甘い菓子には裏がある

1

ここは新宿。 江戸の流行をリードし続けるお洒落な老舗高級百貨店、偽勢丹の中。 今話題の高級チョコレートショップの行列の中に、二人の女は鬼気迫る表情で並んでいた。 一人は元真選組隊士、今はフリーターの。 そしてもう一人は、彼女の友人で某街花柳界の華。結い上げた黒髪の艶めきも、 黒地に白い細縞模様の着物姿も夜と同じに粋な姐さん、芸妓の小菊。 「・・・ちょっとォ。・・・ヤバいわね」 「ヤバい。ヤバいよヤバい。 マーーージでヤバい・・・あああ、もうかなりヤバいんですけどあたし。 もう一分もたないカンジなんですけど。あああああ。どーしよ!!破裂しそう・・・!!」 「何よ、あたしだって負けないわよ。なんなら今すぐココで発射しよーかって勢いよ」 「ヤメてェ、小菊姐さんんん!!こんなところで発射しないで!頼むからヤメて! ・・・って、ああっ、なんか変な汗出てきたっっ」 「もおっ、が悪いのよっ!?あんたが寝坊するからじゃないのよっ。 あれだけ遅れてもギリギリで買えるあたりに並べたなんて、奇跡よ奇跡!? あんたが遅れたりしなかったらこの列の先頭に並んで、今頃余裕でトイレ済ませて、 とっくに四越のバーゲン行ってるわよっ」 「ねねね、姐さあああァァん、ダメェェ!もーダメェェェ! もォあたし、ギブ!!もォ限界、もォ無理ィ!! もう行く、トイレ行くぅぅ!!!膀胱破裂しちゃううう!!!」 「何ヤワなこと言ってんのよォ!!んなことしてみなさいよあんたァァァ!!? お一人様三箱までなのよ!?今あんたが抜けたら、ウチの姐さんたちのぶんが買えないじゃないの! ざけんじゃないわよ、あたしだって我慢してんのよ!!後でこってりヤキ入れるわよ!!?」 「やああああ!!!だってえ!無理ィ!!もォ漏れるうう!! こんな年になってお漏らしなんてェ、絶対イヤァァ!! しかもこんな、デパートのチョコレートショップの前で!!!そんなの絶対立ち直れないィィ!!!」 テレビや雑誌でも度々取り上げられ、某有名モデルや女優もご贔屓の、話題の店の行列。 お目当ての品が高級スイーツということもあり、当然並んでいるのは女性ばかり。 当然、ここまで鬼気迫る表情で、腰のあたりをモゾモゾと動かしながら立っているのはこの二人のみ。 行列に行儀良くならぶ他の女性達は皆落ち着いた様子で言葉を交わしながら、大人しく自分の順番を待っている。 額に冷や汗を浮かべながら、ブツブツと切羽詰った会話を交わす妙齢の女が二人。 はっきり言って、浮いていた。 今にも破裂しそうな部分を、それぞれに持っている巾着袋で抑える。 そうしたところで人体の自然の営みを抑えられるはずもないのは、二人とも重々承知の上の行為である。 抑えたところで無駄なのは判っている。それでもやらずにはいられない。 人はみな、ダム決壊の危機を前にすれば、我が手で支えずにはいられないのだ。 体内ダム瓦解の気配はひたひたと着実に、その不吉な足音を二人の背後に響かせていた。 この行列の先、憧れの高級スイーツを手にする順番は今や目の前。 ここまで我慢をしたあげく寸前でトイレに走るなど、売れっ子芸妓小菊の意地とプライドがすたるというもの。 置屋のお母さんや姐さんたちに戦利品の分け前が行き届かないようでは、菱屋No.1芸妓の面子が立たないじゃないの。 ダム決壊の恐怖を感じつつの鬼気迫る表情ではあるものの、小菊の目は闘志に輝いている。 そんな彼女を眺めながら、は後悔の溜息をついた。 パリの有名ショップ直送の、三ツ星ショコラを奢ってもらいに来ただけなのに。 まさか江戸でも指折りの「流行発信基地」偽勢丹で、膀胱破裂のピンチに遭うとは思わなかった。 高級スイーツを奢ってやるから、と言われて行列のお供を二つ返事で受けてしまったは、 今頃になって自分の食い意地と寝坊癖と、花街の女の鋼のド根性に対する自分の認識の甘さを後悔していた。 は何気なく、泣きそうな目をデパートの入り口に向ける。 何気なくそこを見た彼女の目に映ったのは、見慣れた男の姿だった。 「あれっ・・・土方さんだ」 「え?」 「ほら。あそこ。スーツのオジサンと話してる」 涼音の眺めている入り口前には、二人の男が立っていた。 黒い隊服に身を包んだ厳しい顔の男はの元カレ、真選組副長の土方十四郎。 スーツを着たもう一人は、涼音の親ほどの年齢か。恰幅が良く、やたらに腰の低そうな男。 二人は入り口の前で何かを話し合っている。 ややあって、土方がふと目線を移す。偶然にと目が合った。 「あ、こっち見た」 「ちょっと!!」 の肩をがしっと掴み、小菊はその勝気そうな目をかあっと、飛び出すほどに見開いた。 「呼びなさいあんたの彼氏!!あたしたちの代わりに並んでもらうのよ!!」 「彼氏じゃないよ、元カレだよ」 「んなこたあどーだっていいのよォ!これは非常事態よ、今すぐエマージェンシーコーーーール!!!」 「え、でも。土方さん、どう見ても仕事中だし・・・」 困った顔では口籠る。 元カレが大きな出入りや捕物中の緊迫時に 何度もしつこく愚痴の電話をかけたことなど、すっかり忘れているらしい。 「あんたねえ・・・!いつまでもグダグダ抜かしてると、マジで発射するわよ! ここで発射するわよ!?百貨店でかいた恥程度、お座敷でかく恥に比べりゃ恥とも思わないわ。 そんなことでグラつくような小菊姐さんじゃないっつーの!! いいのあんた、ホントにいいの!?ツレに隣で発射されても!!!」 そう言いながらすでに腰を落とし、小菊は鬼気迫る顔で脚を開く体勢に入ろうとする。 サーフィン初心者のフラついた波乗り姿勢のような、無粋きわまりないこのポーズ。 粋な着物姿も台無しである。 「イヤあああああ!!!!」 自らのダム決壊もカウントダウンに入りそうなが、強張った姿勢で泣きながら彼女に縋りつく。 女二人の臨界点は今や目前、体内ダムにヒビが入り始める危険な状態だ。 「わかった姐さん!!わかったからヤメて!!呼ぶ!土方さん呼ぶからァァァ!!!」 「っしゃあああァァァ!!!!!」 限界に正気を失くしたが泣き叫ぶのとほぼ同時に、 小菊は着物の裾を捲ると片足を豪快に振り上げ、自分の巾着をワイルドな投球フォームで放った。 その高速のストレートが火を噴く。 巾着は狙われた土方の頭を見事に直撃、弾かれた男は無表情によろめいた。 「オラァさっさと来いやァポリ公ォォォ!!ウチらの代わりに並んどけェェェ!!!」 江戸でも屈指のお洒落な流行発信基地。 その気品漂うハイクオリティな売り場で、花柳界期待の売れっ子芸妓が獣のような叫びを轟かせる。 険しい顔で巾着を拾い上げ、鬼の副長は彼女をギロリと睨んだ。 しかしなぜか悪態のひとつ吐くこともなく、隊服の肩を怒らせながらも二人の許へと向かってきた。

「 甘い菓子には裏がある 1 」text by riliri Caramelization 2009/05/24/ ----------------------------------------------------------------------------------- 主人公の友達は「smell like you」「純愛狂騒曲 *6」あたりをどうぞ          next