薄紅の風 瞬く花

2

数日前からここに潜入していた全ちゃんの誘導で、真選組が警備の薄い裏口を突破したのが深夜の二時。 それからまだ一時間も経っていないけれど、元は学校だったという広い敷地の端に建つ 貨物コンテナの積み上げられた天井の高い倉庫の中は、ほぼ制圧しつつあった。 門の正面に建てられた大きな事務所は、慈善団体としての顔を取り繕うためのもの。 昼間は人の出入りが絶えない、真白く塗られた明るい外観の建物は この時間は無人になっていて物音ひとつしない。 その一方で、敷地の裏手にそびえ立ったこの倉庫の周囲には、昼夜を通して常時数人の見張りがついていた。 「支援している各地の子供たちに送る物資の警備」という名目で、慈善団体には不似合いな 荒んだ空気を感じさせる男たちが常に目を光らせている。誰も近寄れないようになっていた。 倉庫の一番奥へ通じている、分厚い防火扉を開けた向こう側。 あたしは特攻組の一番隊に混ざって、総悟と二人で最初にそこへ飛び込んだ。 飛び込んですぐに、総悟の足が止まった。 いつもなら迷わず先頭を切って走るはずの一番隊隊長が、なぜか防火扉の前から進もうとしない。 総悟と背中合わせになって周囲を窺っていたあたしは、不思議に思って、振り向いて中を覗いた。 中央に、あたしたちが立っている場所から一直線に、奥へと続く薄暗い通路がある。 その通路を挟んだ両側には、厳めしい鉄格子つきの檻が設えてあった。 それぞれの中に十人ずつほどの人の姿がある。 薄暗い中を用心しながら近寄って、その中を覗くと。中にいるのはすべて子供だった。 合わせて数十人ほどの子供たちが、そこに監禁されていた。 刀を手にした総悟とあたしが、突然扉を開け放って飛び込んできたのに。叫び声ひとつ上がらない。 ほとんどの子が驚いて怯えることも、騒ぐこともない。 ただ動くものを目で追っているだけ。感情を失くしたうつろな目を、ぼんやりこちらにと向けるだけ。 どの子を見ても、薄汚れた顔には生気がなかった。痩せこけた身体にボロボロに擦り切れた着物を身につけて セメントが剥き出しの硬い床に座ったまま、ぐったりとして動かない。 天井近くの高さには、月明りの差し込む格子窓がある。その光に目を凝らして一人一人をよく見ると、 どの子にも身体のどこかしらに、傷痕があった。 赤みを帯びた火傷の痕や、出来てからまだ日の浅い、生々しい切り傷の痕が。 檻の中から黙って見つめてくるうつろな子供たちの視線を、総悟とあたしはただ受け止めるしかなかった。 一瞬だけ目を見合わせたけれど、お互いに戸惑いを隠せなかった。何も言えないまま檻の前で立ち竦んだ。 暗い鉄格子に閉ざされた中で光るのは、窓から差す月明りを受けた子供たちの目だけだ。 瞳のどこにも揺れが射すことのない。焦点のはっきりしない、感情の抜け落ちた子供たちの目の群れが光っている。 ここで何が行われて、子供たちがどう扱われてきたのか。想像したくもないけれど、あの目を見れば判る気がした。 それは多分、ぞっとするような虐待の連続だったはず。 恐怖に追い込まれて、苦痛に悲鳴をあげることも忘れるくらいに痛めつけられて。感情を閉じ込めてしまっている。 こんな小さな子供たちが。そう思うだけで、たまらない気持ちになった。 ポンと肩に手を置かれた。振り向くと、わずかに眉を曇らせた総悟は黙ってかぶりを振った。 あたしも黙って頷き返した。 倉庫内はすでに真選組が占拠している。ここにいる子供たちはすでに保護下に置かれたことになるから これ以上危険な目に遭うことはない。ぼうっと止まっている場合じゃない、と思い直して、周囲をざっと見渡す。 薄暗くて隅々までは見渡せないけれど、ここには見張りの一人もいないらしい。殺気も気配も感じなかった。 その突き当たりに見つけたのは、地下へと続く薄暗い階段。 そこからは何の音も聞こえなかった。 周囲の気配に気を配りながら、あたしたちは鉄骨が剥き出しの暗い階段を駆け降りた。 扉を開け、踏み込んですぐに、はっとした。 何も聞こえない。何も見えなかった。なのに、はっとした。 五感を張り詰めさせていた身体が、得体の知れない闇だ、と皮膚で感じとっている。 中は見えない。けれどここに何かがある、と思わせる異質な気配が、無音でこっちへ手を伸ばしてくる。 そんな不気味さが闇の向こうに潜んでいた。 最初に感じたのは冷気だ。空調が効いている。というよりも、効きすぎるくらいに寒い。 足元から這い上がってくるのは、冷凍庫内のようにひんやりと湿った空気。 そして、目を刺すような強い臭気。あきらかに異臭だ。 人の気配はどこにも感じられない。刀の構えこそ崩さなかったけれど、 誰かが身を隠して侵入者を待ち構えているような、張り詰めた気配は感じられない。 ここには誰もいないはずだ。なのに、何とも言いようのない、奇妙な感覚に満ちている。 総悟が壁のスイッチを探り当てて、照明を点けた瞬間。あたしは呆然と刀を下ろして、その場に立ち尽くした。 すぐ目の前の床に。部屋の奥の壁際に。部屋の中央にあるダイニングテーブルくらいの大きさの台の上に。 折り重ねられ、無造作に、ゴミのような扱いで積まれている。物として扱われ、放置されているのが一目で判る。 その異様な光景に目を奪われて、動けなくなった。 部屋の数か所に分けて固められ、折り重なっているのは。どれも子供の遺体だった。 ただ人のかたちを留めているだけの、腹部や顔の造作が空洞になった子供たち。 上に積まれた子たちを見る限り、どの子も腹部や頭部を裂かれて、骨身を剥き出しにされて 臓器や目をえぐられ、抜き取られている。 変わり果てて腐臭を放つ、抜け殻みたいな姿。かろうじて子供のかたちを留めているだけの、血まみれの遺骸。 髪の毛も。裸にされた身体も。力尽きてくったりと垂れている指先まで、全部。 全身のいたるところが飛び散った血に汚され、乾いて黒く塗り固められていた。 握りしめた刀がカチャッと鳴る。 冷えて静まりかえった室内に、その音だけが跳ね返って響いた。 現場がどれだけ凄惨だろうと動じることのない総悟が、何かをこらえるように息を呑んだ。 「・・・・ここまでぞっとしねえ現場・・・そうそう拝めねェや」 掠れた声は、語尾が怒りに震えていた。 あたしは何も言えなかった。喉が固まって声が出なかったし、全身の肌が粟立ってしまっている。 口許を覆った手で目まで覆ってしまいたい。これ以上見ていたくなかった。なのに、目が逸らせない。 この現場の惨状は、これまでとは違う。 これまでにあたしが見てきた修羅場の酷さとは、種類が違っている。 奴等が売買していた対象が、これまで目にしたことのある現場のそれとは違うからだ。 奴等が攘夷活動の資金源として扱っている、商品。 薬や武器よりも身入りが良くて、江戸でも、そして天人にも評判が高い。買い手に事欠かない、優れた商品。 武器や薬の類じゃない。生きた子供と、その臓器だ。 誰かを呼びに行かなくちゃいけない。土方さんにも報告しないと。 こんなところで固まっている場合じゃない。そう思うのに脚は動かなくて、立っているのがやっとだった。 刺すような臭気が目に染みる。おぞましい吐き気が胸の奥からこみあげてくる。 身の毛のよだつ悪趣味さ。いつも動じない総悟が、滅多に見せない本気の怒りに眉を顰めているくらいだ。 ううん、こんなの、悪趣味なんて穏やかなひとことで済むようなものじゃない。悪夢そのものだ。 入口近くにぐったりと折り重なった死体。その前で立ち竦んでいたら、誰かに肩を掴まれた。 いつのまにか土方さんが隣に立っていた。難しい顔で眉を寄せて、放置された子供たちの遺骸をじっと睨んでいる。 さらに数人がバタバタと駆け込んできた。飛び込んできた順に次々と、異臭と驚きに息を呑んでいる。 中をぐるりと見渡してから、土方さんはあたしに顎で扉を指す。出て行け、と命じられた。 「でも」 「出てろ。邪魔なだけだ」 声の迫力に気圧されて、あたしはそこを離れた。 力の入らない脚で一歩ずつ踏みしめて、やっとの思いで階段を上がる。 上がりきった途端に、吐き気とめまいに襲われた。 呼吸の荒くなった口を抑えながら辺りを見回す。誰もいない。 赤く濡れた刀を鞘に戻すと、とたんに膝からがくっと力が抜け落ちて、床に崩れ落ちた。 身体中を這い回る不愉快なざわめきが、頭の中まで一杯にする。 自分でも手がつけられない。処理しきれない。渦巻く感情で、頭の中が洪水になって。涙が溢れてきた。 痩せてしまって鳥のように骨張った細い脚も、紅葉の葉くらいしかない大きさの手も。 みんな乾いた血で黒く染まっていた。 重ねられた遺体はみんな、まだほんの小さな子供。 まだお母さんの手を握って甘えているはずの。あどけなく笑っているはずの子供だった。 どうして。あの子たちが何をしたっていうんだろう。 あんな小さな子供に。どの子もまだ自分の力じゃ生きていけない、誰かに頼るしかない子供たちなのに。 どうして、ばかりが頭を回る。血に黒ずんだ動かない手が、目に焼き付いて離れなかった。 酷すぎる。どうしてあんな真似が出来るんだろう。どうして。 頬に伝い落ちる涙を拭って、はっとする。 目の前の床に大きな影が落ちてきて、頭上を鳥のようによぎっていったからだ。 影を感じた瞬間、考えるよりも先に手が刀を抜き払っていた。足が勝手に立ち上がって構えをとっている。 「・・・・・・なんだ。驚かせないでよ」 大きな影の去った背後。 貨物コンテナの上に居座ったその正体を確かめて、あたしはほっとして構えを解いた。 そこにいたのは全ちゃんだ。 コンテナの天板に座り込んで、よお、と気楽そうにこっちへ手を上げてみせた。 その顔を見たらすっかり気が抜けてしまっって、利き腕まで勝手にだらりと下がった。 下げた刀がいつもよりも重く感じる。もう使い慣れたはずなのに。 「なあ。お前よー。いつまでこんなこと続ける気だ?」 「・・・こんなって、・・・何が」 訊き返したら、全ちゃんは腰掛けたコンテナの縁を軽く蹴った。音も無く目の前に着地する。 地下室への階段を目で指すと、見たか、と小声でつぶやく。あたしは鞘に刀を収めながら黙って頷いた。 すると全ちゃんは頭を掻きながら、いやいや、と小さくかぶりを振った。 「何度嗅いでもひでェもんだぜ、あの臭いはよー。 風呂入ったってとれた気しねーんだよ。身体っつーか、鼻の奥にこびりついちまうからなぁ」 「全ちゃん、あの中に入ったの」 「ああ。それも含めての依頼だからな。仕事柄、ああいうモンを見るのが初めてってわけでもねーし。 ・・・・・あー。そうか、お前は初めてか」 涙に勘付かれたらしい。向き合っているのもきまりが悪くて、深くうなだれた。 顔を見られたくなくて背中を向けると、全ちゃんはポンポンと、宥めるようにあたしの頭を叩いた。 十年前。あたしがまだ、地下室に捨てられていた子供たちと同じくらいの年だった頃。 義父さんに叱られて神社の縁の下に潜って泣いていたときも、全ちゃんはこうして慰めてくれた。 無造作にポンポン叩いてくれる感触は、昔とちっとも変わらない。なんだか懐かしい。 でも。わからなかった。 吐き気と一緒に胸の奥で燻っているこの気持ちが、何なのかわからない。 だってなんだか割り切れない。おかしいと思った。 十年前。あたしにはもう本当の親はいなかった。血の繋がった身寄りもなかった。 物心がついたときにはもう、自分がこの家の子じゃない、と薄々気づいていたし 竹刀を持てるようになって、門弟さんたちに混ざって道場で稽古をつけられるようになった頃には 道場の壁にある、自分の名前を記した木札に書かれた名字が、どうして義父さんとは違っているのかも判っていた。 まだ親に甘えたい年頃だったから、本当の親がいないことでさみしい思いはしていた。 それでもあたしには帰る場所があった。あの家に、守ってくれる人が大勢いたからだ。 毎日一緒にご飯を食べて、同じ家で過ごす家族がいた。家政婦のお駒さんも、道場の門弟さんたちも。 居心地が良かったのか、そのうち全ちゃんまで居着くようになった。 世話好きの義父さんのおかげで人の出入りが多くて、いつでも誰かの声の絶えない家。賑やかな家だった。 だから時々さみしい思いはしても、ずっとさみしいままで萎れていることなんて滅多になかった。 あの家に帰れば、必ず誰かが声を掛けてくれる。自分では埋められなかったさみしさも慰められて、いつも笑っていられた。 自分は色んな人の手に囲まれて、守られている。あの家で暮らしているうちに、あたしは自然と感じとっていた。 だけど。あの地下室で眠っていた子たちには、いなかった。 守ってくれるはずの救いの手は、あの子たちが苦しさにもがきながら 息絶える最後まで、一度も差し出されることがなかったんだろう。 「おいで」と手を差し伸べて、悪夢みたいなあの場所から助け出してくれる人がいなかった。たった一人も。 それを思うと、つい感情移入してしまう。どうしても他人事とは思えなかった。 多分、あの子たちはあたしと同じ。肉親に縁のない境遇に生まれついた子供のはずだから。 「さすがによー。最初にあれ嗅いだときにはキツかったぜ。メシ食う気もしなかったなァ。 まあ、次の日にはけろっと喰ってたが。オメーはなあ。そうもいかねえだろ」 「・・・・うん」 全ちゃんは「変わってねーなァ」といつもと変わらない緩んだ口調で言った。 掴んだあたしの頭をユラユラと揺すってくる。 「こっそり泣く癖も治ってねーのな、お前」 「全ちゃんのせいだよ。その胡散臭い顔見たら、気が緩んで、・・・・・」 後は言葉にならなかった。 ほんとうに悪い癖だ。こんなところを見られたら、また土方さんに叱られる。 なにやってるんだろう、あたし。こんなところで泣いている場合じゃないのに。 「なあ、。早いとこ辞めちまえよ、真選組なんて」 え、と思わずつぶやいた。無言で見返したら、全ちゃんの手が頭から離れていく。 「こんな稼業の俺が言うのもなんだがよ」と、珍しく改まった、真面目な口調で前置きをした。 「あのよー。ああいう臭いは、自分じゃ気づかねーうちにてめえの身体に染みついちまうもんなんだよ。 染みついたら最後、死ぬまで消えねえ。足を洗おうが何しようが、ヤバい臭いとは縁が切れねえ。 あの時やめときゃよかった、なんて後悔したって手遅れだ。堅気の暮らしには戻れねえ身体になっちまう」 俺みてーにな。 少し間を空けてから付け足した。その声は淡々としているし、表情はうっすらと笑っている。 けれど、口調はどこか皮肉っぽい。なんだか自虐めいて聞こえた。 「今ならまだ間に合うんじゃねーのか。意地張ってねえで、早く親父さんのところへ帰ってやれって。 そうすりゃあお前だって、こんな、・・・・」 言いかけて、全ちゃんはなぜか黙った。あたしも何も言えなかった。 偶然再会してからもう何度も会っているし、あたしが真選組でどんな毎日を送っているのかも話している。 実は家出したの、と白状した時に少し顔色を変えた程度で、全ちゃんは他の何を打ち明けても驚くことがなかった。 あたしが隊士になった理由や、家出するまでの話には、全ちゃんからは一度も触れてこなかった。 真選組のことについても、何も。 だから気づかなかった。真選組にいることも、家を出たことも、すんなり納得してくれているんだと思ってた。 でも、違うみたいだ。今まではただ、黙っていただけなのかも。もしかしたら、心配してくれていたのかもしれない。 ここで知り合ったみんなとは違う。 あたしの十年前を。あたしとあの家のことを、よく知っている全ちゃんだから。 「やべ。」 ぼそっ、と全ちゃんが気まずそうな独り言を洩らす。 なぜか一歩退いて、あたしから離れた。 「え?」 謎の行動を不思議に思っていたら、後ろから何か聞こえてきた。靴音だ。 ドカドカと床を鳴らして、倉庫に轟く大きな足音がこっちへ近づいてくる。 ヤバい、と気づいた時には、あたしは息苦しさで悲鳴を上げていた。後ろから首を羽交い締めにされたのだ。 「何してやがる、馬鹿パシリ」 動けば動くほどぎゅーっと締まる二の腕を掴んで、じたばたと暴れながら振り返る。 振り返ったとたん、自分の迂闊さを後悔した。土方さんがイラついた顔でこっちを睨んでいる。 それだけならいつものことだけれど、いつもよりもうんと距離が近い。見上げた瞬間、心臓が飛び跳ねた。 背中から抱えられて半分持ち上げられた目線は、ちょうど土方さんの顎の高さ。顔との距離なんて十センチ足らずだ。 心臓に悪い。てゆーかあと五分もたない。きっともう破れかかった風船みたいになってる。 なのに。なのに、だ。後ろから抱きつかれた女の子が真っ赤になって、心臓を破裂寸前にバクバクさせてるのに。 この仕事バ・・・・・・、人一倍仕事熱心な上司さまときたら、ちっとも気づきやしない。 視線があたしをスルーしている。黙って見ている全ちゃんがよっぽど気に入らないのか、敵対心剥き出しの顔で睨んでる。 何よもう。なんなんですかこの仕事バカは。この鈍感天然仕事バカは。 この様子だもの、どうせすっかり忘れてるんだろう。 色気も可愛げもねえ、と毎日皮肉を飛ばしながらこき使っている自分専用雑用係も、一応は女のはしくれだ、 ・・・なんて事実は、全ちゃんにメンチ切ってるこのひとの頭の中からは、きれいさっぱり消えているに違いない。 「ひゃ、な、や、ちょっ、ギブ!てててゆーかこれ、これはないんじゃないですか!? こ、これってひとつ間違うとセクハラですよ、セクハラ!!」 「んだとコラ、半人前が。人権だけは一人前に主張する気か」 「降参」のつもりでパンパンと、土方さんの腕を必死に叩いた。 リングのロープを叩いて試合放棄を宣言するプロレスラー以上の必死さだ。 だけど相手は土方さんだ。情け容赦なんてどこにもない。 命乞いには聞く耳持たずで、頭の天辺にグリグリ拳を捻じ込んでくる。 「何遍言わせりゃわかるんだてめーは。パシリの分際が俺に説教垂れようなんざ、本来なら処罰もんだぞ。 それともあれか。お前、この場で刀抜かれてーのか。ひとおもいに人権剥奪されてーのかあぁぁぁぁ!!?」 「そそそんなっ、や、やだなァ誤解ですよ誤解っ。落ち着いて、ね、お願いだから落ち着いてくださいっ。 畏れ多くも副長さまに、パシリのあたしが説教なんて!まさかァ、そんなはずないじゃないですか! ・・・てゆーかあのォ違いますよね日本語おかしいですよねソレ。人権剥奪ってゆーか余命剥奪ですよねソレ!?」 「あァ?煩せェ虫がグダグダと、耳元で騒いでやがる。さっそく始末しねえとなああぁぁ」 今日の出入りで目にしたどの顔より殺伐とした悪人顔のおまわりさんが、冷えた薄笑いで腰に挿した刀に手を掛ける。 怯えた涙目で鬼を見上げ、けれど混乱のあまり頬の引きつった半笑いを浮かべて、あたしは震え上がった。 ああ。天国にいるはずの、顔も覚えていないお父さん、お母さん。 は予定よりもうんと早く、二人のお傍に行くことになるかもしれません。 「すすすすいませ、副長さまっ、もう生意気言いませんっ、言いませんから命だけはァァァ」 「うっせえって言ってんだろコルァ。人並みに長生きしてーんなら少しは黙ってろ。・・・ったく、 ちょっと目ェ離しゃあすぐにフラフラと、油ばっか売りやがって。出入りはまだ終わっちゃいねえんだぞ!」 「おいおい、待ってくれよ副長さん。そいつはまだ」 苦笑いで頭を掻いている全ちゃんをじろりと一瞥。 土方さんは冷えた声で言い返した。 「俺達はあんたに仕事を頼んだだけだ。口まで挟めとは頼んでねえぜ」 「いやァ、依頼人にそれ言われるとなァ」 「来い、」 「え、つか、聞いてる?人の話聞いてんの副長さん、イヤ聞いてないよねそーだよね聞いてねー・・・・ っておい、ちょっとォォーーーー!?」 呼びかける忍者には目もくれずに、仕事の鬼はあたしをズルズル引っ張っていく。 全ちゃんの姿がみるみるうちに遠くなって、どんどん離れて小さくなった。 「・・・・その面」 「は、はいっっ!?」 「その面。どうにかしろ」 引きずられながら、あわてて涙の跡を袖で拭う。 忘れてた。よりによって土方さんに。一番見られたくないひとに、見られたくない顔を見られてしまった。 泣いてしまって、しかも返り血まで浴びているんだから、きっとグシャグシャになっている。 「お前が泣いてどうなる。お前が泣いたところで、何も変わりゃしねえんだ」 ぴしりと硬い声で断言して、土方さんが立ち止まる。 あたしを放すと、厳しい表情でこっちを見下ろした。 「。お前、何のためにここにいる。」 「・・・え、何のため、って・・・・。あの。あたしは、・・・・」 恩返しのために。 そう言おうとしたら、土方さんが遮るように口を開いた。 少し肩を落として、腰のポケットに手を突っ込んだ。うんざりした顔になっている。 「また例の、あれか。」 「・・・わかってるなら、訊かなくてもいいじゃないですか。どうして訊くんですか」 「お前。まだ恩返しだ何だと、俺への義理立てを理由にここに立つ気か。 そういうつもりでいるんなら、これから先は務まらねえぞ。」 言い切ると一歩、土方さんが踏み出す。足早に先を歩み出した。 あたしもあわててその後を追った。 「いいか。俺達のやってるこたァ、世直しでも慈善でもねえ。 薄汚ねえ奴等を泥の中から汲み出して掃除するだけの、言い変えるならただのドブ浚いだ」 鉄格子が開けられ、子供たちが救出されている最中の、数室並んだ檻の前を通り抜ける。 その様子を横目に眺めながら、土方さんは続けた。 「ドブ浚いに看板は必要ねえ。国を変えようと躍起になって、大義ばかりを声高に並べ立てる連中とは違ってな。 だがよ。だからといって、まったく志のねえ奴にも務まらねえ。 底の浅せェ同情や正義感に足元掬われて動けなくなっちまう、ヤワな奴に務まるような役目でもねえ」 聞いているうちにだんだん目線が下がって。いつのまにか唇をぎゅっと噛んで、うつむいていた。 急いでいたはずの足から勢いがなくなっていく。土方さんの足を見ながらのろのろとついて歩く。 歩幅の大きい土方さんとの間は、みるみるうちに離れていく。 ほんの数メートル離れただけ。なのに、ひどく遠く離れてしまったような気持ちになった。 「感情に流されて動けなくなっちまうような奴は、尚のこと問題外だ。話にもならねえよ。 そんな奴ぁ、うちにはいらねえ。今すぐ辞めて家に帰れ」 檻を隠していた分厚い防火扉の手前に着いた頃には、すっかり足が止まってしまっていた。 防火扉をさっさと抜けて、入口へと向かう背中を。土方さんが離れていくのを、ただ見つめるだけだった。 ふと立ち止まった土方さんは、急にこっちへ振り返った。 何か言いたそうな、じれったそうな顔でこっちを睨んでいる。 まっすぐに目を見るのをためらって、あたしはまたうつむいた。 今頃になって、泣いてしまったことを悔やみたくなった。 どうして屯所の部屋に帰るまで我慢出来なかったんだろう。 今のはあたしが口先ばかりで何も出来ないヤワな奴だと、土方さんに揶揄されたのも同然だ。 それだけあたしは甘く見えるんだ。このひとにも、…たぶん、全ちゃんにも。覚悟の足りない半人前に見えるんだ。 カン、カンカンッ、と、硬い靴音が不規則な響きをたてて近づいてくる。 背後を振り返ると、地下室への階段から現れた総悟がこっちへ駆けてくる。 あっ、と思った瞬間には、もうあたしのすぐ横を通り過ぎていた。 まるで土方さんもあたしも目に入っていないかのような顔で。少し目を伏せた険しい表情で、駆け抜けていった。 駆け抜けた後に風が起こって、髪が靡いて頬まで流れた。 手で抑えながら振り返ると、土方さんの髪までざわめいていた。 過ぎていった総悟の背中を見送りながら、口端だけで、くっ、と皮肉っぽく笑った。 「見たかあの面。総悟の奴、珍しく眼ェ醒ましやがった」 「・・・はい。」 同じように階段を上がって出てきた一番隊の人たちが数人、バラバラと、総悟の後を追って駆けていった。 全員が、外灯に照らし出された倉庫の入り口に向っていく。光に向かって一直線に吸いこまれていく。 あれはみんな、地下室の惨状を目にした人たちだ。みんながたぶん、同じ思いにかられて駆けて行く。 その背中を見ていたら胸の奥に何かが灯って、熱くなった。 あたしもあの後を追いかけたい。そう思った。無性に走り出したくなってくる。 たぶんあの全員が、同じ気持ちでいる。 同じ思いで外を目指して走っているのに。 ―――あたしは何を、立ち止まっているんだろう。 「おい。お前はどうする」 土方さんは、気忙しい様子で靴音を高く鳴らしながらこっちへ近寄ってきた。 すぐ目の前に立つと、突き放すような冷たい目を、すっと細めた。 「来ねえならここで終いだ。屯所戻って荷物まとめろ。さっさと家に帰」 「嫌です!」 思わず強い口調で遮った。大きな声が勝手に口から飛び出して、自分でも驚いた。 すみません、と謝ったけれど、どうしたらいいのかわからない。 意外だったのは土方さんも同じらしい。眉間を寄せて、黙ってこっちを見下ろしている。 「・・・あたし。ここにいたいんです。帰れって言われたって、帰りません! ここに、・・・真選組に、半人前のあたしにも、出来ることがあるから。だからここにいるんです。 閉じ込められてたあの子たちや、どこかで泣いてる誰かのために、あたしにも出来ることがあるって思うんです。 だから、・・・・・あの、それは、土方さんへの恩返しとは別っていうか、・・・・・・・・」 無意味な身振り手振りをつけながら、しどろもどろに訴え続ける。 話しているうちに顔が強張ってきた。 言ってる本人ですら、こんな理由じゃ納得してもらえないだろう、と思いながら話してるんだから救いがない。 きっとあたしは、誰の目から見てもまだまだ甘いはず。言ってることにもちっとも説得力がないんだろう。 しかも、現場で泣き出す半人前だ。その半人前が、鬼の副長さまを口で説き伏せようなんて、甘すぎる。 自分でも無謀だとわかってる。・・・判ってる、けれど。 決して諦めているんじゃないけれど。今はまだ甘くても仕方ない、とも思う。 それでもあたしが口にした気持ちは嘘じゃないし、間違ってもいないと信じたかった。 子供のころから身につけてきた剣術が、さっき見たあの子たちのような目に遭う誰かを、一人でも救えるのなら。 今もどこかで助けを待っている、泣いている誰かの役に立てるのなら。 言い訳じゃない。この一年間で、いつのまにかそう思うようになっていた。 いつもそう思いながら、刀を奮ってきた。 ・・・・・と、思い切って言ってみたのはいいけれど。 どうしよう。目の前の、何も言わない土方さんの気配がやたらに重たい。表情は硬いままだし、睫毛一本動かない。 もしかして、これは。表情が凍りつくほど怒ってるんだろうか。 嵐の前の静けさってヤツなんだろうか。 焦って余計に口が固くなって、何も言えなくなっていたら、もういい、と呆れ顔で止められた。 諦め混じりの、どこか苦々しい口調だった。 「そいつは口先だけじゃねえだろうな」 「え・・・・。は、はい」 「だったら二度と現場で泣くな。いいな」 「はいっ」 「ついでだ。ここで誓っとけ」 「え?」 「俺じゃねえ。あいつらだ」 言われた意味がわからなくて、ぽかんと口を開けたまま見つめ返した。 あいつら、って。誰を指してるんだろう。誓うって、何を。 すると突然、ガシッと頭を鷲掴みにされた。 掴まれた頭を無理矢理回され、あたしはされるままに後ろを向いた。 両側に並ぶ檻は、すでに全ての鉄格子が壊され、開けられていた。 そこから子供たちが次々と出され、救出されていく。 先に救出された子が、呆然とその様子を眺めている。 もしかしたら、自分が助けだされたことすらよく理解出来ていないのかもしれない。 表情も変えずに、声も出さずにぼうっと佇んでいる。 あたしたちが立っているこの通路。その奥に、あの階段がある。 さっき入った、あの忌まわしい場所。子供たちが置き去りにされた地下室へ降りる階段が、その通路の一番奥にある。 薄暗いその奥を鋭く見据えながら、土方さんが言った。 「俺達が泣いて線香上げたところで、何になる。犠牲になったガキどもへのはなむけにもなりゃしねえ。 涙流して墓前に花飾ってやるのは、ガキどもの身内がやることだ。俺達じゃねえ」 淡々と言われて、全ちゃんに宥められて泣いていた自分が、もっと恥ずかしくなった。 土方さんの言うとおりだ。そう自分に言い聞かせながら、黙って頷く。 泣いたって何も変わらない。あたしがここで泣いたって、あの子たちは帰ってこない。 そう思ったら悲しさが頭の中を渦巻いて、悲しさ以上に強い怒りがふつふつと沸き上がってくる。 刀の柄に触れた手が、いつのまにかその硬い感触をぎゅっと握りしめている。柄を握った拳を見下ろした。 泣くのも後悔するのも、全部後回しでいい。 屯所に帰ってお風呂に入って、布団に潜ってからでいい。 バカみたいにわんわん声を上げて、目が真っ赤に腫れるまで泣いてやる。 今はまだその時じゃない。こんなときに自分一人が戦列から離れて、黙って立ち竦んでなんていられない。 「いいな。一人も逃がすな。思いきり暴れて来い」 パシッ、と背中を叩かれて前に押し出される。 天井まで響くような高い音がしたのにあまり痛さを感じない。緊張感が身体に漲っているせいなのかもしれない。 ふらりと一歩進んでから、横に立つひとを見上げた。 頬に血飛沫の散った横顔は、きつく口を引き結んだ硬い表情になっている。 入口をじっと睨んだまま、薄く口を開いた。 「ああいう目に遭うガキをこれ以上増やさねえために、俺達がいるんだろうが」 そう言ったときの声は厳しかった。 普段だって厳しいし、相当に怒りっぽい。だけど今のは、普段あたしや総悟を怒鳴り散らしている響きとは違っていた。 後悔を噛みしめているような、悔しそうな色が滲んでいた。 そう感じたのはほんの一瞬だけで、そんな気配はすぐに消えてしまったけれど。 「・・・・はい!」 深く息を吸っていつもより大きな返事をする。自然と背筋が伸びた。 すぐに駆け出して一番隊集団の後を追う。倉庫の入り口を目指した。 鞘から刀を引き抜いて、総悟たちと合流する。 先頭を切って走る総悟の背中は、入口から折れて外へと消えた。 倉庫を出る前に少しだけ振り返ると、土方さんは地下室へ向っているところだった。 咥えた煙草に火を点けている姿が、地下へ続く階段に沈んでいく。 点されたちいさな火も、暗闇に泳ぐ蛍の光の残像のように尾を引いて、一緒に消えた。

「 薄紅の風 瞬く花 2 」text by riliri Caramelization 2009/07/01/ ----------------------------------------------------------------------------------- 次は流血描写ありです 出血量は約一人前です( ←             next