そう、あれは今から四年ほど前になりましょうか。 凛々しくも可憐な我が若君、柳生九兵衛さまが武者修行の旅に出立された、その年の出来事にございます。 卑俗な輩の無礼によって左目を失われた直後でした。 慣れない片目での生活に不自由していらっしゃるそのお姿は実においたわしいものでしたが、 怪我が完治していないにもかかわらず、若は日々一層の鍛錬を望まれておいででした。 傷口が癒える間を待つのももどかしい。――こうして療養している間にも、少しでも強くなりたい。 一日も早く、一刻も早く。真の強さを身につけたい。愛する人を我が手で護りぬくために。 無口な方ゆえお気持ちを口に出されることはございませんが、若は痛いほどにそう望まれている。 お傍に付く私にもひしひしと伝わってくるその御心を、もちろん感じ取っておられたのでしょう。 柳生の先代当主であり若の祖父君でもある敏木斎さまは、旧くから友誼を温められていた御方の元へ 数か月間若をお預けになりました。このことが若の、厳しくも実り多き修行時代の第一歩となったのです。 逗留された先は、敏木斎さまが若かりし頃から兄弟子として慕われていた方の御子息、白石殿の道場でした。 幕府に仕える重臣としての道を捨て、市井に身を置かれた氏は、今は貧乏道、・・・・いえ、口が過ぎました。 今は慎ましい町道場の主として身分を窶していらっしゃいますが、五十を過ぎる齢に達した今でも 日々たゆまぬ研鑽を積まれておいでです。加えて自らが属する流派のみならず、各流派の剣技や戦法に広い見識を持ち、 綿々と続くそれぞれの流派の歴史についても遍く精通した研究家としての一面もお持ちになる方でもあります。 ですが、斯様な方が主であっても、送り出されたのは門人が庶民と子供ばかりの小さく質素な町道場。 敏木斎さま直々の命とはいえ、若は最初こそ祖父君の意図が掴めず、理解に苦しんでおられたご様子でした。 しかし白石家で数日を過ごし、昼は稽古を共にされ、夜は白石殿とともに柳生流の歴史などを詳しく紐解かれるうちに 若も祖父君の云わんとしておられる何かに気付かれたのでしょう。たちまちに白石殿を師と仰がれるようになりました。 そして―― 年も近く、剣の道を志す道場主の子女であるという境遇に、共通点があったからでしょうか。 当時すでに父上の補佐役として門人たちへ稽古をつけておられた殿とも、 若はたちまちに友好を育まれ、親愛の情を深められたのです。 若が白石家に逗留された数ヶ月間。 その間二人は片時も離れることなく、仲好き番いの小鳥のように過ごされておいででした。 互いに心を許して笑顔で戯れ合う、穢れを知らぬ二人の少女。 そのお姿は誰の目にもひどく心地良く、見目麗しくございました。 ある時は殿が愛読する少女小説に出てくる、一生の友情を誓った清らかな少女たちのように。 またある時は、殿の膝枕で若が子供のような寝顔でくつろがれ、優しい姉に甘える妹のように。 ええ、そんなお二人の姿はそれはもうねたまし、・・・・・いえ、天上のものかと見まがうほどに美しい光景にございました。 見ているこちらの頬が思わず嫉妬に歪むほどに、・・・・・いえ、微笑みに緩むほどに、仲睦まじきものでございました。 「・・・・・・とまあ、それ以外にもなんやかんやとマリみて的な、GL版ToLOVEる的なあれやこれやがありましてねェ。 若がついに『僕が家督を継いだ暁には、お妙ちゃんとともにさんを柳生家に迎えたい』なんて言い出しちゃって、 世話役の私のことなんて放置ですよ、放置プレイですよ。どんだけわかりやすーく邪魔しても割り込んでも、若ときたら 見向きもしてくれないんですよ!?ああぁああ今思い出しても腹の立つ、・・・・・チックショオオオオォォォォ!!!」 と、手酌の酒をくぃーっと飲み干し、かあっと目を見開いた険しい顔で鬱憤を撒き散らした東城歩が バコッと後頭部を強打される。ばたっと畳に撃沈した。 冷えきった目で殴り倒したのは、彼が幼き頃より「若」と慕う生涯の主。隻眼の剣士柳生九兵衛だ。 「なぜここにいる東城。お前をこの宴に呼んだ覚えはないぞ」 「なんと申されます若!若の行かれる場所とあればこの東城歩、どこまでもお供いたしま、」 「いらん。出て行け」 がばぁっと飛びつこうとした東城の頬に九兵衛の蹴りが炸裂。 ひぃでぶふぅううう!と東城が北斗の拳の悪役ばりに顔面をひしゃげさせてよろめく。 さらに九兵衛が東城の着物をはしっと掴んで背負い投げの体勢を取り、笑顔のお妙がすかさず障子戸を開けるという 抜群に呼吸の合ったバレーのセッターとアタッカーのようなコンビプレーが完成。 ぼちゃぁああんっ、と水音が静かな料亭の庭にこだまする。東城は庭の池へと一直線に放り出された。


片恋方程式。

20

「ゲホォっっ。ごぼごぼ、フガフゴっっ・・・・・・なっ、なりませんんんっっ。なりませんぞ若ァァ!!」 ずりっ、ずりっ、ずりずりっ。 ゴボゴボと水を吐きながら池から上がり、縁先に立つ九兵衛へとほふく前進で向かってくるずぶ濡れの何か。 暗い庭先では幽霊か巨大生ゴミ、もしくは溺死しかけたロン毛の河童にしか見えないその何かは、 頭にビチビチと跳ねる金の錦鯉を乗せた東城である。 その恨めしげな表情といい、錦鯉とともに水をびちゃびちゃと垂らしながら庭を這ってくる奇怪な姿といい、もはや 名門柳生家の若様お目付け役たるべき男の姿はどこにもない。なんとなくお茶目な貞子的な何かに完全に成り下がっている。 「今一度お考え直しください!お戯れにもほどがありますぞ、お妙殿の次は殿を柳生家に迎えたいなどとは・・・! そのような迷いごとを申されては私も、世話役として敏木斎さまにも輿矩さまにも申し開きようがございませんっっ。 もしお聞き入れくださらないのでしたらこの東城にも覚悟がございます!ええいっ、いっそここで腹を割いてお詫びをォォ!」 「そうか、ではこれで好きに割け」 裏返った叫びが終らないうちに、九兵衛の投げた懐剣が東城の眉間にびしっと命中。 冷たくピシャリと障子戸が閉まる。 東城の扱いに慣れている九兵衛はお妙を連れて、何事もなかったかのような顔で宴席に戻っていった。 そんな中、九兵衛の背後から一部始終を見ていた新八は、ちょっと気遣わしげに外の様子を伺っていた。 「腹を割け」と主に命じられ、刀ごと放り出された東城が心配といえば心配でもある。けれどそれ以上に不気味なのだ。 「!はっっっ、さてはこの非情な仕打ち、・・・もしやこれは、これは!流行りのツンデレプレイ!?切腹を命じたと見せかけ 屋外に放置する、新手のツンデレプレイですかあぁぁ若!?そーですよね?ねっ!?そーだと言ってくださいィ若ァァ!!」 と、障子戸を通過して部屋まで響く東城の絶叫。耳に突き刺さってくる大の男のおどろおどろしい半泣き声。 ここがお化け屋敷でもあったならば迫力満点の効果音として役立っただろうが、高級料亭のBGMとしては論外に相応しくない。 おかげで滅多に食べられない豪華な御馳走を前にしているというのに、何を食べても喉を通った気がしないのだった。 「銀ちゃん、ツンデレプレイって何アルか。どこで流行ってるアルか」 「さーな。あいつが行ってる場末の風俗で流行ってんじゃねーの。ヌルヌルのマットの上で風俗嬢に放置されてんじゃねーの」 「ていうか今の流れのどこにデレが混ざってたんですかね。どこから見ても完全にツン100%でしたけど」 「いーって、どーでもいーって、いちご100%でも柳生100%でも。あの変態100%のこたーどーでもいーって、放っとけよ。 それより神楽お前、ここで食えるだけ食っとけよ?明日の昼メシ分まで食い溜めしとけよ!?」 「わかってるアル、言われなくてもそのつもりネ。私の通った後には魚の小骨一本残らないほど食べ尽くしてやるアル!」 米粒を飛ばしながらひたすらにガツガツと、木の実を口に溜め込んだリス以上に頬を膨らませて 高級食材をろくに味わいもせず、新八の隣で箸と口を超高速で動かし続けている二人。言わずもがな銀時と神楽だ。 屯所の食堂でもタダメシ放題だった二人だが、早くも目の前の膳を空にして 隅に控えていた仲居の女性に「おかわりィィ!」と揃って空の茶碗を突き出している。 ダメだこの人たちは。話にならない。 さっくりと諦めをつけた新八は、お妙とともに自分の膳の前に戻った九兵衛に話の続きを向けた。 「放っておいてもいいんですか九兵衛さん。ヘタすると東城さん、ほんとに腹割きそうですけど」 「いいんだ新八くん、あいつに甘い顔をするとろくがことがない。さあ、君たちは気にせず宴を楽しんでくれ」 「そーネ新八。奴には近付きすぎないほうがお前の身のためアル。あの変態三重苦が伝染ったらどーするアルか」 「イヤ、伝染るって神楽ちゃん。変態は風邪じゃないんだからね。てゆうか何、変態三重苦って」 顔を米粒だらけにして箸を咥えた神楽が、ふっくらした白い指を見つめながら一本ずつ折っていく。 三つの答えを数え挙げた。 「ストーカー、風俗好き、ドMの三重苦アル。 女の子の彼氏対象からは真っ先に外されるタイプネ。3Kどころの騒ぎじゃないアル」 「…いやそれ最初のストーカーが挙がった時点でとっくにアウトだよね。彼氏対象っていうか人としてアウトだよね」 「勿論そーヨ。それに男のドMは女のドMより最悪ネ」 箸をプラプラ揺らしながらそう言った神楽は、床の間を背にした上座に座る男へと視線をロック。 偶然彼女と目が合った近藤を、何か最高に汚らわしいものでも見るような目つきでじとーっと睨みながら言った。 「むさ苦しいおっさんのドMストーカーなんて目も当てられない見苦しさヨ。 蹴られても蹴られても銀ちゃんに縋りつくさっちゃんなんか、ギャルゲのヒロインに見えちゃうくらい見苦しいアル」 「ちょっっ、チャイナさん?それっ、俺のこと言ってる?俺のほう見て言ったよね今!?」 「フン、何のことアルか。気のせいアル。それよりお前意外と自意識過剰アルなドMおっさんストーカーのくせに」 「言ったよね!?今はっきり言ったよねぇぇぇ!!?」 涙目でわめく近藤が席を立ち上がりかけると、その隣の男が彼を引き止め、手にした何かをぴっと投げた。 狙われたのは神楽の膳のど真ん中。びいぃーん、と耳鳴りのする音とともに、細い銀色の何かが突き刺さる。 身を震わせて揺れているそれは、膳の手前に添えられた金串のようなもの。 つまり各々の膳に配された存在感たっぷりな大きさのカニの身の、脚の部分なんかを解し取るためのアレだった。 「邪魔すんなチャイナ。近藤さんは俺と話してるんでェ、横から割り込んでくんじゃねーや」 ムッとして口を引き結んだ神楽のみならず、ほぼ全員の目線がその苛立った声の元へ集中する。 場の空気を凍らせたのは、殺気立った薄茶の瞳をはっきりと見開いている沖田だ。 神楽に対して喧嘩越しなのはいつも通りとしても、彼女を威嚇するその顔はあからさまに不機嫌さ剥き出し。 身内の前では時に年相応の子供っぽさを垣間見せても、それ以外の人前ではほとんど感情を晒すことのない彼にしては 稀に見る露骨な表情だった。 「うっさい、お前こそ私の食事の邪魔するな。そのツラ見るだけで料理の味が落ちるネ」 「その台詞、そっくりそのまま返してやらァ。ガキは食うもん食ってとっとと出てけ」 「お前が失せろクソガキ。嫉妬に狂った男のツラはおっさんストーカーより見苦しいネ、楽しい宴には相応しくないアル。 てゆうかお前どんだけお子様ネ。を九ちゃんにとられるのが悔しくて八つ当たりアルか?」 はっ、お笑いネ。 新八の膳から料理を勝手にヒョイヒョイ摘みながら、神楽が吐き捨てるように笑う。 次はどれにしようか、と見回した膳の中に手つかずの刺身の皿を発見、遠慮なく失敬しようと箸を伸ばす。 ところがその皿に、びしっ、と二本目の金串が刺さって真っ二つに。 がちゃんっっ。星のような瞳に怒りを燃やした神楽が、空の膳をひっくり返して立ち上がる。 金串が飛んできた方向に――沖田へ向かって一直線に跳んで行こうとしたが、真っ赤なチャイナ服の裾は 呆れた目で二人の遣り取りを眺めていた銀時に掴まれ、跳び上がる直前で引き止められた。 「何するネ銀ちゃん!放すアル!!」 「やーめとけって後が面倒くせーからァ。ここで放したらお前と沖田くんで怪獣大戦争になっちまうだろーがぁ」 「――総悟!」 沖田を鋭く呼んだ女の声。次いで、がちゃんっ、と皿が強くぶつかった音。 銀時と神楽も思わず振り向いた。二人が聞き慣れた彼女の声とは、声音がまるで違っていたのだ。 沖田の耳の横あたりまで投射寸前に上がっていた金串の先を、細い手が抑え込んでいる。 手のひらから指を伝って赤い糸のように流れた血が、ぽたりと落ちて畳を染めた。 「・・・・・。何すんでェ。放してくだせェ、姫ィさん」 「放すのは総悟だよ。ねえ総悟、やめて。おねがい。神楽ちゃんに謝って」 「・・・はっ。冗談じゃねーや。姫ィさん。俺ァいつからあんたの子分になったんでェ」 「そんなこと思ってない。だから頼んでるんじゃない。ねえ、お願い」 「嫌でェ」 「総悟!」 「さん」 優しげな声に呼ばれ、がはっとする。 肩に温かな重みが乗っている。後ろから彼女に寄り添い、肩を叩いた九兵衛だった。 「もういい、さん。神楽殿は怒りを収めてくれた。君も手が痛むだろう、もうそれを放してくれ」 「でも」 「僕のために放してほしい。嫌なんだ、君に傷がつくのは」 微笑む九兵衛と見つめ合ったは、視線を深く落とす。 迷っているような間を開けてから、はい、と素直に頷いた。 その従順な様子にかっとしたのか、目の色を変えた沖田が強く腕を引く。の手も自然とその勢いに引きずられる。 捩じりを加えて引かれた金串が手のひらに食い込んでくる。ほんの一瞬だったが、びくっと痛そうに眉を顰めた。 「へェ。奴の言うことには絶対服従ですかィ。土方さん以上に素直に従うじゃねーか。 ・・・あぁ、成程ねェ。そーいうことか。もう柳生側に乗り換えたってえ訳かい、姫ィさん」 「・・・そんな、・・・何でそんな風に言うの?あたしは」 「そのへんで止めておけ、総悟」 横入りしてきた近藤に掴まれ、金串を引き合っていた二人の手が止まる。 華奢な少年ぽさが残る沖田のそれよりも一回り大きくて分厚い拳が、彼の手をぐっと抑え込んだ。 「さあ、こいつは放せ。つまらねえ意地を張るな。お前が意地張ったぶんだけの傷が深くなるぞ」 低く抑えた、いつもよりも数段静かな声で諭される。その声に固唾を呑み、きつく唇を噛みしめた沖田は 手に籠めていた力を緩めた。つられての手も緩み、金串を放す。 緊張の糸が緩んでほっとしたのか、は切れた手のひらを見つめながら長い溜め息を漏らした。 「っ!!いっっったあぁっっっ」 とそこで、銀時たちの方から甲高くて素っ頓狂な悲鳴が上がる。 叱られた沖田をにやにやと眺め「ザマミロ」とのたまった神楽が、容赦なくガツンと拳骨を奮われたのだ。 「ぁにを勝ち誇ったツラしてんだぁコルァ。お前もあいつと同罪だ、謝っとけ!」 問答無用のお仕置きをしたのはもちろん彼女の保護者、銀時だ。 頭を抱えてうなっている少女に降り下ろした拳に、はーっ、と息を吹きかけていた。 「!?嫌ネ、あの甘ったれに頭下げるなんて!!頭が腐ったアルか銀ちゃんっっ、いつもやられたら十倍返しって言ってるくせに!」 「バーカ、そっちじゃねーよ。お前らのせいでが手ぇ怪我したんだぞ。に謝れって言ってんの」 神楽の頭をわしっと掴んで畳におでこが着くまで下げ、銀時は強制的に「ごめんなさい」させた。 ところが神楽は自分の頭を抑えつけた手を振り切ってがばっと起き上がり、の手を食い入るような目で見つめる。 あっ、と小さく叫んで目を丸くした。の手から血が流れていることには、今の今まで気付いていなかったのだ。 眉を曇らせた神楽はすぐさまぴょこん、と立ち上がり、ぴゅんっ、との前まで飛んでいく。 あまりの身軽さと素早さに驚いているの手を取ると、細い手のひらに走った真っ赤な傷を真剣な目で確かめた。 「。・・・痛かったアルか?」 急に肩を落としたチャイナ服の少女は、ひどくしょんぼりした顔つきになった。 手当てをしよう、と声を掛けてきた九兵衛にの手をそっと差し出すと、ぺこん、と深く頭を下げる。 「・・・・・・・痛いに決まってるアルな。・・・悪かったアル。ごめんなさい、」 「大丈夫、全然痛くないよ。それに、これはあたしが勝手にしたことだから、謝らないで。ね?神楽ちゃん」 「悪りーなぁ。そいつはこっちで反省させとくからよ」 申し訳なさそうな顔を黙って微笑みに変えたが、銀時に大きくかぶりを振る。 微笑んでいるのに張りつめたままのその表情は、何でも顔に出やすい彼女の困りきっている心情を伝えてきた。 しかし彼女の様子には気づかないふりで、銀時はいつも通りの緩んだ顔でへらりと笑って返す。 ここで俺まであの子を不安にさせるこたぁねーや。なにせ肝心の野郎がこの通りの知らん顔だ。 歯痒さに舌打ちすると、隣に座る男を横目に盗み見た。 土方は、我関せずといった態度で近藤たちから距離を置き、宴席の一番下手に居座っている。 「折角の機会だ、お前らも同席させて貰え」と近藤に勧められて座に着いてから、一度も膳の前を動いていない。 座ってからもしばらくは不満そうに九兵衛を睨んでいたのだが、今は何を考えているのか、ただ黙々と杯を口に運んでいるだけ。 感情剥き出しで近藤の傍に張り付き、「どーしてを柳生にやらなきゃならねーんでェ!」と 激しく食ってかかる沖田を止めようとしないどころか、彼等がいる上座には一度も目を向けようとしなかった。 沖田を宥めるのに苦労している近藤や、その隣席でうろたえているに助け舟を出すこともしない。 ただ一人で黙々と、自棄になったような目で畳を睨みながら酒を煽っていた。 「はどうするアルか。九ちゃんちに行くアルか?」 隣の男の気配をそれとなく観察しているうちに、耳に飛び込んできた神楽の声。 大人ぶった遠慮とは無縁な神楽の発言とはいえ、一悶着あって沖田の気が立っている時だ。ちょっとぎょっとさせられた。 しかも目を戻せば、自分の膳の前にいつのまにかが座っている。 銀時が隣の仏頂面に気を取られていた間に、神楽はを連れて自分の膳まで戻っていたのだ。 もやはり、子供の驚くべき率直さに唖然とさせられたらしい。 たまにきらりと光る大きな瞳を凍りつかせ、息を潜めて神楽を見つめている。 「・・・・・。それは、・・・・・」 考え込んで着物の衿口をきゅっと掴み、うつむいて口を引き結ぶ。 久しぶりに間近で見る彼女の姿に、銀時は視線を吸い寄せられた。 久しぶりに会ったせいだろうか。濃い桜色の着物地と同じような色味まで紅潮している頬や、 裾からすらりと伸びた脚の淡い肌色がいやに目につく。いつでもにこにこと笑っているような印象があるからなのか、 睫毛を伏せた表情を翳らせる悩ましげな雰囲気も、いつもより大人びて見えてどきりとさせられる。 すると、彼女から目が離せなくなった銀時の判りやすい見蕩れぶりに気付き、が彼をきょとんと見上げてきた。 「旦那?どうしたんですか。なんだか顔が赤いです。大丈夫ですか?お酒でも呑み過ぎたんじゃ・・・」 「んァ!?っっ、いや!?呑んでねーよ一滴も!今日はほら俺、バイクで来てっからぁ」 ・・・やっぱ可愛いーよなぁ、。 出来るもんならこのままバイクに乗せて持って帰りてーんだけど。いっそ警察も柳生もやめてウチに来てくんねーかなァ。 笑ってごまかす間にもついつい顔が緩みそうになったが、銀時は後ろを向いてこっそりと 頬の緩みを引き締め、湧いた苦笑いも何食わぬ顔で引っこめる。 まーな。さすがに俺も弁えてんだよ。この場に女を口説きにかかってもいいような空気が流れてねーことくれーはな。 場をわきまえた大人としての体裁を整えようと、肘でコンコンと神楽をつつく。 「それにしてもあれだわ。神楽ちゃーん?やってくれんなーお前は。すげーなお前はあぁ。 今日からあれだわ、お前をウチの切り込み隊長と呼んでやるわ」 「?切れ込み隊長って何アルか。何がそんなに切れ込んでるアルか。 グラビアアイドルの水着のハイレグラインがアルか?忍者のおっさんの痔ろうの悪化具合がアルか?」 「いやそーじゃなくて。切れ込みじゃなくて切り込み隊長だよ神楽ちゃん。 つまりね、答え辛いことをズバッと訊いてさんを困らせるな、・・・ってことを言いたいんだと思うよ、銀さんは」 「あーあァ、ガキは怖いもん知らずでいーよなァ。よくそこまでダイレクトに切り込めるな?聞きにくいことをズバっとよー」 「フッ、これだからお前はモテないネダメ天パ。聞きにくい事こそ不意打ちで切り出すのが、女の子に心を開かせるコツネ。 ズバッといけずに尻込みするのはモテないマダオの証拠アル。女心に切り込む時のポイントは、勢いじゃなくてタイミングヨ!」 「・・・その饐えたOLの格言みたいな意見、どこから仕入れてきたの神楽ちゃん」 「レディコミアル。おとといの資源ゴミの日にいっぱい落ちてたアル。私、早起きしていっぱい拾ったヨ!」 「んなもん拾うんじゃねーよ、ったくお前はぁぁ。定春ん時にも言っただろーが、何でもむやみに拾ってくんじゃねーっての」 話はそこから銀時が溜め込んでいるジャンプが邪魔だという話へなぜか逸れてしまい、さらに脱線の一途を辿った。 あれこれと遠慮なく言い合う三人の顔を見比べると、すっかり話から取り残されたは聞き役に回って黙り込んでしまう。 さらにころころと話が変わり、ゴミ当番についての不平を新八が訴え出したところで、急に神楽がすっくと立ち上がる。 「銀ちゃんのジャンプなんかどーでもいーネ!」と頬を膨らませてきっぱり断言、くるりとに向き直った。 「どうするアルか?ゴリやマヨを見捨てて九ちゃんとこに行くアルか、」 「・・・・・・。わかんない。」 畳に目を落とし、小声でぽつりとは答えた。 「あのね。全然、何も実感が湧かないの。 あたしみたいな半人前には勿体ないような、ありがたい話だとは思ってる。でも、九兵衛さまに会うのも久しぶりだったし、 何が何だかわからないうちにここに連れて来られて、頭の中がまだ混乱してるし。それに、・・・・・・」 ふつりと声を途切れさせると、上目遣いに視線を上げる。 向けた視線の先では、彼女の声が耳に入っているはずの無表情な男が、手酌で杯に酒を注いでいた。 その顔を眉を曇らせてじっと見つめ、こくりと息を詰めてから、は思いきって口を開いた。 「・・・・・・・。土方さぁん、」 助けを求めて縋りつくような声でに呼ばれても、土方は返事をするどころか視線を向けようともしない。 周囲のすべてを無視したどことなく投げやりな視線は、口に含んだ杯に向けてしれっと伏せられたままだ。 この距離で聞こえないはずがないのに。 ぷうっ、と神楽と似たような子供っぽさで頬を膨らませたは、ささっと土方の前へにじり寄る。 ばんっ、と彼の膳に腕をついて迫った。 「土方さんっ!」 「煩せぇ。目の前で怒鳴るな」 「どうして今日に限って黙ってるんですかぁ。少しは総悟を止めてくれたって」 「知るか。あいつぁお前の事で腹立ててんだ。お前がどうにかしろ」 「それは、・・・そうかもしれないけどっ。情けないけど、あたしじゃどうにか出来ないから困ってるんですっ。 何で?どうしてですか。なんで土方さんまで機嫌悪いんですか?どーしてそんなに怒ってるんですかっっ」 いつもよりペース早くないですか。呑み過ぎですよ。 口を尖らせ、拗ねた顔で見上げながら、が土方の杯に手を伸ばしてくる。 細い指の先が遠慮がちに、彼女を避けていた彼の視界に入り込んできた。 ほんの束の間、その手に出来た赤い傷を、苛立った視線がぴたりと捉える。 同時に止まった彼の手を、の手が抑えた。しかし土方は、彼女の手を素っ気なく払った。 「怒ってねえ」 「うそっ。嘘ですよぉ」 「・・・うっせーな。怒ってねえっつってんだろ」 と顔を逸らし、再び杯を口に運ぶ。らしくない彼の深酒ぶりを止めようと、懲りずに伸びてくるの手。 その手を逃れ、杯がすいっと彼女の頭上まで持ち上げられる。かちんときたは、 よけいに躍起になって土方の手を追いかけ始めた。 「じゃあ何なんですかその不機嫌そーな眉間の皺は。どー見たって怒ってる証拠じゃないですかあぁ!」 「あぁ?誰が不機嫌だ?ピイピイと煩せぇ厄介な荷物に、柳生家なんて御大層な引き取り手がついたんだ。 これが上機嫌以外になりようがあるかってんだ。つーかてめえは黙れ、向こうで酌でもして来いバカ女」 「へーぇそーですか、そんなに嬉しいんですかあぁ。それはそれはよかったですねえええぇ。だったらこっち見て言ってください。 勿論言えますよね?怒ってないって。そこまで言うならあたしと目を合わせてみろ土方ァ!お前なら出来るはずだ土方あぁ!!」 上下左右に素早く逃げる土方の手を追っては腕をびゅんびゅんと振り回し、 なんとかその手を捕まえることに成功。むきになった彼女の両手に杯をぐいぐい引っ張られ、 眉間を急激に険しくした土方が無言での頭上に固めた拳を構え、一気にガツンと振り下ろす。 バシッと杯を膳に叩きつけると、痛む頭を抑えながら涙の滲んだ目で睨みつけてくる女を 眼光鋭くぎろりと睨んだ。 「怒ってねえェェ!!」 「ほらあああぁ!やっぱり怒ってるじゃんんん!!!」 そこへ、ひゅん、と何かが風を切って飛んできた。 びんっっ、と土方の手すれすれの位置で膳に突き刺さったのは例の金串。それも一本ではなく二本だ。 言い合う二人の間を割って飛び込んできたそれをムッとした目で眺め、土方が振り向く。 するとそこには、食べ終えた料理の竹串だのカニの殻だの、刺さると痛そうな物を両手に装備した銀時と神楽が待ち受けていた。 「ぁんだコルァァァ」と銀時の胸ぐらを掴み、大人気ない剣幕で詰め寄る土方に、二人が揃って冷ややかな視線を突き刺してくる。 「ぁんだよそのくれー気にすんなって。軽くイラッとしただけだからよてめーの態度に。 人が空気読んで自主規制してる横で、俺はこいつに何してもいーんです的な態度で見せつけやがるてめーのアレに」 「そーネ、なんかイラッとしただけアル。軽く殺意を覚えただけアル」 「・・・おい、待て、総悟っ」 土方たちの様子を遠目に睨んでいた沖田が、憮然とした顔で松葉杖を掴み、ひょこっと立ち上がる。 引き止める近藤の声も振り切り、ひとことの挨拶もなしに廊下へと姿を消した。

「 片恋方程式。20 」 text by riliri Caramelization 2010/11/06/ -----------------------------------------------------------------------------------           next