片恋方程式。 13
「―――ちょっ。待ったァ、待ってよ! もっとわかりやすく話してよ。まったくあんたの説明ときたら、早口だし唐突だし脈絡はないし…!」 初めて聞いたわ、こんなに推理力が必要な恋バナなんて。 かき氷のスプーンをぱくっと咥えた小菊姐さんは、きれいに整えられた柳眉を思いきりひそめてあたしを見た。 あの困惑顔は、ここに座ってからノンストップで愚痴り続けたあたしに困っているせいなのか。それとも、愚痴を聞きながら 休むことなくパクついていた宇治金時のかき氷で頭痛がしてきたせいなのか。・・・たぶんかき氷のせいじゃないのかな。 うーん、と辛そうに歯を食い縛って唸りながら、こめかみを人差し指でグイグイ押している。 「だからァ、つまり。つまりよ、今までの話をまとめるとォ、・・・・・よーするにこーいうこと?」 あのおっかない副長さんには遠恋中の彼女がいて、その人とはしばらく会ってないようだけど、文通はずっと続いている、と」 「うん。武州から出てきてから会ってないんだって」 冷え冷えのあんずミルク味かき氷を一口、ぱくっと咥えて味わってから、あたしは小さく溜め息をついた。 冷房のしっかりきいたこの甘味屋さんは、小菊姐さんの行きつけのお店。菱屋のお姐さんたちも揃ってご贔屓にしているらしい。 とろっと煮詰めたあんずシロップのお味も、落ちついた店内も、すっきりしているのに味わい深くて洒落ている。 いかにも江戸風情漂う、花街のご近所らしいお店ってかんじ。 溶けかかって半透明になった氷の山をシャクシャクとつつきながら、あたしは二度目の溜め息をついた。 「・・・なんかさー。すごいよね。かなわないよ、そういうのって。 普通の恋人同士よりかえって結びつきが強いっていうか。ちょっとやそっとじゃ壊れないって感じがするもん・・・」 「一方あの副長さんは、あんたの気持ちには前から気付いていたようだ、と。 で、あんたが風呂場で、しかも素っ裸で、いちかばちかのヤケクソで自分の気持ちを打ち明けようとしたら、 告白する前に勘付かれて拒否られた、と。それからしばらくは遠巻きにされたけど、 ここ最近、いったいあの兄さんは何を思っているのか、態度がなんとなく和らいできている、と。 そんなこんなで現在は、なし崩しに元の関係に戻りつつある、と。・・・どーよ、あたしの推理。こんなところで合ってる?」 「ふあああああぁぁぁ!!」 合ってる。まるであたしの醜態を姐さんがその目でしかと見てきたとしか思えないくらいに合ってますとも!! 錯乱したあたしはかき氷の鉢とそのスプーンをぽいっと放る。 テーブルにゴンゴンと、激しく頭を打ち付けた。 「やだ何、ちょっとォ、?どーしたのよ。 ・・・?おっかしいわねえ。そんなに悶えちゃうくらい間違ってた?あたしの推理」 「お願い姐さんっっ、素っ裸とかそんなにはっきり言わないでぇぇ! あんなこっぱずかしい記憶っ、もう二度と思い出したくないぃぃぃ!今思い出しても顔から火が出そーなのにぃぃ!」 「あらぁ、やっちゃったもんはしょーがないじゃない、今さら泣きごと言わないの。事実は事実として受け止めなさい」 「だってえぇ、お風呂場でだよ?女の子が自分から、玉砕決死の覚悟で?しかも素っ裸で飛びついたんだよ!? なのに全部無視で「聞かなかったことにする」とか言われて、告白も出来ずにフラれるって、・・・」 ふっ。・・・・ふふふ、ふふふふふふふふふふ。 スプーンで氷をザクザク突きながら顔を引きつらせて不気味に笑っていたら、小菊姐さんはそんなあたしに顔を引きつらせた。 いや、小菊姐さんだけじゃなかった。あたしたちの周りに座ったお客さんたちも、店内と厨房を仕切る暖簾の前に立つ店員さんも、 みんな気味悪そうに固まってこっちを見てる。 お騒がせしてすみません。店内に漂う小粋な江戸風情をぶち壊しちゃってすみません。 乾ききった自虐の笑いを満面にたたえて、あたしはペコペコと各方面に頭を下げた。 「ふふふ〜〜。ひどいよねえぇ。ひどすぎるよねえええぇぇ。 ・・・・はぁあぁぁ。ねえ、姐さん。あたしって、土方さんに、どんだけ女扱いされてないのかなあぁ・・・」 「そォ?だとしたらさぁ。おっかしいわよねえ」 「・・・・・?」 「だってさ。告白する前にお風呂場で素っ裸で鉢合わせして、素っ裸で抱き上げられたんでしょ?その時には」 「ね、姐さんんん〜〜」 「ん?何よ、どーしたの、急に涙目になっちゃって。氷が虫歯に染みたの?」 「おねがい。おねがいだから素っ裸連呼するのはやめてよぅぅ。 さっきから胸にグサグサ突き刺さってるのぉ、言われるたびに恥ずかしくって死にたくなるのおぉっ」 「・・・つくづくわかんない子ねえあんたって。大胆なんだか繊細なんだか・・・いやまあ、いいけど。 ――で、あんたがその・・・あられもない姿だった時には、よ?もーすこしでいいカンジ、ってとこまで いきそーになったんでしょ?それってさあ。あっちも少なからずを女扱いして見てた証拠じゃないの」 「・・・。へ?」 あたしはぽかんと目を見開いた。 だってそんなはずがない。勘のいい小菊姐さんらしくもない思い違いだ。 ところが姐さんはあたしの反応なんて気にもしないで、かき氷のガラス鉢をじーっと見据え。 溶けかかった抹茶色の氷をスプーンで掬っては食べながら、何かをブツブツとつぶやき始めた。 三口食べたところで手が止まり、目を生き生きと輝かせてあたしに振り向く。 「ねえっ。試しに副長さんの前で他の男といちゃついてみたら?」 「・・・・・!!?は、はぁああァ!!!??」 「やーねえ、そんなに驚くことじゃないわよォ。そんなの女だったら誰でも普通に試すことじゃないの!」 と小菊姐さんはケラケラ笑って、なんてことなさそうに言うけれど。あたしは困って頬をポリポリ掻いた。 ・・・そ。そうかなぁ。まあ、お座敷で鍛えた百戦錬磨のテクニックを誇る小菊姐さんには簡単なことなんだろうけど。 そんな女子スキルが試されそーな高難度ミッションが、何でも顔に出ちゃう「バカ女」のあたしにこなせるんだろーか。 「あら、そう難しいことじゃないわよ。酔ったふりで、冗談のつもりでやればいいの。相手だって誰でもいいのよ。 肝心なのは副長さんが見てるところでいちゃつくこと。それと、必ずその時の副長さんの反応を見ておくこと。 そこであの兄さんが少しでもうろたえたら、これは確実に脈ありよ。ねえ、ダメモトで一回やってみたらどう?」 「や、やややや、やだなーもう、姐さんったら!そんなはずないじゃん。変な期待させないでよー! あれは違うよォ、あれはほら、・・・そっ、そう!多分さ、場の勢いみたいなものだったんだよ、きっと」 「勢い、ねえ。そーかしら?あのいつも仏頂面で可愛げなさそーな兄さんが、その場の勢いだけで女に手をつけるよーなタマ? しかも相手が、手をつけたら最後、後始末が他の誰より面倒な部下のよ?そんな子にうっかり手を出すような 迂闊でマヌケな男に見える?あれが!?」 「ね。姐さん。・・・あんまり。その。土方さんのこと、あれとか、タマとか、・・・言わないで、ほしいなぁ〜」 「あら、やだ、ごめんごめん。話聞いてたらついむかっときちゃってさぁ」 かき氷の最後の一口をぱくりと咥えた姐さんは、腹立たしそうに眉をひそめる。 店の天井を見上げながら、ひそひそっと、独り言のように続けた。 「それにしてもあの兄さん。…聞いた通りの頭の硬さっていうか、ほんっっっとに融通のきかなさそーな男ねぇ。 から告白したのに無視って、どーいうことよ。まったくもう。あいつの耳に入った日には絶対ただじゃおかないわねー」 「?姐さん、あいつって誰のこと?」 「―――、すみませーん!もう一杯おかわり下さいなー!!」 曖昧な笑みを浮かべた姐さんが唐突に手を上げ、朗らかな声で店員さんを呼んだ。 何か含みのありそーなその澄ました笑顔には、ちょーっと、首を傾げたくなったんだけど。 そんな些細な疑惑は「今日は何杯でも奢るわよ、じゃんじゃん頼みなさい!」という、 姐さんの太っ腹かつ頼もしいお言葉で、すっかりあたしの呑気な頭からは吹き飛んでしまった。 それからあたしたちはそれぞれに、やけ食いならぬ「やけかき氷」を二杯ずつ追加。 「じゃあまたね、めげるんじゃないわよ!」とひらひら手を振り、颯爽と唄のお稽古に向かった姐さんとは対照的に、 かき氷三杯ですっかり身体が冷えきったあたしは、あまりの寒さにブルブルと背筋を震わせ。 鍛冶屋で受け取った総悟の刀を胸に抱きしめて、猫背気味に、顔色悪くお店を出た。 ―――で、本当は、そこからまっすぐ屯所に帰るつもりだったんだけど。 歩いているうちに寒気で歯がガチガチ震えてきちゃって、これは屯所に着く手前で凍死するんじゃないかと本気で不安に なっちゃって。歯をガチガチ鳴らしながら帰り道を変更、屯所の近所にある甘味屋に震えながら辿り着き。 店の軒先に並べられた縁台で(江戸の海開きも間近なこの陽気だというのに)ホカホカの甘酒と湯気の昇る甘ーいお汁粉を注文。 「あったかいぃ〜〜、極楽極楽、生き返るうぅ〜〜」なんて、まるで温泉に浸かったおばあちゃんみたいにつぶやきながら お餅二つをお腹に収めて、満足感に浸ってしみじみと餡子を啜っていたら。ガチャン、と茶碗が割れる音が響いた。 「なっ、なにしやがんだっ、こっっのアマあああァァァ!!」 音のした方に振り返ると、どうやらそれは店の中にいた人たちだったようで。三人が椅子から立ち上がって騒いでいる。 特にそのうちの二人――あまり柄が良いとはいえない人相の男二人は、殺気立った気配を撒き散らしながら 女の人を両側から挟んで、真上からギャアギャア怒鳴っている。片方の男が椅子をドカッと蹴飛ばし、 ゴロゴロ転がったそれが店の壁にぶち当たった。 「あ、あのぅ、お客さん?一体どうなさったんです?」 暖簾をくぐって厨房から駆けつけたのは気弱そうな店主のお爺さん。 困った様子でおろおろと手揉みしていて、すっかり怖気づいちゃってる。 そんなお爺さんの様子に男二人は何を勘違いしたのか、調子づいて他の椅子まで蹴り飛ばし始めたんだけど。 ・・・・あーあ、なによあれ。なによあいつら、どこの組の下っ端よ。 あんな人をよってたかって脅そうなんて、絶対に大の男のやることじゃないと思うんですけど。 ここからじゃ顔まではわからないけどさ。後ろ姿を見る限りは、細身で大人しそうな雰囲気の、いかにもか弱そうな女の人じゃない。 あっ。今度はテーブルまで倒した。あっ、止めに入ったおじいさんまで突き飛ばした! ・・・うわー。あったまきた。何よあれっ、最っっっ低。しかも女の人に掴みかかって「金出せ」とか言ってるし! いい年こいてカツアゲですかこのヤロー!? チンピラ二人の大人気ない様子を呆れた目で睨みながら、残りの餡子を急いでごくごく飲み干し。 あたしは総悟の刀を手にして店内に入り、擦り足で二人組の背後に忍び寄った。 「ちょっと。ちょっとちょっと、お兄さんたち」 「んあぁ!?」 目を剥く剣幕で振り向いた男二人が、あたしを頭の天辺から足先までジロジロと眺めつくす。 それからなぜか二人揃って「ほおぉ」と唸ると、急にでれっと顔を崩してニヤつき始めた。 視線が妙にねちっこい。あたしはバカ正直に顔を引きつらせ、思わず一歩下がってしまった。 ・・・・・・なんなの一体。なんかこう、しつこいっていうか粘っこいっていうか、やけに暑っ苦しい視線だなあ。 「あのー。何があったのか知りませんけど、そこまでにしておいたらどうですか。 男の人が二人がかりで女性とお年寄りに乱暴するなんて、みっともないですよ」 「なんだいあんた。俺たちに説教しにきたのかぁ?それともわざわざその脚見せにきたのかよ」 いい脚してんなぁ、とつぶやいた片方の男が、無精髭の顎を撫でながらあたしの脚をしげしげと眺める。 「まあ、あの女は見逃してやってもいいぜ?あんたが俺たちを二人まとめて相手してくれるんならなぁ!」 下品な声でゲラゲラ笑いながら言った。もう片方が慣れ慣れしくあたしに寄ってきて隣に並び、肩を掴む。 ものすごーく醒めた気分にさせられたあたしは、思わず「ははっ」と口端を引きつらせて笑ってしまった。 ・・・もしかしたら、土方さんが呆れた時によくやるアレにちょっと似ていたかもしれない。 なーんだ。さっきは「カツアゲ!?」と思ったけど。よーするにこの二人、タチの悪いナンパ師ってやつか。 「――わかりました。あたしがお相手します。時間がないから二人同時に、ね」 「へーえ。話のわかる女じゃねーか」 「そうと決まればこんなしけた店に用はねえ。なあお姉ちゃん、どこで楽しませてくれるんだい」 「はぁ。そうですねえ――」 ぱしっ、と肩にあった男の手を払い除け、総悟の刀に手を掛ける。 途端にはっとした男二人が後ずさり、腰を落として構えた。 すうっ、と深く息を吸う。柄の感触を慎重に確かめながら鍔口を指で押す。かちっ、と硬い音が鳴った。 「ここでいいです、時間がないんで」 二人を交互に睨みながらきっぱり言った。態度でも威嚇するために、出来るだけきりっとした表情も作っている。 だけど正直言うと、取り繕った態度の下で、気分は憂鬱なブルー一色に染まっていく一方だ。 あーあ、やだなぁ。 緊急時だから仕方なく使うけど、出来れば使いたくない技なんだよね、これって。 最後に使ったのは家出する前、実家のボロ道場で。使った相手は人間じゃなくて、 義父さんがこの技の練習用に作ってくれた、棒に藁を巻きつけた案山子だったけど。 思い出しながら呼吸を整える。 すうっ、と再び深く息を吸い込み、ゆっくりと静かに吐き。 充分な気合いが乗ったところで素早く一歩踏み出し、同時に刀を引き抜き――― 「失礼!!」 「!!!!」 ぱらぱらぱら、ぱらっっ。 ぱちん、と抜いた刀をふたたび鞘に収めた頃には、チンピラ兄さん二人の着物は紙吹雪状に細かく切り裂かれ、 周囲をヒラヒラ舞っている。 「おぉーっ!!」と驚きの声が上がって、パチパチパチパチっ、と拍手が鳴り響く。 突き飛ばされて床に座り込んでいた店主のおじいさんが、目を丸くして感嘆しながら手を叩いてくれた。 あたしは照れ笑いでぺこっとお辞儀して「えへへ、どーもどーも」と観客の歓声に応える。 着物の破片が桜吹雪みたいに派手に舞うこの光景は、確かになかなかの綺麗さなんだよね。 ・・・その中心で顔を真っ青にして石みたいに固まってる二人の一糸纏わぬ姿は、お世辞にも綺麗とはいえないけど。 「さあっ、逃げましょう!」 「え?」 お店の隅っこに避難していたお姉さんの手を取り、引きずるようにしてあたしは駆け出した。 小さな店を抜けて通りに出て、すぐ横の暗い小路に飛び込み、その小路と交差している別の小路へ曲がり―― たまに後ろに目を向けて、あの兄さんたちがストリーキングで追ってこないことを確認しながらひた走る。 屯所の近くだけあってこの辺りの抜け道は知りつくしている。同じように角をいくつか曲がったら、屯所の正門はもうすぐだ。 今はとにかくこの人を保護しないと。屯所に着いたら誰かに頼んで、すぐにあの二人を確保してもらおう。 「・・・・・・あ、・・・・、あの、っ―――」 ところが二つ目の小路を曲がってすぐのところで、くいっ、と手を引かれた。 黙ってついてきていたお姉さんが息を切らしながら話しかけてきて、繋いだ手を弱々しく引いている。 「ご、め、・・・・な、さ・・・・・、わ。私、もう―――・・・・・・」 ひどく息苦しそうに訴える声にはっとして立ち止まる。 振り向くと、お姉さんは小路の影の中でがくりと膝を崩して座り込んでいた。 「す・・・!すみませんっっ、やだ、どうしよう、大丈夫ですかっ!?」 「え・・・・ええ、っ・・・、大丈夫。・・・・・すこしだけ、休めば、・・・もう・・・大丈夫、・・・・・よ」 一言ずつ噛みしめながら、切れ切れに喋るその人の喉からは、ひゅう、ひゅう、と 喘息の症状みたいな痛々しい呼吸が漏れてくる。 胸を抑えてうずくまる姿もすごく苦しそう。息の荒さはちっとも引いていかないみたいだし。 どうしよう。すぐに救急車を呼んだほうがいいのかな。 おろおろと、焦ってお姉さんの背中をさすっていたら、お姉さんがあたしの手をきゅっと握る。 握ってきた細い指がびっくりするくらい冷たい。「大丈夫、もう、治まる、から」と、消え入りそうな声でつぶやいた。 あたしたちは何分くらい、細くて湿った暗い小路に座り込んでいたんだろう。 すっかりあわてていたから判らない。そんなに長い時間じゃなかったのかもしれない。 だけど、途方もなく長い、すごく心細い時間のように感じた。 お姉さんが自分で言った通り、息苦しさは少しずつ和らいでいるようだった。 青ざめた顔を上げてにっこり笑って「もう平気です」と言ったけれど、ほっそりした白い首筋やこめかみには びっしりと冷汗が伝い流れていた。 呼吸が元に戻ってきたところで、お姉さんに肩を貸して立ち上がる。 ちょっと先にある家の前に縁台を見つけていたから、そこまでどうにか歩いてもらった。 縁に萌黄色の刺繍が入った白いハンカチ。 袂から取り出したそれで冷汗を拭いながら、お姉さんは座った縁台からあたしを見上げた。 まだ少し苦しそうな様子で、顔色もよくない。微かに眉を曇らせている。とても申し訳なさそうな表情をしていた。 「ごめんなさい、私、あまり走り慣れていないものだから。すぐに息が上がっちゃうの」 「そんな、あたしこそ、あの、・・・・・本当にごめんなさい。」 「まあ、そんなこと。このくらいならすぐに治まるのよ。だから気にしないで。それに、・・・ふふっ」 最初は小声でくすくすと笑っていたお姉さんは、やがて可笑しさがこらえきれなくなったのか、口を両手で覆ってうつむいて。 可笑しくて可笑しくて耐えきれない、ってくらいの勢いで、肩を小刻みに震えさせてむせび笑いはじめた。 何が可笑しいのかはわからないけど、相当の笑い上戸みたいだ。 へ、と口を横に開いたあたしは間抜けな表情でお姉さんを見つめていた。あ、と気付いて、顔をぺたぺた触って確かめる。 ひょっとして、あたしの顔に何かついてたのかな。さっき食べたお汁粉の餡子、とか?いやでもそんな感触ないし。 「あ。あのぅ。あたし、そんなに笑われるようなことしましたっけ」 「ふふっ、・・・・やだ、そうじゃないの、違うのよ。だってすごく面白かったんだもの。 着物が破けたときのあのひとたちの顔ったら。やーね、もう、思い出したらまたおかしくなっちゃった」 そう言いながらお姉さんが手を伸ばしてきて、あたしの喉元をハンカチでそっと撫でた。 流れていた汗を拭ってくれたみたいだ。戸惑いながらお礼を言ったら、お茶目な表情で目を細めてにっこりと微笑んだ。 改めて見つめたその人は、顔色こそよくないけれど、すっきりと整った優しげな顔立ちをしていた。 雰囲気は奥ゆかしいというか、仕草のひとつひとつが楚々としていて思慮深そうというか。 身体はどこもかしこも華奢で細くて、いかにも儚げな人だ。 「どうもありがとう。助けてくださって」 「いえ、そんな!・・・あっ、お家はどちらですか?もし何かあったら心配だから、お家までお送りします」 「あの。・・・さん?」 「はい?」 自然と返事をして。それからふっと、息を呑んだ。 とくん。 心臓が急に騒いで、落ちつかない響きで胸を打ち始めた。 「もし人違いだったらごめんなさい。もしかしてあなた。さん、・・・じゃないかしら」 「・・・・・・・・。はい。・・・・、」 「ああ、そうなのね。ああよかった、やっぱり」 そう、やっぱり、あなたが。 帯の胸元でハンカチを挟んだ手を合わせて、そのひとは心から嬉しそうに繰り返した。 とくん。とくん。とくん。とくん、とくん―― 騒ぎ始めた心臓の鼓動がどんどん速くなっていく。身体中に、煩いくらいのざわめきが広がっていく。 「初めまして、沖田総悟の姉のミツバと申します。いつもそーちゃんが・・・、弟が、お世話になってます」 「・・・え、―――」 柔らかな仕草で手を膝に重ね、小首を傾げて笑顔でお辞儀をするその人を。 その時になって初めてじっくりと見つめた。 蜂蜜みたいな色のさらさらした髪。 明るい色をした澄んだ瞳。白く透き通る肌。 身体に纏った雰囲気こそあの子とは違う。 だけど、涼しげに微笑む目元も、どことなく淋しげに見える不思議な笑い方も。 どうして気付かなかったんだろう。 このひとは、こんなに―――見れば見るほどよく似ているのに。 陽の差さない路地の暗がりの中に立ち尽くして、あたしは呆然とその人を見つめた。 お汁粉であったまったはずの身体中の血が、一気に冷めていく気がした。
「 片恋方程式。13 」 text by riliri Caramelization 2010/07/16/ ----------------------------------------------------------------------------------- next