片恋方程式。

2

『えー、やだなーもォ近藤さんたらァ、聞いてなかったんですかァ?だーからー。すっごく美味しいんですよ、ここのラーメン』 満足気な声に混じって、チュルチュル、チュルン。と、何かを呑み込む音がする。 真選組が周囲を包囲している今回の偵察先。そこは攘夷浪士のアジトはではない。 地元の住民だけが常連として通っていそうな、ごくありふれた、ごく小さな、どこにでもありそうな街のラーメン屋だ。 そんな街中の小さな店、となれば、下手に屈強そうな野郎を送り込むよりも 私服姿になればどこにでもいる普通の娘にしか見えないが、客のふりで店内を張り込むほうが警戒は薄い。 そう見込んだ土方が偵察役として抜擢したのだが。抜擢された本人に、そんな自覚は薄かったらしい。 「・・・あのなぁ、。聞いてるぞ。聞こえてるけどな?いや、だからよー、俺が聞いてんのはァ、そーいうアレじゃなくてェ」 「・・・・・・っっの、バカパシリがあああァァ・・・・・!!」 『近藤さんはストレート麺と縮れ麺、どっちが好きですかぁ?あたしは断然手揉み縮れ麺派なんですけどー。 支那そば風の醤油味なら、絶対手揉み縮れ麺ですよねえー。あ、でもォ、博多とんこつ味ならストレートが』 「!てっめえええ、何をしっかり味わってんだあああ!?」 『あれっ。土方さんですか?はいはい、偵察ですね偵察。大丈夫ですよー、忘れてませんってば。 ちゃんとわかってますってば。あと五分でいいですから。もう少しだけ待って下さいよォ、麺が伸びちゃうんで』 声に混じってズルズルと、麺をすする音が響いてくる。 コクコクと何かを飲み下す音が聞こえ、幸せそうに溜息を漏らした後、 「はあァ、スープも美味しーい!」と、間延びしたの声が路地奥にこだました。 先程までの張り詰めた緊張感はどこへやら、場の空気は一気に緩んだ。……いや、無様なまでにたるみきった。 無線機を手にした近藤も、彼を取り囲む隊士たちも、みな一様にぬるい薄笑いを浮かべて互いに顔を見合わせる中、 今にもブチ切れそうな青筋をこめかみに張りつけた土方が無線機を奪い、地べたにベシッとかなぐり捨てる。 「伸びちゃうじゃねえええ!んなもん伸びるだけ伸ばしとけェェ!!」 無線機の向こうで一瞬空気が止まり。ムスッとした、醒めた口調でが返してくる。 『えー。何それー。せっかく美味しく食べてるのにい。邪魔しないでくださいよおっっ。 あーやだ、やだなァほんっとにもォ、ほんっっとやだ!土方さんってこーいう空気をちっとも読んでくれないですよねえ』 怒りのあまりに青ざめた土方が、手近にあった民家の鉢植えを頭上に持ち上げ、無線機に向けて振り下ろそうとする。 あわてふためいた周囲の隊士が左右から飛びつき、羽交い締めにして食い止めた。 「ゴルあああ!パシリが何を逆ギレこいてやがんだあああ!!?てっっめぇええ、わかってんのか? 自分の役目はわかってんだろーな!?てめーはその店に、偵察に入ってんだぞ偵察に!!! それを、ぁーーーーにをまったりズルズル麺すすってやがんだァ!?』 『んんー、チャーシューも蕩けるうー。穴場ですよねここ、お店の人も親切だし。あたし通っちゃおうかなぁ。 あのね土方さん、ここ初めてだって言ったらね、チャシュー一枚おまけしてくれたんですよォ。 ・・・あっ、お姉さーん。すいませーん。煮卵ひとつ、追加でお願いしまーす!』 「おいィ!偵察はどーした偵察は!? グルメリポーターやってんじゃねえんだぞ!!てめえの職務を思い出せコルァァ!!」 『だから偵察中じゃねーですかィ、味の』 口いっぱいに頬張っているような籠った声。そして、ズルズルと麺を吸い込む音が続く。 通信に聞き入っていた全員が目を剥いた。そこにいるはずのない男の声が、無線機の向こうから届いたのだ。 一番隊を率い、店の裏手で突入の合図を待ち構えているはずの斬り込み隊長、沖田の声が。 絶句していた土方の肩が、最初は小刻みに、それから少しずつ震えが大きくなり、最終的には わなわなと激しく震え。怒りのピークに達したところで脚を高く振り上げ、ガシッと無線機を踏みつけにした。 「味の、じゃねえええ!何をいけしゃあしゃあと語ってんだァ!?つか、何でてめーがそこにいる!? てめーの役目は店の包囲だろーがァァ!店囲む立場のヤツが何を自分からのこのこと、店に囲われに行ってんだァ!!?」 『あーあー、はいはい、まったく。うるせー人だなァ。声デケーんだよ土方ァ。俺ァ別に囲われちゃいやせんぜ。 まァ、この店の旨さには、味覚のツボをすっかり囲われちまってますけどねィ』 「うまくね―――!全っっっ然うまくね――からそれェェェ!!」 『いやー土方さん、なかなかイケますぜ、ここの豚骨醤油。見た目さっぱり系のくせに 味濃い目ってェとこもオツっつーか。あ、そーだ。今度一緒に食いに来ましょーやあんたの奢りで』 「んだァァァァ!!!誰が行くかァ!ったく、どいつもこいつもォォ!!」 『ちょっと。そこのあんた。あんたよあんた、そこの真選組の坊や』 無線での会話に割って入ったのは、江戸っ子らしく歯切れのいい女の声だ。どう聞いてもの声ではない。 無線機の向こうで迷惑そうに沖田を呼んだその声に、通信を聞いていた全員が耳を澄まして黙り込む。 この女、店に来ている客の一人なのか。あの店の従業員なのか、それとも、追っている攘夷志士の所縁の者か。 『んァ?何ですかィ』 『あんたねえ。食べるか喋るかどっちかにしなさいよ。ここで話されちゃ他のお客さんの迷惑なの。 こちとら客商売なんだからね。ったく、これじゃ営業妨害もいいとこよ。 ウチを囲んでる物騒なお仲間と話したいなら、外に出てやってちょうだい』 「すっかりバレてんじゃねーかあああ!!」 怒鳴る土方が目の前の壁に向かって無線機をドカッと蹴る。矢のように飛んだそれは見事壁のど真ん中にブチ当たり、 虚しいシュートが綺麗に決まった。そんな彼を眺める近藤はといえば、咥え煙草が折れ曲がるほどに 憤りを噛みしめている副官を宥める言葉も見つからず、かといって、任務をすっかり放棄して ラーメンに舌鼓を打っている、呆れた部下二人の始末書ものの呑気さは、一切どこにも庇いようなどなく。 はあァ、と情けなさそうに額を抑えてうなだれ、かぶりを振るしかないのだった。 『すまねェな、お姉さん。何、別にたいした話じゃねえんだが、煩せェ奴がいるもんでね。 今すぐ切りまさァ。・・・なんでェ姫ィさん。そのナルト、食わねーんですかィ?いらねーんなら俺に下せェ』 「!!?おいっ、総悟っ、!?」 『うん、いいよ。はいっ、メンマもあげるー。あ、ねえねえ総悟ォ。そこのにんにくチップ取って』 『はいよ、煮卵。そっちのお嬢さんの追加ね』 『はーいっ、いただきまーす』 『俺にも煮卵追加でお願いしまさァ。あと替え玉、バリ硬で』 『あいよっ。煮卵にバリ硬ねー』 小気味良い女主人の返事を最後に、ブチッ、とあえなく通信が途絶える。 と同時に、土方の忍耐の限界もブチッと切れた。落ちた無線機をガツガツと、鬼の形相で踏みつけまくる。 「あっの野郎ォォォ・・・・!頭が軽いにも程があらぁ!!」 「副長っっっ、落ち着いて下さい副長ォォォ!壊れちまうじゃないですかあァァ!!」 哀れな無線機は、再び止めに入った隊士たちを振り払う勢いで繰り出される土方の蹴りにも耐え、 「ピー」とか「ガー」とか、彼の攻撃を非難するかのように無機質な悲鳴を上げていた。 「ここを張るのにどんだけ時間と労力割いたか、ちっとも判っちゃいやがらねえええ!!」 「いや、まあ、なあ。落ち着けトシ。バレちまったもんは仕方があるまい」 ははは、と気の抜けた顔で失笑しながら、近藤は手元に広げた地図に目を落とす。 沖田とが呑気に麺をすすっている例のラーメン屋の位置を指で差した。そこから西側、店に向かって右手を占める 一角から店の裏手へと、指先で直線を引いていく。 「奴に裏を欠かれねえためにも、早めに作戦変更と行くか。三番隊を数人裏手に回して、総悟の穴を埋めるってえのはどうだ?」 問われた土方は憮然としつつも、地図を睨むように見つめて思案に耽り始める。代替案としてはいたって正当法で、悪くはない。 だが――そうなると、入り組んだ小路に古い民家が立ち並び、抜け道の多い西側の守りが厳しかった。 それに。さっきから、どうも何かが気になるのだ。頭のどこかに小さな棘が刺さっているのに、どこにあるのかが掴めない。 その異物感から湧き上がるのはわずかな疑念だ。正体はわからないが、現状把握にどこか見落としがある気がする。 しかし、ここで躊躇してはいられない。 油断のならない男が相手だ。たった数十秒の僅かな迷いが、奴に活路を与えることになりかねない。 「仕方ねえ。それでいくか」 作戦参謀役である彼の承諾に近藤は頷く。隊士が拾って差し出した無線機を手に取り、声を掛けた。 「聞こえたか、三番隊。配置変更だ。そこから何人か、遠めに回って店の裏手に―――」 そこで近藤の声は聞こえなくなった。 声が途絶えたのではない。穏やかな昼下がりの下町に漂っていたすべての音が、何かの爆発音で掻き消されたのだ。 頭上で轟いた、鼓膜を突き破る重い爆音。その音で一様に動きを止めた彼等は、次の瞬間、すぐさま空を振り仰いだ。 路地を挟んだ民家の屋根の向こう側―――偵察現場に当たる店の上空が、どす黒い噴煙に覆われている。 澄んだ青空を濁して濛々と、勢いよく焚き上がった煙に。 「一番隊は突入!二番隊は正面を封鎖、三、四、五番隊は――」 張り上げた声を止め、近藤は隣の男を見下ろす。 強風に乱され、掻き消されていく黒煙の雲を険しい目で見据えたままで、土方は答えた。 「変更はねえ。出発前の指示通りだ」 「作戦通りの配置で待機、以上だ!・・・・・・・トシ、今のは」 「ああ、あれァ――――」 頷きかけたその時。そうか、と彼は目を見張る。背後を振り向いた。 強風に流されてくる噴煙のきな臭さに眉をひそめながら、頭上を遮る民家の屋根を見上げる。 鋭い視線を屋根上の一角に集中させた。 あれが棘の在りかだ。屋根上だ。猫たちの騒ぎが収まらないのだ。 猫たちは爆発音に驚いて逃げ出すこともなく、さっきからずっとそこで鳴いている。まるで自分たちの縄張りを 荒らそうとする他所者に抗っている最中であるかのように、激しく鳴き騒ぎながらも踏みとどまっているのだ。 案の定、屋根先から路地に向けて、ぬうっと大きな影が落ちていた。 猫のそれとは似ても似つかない、のっそりと背の高い影が。上に誰かがいる。屋根上から騒ぎを見下ろす何者かが、そこに。 『土方さん!』 耳に響くきつめのノイズが走った無線機から、女の声が彼を呼ぶ。 爆発現場から広がった煙に包まれ、石灰色に染め上げられた屋根上。 目ではその気配を窺いながら、土方は無線機を受け取る。 無線機から届くのいつもより高めな声は、呑気だったさっきまでとは一転した緊迫感に満ちていた。 『桂は屋根です、屋根!二階から逃げられました!』 「奴はどっちへ向った」 『店から西、・・・・六丁目に向かってまっすぐ逃走中、もうすぐ三番隊の待機位置を通過!』 「西か。・・・・・・・・・」 三番隊に張らせていた六丁目。店の西側に広がる、複雑に入り組んだ古めかしい住宅地だ。 こぢんまりとした民家が密集し、狭苦しい小路が縦横に走っている。迷路のような町並みだけに、 地図にも載らないような抜け道もところどころに伸びていて、その先には袋小路も多い。 逃げ足の速い桂の退路を絶ち、追い込むための下準備にと、抜け道や袋小路の位置を調べさせてはいたのだが、 それでもこの一帯の裏道すべての繋がりを把握しているとは言い難い。 一方、奴は、あの店の周囲に敷いた偵察組に今日まで一度もその影を踏ませず、気配すら掴ませなかった。 この入り組んだ町には相当に通い慣れ、抜け道も知り尽くしていると見える。 地の利はおそらく桂にある。 その上、頭数ではこちらに圧倒的な利があるとはいえ、足の速さや用意周到さにかけては奴が一枚上手だ。 さらに、西を張っていた三番隊の頭上を抜かれて包囲に穴を空けられる寸前の今となっては、 こちらが桂の動きを追いかけるより他になく、予測の難しいあの読めない逃げ足に対して後手後手に回らざるを得ない。 これでは既に出足を挫かれ、勝機をまんまと奴に奪われかけているようなもの。まったく分が悪かった。 だが、だからといって。すべてにおいてこちらの分が悪いわけでもない。 勝機はまだこの路上に残っている。自分たちのいる、本陣を配したこの小路に。 曲がりくねったこの小路を奥に向かえば、行きつくその先は偶然にも奴の逃走方向上にぶつかるのだ。 風向きは悪かねえ。 どこか楽しげにも聞こえる声で、独り言のようにつぶやく。 視線を隣の近藤にちらりと向けてから、取り囲んで指示を待つ隊士たちの顔をぐるりと見回す。なぜか声を潜めて話し始めた。 「近藤さん、この奥が西だ。こいつらを小路の奥から屋根に上げて、待ち伏せをかける。桂を追い込む網を張る」 「この奥というと・・・小路の突き当たりにか?」 「ああ。こいつらが屋根、俺とあんたで地上を張る。店を逃げられちまって包囲を広げざるを得ねえだけに、 手数がどうにも足らねえのは難だが。姿を見せずに屋根上で待ち伏せて、ぎりぎりまで奴を引き付ければいい。 とにかく直線の逃走経路を断つ。奴が飛び込む寸前に、真正面からだ」 行け、と小路の奥を指して命じられ、隊士達がそれぞれに駆け出していく。 未だに猫の騒ぎ声が続く屋根上を探るような目で見上げながら、土方は手にした無線機に向かって話しかけた。 「二番隊、四番隊。お前らで奴の南北を塞ぐ。今から動けば間に合うはずだ。屋根上と地上の双方から奴を挟み討て。 三番隊もそこから二手に分かれてこっちへ向え。真正面に俺たち、左右の逃げ道に二、三、四番隊、背後には一番隊。 後は五番隊が追いつけりゃあ、奴の逃げ足にどうにか杭を打てるかもしれねえ」 指示を出す間に猫の声が次第に遠ざかり、屋根上の騒ぎが静まっていく。 路地に落ちていた大きな影も姿を消した。 こっちも動いたか。 咥え煙草の口許から薄く煙を漏らしながら、くっ、とふてぶてしい笑いを浮かべる。低く抑えた声で付け加えた。 「それぞれの布陣は各隊に任せる。相手はあの桂だ、くれぐれも目立つ穴は空けるんじゃねえぞ」

「 片恋方程式。2 」text by riliri Caramelization 2009/12/03/ -----------------------------------------------------------------------------------            next