甘い菓子には裏がある 2
「はああああ・・・・・・・間に合ったァーー・・・・」 「・・・幸せってさあ・・・こーゆうしょーもない時ほどカラダで実感出来るもんなのねえ・・・」 しみじみと満足そうにハンカチで手を拭きながら、天井を見上げる小菊。 涙の残っていた目元を拭い、頷いて同意する。 ダム決壊のピンチを脱した二人は、晴れやかな顔で女性用パウダールームを後にした。 「もう疲れちゃったよあたし、なんだか気が抜けちゃった。 ねえ小菊姐さん。お茶したくない?喉渇いちゃった。 ちょっと地下に行って、ジュース飲んでから戻らない?」 さっきは「仕事中だから」と土方への気遣いを見せた。 晴れやかな開放感に浮かれて、行列する女性たちに混ざった元カレのことなどすっかり忘れているらしい。 「そォねえ・・・・・」 ハンカチを巾着にしまいながら、小菊が答える。 「地下でジュースもいいけど。どうせだったら、座ってお茶したいわね」 「んー、そりゃあ、そのほうがいいけど。でも、並んでるの土方さん一人だし。 それじゃチョコ三箱しか買えないでしょ。仕方ないよ」 チョコは小菊の看板を預かっている置屋の、姐さんたちへのお土産でもある。 置屋の女将と姐さんとで、五人分。三箱だけでは足りなかった。 それに本音を言えば、もさすがに引け目を感じていたのだ。 仕事中の土方を一人並ばせて、自分が座ってお茶を飲む気にはなれない。 局内一忙しい元カレを、実にくだらない、まったくもってくだらない用事で引き止めてしまったことを 詫びたい気持ちもある。 ところが小菊は、けろっとした顔で言い切った。 「大丈夫よ。あたしが交渉してくるから、あんたの彼氏に」 「違うよ、元カレだってば」 「どっちだっていいわよ。とにかくは、そこのカフェの前で待っててよ。」 小菊が指したのは、目の前のカフェ。 ガラス張りの店内は、小金持ちそうなマダムたちの姿で賑わっている。 土方が彼女達の代わりに行列に加わっている、チョコレートショップの対面だ。 「でも、小菊姐さん」 がカフェに目を逸らした間に、小菊はすでにチョコレートショップに向かって歩き出していた。 「姐さァん」 呼んでみても、小菊はいっこうに振り向かない。 は少し迷うようにあたりを見回し、それから彼女の背中を追った。 「姐さん、ね、やっぱりあたし・・・」 追いついて声を掛ける。 小菊は既に土方と話しているところだった。 「あらァ、断ってもいいんですか副長さん。あたし、言っちゃいますよ?」 含み笑いでそう言いながら、小菊は謎の脅しをかけている。 言っちゃいますよ、って。何のことだろう。 はらはらしながら二人の様子を窺いつつも、心の中ではちょっと感心していた。 鬼の副長土方さんが、いったいどんな弱味を握られたのか。 脅しをかけられたこのひとが、言い返しもせずに黙っているなんて。 さすがは売れっ子の夜の華。花街きっての期待の星。 男を翻弄する駆け引きに、時間はまったく要らないらしい。 たとえ相手が素面であっても、ましてやそれが鬼と呼ばれる冷然とした男であっても。 場所も相手の手ごわさも、彼女にかかれば一切関係無いということなのか。 対して、黙って小菊の言い分を聞いている土方の表情は、今にも怒鳴り出しそうに不機嫌だった。 この苛々した顔は、間違いなく彼の怒号が飛ぶ前のサイン。 こんな顔をしているときは、普段ならとっくに煙草の二、三本は消費済みなのだが。 しかし場所はデパートの店内。 喫煙所でもないのに、警官が制服で堂々と煙を吐く訳にもいかなかった。 眉間も険しい土方が、目を閉じ深く息を吸う。 ああ、ヤバい。今度こそヤバい。 これは絶対に怒鳴られる。それから首を掴まれ引きずられ、屯所で延々と説教されるに違いない。 そう確信して肩を竦めたが聞いたのは、耳を疑う意外な言葉だった。 「・・・・わーった。テメエらが茶ァ飲んでる間に六個買やァいいんだろ。」 「さすが副長さん。モテる方って、物分かりの良さも違うのねェ」 紅をひいた唇に白い指を宛て、艶然と土方に微笑む小菊。 その隣から二人を見ていたは、慌てて問いかけた。 「え・・・でも。いいの?土方さん」 怪訝そうな顔で尋ねるを見もせずに、土方は答える。 「今回きりだ。いいから行け。」 「でも」 「いーっつってんだろォが。さっさと行け」 「・・・・だって、変だよ。何で?」 「別に。ァんでもねーよ」 「ほらあ、やっぱり変。それに、さっき姐さんが言ってたじゃん。 何?なんのこと?『言っちゃいますよ?』って。あれ、何のこと?」 じっと覗き込んでくるを、不自然にかわしながら土方は横を向く。 ムッとした顔でポケットに両手を突っ込み、これ以上話しかけられることを明らかに拒否している。 これは絶対に何かある。 土方さんには、あたしに聞かれたら都合の悪い何かがあるんだ。 小菊姐さんは知ってるのに、あたしは知らない何かがある。 あたしには教えてくれない、なのに姐さんが知っている何かが。 はそう確信した。すると、無性にムカついてきた。 「いーから行け。 俺ァこれから、ここいらの警備指導に回るんだ。無駄な時間かけさせんじゃねえ」 「・・・・だったらさっさと行けばいいじゃない。 忙しいくせに、なんで小菊姐さんの我侭聞いてあげてんの?何それ。全っっ然、土方さんらしくないよ?」 「っとにしつけーヤツだな。おい、いい加減にしろ」 「ほらあ、やっぱりごまかそうとしてるじゃない。何それ。・・・何よォ・・・・・・・・ あーやだっ、このマヨラーっ!何カッコつけてんですか!?てゆーかぜんぜんカッコついてないし。 うあああ、やだやだ、最悪っ!小菊姐さんの前だからってポイント稼ごうとしちゃってさあ! 警官が職務中にナンパに励んでいいんですか!!?」 「・・・ああァ!?っだとテメエ!人がせっかく」 「何よォ、この前だってクラブのお姉様に囲まれて鼻の下伸ばしてたじゃん! ちょっとモテるからっていい気になってんじゃねーぞォォォ、この変態マヨラー!!!」 「るっっっせェ!!テメエこそ人のこたァ言えねーだろーがコルァァァ!! メシ奢るって言われりゃあ、どんな野郎にでもホイホイついてきやがって。 あさましいにも程があらァ!!この万年欠食女ァァァ!!!」 「イヤァァァァ!!!やだァァ!!もォやだっっ、もォ我慢出来ないこの男ォォォ!!! 何よ、何を自分だけ棚上げしてんのよ!?白状しなさいよっ、小菊姐さんの色気にクラッときたくせに! 毎日ムサい野郎に囲まれて色気に飢えた生活してるからって、がっついてんじゃねェェェ!!」 「はっ、よくわかってんじゃねーか。たしかに色気は足りてねェぜ、色気はよ。 唯一周りをうろついてる女にゃ、からっきし無ェときてるからな。こっちがクラッときちまうよーな色気がよ!!!」 「キィィィィィ!!いいもんっ、もういい!もうマヨラーに奢ってもらったりしないからァ!! 総悟と近藤さんに奢ってもらうからいいもん!万事屋の旦那にいちご牛乳奢ってもらうもん! 一緒にネズミーランド行ってやる!!絶っっっ対行くっっっ」 「ああァ!!?ざっっけんな!!何度言やあわかるんだ!? いいか、二度と俺の前であのヤローのこたァ言うんじゃねえ!!次言ったらブッ殺す!!!」 「ああもうっ、やあねえ、みっともないわよあんたたちィ。こんなところで痴話ゲンカしないでよ〜〜!」 しょうがなく取り成しに入った小菊の、呆れ気味な笑顔をかえりみようともしない。 彼等以外の全員が「あーハイハイ、ご馳走様」と消化不良感にうんざりしそうなこの遣り取り。 痴話喧嘩以外のなにものでもない、本人たち以外は野良犬すら聞く耳持たなそうな、土方との言い争い。 今のこの二人を見て、誰がとっくに別れた恋人同士だと思うだろう。 バカバカしい。 どう控えめに見たって、こっちが目を覆いたくなるようなバカップルじゃないの。 激しく言い合う二人から一歩退き、小菊は皮肉と諦め混じりの表情で眺めつつ思う。 しかも彼女だけは唯一知っているのだ。 土方以外の誰も知らない、この喧嘩の原因を。 それを思うと自分で言い出したこととはいえ、ちょっぴり目の前の彼が気の毒にもなる。 なるのだが、ここで自分がこのバカップルの仲裁に割って入るのはバカらしい。 犬すら口にしたがらないものを、自ら進んで食いにいきたがるような人間は滅多にいないものだ。 バカップルの不毛な言い合いが、目の前でしだいにエスカレートしていく。 最後には互いの、互いしか知り得ない、人に聞かれるとさすがにマズいであろう話まであげつらい始めた。 肝の据わった夜の華、小菊姐さんもこれにはさすがに人目が気になり、焦り出した。 再び間に割って入り、二人を笑顔で宥めにかかる。 「さあさあ、もうそのへんにしなさいよ、副長さんもそのへんで収めてあげて下さいな。 も落ち着いてよ、ねえ?せっかくの彼氏の優しさじゃない。ありがたく受け取りましょうよ」 小菊は酔っ払い相手の商売を生業としている女性。いわば人を宥めるプロでもある。 そのおおらかで包容力ある性格も含めて、普段のは彼女を姉のように慕っていた。 けれど今、は普段のではなく。 姉のように宥める小菊の声も、その姉御気質ゆえのおおらかな振る舞いも、 気に障るものとしか取れなかった。 肩に置かれた彼女の手を、は荒く振り払ってしまう。 「もう彼氏じゃない!もう別れたんだもんっ」 言い切ってから、はっとした。 そのまま黙り込んだは、ふらりと一歩、こちらも微妙な顔つきで黙ってしまった土方から身体を退いた。 それから泣きそうに顔を歪めて、早足でカフェへと歩き始めた。 感情に流されて、つい口に出してしまった言葉。 言っちゃ駄目だとわかっていたのに、つい口にしてしまった。 それが自分にそのまま跳ね返ってくる、突き刺さる刃のような言葉だと知っているのに。 口にしたら自分が痛む。黙ってしまった土方の微妙な表情に、また痛む。 冗談混じりに「元カレ」と口にすることはあるけれど。 本当はそれだって、きついと思うことがあるのに。 土方への思いと、手に余るほどの後ろめたさを抱えている彼女にとって。 本音を言えば「元カレ」という他愛のない言葉すら痛かった。 誰ひとり不思議を覚えることのないだろう言葉。 なのに、それを口にするにはいつも痛みが伴う。 目には見えないどこかを擦り剥いたような、ひりつく痛み。 胸がすうっと冷えるようなこの痛みは、その言葉を口にすればいつも伴うのだ。
「 甘い菓子には裏がある 2 」text by riliri Caramelization 2009/05/29/ ----------------------------------------------------------------------------------- next