。こっちの調書が足りねえぞ。現場近くで目撃証言が出ただろう。あれァどうした」 片手に吸いかけの煙草を挟み。 もう一方の手を軽く上げた土方は、捜査に行き詰った連続テロ事件の資料をひらりと振ってみせた。 いつものように自室の文机の前に座り、いつものように直属の部下に呼びかけたのだが。 他の資料に目を通しながら待ってみても、返事がない。 「・・・?おい、聞いてんのか」 もう一度呼びかけて、肩越しに背後を振り返る。 振り返った先を数秒、鋭いその目で黙って見据えてから。気にくわなさそうに口端を下げる。 返事がないのも当然だった。そこには誰もいないのだから。


薄紅の風 瞬く花

5

あの事件からもう三日が過ぎている。 局長近藤からが下された処罰は「三日間の自室謹慎」だった。そして今日は、その最後の三日目に当たるのだが。 この三日というもの、彼は何度も同じことを繰り返す悪循環に陥っている。 謹慎中で傍にはいないと判っているはずなのに、ついに呼びかけてしまうのだ。 いるはずのない女に「おい、」と声を掛け、いくら待っても返事のない背後を振り向いては その都度苦々しい顔になる、・・・というのが、ここ三日間のお決まりの行動パターンになっていた。 の部屋まで出向き、直接謹慎処分を言い渡してからもう三日。その間、土方は彼女に会っていない。 は言われた通りに謹慎を守り、ほとんど部屋の外には出て来なかったし 沖田や山崎、他の隊士たちが見舞いがてらに部屋を訪ねても、誰にも会おうとしなかった。 一度落ち込んだらとことん思い詰めやすい、あいつのことだ。 謹慎と言われればその通りを律儀に守って、誰にも会わせる顔がない、と自分を追い込んでいるのかもしれない。 どうせ暇を持て余してうじうじと、気晴らしも出来ずに塞ぎ込んでいるんだろうが。 「・・・ったく、融通の利かねえ。暇ならお茶の一杯くれえ淹れに来いってえんだ」 苛立った口調の独り言を漏らし、さっき火を点けたばかりの煙草を灰皿に強く押しつけながら 彼は一層気にくわなさそうに眉間を狭める。 他に誰の耳もない自室での独り言とはいえ、あまり聞こえがいいとはいえない発言だった。 少なくとも、部下に直接謹慎を命じた上司の言い草としてはまずいだろう。 他の隊士たちにも聞かせられたものではない。・・・と、自分でも判ってはいるのだが。 ちっ、と気まずそうな舌打ちをつくと、灰皿の下敷きにされている小さな紙片に目を留める。 一度ぐしゃっと握りつぶしたような、細かい皺のついた紙。そこに書かれているのは手書きの地図のようだ。 その紙の端を摘み上げ、目の前にかざした土方は、何か真剣に考え込むような顔になった。 しばらくそれを眺めてから、パン、と書類の上に叩きつける。 隊服の上着を脱ぎ、襟元に巻かれた白いスカーフを無造作に引っ張って外すと、勢い良く立ち上がった。 * * * * * * * * 今、目の前に高くそびえているのもの。 それは黄色がかった明るいベージュで塗られた、大きなアーチを描く門だ。 しばらくぽかんとそれを眺めてから、あたしは口を開いたままの間抜けな顔を隣にいるひとへ向けた。 「・・・・・あのーー。副長さま?」 「お前な。「様」はムカつくからやめろっつってんだろ。それともそんなに殴られてーのか」 「どうしてここ、・・・なんですか? いや、まさかとは思いますけど。実はここで不合法な賭博の場でも開かれてたりするんですか?」 「・・・お前な。目ェ開いてんのか。 どう見りゃあこれが大人の遊戯場に見える。ガキどもの遊び場に決まってんだろ」 「・・・あのー。前から一度訊いてみようと思ってたんですけど。 土方さんて、あたしをどれだけバカだと思ってるんですか」 恨めしげに睨んだら、ふいっと顔を逸らされた。 涼しい顔の副長さまは「車内禁煙」のタクシーを降りた途端に煙草を取り出し、とっくに火まで点けている。 いくらあたしがバカだからって、ここがどこなのかくらいは見ればわかる。 あたしたちの目の前に構えているのは、カラフルな動物のキャラクターがあちこちに描かれた建物といい、 スピーカーから流れてくる楽しそうな子供向けの音楽といい、これはどう見たって遊園地以外の何物でもない。 それにここは昔からある老舗の遊園地だし、あたしだって真選組に入る前に何度か来たことがあるから、 この門の中に何があるのかも、どんな人たちがここで遊んでいるのかもよく知っている。 夢一杯でワクワクしている無邪気な子供たちと、デートでワクワクしているうらやましいカップルがほとんどだ。 「そのくらいあたしにだって見れば判りますっ。そうじゃなくて。なんで遊園地なんですかぁ? さっきも聞きましたけど、これ、ほんとに仕事なんですよね?」 「・・・・しつけーぞ。だから仕事だって言ってんだろ」 「ああっ。今、ちょっと黙りましたね。今、ちょっと考えたでしょ!?」 横からつっかかってくるあたしを煩そうに手で払い、土方さんは黙って先を歩き出した。 仕方なくあたしもその後をついていく。ここで置き去りにされたらどうにもならないからだ。 携帯とかハンカチの入った巾着袋は持ってるんだけど、その中には肝心のお財布が入っていない。 つまり今のあたしは無一文状態。このひとに置き去りにされたら最後、屯所に帰ることもままならないのだ。 「なんですか、なんなんですか?場所が遊園地で、しかもあたしがいないと話が進まない仕事って。 どーゆーことですかそれ。どう考えたって、そんなのおかしいじゃないですかぁ」 いや、遊園地がどうとか言う以前に、色々おかしいとは思ってたんだけど。 眉間にいっぱいシワ寄せた副長さまが障子戸を勢いよく開けて、突然あたしの部屋に入ってきたのが一時間前。 この三日間、自分を戒めるつもりで誰にも会わないようにしてたんだけど、実はさみしいなあとか思ってたし、 そこへ一番顔を見たかったひとが突然来たから、すごく驚いた。正直言うと、どきっとした。 三日ぶりに顔を見る土方さんが滅多に見ない私服の着流し姿になっていて、 しかも入るなり、無言であたしの目をじっと見てきたから。 副長直属の役目柄、土方さんとは毎日一緒にいる。 けれど、これだけ一緒にいても、土方さんがまっすぐにあたしを見ることはほとんどない。 それがいつもの隊服姿じゃなくて、普段見慣れない私服姿で。だから余計にどきっとした。 ・・・それに。謹慎中の身だから、副長室を覗きに行くのは我慢していたけど、 トイレやお風呂で部屋を出るたびに期待してたんだもの。この廊下を偶然通らないかなって。 何か声を掛けてほしいなんて言わない。でも、後ろ姿だけでもこっそり見れたらいいのに、って。 あれだけ勢いよく踏み込んで来たのに、土方さんは何も言わなかった。 途中で少しだけ、何か言おうとしてるような気配は見えたけど。結局黙ったままで、固まっているあたしを見下ろしていた。 いったい何があったのかと身構えていたら「お前も来い」の一言で腕を掴まれて。 理由も訊かされないうちに部屋から引きずり出され、屯所から引っ張り出されて、門前で捕まえたタクシーに押し込まれ。 あたしはわけもわからないままここに着いた。ここへ来るまでの間も、ひとことの説明も無しだったから。 謹慎中の隊士がいったい何がどうなって連れ出されたのか、しかもどうして遊園地なのか。もう、さっぱりわけがわからない。 タクシーの中では何を訊いても土方さんは「ああ」とか「さあな」とか生返事ばかりで、外ばっかり見てて、 ずっと何か考え込んでるみたいだったし。 「ちょっ、土方さんっ。無視しないでくださいよー。どうして遊園地なんですか? せめてそれくらい教えてくれたっていいじゃないですか!」 「さあな」 「さあな、って・・・・さっきからそればっかりじゃないですかっっ。いい加減に教えてくださいよっ」 「俺に訊くな。てめえの最初の男とやらの指定だ」 「はァ?」 そこで待ってろ、と言い置くと、土方さんはさっさとエントランス前に入場券を買いに行ってしまった。 普段はそう混んでない遊園地のはずなんだけど、今日はちょうど土曜日だ。 チケット売り場にはグループで訪れたらしい、子供連れのお母さんたちがずらっと並んでいた。 ・・・それにしても。わけがわからない。ほんとにどうしたんだろう、土方さんたら。 土方さんが自分から遊園地前に来る、ってところからしてもう絶対にありえないのに、 財布寄越してあたしに買わせるんじゃなく、自分でチケットを買いに行くなんて。 隊服着てる普段だったら、こういう雑用はパシリのあたしに押しつけて 自分じゃ絶対動かない「大人になってもガキ大将」なひとが、みずからチケット買う行列に並んでる。 あの姿を見てると驚きや意外さを通り越して、もう全然わけがわからない。 だって、あの姿だけで違和感湧きまくりだもん。だいたい腰に刀提げたひとが、遊園地って・・・ ・・・・・・・・・あれっ。 いやいやいや、ちょっと。ちょっと待ってくださいよさん。 よく考えたら、これってこれって。もしかして。・・・・・・、超お宝、激レア映像なんじゃないの? だって、遊園地のチケット買いに並ぶ土方さんなんて、きっと誰も見たことないよね!? そうだ、そうだよ。きっと珍しいはずだもん! ここから写メ撮って、パシリ仲間山崎くんとこっそり笑ってやろーっと!! 意外なところでお宝映像ゲットだなあ、なんて一人盛り上がってワクワクしながら携帯を出そうと巾着の中を探っていたら、 ポン、と背後から肩を叩かれる。 振り向くとそこには、知らない顔の三人のお兄さんがいた。 あたしの周りを囲むようにして立ってるんだけど・・・すっごく近い。鼻息かかっちゃうくらい近い。 全員が全員、あたしに向かってやたら親しげに笑いかけてくる。悪く言えば、妙に馴れ馴れしいカンジで笑ってる。 だけど、・・・おかしいなあ。こんな知り合い、いないはずなんだけど。どの人にも全然見覚えがないんですけど。 あまりの近さに戸惑って、あたしは苦笑いを振り撒きながら一歩後ろへ退いた。 するとお兄さんたちはちっとも空気の読めないタイプの人たちなのか、さらに一歩前に踏み出してくる。 「ねー彼女ォ、一人?ここ、よく来んの?」 「え?」 「俺たちここ初めてなんだけどさー、どれ乗ったらいーかとかよくわかんねーからァ。詳しい子探してるんだけどォ」 「ああ。そうなんですか。そういうことなら」 中で案内係のお姉さんに訊けばいいですよ、と言おうとしたら、わしっと力一杯に頭を掴まれた。 ムッとしながら、仕方なくあたしは振り向いた。 まあ、いちいち振り向かなくたって、この手が誰の手なのかはもう判ってるんだけど。 後ろから無言で頭を鷲掴みにしてくるようなひと、この人以外にいるはずないし。 「痛いです土方さん。少しは手加減して下さいっていつも言ってるじゃないですかぁ」 「・・・何だ、こいつらは」 目を細めて冷やかにこっちを見下ろす土方さんの口許では、咥えた煙草が折れそうに噛みしめられている。 あの大きく曲がった煙草を見るたび、あたしはがっかりして溜息をつきたくなる。 あれは、あきらかに副長さまのご機嫌が急降下で悪くなってるサインなのだ。 土方さんが原因不明で急に不機嫌になるのはいつものことだし、もうすっかり慣れてしまったあたしは 山崎くんから伝授された「機嫌の悪い副長の上手い受け流し方」までしっかりマスターしている。 けれど何度問い詰めても不機嫌の理由は教えてくれないし、いくら考えても原因不明だから、 その度に理由が気になって仕方がない。しかも今日はこの短時間で、ここまで機嫌を悪くするような何が起こったんだろう。 それとも、列に並ぶのが嫌だったのかな。そんなの、言ってくれればあたしが並んだのに。 「こいつらとか言っちゃダメですよォ。みなさん遊園地に遊びに来た、善良な市民の方たちなんですから。 このお兄さんたち、ここに来るのが初めてで、中を案内してくれる人を探してるそうなんです。ね、そうですよね?」 あたしは笑顔でもう一度お兄さんたちに振り向いて、次の瞬間、目を丸くした。 なぜか三人が三人とも怯えきった顔で、直立不動で震え上がっているのだ。 不思議に思って「どうしたんですか」と声を掛けても、誰も返事をしてくれない。 青ざめた顔を強張らせてこっちを見たままじりじりと後退すると、三人揃って突然駆け出した。 しかも、遊園地の入口とはまったく逆の方向に。 「ええェ!?ちょっとォ!?お兄さーーん?そっちは入口じゃないですよォォ!?」 引き止めようと思いきり叫んだけど、あたしの声はまったく聞こえなかったみたいだ。 お兄さんたちは凄い速さでいなくなってしまった。 「・・・?中に入らなくていいのかなあ、あの人たち。急に慌てちゃって、どうしたんだろ」 「さあな。急ぎの用でも思い出したんだろ」 フン、と鼻先で笑った土方さんが、入口に向かって速足で歩き出す。 ここで置いていかれるわけにはいかないから、あたしもすぐに後を追った。 そういえば、こうやってこのひとの背中を追いかけるのも三日ぶりだ。 そう思うと、見慣れた背中のはずなのに、なんだかすごく嬉しくて。眺めるだけで胸の奥がくすぐったくなる。 でも。やっぱりわけがわからない。だって、どーして遊園地・・・・・? 「まだ二時半かよ・・・・早すぎたか」 入ってすぐの正面に立っていた時計塔を見上げて腕を組み、ぼそっと土方さんがつぶやく。 それからあたしを見下ろして、なぜかすごーく面倒そうな、嫌そうな顔になった。 「。どれがいいんだ」 「は?」 「だからどれだ。お前、どれから乗る」 「え。ええっ、うそっ、乗ってもいいんですか!? ・・・あっ。でも、乗物は別料金だし。あたしお金が」 「これがありゃあ要らねえんだろ」 土方さんは袂から、二枚の定期券みたいな紙を取り出してこっちに向けた。 ああこれ、入口通る時に見せてた入場券だよね、と思いながら近寄って眺める。 「・・・これっ。一日フリーパスじゃないですかあ!どーしたんですかこれ」 「どうも何も。買ったに決まってんじゃねえか」 「えーっ、だってこれ、一人四千五百円ですよ四千五百円!?もったいなぁいぃ!! ラーメンなら七杯、牛丼なら十杯以上食べられるお値段じゃないですかっっっ」 「・・・どーしてお前はそういうしみったれた金勘定だけ速えんだ」 溜息混じりに呆れた半目で見下ろされ、あたしも呆れた顔で見返した。 「土方さんて。ほんっと税金泥棒ですよねぇ・・・」 「はぁ?」 「喧嘩するために警察官やってるようなひとが、こーいうモノをポンと買っちゃう 高給取りな役職に就いてるなんて。世の中ってつくづく不公平に出来てるんですねぇ。感心しちゃう」 「そういう感心の仕方はやめろ。で、どうすんだ」 「はあ。どうって・・・ええと。そうですねぇ。 最初に乗るならジェットコースターかなあ。高いところに上るの好きなんですよ、あたし」 大きな地図の書かれた園内の案内図を指して言うと、 こっちを見ていた土方さんは、片方だけ口端を上げる。なんだか憎たらしい笑い方をした。 「だろーな。高所好きったらバカの第一条件だ」 「あー、酷くないですかそれ。それ言ったら、土方さんだって高所好きじゃないですかぁ。いつも上から目線だし」 「うっせえ。人の奢りにケチつけんじゃねえ。おら、行くぞ」 言ってる傍からもう先を歩き出して、ジェットコースターの入口はどっちだ、と尋ねてくる。 だったら先に歩かないで一緒に行けばいいのに。どうしていつもこう急ぎ足なんだろ、このひとって。 ・・・とか思っているうちに、そんなことよりもっと重大なことに気づいて目が点になった。 「・・・・!!!ええっ、土方さんも乗るんですか!?ジェットコースターに!!?」 思わず叫んだら「煩せェ」と間髪入れずに一喝された。 数歩先で立ち止まって、腕組みした肩を怒らせながらあたしを睨んでいる。 「ぁんだてめ、文句でもあんのか。呆れたよーなツラしやがって」 「呆れてませんよっ。そうじゃなくて、驚いてるんです! だって土方さんって、遊園地の乗り物なんてバカにして付き合ってくれなさそうだから」 「ああ。最初はそのつもりだったがな。・・・さっき見た限り、そうもいかねえらしいしよ」 「え。さっき見たって、何を見たんですか」 気になって詰め寄ったら土方さんはなぜか眉間を曇らせ、困ったような顔をして黙り込んだ。 途端に顔を逸らされる。煙草を指の間に挟んで、火の点いたその先を なんだかきまりが悪そうにフラフラと、しきりに揺らしている。 目線の先にあったソフトクリームの売店を指すと、妙に切羽詰まった口調で言った。 「あ、あー、あれどうだ、。お前、あれ喰うか」 「えっ、買ってくれるんですか!」 「イヤ買ってくれるも何もお前、金持ってねーだろ。俺が出さねえと喰えねーだろーが」 「そんなの当たり前じゃないですか。 あたしは理由も言わない上司さまに無理矢理引っ張り出された、しかも謹慎中の身ですよ? 突然部屋から連れ出されたんだもん。お財布持ってなくたって当然じゃないですか」 「・・・・・・・・・・」 「わーい、嬉しいっ。 土方さんは知らないでしょうけど、こういうところで食べるソフトクリームって意外に美味しいんですよ? 何味がいいかなあ。やっぱり定番はバニラか、ストロベリーのミックスですよねー。 あっ、でもあそこに書いてある「春限定桜ソフトクリーム」も美味しそう!え〜〜、どうしよ、迷う〜。でも―――」 結局無言のままだった土方さんに財布を持たされ、春限定桜ソフトクリームを手にしてすっかりご機嫌になったあたしは ジェットコースターに乗る人たちの長い列に並んでいる。 ちなみに今日のお財布・・・じゃない、スポンサー土方さんは、この場にいない。 「厠だ」って言って列を外れたきりで、もう十分以上戻って来ない。・・・そんなに混んでるのかな、男子トイレ。 でもソフトが美味しいし、一人で乗ってもいいし、と思いながら、季節限定の春気分に浸って桜味を堪能していると 後ろからトントン、と二回、指先で肩を叩かれて、そのまま手を置かれた。 ・・・誰?叩き方といい手を置きっ放しなところといい、土方さんじゃないことだけは確かなんだけれど。 なんだかしつこいカンジのする手だなあ、と警戒しながら振り向くと、 肩に手を置いているのは、土方さんのすぐ後ろに並んでいた、ストリート系ファッションのお兄さんだった。 全身がピアスの穴だらけで、頭も体もずいぶん風通しの良さそうな人だ。 でも、たぶん未成年じゃないのかな。年は総悟と同じくらいかもしれないな、このピアス君。妙に老けて見えるけど。 「さみしそうじゃん、彼女ォ。俺と話さない?」 「いえ、別にさみしくないですけど。どっちかっていうとテンション上がってますけど」 「そーなの?でもさァ、なーんかひどくね、あんたの連れの男。 こんな可愛い彼女ずーっと待たせちゃってさあ。デートなのに冷たくね?あの彼氏ィ」 ピアス君が鼻に付けたピアスをいじりながらとんでもないことを言うから、声も出ないくらい驚いた。 驚きすぎたせいで、ソフトクリームが手から滑り落ちてしまった。 美味しいソフトを無駄にしちゃったのは痛い。 でも。でも、今この人が言ったことのほうが、落ちたソフトより百倍気になる。 息を呑んだあたしは巾着を両手で握り締め、目をかあっと見開いてピアス君に迫った。 「あのう。・・・あなたの目には、あたしと土、じゃなくて、一緒にいたあのひとが。そう見えるんですか。 いえあのだからはっきり言うとその・・・・・・・こっっ、これがデートに見えるんですかぁ!?」 「?え、違うの?へえ、そーなんだ。デートじゃねーんだ」 「それは、もちろん違うけど。でも、・・・ええっ。うそっ。ほんとにほんとに!?そう見えるんですか!?」 「なーんだあの野郎、彼氏じゃねーのかよ。だったらもォいーじゃん、あんな薄情なヤツ。放っといて俺と」 「!!」 「は!はいいっ!!」 放たれた瞬間にビリッと空気まで凍りつくような声がして、考えるまでもなく振り向いていた。 一年間怒鳴られ続けてきたおかげで、今じゃこの声で振り向くのが「何を置いてもこっちが先」の条件反射になっている。 ・・・・なんだか飼い主に絶対服従のペットみたいで、情けなくて嫌なんだけど。 嫌がるよりも先に身体が勝手に反応しちゃうんだから、仕方がない。 「お、遅かったですね土方さん。トイレも行列だったんですか?」 「俺のこたァどーでもいい。おい、誰だ。どこのどいつだそれは」 黒の着物の袖を肘まで捲り上げた土方さんの手には、さっきまでは無かったこの遊園地のお土産用の紙袋が。 下駄をカツカツ鳴らしながらやって来て、あっというまにあたしの後ろに立った。がっしり腕組んで背を逸らす。 さっきのチケット売り場前での不機嫌に引き続いて、副長さまには厠でも何か気にくわないことがあったみたいだ。 ああ、これじゃ気の毒だよピアス君が。だってこれじゃまるで取調だもん。 何の罪もない一般市民のピアス君を、まるで虫ケラを見るようなさっむーい目で見据えてる。 「だからあ、さっきも言ったじゃないですか。善良な市民のみなさんを「それ」扱いしちゃダメですよォ」 じろっと睨んで釘を刺して、なんとかこの気まずい空気を薄めようとピアス君へと振り返る。 でも遅かった。ピアス君は凄んでくる土方さんの迫力に、すっかり呑まれてしまったらしい。 頬がガチガチに引きつってるし、腰が引けてるし、土方さんから目が逸らせなくなっている。 あーあ。こんなに怯えさせちゃってどうする気だろう。 「あの、ごめんなさい態度悪くって。このひと顔は怖くて面白くないですけど面白いんです頭が」 言い終わらないうちに「お前の頭が面白れーぞコルァ」と頭の天辺を殴られ、しかも襟首を掴まれて後ろへ引っ張られる。 腹立たしそうに「上司放ってその穴あき野郎が優先か。ちったあ順番考えろ!」とか言うから、ムッとした。 どうせピアス君よりも先に説明されるのが、あたしの飼い主として受けるべきな当然の待遇だとでも思ってるんだ。 ああもうっ、忙しいっっっ。ほんのちょっとの時間なのに、どうして待てないのかなあ土方さんはっっ。 と、ムカつきながら振り向くと、土方さんの眉は思いきり吊り上がってて、あたしの数倍はムカついてそうな顔になっている。 ああ、しかもまた噛んだ煙草が。今度は分度器でも当てて計りたいくらい直角に折れ曲がってる。 もうっっ。何なの。何なのこのひとは。 たった数秒待たされただけじゃん!どーしてそこまで不機嫌になるんですかいい年こいた大人が!!! 「あああぁあもうっ、今日は制服じゃないんですよ!?なんなんですかぁさっきから! 遊園地を楽しんでる市民のみなさんに対して、そーいう高圧的な態度はよくないですっっ!! それにこの人とは別に知り合いじゃないし。後ろに並んでたお兄さんですよっ。ねっ、そうですよね?」 不穏な空気を撒き散らす上司の袖をグイグイ引いて宥めながら、少しでも雰囲気を良くしようと 今度は満面の笑顔を作ってピアス君へ振り向いた。 するとそこにいるはずのピアス君が―――消えていた。いなくなっていたのだ。 えっ、と驚いて周囲を見回すと、すごーく遠くに、ものすごい勢いで走っているピアス君の背中が。 「ええェ!?ピアスくんんん!?乗らなくていいの!!?ちょっとォォーーー!?」 両手でメガホンを作ってあたしは叫ぶ。でも、やっぱり声が届かなかったみたいだ。 ピアス君の姿は、はるか遠くのウォータースライダーの向こうへ消えてしまった。 いったい何だったんだろう。呆然としながら、はしゃぐ子供の声と水の音が響く巨大な滑り台を眺めた。 「・・・?順番、もうすぐなのに。いいのかなあ。急にどうしちゃったんだろ」 「さあな。厠に急な用でもあるんじゃねーのか」 意地の悪い悪戯をして満足したガキ大将みたいな顔で、くっ、と笑うと、土方さんはあたしの頭を後ろから押した。 押しながらくしゃっ、と髪をうなじの近くで掴まれて、硬い指先の感触が肌に当たる。うわ。熱い。 びっくりして背筋が跳ねて、ひゃっ、と思わず声が出た。 驚いて胸が勝手に高鳴り始めて、でも、何も言えなくて、あたしは目を見開いて無言で訴えた。 でも、土方さんはウォータースライダーのずっと先を眺めていて、鋭い目を眩しそうに細めている。 ・・・本当に今日の土方さんて、どうしちゃったんだろう。間違いなく変だ。 いったいどうしたんだろう、この手は。 このいかにも扱い慣れてますってかんじで髪を掴んだままの手は、いったい何なんだろう。 しかも本人は全然こっちを見ていない。ていうか、見てもいないし気付きもしない。隣のあたしに全く注意を払っていない。 ここにある何かじゃなくて、ここにはない何か別のことを考えていそうな顔をしてる。 ・・・・・・え。もしかして。・・・まさかとは思うけど。無意識にやってる?これ。 前、とぼそっと言われて、顎で指された行列の先を見る。 列の前に並ぶ人たちとあたしたちの間には、いつのまにか十人は並べる空間が出来ていた。 次にジェットコースターに乗る順番の人達は、もうとっくに鉄骨の階段を上がって搭乗口へ消えている。 大きな手のひらに後ろから押されながら、あたしはぎくしゃくと硬い動きで前へ足を運んだ。 土方さんは、自分の手の不自然さにはやっぱり気づいていないらしい。 見上げる横顔はいつもどおりの考えが読めない無表情のままで、相変わらず何かを考え込んでいるみたいだ。 あたしたちのすぐ前に並んでいるのは、学校の帰りらしい制服姿の女の子たち。 そのまた前に並んでいるのはたぶんあたしと同じ年くらいの、一組のカップルだ。 まだ付き合い始めじゃないのかな。ちょっとだけ空けた二人の立ち位置の距離に、何だか初々しさが漂ってるもん。 真面目そうな彼氏さんは、穏やかな笑顔で何かを話し続けてる。 彼女さんは彼の話に相槌を打って、時々口許を押さえてクスクス笑っている。二人とも、すごく楽しそう。 いいな、このひとたち。なんだか可愛い。うらやましいっていうより「頑張って」って応援したくなっちゃう二人だ。 「・・・そーですよね。ああいうかんじこそ「恋人どうしの健全な遊園地デート」ですよねぇ。 ・・・・・・・・・・天然タラシには絶対無理そう」 「?何の話だ。お前の話ァ、突然すぎてさっぱり」 「なんでもないですよ、なんでもっっ。土方さんには一生わからない話ですっ」 ・・・どうしよう。いつになったら離してくれるんだろう、この手。ずっと当たってるんだけど、うなじに。 言えばいいのかな。離してください、って。でも、言ったら気を悪くしたりしないかな。 それに、・・・・それに。困ったことに。実はぜんぜん、嫌じゃない。 さっきのピアス君の手はなんだかすごくしつこく感じて、早く外してくれないかなって思ってたのに。 土方さんの手は、どっちかっていうと、・・・・・・ずっと、このままでも、いい。 とくん、とくん、と、やたらに胸に響く心臓の音は、速く、大きくなるばかりで。 隣にいるひとのやたらに何でも拾ってしまう地獄耳まで、簡単に届いてしまいそうだ。 ああでも、何て言って断ればいいんだろう。どうしよう。 巾着をぎゅっと抱きしめながら、ああでもない、こうでもない、と切り出し方を迷っているうちに 心臓はもっと速くなる。頬までかあっと赤くなってきた。 ・・・ダメだ、こんなの。いくら居心地が良くたって心臓がもたないよ。もう限界。 不自然にブンブンとおおげさなかぶりを振って髪を振り乱してから、あたしは大きく一歩前へ出た。 やっと、あの手が髪から離れた。 土方さんに振り返ると、目が合った。 何も言えずに黙って見つめると、瞬きをして「何だ」と怪訝そうに尋ねてくる。 やっぱり気づいてない。判ってないんだ。 なんだかちょっとがっかりした気分になって、いえ、とだけ返した。自然と沈んだ声色になった。 列の前へ向き直って、楽しそうに話している女の子たちをぼんやり眺める。 彼女たちは彼女たちで、なぜか土方さんとあたしが気になるらしい。 時々振り向いたり、お互いに耳打ちしながらちらちらとこっちに目線を向けてくる。 頭上のスピーカーから流れてくる楽しそうな音楽に混じって、小鳥のお喋りみたいに忙しい彼女たちのひそひそ声が 偶然にこっちにも届いた。 「ちょっとー、ねえどーするあたしたちぃ。カップルに挟まれて女だけで絶叫マシンって、さみしすぎー」 それを聞いたあたしは、目が点になった。 まあ、前に並んでるあの二人は、間違いなくそうだと思うけど。 あたしたちは違うんだけどな。 別に今の「くしゃっ」に、意味なんてない。この二人きりの外出にも、特別な意味なんてない。 土方さんには何かここで済ませなくちゃいけない用があって、あたしはそのためにここへ連れて来られた。 それは判ってるし、連れてきた本人はそんなつもりなんて全然、どこにもないに決まってる。 あたしもそこは判ってる。・・・・・・だけど。 土方さんにはそんな意識、全然どこにもない。 それが判っていても、今の彼女たちの言葉が。さっきピアス君に言われた言葉が、耳を離れなかった。 傍目にはそう見えるんだ。他の人から見たら、これってデートに見えるんだ。 普通にデートを楽しんでる恋人同士に、見えるんだ。あたしと・・・・・・土方さんが。 「・・・・・・・どうしよう」 「あァ?何がだ」 「急に、あの。・・・・・緊張してきちゃって」 「お前なぁ・・・ここまできたってのに、どうすんだ。もう目の前じゃねえか」 あたしの泣きごとを、一歩進んで隣に立った土方さんはおかしそうに笑い飛ばした。 ああ。本当だ。ほんとに目の前だ。 どうしよう。なんだか泣きたくなってきた。もう瞼の裏側が熱くなってきた。 乗る前から泣いちゃったら、ぜったい変だよね。 ああ、どうしよう。こういう時って、どうやってごまかしたらいいんだろう。 やばい、と焦りながらうつむいて、唇をぎゅっと噛んでみる。 でも、我慢しなきゃ、と焦れば焦るほど、目にはじわあっと涙が滲んでしまう。 「おい。何だ、・・・・マジで怖がってんのか? あれのどこが怖ぇんだ。ただ速いってだけじゃねーか。だいたいあれァ、落ちるはずのねえガキの玩具だぞ」 土方さんの手が、ポンと頭に置かれた。 何の力の加減もなく、乱暴に置かれた手。 なのに、指先からはあたしを宥めようとしているような気配が伝わってくる。無造作だけど、優しい手だ。 大きな手のひらが頭を覆う。この感触も重さも、近くなるほどに強く香る煙草の匂いも。全部三日ぶり。 何も言えずに、黙って頭を振った。 だけど、ほんとは「やめてください」って言いたかった。 だって。今ここでそんなふうに優しくされたら、余計に泣きたくなってしまう。 このひとの目さえなかったら、顔を覆って泣きじゃくりたいくらいだ。 どうしよう。嬉しい。でも、ただ嬉しいだけじゃない。 泣きたいくらい嬉しいのに、胸がぎゅっとしめつけられているみたいに痛くて、せつなくなった。 嬉しさと同じくらいにほろ苦いような、つらい気持ちになってくる。 土方さんの手の温かい重みが、痛みと一緒に胸の奥までのしかかってくるようで。 載せられたままの手の重さに耐えられなくて、泣きたくなる。あたしはもっとうつむいた。 だって。ひどいよ。こんなこと、夢だと思ってた。絶対にないと思ってたのに。 どれだけ願っても叶わない。手が届かないまま終わるんだって、あきらめていた夢なのに。 いつのまにか、すぐ目の前にあるなんて。

「 薄紅の風 瞬く花 5 」text by riliri Caramelization 2009/08/07/ -----------------------------------------------------------------------------------             next