薄紅の風 瞬く花

1

「遅せェ。」 ボソッと当てつけ半分に文句を吐き出されて、あたしは居辛さで身体を竦めた。 時間の無駄も嫌いだし、誰かに待たされるのも大嫌い。 何があっても冷静に構えてはいるけれど、実は局内一せっかちな鬼の副長さまは 待たされすぎて指先よりも短くなってしまった煙草を盛大にふかしながら、苛々と空を睨んでいる。 さっき見た腕時計が指していた時間は、約束の時間から十五分も回っていた。 近藤さんと土方さん、そしてあたしは、二十分も屯所の玄関前に三人並んで立っている。 どうしてこんなところで三人並んでいるかというと。 あたしが紹介したある人に仕事を依頼するために、その人を待っているからなんだけど。 さっき電話で約束した時間を十分過ぎても、その人が来ない。来るどころか影さえ見えない。 「すごく優秀な人なんです」と近藤さんや土方さんに紹介した手前、黙って待つのがいたたまれなくて あたしはさっきから門の向こうを通り過ぎる人達の中に、その人の姿を探していた。 「どうしたんだろ。いつも時間はちゃんと守ってくれるのに」 「」 「は、はいっ!?」 「お前はここで待ちぼうけてろ。そいつが来たら追い返せ。もうてめえに用はねえってな」 うんざりしたような口調で言いながら、土方さんは玄関の石敷きに吸い殻を落とした。 足元にはここで待っていた間に費した、二本分の吸い殻と灰が点々と散っている。 取り出した煙草は早くも四本目。吸い殻の数が増えるごとに、機嫌の悪さも増量中だ。 あーあ。どうしたらいいの、このイヤな空気。 いつもならポケットから携帯用の灰皿を出して、吸い殻をそこに入れてもらうんだけど。 苛々している原因が自分の知り合いだと思うと、いつものようにダメですよとは言いづらい。 三本目の吸い殻をガツガツと蹴って踏み潰しながら、土方さんはパトカーが停まった門前を目線で指した。 「近藤さん、俺ァもう現場に戻るぜ。それと人員配置も変更させてくれ。 今から山崎を呼び戻して、あっちの内偵には他の奴を当たらせる」 「え、ちょっ、待ってくださいよ土方さんっ。せめてあと五分くらい待ってくれたって」 慌てて引き止めようとして、あたしは咄嗟に土方さんの腕を掴みかけた。 けれど途中ではっとして、不自然にささっと手を引っ込めた・・・んだけど。 あたしの態度は、自分で気にしたほどには変でも不自然でもなかったみたいだ。 煙草三本分の時間を無駄にしたことに不機嫌になってる土方さんは、じろっと醒めた目で凄んできた。 「ぁんだとコラ。てめえもお偉くなりやがったもんだな。パシリの分際で指図かよ」 「すすすすすみませんんっ。でででもォ、もうちょっとだけ待ってください! 今、携帯にかけてみますからっっ」 「いやいや、十分やそこらはいいじゃねえか。このまま待ってみようや」 腕組みしていた近藤さんが、高い背を少し屈めてこっちへ顔を出す。 宥めるような仕草で土方さんの肩に手を置いた。 「仕事が忙しいってえのに急遽抜けて来てくれるんだろう、その人は。 こっちの都合に合わせてもらうぶんには、多少は待っても仕方あるめえさ。なあトシ」 「冗談じゃねえ。どこまで人が良いんだ、あんたは」 置かれた手を眺めて肩を竦め、土方さんは呆れ顔で煙を吐いた。 「これァ、時間も守らねえよーな奴に託していいヤマじゃねえんだぞ。そこはあんたも承知だろうが」 「いやァ、そりゃあ俺も急ぎてえとは思っているが。何もそう急かさねえでも」 「急かさずにいられるか。 ここでこうしてる間にも、奴等ァ江戸を抜ける算段でツラ突き合わせてやがるに決まっ、・・・・」 土方さんが突然黙って目を見開いたのと、あたしたちの頭上に何かとても大きな鳥のような、 正体不明な影が落ちてきて、周りを暗くしたのはほぼ同時だった。 何かが降ってくる。大きな何かが頭の上に。 ぼんやり見上げたあたしは、隣のひとにドンッ、と突き飛ばされた。 「伏せろ近藤さん!!」 と、構えて鋭く叫んだけれど。 次の瞬間、土方さんは空から降ってきたモノ、・・・じゃなくて、空から降ってきた人を呆然と見据えた。 警戒心剥き出しの険しい表情で、落下物(人)を頭から爪先までじろっと一瞥。 それから途方もなく疲れたような苦い顔でこめかみを押さえ、はーっと溜息をついた。 「毎度ォーー、忍々ピザでーーーっす。御注文のWポテマヨメガミートお届けに来ましたァァ」 宅配ピザを片手に空から降ってきたのは、さっきから待ち侘びていた当人だ。 思いきり突き飛ばされて転んだあたしは、擦り剥いてひりひりする膝を抱えながらその人にわめいた。 「全ちゃんんん!!時間通りに来てって頼んだじゃん!もうっ、遅ーーーい!!!」 「おー、悪い悪い。待たせたなァ。で、俺に依頼って、・・・・ん?」 怪訝そうに全ちゃんは足元を見下ろした。 器械体操の試合なら満点間違い無しの、パーフェクトな着地を決めたその足元。 そこには突然空から降ってきた忍者装束の男に激突された近藤さんが、声も無く倒れたままになっていた。 「いやー悪りィ、っとにすんませんねェ。 さっきそこで、いけすかねー天パの原チャリに突っ込まれちまってさー。 ケツが限界にヤバくてねー、薬買いに行ったらすっかり遅れちまったわ」 屯所の玄関前に座り込み、あたしたちは宅配ピザの箱を囲んでいる。 ちょっと顔を上げてみれば、お隣のお屋敷との間に建つ塀の上から 満開に咲き乱れる瞬間を待つばかりの、八分咲きの大きな桜の木なんかが見えたりする。 一見、呑気そうな玄関先のお花見・・・に見えても、実際は仕事の依頼と顔合わせだ。 悪気もなさそうな口調で言い訳しながら頭を描いている、空から降ってきた宅配忍者。 この人があたしの紹介した助っ人、服部全蔵。 職業はフリーター兼忍者。・・・というのは、怪しいけれど本人の自己申告だ。 十年前に知り合った見た目怪しいこの忍者を、あたしは十年前の呼び方のまま「全ちゃん」と呼んでいる。 その横で、怪しい忍者の遅刻も激突もさっぱりと水に流し、寛容にも笑いながらピザを頬張る局長と、 局長の横でムスッと黙り込み、手にしたピザに悪夢のような量のマヨを絞り出している副長。 土方さんと全ちゃんは、土方さんの一方的であからさまな無視のおかげでここに座って以来一度も目が合ってない。 そんな二人に挟まれて立場のないあたしは、左右のどちらをどう立てていいのかもわからない。 肩を竦めて迷っていると、じろっと土方さんに睨まれる。震え上がって、条件反射でペコペコ頭を下げた。 「すいません、ほんっとにすいません、ほらぁ、全ちゃんもちゃんと頭下げてよっっ」 押して頭を下げさせようとしたら、全ちゃんに腕を掴まれる。 もう半分しか残っていないピザの箱から一切れ取ると、あたしの口に突っ込んだ。 強制的に口に広がった広がったピザソース味を噛みしめながら、あたしはムッとして眉を顰めた。 「・・・何よこれ」 「何ってお前の注文だろ、Wポテマヨメガミート。ここのピザ、味はいまいちだけどな」 「食べる前にいまいちとか言わないでよ。 それにあたし、ピザなんて頼んでないんですけど。屯所に来てくれって頼んだだけなんですけど!」 「だから来てるじゃねーか。いいからとにかく食っとけよ。昔っから腹減ると怒りだすんだよなァ、お前」 近藤さんと土方さんに向き直ると、全ちゃんは笑い混じりにヘラヘラと頭を下げた。 カタチとしては謝っている。少なくとも本人はそのつもりだろう。 でも、見てる側には謝ろうという気が見事なくらいに感じられない。それどころか、かえってハラハラするんですけど! 「いや、とにかく申し訳ねー。遅れてほんっとすんませんでした」 軽い口調で謝ると、自分も悠々とピザに齧りつく。 何食わぬ様子でモグモグとピザを頬張る全ちゃんを、あたしは焦って肘でつついた。 「ちょっ、全ちゃんっ」 「んァ?何だよ。早く食わねーと冷めるぞ。冷めるともっといまいちな味になっちまうぞ」 「冷めるぞ、じゃないでしょ、何でのんびりピザ食べてるの。 仕事が忙しくて十分しかいられないって全ちゃんが言うから、こっちは外で待ってたのに!」 忙しくて長居出来ないはずのくせに、しっかり二十分も遅れてきて。しかも遅れてきたくせに バイト先のピザ代までしれっとあたしに要求したのだ、この超マイペースフリーター忍者は。 呆れた。というよりは、いっそもう逆に感心しちゃいそうになる。 昔とぜんぜん変わらないんだもの、全ちゃんのこういうところ。 今のだって、謝ってるのに全然反省してるように見えないし。謝ってるのに他人事みたいに聞こえるっていうか。 何があっても悪びれるってことを知らないっていうか、何が起きてもどこ吹く風っていうか。 ピザの上でタプタプ揺れてるマヨが気になるのか、さっきから土方さんばっかりしげしげと眺めてるし。 しかもあたしに買わせたピザしっかり食べてるし! ・・・近藤さんには悪いけど、頭に直撃で倒されたのが近藤さんのほうでほんとに良かった。 もしあれが近藤さんじゃなくて、土方さんの頭を直撃だったらどうなっていたことか。 きっとあたしは今日一日、怒鳴られ蹴られをひたすら耐えるはめになったに違いない。 「いやいや、こっちも急にお呼び立てしたわけですから、そう気にせんでください。 しかしの知り合いが、まさか元御庭番衆筆頭とは。実に華々しいご経歴ですなァ」 「いやいやいやァ、仰るほどたいしたモンでもありませんって。 元御庭番っつったって、今じゃ只のフリーターみてーなもんですからねェ。 で、俺に依頼ってどんな話ですかね」 全ちゃんが軽い口調で尋ねても、ピザをガツガツ貪ってる土方さんは見向きもしない。 見かねた近藤さんが「実は」と切り出して、局長自ら依頼内容の説明に入った。 真選組の本業は、江戸市中においての危険分子とされる攘夷志士たちの取り締まりだ。 その攘夷志士たちの中でも特に要注意なのが、普段は地下に潜伏してテロや破壊活動を繰り返す過激派たち。 奴等の活動資金源は主に銃火器や薬などの不法な裏取引で 今回真選組が探ろうとしているのも、そんな裏取引に関わっているひとつだった。 そこは並び立つ過激派の中でも、ちょっと特殊なケースにあたるらしい。 『なんていうのか、真選組としてはちょっと手が出し辛いんだよね』 と、苦笑いで説明してくれた山崎くんの話によると、その組織には二つの顔があるのだそうだ。 ひとつは裏の顔。こちらでは過激派の大物を擁する親玉一派に資金を流している。 実態は掴めていないけれど、明らかに何か得体の知れない、危ないものを捌く商売に精を出している。 そしてもうひとつの表向きには、善人の顔を掲げている。 恵まれない子供たちを支援する法人団体としての名は結構有名で、江戸中で知られているし、 慈善家として知られる代表のおっさんは時々テレビにも出演している。ニュースなんてあまり見ないあたしだって その団体の名前くらいは知っているし、幕府の偉い人と対談なんかしている番組も見たことがある。 だから当然、ここへ入る前は、幕府も公認の慈善団体、というクリーンなイメージしかなかったんだけど。 実はその団体が、真選組ではブラックリストに載っているほどの過激派だと訊かされたときはすごく驚いた。 裏では大物過激派と組んでごそごそしている危険分子が、幕府の大物や大企業絡みで 堂々と公共電波を使ってプッシュされている。 国を変えようとしているはずの攘夷志士の中にも、すっかり大義を履き違えた不逞の輩がいる。 で、そいつらの背後には決まって、清廉な表の顔にだけではなく、汚い裏の顔にも絡んでいる国の大物の影が存在している。 (・・・というのは、そっくりそのまま土方さんの受け売りでしかないんだけど) 山崎くんが言うには、厄介なのはその過激派本体よりも「幕府の高官」のほうらしい。 警察組織の末端のひとつでしかない真選組に、遥か雲の上にいる官僚を抑える実権なんてもちろんない。 下手をすれば過激派を潰すどころか、こちらが即座に潰されかねない。それだけに手を出し辛い、やり辛い、と 近藤さんや土方さんもずっと頭を悩ませていたんだそうだ。 そういう場合、裏取引の現場を抑えるなり、何か動かしようのない証拠を掴むかして、 一斉検挙に持ち込んで壊滅を狙うよりほかに、大きな権限の無い末端組織としては方法がないから、らしい。 、 ところが最近、そんな奴等の本拠地が、深夜に限って妙な動きを見せ始めた。 毎晩荷物をゴソゴソと積み出しては、大型トラックでどこかへ運んでいるのだ。 どうやら近々に江戸での仕事に見切りをつけて、市場を広げるべく遠くにお引越しをするらしい。 けれど、お引越しといっても引っ越し便のトラックで江戸郊外へ、とかいうご近所規模じゃない。 江戸の中心に建つ巨大な惑星間ターミナルから、千人も収容出来る船を一隻自前でチャーターしての豪華なお引越し。 つまりは星を越えての大移動。ここで食い止めなければ追いかけようがない。一巻の終わりだ。 小さい頃大好きでよく見てた大泥棒アニメの銭◎警部のように、世界を股にかけて・・・じゃない、 宇宙を股にかけて追うわけにもいかないんだし。 違う事件の探索へ出ていた山崎くんが、偶然に拾って調べてきたこの情報。これで屯所は沸きに沸き立った。 みんなほんとに熱血漢というか、祭り好きというか。単に、無駄な元気が有り余っているだけかもしれないけど。 「近々出入りらしいぜ」と互いに情報を交換しあって、途端に生き生きとしてくる仲間を見ていると、やっぱり思う。 命を賭けた殴り込みでここまで楽しそうに盛り上がれるなんて。・・・なんて変なひとたちだろう。 ・・・まあ、あたしも今ではその変なひとたちにすっかり染まりきっていて、昨日の夜なんて お風呂上りにお肌の手入れそっちのけで刀の手入れをしていたんだけど。 そんなこんなでとにかくで、遠足前日にはしゃぐ子供のようにみんなが大捕り物の予感で浮かれる中。 一見浮かれた気配なんて微塵も感じさせないのに、実は誰より出入りを楽しみにしているひとが、ここにいる。 普段と表情が変わらないから一見そうは見えない。でも、楽しみにしていないはずがない。 そんなのありえない。この局内一喧嘩好きな上司が、出入りを楽しみにしていないわけがないのだ。 だいたい土方さんの場合、楽しみ方からしてみんなと違う。 命がけのケンカで盛り上がるみんなやあたしも、かなり変だ。だけどこの副長さまときたらもっと変だ。 急遽戻ってきた山崎くんの報告を受けていた間、土方さんはいつも通りに黙って煙草をふかしていた。 と思ったら、聞き終えるなり伏せていた目を光らせた。 板についた人相の悪さと、底光りするような目の光りようが寒気がするほど不気味だという点を除けば、 あとはそっくりそのまま、遠足にワクワクしている子供とまったく同じ。 「…どうしてこのひとが好きなんだろう」と、あたしは自分で自分を疑わずにはいられなかった。 『やろうぜ近藤さん。実にたいした舞台じゃねえか。 ふんぞり返った代議士の腹まで届こうが届くまいが、奴等の始末は俺らでつけられるってえのが好都合だ。 引っ越し当夜を狙った大捕り物だ。それでこそ利口ぶった奴等の表の顔を一気に引き剥がせるってもんだぜ。 こうなったら引越しのドサクサに乗じてしらみつぶしに叩き潰してやろうじゃねーか』 …と、底意地の悪い案を愉快そうに述べて、副長さまはニヤリと人相悪くほくそ笑んでいた。 それを隣で見ていたあたしは『さすが土方さんですね。てゆーかどこまで性格悪いんですかぁ』と、 思ったままの素直で余計な感想を、呑気な笑顔で述べてしまい。 当の副長さまには「テメエみてえなバカを愚直がすぎるってえんだ」と拳骨で殴られ、 「そういうのァ性格がどうこうじゃねえ、反骨精神というんだ」と、近藤さんに笑われた。 何はともあれ、屯所はこの大掛かりな出入りを前に、みんなの熱い意気込みで沸騰している。 だけど、いざ出入りと踏み込む前に、ひとつ大事な問題が残っているのだ。 引っ越し作業真っ最中の本拠地に単身で潜入して、あたしたちを手引きするという役目を担う隊士を、誰にするか。 もちろんここの監察方には、山崎くん以外にも数名が在籍している。 でも土方さんにとっては、潜入の大役を任せるにはどの人も何かしらが物足りないらしい。 ここ一番では必ず大役を任される山崎くんは、他の事件の調査にかかりきりになっているから呼び戻せないし。 決まらない人員配置に頭を捻っていた土方さんを眺めているうちに、あたしの頭に浮かんできたのが全ちゃんだ。 「適任な人を知ってるんですけど」と申し出て、さっそく屯所まで来てもらったわけなんだけれど。 「うちの監察方を回すはずが、生憎他の事件も立て込んでまして。手が足りずにおるんです。 そこへの潜入と手引きを頼みたいと思っているんだが、どうでしょう。引き受けては貰えませんか」 「はァ、いいっスよ。俺ァ仕事は選ばないほうなんでね、お引受けしましょう」 ピザの出前でも引き受けるような気安さで、全ちゃんは軽く頷いて引き受けた。 その全ちゃんに頷き返した近藤さんが、我関せずで黙々とピザを食べ続けてる土方さんをチラ見する。 口許に拳を当てると、ゴホン、と変にもったいぶった咳払いをひとつ打った。 「ところでとは、どういう・・・・ご友人にしては年も離れておられるようだし。 いやまあその、詮索する気はないんですがねェ。どういった御関係でのお知り合いですか」 「ああ、そーっすねェ。いやァどーいうっつーか、説明しづらいんスけどねー。 昔馴染みっつーか、こいつに一方的に惚れられたっつーか」 「全ちゃんは初カレなんです」 説明不足かなと思って付け足すと、なぜか近藤さんが目を丸くした。 えっ、とその反応に驚いて見つめ返したら、なんだかとても焦ったような顔になる。 「イヤイヤ、何でもねーよ」と顔の前でブンブン手を振っているのに、何か落ち着かないかんじだし。 「全ちゃんは今こそこんな怪しいオッサンですけど、これでもあたしの初恋の人なんです。 これでもね、十年前はもっとカッコよかったんですよ」 「おいおい今さー、これでも、とか言わなかった?言っただろオメー、怪しいオッサンとか言っただろ。 んだよー、俺ァ今も十分イケてんだろーが」 不満気に反論する全ちゃんが、肘でグイグイ小突いてくる。 その肘を腕で押し返しながら、あたしは全ちゃんの手から食べかけのピザを取り上げた。 すかさずぱくっと口に咥えて、四人で囲んだピザの箱もささっと蓋を被せる。 呆れ顔であたしの咥えたピザを取り上げようと、全ちゃんは手を伸ばしてくる。その手を手刀で叩き落とした。 「ってーなァ、んだよォ返せよピザ。お前さァ、しばらく会わねー間にえらく凶暴になったなァ。 剣術使いの女なんてただでさえモテねえってーのに、真選組まで入っちまってよー。どーすんだ?お前。 嫁の貰い手がなくなっても知らねーぞ。あ、言っとくけどさァ。俺ァ貰ってやんねーからな」 「はぁ!?こっちがお断りだよ、今の全ちゃんなんてぜんぜんイケてないしっっっ」 手刀でバシバシと叩き落としても、そこは忍者だけあってさすがに全ちゃんは素早い。 いてーよピザ返せよ、とブツブツ言いながらも、伸びてくる手の動きはどんどん速くなる。 結局防ぎようがなくなって、あたしは全ちゃんとガッチリ手を掴みあうはめになった。 「てゆーか、イケてないどころじゃないからね。あたしにピザ代払わせた時点で絶望的にイケてないからね? イケてる人はねえ、女の子に無理矢理ピザ代払わせたりしないのっ。女の子にたかったりしないのっっ! 見た目は別人に変わっちゃったくせに、どーしてそういうところはちっとも変わらないのォ!?」 「ー、お前は十年経っても成長してねーなァ。相っっ変わらず男を見る目がねーよなァ」 仕方ねーなァ、とつぶやいた全ちゃんがガサゴソと懐を漁り出す。 中から出てきたジャンプを、ほらよ、と差し出してきた。 「オメーも少しは勉強しとけよ。これ読んで真のイケてる男について学んどけ。隅々まで全部読めよ。 今週の作者近況まで全部だぞ、全部。これこそ真のイケてる男のバイブルだからな」 「いい年こいてジャンプ持ち歩いてるダメ大人に成長してないとか言われたくないんだけど! ・・・・・って、ちょっとぉ!!」 口に咥えていたピザが、叫んだ途端にパッと手品のように消えた。 ・・・と驚いたら、何のことはなく、ジャンプを突き返したスキに全ちゃんがもぎ取っていっただけだった。 取り戻したピザを咥え、何事もなかったかのようにのうのうとジャンプを開くと「今はこれがキてるんだよ」と 凶悪な殺人犯の顔をした高校生の絵を指してこっちに向ける。 こういうところも変わらない。ちっとも怒り甲斐がないんだよね全ちゃんて。 あたしがいくらムキになって怒っても、隣で平然とジャンプ読んでるこの姿。 前髪とヒゲで表情が見えないこと以外は、ほとんど昔と変わってない。 ああ、もう。ここまで自分のペースで通されると、怒ってるこっちのほうがバカみたいに思えてくるじゃない。 「人のこと言えないじゃん、全ちゃんだって十年経っても成長してないじゃん! てゆーかこれじゃ退化だよ。DSがスーファミまでスペック落ちしたくらいの退化だよっ。 見た目は今より十年前のほうが絶対カッコよかったもん。こんなうっとおしい髪じゃなかったし こんなムサ苦しいヒゲ面じゃなかったし、エリートコースまっしぐらのお坊ちゃまだったし!」 中身が90%ジャンプで出来てるところは変わってない。だけど、見た目は詐欺のように激変してる。 全ちゃんに初めて会ったのは、あたしがまだ寺子屋に通っていた頃。 十年会っていない間に、全ちゃんが忍者界では有名な名家のお坊ちゃまらしくめきめきと出世して、 忍者界の最高ステータス「御庭番衆筆頭」にまで上り詰めた。…というのは、嘘のような本当の話らしい。 だけどその出世話を目の前でピザ食べてるヒゲ面フリーター忍者の口から聞くと、めっきり説得力が薄れる。 あたしたちが今食べてるこのピザくらい説得力の薄い、いい加減で胡散臭い話に聞こえてしまう。 それこそ全ちゃんが全ちゃんな理由というか、何をしていてもとぼけて見える理由なんだろうけど。 「あー、そーいやァ俺、オメーに神社で逆ナンされたんだよな」 「逆ナン・・・が?」 納得のいかなさそうな顔で尋ねる近藤さんに、嫌々ながら頷く。 その頃はまだ十歳だったし、逆ナンなんて言われるのはどうかと思うけど あたしから全ちゃんに声を掛けたのは、いちおう事実は事実なのだ。 「そうなんですよー、認めたくないけど。あたしの家の近くに忍者学校があるんですけど、 全ちゃんはそこに通ってて、いつも学校の傍にある神社の境内でサボってジャンプ読んでて。 あたしもね、うちの頑固オヤジの道場稽古がイヤになるとその神社の軒下に隠れてたんです」 「そうそうそう、そのうちこいつが「全ちゃんのお嫁さんになる」とか言い出しちゃってねェ。 近くの駄菓子屋でもんじゃ奢られたり、十かそこそこのガキの小遣いで駄菓子貢がれたり こいつん家でタダ飯食ったりしてたんスよ」 「あの頃はね。今の全ちゃんだったらあたしだって貢がないよ」 溜息混じりに断言してあげたのに、全ちゃんは気にもしていない風であっさり笑い飛ばした。 「十年ぶりに再会した初恋の王子様が、なんだか残念なヒゲ面のオッサンに退化していた」 目の前にいる怪しい忍者があの全ちゃんだと判った瞬間、テンションが這いつくばって 匍匐前進してしまうくらいにガタ落ちしてしまった。あたしの衝撃体験は、つい二か月前の話だ。 それにしても怖ろしい。 全ちゃんを見てるとつくづく怖ろしくなってくる。全ちゃんが、じゃなくて、自分の悪い癖が怖ろしい。 あの頃はまだ子供だったから、そんな意識はどこにも無かったけど 今にして思えば、あたしの可哀想な「貢いでは捨てられ人生」は十歳の頃にはもう始まってたんだ。 十歳の女の子の小銭程度な月々のお小遣いが、全部「神社で会う王子様」に吸い取られてたんだもの。 でも。子供だからこそ、純粋な気持ちで全ちゃんのお嫁さんになるって思い込んでたんだよね。 「このお兄ちゃんと結婚するの」って全ちゃんの手を引っ張って家まで連れて帰ったときは 家中みんながどよめいてたっけ。 ・・・・懐かしいな。 あの頃はまだ、道場には門弟さんたちがたくさんいた。みんなが稽古の手を止めて全ちゃんに驚いてた。 義父さんなんて掛け声も忘れてすっかり黙り込んじゃって、顔が真っ青になってたし。 「いやまァとにかくねェ、学校卒業以来会ってなかたんですけどねー、 この前偶然バッタリ会っちまったもんですからねェ」 モゴモゴとピザを口に押し込みながら、全ちゃんは唐突に近藤さんの手を取った。 何事か、と目を見張る近藤さんと、まだ何かやらかす気!?と構えるあたしのことなんて 気にもしていないマイペースさで、近藤さんの腕時計をじっと見て時間を確認。 「やっべー、もォ時間だわ」と立ち上がると、パンパンと脚に付いた砂埃を払いながら言った。 「んじゃすんませんけど、今日はこれで。明日の夜には向こうから連絡しますんで、ひとつよろしく」 「え、ちょっと、全ちゃん!まだ潜入の打ち合わせも何も」 引き止めようと立ち上がりかけたら、横から腕を掴まれた。土方さんだ。 あたしをまた座らせると「てめーは黙ってろ」と小声で命じて、立ち止まった全ちゃんを冷えた目で見上げる。 口を訊くのも不愉快だ、と眉の吊り上がり気味な眉間にはしっかり書かれているけれど。 「こっちは伝手を辿った口利きの用意も無えんだぞ。あんた、中へ潜る手筈をどうつける気だ」 「あー大丈夫っす。そのへんのこたァ、一切心配無用ってことで」 にやっと笑った全ちゃんの目の前で、旋毛風が巻き上がる。 砂埃が辺り一帯に舞い上がった。思わず手で避け、目を瞑った。 風が静まり、顔の前で砂埃を避けた手を下げると、・・・・・全ちゃんがいない。 怪しい忍者の代わりに、淡いピンクの花びらが目の前をはらはらと舞っていた。 巻き添えに遭って風に浚われ、散らされてしまった、隣のお屋敷の桜の花だ。 「蛇の道は蛇、ってやつでね。まァ種明かしは出来ねえが、こっちに任せてもらえりゃあ話は早い」 風に紛れて消えたはずの姿は、塀の上からこっちを見下ろしていた。 じゃあ、と軽く手を上げ、来た時と同じ軽さで挨拶を済ませた全ちゃんは隣家の屋根へ飛び移り、 そのまた隣へ、また隣の家へ、と重力を感じていないかのような身軽さで跳ね続けて、あっという間に見えなくなった。 「あれが元御庭番の服部、か。どうも掴めねえが、まあ、面白そうな男ではあるな」 空に消えた忍者の姿を眩しげに目を細めて見送ると、近藤さんは興味深そうな口調で言った。 良かった、とあたしは胸を撫で下ろしたい気持ちになった。 ずっと無愛想だった土方さんはともかく、近藤さんは全ちゃんを悪く思っていないらしい。 「とっつあんが言うには、服部といえばその道で知らねえ者がいねえほどの名門らしいぞ。 しかし、一口に名門の子息と言っても蓋を開けてみれば十人十色だな。 どれだけ名の知れた名門だろうと、道を外した変わり種ってえのはいるらしい」 「さあな。まあ、仕事についてはあのナリほどに外しきってもいねえようだが」 立ち上がった土方さんは身体を屈めて、隊服の膝についた砂埃を手でパンパンと払った。 それから近藤さんに向うと、なぜか自分の手首のあたりを指した。 見ろよ、と言いたいらしい。気づいた近藤さんが、手首に巻かれた腕時計の文字盤に目を凝らす。 「最後まで呑気に飯食う体は作っていやがったが。あの野郎、きっかり十分で帰りやがったぜ」 それを聞いた近藤さんは、はあ、とつぶやいた。感心したとも呆れたともつかないような口調だ。 大幅に遅刻してきたいい加減そうな忍者が、思いのほか時間に正確だったのが意外だったのかもしれない。 再び時計に目を戻して時間を確認している。 だけどあたしには土方さんのほうが意外だった。 全ちゃんには完全に無視を決め込んでたから、目を向ける気にもなれないほど嫌われたのかと思っていた。 実は「あんな野郎が使えるか」と断られるんじゃないかと、さっきからハラハラしていたのだ。 土方さんは、全ちゃんが消えた塀の上を眺めている。そこからさらに上へと目を移した。 大きく湧き上がった雲がひとつだけ浮いた、晴天の空。 黙って見上げているその横顔は口端が曲がっていて、やっぱり気に食わなさそうだった。 大遅刻した忍者を交えて、しかも玄関前、という不思議なプチ宴会が終わり。 近藤さんは屯所に戻り、あたしたちはさっきまでいた現場に戻ることになった。 パトカーに乗り込んだ土方さんの後を追って、あたしも後部座席に上がり込む。 「本当にすみませんでした。これからは遅刻しないようによく言っておきますから」 全ちゃんのことであたしが謝るのって、変かな。そう思いながら、とにかく頭を下げてみる。 だって、なんだか放っておけない。 あたしにとって全ちゃんは初恋の人だし、半分身内みたいな存在でもある。 今となっては初恋っていうより、不詳の兄っていうか、ちょっと頼りないけど仲の良いお兄ちゃん、と言ったほうが近い。 そういう人を土方さんに嫌われるのは、どっちもどっちなほどにふてぶてしいうえに なんだか気が合わなさそうな当人たちはともかく、その間に挟まれるあたしの立場がちょっと辛い。 それに、頼りないお兄ちゃんを心配する妹としては、せめてものフォローくらいはしておきたかった。 不詳の兄を気に入ってほしいなんて無茶は言わない。言わないけれど、印象最悪のままにはしておきたくないし。 「・・・あのー。全ちゃんのことなんですけど。あの人、態度は悪いですけど、悪気は全然ないんです。 中身は見た目ほどいい加減でもないし、昔から、約束したことはちゃんと守ってくれる人なんです。 ただ、やる気が見えないタイプっていうか、やる気があるのかどうかも見せないタイプっていうか・・・」 おずおずと言いながら下を見下ろした。 あたしの膝の上には、全ちゃんがいつのまにか置いていった例のジャンプが載っている。 なんとなく手が動いてペラペラと捲っていくと、横からぬっと手が伸びてきた。 その指先が唇まで届いて、いきなりすっと撫でていった。驚いたあたしはシートの上で肩を跳ね上がらせた。 声も出ないまま、あたふたと飛び退いてドアに身体を貼りつかせる。 唇を撫でたひとは眉を顰めて、ぐっと何か呑み込んだような顔になっていた。 「っっ、ななななな、なに・・・」 「・・・・鏡見ろ、鏡!」 「へ?」 訊き返したのと同時で、マヌケに開いた口の中に土方さんの指が入った。だけど、入ってすぐに出て行った。 口の中に押し込まれたのは、ピザソース味だった。味わった途端、恥ずかしさで顔が火照ってくる。 さっき食べたのが付きっ放しだったらしい。 緊張でカチカチになった赤い顔を両手で覆って、あたしは無理矢理に緩めようとした。 ・・・たぶん失敗してる。すっごく変な顔に歪んでいそう。 「あ、・・・・や、あの、あはは、すいません、や、やだなー、ついてるならついてるって言ってくださいよォ」 裏返った声で笑ってみても、副長さまは窓の外を睨んだまま。弁解どころか瞬きひとつ返してくれない。 副長付きで隊士になって、もう一年近く経ってしまった。 直属上司の口の悪さにも、何かといえばすぐに拳骨を振り下ろすガラの悪さにも慣れたけど、こういう時は本当に困る。 土方さんは女の子が赤面するような大胆なことを唐突に、何の気もなく、しかも無自覚でやってのけるのだ。 この「天然タラシ」ぶりに、あたしの身体はいまだに慣れない。てゆーか、ドキドキしすぎて心臓に悪い。 仕方がないから大人しく黙って、機嫌の悪さにこれ以上障らないように思いきり距離を開けて シートの隅っこまで身体を寄せる。そのまましばらく肩身の狭い思いをしていたら、ぼそっと低い声が返ってきた。 「野郎の前じゃ文句タラタラのわりに、随分律儀に庇うじゃねえか」 「は、はい。そうなんですよ、そんなつもりはないんですけど・・・見てるとつい庇いたくなっちゃうんですよねぇ」 ビクビクと引きつって怯えた笑顔を振りまきながら、しがみつくようにしてジャンプを胸に抱きしめる。 とにかく何かに縋りたかったのだ。 こういう時は贅沢は言わない。たとえ怪しい宅配フリーター忍者の置き土産でも、藁でもなんでも構わない。 「マイペースすぎて危なっかしいんです、全ちゃんって。 あたしのほうが年下なのに、ついつい世話焼きたくなっちゃうんですよ。 昔から、自分が興味のあること以外はどうでもいい、みたいなところがあるから。一緒にいると気になっちゃって」 フン、と剣呑そうに一笑すると、土方さんはこっちを横目で眺めてきた。 と思ったら、冷えた目でじっと眺めているのはあたしじゃなかった。胸に抱いたジャンプのほうだ。 「あ、あのっ、読みますかこれ・・・・って、土方さんはマガジン派でしたねっ」 と、あたしがしどろもどろに言っている傍からジャンプは奪われていった。 そしてそのまま、車窓を下ろした土方さんの手によって、ポイッ、と 今、この車が走っている道路へと投げ捨てられてしまった。 ジャンプを腕から抜き取られたままの恰好で唖然としているあたしを、完全に無視。 さらに、おまわりさん自ら道路交通法まで完全に無視した鬼の副長さまは 不吉な半笑いの表情で、流れる車窓の外を眺めていた。

「 薄紅の風 瞬く花 1 」text by riliri Caramelization 2009/06/21/ ----------------------------------------------------------------------------------- 次はややグロい描写ありです 苦手な方は避けてください。           next