誕生日。・・・・・・は、とっくに過ぎてる。 ホワイトデーも同じ。六月に入った今頃になってバレンタインのお返しを貰う、なんてこともないだろうし。 お化けに仮装してみんなの部屋を回って、「トリックオアトリート!」とお菓子をねだった覚えもない。 と、いうことは。つまり。これって。 「・・・・・・ぜんっっぜん、わかんない。何なの、これ・・・・・・・」 資料室の片隅にある埃っぽい机の上。 塔のようにうず高く積まれているお蔵入り事件の資料ファイルの上に、問題のそれは置いてあった。 あたしがほんのちょっと席を外して、抜けていた資料を探していた間に。 積まれた山の天辺に絶妙のバランスで載っているプリンの容器を、腫れぼったい目で見下ろした。 「とろふわメープルプリン」と書かれたラベルが貼られた透明な蓋を、ちょん、と、指で突いてみる。 いったい何なんだろう。 あたしが行く先々で、ありとあらゆるところに待ち構えている、この謎のお菓子や花たちの正体は。


片恋方程式。

10

見廻りや張り込みでみんな出払っているこの時間には、ほとんど誰も姿を見せない資料室。 見た目には学校の図書室みたいな部屋だ。縦横に等間隔でずらりと立ち並ぶ スチール製の背が高い棚は、真選組が手掛けてきた事件の捜査資料ファイルで埋まってる。 この部屋の奥で放置され、埃を被っていた大量の事件資料の整理を言いつけられてから、もう三日目。 四日前には、新人隊士の特訓に師範役として貸し出されて、道場で一日中稽古をつけていた。 その前の日は「三番隊の要人警護の応援だ。行ってこい」と副長室から追い出された。帰ってきたのは真夜中だ。 そのまた前の日は「俺は別件で手が放せねえ、代りに行け」と言われ、近藤さんの本庁へのご機嫌伺いに同行。 あげくは松平さまのド派手な夜遊びにまで同行させられた。そのまた前は、 ・・・・・・もういい。もう忘れたし、どうでもいい。 「・・・こっちが三年前。こっちが四年前で、・・・・・・・」 手にした資料の束を上からパラパラめくって、左上に書かれた日付をもう一度確認した。 朝から棚中を探し回って探した関係者資料を、ファイルの穴に揃えて通す。 ぱちんと挟み終えて閉じたら、ふう、と溜め息が漏れた。 もうお昼なんだ。 腕時計を見ると針は十二時を過ぎている。食堂に行く時間だ。・・・お腹なんてぜんぜん空いてないけど。 「おお、ここにいたかァ。もう食堂に行っちまったかと思ったぞ」 椅子から立ち上がったところで、こっちへ向かってくる足音が聞こえた。 あの大きくて陽気な声は、近藤さんの声だ。なんだろう、と思いながら振り返る。すると―― 「どうだ、昼飯代りにに食わねーか?帰りにそこで買ってきたんだが、総悟はいねーし、トシもいらねえっつーから」 「!!?」 袋を顔の横に掲げてニコニコと笑う近藤さんを見て、あたしは口をあんぐり開けて絶句した。 誰かと思った。顔が赤と青のまだらに色づけされた風船みたいに、ぱんぱんに腫れている。 右のまぶたには大きなコブ、鼻の下と口端からは血がダーッと一直線に垂れていて、 大小の擦り傷切り傷が顔中に・・・要するに、顔だけが集中的にフルボッコ状態だった。 近藤さんが買ってきたのは、焼きたてホカホカのたこ焼きだった。 とりあえずハンカチを濡らしてきて、顔に流れた血だけはなんとか綺麗に拭き取ってもらってから (職務上、血まみれの人なんて見慣れてる。けど、さすがに血まみれの人を前にして何か食べる気には・・・) あたしは今まで座っていた椅子に、近藤さんは机に座って、資料室でたこ焼きをご馳走になることにした。 削り節がフワフワ踊るそれを爪楊枝に刺してまじまじと見つめ、あたしはゴクリと息を飲んだ。 貰ったものにケチをつけるみたいで悪いんだけど。・・・食べる気しない。 だってそっくりすぎるんだもん。このパンパンな膨らみ具合といい、 こんがり焼いた表面に散ってる青海苔や、生地に混ざった紅生姜の鮮やかな色合いといい。 「あれっ。どーした、食わねーのか?たこ焼きは嫌いか?」 「いやあの。嫌いじゃないです。嫌い、ではないんですけど。・・・・・・。」 「そーかぁ?遠慮しねーでどんどん食えよー。うまいんだぞォ、ここのたこ焼きは」 「・・・近藤さぁん。たこ焼きよりもまず医務室に行きませんか、こんなに腫れてるじゃないですかぁ。早く冷やさないと」 「いやァ平気平気!この程度のかすり傷、怪我のうちに入るもんか。 これはお妙さんの熱烈な愛情表現の賜物だからなー!もったいなくて手当て出来ねーよ、うははははは!!」 「いやあの熱烈な愛情表現っていうか。熾烈っていうか苛烈っていうか滅裂ってゆーか・・・・・」 引きつった笑いを浮かべるあたしをよそに「それでな、お妙さんがな?」とうっとりと頬を染め、 鼻の下をでれーっと伸ばして遠くを見つめた近藤さん(三十路間近)のお惚気話が始まった。 いつものように貢ぎ物のハーゲンダッツを携えて、「普通に」姐さんの家を「訪問」した近藤さんは、 家でも「天女のような」微笑みを絶やさない姐さんと顔を合わせるなり、「熱烈な」往復ビンタを見舞われたんだそうだ。 (ちなみにこの「カッコ」内は、近藤さん本人の言葉をそのまま引用してるんだけど ・・・「普通に」家を「訪問」しただけの人が、ここまでボッコボコのたこ焼き顔にされることは滅多にないだろう) と心の中では怪しみながら、ぱく、とたこ焼きを一口で咥える。 あったかいたこ焼きは外側がカリカリで、噛んだらほろりと崩れた。タコの旨味と生姜のぴりっとした味が広がる。 たぶん美味しいんだと思う。 でも、味がよくわからない。今のあたしには、何を食べても味気なく感じるだけ。 膝に置いた箱に爪楊枝を戻して、ぽつりと問いかけた。 「近藤さん」 「うん?何だ」 「近藤さんは、姐さんのことを諦めようと思ったことは、・・・ないですか」 「諦める?」 「・・・さみしくならないんですか。追いかけても追いかけても、・・・手が届かない人を、思い続けるのは。 さっさと諦めて他の人を好きになったほうがいいんじゃないかって、・・・思うことは。・・・・・・ないんですか」 「他の女性を、かぁ?」 「どうしてですか。どうして近藤さんは、諦めようと思わないんですか」 「どーしてって、そりゃあ・・・」 眉間を寄せて考え込んだ近藤さんは、うーん、と唸った。 たこ焼きを口に放ってから天井を見上げる。 「そりゃあ勿論、他にもいい女はごまんといるに違いねえんだが。 ここまで惚れ込んだ女性は、・・・お妙さんは、たった一人しかいねえからなあ」 「・・・・・・・どうしてですか。だって、苦しいじゃないですか」 「ん?何だ、苦しいのか?一気に食って喉に詰まったか?」 お前も大概慌て者だよなァ。 ははっ、と可笑しそうに表情を崩して、近藤さんはあたしの背中をぱんっと思いっきり叩いた。 「痛いですぅ」と恨めしげに言い返したら、もっと大きな声で笑い飛ばした。「そーか、悪い悪い」と頭をポンポン叩く。 宥めるように何度も頭を覆う、大きくてあったかな手。叩かれているうちに、なぜか義父さんの手を思い出した。 こうやって叩かれた感触が、なぜか似てる気がする。 あのひとの手の感触とは違う。 あの煙草の匂いがする手が、ぱん、と乱暴にあたしの頭に置かれるたびに、 それだけでどきっとして、胸の奥が震えて、せつなくなって。 あの手があたしを離れた後でも、髪に残った硬い感触まで嬉しくて。思い出すたびについ顔が緩んでしまう、あの特別な手。 ・・・ああ。でも。どんなに鮮明に思い出せたって、もう二度と味わうことはないのかもしれないけど。 瞼がじわあっと熱くなった。 涙腺が一気に緩みそうになって、あたしはあわててスカートの端を握り締めた。 「どうして。虚しくならないんですか。嫌にならないんですか。どうしてそんなに割り切れるんですか。 いくら好きになったって振り向いてもらえないかもしれない人なのに」 唇をぎゅっと噛んで、出る寸前の涙をこらえる。 駄目だ。 こんなこと、言ったら駄目だ。あたしはおかしい。何を言ってるんだろう。 「だって虚しいだけじゃないですか。 夢中になって追いかけてるうちに、他の人を選んじゃうかもしれない人なのに。どうして」 止めようとしても止まらない。口が勝手に動いてぽろぽろこぼれてしまう。 何言ってるの。言っていいことと悪いことの区別くらいついてるはずなのに。 自分で自分に困惑しながら、あたしは自分でも気づかないうちに大きくかぶりを振っていた。 違う。そうじゃないのに。 言ってしまったことを今すぐ打ち消したい。謝りたい。でも、言葉なんて何も出て来ない。 うつむいて大きく、何度もかぶりを振った。頭の中が自己嫌悪と泣きたさで滅茶苦茶だ。 違うのに。 虚しいのは近藤さんじゃない。土方さんに振り向いてもらえないあたしだ。 夢中になって追いかけて、でも、告白すらさせてもらえなくて、どうしようもなく虚しくなっているのはあたしだ。 あたしは酷い。姐さんを夢中で追いかける近藤さんの姿を、土方さんに避けられている自分と勝手に重ねて。 胸の中にぐちゃぐちゃな膿が溜まっていく苦しさに耐えられなくて、何も悪くない近藤さんに八つ当たりまでしてる。 「・・・そーだなァ。うーん。まあ、先のこたァお釈迦様にもわからねえって言うからなー」 近藤さんはあたしの言葉に目を丸くしていた。 けれど、別に気を悪くしたそぶりも無く、頬を指でポリポリと掻きながら答えた。 「この先、俺よりもずっとお妙さんに相応しい、とびきりいい男が現れることだってあるかもしれねえが、・・・」 そこで口が止まった。腕を組み、黙って考え込んでから、うーん、と首を傾げる。 顎に手を当てて難しい顔になってみたり、上を向いて眉間を曇らせたり。 そうやってひとしきり考え尽くした後で、何か納得がいったような顔になり、あたしに向き合った。 「それでもお妙さんがいいって言ったら、お前、笑うか?」 悪戯っ気たっぷりに、にかっと笑って尋ね返された。あたしはひとつも言葉が出なかった。 笑ったりしません。絶対に。 そう答える代りに、何度も大きくかぶりを振った。 「・・・ごめんなさい」 近藤さんが「さあ、遠慮しねーで腹一杯食え」と目の前にたこ焼きの箱を差し出す。 こくこく頷いて、涙目でグスグスいいながらたこ焼きに齧りつくあたしを眺めて、ははっ、と肩を揺らして豪快に笑った。 訊かれたことには何のわだかまりも感じていなさそうな、どこにも屈託のない表情で。 罪悪感でいっぱいになる。今のあたし、すごく嫌な子だ。 近藤さんは何も悪くないのに。ひどいことを言ってしまった。 「なあ。」 「・・・・・はい」 「俺の口から言うのも何だがなァ。出来れば、もうしばらく――」 腰かけた机の上で居住まいを正して、神妙な態度で近藤さんが言いかけたその時。 コンコン、と、短く硬い音があたしたちに呼びかけてきた。 近藤さんがそっちへ目を向ける。あたしもつられて振り向いた。目の前に立つスチール棚の横には、土方さんが立っていた。 机に置かれた資料ファイルの山と、近藤さんが持っているたこ焼きを、冷えた目でちらりと一瞥する。 近藤さんはたこ焼きを一つ、爪楊枝に刺してひょいと持ち上げた。 「どうだ、お前も食うか?」 「・・・・・、いや」 土方さんは近藤さんの顔を見ることもなく、硬い表情で部屋の壁際に目を背けた。 どうしたんだろう。どんなに忙しくても怒っていても、近藤さんに対してだけはいつも無条件で空気を和らげるのに。 不思議になって、目の前に座っている近藤さんの反応を斜め上に見上げる。やっぱり奇妙に思ったみたいだ。 行き場を失ったたこ焼きを片手に、目をぱちくりさせていた。 表情は硬いままで土方さんが「」と声を掛け、つかつかと前に進み出る。紙の束をあたしに突き出した。 「こいつを各隊に回しておけ。今日中だ」 「は・・・、はいっ」 「何だ、出掛けるのか?トシ」 「ああ、黒鉄組の張り込みに顔出してくる。後は頼んだぜ。こっちは夜中までかかりそうだ」 「そうか、わかった」 「土方さん、あの、・・・あたしも」 通達事項の書類を押しつけるなり、土方さんは踵を返す。腰には帯刀しているし、すぐに屯所を出るつもりなんだ。 慌てて椅子から立ち上がり、後を追おうと踏み出した、でも。 「お前が来る必要はねえ。そっちが片付くまで同行は無しだ」 鋭い声にぴしりと遮られる。 あたしの返事なんて待たずに、土方さんは足早に資料室を出ていった。 その後。 近藤さんは一人で喋って一人で笑って一人で食べて一人で大汗をかいて、大奮闘の大忙しだった。 それでもあたしがうんともすんとも言わないから、最後には目を白黒させながら困っていた。 あたしの落ち込みぶりを見かねて、放っておけなかったんだろうし、何か他のことを言いたげにしているのも判っていた。 けれど黙って聞いているのが精一杯で、目も合わせられなかった。 もし顔を上げて目を合わせて、優しい言葉なんか掛けられたら。それだけで泣きじゃくってしまいそうだ。 土方さんはあれから、一度も目を合わせてくれない。 目を合わせるどころか、あたしのほうを見ないで話すようになった。 何を言っても振り向いてくれなくなった。資料整理を言いつけた時も、文机と向き合ったままだった。 少しでも傍に寄ろうとすると、まるで待ち構えていたみたいに、必ず何かの用事を言いつけられる。近づこうにも近づけない。 別に何か言われたわけじゃない。土方さんの態度が素っ気ないのも、今に始まったことじゃない。 だけど、これじゃ近づくたびに「こっちに来るな」って面と向かって拒まれてるのと変わらない。 あたしと土方さんの間には、今までにはなかった見えない壁が立ってしまった。 あのひとが一方的に建てた、分厚い壁だ。 あからさまに避けられてる。土方さんは、あたしを傍に寄せつけたくないんだ。 あたしがまた、あんなバカなことを言い出したりしないように。これ以上バカな真似をしでかすことがないように、用心してるんだ。 遠ざけたいんだ。あたしの気持ちが迷惑だから。ただの部下を、女だなんて思えないから。

「 片恋方程式。 10 」 text by riliri Caramelization 2010/04/17/ -----------------------------------------------------------------------------------              next