「しっかしよー。コレに四人乗りってどーよ。 重量オーバーもいいとこだよ?タイヤがパンクしたらどーしてくれんだ、あぁ?」 キーを回し、バイクのエンジンを切った銀時は、ヘルメットを脱いで銀髪の頭を軽く振った。 うっとおしくてたまらなさそうな目つきで振り向けば、そこには自分の肩が。 そしてその肩を指が食い込む馬鹿力でがっちり鷲掴みにしている誰かの手が。 さらにもっと後方に目線を伸ばせば、沖田が座るリアシートのごく狭い空きスペースに足を着いて立ち、 大量に汗を流しながらぜェぜェと肩で息を吐いている土方の姿が。 実はついさっきまであのスケボーに乗っていたのだが、この交差点に進入するときに、銀時がほぼ直角に近いような 怖ろしい角度の急カーブで曲がったために、スケボーは慣性の法則に従ってスコーンと土方の足元から吹き飛んでしまったのである。 持ち前の反射神経で命からがら危険を回避、リアシートに飛び乗って難を逃れた土方は、今はバイクに立ち乗りしている状態だ。 しかし乗っていたのがほんの数分の短い時間とはいえ、命懸けのドライブで体力も胆力も使い果たした土方には もはや顔を上げる気力すら残っていないらしい。上半身は沖田の肩にぐったりともたれ、脚はガクガクと盛大に膝が笑っている。 「ちょっとォ土方くーん。んだよこの手はよ気安く触んじゃねーよ。つーかいい加減にしてくださいよブチ殺しますよー」 子泣きジジイですかてめーは。 と、冷えきった半目で嫌そうに文句をつけた銀時が、ぺしっ、と土方の手を跳ね上げる。 普段から目が合うだけでムカっとくるのに、必死でしがみつかれなんかした日にはそりゃあもう、 今なら俺は身体中の穴という穴から血反吐を吐けるんじゃねーかと思うほどの不愉快さだ。 かの仙望郷ことスタンド温泉で憑りつかれたスタンドどものほうがまだマシだ。と、コンマ1秒で断言できてしまう。 土方とは何かと因縁だらけ、まさしく犬猿の仲の銀時にとっては、肩を掴んでいる野郎の手がそれほどまでに不愉快なのだった。 「見ろよてめーが根性入れて踏ん張らねーから、スケボーがあんだけ遠くまで吹っ飛んじまったじゃねーか」 「うっせえ!吹っ飛んだのはてめーがそこで急ブレーキかけっからだろーがあァァ!」 近くのビルの窓ガラスをぶち抜いて突き刺さっているスケボーを指す銀時。 まだ顔に血の気が戻らないのに彼と張り合い、至近距離でメンチを切り合おうとする土方。 そんな両者の間に否応なく挟まれている沖田が、不服そうに眉を顰める。立ちはだかる土方の足を押し戻そうとした。 「あーあー勘弁してくだせーよ土方さぁん。死ぬほど不愉快なモンで人の視界を塞がねーでくだっっ、ぐごっっフガフゴゴ」 「どーネクソガキ、妖怪ニコチンコの股間の味は。死ぬほど不愉快なやつは死ぬほど不愉快な目に遭うがいーネ、 うひゃひゃひゃひゃ!」 「だあァァァ!っっのガキ!ぁにすんだコルァ離せ人のケツを押すな!!!」 神楽の嫌がらせによって銀時の背中と土方の下半身にぴったり顔をサンドされてしまった沖田は、 呼吸困難に陥ってフガフゴと口籠り、じたばたと苦しげに手足をばたつかせている。 土方も野郎の顔を押しつけられる不快さからどうにか逃れようと、鳥肌で全身をざわつかせながら必死にもがくのだが 相手は宇宙にその名を轟かせる戦闘種族・夜兎族の怪力娘だ。 うひゃひゃひゃひゃ、と楽しげに笑い飛ばしている神楽にとっては他愛ない嫌がらせ程度のつもりでも そこいらの公園で遊んでいる普通の子供の嫌がらせとは、馬力が3ケタほど違っていた。 「おいおい何やってんだてめーらあぁ。騒ぐんじゃね、っっ!」 がっっ。呆れた顔で言いかけた銀時の頬に、正拳突きが一発飛び込む。 神楽を止めようとして空振りした土方の拳骨が、偶然に銀時の頬を抉ってしまったのだ。 ぶつかったこと自体は単に不幸な事故。あくまで偶然にすぎないのだが、 因縁だらけな犬猿の仲の二人にとっては「単なる事故」で収まりがつくはずもない。 目線が合った途端にバチバチと、派手な火花が飛び散った。 「ってーなぁぁ。あんだてめ、やんのかコラ。やる気ですかこのヤロー」 「あァ!?街中で警察にケンカ売る気かてめえ。上等だコルァァァァ」 性格や人間性に差はあれど、なぜかその思考回路や行動は何かとカブることが多いこの二人。 どうやら喧嘩早さというか、喧嘩に達するまでの導火線の短さまで似ているらしい。 ついには銀時まで参戦、四人は団子状態で暴れ出す。 土方の怒号と銀時の罵声、神楽の高笑いと沖田の呻き声が重なり合い、停まったベスパを中心にして 交差点前には「何だ何だ」と集まってきた野次馬の人垣が出来ていったのだが。 ・・・さて、連中のうちの誰か一人でも、ここへ来た本来の目的を覚えている奴がいるのやら。 この様子を見る限り、どうにも怪しいところである。
片恋方程式。 19
「ようやく来たな」 電話で指定された例の交差点。 土方たちが着いた場所の向かいにある信号の前に立ち、彼等を待ち受けていた男が顔を上げる。 早くもげんなり気味な土方と、対照的にのほほんとした足取りでぶらぶらと歩いてくるその他三人の一行を認めた。 時間潰しに読んでいたらしい本をぱたんと閉じる、どことなく神経質そうな印象を与える眼鏡の男。 当然のようにここに現れ、話しかけてきたその男の存在に驚きはしたが、土方は敢えてそれを呑み干した。 険しい表情を変えることなく、平静を装って近寄っていく。 まだ早えぇ。こっちの出方を決めるのは、向こうの腹づもりを探ってからだ。 「貴様らもまだ怪我が治っていないようだな」 「ああ。まあな」 絆創膏が貼られた土方の頬や、沖田の松葉杖を眺めてそう指摘した男の左頬にも 土方に貼られたそれと同じような絆創膏が。羽織の袖から一瞬覗いた右手首も、白い包帯に覆われていた。 二人はお互いに軽く頷き、目だけで意思を交わし合う。 一戦交えた相手同士だからこそ判り合える何かがそこにはあった。 しかし言葉では表しにくいその友好的な空気は、場の雰囲気などお構いなしでざわつき始めた奴らの会話によって すぐさま木っ端微塵に撃破されたのだった。 「・・・おい神楽。誰だあいつ」 「知らないアル。よう久しぶり、みたいな顔して出てきたけどまったく知らないアル。見たこともない奴ヨ」 「いやけどよー、向こうは俺らを知ってるみてーだぞ。ちょ、沖田くん誰よあれ。おめーんとこの関係者か?」 「違いやす。あんな存在感薄いメガネ、見覚えもねーや」 「ああ、もしかしてあれアルか。 この場にいない新八のかわりに地味なメガネ要員として用意された使い捨てダメガネキャラアルか」 「あー。そーなんだ。ぱっつあんの代りなんだあれ。へー」 「使い捨てモブキャラのくせにえらく横柄な奴じゃねーですかィ。さっきのこいつの顔、見ましたかィ旦那。 知ってんだろ俺、久しぶりだろみてーな。お前ら俺のこと知ってて当然だろ、みてーなどや顔してましたぜ」 「・・・・・・・・・・・・・・」 呆れたもんだ。この馬鹿どもときたら、つい最近会ったばかりの奴すら覚えちゃいねえ。 何とも形容しがたい顔で黙りこくった眼鏡の男に同情的な視線を送り、苦虫を噛んだような顔の土方は 無言で先を歩き出す。他の三人よりもかろうじて面識はある彼にしても、この男について詳しいわけでもない。 とはいえ一度は剣先を交えた相手だ。同じ道を志す者として、その身分くらいは代弁してやりたい気分もある。 しかし彼の足が止まることはなく、その口も閉じられたままだった。 とにかく時間が惜しいのだ。今はを保護するのが何よりも先決。ここで説明に立ち止まるくらいなら、一刻も早く先を急ぎたい。 黙っているのはあくまでそういった理由からであって、 ・・・いや違う。そうじゃねえ。いやだから違うっつってんだろ、そうじゃねーぞ。 決してこいつの名前が思い出せないだとか説明が面倒臭いだとか、その手のずさんな理由じゃねえんだ。 などと自分に言い聞かせて後ろめたさに蓋をして、土方は先導する男の後ろをもっともらしい無表情を装ってついていく。 そのまた後ろを「小腹がすいたアル。何か奢れ税金泥棒」と道沿いのコンビニを指しながら神楽が歩き、 「そのへんの草でも食ってろィ貧乏人」と神楽の蹴りを避けながらピョコピョコと片足で跳ねている、松葉杖の沖田も続く。 そしてこの一団の最後尾には、鼻をほじりながら左右を見回し、パチンコ帰りの時とまるで変わらない やる気のかけらも感じられない態度でついてくる銀時の姿が。 協調性も団結力も悲壮感も感じられないその集団――もし仮に名付けるとしたら 救出隊、とでも呼ぶべきだろうか――各自のポテンシャルは破壊的に高いものの 四人が四人ともまったく別の方向を向いているため、一致団結を要する救出隊としてのポテンシャルは限りなく低いこの一行は、 さっきから表情が固まったままの眼鏡の男を先頭に、とある門前に辿り着いた。 「・・・・・・。ここか」 土方が門構えを見上げながら舌打ちする。 大通りの賑わいからは隔絶された雰囲気と風格を放つ、著名人御用達の隠れ家として有名な高級料亭の門。 実は幕府関係者の利用も多く、警察庁長官の松平も贔屓にしている為、彼等真選組幹部にとっては見慣れた場所だ。 するとまたしても後ろの奴等が騒ぎ始める。門前を見上げながら喋り出したのは銀時と神楽だった。 「あれっ。ここかよ」 「またここアルか」 「へェ。旦那もここに馴染みがあるんですかィ」 「まーな。馴染みっつーか、何度か出入りしてっけど。何、そー言う沖田くんは入ったことあんの、ここ」 「ええ、数回ですかねィ。まあ俺らは、松平のとっつあんのお供で呼ばれただけですがね。ねェ土方さん」 「・・・?んな敷居の高けー店に、てめえら貧乏人がどっから潜り込んでんだ? 盗みにでも入ったのか。それともあれか、ネズミに紛れて屋根裏にでも住んでやがったのか」 「んだとてめ。人をコソ泥みてーに言うんじゃねーよ。俺達ゃ屋根裏なんざ入ってねーよ。まあ屋根には昇ったけどよ」 「そーネバカにするな税金泥棒!私たちは何もやましい真似はしてないネ。 隙を盗んでちょっと板場に忍び込んで料亭の残飯持ち帰っただけアル!」 ちょー美味かったアル松阪牛!とくりっとした目をきらきらと輝かせ、うっとりと虚空を見つめる神楽。 舌に残った特Aランクブランド牛のとろける美味さを思い出しているのか、ゆるんだ口端からはよだれが糸を引いていた。 この幸せそうな表情を見る限り、残飯漁りというシケた盗みを白状してしまった敗北感など毛程も感じていないようである。 そんな彼女を憐れみと嘲りの籠った目で見下ろし、取り出した煙草を咥えた土方は、フン、と鼻先で笑い飛ばした。 「あァ?ぁんだその蔑んだ目はよバカにすんじゃねーぞコルァ。俺達ゃなあ、依頼で屋根の修理に来たんだよ!」 「そーネ思い出したアル。ここはお前らんとこの三十路ゴリがマジモンのゴリと見合いして 庭にミソの道つくってた場所アル!」 「そーだよここは人生という名のラビリンスに迷いこんだてめーらの大将が目印という名の腐ったビスケットに ワントラップ入れてたとこだよ」 「何です旦那、腐ったビスケットってえのは」 「・・・訊くな総悟。やめとけ。それ以上訊くとこっちの分が悪くなるよーな気ィすっからやめとけ」 ・・・あんたって人は、んなとこで何をやってんだ。勘弁してくれ近藤さん。 急激な頭痛に見舞われて眉間を抑え、土方は気まずさに煙草を噛みしめる。 そんな彼の様子にいち早く気づいたのは、土方にとっては天敵である銀時だ。へらりと下世話に顔を崩し、 呑気な調子で鼻唄を歌い始める。口ずさみ始めたのは、主に子供が好んで歌うあの歌。 それはそこそこにぞんざいな幼少時を過ごした奴なら誰もが知っている替え歌で、例えば、ジェットコースター式な お腹の不調により学校で用を足さざるを得なかった不幸な男子生徒や、思わぬ場所で粗相をしてしまった子供を からかう時には欠かせない歌でもあり、排泄物の呼称を屈託なく連呼するあたりで世代を越えて歌い継がれる 大衆性と暴力的なまでのカタルシスをも獲得した歌といえばお判りになるだろうか―― ・・・まあその、有り体に言ってしまうと「みっちゃんみっちみっち」のお馴染みのフレーズで始まるアレなのだった。 こめかみに浮いた青筋をビクリと動かした土方が、挑発的にニヤけた歌声を振り切る勢いで先を急ぎ始める。 すると銀時の声に加えて神楽の声が重なり、ついには身内の恥を知ってか知らずか、もう一人の男の声まで加わった。 頭の後ろで奏でられる、高級料亭の雅やかな庭先にはまったくもって似つかわしくないあの三文字の大合唱。 さすがに我慢ならなくなった土方が、急ブレーキを掛けくるっと踵を返す。 「総悟ォォォォ!!」 「なんです土方さん」 「わざとだろ!?てめっ、判っててわざとやってんだろォォォ!!?」 「いやァ、この歌と何が関係あるのかは判ってやせんけどねェ。あんたが嫌そうにしてると面白れーもんで」 「・・・・・!」 薄茶の大きな瞳をぱちくりさせながら、沖田は何の屈託もなく堂々言ってのけた。 バカだ。純然たるバカだこいつは。と心中で唸りながらギリギリと煙草を噛み締め、土方は先へ先へと突進する。 その背後にぴったりと迫り、耳元で朗々と例の曲を歌い上げる銀時、神楽、そして沖田。見た目に似合わず ムキになりやすい真選組鬼の副長をからかうことにかけては右に出る者のない、ドSトリオコーラス隊の結成である。 「土方さぁーん。どうしたんですそんなに慌てて。おーい、返事しろィ土方あァァ」 「おいおいどーしたの土方くーん。なにをそんなに嫌がってんの。ほらほら、一緒に歌おうぜー」 「そーでェ一緒に歌ってみろィ土方ー。お前なら歌えるはずだ土方ー」 「歌えるかァァァ!!!」 上流階級に属する若者たちのお見合いや婚儀にも使われるという、瀟洒な離れが浮島のように点在する広い庭園。 見合い中らしき男女が小声で上品に談笑するその中を、土方は流水模様を描く白い玉砂利を蹴散らし、脇目もふらずに突き進む。 その後ろには、見るからに下世話なことを考えていそうな目を三日月のようににんまり細め、 うひひひひと不気味な笑みを浮かべながら大声であの歌を熱唱し、逃げる男を追いかけ迫る三人の合唱隊の姿が。 「諦めろマヨラー。ここにがいるからって自分だけ格好つける気アルか。自分だけ綺麗なままで済むと思ってるアルか。 そーいうところがきらわれるって判ってないアルかお前。たまにはこえだめに飛び込んでみろヨ。自ら進んで野糞にまみれろヨ」 「断る。俺ぁ急いでんだついてくんな。クソでも何でもてめーら三人で好きなだけまみれてりゃいーじゃねーか」 「まぁまぁたまにはいーじゃありやせんか。クソでも何でも皆でまみれりゃー怖くありやせんぜ」 「そーネ、皆で歌えば怖くないアル!せーの、「「「♪ みっちゃんびっっっちびっち☆ンコたーれてー ♪」」」 「おいィィィ!そこの擬音を濁音にすんじゃねえ!なんか緩んだカンジになんだろーが!リアルさ五割増しだろーがァァ!!」 場違いな四人組は先導していた男などとっくに追い抜き、さらにはその存在すらも忘れ去り、静かで優雅な庭園を 騒々しく荒らし回った。こうなると本末転倒もいいところだ。ここへ来た本来の目的を、 いったいこの中の誰が憶えているというのか。追い付き引き離しを繰り返し、この料亭の本館でもある 寝殿造りの建物の前まで、本来の目的を放棄した頼りにならない救出隊は辿り着く。するとそこへ、 ドゴオオォォォっっ! と地鳴りを響かせて白く大きな何かが庭に舞った。 まるでバズーカで撃破されたかのような勢いで弾き飛ばされたもの。見ればそれは一枚の障子戸だ。 庭沿いに走る長い廊下と、そこにずらりと並ぶ部屋とを仕切っていたうちの一つが、なぜか宙を舞っている。 何事だ、とそれを見上げて構えを取った土方の眼前が、唐突に、何の前触れもなく暗転。 「あァ?」と不意を突かれて間抜けに呻いた、その瞬間に何かと激突。 鈍い衝撃が頭に走り、バチバチッと目の中に鮮やかな火花が散り、ずさあぁっ、と今度は玉砂利敷きの地面と衝突。 障子戸が吹き飛んだ部屋から大きな何かが飛び出て、彼の横っ面に強烈な体当たりを喰らわせたのだ。 「っっっ・・・!!!」 ぐわんぐわんと歪んだ音で共鳴する頭を抱え、痛みを噛み締めうずくまる。こんな場合、 普段であれば隊士の数人が「副長、お怪我は!」と走り寄ってくるところなのだが、今ばかりはそうはいかない。 誘拐犯に招かれたこの料亭内は敵地でもあり、行動を共にしている奴等は味方のようで味方に非ず。 四面楚歌、孤立無援。まさしくここは土方にとって、完全アウェーの真っ只中なのだ。 観客席が赤に染まった韓国戦に乗り込んだサムライブルー然り、トイレに乗り込んで大をしてから紙がないことに気づいて お尻丸出しでマヌケな心理戦を繰り広げていた情けないサムライ4もまた然り。援軍など一人もあてに出来ず、 己の力で己の進路を切り拓くより他に道はなく、一秒たりとも気を抜けない死地。ここはそういう場所なのである。 ・・・というようなことを、当事者の土方本人は今、背骨の髄液まで沸騰しそうなほど腹立たしく痛感していたりする。 なぜそこまで頭にきているのかといえば、追いついてきた銀時が地面に転がる彼を指してゲラゲラと嘲笑っていたり、 この不慮の事故のドサクサに紛れた三人分の蹴りが、彼に起き上がる隙を与えることなくドカドカと 降り注いでいたりするからなのだが。 さて、そんなこんなでうずくまった土方が一方的にボコられながら十秒が経過。二十秒が経過。三十秒が―― 「だああああァァァ!いつまで調子こいて便乗してやがんだァァ! ぁんだコルぁやんのかコルァァ!やんならいっそまとめてかかってこいやぁこっっのドSトリオがァァァ!!」 元来が喧嘩っ早い男である。ガバッと跳ね起き刀を抜き払い、ブンブンと振り回して逆ギレするまで 時間は全くかからなかった。一方的なイジメを心底楽しんでいたドSトリオは蜘蛛の子を散らす勢いで逃げ去ったのだが、 その中で沖田だけがぴたりと立ち止まる。吹き飛んだ障子戸が落ちたあたりに、何かを発見したらしい。 「・・・あれっ。近藤さん。近藤さんじゃねーですかィ」 「はぁ?」 その名を聞いた他の三人もぴたりと止まり、沖田が片脚でピョンピョン跳ねていった先に全員が集まる。 赤や金の錦鯉が華やかに泳ぐ大きな池の手前。ゆるやかに弧を描く石畳に頭から激突したようなポーズで、誰かが倒れている。 袴姿の誰かが――どこかで見たようながっしりした体格の男が、うつぶせでぐったりと死体のように。 その男を囲んで見下ろし、四人はそれぞれに怪訝そうな顔つきになった。 「動かねーなァ。死んでんのか?つーかさっきは早すぎて見えなかったけどよー、飛んできたアレってこいつだったんじゃね? これってお前らんとこのゴリだよな。なんでこんなとこにいんのこいつ」 「・・・まあ確かに似てはいるがな。違うだろ。こいつぁ別人だろ。 近藤さんがこの時間にこんなとこにいるわけがねえ。時間からいってあのぼったくりキャバ嬢にドツかれてる頃だ」 「いやァ、これァ絶対に近藤さんでさァ。俺が近藤さんを見間違うはずがねーや」 「いやァ、そりゃまあ沖田くんに限らず、誰でもあのゴリのこたぁ見間違いようがねーけどよォ。 ジャングル奥地に生息してるはずのケモノが制服着て江戸の街歩き回ってんだからよー」 「ゴリかどうか確かめるネ。顔を見ればわかるアル」 沖田が頭を抱えて起こし、四人はその顔を確認。次の瞬間、銀時と神楽は一斉にギャハハハハハと派手に笑い転げ、 うなだれた土方は目を覆い、煙草の煙と一緒に深々とした溜め息を吐いた。 白目を剥いているし、口からはカニのように泡を吹いていて意識はない。が、嘆かわしいことにどこからどう見ても近藤だ。 「・・・ったく、あんたってぇ人は。んなとこで何をやってんだ・・・」 勘弁してくれ近藤さん。 さっきもつぶやいた台詞を繰り返しつぶやき、土方は困惑に肩を落とした。 だが、今は黙って落ち込んでいる暇はない。間もなく気を取り直し、料亭の本館へとその目を向ける。 これで確信は得た。俺をここまで呼びつけた奴が誰なのかも、近藤さんを放り出した奴が誰なのかも。 まあ、仮にも警察組織のトップが犯罪者まがいな真似をしているという事情が事情だけに、あまり大っぴらに言えた話ではないが 武装警察真選組の局長をこんな目に遭わせる奴など、江戸中探しても二人といるはずがないのだ。 廊下沿いに閉め切られた戸が並ぶ中、唯一障子戸が外れて宴席が見えている部屋。 おそらく中にいるのはあの女だ。そしてあの女がここにいるということは、やはり―― そこでぷつりと彼の思考は途切れた。隣に立っていた銀時の声が耳に飛び込んできたのだ。 げっ、とひどく嫌そうに呻いた引き気味な声が。 「あら。誰かと思ったら銀さんじゃありませんか」 「・・・・やっぱおめーかよ」 「アネゴぉ!どうしたアルか、何でここにいるアルか」 「まあ、神楽ちゃんも。あなたたちこそどうしたの、急なお仕事でも入ったの?」 「あれっ、銀さん?神楽ちゃんまで! こんなところでどうしたんですか二人とも。・・・えっ、まさか、また残飯漁りに来たんじゃないでしょうね!?」 戸が吹き飛んでいる例の部屋からきょとんとした表情で廊下へと出てきたのは、 土方の予想した通りの女とその弟である。庭で伸びている局長近藤の思い人でもある、一見楚々とした暴力キャバ嬢志村妙。 その隣から残飯漁りの前科犯二名に疑いの目を向けているのが弟の新八。 主に似て何かと小煩い「万事屋のガキども」の片割れだ。 「新八、お前こそ何やってんだぁ?てめーらみてーな貧乏人がおいそれと入れる場所じゃねーだろーに」 「その言葉、そっくりそのまま返してあげますよ。それより銀さん、実はこの中に」 と、なんとなく嬉しげに笑った新八が背後の部屋を指そうとしたその時。 ドゴオオォォォっっ! 新八の指先すれすれに、巻き込まれた障子戸ごと吹き飛ばした何かがまたもや庭へと飛び出す。 そこで再び不慮の事故が起きた。早すぎて何なのか確かめようのないその大きな塊が、 ごっっっ、と鈍い衝突音とともに銀時の頭にクラッシュしたのである。 「!!ぎっっ、銀さんんんん!!?」 障子戸込みの衝撃を喰らってしまい頭から墜落した銀時に、庭へ飛び降りた新八が慌てて駆け寄る。 「銀さん、銀さん!ちょっ、生きてますか銀さん!!?」 「大丈夫ヨ新八。そいつの頭は岩より硬いアル、そう簡単には割れないアル」 「何でそんなに落ちついてるの神楽ちゃん!そりゃあ銀さんは頑丈だけど だからって頭はマズいよ、また記憶が飛んで町工場に就職してジャスタウェイ作りの達人になっちゃったらどーするのさ!?」 「この機会にいっそ全部リセットすればいーネ。従業員に給料も払えないマダオの頭に どーせろくな記憶は詰まってないアル。それに銀ちゃんの弱点はここじゃないネ。頭以上に使い道がないところヨ」 身もフタもなく言い切った神楽は、新八とは対照的に何の心配もしていなさそうな顔で銀時を見下ろし、 動かない天パの頭をつんつんと突いていたりする。 そんな彼等の騒ぎっぷりを眺めていた沖田が首を傾げ、不思議そうにつぶやいた。 「近藤さんはともかく姐さんとメガネまで。あいつら、どーやってここに潜り込んだんでェ」 「ああ。これで決まりだな」 「?・・・決まりってえのは何です。何が決まったんですかィ」 「・・・・・総悟。お前なぁ、悪だくみ以外に頭使えねーのか。ここまで見りゃあどんなサルだって一目瞭然じゃねーか」 悪だくみ以外に興味を示さず、普段の職務ではサルにも劣る知力しか発揮してくれない部下を情けなさそうに睨みつけると 土方は足元で倒れ伏している長髪の男を見下ろす。例の部屋から障子戸ごと放り出され、銀時に激突したのがこの男だ。 今は気を失っているその男の背中をじろりと一瞥。彼の視線につられた沖田がその男を眺め始めると、 訝しげに細めた目をあの部屋へと向けた。 「そいつが俺らを呼びつけた電話の主だ」 「こいつがですかィ?・・・・・あれっ。こいつ、どっかで見たよーな・・・」 松葉杖の先ででロン毛の頭をコンコンと突きながら不思議そうにしている沖田を置いて、土方は足早に歩き出す。 もう疑いようもない。ここに決定的な証拠が飛び込んできたのだ。 ・・・・・だがしかし、どういうこった。あいつらにどんな接点があるってんだ。 つーかあのバカ。毎度毎度、肝心なことに限って口が滑りやがらねぇ。 何かと七面倒臭せぇ背景背負ったあの野郎と、どこでどうやって知り合ってんだ?んなこたぁ俺には一度だって―― 庭から廊下へと上がる階段の前。そこで立ち止まり、落とした煙草を靴先で荒々しく蹴るように揉み消すと 土方はあからさまに苛立った声でその部屋の奥へ呼びかけた。 「出て来いよ。そこにいんだろ、柳生の次期当主さんよ」 金持ちの道楽だか何だか知らねえが、回りくどい真似しやがって。 誰も座っていない宴席を睨み据えながら待ち構えていると、思った通りの奴がそこに進み出てきた。 腰には目を惹く華やかな設えを施した二本の長物を携えていて、一見したところは少年のような小柄な体躯をしている。 長い黒髪を一つに束ね、子供の頃に視力を失ったという左目を黒の眼帯で隠し、澄んだ右目でこちらを見据える隻眼の剣士。 女の身でありながら、剣の道を極めるために、また、名門柳生家の家督を継ぐために男として育てられた男装の少女。 柳生九兵衛。土方にとっては二度対峙したものの、二度とも惨敗した相手だ。 「そうか、やはり君が自ら来たか」 「ああ。別に来たかねえんだが、生憎と大将が不在だったからな」 言いながら視線をちらりと背後に流す。 近藤はようやく気がついたらしい。身体の痛みに呻きながら、どうにか起き上がっているような気配があった。 すると九兵衛はやや表情を和らげ、ははは、と声を上げて笑う。ひどく率直で邪気のない笑顔だ。 このガキ、こんな顔も出来たのか。お妙が絡んだあの一件以外で彼女を目にしたことのない土方には、 一瞬眉をひそめるほど意外に映った。 「安心したよ。ここで他の奴を寄越すような腰抜けなら、どうしてやろうかと思っていた」 「・・・悪いがそう暇でもねえんだ。あんたの御託は聞くつもりがねえ、用件が先だ。あいつは。はどこだ」 対する九兵衛はそこで唇を結び、沈黙を守った。 ゆっくりと吊り上がっていく口端が、その表情を優雅だが皮肉気な微笑みへと変えていく。 ちっ、と土方は面倒そうに舌打ちした。何を考えてやがるのかは知らねえが、あのツラが出たら要注意だ。 戦り合った時にもあの顔を見た。たしか撃って出る寸前のこいつも、あれと似たような顔になっていた。 「九兵衛さまー?」 無言で対峙する二人の耳に、ぱたん、と部屋の奥からの音が届く。 部屋の奥に人の気配が増えた。今のは襖を閉めた音らしい。それと同時に響いた女の声が、土方をはっとさせる。 あいつだ。思わず身体が前へ出そうになったが、彼が動くよりも早くは廊下へ駆け出てきた。 見覚えのない高価そうな着物を着ている。女の着物の良し悪しに興味のない土方にも判る、 金糸銀糸をふんだんに散らした美しい着物だ。いつも着ている短い着物と丈は同じだが、放つ雰囲気がいつもとは違って見えた。 地色は濃い桜色。の淡く透けるような肌によく映えているし、似合ってもいる。ところが一目で彼は思った。 ・・・気に喰わねぇ。 は軽く外に目を向けはしたが、未だに彼や沖田、銀時たちには気付いていない。 障子戸があったはずの敷居や廊下の床のあたりをきょろきょろと見回し、うつむきがちに目線を彷徨わせる。 「九兵衛さま?今、ものすごい音がしましたけど。何かあったんですか?もしかして、近藤さ、・・・・・」 九兵衛の背中に控え目に問いかけた彼女の表情が、ぴたりと固まる。 目が合ったのだ。九兵衛の肩越しに、自分をきつく睨んでいる男の目と。 「・・・・土方さん。え、・・・・・・なんで」 いくら見つめても、土方がここにいるのが信じられないのだろう。 は呆然と立ち尽くし、驚きに目を丸くしている。しばらくしてから我に返り、ささっと九兵衛の後ろに隠れた。 顔を半分隠すようにして彼を覗き見ているは、不安げに眉を曇らせている。 自分よりも小さな身体の少女を頼りきっているかのように、彼女の袖の端を掴んでいた。 その手を見つめた土方がなんとなく不愉快そうに表情を変えたのだが、動揺していているはそこには気づかなかった。 あの様子から察するに、自分の誘拐を装って土方が呼び出されたことは知らされていないらしい。 それも当然といえば当然ではあるが、・・・こいつは自分が俺をおびき出す餌として使われていた、なんて言ったって どうせ信じやしねえだろう。あの顔を――いや、あの縋りついた手を見れば判る。 こいつと柳生の若様がどう知り合い、どういった間柄なのかは知らねえ。だが、はこいつを信頼しきっている。 「てめーこそここで何やってんだ」 「何って、・・・・・・・・。あの、あたし、・・・・・・・・」 厳しい口調で問い詰められ、困った顔でうつむいたは、言いにくそうに口をつぐんだ。 いつになく弱気な様子で、土方に怯んで後ずさる。 はっきりしないに内心面白くない思いをしながらも、土方は前へ進み出る。 「帰るぞ。さっさとそいつを脱いで来い」 「・・・・・・あ、・・・・・あの。土方さん、・・・・・」 まずはこいつを連れ帰る。若様が引き止めようが、ここは無理矢理にでも振り切ってやる。後のこたぁ後のことだ。 これが営利目的の誘拐や首謀者が攘夷志士の誘拐であったなら話は別だが、この茶番の仕掛け主は柳生家。 相手はかつては将軍家お抱えの剣術指南役であった名家の子息。 本人がどう盾突いてくる気かは知らねえが、こいつの取り巻き連中は警察関係者との波風も、 取るに足らない小娘を火種にした醜聞も、それが元で次期当主につまらない傷がつくのも嫌うだろう。 いざとなれば松平のとっつあんを頼みにしてでも、どうとでも片をつけようがある相手だ。 瞬時にそう算段し、廊下へ昇る階段へと土足のまま片脚を上げた。ところがそこへ、彼を遮る邪魔が入った。 「やめたまえ、土方くん」 それまで黙って成り行きを見守っていた九兵衛だ。 弟子の愚行でも制するような強い口調で呼びかけ、腕を横に伸ばして土方の動きを遮る。 その仕草は偶然なのか故意なのか、彼ととの間を断ち切るような仕草になっていた。 「余計な口を挟まねえでくれ。てめえには話してねえぜ」 「そうはいかない、土方くん。これからはさんに向かって軽々しい呼び方は慎んでくれ。 ・・・この人は、僕の大事な人なんだ」 馬鹿にしやがる。前にもどこかで聞かされたような台詞じゃねえか。 黙り込んだ土方はうんざりしたように口端を下げる。 を護るように背後に庇い、凛とした面持ちには一部の隙も見せようとしない隻眼の剣士を激しく睨みつけた。 「さんは僕が貰う。すでに局長殿の了承はいただいてあるんだ。 彼女が頷いてくれさえすれば、明日からでも我が柳生家の剣術指南役としてお迎えすることになった」 「・・・こいつをか?」 あっけにとられた土方が、呆れたように息を呑む。 「・・・・・・てめえ、正気か。天下の柳生が貧乏道場の小娘に何の用だ?」 「君も知ってのとおりだ。多彩な剣技を習得しているさんの腕なら、柳生の指南役として何ら不足はない。 僕もさっき確かめさせて貰ったが、・・・ああ、そういえば以前、君にも似たような真似をしたな。妙ちゃんの店で」 「・・・・・・・・・・」 「涼音さんは君以上に上手く、不意の一撃を受けて立ってくれた。申し分のない腕前だった」 「笑えねえ冗談だな」 「冗談などではない。彼女は僕が貰い受ける。そして君にそれを覆す権限はない。すべてはもう決まったことだ」 淡々と言い含めるように、しかしはっきりと九兵衛が言い切る。僅かずつ、しかし確実に周囲の気配を強張らせていく二人。 硬直していく空気に耐えられずに顔を逸らし、は九兵衛の袖をぎゅっと握った。 困惑で曇ったその表情には、藍色に沈んでいく夕空の影が落ちていた。
「 片恋方程式。19 」 text by riliri Caramelization 2010/10/30/ ----------------------------------------------------------------------------------- 途中で庭に置き去りにされたメガネの人は北大路です と言い張ってもいいですか 捏造「柳生編後日談」もーちょっと続きます next