「・・・畜生っっ。畜生、畜生・・・・・・!!」 足元に散った硬く細かな冷たさもそのままに、箪笥から次の引き出しを根こそぎ引っ張り出した。 畳に放ったその中を無我夢中で掻き分け、同じ部屋に寝起きしていた奴らの有り金を集める。 その間にも数度、こめかみに冷汗を流しながら背後を振り向いた。 今のところ、この二階に誰かが上がってくる気配はない。 物置同然な埃臭い部屋の押入れに一人で隠れていた間に、階下の騒ぎは収まったらしい。 まだ見つかっていないのは俺だけか。いや、他の奴らがどうなろうと知ったこっちゃねえが。 ここに棲みついて半年。三度の飯を食える程度の世話にはなったが、心残りなど何もない。 ここにいるのは俺を能無しの流れ者と見下す奴等ばかり。 そんな奴等に恩義を感じる必要がどこにある、火事場泥棒くらいは御愛嬌だ。 物音に神経を傾けながら、胸の内で悪態を吐く。己の心臓の昂りまでもがいまいましかった。 ――畜生。結局ここにも居つけずじまいか。 「けっ、仕方がねえや。あの気違い野郎にゃ会いたかねえが、また瓜生の旦那に泣きつくか・・・っ」 そうするしかねえ。いざこざを起こして逃げたほとぼりは冷めていねえし、気は進まねえが。 慌てたために取り落とし、足元に散った小銭や札を慌てて掻き集め、懐と胴巻きに入るだけ詰め込んでいく。 金さえ持ち逃げ出来れば支度は万全、あとはどうにかこの二階の部屋から屋根を伝って這い降りて 秘密の裏口を目指すだけだ。ところが金を集める途中で、ふと目に入った眼下の景色に惹きつけられた。 見下ろしたのは窓の下。 木々に紅を灯し始めた秋の庭を駆けていく制服姿が二人。男が一人と、その後を追う女。 長い髪を靡かせて走る黒い制服の女だ。腰には細身の真剣を帯刀している。廃刀令の布かれたこの時世に 帯刀を許された奴等といえば、幕府の役人、もしくはそいつらにへつらう狗どもだけだ。 「・・・・・・・あの女、・・・・・・なんてこった。あの制服、・・・まさか、あいつ、・・・・・」 身に迫る危険も忘れて呆然と眺めたが、すぐさま我に返った。どたばたと煩い足音がこっちへ向かってくる。 窓を開けて飛び降りようとしたのだが―― ばんっっ。背後の襖戸が蹴倒された。その大きな音で、びくっ、と飛び上がるほど全身が震え、 詰め込んだ小銭が懐からバラバラと音を立てて落ちた。 窓枠を掴んだ腕からへなへなと力が抜ける。 振り向けば黒い制服姿の男が二人。襖を踏んで入ってきた小柄な男が叫んだ。 「真選組だ、神妙にしろ!」

片恋方程式。 25

「副長ーーーー!」 表玄関から延々と続く長い廊下に、焦り気味な呼び声が響き渡った。 周囲を見回しながら声を張り上げた山崎は、ふと気づいて手許の時計に目を落とす。 時刻は午前六時。 夜明けを待つ肌寒い薄明の中、正門を撃ち破っての一斉突入から二時間ほどが経っている。 真選組の急襲に震撼したこの邸内――黒鉄組江戸支部の混乱はほぼ収まり、 じきに到着するはずの本庁の鑑識部隊を待って実地検分へと移る頃合いだった。 指定暴力団、黒鉄組。 攘夷戦争が泥沼化しつつあった十数年前から、徐々にその名を上げてきた組織だ。 戦時中の混乱に乗じて成り上がり、傘下に抱えた中小の組事務所は東西合わせて百を越え、 本拠地を置く江戸以西では最も幅を利かせる、いわば裏社会の顔役である。 主だった資金源は宇宙での裏取引で調達しているとおぼしき火器・武器などの密輸品。 どれも格安で大量に流しているらしく、過激派攘夷浪士たちの中でも特に無益な血を好んで流したがる、 気勢の荒い一派との繋がりも厚い。これだけの勢力を誇示しながらも今までに大きな御咎めもなく 京の街や江戸市中に悠々と羽振りを利かせているあたり、幕府の暗部を牛耳る天人たちとの関係も濃いようだ。 今、山崎が歩いているのは、その巨大組織の江戸における本丸。部屋数がざっと数えても 数十はありそうな、豪壮な屋敷の中である。廊下沿いの窓から見える広大な庭には土蔵が立ち並び、 女中や小者が寝起きしているらしい離れだけでも、屯所の二棟ほどの広さがあった。 そんな屋敷の母屋となれば、初めて立ち入った者なら迷うほどに広い。 かれこれ十分は探し歩いているのだが、土方の姿はどこにも見当たらなかった。 廊下を進むうちにこの屋敷の女中らしき年配の女数人を連れた隊士たちと鉢合わせ、声を掛ける。 「お前ら副長を見なかったか?どこにもいねーんだけど」 「副長ならさっき出てったぞ。なんでも沖田さんを止めに行くと何とか、ちゃんと血相変えてすっ飛んでったぜ」 「ああ、沖田隊長なら土蔵だろ。火薬庫に籠城したバカがいてよー、どうも手こずってるらしいぞ」 ・・・火薬庫に沖田隊長か。そいつはまた厄介な取り合わせだ。 危険物に超危険物をぶち込んだよーなもんだよなぁ。 しれっとバズーカ構えた沖田さんと、沖田さんを羽交い締めにして怒鳴る副長の姿が目に見えるよ。 近寄りたくねーなぁ、と内心では肩を竦めながらも山崎は踵を返す。 母屋を出て霜の降りた庭に向かい、秋の早朝の冷気の中を突っ切り、土蔵へと駆けていく。 その間にも後ろ手に縄で繋がれた奴らを連れ、正門に停めた護送車へと向かう隊士たちと数回すれ違った。 彼らにしょっ引かれていくのは、街のチンピラ風情が抜けきらない若い衆と、この屋敷の使用人が殆どだ。 黒鉄組江戸支部を仕切る幹部たちの姿はここにはない。邸内に残っていたのは、真選組の突入に 慌て逃げまどう小者ばかり。土蔵に残された武器弾薬類はそれなりの量ではあったが、どれも闇市場では 二束三文に出回っている、よくある三流品ばかりだ。この様子では本邸を天井裏から軒下まで家探ししても たいした成果は期待できそうにない。つまり、事前にこちらの動きは察知されていて、証拠隠蔽のための根回しも あらかじめ成されていたということになる。急襲を掛けたはずのこちらがまんまと空振りを食わされた感は否めない。 とはいえ、今日の手入れでこの巨大組織の尻尾を掴めるなどとは誰も思っていなかった。 もしも運良く黒鉄組本体を検挙出来るほどの何かを得たとしても、叩けば叩くほど出るはずの埃の多さとその闇の深さを ほんの僅かに垣間見れるかどうかというところだろう。それでも黒鉄組傘下として数えられる、 いくつかの弱小組織を壊滅に追い込むには充分なはずだ。――そして、 ここ数カ月に渡り、山崎が目を離さずにいたあの男を投網に追い込む罠としては、これは充分すぎると言ってよかった。 しばらくの間泳がせてきたあの男。 用心深く狡猾とされるここの幹部連中にとっては、躊躇なく切り捨てていい、取るに足らない埃のはずだ。 「・・・あれだな、どう見ても」 立て籠もり中の火薬庫がどの蔵なのかは、見ただけで判った。 庭に並んだ蔵の列の、一番奥だ。その扉前を隊士たちがざわめきながら囲んでいる。 背後から呼びかけると数人が振り向いた。どの顔も引きつった笑いを浮かべていたり、山崎に肩を竦めてみせたり。 この態度からして、どうやら蔵の中の状況ははかばかしくなさそうだ。 「おい、籠城だって?どーなってんだよ中は」 「どうもこうもねーよ。下手すっと俺らもこの蔵も、屋敷ごと吹っ飛ぶかもしれねーぞ」 「俺に任せろっつって沖田さんが入ったきり、もう十五分経ったぜ。あの人がまともに説得なんかするわけねーしなぁ」 「あれぁまだガキだったな。下っ端の倉庫番らしい。 何をトチ狂ってんだか、腹に火炎瓶巻きつけて「近寄ったら火ィ点けるぞ」って喚いてんだけどよー。それ見た 沖田隊長がえらく面白がっちまってよー。・・・他の隊長相手ならともかく沖田隊長だぜ。運の悪りー奴だよなぁ」 海鼠塀で覆われた大きな蔵を見上げ、ははは、と山崎は力無く笑う。 閉ざされた分厚い土蔵の扉からは何も聞こえてこないが、中の様子は目に見えるようだ。 この中では今頃、沖田が自分とそう年の変わらない奴を笑顔でいびり倒してドSの本領を発揮しているか、 もしくは息せき切らして駆けつけた土方に「土方さーん、こいつ面倒くせーから撃っちまっていーですかィ」 などと言いながら、愛用しているバズーカをすっとぼけた態度で構えていることだろう。 「副長は?中にいるんだろ」 「ああ、さっきさんと――」 そこで音が鳴った。バズーカの砲弾が発射された鈍く重い音だ。蔵や庭の地面が地響きに揺れる。 はっとした全員が頭上を見上げる。土蔵の黒い屋根瓦が空に飛んでいた。 ようやく明るくなり始めた空に黒い欠片が吹き飛んでいる。突き破られた屋根からは黒煙が噴き上がり始めた。 「・・・!副長ォォ!沖田隊長っ!」 「おいっ、誰か局長呼んで来いっっ」 真っ先に扉に飛びついたのは山崎だった。続いて数人が重い蔵の扉を開けようと集まってくる。 ところが押しても引いてもそこは開かない。 まさか施錠されているのか、と顔を見合わせた奴らに緊張が走った時だった。 ドォォォォン、と爆破音が蔵を揺らし、扉のすぐ横の海鼠塀にびしっと縦の亀裂が走る。 続けざまにもう一発砲音が唸り、亀裂は横へと十字に広がり。驚きに固まった山崎たちの前で壁がガラガラと崩れる。 蔵の内側からガツガツと、男の足が土壁を蹴り壊したのだ。 人が通れる程度の穴を空けたそこをハードル走の要領で大慌てで飛び抜け、ゲホゲホと咳込んだ二人の人影が現れる。 壁を蹴り崩した土方と、真選組の隊服を女性用にアレンジした丈の短いワンピースを纏った女 ――副長附隊士のだ。 吸い込んでしまった爆煙にむせて苦しげながらも、全身に煤を被った二人の表情は鬼気迫るほどに切羽詰まっていた。 山崎をはじめとした扉前に固まった隊士たちが、唖然と二人を眺める。あっけにとられた彼等を見つけるやいなや、 鬼の副長はかあっと目を剥いて怒鳴った。 「撤退ィィ!全員退け、ここを離れろ!」 「へ?」 「逃げて!今すぐ逃げてくださいっ、立て籠もり犯がすっかり逆上しちゃってますっっ」 「総悟の説得が失敗した。しかもあのガキ、とんでもねえ倉庫番だ。火炎瓶どころか爆弾まで隠し持ってやがった!」 「ぇええ!?」 「ぅあぁあああああァァァァ!!!!」 そこへ雄叫びを上げながら手に持った何かを振り回す男が、土方たちの抜けてきた壁の大穴をさらに壊して出てきた。 「きっっ、来たぁあぁ!」とが怖れ戦いて叫び、どうしてなのか泣きそうな顔になりながらも構えを取る。 同じようにどうにも複雑そうな面持ちで刀を抜いた土方が構え、薄まっていく爆煙の向こうに立て籠もり犯は姿を現した。 泣いてる。なぜなのか彼は泣いていた。というより、うっく、うっく、と啜り上げ、身も世もないほどに泣きじゃくっていた。 片手にはどこから持ち出したのか長い鉄パイプ。もう片手に持っているのはなぜかゲームソフト、 しかも今主流となっているCD-ROMタイプではなく、昔懐かしいファミコンのカセットだ。 立て籠もり犯には相応しくないアイテムを目にして、土方と以外の全員が心の中で怪訝そうにツッコむ。 ――いや、なんでファミコン? 「うォおおおお!てめーら全員道連れにしてやるぅぅ!どーせ俺なんか、俺なんかぁああ!」 「おおっ、落ちついて!ここはまず一旦落ち着こう!話し合おうよ!」 「うるっせェェェ!!お前らに俺の辛さが判ってたまるかァァ!」 逆上しきった立て籠もり犯が、鉄パイプをべしっと地面に投げ捨てる。刀を構えたの顔には 焦りが浮かんでいるものの、じりじりと間を詰めつつ、姉が弟を宥めるような優しい声音で語りかけた。 「そんなことない、そんなことないよ!あたしも騙されやすいほうだから、君の話が他人事とは思えなかったもん! すごく判るよ、君は傷ついてるんだよね?周りの人に騙され続けて人間不信になってるんだよねっ?」 「ああそうだ、もう騙されるもんか・・・!どいつもこいつも俺を騙す奴ばっかりだ。ガキの頃からずっとこうだ! 必ず返すっていうから貸したのに借りパクってく奴ばっかじゃねーか!金もゲームも車も何も、全部!」 涙ながらに叫んだ立て籠もり犯が腰から出したライターを着火、煤で汚れた着物の前をがばあっと肌蹴る。 サラシを巻いた腹には二本の火炎瓶が差し込まれ、脇からは長い導火線の付いた爆弾らしきものが見えていた。 仕掛けは旧式だが筒状の火薬はざっと十本。あれがもし爆発したなら、おびただしい量の火薬が詰まった この土蔵はいったいどうなることか。目にした奴等は揃って表情を硬くし、固唾を呑んだ。 「それでも俺は頑張ったんだよォォ! ダチの保証人になって背負わされた借金返すために仕事探しまくってよぉ!でけー屋敷の倉庫番の仕事がある、 大丈夫、ヤバいこたぁ何もねーし金も弾むからって紹介されてよォ、張り切って働き始めたら二日目でコレだよ!」 「う、うんっ、君の人生の悲喜こもごもは判ったよ!で、でもね、とりあえずライター振り回すの やめてくれないかなぁ、ねっ!ええと何だっけ、さっき聞いたよね君の名前!そーだ、たっ、タカシくんだっけ!?」 「たけしだァァァァ!!!!」 怒鳴る男の手が大きく振り上がる。そこに握られたゲームカセット「スーパーモンキー大冒険」に 全員の視線が自然と集中、その左隅にはよく見れば、黒マジックで大きく「たけし」の文字が。 「見ろォこれををを!これは俺がガキの頃に友達に貸したっきり、十年も借りパクられてたゲームだ! それを回り回ってお前らおまわりの仲間が持ってやがった!冗談じゃねえ、お前らの言うことなんか誰が信じるかァァ!」 涙と鼻水混じりの悲哀たっぷりな独白を聞かされた隊士たちは、互いに顔を見合わせる。全員が全員、 なんとも言えない気分にかられていた。この男「たけし」の運の悪さを可哀そうに思う反面、どうも 親身になって同情してやる気がおきないのだ。名前まで書いてるのに一度も返ってきていない、ってなあたりには、同情の 余地があるのだが、・・・だからって普通、気づくだろ?ここがヤクザの組事務所だってよー。などと全員が心中で首を傾げる。 (それにしても、あれを借りパクってたのが俺たちの仲間って。・・・いったい誰だ?) つーっと冷汗を流し、引きつった顔で状況を伺っていた山崎は、ふと斜め前方を眺める。 そこに立つ土方が、片手に何かを引きずっていることに気がついた。 襟首をわしっと掴まれ、まるで荷物か何かのような扱いを受けているのは、誰かと思えば一番隊隊長の沖田総悟である。 飼い主に首根っこを摘み上げられたのを不服に思っている猫のような、この緊迫感溢れる場にそぐわない 呑気な顔をした男は飄々とほざいた。 「だから返してやったじゃねーかィ、おめーの「スーパーモンキー大冒険」はよー。 男なら過ぎたこたァ潔く水に流そーぜ、たけし君よー」 「あんたかァァ!!借りパクったのあんたかァァァ!!」 「違げーって、俺じゃねーし。あれァたしか拾ったんでェ、どっかの現場で」 「つーか沖田隊長、あんた何で現場でゲーム持ってんすか!?」 お前かお前かお前のせいか、と詰め寄る隊士たちによってたかって非難されても沖田はいたって涼しい顔だ。 自分をよそに騒ぐ奴らにしびれを切らしたのか、立て籠もり男がライターを振りかざして憤る。 「うォォおお!もうたくさんだ!全部終わらせてやる!お前らそーやって俺を油断させて捕まえよーとしてんだろ!?」 「たりめーだ。捕まえるに決まってんだろ。誰がイカれた爆弾魔を見逃すかってんだ」 「そこォ!余計な口を挟まないィィ!」 もはや真面目に説得する気も失せたのか、醒めきった態度で煙草に火を点けている土方を がすごい剣幕で睨みつける。 「土方さんは黙っててくださいっ、話がこじれるでしょーがァァ!」 「はぁ?ぁに言ってんだお前が黙れ。お前があーだこーだと同情してやっから話が進まねーんだろーが」 「だって可哀そうじゃないですか!悪い子じゃないんですよ彼は、ただ酷い目にばっかり遭って ちょっとキレちゃっただけなんですよ!」 ぷりぷりと怒るを呆れきった目で眺めていた土方は、またこいつは、とでも言いたげな顔で煙を吐いた。 「バカかてめーは。こいつぁ爆弾持って火薬庫に立て籠もってんだぞ、これが「ちょっとキレた」で済むか。 いーから退け、危ねーからてめーは離れてろ。こんな負け犬根性の染みついた奴ぁ俺がぱっと片ぁつけてやる」 値踏みするような目で男を見据えながら、ざっざっ、と速足に進み出て、土方がの隣に立つ。 下がれ、と自分を不満げに見上げている女の頭に拳で軽く突きを入れた。 ふらっとよろめき、頭を抑えたは恨めしげな目で彼を睨んだが。納得がいかないのかすぐに食ってかかった。 「いやですっ。現場の指揮官が最前線に立ってどーするんですか、土方さんこそ逃げてくださいっ」 「おい、何で指揮官の俺がパシリに指図されなきゃなんねーんだ?つかてめーが逃げろ!おら行け、」 「いーやーでーすぅぅ!邪魔しないで下がっててくださいっ、 土方さんじゃあの子の説得どころか、あたしたちまで火薬庫もろとも吹き飛ぶのがオチですよっ」 「んだとコラ。俺がそこのクソゲー借りパクったクソガキ並みの失態やらかすってのかコルァァァ」 「クソゲー借りパクったクソガキって、そいつぁ俺のことですかィ。つーかクソゲーの山にまみれて死ね土方」 「黙れ!お前が出てくっとややこしくなっから黙ってろ!そこでクソゲーでもしてやがれ!――っておいっ、っ」 ちっ、と舌打ちして眉を顰め、土方が駆け出す。が無謀にも刀すら抜かず、 爆弾抱えた立て籠もり犯に話しかけながら一人でじりじりと説得に寄って行こうとしているのだ。 この向こうみずが。ちょっと目ェ離したすきにのこのこと素手で近寄りやがって! 危ねーじゃねーか、あの爆弾小僧にうっかりドカンとやられでもしたらどーすんだ! …とは後ろに控えた奴らの手前もあって言えないが、頭の中で最大ボリュームで怒鳴りつけながらを追った。 「退けっつってんだろ!てめーにうろちょろされっと俺の気が抜けんだ、引っ込んでろこの馬鹿女!」 「え、ちょっ!ひぁっ」 弱った悲鳴を上げるには構わず、土方は彼女の胸の下に腕を回した。 華奢な身体を掻っ攫い、立て籠もり犯から引き離す。突然背後から抱きかかえられ、驚いたは肩を飛び跳ねさせた。 口をパクパクと動かしてはみたものの声も出ず、その頬や耳がじわじわと薄桃色に染まっていく。 すっかり上気したその顔を真上から眺め下ろした土方と目が合うと、自分を捕らえた男の袖を あたふたとひっ掴んで叫んだ。 「ひっ、ひひ土方さ、へへへんなとこ引っ張らないでくださいよぉ!せっ、セクハラで訴えますよ!?」 「うっせえ。こっちも引っ張りたくて引っ張ってんじゃねえ」 「・・・何なんだお前らァァ、さっきから見せつけやがって!おまわりが堂々イチャこいてんじゃねぇえ!!」 「ぁあ!?んだとてめ。誰のせいで俺がセクハラ呼ばわりされてっと思ってんだ」 カチンときた土方が、鋭いその目をぎろりと男に向ける。 ところが一見気弱そうなその男は、土方の眼光にも怯むことなく言い放った。 「いいよなぁいちゃつく相手がいる奴はよォ!俺なんかゲームどころか女まで他の奴に持ってかれたんだぞ! ちっくしょぉぉっ、どーせ俺なんか、・・・・・・俺なんかこの先一生、何やったって駄目なんだァァ!」 「フン、何だてめえ」 案外と判ってんじゃねーか。 煙草を差した口端に酷薄そうな笑みを浮かべ、土方は抜いた刀の切っ先を男の目先に突きつけた。 たじろいだ男がふらりと一歩、後ろに引き下がる。怖気づいた様子でまた一歩。 彼を刀で狙いすましたまま、土方は獲物を追い詰めるかのように足を進めた。 「ああその通りだ。んなこと言ってる奴ぁなあ、何やったって上手くいくはずが」 「違うよ!」 皮肉めいた言葉を遮って、凛とした声が響き渡る。 腕の中にいる女を見下ろし、土方が眉を曇らせる。この場で唯一の女の声。の声だ。 「そんなことない。・・・何やっても駄目だなんて、そんなことないよ! どんなに辛くても諦めないで頑張れば、いいことは必ずあるんだよ!」 不意を突かれた土方の腕から逃れたは、ひどく真剣な表情を浮かべていた。 緊張にごくりと息を詰めながらも、ゆっくりと踏み出す。 火の点いたライターを構え、見開いた目を血走らせ、しかしどこか投げやりな表情を浮かべた立て籠もり犯の方へと。 「・・・あ、あたしもね?今までは、諦めて途中で投げ出してばかりいたの。でも、でもね、 どーしても諦めきれなかったことを諦めないでいたら、・・・いいことあったんだよ!本当だよ!」 「・・・・・・。それはあんただからだろ。俺じゃ駄目だ。俺なんかじゃ・・・!」 「ううん。そんなことない」 大きくかぶりを振るの声は、口調こそたどたどしくはあったが落ち着いていた。 どうにか彼を説得したい。これ以上の罪を重ねてほしくない。そう思えば自然と冷静な気持ちになれた。 君の話が他人事とは思えない。 そう言ったのは興奮しきったこの男を宥めるのが目的ではあったが、にとっては少しも嘘ではなかった。 以前の自分と彼を重ねていたからだ。 ほんの少し前の自分や、もっと前の自分―― ここに居る誰にも話したことのない自分。今となっては思い出したくもない、誰にも知られたくない姿をした自分と。 まっすぐに彼を見つめた大きな瞳が、涙で淡く光っている。 その泣き出しそうなくらい真剣な表情を間近から見つめ、に目を見張って立ち尽くす男と同様に 土方も彼女の横顔に吸い込まれていた。 心当たりがあったのだ。が言うところの「いいこと」に。それにおそらく自分の言動が関わっているだろうことにも。 「あたしもね、たけしくんと同じだよ。ずっとあたしなんか駄目だって思ってたんだよ! それでも諦めないで頑張って。・・・そうしたらね、すごくいいことがあったの。あたしでもいいんだって思えたの!」 夢中で言い切っただったが、背後の気配にはっとして背中を固くする。 後ろがやけに静かなのだ。 目の前に立つ男どころか、背後の仲間たちまでもがしーんと静まり返っているではないか。 なに、なんなのこの静けさは。おそるおそる背後を振り向くと―― 「ちょ!?な、な、・・・なんで!?どーしてみんな黙ってるんですかぁぁ!」 急に恥ずかしくなって真っ赤になってうろたえたが、どうしたことか誰も何も言わない。 苦笑いしている者もいれば目頭を押さえ涙ぐむ者もあり、感心したようにコクコクと頷く者ありと、反応はそれぞれに違っているが。 沖田は面白くなさそうにぷいっと顔を逸らすし、山崎は彼女と土方を眺めてにやにやと顔を崩しているし、 彼女が何かを力説するたびに必ず茶化してくる土方までもが、神妙な顔つきで黙りこくっていた。 そして――今の話に何か感じるものがあったのだろう。の説得に心を動かされた男の表情が 少しずつ緩んでいく。極度の興奮と緊張に張りつめていたその顔が、ぼろぼろと流れ落ちる涙に濡れて歪んでいった。 「・・・・・っ。遅くねえかなあ。今からでも。・・・・・・俺。もう一度、やり直せるかなぁ、・・・っ」 ライターをぎゅっと握り締め、溢れる嗚咽を噛みしめながら、力んだ肩を震わせた男がつぶやく。 そんな彼を少しはにかんだ表情で見つめて、は前へと進み出た。 「遅くなんかないよ。だからたけしくんも頑張って。貸したものや返ってこないものや、自分を騙した人のことは諦めても、 自分のことだけは諦めないであげて。・・・そうだ、これ貸してあげるから、ねっ。元気出して!」 恥ずかしそうに頬を赤らめた笑顔のが、今にも号泣しそうな立て籠もり男に何かを差し出す。 名作RPGゲーム「天地を喰らう」。しかしこれまた「たけし」のサイン入りだった。 「お前もかァァァ!!」 こめかみに青筋立てて土方が怒鳴る。奪い取ったゲームでの後頭部をガツンと強打、 片手で彼女の頭を鷲掴みにするとズリズリと引きずって後退させ、このバカパシリがァァ!と首を絞めにかかった。 がっちり組まれた腕の中で金切り声を上げ、がじたばたと手足を振り回してもがく。 「誰かああァ!誰かこのひと逮捕してくださいっ、ゲームの窃盗とセクハラと婦女暴行の容疑でっっっ」 「盗っ人猛々しいってんだこっっのやろォォォ、てめーもこいつから借りパクってんだろーがぁあああ!」 と喚き合う、折檻されているんだかイチャこいているんだかわからない二人にまたもや見せつけられ、 ブルブルと全身をわななかせていた男がゲームをばしっと投げ捨てた。 うォォおおおおおおおっ、と自棄になった唸り声を上げてライターを着火、 「死ねぇぇ!てめーらなんかこの屋敷ごと燃えて死んじまえェェェ!!!」 腹に差した火炎瓶にと、小さなその火を近付けようとして――しかしその火は届かなかった。 男が唸り声を上げたその時、土方は唖然と目を見張っていた。抱えていたはずの女が目の前から忽然と消えているのだ。 奇術の縄抜けのように彼の腕から一瞬にしてすり抜けたは、すでに立て籠もり犯に迫っていた。 まさに電光石火。目で追うのが困難なほどに素早く、流れるような動きで飛び上がり、 刃のような切れ味で空を裂いた彼女の脚が、ライターを握った男の手をぱしっと蹴り上げる。 飛ばされて宙に浮いたライターはぼとっと地面に落ちた。すかさずがライターに飛びつき、 男と彼女を囲んではらはらするしかなかった隊士たちの数人から安堵の溜め息が漏れる。だが。 「・・・!まだだ!姫ィさんっ」 沖田の声が鋭く飛ぶ。それまでは最後尾でなりゆきを他人事のように傍観していた彼が、急に顔色を変えている。 がその声に反応するよりも早く、立て籠もり犯は次の行動に移っていた。腹に巻いたサラシから 小さな何かを抜き取り、これみよがしに高々と上げたそれに火を点ける。二個目のライターがその手中にあった。 咄嗟のことに出遅れた隊士たちの間を掠め、姿勢を低めた沖田が疾風のように走り出る。手が腰に提げた刀へ伸びていく。 ちっ、と歯痒そうに舌を打った。 輪の外側に居たために遅れをとった。この距離だ、俺の足でも間に合うかどうか。 ――いや、間に合わせる。身を挺してでもを庇う。それしか彼の頭にはなかった。 ところが彼の行く手を阻む誰かの背中が、黒い壁となって横から現れた。刀を抜いた土方だ。 「!頭ぁ下げろ!」 威圧感を伴って鳴り渡った声がその場の全員の動きを制し、は反射的に地面に伏せる。 横に一閃した白刃が、地面にうずくまったの頭上を切り裂く。ひゅっっ、と風を切る音が唸った。 半分の高さに切られた火炎瓶の口と爆弾の導火線が、立て籠もり男の腹からぼとっと落ちる。 男の腹の皮と、頭の動きにつれて浮き上がっていたの髪も切れていた。噴き出た血が宙に走り、 女の髪が一房、はらりと落ちる。早くも刀を鞘に納めた土方の命令が強い口調で飛んだ。 「確保しろ!」 「・・・!っっってええぇぇ!痛てぇ、痛てぇよぅぅ〜〜〜っ、・・・・・!」 腹を抑えて地面に崩れた男の、憐れみを誘う泣き声がそこに続いた。

「 片恋方程式。25 」 text by riliri Caramelization 2011/02/19/ -----------------------------------------------------------------------------------       next