触れる指先の我儘を

9

「く、くく来るなああァ!!来たらこいつを、こ、こここ、殺すううぅ!!!」 の隙をつき、羽交い締めにして「こいつを殺す」と叫んだストーカー。 彼が震える手で取り出し、握りしめていたもの。それはいわゆる「スタンガン」だった。 首筋に押し当てれば、一撃で相手の身体の自由を奪えるが それもあくまで短時間のことだし、素人の手際で死に至るまでの効果を得るのは難しい。 緊迫していた室内の空気は、緊迫させた本人のおかげで一気に鼻白んだ。 しかしストーカー本人には、そんな気配に気づく余裕は無いらしい。 の首を固く締め、鼻息も荒く土方たちを睨みつけている。 興醒めした顔で煎餅を噛んでいる沖田が、モゴモゴと喋った。 「やれやれ。あんたァ見縊りすぎですぜ、兄さんよォ」 「ううう、うるさいぃィィィ!!黙れ黙れ、この女がどうなってもいいのかァ!? お前らみたいな頭の悪いチンピラ警察に、ボクは屈したりしないからなァァァ!!!」 「頭の悪りィチンピラ警察、ねェ。ま、いいですぜ、この際出血大サービスだ」 頬に残った煎餅の屑を指先で口に押し込んでいる沖田を、切羽詰まった表情で睨みながら 男はスタンガンをの首筋に近づけようとしている。 そうしている間にもじりじりと間合いを詰めながら、土方と近藤が無言で迫っていく。 「確かに俺達ゃロクでもねえや。得物と制服が無けりゃチンピラみてーなモンだ。 頭が悪りィのもガラが悪りィのも認めやしょう。けどよォ、兄さん」 沖田が齧りかけの煎餅を指先に挟む。 ダーツの矢で的を狙うように顔前にかざして、首を傾げる。色素の薄い前髪がさらりと揺れた。 その口端には、からかうような笑みが浮かんでいた。 「あんたもとことん頭が悪りィや。うちの姫ィさんを見縊りすぎだ」 男が、うあっ、と呻いて目を瞑る。鋭く投げられた煎餅が、男の鼻先を弾いていた。 そこを逃さず、無駄の無い動きで身を捻ったが腕を振り切る。 同時に片脚が着物の裾を割って流線を切り、回し蹴りが男の横っ面を強襲。 飛んだ身体は押入れの襖戸に受け止められ、しこたま身体を打ちつけられて悲鳴を上げる。 背中の痛みに呻きながら、ずるり、と畳に崩れた男の前を、 白々とした何かが光の残像を残して過ぎていく。 呻くことすら忘れ、彼は青ざめた顔を上げた。目が反射的に光を追ったのだ。 すると今にも眼球に刺さりそうな近さに、光る何かを突きつけられた。 ストーカーは目を剥き、今にも失神しそうに絶句している。 迫る殺気にすっかり圧され、腕一本、いや指一本すら動かすことが出来なかった。 狙いすましてぴんと定まった、刃の切先。その向こうから威嚇しているのは、鋭い目を光らせた土方だった。 「おい兄さん。どうだ、ちったァ懲りたか」 低く潜めた皮肉混じりな声が、頭の上から降ってくる。 表情まで凍りつかせたストーカーだが、かろうじて首だけは動くらしい。 縦に何度も大きく振ることで土方に応えた。 「そうか。なら、忠告しておくが」 突きつけられた切先がすっと下げられ、ストーカーは安堵に肩を落としかけた。 が、その一瞬後。再び彼の目前を、光が残像を引いて振り上がる。 構えた土方が横一文字に刀を振い、刀身が目を剥く男のわずか頭上で空を裂く。疾風が起こった。 斬られたストーカーの毛先が畳にひらっと舞い落ち、斜め斬りされた襖の上部が床にドスッと落ち、畳に刺さる。 罪もない襖戸はストーカーの身代わりとなり、上下真っ二つに両断されてしまった。 「・・・あいつにやられたガキの玩具はともかくとして、だ。 さすがにあんたも、てめえの身体は惜しいだろう。 だったらこの先、気の無ぇ女をむやみに追い回すのは止めておくことだ」 淡々と説く土方の声は落ち着いているし、口調は冷静そのものだ。 とはいえその表情と行動は殺気に溢れて猛々しく、その落差がかえって不気味さを煽っている。 完全に追いつめられたストーカーは頭を抱えてうずくまり、震えの湧いた歯をガチガチ言わせていた。 「いいか。次にまたこいつに気安く触るようなことがありゃあ、俺がてめ、・・・・・・」 言いかけた土方が、なぜかぴたりと口籠る。 横から、いや正確には斜め下から、強い視線を感じたのだ。 眉をひそめながら横を見下ろした彼は、ぐっ、と呻いた。喉を詰まらせたまま固まった。 そこにいたのはだった。いつのまに近寄ってきたのか、土方の隊服の裾をしっかり掴んでいる。 潤んだ目はじっと彼だけを見つめて、頬を薄く染めている。 実際この時の彼女の瞳には、土方以外の何物も映ってはいなかった。 今の土方の行動が、彼女にしてみればとにかく意外だったのだ。 いつも自分を素っ気なくあしらってばかりいるこの男が、ひ弱なストーカ一相手に嫉妬心を燃やしているらしい。 しかもお気に入りの刀を惜しげもなく使うほどムキになって、本気で怒ってくれている。 それが嬉しくて仕方がなくて、ストーカーにお尻を揉まれた不快さも アレを盗られたことも頭の中から消えていた。 それどころか、目の前でうずくまるストーカーの存在まで、きれいさっぱり忘れそうになってしまう。 「・・・畜生ォ。俺だけしっかり萱の外じゃねえか」 いまいましげに舌打ちして、ボヤいた口端が大きく下がる。 土方は腰の鞘に勢いよく刀を収めた。 「だってー。土方さんが知ったら速攻で刀掴んで飛び出して行くから、って総悟が脅すんだもん」 はにこにこと、嬉しそうに彼を見上げてくる。 屈託のないその笑顔は、向けられた当人にとっては照れ隠しに頭を小突きたくなるような可愛らしさなのだが。 無論それは、人目がなければ、の話である。 「相手は攘夷浪士じゃないんですよ?刀も持ってない一般人ですよ? 気の弱そーな無抵抗のストーカーを斬ったりしたら、マスコミが騒ぐに決まってるじゃないですか!」 満面に嬉しさを咲かせたは、目を細めて土方に見蕩れている。 対して景気の悪そうな顔で口を曲げた土方は、彼女を不服そうに睨みつけている。 土方の判りやすい嫉妬心を素直に喜ぶと、そんな彼女に見透かされたことが面白くない土方。 思いは互いに強いものの、どこか一方通行で擦れ違ってばかりいるこの二人。 にも関わらず、そこには傍から見れば何の臆面も恥ずかしげもない、二人だけの世界が築かれていた。 そんな二人の間に割って入った沖田は、視線を土方に突き刺しながら煎餅をボリボリ頬張っているのだが 不可視なバリアでも張っているかのように、彼の存在はすっかり無視されている。 まあまあ、と笑顔の近藤が、むくれる沖田の肩を叩いた。それから放心状態で座り込んでいる男を顎で指す。 「こいつは俺が預かろう。手が空いてそうな奴に調書を」 「・・・・・ぴ・・・・・」 「ん?何だ。まだ言い分でもあるってえのか」 不快そうに眉を顰めた近藤の問いかけに、男はコクコクと深く頷く。 どもりながら、けれど、にたあっと下世話な笑いを浮かべて言った。 「ぴっ、ピピピンクに、白。」 「!!!ぃィ◎×ァぁ☆△ぁっっ!!」 唐突な悲鳴を上げたが、着物の裾を鷲掴みで押さえる。 頬や耳、首筋まで真っ赤に染めた彼女は、おろおろと周囲の男たちを見回し、口をパクパク言わせて 最後にはへなへなと畳に座り込んでしまった。 怪訝そうにを見下ろす土方たちをよそに、ストーカーはだらしなく鼻の下を伸ばした顔で うっとりと陶酔しきってつぶやいた。 「・・・白の水玉。白レース・・・・・・・・」 自業自得。 この後で彼が受けた処遇は、そう呼ばれる以外の何物でもなかった。 不用意な一言が引鉄となり、男は結局その場でボコボコにされた。 ついにブチキレた鬼の形相の吐かせ屋と、胡散臭い笑顔を凍りつかせたドS隊長の二人がかりだ。 さらに近藤の部屋から連行された男は、次は敷地の奥にぽつりと立った古びた小屋の 荒れた気配の漂う薄暗い室内へと、ゴミのようにポイと放り出される。 そこにいたのは大勢の先客で、しかもその全員が揃って彼の到着を心待ちにしていた。 仁王立ちにストーカーを見下ろす隊士たち。 騒ぎを聞きつけやって来た彼等は、局内の「隠れファン」である。 普段は土方沖田の粛清に怯え、思いを公言出来ない男たちが拷問部屋へと一同に会し、 屯所のアイドルをつけ狙っていた不届き者の到着を、今か今かと手ぐすね引いて待ち構えていたのだ。 これは後日談。つまり、このあくる日のことである。 正規の取調を終えたストーカー男は、屯所から文字通りに放り出された。 ボロ雑巾のように道端に投げ出され、人相まですっかり変わり、見る影もない有様で。 それを目撃した屯所ご近所界隈では「やっぱりあそこは怖い」と の気遣いをよそに、結局不穏なウワサが尾鰭を伸ばして広まっていくワケなのだが。 豪快荒くれ野郎共の集団には、の身を護ったという充実感こそあれ 些細な悪循環を気に留めるような気弱な奴など、唯の一人として存在しないようだった。 「おーい。聞いてる?聞いてますかー?聞けや土方コノヤロー」 は面白くなさそうに口を尖らせ、前を行く隊服の背中を見上げている。 肩をいからせ、廊下をドカドカと踏み鳴らして進んで行く土方の後を追っていた。 ストーカーの処遇は近藤と沖田に引き渡し、二人は今、土方の部屋へと向かっているところだ。 憂さ晴らしの後の一服を、と思って取り出してみれば、あいにく煙草の箱は空だった。 ニコチンを求め、土方は無言で近藤の部屋を出ていった。 自分一人が騒動の渦中からシャットダウンされ、念願の初試し切りの獲物は襖戸に終わり。 ストーカーにはのアレを奪われた上に、別のアレまで目撃されてしまった。 おまけに飯より愛するヤクが切れているとくれば、この男の機嫌は良くなりようもなかった。 廊下を擦れ違う隊士たちは皆、壁に身体を貼りつかせた状態で土方に道を明け渡していく。 傍迷惑な重度中毒患者のすぐ後ろを、は当然のような顔でついてくる。 不機嫌の塊が歩いているような土方だが、この程度の不機嫌に怯えて憶するようでは 日頃から表情が薄い、必要以上に感情や考えを口に出そうとしない男と付き合っていくのは難しいのだ。 そこが解っているだけに、彼女はふてくされた土方に対して、一方的にまくしたてていた。 「何よォ、土方さんが言ったんじゃない! もう忘れちゃったんですか?万事屋でー、自分の身くらい自分で護れ、って言ったじゃない! なのにどーして怒ってるんですかっ。ほとんど自力で捕まえたよーなもんなのにぃ。どーして喜んでくれないのっ」 「うっせえ。てめえが俺を素通りして近藤さんに話持ってくからじゃねえか!」 「ええーー、だってーー」 「順番が違げえだろーが、順番が!総悟はともかくなぁ、あの人ァあれでもうちの大将だぞ。 お前のくだらねえ騒ぎに頭まで持ち出されちゃあ、俺の面子が立たねェだろーが。 ちったあこっちの立場も考えろ!」 「だってえ。よく言うじゃないですか、ほらあ。 目には目を歯には歯を、ストーカーにはストーカーを、って」 「言わねーだろ後半は!」 「いいんですよっ細かいことはっ。とにかくストーカーにはストーカーで立ち向かえってことですよ。 近藤さんならストーカー心理にも詳しいし、次はどういう行動に出そうか教えてもらえるしィ。 ついでに囮役もやってもらって、総悟に先回りしてもらえば連携プレーで捕まえられるかなって・・・ ちょっとー、土方さーん。また無視ですかァ?」 ねえ、聞いてます?と、追いついたが、自然と彼の肘のあたりに触れてくる。 どきっとした土方は思わず彼女を見下ろしたのだが、それは単なる偶然だったらしい。 触っていたのはほんの一瞬だけ。あとはいつものようにクイクイと、隊服の袖を引いてくる。 気落ちした彼の微妙な表情の変化には気づくことなく、は満足気にふふっ、と笑った。 「でも良かったあ、捕まえられて!お尻揉まれて鳥肌立った甲斐がありましたよォ」 「良かねェ!」 ぴしゃりと言い切ると、土方はきょとんとして見上げるを振り切り、歩き出した。 最初から速足ではあったのだが、彼女を一瞬で置き去りにして目前に見える自室を目指す。 何もかもが面白くなかった。 変態ストーカー野郎も、がやけに嬉しそうにはしゃいでいるのも。 まあ、半日のうちにこうもあれこれと続いてしまっては、彼でなくても面白いはずはないのだが。 隊を辞めて以来どこか弱気になっていたが、自力でストーカーをなんとかしよう、と思えるまでになった。 そのこと自体は彼にとっても喜ばしい。しかし、そのやり方が気に食わない。 は自分の身体をストーカーへの餌代りに、上手く使ったつもりでいるのだろう。 だがそれも土方にしてみれば、自分のものと思っている女に「他の男に自ら身体を触らせた」と告白されたのと同じこと。 延々と拒まれ続け、手すら触らせてもらえずにいる男の側からしてみれば、それは唖然とさせられるだけの告白だった。 背後に風を巻き起こす速さで床板を踏み鳴らしながら、自分の手を見下ろす。 その口許は固く引き結ばれ、見るからに不満たっぷりだ。 とことん納得がいかなかった。いや、納得出来るわけがねえ。断じて納得してやるものか。 ここで納得しちまったら、自分が虚しくなるだけだ。 これァどういうことだ。あまり考えたくもねえ結末だが、つまりそれは結果、こういうことになりはしねえか。 ・・・俺の手は。 いや、俺はこいつにとって、あの青瓢箪ストーカーにも劣るということか・・・!? 行き着きたくない結果にあっさり辿り着いてしまった土方は、部屋に大きく踏み込む。 険しい顔で背後を振り返った。 そんな彼の気も知らず、障子戸の手前ではにこにこと笑っている。 「土方さん、もうお仕事終わったの?二人でご飯食べに行こうよー。 贅沢言わないですよ?定食屋でもラーメンでも、奢ってもらえるなら何でもいいんだけどー」 土方のこめかみに青筋が浮く。同時に彼女の鼻先で、ピシャッ、と障子戸が遮られた。 「ちょっ。・・・・何よォ。何なんですかあ!」 これには彼女も納得がいかなかった。 バンっと障子戸を勢いよく跳ね開け、早くも煙草を手にしている土方に向かって怒鳴る。 「何なんですかその態度!少しは褒めてくれたっていいじゃないですか! つか褒めろー!褒めてみろ土方ァ!!お前なら出来るはずだァ土方ァ!!」 「うっせえ知るか!だいたいテメーのどこを褒めろってえんだ、馬鹿女!んなもん見当がつくかァ!」 いまいましげにじろりと睨み、土方は彼女に背を向けた。畳にどかっと腰を下ろして胡坐をかく。 カチカチと気忙しく鳴るライターの音を聞きながら、は黙って立っている。 何も言えなかった。はしゃいでいた勢いも消え、彼の剣幕ぶりにたじろいでしまっていた。 機嫌の悪さは判っていても、まさかここまで怒られるとは思っていなかったのだ。 障子戸をそっと閉めると、そろそろと中へ進む。土方の真後ろにぺたんと膝を折って座り込んだ。 彼女に背を向けた土方は、何の反応も示さない。 静まり返ったの気配は気になるが、こちらから折れてやるのは癪だった。 苦々しい顔で煙草をふかし、黙って前を見据えている。 すると、すっ、と畳を擦る音がした。 横から何かが差し出され、土方はそこへ目を向ける。 いまだにが持ち歩いている、いつもの携帯用灰皿が置かれていた。 それを無言で手に取ると、彼は背中越しにを顧り見る。 肩も落とし気味にうつむいた彼女は、不安をこらえるように着物の裾を細い指で握っていた。 そういう態度に出られては、どうにもやりづらい。今度は土方のほうがたじろいでしまった。 いっそキイキイとわめいて騒いでいるほうが、まだこいつらしくて扱いやすいのに。 がいつものように騒がしくしているよりも、頼りなげな姿を見せられるほうが、彼にとっては扱い辛い。 叱る気が失せるし、つい構いたくなる。突き離せなくなるのが敵わないのだ。 不機嫌に吊り上がり気味な目を細め、土方はぼそっ、と小声で漏らした。 「俺に褒められてえんならなあ。こういう隠しごとはもう無しにしろ」 心臓に悪りィ。 らしくない台詞を心の中で付け加えて、彼はから目を逸らした。 「・・・・ごめんなさい。」 ためらいがちに口を開いたは、しおらしく謝った。 「でも。土方さんに頼ってばっかりじゃ、いけないと思ったから」 吸い殻を灰皿に押し込んで火を揉み消すと、土方はまた懐に手を伸ばす。 その時、背中に何か温かい、ほのかな感触を感じた。 驚いた土方の手が懐で止まり、動かなくなる。 この場にいるのは自分と彼女の二人だけ。 ここで触れてくるのが他の誰かのはずがないのだし、肌の温もりも柔らかい感触も 彼がよく知っている女のそれでしかない。 当然彼女だと判っているけれど、それでも驚きは湧き上がってくる。 自分からは絶対に触れようとしなかったが。 触れられることまで拒んでいたの肩が、自らもたれかかってきた。しかも、背中に自然と寄り添っている。 「土方さんに話したら、あたしきっと甘えちゃうし。いつまでも甘えてたら駄目だと思ったの。 自分のピンチもどうにか出来ないようじゃ、いつまで経ってもここには戻って来れないもん。ね?」 柔らかな頬の感触が、ゆっくりと寄せられる。 の頭が倒れ込むようにして預けられ、背中に沿った重みが増した。 そっと添えられた彼女の手が、隊服の背を掴む。 彼に問いかけるかのように、きゅっと引いてくる。すぐにもう一度、強く引かれた。 はただ黙って服を引っ張ってくる。その仕草が土方には 彼女に「こっちを向いて」と甘えた口調で囁きかけられているように思えた。 横目に流した目線で背後の気配を確かめると、煙草を取り出して口に咥える。 ライターで火を灯しながら、土方はふっと鼻先で笑った。 呆れかえった末に気が緩んでこぼしてしまった、苦笑のようなその表情。 満足気にも見えるその笑みからは、普段の険しさが消えていた。 ここには、と言ったの意図が、どこにあるのか。 彼女は土方の元へ戻りたいのか。 それとも隊士に戻りたい気持ちの方が勝っているのか。 隠しきれない笑みを浮かべる土方には、今はどちらでもいいのではないかという気がしてきていた。 そこを焦ってはっきりさせる必要は、ないように思えたのだ。 ここへ戻りたい。 他の誰にでもなく。誰かと一緒の時でもなく。今もあの時も、は俺だけに向ってそう言ったのだ。 焦って急かすこともないだろう。これは少なくとも自分にとって、悪くはない傾向だ。 今はまだ、こいつの決心がひとつ、小さく実を結んだのを見届けただけで充分かもしれない。 それに。 悪くない傾向はもう一つ、背後にあった。背中にもたれたそれが柔らかな頬を寄せている。 「・・・・これが、戻る気でいるヤツのすることか?」 素早く振り返ると、土方はの手首をひったくるように掴んだ。 ひゃっ、と細く叫んだは彼の背中から飛び退く。・・・つもりだったのだが。 薄く笑った土方は、彼女の手を離そうとはしなかった。 「おい。いい加減に吐け」 「は、はい?」 「コレだ」 「っっ!」 飛び上がりそうなほどに肩を竦め、あわてたは畳に仰向けに倒れる。 いきなり迫ってきた土方を避けようとしたのだが、掴まれた手首を支点に畳へ身体を押しつけられた。 あう、うぅ、と、は弱った悲鳴を繰り返している。 赤く染まった頬を片手で抑え、土方は無言で迫ってくる。 逃げられなくなったはしどろもどろに目線を動かしたあげく、どうにもならずにぎゅっと目を閉じた、のだが。 音もしなければ気配も動かない。煙草の匂いは近かったが、空気の流れすら動かなかった。 圧し掛かられることもなければ、唇が重なってくることもない。 ほっとしたは気を取り直して、深い吐息を胸の奥から漏らした。 しかしここで目を開けるのは、かなり気恥ずかしい。 どんな顔で土方を見ればいいのかわからない。閉じたままで彼の気配を探り始める。 気配の代わりに耳のすぐ傍で、くっ、と喉の奥でこらえたような笑い声がした。 思わずぱちっと目を開く。見上げた先にいる土方は、失笑を浮かべて訊いてきた。 「コレだコレ。てっっめえ、コレをいつまで続けるつもりだ」 「え、な、なっ、・・・はあァ!?、ななっ、なんのことですかぁ!?」 「お前なァ・・・」 土方は深々と長くて呆れかえったような溜息をつき、から離れて起き上がる。 ごまかしが下手すぎて、白々しいなどというレベルではなかった。 その学芸会並みのぎこちなさが、なぜか近藤の姿を彷彿とさせる。見た目にはどこも似ていない二人だというのに。 「っな、なんですかあっ、今の!すっっごくバカにしてません!? なんですかその溜息はあっ」 「違げーよ。感心してんじゃねえか」 それで隠し通せると思っていられるてめーらが凄げえ。 醒めた口調でぼそっと付け加えた彼は、に手を差し伸ばす。 掴まれ、と言いたいらしい。察したは口を尖らせる。 拗ねたような顔で手を取り、渋々で引っ張り起こされた。 「わかった。もう訊かねえ。 何があるのか知らねえが。・・・要するによ。俺が嫌なんだろ」 が自分から寄りかかってきたのは、かなりいい傾向に思えたが。 やはり俺はストーカー以下、なのか。 面白くなさそうな口調で彼がつぶやき、黙り込み。その場に気まずい沈黙が流れた。 それでも問いかけられたには、答えようとする素振りすらない。目を丸くして不思議そうに彼を見ている。 数秒後、気の抜けた疑問を投げてきた。 「・・・へ?」 「へ、じゃねえ。・・・・ったくてめえは」 片眉を上げ、呆れて物も言えない、という顔で土方はを眺める。 何か言いたげにしていたが、面と向かって言うのは早々に諦めたらしい。 くるり、と彼女に背を向けた。 「だから。お前、こういうことだろーが。ここの隊士には戻りてえが、・・・・俺とは・・・。・・・その」 背中を向けた彼は、言いながら無造作に頭を掻いていた。きまりの悪さに黙り込み、意味無く天井を見上げる。 すると、は小さな声でぽつりと返してきた。 「あの傷。もう塞がったんですか」 「あァ?」 「ほら、前に斬られた肩の傷ですよ。もう随分経ったから、治った、・・・・よね」 肩の、とは、以前の出入りで負った傷のことか。 今はもう治りかけた、あの時の傷を指しているのだろう。 あのね、と前置きすると、は再び口を開いた。 「あたしね。人より痛覚が鈍いっていうか。怪我をしても、斬られて痛くても、結構我慢出来るんです。 だからなのかな。人の傷を見ても、痛々しいなあ、とか、血を見るのがイヤだなあ、とか。 ・・・・そういうことって、あんまり、思ったことがなかったの。」 ぽつぽつと、何か戸惑っているような、一言ずつ考えながら喋っているような口調で語りかけてくる。 それが今の話とどう繋がるのか。不思議に思って土方は振り返った。 は深くうつむき、長い睫毛を伏せている。 暗い水底でも覗いているような、翳りを帯びて揺らめく目は、畳を静かに見つめていた。 「でも。違うの。土方さんだけは別なの。土方さんの傷は、見たくない」 見るのが怖いんです。 その一言だけは、はっきりと口にした。 うつむいた彼女の唇だけが笑っている。表情はかすかに強張って見えた。 「屯所に帰ってきた日に、・・・・包帯からちょっとだけ、傷が覗いて見えて。 それを見たら、また傷を見るのが怖くて。触るのも怖くなっちゃったの。 言えば良かったんだけど、なんだか言い辛くって。・・・・ごめんなさい」 は座りなおして姿勢を正す。手を付き、額が着くほど深々と頭を下げた。 長い髪がさらさらと広がりながら、畳へ滑り落ちていく。 「それに。・・・・あの、・・・・」 言い辛そうに切り出した声が途切れた。 畳に額を押し付けたまま、彼女は固まってしまった。 「家出する前は、何でもなかったのに、・・・・・あれから、何か、ずっと。・・・変なの」 頬を両手で挟むようにして抑え、おずおずとは顔を上げる。 その顔は、熱さにのぼせたのかと思うほどに赤く上気していた。 「土方さんに触られると・・・・・変なの。 なんだかすごーく意識しちゃって。・・・は、恥ずかしくって・・・・」 目を合わせるのを避けたいのか、はぎこちなく申し訳なさそうに横を向く。 言われた土方はといえば、煙草を口から落としそうになっていた。 険しく目を見開き、彼女を見据えて動かない。 「・・・ァんだと。おい。まさか」 煙草を灰皿にぐっと押し込み、土方はついに口を開いた。 の言い訳に、成程、そうか、と納得していたわけではない。愕然として放心していたのだ。 「・・・その程度で、アレか・・・・・・・・」 元々赤かったの頬が、燃え上がりそうなほどに赤くなる。 何を思ったのか手近にあった座布団を掴み、ブンッと振り回して引き寄せる。 未だ愕然と放心していた土方は、避ける間もなくその座布団で顎を横殴りに打たれた。 「わ、わわ悪かったですねえ、その程度でうろたえてっっ。こんなにパニくっちゃって!」 座布団を頭に被ったは畳に突っ伏し、モゴモゴと籠った声で当たり散らす。 その姿は誰からどう見てもマヌケで意味の無い逃避でしかないのだが。 今の彼に、そこにツッコむ気力はない。座布団で殴られた顎を黙って抑え、文句のひとつも出ない有様だった。 「あーやだやだっ、もおっ、そう来るかなあって予想がついちゃうから言いたくなかったんですよっ。 土方さんはねえっ、モテるし女の気持ちとか解ったふりしてるけど、実は全然デリカシーがないんだからっ」 呆然とを見ていた土方が、力尽きたかのように深々とうつむく。 うなだれて肩を落とし、苦い顔で煙草を噛みしめていた。 影に染まったその表情は重苦しい。うっすらと哀愁さえ漂っている。 とはいえ、決して落ち込んでいるわけではなく。彼は怒鳴りそうになる自分と葛藤中、いや、格闘中だった。 耐えろ。我慢だ我慢。ここは歯を食い縛ってでも抑えろ。こらえきってみせろ。 ここで本音を晒すのは恰好がつかなさすぎる。 何を俺が自棄になることがある。収穫はそれなりにあったじゃねえか。 落ち込む一方だったこいつがストーカーを撃退して、ほんの僅かでも自分に自信を取り戻しかけている。 そのこと自体に不足はねえし、良かったと思っている。褒めてやってもいいくらいだ。 いいじゃねえか。目出てえもんだ。 いや、良かったことにするしかない。・・・・・そうでもしねえと自分が哀れだ。 しかし女ってえのはどいつもこいつも、判らねえとは思っていたが。 こいつときたら空恐ろしい。いったいどう落とし前をつけてくれるのか。 馬鹿だ馬鹿だと言ってはきたが、ここまで来ると理解の範疇を超えている。 ここ数週の俺の苦悩、いや苦闘を、「恥ずかしい」たったそれだけで片付けやがった。 ここまで人を、否応なしに追い詰めた理由が「恥ずかしい」だと? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・有り得ねえ! ふーっと長く煙を吐き、吸ってはまた吐き、を繰り返し、多量のニコチン摂取で虚しさを紛らわしながら 下降一直線な気分をなんとか方向修正しようと力んでいる土方を、は座布団の影からちらりと窺い見た。 しかし目が合った彼に速攻で無視され、ふいと顔を逸らされてしまう。 まあいい。もう何も言うまい。追及もここまでにしておこう。 とにかく騒ぎは片付いたのだし、避けられていた理由もはっきりした。 うろついていた変態ストーカーは、独房入りで夜を明かす。も今日は家に戻るだろう。 これでやっと眠れる。安眠を好きなだけ貪れるのだ。 指一本触れられなかったとはいえ、こいつが隣にいないのは口寂しい気もするが。 とにかく身体は限界だ。夜通し羊を数えずに済むだけで、御の字というものだ。 一週間分の爆睡だけを楽しみの糧に、人相悪くニヤつく彼を見つめながら 眉をひそめ、大きな瞳を曇らせて、は心細げに座布団を抱きしめている。 色々と心配もかけたようだし、土方に悪いことをしたと反省してはいるのだが。 ここでどう切り出したらいいのかわからない。 自分が拒み続けていたのをこの男がそこまで気にしていたなんて、まさか思わなかったのだ。 どうしよう。落ち込ませてしまったかもしれない。 こんなはずじゃなかったのに。ストーカーを捕まえたら、喜んでくれると思ってた。 どうせ皮肉しか言ってくれないだろうけど、でも、もしかしたら。 ほんのちょっとだけ褒めてくれたりしないかな、なんて思っていたのに。 褒めてもらうどころじゃない。これはもう、ごめんなさいでは済まない気がする。 何かいい方法、ないのかな。 あたしが土方さんにしてあげられること。 あたしがこのひとを満足させてあげられるような、何かは。 ああでもない、こうでもない、と考えていったら、 そんな答えは結局ひとつしかないんじゃないか、という結論に辿り着く。 思いついた答えの延長線上にある光景を頭に浮かべただけで、頬は火照って桜色に染まっていった。 それでもは、座布団をぎこちない仕草で畳に戻して口を開いた。 「・・・土方さん。頑張ったご褒美に。あれ、してくれませんか」 か細い声で切り出したが、ひとつ深呼吸をする。 それから畳に膝をついて、そのまま膝で歩きながら土方へ向かって来た。 彼の真正面で止まると、胸のあたりに添えた両手が 帯留めの飾りをもじもじと、細い指先で弄り始める。 次は何を始める気か、と醒めた目で女を眺めていた土方の腕が、ぱっと覆われる。 はいきなり彼の胸に飛び込んできた。 縋りつくように彼の腕を抱きしめ、柔らかな身体を押しつけてくる。 しっかりしがみついたまま、もう一度深く息を吸う。 眉間にわずかな戸惑いを浮かべた彼の顔を、恥ずかしそうな上目遣いで見上げた。 「ぎゅーって、・・・してください」 これには土方も虚を突かれた。 わずかに呆れたような表情になり煙草を落としかけたものの、後はもう笑うしかなかった。 はっ、と短くて柔らかな苦笑がこぼれる。 珍しく険の無い可笑しそうな顔で、目を細めて問いかけた。 「いいのか」 「え?」 細い腰を引き寄せると、土方はを胡坐を組んだ自分の脚に座らせる。 ためらいながら見上げてくるの頬を、大きな手が大事そうにゆっくりと包み込む。 「・・・お前。あれだけ振り回しておいて、たったこれだけで済まそうと思ってんじゃねえだろうな」 は笑う彼を見上げたまま動かない。 薄く開いていた紅い唇だけが、ふわりと何かを問いかけるように動いた。 自分の頬を覆う土方の手を取って外すと、 立ち膝になって腰を上げる。しなやかに背筋を伸ばした。 顔を寄せながら吸いこまれるように目を閉じて、啄むようなキスを彼の唇にそっと落とした。 「・・・・・これじゃ、だめ?」 「済まねえな」 普段と変わらない素っ気ない口調で、土方は返した。 口を引き結んで、気に食わなさそうな表情をしてみせる。 「土方さん。・・・目、怖いよ?」 が、ふっ、と小さな笑い声を零す。 やっと緊張が解けたような、泣き崩れたような表情で笑っていた。 土方の胸に寄り添うと、彼の肩に手を伸ばす。 いつもそうしているのと同じように、隊服をきゅっと握った。 隊服の両腕が、彼女の背中に回される。 やっと腕に閉じ込めたの身体の温かさと、甘く匂う肌の香りが、身体にじわっと染みていく。 久しぶりに手にした女の身体は、うっかり力を籠めてしまえば折れてしまいそうな頼りなさで。 抱いた腕をわずかに緩めたならば、途端にすりぬけてどこかへ消えてしまいそうな華奢さだった。 閉じ込めた身体の壊れやすさを思いながら。 それでも彼は、身体が動きたがるに任せて彼女を強く抱き締める。 腕の中でがかすかに、せつなげな吐息を漏らした。 空気に溶けて消えたその吐息まで、逃すことなく腕の中に閉じ込めておきたい。 そんな途方もない独占欲が浮かびあがってきて、今までの自分の我慢の程が知れた。 彼を誘うかのように半開きになっている、その唇に指先を伸ばす。 軽く触れた親指の先が、紅い唇の柔らかな感触を確かめるかのように、口端から口端へとなぞっていく。 それは彼がに触れるときにいつも見せる、癖のような仕草。 彼女をどれだけ思っていようと、甘い言葉の効能など信用する気になれないこの男にとっては、 言葉などでは伝えられないと決め込んでいる思いを指先に込めた、ありったけの愛情表現でもあった。 土方はただ黙って、照れた表情で彼を見上げるの唇をなぞる。 半開きになった唇へ、硬く荒れた爪の先が入っていく。 ためらいに頬を染めながら彼の手を見つめたは、薄く唇を開く。 食むようにして彼の指を口に含んだ。 まだ目も開いていない子猫がやるように。舌先でそっと、確かめるように撫でてみる。 すると指先は口の中から逃げていった。 代わりに視界が薄暗く狭まってきて、彼女は無意識に目を閉じる。 指先と入れ違いに彼女を追い求めてきた、感触の違う温かさに捉えられた。 指先の代わりに、与えられたのは。 今では離れているとさみしいとさえ感じるようになった、煙草の匂い。 そして抱き締める腕の強さとは別人のような、愛おしげで包むような口吻けだった。 女の背中を抱いた腕が、ゆっくりと腰へ向かって下がっていく。 着物を通して伝わってくる、の温度。布越しのほのかな温かさが胸を昂ぶらせる。 その肌の熱を思うと、今すぐに、直に味わってみたくなった。 土方はから唇を離す。それから淡い色の首筋へと、顔を埋めようとした。 ・・・したのだが。 その直前。 に触れる寸前で、はっとして顔を上げる。途端に険しい顔になった。 障子戸から漂ってくるうろたえた気配が、彼を一瞬で鬼の副長へと立ち返らせていた。 「すすすすんません副長ォ!!イヤ違うんです俺っ、見る気はなかったんですよ見る気は!? けけけ、警備車両の準備出来ました、って報告に来ただけなんですうう!!」 閉じられたはずの障子戸は、しっかり半開きになっていた。 呼吸困難の金魚のような喘ぎっぷりで、恐怖のあまりしがみついた障子戸をカタカタと揺らしている。 そこから顔を覗かせていたのは顔面蒼白の山崎だ。 震える彼の脳裏では、昨日の車中での惨事がリピートされていた。首を絞められ、刀を鼻先に突きつけられ。 刀の餌食になるのはなんとか免れたが、その瞬間は殺される、斬り刻まれる、と確信した。 そして今日、彼は二度目の確信に凍りついている。 その瞬間の土方の、ぞっとするような薄笑いに滲んだ殺気が、そっくりそのまま目の前で再現されているのだ。 怯えきった山崎の顔めがけて、座布団が弾丸の速さで飛来。 ぶほっ、と呻いた彼は床に倒れた。 「山崎!」 「はは、はいいィィィ!?」 「お前、先に行ってろ」 五分で行く。 いつにも増して簡潔な上司の命令を聞き終えるが早いが、山崎は返事も無しにその場をダッシュで逃げ出した。 長い縁側を夢中で駆け抜け、端まで辿りついてから立ち止まる。 まだ青ざめている顔に流れた冷や汗を腕で拭いながら、呆然と「ヤバかったあァ・・・」とつぶやいた。 「ヤベーよ。次は無いよな、俺、絶対殺られるよな? 仏の顔も三度までって言うけどさあ。あの人に三度目なんて、ありえねーよなァ・・・・」 こわごわと肩を竦めながら振り返ると、神妙な顔でぽつりと漏らす。 荒くれ共も皆出払って、静まり返った屯所の日暮れ。 神妙な顔つきで夕陽の差す縁側を歩いていく男が、今頃になって沸いてきた寒気に背筋を硬くする。 ブルッと身体を揺らし、小走りになってその場を離れた。 さて。まったく唐突ではありますが。 ありふれたこの物語を締めくくるにあたって、ここで再び、思い返していただきたい。 忘れていても当然な、冒頭に述べた例の質問を。 「鬼の我慢は何度までなのか」 この何度見てもくだらなくて意味の無い問いかけを向けるとすれば、はたして誰に向けるべきなのか。 その問いかけを直接鬼に向けるのは、難しい。しかも怖い。 かといって、ちょっぴり不幸な監察の彼・・・に質問してくれ、と託すのも忍びない。 それこそ彼には荷が重すぎるというものだし、彼の貴重な「三度目」を使い果たしてしまうことになりかねない。 なのでここは代返者として、とある人物に登場願うことでご勘弁いただきたい。 縁側を歩いていた男も去り、人気の消えたその棟の一室で。 鬼と呼ばれる男の腕に抱かれ、 まだその感触に身体が慣れないのか、ほんのりと、恥ずかしそうに頬を薄紅に染めている。 彼女に訊けばたちどころに判る、・・・・・・はずである。いや、多分。

「 触れる指先の我儘を 9 」end text by riliri Caramelization 2009/04/18/ ----------------------------------------------------------------------------------- 10話目は大人限定です。大人の方は * こちら * へどうぞ まだ大人ではない方は * こちら * へどうぞ。(現在編 「深緋…」前の話。)