藤を、車に残った二人は追わなかった。 開いたままのドアを急激な頭痛に襲われているような顔つきで眺めて、揃って諦めの溜め息を吐きはしたが。 「ったく。またあの女かよ。・・・今夜は相談があるから屯所に居てくれっつったのに」 「相談って?何かあったんですか?」 「・・・。ああ。まあな」 トントン、と握ったハンドルを指先で叩きながら、土方は睨むように目を細める。思案顔で煙を吐いた。 なんとなく納得いかなさそうには首を傾げる。 信号が赤から青へと変わり、車はふたたび夜の街を滑り出した。 車窓に映る景色が人と灯りのひしめく賑やかな繁華街を抜け、見慣れた屯所の近所へと変わったあたりで、 土方はミラー越しに、後部座席に座る女をちらりと眺めた。は外の景色を眺めている。 少し疲れたようなぼうっとした表情を浮かべたその横顔には、風に流された髪がさらさらと靡いていた。 「・・・おい」 「はい?」 「飯、食ってくか」 ぼそっと投げかけられた問いかけに、がぴたりと動きを止めた。 きょとんとした目で、フロントガラスから視線を動かさない土方を見つめる。 唇がきゅっと結ばれ、頬をほんのりと色づかせた表情は、瞬く間にぱあっと明るくなった。 「・・・はい!」 満面の笑みで答えたは、嬉しくて仕方がないといった様子で運転席の背面に飛びついた。 「どこ行くんですか?またファミレスですか?またカツ丼?」 「悪りーかよ。嫌なら食うな」 「嫌だなんて言ってませんよー。犬の餌丼以外なら喜んで何でも食べますよー」 でもねあたし、カツ丼よりオムライスが食べたいんですけど。 彼の袖を軽く引きながら、は後ろから尋ねてくる。その声はやけにうきうきと弾んでいた。 バックミラーに映った頭の蝶々結びまで、楽しげにふわふわと揺れている。 ・・・これほど判りやすい女もねえな。 可笑しくなった土方はウインカーを指で弾き、車の流れる右車線を見るふりで目を逸らす。 白い煙が昇る口許には、微かな忍び笑いが浮かんでいた。 柳生九兵衛との騒ぎがあったあの日。あれからは変わった。 二人きりになると笑顔が増える。態度は以前よりも固さが抜けて、どことなく素直になった。 一緒に居られるのがすごく嬉しい。そう顔に書いてあるような、生き生きして楽しげな表情を目にする機会は日に日に増えた。 そんな表情をした女が傍で笑っている。 たったそれだけのことが心地良くて、眺めていると気分は不思議に安らいで。 そういう短い時間に感じる、慣れない嬉しさが癖になって。仕事を終えてからも二人で居る時間は、日に日に、自然と増えていた。 二人の間に生まれた、当人同士しか感じ取れないような微妙な変化。 別に何かが大きく変わったわけでもないのだし、部下と上司の関係性にも変化はないが、 こうして二人で過ごす時間の新鮮さを土方もも互いに楽しんでいた。 忙しい任務を終えた後や、土方の部屋に籠って行う書類整理を終えた後。空いた時間を見繕っては食事に出かけて、 他愛ない話をしながら時間を過ごす。ここ半年ほど遠ざかっていたお互いの存在が、徐々に、少しずつ近づいていく。 そんな変化をは素直に態度に出して喜び、土方は口にこそしないが内心では喜んでいた。 ただし、そういった姿は局内の仲間たちの前では晒したくない。 周りの奴等に知られるのはなんとなく気恥かしくもあるし、上司と直属の部下という立場を使った公私混同にも取られかねない。 主に土方のほうから生まれたそんな気分をもなんとなく察して、それはいつのまにか二人の間での共通認識になった。 皆の前では今までどおりに。 遠慮の無い小生意気な部下と、彼女を口煩く叱りつけている上司のままで。 おかげで局内の誰も――二人の間で何かと気を揉んできた近藤すらも、この微妙な変化には気づいていないのだった。
「 片恋方程式。27 」 text by riliri Caramelization 2011/03/06/ ----------------------------------------------------------------------------------- next