薄紅の風 瞬く花 7
「はあぁぁぁ〜〜〜・・・・・・」 長い溜息が口をついて、がっくりと肩から力が抜ける。 へなへなと身体がベンチに崩れていって、あたしは人目を構う余裕もなく横になって寝転んだ。 目を閉じていると、園内に流れる陽気な音楽に混ざって、誰かのひそひそ声が耳に届く。 不思議なもので、目はしっかり瞑っているのに、前を通り過ぎる人たちにじろじろと 「大丈夫なのこの子」って目で見られてるのはわかる。なぜか周りの視線はひしひしと感じるのだ。 (もしかしたら、着物の裾から見えてるのかもしれない。パンツが) だけど、そんな細かいことはこのさい気にしないことにする。 気にする余裕なんてもうどこにも残ってないし。ああ、限界。 ・・・疲れたあぁああぁ。 どうしちゃったのあたしの身体。泥になったみたいに重たくてだるい。 乗り物なんてまだ二つしか乗ってないのに、すでに疲労困憊。 これってたぶん、体力より気力が萎えちゃってるからだ。 土方さんの顔を見てるだけで緊張しちゃう。隣にいるだけで肩に力が入ってくる。 どうしちゃったんだろう、あたし。毎日一緒にいるひと相手に、どうしてここまで緊張してるんだろう。 「これって他の人から見ればデートに見えるんだ」って意識したら、とたんに肩に力が入っちゃって。 何を話したらいいのかも、どういう顔して隣にいたらいいのかもわからなくなってくるんだもの。 緊張しすぎて間がもたなくて「ひょっとして怖いんですか?」なんて、しなくていい挑発はしちゃうし。 コーヒーは素で買い間違えて、貰ったコーヒーにケチまでつけて。あれじゃデートの相手としては最悪だ。 どう見たっていいとこなしだよ。空回ってるし文句ばっかだしうるさいし、しかもバカ。 誰だってこんな女とデートしたくないはず。 土方さんだってそう思ってるんだろうな。「こんな奴、連れてくるんじゃなかった」って。 「はあぁあァ・・・・・・・」 深々と溜息をついて、ぼんやりと薄目を開ける。 観覧車の順番待ちに並ぶ、お父さんが子供を肩車した家族連れが目に入った。 肩車されてはしゃぐ男の子。お母さんに手を引かれている、妹らしい小さな女の子。 しっかりお母さんと繋がれた、女の子のふっくらとしたちいさな手。可愛いな、と思いながら、目が離せなくなった。 その女の子の背恰好や、柔らかそうな頬を包むくらいの長さの髪型が、なんとなく美代ちゃんに似ていたからだ。 血まみれのあたしに抱きついて、同じように血まみれになった美代ちゃんは あそこを歩いている女の子と、ちょうど同じくらいの年頃だった。 最初の一晩だけあたしの部屋に泊った。人懐っこくて優しい子で、お兄ちゃんの怪我を心配して夜中に泣いていた。 迎えに来た児童保護施設の職員さんと一緒に、次の日に屯所を出て行った。 監禁されて衰弱していた身体の検査を兼ねて、お兄ちゃんが入院している警察病院に移されたのだ。 あの子たちは今、どうしてるんだろう。お兄ちゃんの怪我が治って退院したら、どこへ行くことになるんだろう。 昨日の夜。 謹慎になってから毎晩、障子戸越しに声を掛けてくれる総悟が、苛立ち混じりな声で話してくれた。 倉庫に監禁されていた、あの日救出された子供たちのほとんどに、捜索願いは出ていないのだそうだ。 あの子たちのほとんどが、引き取り手のいない子供。引き取るはずの親類縁者にすら見放された子供だ、と。 女の子をじっと見ているうちに、あの時の美代ちゃんの、赤黒く汚れた痩せた手が目に浮かんでくる。 こびりつた血の色を思い出すと、肺の奥までこびりつくようなきつい血の匂いまで思い出しそうになる。 思い出すたびにこみあげそうになる吐き気が怖くて、あたしは仰向けに姿勢を変える。無理矢理に目を空へ逸らした。 散った桜の花びらが、風に煽られてくるくると旋回しながら落ちてくるのを眺める。 レールを滑走するジェットコースターと、そこに乗る人たちの歓声が、風を巻き上げて頭上を走り過ぎた。 横目に視線を移すと、前を歩いていくカップルが丁度こっちを見ている。 ひそひそ声で何か耳打ちしながら横切っていった。 腕を組んで、彼にしなだれかかって歩いてる茶髪ギャル系の女の子が、楽しそうにくすくす笑ってる。 ・・・・・・やっぱりパンツが見えてるのかもしれない。 さすがに気恥ずかしくなってきて、周りの視線を気にしながら着物の裾を引っ張って直した。 どこまで行ったのかな、土方さん。まだ戻ってこないのかな。 あの電話、山崎くんからだよね。「黒鉄派」の件を受け持っているのは、たしか山崎くんだけのはず。 携帯を睨む顔が、なんだか難しい表情だった。あれは何の話だったんだろう。 それにしても疲れた。土方さんといるだけで、こんなに疲れるなんて思いもしなかった。 ここまでぐったりしちゃうのは、隊士になったばかりで、ガチガチに緊張していた頃以来かもしれない。 仕事以外で二人きりなんて、これが最初で最後かもしれないのに。うまくいかないなあ、現実って。 想像してた夢の中のあたしは、今、目の前を通ったあの子みたいに可愛く振舞えていた。 あのひとを怒らせたりなんてしなかった。 ビューラーもマスカラもばっちりだったし、先月買ったばかりの新しい着物を着てたはずなのに。 現実になるとどうして、想像してたみたいにうまくいかないんだろう。 ここにいるあたしは普段着で、お化粧は手抜きもいいところで。 バカなことばっかりして土方さんを怒らせまくった挙句に、ぐったりベンチに倒れてる。 だって、初めてなんだもの。慣れてないんだもの。 今までに付き合ってきた人たちとは、こんなところに来る機会なんてなかったから。 唯一の遊園地デート体験といえば、子供の頃に一回きりだ。 あれもいちおうデートだった。とはいっても相手はあの全ちゃんだから、デートの数には入らないのかもしれない。 あれは誰から見ても、年の離れた妹を遊園地に連れてきたお兄ちゃん、にしか見えなかっただろうし。 眠くてはっきり開かない目で周りを見回していると、ベンチの端に置いた缶コーヒーが目に入る。 手を伸ばして触ってみると、半分中身の残った缶はもう冷たくなっていた。 せめてコーヒーのお礼くらい言えばよかった。 落としたソフトクリームのお礼も言ってないし、フリーパスを買ってもらったお礼だって言ってない。 それ以前に、屯所からここまでの間、あたしは文句しか言ってないんじゃないだろうか。 ああぁ。もう溜息しか出てこないよ。出来ることならいっそ最初っからやり直したいくらいだ。 もし今ここに、通りすがりの「未来の世界の猫型ロボット」が都合よく現れたら タイムマシーンで遊園地の入口に着いたところまで遡ってもらうのに。 「・・・はあぁぁあぁ〜〜。もうやだあぁぁ。たすけてぇ、ド☆えもーーん・・・・・・」 狭いベンチの上で伸びをして、ごろん、と寝返りを打って。うつぶせになってまた目を閉じる。 ぐったりして本格的に眠りそうになっていたら、トン、と指で肩を突かれた。 「ねぇねぇ、ちょっとー。起きてよ。君さー、さっきの子だよね?」 「はぁ・・・?なんですかぁ。パンツの色とか模様とかの苦情なら一切受け付けてませんけどォ」 誰だろう、この声。とりあえず、土方さんじゃない。猫型ロボットでもなさそうだ。 眠くて開かない目を擦りながら、仕方なく起き上がる。 顔を上げてみると、ベンチの周りは三人のお兄さんに囲まれていた。 「あーっ、やっぱそーじゃん。ねーねー、俺らのこと覚えてる?さっき入口で」 「あ。さっきの・・・・」 目の前に立っているのは、入場口の前で最初に声を掛けてきたお兄さん。 ベンチの左右から寄って来たあとの二人が、何の断りもなく隣に腰を下ろす。 ここに入る前に声を掛けてきた、あのやたらに馴れ馴れしかった三人組だ。 「どーしたのォ、具合悪いの?彼女。顔色悪いじゃん」 「はあ・・・別に具合は悪くないですけど。ただ、ちょっと疲れてただけで。 猫型ロボットとの奇跡の出会いを待ってただけです」 「ははっ、何それ。ちょーウケるしぃ」 「だよねー意外ぃ。美人系なのに面白いじゃん、君ぃ」 「・・・はあ。そうなんですか」 よくわからない誉め方をする右のお兄さんが、背もたれにだらりと腕を乗せた。 何、この腕。気持ち悪い。あたしの背中にべったり当たってるんですけど。気づかないんだろうか。 やだなぁ、背筋にぞわっとくる。 後を向き、お兄さんの腕をしげしげと眺めてから、無意識セクハラをしている当人と顔を見合わせた。 さすがに初対面の人に向かって「気持ち悪いです」とは言いづらいから 「やめてください」の抗議を込めて、目で訴えてみたんだけど。 ・・・ダメだ、ぜんぜん通じてない。やめてくれるどころか、ニヤニヤ嬉しそうに笑ってる。 「ヒマそーじゃん。俺らと遊んでくんね?」 「そーそー、ここ出て一緒に行こうって。近くにさー、いいカンジのカフェ出来たの知ってる? 俺らさー、このへんの穴場スポット結構色々知ってっからー、あんな怖えー男と遊ぶよか楽しいよ?」 「そうなんですか。でも、せっかくですけど、さっきコーヒー飲んだばかりで喉は渇いてないんです。 それにあたし、ここには遊びに来たんじゃないんです。仕事ですから」 無遠慮でにやついた視線にうんざりしながら、あたしは言い聞かせるようにして三人を見回した。 なんだ。さっきは中を案内してくれる子がどうとか言ってたけど。 つまりは遊園地にナンパしに来てたんだ、この人たち。 あなたたちと遊ぶより、バズーカ担いで攘夷浪士を追いかけて遊ぶほうがまだ楽しいです。 心の中でそう断言しながら、冷えきった白い目で睨んでみる。それでもやっぱり通じない。 ああ。たすけてドラ☆もん。この三人と円滑にコミュニケーションが計れる、便利な未来の道具を貸してください。 「ねー彼女ォ、一人?さっきの男は?」 「え、いえ。今は、ちょっと」 「君さあ、何であんなのと付き合ってんのぉ?」 「・・・へ?」 「あれさー、速攻別れたほうがいくね?あーゆー奴って怒ると何されっかわかんねーし、怖えーじゃん。 いくら自分の女に手ェ出されそーになったってさー。 ここ、遊園地だよ遊園地。こんなとこでフツー刀抜くかって。頭おかしーよねー」 は?とつぶやき、数秒黙って考え込んで。あたしは驚いて目を剥いた。 「か。・・・刀ぁ!?ひじか・・・・あっっ、あのひと、刀抜いてたんですか!?」 「そーそー、刀。あれっ。彼女、気づかなかった?」 「あれ、彼女が俺らの方向いてた時だよなー。彼女の後ろで刀半分抜いて、凄まれちゃってさあ。マジ勘弁しろって」 「イヤイヤ、あれヤラれちゃったらさー、もー逃げるでしょ。もー全力で逃げるでしょ普通は」 目の前ではお兄さんが落ち着きなく髪をいじりながら、一方的にペラペラ喋りまくっている。 左右の二人も頷きながら、短く相槌を打っている。でも、あたしの耳にはその声が一言も入ってこなかった。 驚いていて、というよりは、びっくりするほど呆れていて、何も聞こえなかったのだ。 もしかして。ジェットコースターで声を掛けてきたあのピアスくんも、同じ理由で逃げたんじゃないの・・・? 「なんかヤバくねあの男ォ。マジで目ェ怖えーし。彼女さー、せっかく可愛いんだからさー、 何もあんなのと付き合わなくてもいいじゃん。よりどりみどりでしょ?試しに俺らとか、どう?」 「は!?付き合っ!?あ。あたしと土方さんが!?」 「あれっ。さっきのお姉さんじゃーん」 は?と、さっきからぽかんと開きっぱなしな口のまま、「お姉さん」と声を掛けられた方に顔を向ける。 ポケットに手を突っ込んで寄って来たのは、肩に学校指定の通学カバンを引っ掛けて、 どこかの学校の制服を着た四人の男の子。それぞれ手に飲み物のカップを持っている。 ワックスで針みたいにツンツン固めた金髪の子が、あたしの目の前に立ってたお兄さんをぐいっと押し退ける。 腰を低くして身を屈めて、あたしの顔をじいっと覗き込んできた。 「お姉さんさー、さっきコーヒーカップ乗ってたっしょ。俺らさー、隣に乗ってたんですけどォ。覚えてね?」 「はァ。そーなんですか。」 悪いけど、ぜんぜん覚えてないです。それどころじゃなかったんです。命の危機だったし。 それよりも今、隣のお兄さんがすっごい顔してあなたを睨んでるんですけど。・・・せめて気づいてあげようよ。 「つかお姉さんさー、あの時さー、すっげー必死で叫んでなかった?俺ェ、マージウケたんですけどー」 「はあ。あれは必死っていうか…マジで救いの手を求めてただけで」 「ねえねえ、あの怖ぇー兄さんは?どこ行ったの?あれってお姉さんの彼氏ィ?」 「は?違っっ、あのひとは」 「俺ぇー、お姉さん見てたらぁー、あの人にメンチ切られてぇー、マ――ジビビッたんですけどォ。 ハンパねー怖ぇーよね、あの人ォ。何あれ、ヤクザ?どっかの組の人?」 「いやヤクザでは。ない、…んだけど」 言われてふと考え込み、あたしは空を見上げて眉を寄せる。 まあ、「組の人」には違いないんだよね、たしかに。「真選組」っていう江戸でも指折りに怖ぁーい、組の人。 「あのひとはそこのNo.2で、どこかの怖いヤクザ屋さんの組織を丸ごとぶっ潰しては 楽しそうに嘲笑ってる、ヤクザの天敵みたいなひとなんです」 ・・・・これが事実は事実なんだけど。言わないでおこう。 「ねーねー、この近くにー、行きつけのクラブあるんだけどー。雰囲気いーし、客もみんなノリ良いしー。 選曲も女の子ウケいいしー、すっげいいカンジの店なんだけどォ。お姉さんも一緒に行こーよー」 「おい。何だよてめー、ぁに勝手に入ってきてんだよ。このコは俺たちと遊びに行くんだよ」 「あ?ちょーっとォ。なに、この手。つか何この人。近いんですけど」 あたしのすぐ鼻先で、ぱしっ、と手を打つ音が響いた。 同時に、ばしゃっ、と紙カップに入ったジュースが地面で飛び散る。 鼻息も荒く詰め寄った隣のお兄さんが金髪くんの制服の衿を掴んで迫り、その手を金髪くんが乱暴に払ったのだ。 向き合った二人の目と目の間で、バチッと火花が散る。 その瞬間で全員がざわざわっと色めき立って、互いに睨み合った。 「んだよ。何ですかぁ。何このオヤジ。鼻息ウザいんですけど。この人たちもお姉さんの連れ?なんかぁキモくね?」 「ちょっ・・・あのっ、やめましょうよ、落ち着いてください。こんなところで騒いだら迷惑ですよっ」 あわててベンチから立ち上がり、あたしは小競り合いの中心になってる二人の間に飛び込んだ。 仕事柄、こういう人たちを止めに入るのには慣れている。けれど今日は謹慎中だし、警察手帳も持ってない。 これが人じゃなくて猫だったら、バケツで一杯、水でも被せて頭を冷やしてあげたいところなんだけれど。 さすがにここで水を浴びせるわけにもいかない。いがみ合ってる二人の胸を押して、間に入って引き離した。 「聞いてください。あたしは皆さんと違って、ここに遊びに来てるんじゃないんです。仕事で来てるんです。 だからカフェでもクラブでも、皆さんで楽しく遊んできてください。てゆうかいい加減にしてくれませんか」 「てめぇこそいい加減にしろ」 ドスの効いた低い声が背後から響いて、わしっ、と頭を掴まれた。 掴まれた頭をぐいっと引っ張られ、よろっと後ろに倒れたところに何かが当たる。背中を支えられた。 あたしは仰け反って上を見上げた。 「あーっ。土方さぁーん。今までどこ行ってたんですかぁ!勝手にうろつかないでくださ、・・・・」 眉をしかめて見上げると、殺気立った顔と目が合う。目が合った瞬間にはっとして、思わず息を呑んだ。 こっちを見据える目の光が不気味。しかも不愉快そうに下がった口端が、ぎりっ、と煙草を噛みしめていた。 あたしは青ざめ、絶句して土方さんを見つめた。煙草が大きく折れ曲がる、目撃したくもない決定的瞬間を、 たった数センチ先でしっかり目に焼き付けてしまった。 「え、ええっとぉ。もちろんふふ副長さまがど、どこに行かれても結構なんですけどぉ。 出来たらぁ、せめてどこに行くかくらいちょっとだけ教えてもらえたらなー、なーんてぇ!」 答えの代りに返ってきたのは、顔に飛んできた紙袋だ。鼻がヘコみそうなくらいに思いっきりぶつけられた。 「いったぁああ!!」とうめいて顔を抑えて、あたしはずるずると土方さんの足元に崩れ落ちる。 中に入った何かの硬さに鼻を直撃されて、めまいがした。 当たった瞬間、目の前でばちばちっと鮮やかな花火が散ったくらいだ。 「い、いひなりなにするんれすかぁっ、はなっ、鼻血れるうぅぅ!!」 「あーっ、じゃねえ。何の騒ぎだ。何だこいつらは」 「何だって訊かれても。あたしが訊きたいれすよぉ!」 じんじんと痛む鼻を両手で抑え、涙目になってわめき返す。鼻の奥がまだつーんとしてる。 フン、と殺気たっぷりの不穏な顔であたしから目を逸らし、土方さんが口を歪めて笑う。 「訊きてーのはこっちだ。ぁんだこいつら。大漁じゃねえか。てぇした入れ食いぶりじゃねえか、あァ!?」 口はかろうじて笑ってる。でも目が全然笑ってない。笑うどころか目の前の七人を鋭く射抜いて、据わってる。 怖い。怖すぎる。あの据わった目が怖すぎて、返す言葉が出てこない。 しかも全身からマイナス10度くらいの冷気が出ていそうな、冷えきった殺気で周囲を放射冷却中だ。 「ざっけんな。何が「いい加減にしてくれませんか」だ、てめーがいい加減にしろ。 ゴキブリホイホイじゃあるめえし。次から次へとカスみてーな害虫ばっかおびきよせやがって・・・!」 喧嘩も忘れてこっちを呆然と見ていたお兄さんと金髪くんの後ろ頭が、土方さんの手で力任せに がしっ、と鷲掴みされる。否応なく向き合わされた二人の顔が、打ち合わされるシンバルのように正面から激突。 ゴン、とぶつかり合った頭蓋骨がめり込むような嫌な音が鳴って、二人の身体は声もなく地面に落ちた。 「な、なにして・・・ひ、土方さあぁん!!」 止めに入ろうと必死で脚に縋りついたあたしを、縋りつかせたまんまで無視。 かろうじて息を吹き返して頭を上げようとした息絶え絶えな金髪くんも、間髪入れずに下駄で踏み潰して無視。 さらには「てっめえェェ!」と背後から飛びかかってきた金髪くんの友達には、振り返ることもなく顎に一撃、 鋭い肘討ちを決めて無視。そこへよせばいいのに、無意識セクハラで気持ち悪い思いをさせられた あの三人組の一人が突っ込んできた。ああ、見ていられない。なんてスキだらけの無謀すぎる構え。 喧嘩慣れもしていないくせに、しかも素手で、あの土方さんを相手に真正面から突っ込もうだなんて。 冷えた目でセクハラ兄さんをじろりと一瞥、鬼の副長さまが咥えた煙草を指に挟む。顔色ひとつ変えずに前へ突き出す。 額のど真ん中、ちょうど「キン肉マン」的な絶妙の位置に狙い澄ました焼き印を押され、 お兄さんは悲鳴を上げて飛び上がった。 「あぢっっっ、あぢいぃぃぃぃーーーー!!!」 「ひぃいいだだだだだ、痛ぁあぁぁああ!!」 いかにも清々したかのような顔で辺りを見回し、足元で泣きわめく金髪くんのお腹を踏み台にする。 殺気振り撒く土方さんは、一歩前へと踏み出した。 「おい。どーする。まあ、どーしてもってえんなら相手してやらねえこともねえが。 生憎、今は害虫退治に手間ぁかける暇がねえ。ここは五秒待ってやる。その間に、散れ」 強い口調で言い放って、周囲を睨みつける。 あたしたちの背後に集まっている野次馬の人だかりにまで振り返り、同じようにきつい目で凄んでみせた。 騒ぎを聞きつけて興味半分に集まってきた人たちのおかげで、あたしたちはやや遠巻きな人垣に取り囲まれつつある。 ざわめきに紛れて「おい、誰か呼んで来いよ」「警察、警察呼べ」なんて声も飛び交っていたんだけど、 地獄耳で聞きつけた土方さんが声の方向に睨みをきかせると、ぴたり、と水を打って静まった。 ったく、と不機嫌そうにつぶやきながら、土方さんが着物の袖を探り始める。 そこから取り出したものを目にして、あたしは唖然とした。 神経が人並み外れて図太いのはもう知ってるけど。澄んだきれいな空気よりも、 濁った煙草の煙が好物なのも知ってるけど。 信じられない。この緊迫した空気の真っ只中で一服する気だ、このひと。 煙草でヤキを入れられたお兄さんが、痛みに呻いて額を抑えながら恨めしそうに叫んだ。 「け、警察呼ぶぞ!」 「あぁ?呼んだところで無駄手間だぜ。町方の下っ端同心なんざ、俺の面見りゃあ踵返して帰るだろうよ」 「はあ!?」 怪訝そうに怒鳴り返されても、土方さんはお兄さんを醒めきった目で眺め、フン、と鼻先で笑い飛ばした。 睨みつけながらじりじりと迫るお兄さんには構わずに、取り出したライターで悠々と火を点ける。 「いや、てえしたもんだな。その察しの悪さで、よくまあ女を引っ掛けようって気になれたもんだ」 「あァ!?んだと!」 「警察ならとっくにいるって言ってんだ。てめえの目の前だ」 「はぁああ!?んなわけあるかあぁぁ!!」 こくこくこく、と土方さんの脚にしがみついたあたしは、青ざめた顔を何度も縦に振った。 あのお兄さんには軽くセクハラされたし、同情する気にはなれないんだけど。叫びたくなる気持ちはよくわかる。 この容赦知らずでヤクザまがいな姿を前にしたら、誰だってこのひとをおまわりさんだとは思わないだろう。 部下のあたしですら疑いの目を向けたくなってるのに。 「おい。いいか、今から五秒だ。それ以上は待たねえ。そこで伸びてる野郎も連れていけ」 気絶して地面に倒れたままのお兄さんを顎で指してから、腰の刀に手を掛けた。 音もなく刀の鍔が緩む。あたしのほんの目の先で、覗いた刀身が白々と輝く。 すっかり腰の引けたお兄さんたちを据わった目で睨みながら、土方さんがすうっ、と深く息を吸う。 「五ォォォォ!」 空気を揺るがす怒号が飛んだ。飛んだ瞬間、あたしを含めたその場にいた全員が声の迫力に身体を圧された。 次の怒号が飛ぶ前に全員が逃げた。野次馬もお兄さんたちも学生くんたちも、全員が無言で逃げた。 頭を激突させられて気絶したままのお兄さんも、他の二人に担がれて逃げた。 踏み台にされていた金髪くんまで逃げ出した。上擦った奇声を上げながら必死で土方さんの足下を這い出し、 転びそうによろけながらも全力で走り去った。
「 薄紅の風 瞬く花 7 」text by riliri Caramelization 2009/09/20/ ----------------------------------------------------------------------------------- next