「まあまあ、とにかく落ちつけって。なあ、そうカッカするなよトシ。 せっかくの休みじゃねえか。こういう時くれえ仕事は忘れてよー、少しはゆっくりしねえとなァ」 「何が仕事は忘れて、だ?あんたは非番じゃねーだろォが」 「で、でもね、三人で遊ぶのもたまにはいいでしょ?こーゆーのも楽しいですよ、ねっ」 「『たまに』じゃねーだろ、ずっとだろォォ!!昨日も一昨日もその前も!」 目にしたくもない身内の奇行に言葉を失くした二人が、店を無言で後にした数分後。 ブランドショップやファッションビルが立ち並ぶ、大通りの人混みの中。 そこには咥え煙草で怒鳴る男を先頭に進む、三人の姿があった。 苛々と先を急ぐ土方の隣には、オロオロしながらも彼を宥めにかかろうとしている近藤が。 そのすぐ背後にはが、これまた困った顔でオロオロと二人を見上げながら、小走りについてくる。 「・・・勘弁してくれ。いや、いったいあんたァ何がしてえんだ、近藤さん!」 「い、イヤイヤコレはほらその、たまには俺もトシに遊んでほしいなあってゆーかあっ。 だからァー、これはァー、なんてゆーかァー、勲もトシとデートしたいなあって!!」 「俺はしたくねェ」 取りつく隙もない冷えた表情で断言され、近藤が腕を振り払われる。 怒気を撒き散らしながら先を歩き出す整った風貌の男に、泣き顔の大男がナヨナヨと追い縋る。 周囲を歩く人々の視線は、当然の如く「そういう関係の男と男」を眺める好奇に満ちていた。 どう宥めすかされようが、今の土方には折れる気などなかった。 二人が揃って言い包めようとする態度も含めて、彼にはかえって逆効果。 何が何でも納得などするものか、と息巻いて、人を押し退ける勢いで歩き始める。 せっかくの休みだ。 そう言っておきながら近藤は、いや、も含めてこいつらは、いったい何を考えているのか。 どのツラ下げての申し開きなのか、見せられるものなら見せてみせろ。 言えるものなら言ってみろ。ゆっくり出来るはずの貴重な休日が、何故こんな破目に陥っているのか。 いや、まずはさっきの、組織のトップにあるまじき羽目の外し過ぎをどう申し開きするつもりなのか。 とはいえ、こうして腹立たしさに怒鳴り散らしてはみても。 武州の田舎でこいつと出会って以来、身に染みて解っている。どうせ最後まで抗えはしないのだ。 自分との休日にどっかりと割って入ってきた、このガタイの良い男の 情けなく縋りついてくる子供のような、出会った頃と何ら変わりのない正直面を見てしまえば。 気が抜ける。勝てる気がしない。この男にだけは強く出られない。 土方が唐突に足を止める。 短くなった煙草を落とし、足元で消して踏み固める。 と二人、怖々と覗きこむように彼の様子を窺ってくる男の気配を横目に眺め。 根負けしたのか、嫌になって諦めたのか。それともそのどちらも、なのか。 苦々しい顔を路上に向けると、はあっと短い溜息をこぼした。 おそらく俺は一生どころではなく、あの世に逝ってもこいつに頭が上がらないのだろう、と。
触れる指先の我儘を 4
『近藤さん、ターゲットを変えたみたいですよ』 空々しくほのめかしたお妙の、楽しげな笑顔が目の前をちらついた。 数日前に立ち寄った、あの時の表情だ。 常の彼なら気にも留めなかっただろうはずのそれが、なぜか頭の片隅にこびりついて離れない。 煮ても焼いても喰えねえ女、とは思っていたが。あの女、性根はさらに喰えなさそうだ。 ターゲットってえのは、俺とこいつを指していたのか。いや、それとも。まさかとは思うが。 今の彼が近藤に向けているのは、視線だけでなく最早全身から噴き出しかねない不審だった。 相変わらずに自分を避け続けているの態度も、不審には不審だが。 とはいえそれもここ数日で近藤が披露してきた行動に比べれば、どうということもない気さえする。 異変とも呼べない程度の、ほんの違和感。 それを土方が感じはじめたのは、や沖田と連れ立って寿司屋に行ったあたりからだったか。 少し時間が空きさえすれば即座に、いや、空きなど無くても連日お妙の元に通い詰めていた近藤が なぜかあのキャバクラにも、閉鎖同然に落ちぶれた町道場にも寄りつくことがなくなった。 日を空けずに毎晩、土方とを、飯を食おうだの飲みに行こうだのと誘ってくるようになったのだ。 度を越したしつこさが祟って、ついに出入り禁止でも言い渡されたか。 と、最初は慰めの意味も兼ねて、黙って受け止めていたのだが。これがどうも妙な様子ばかりを見せる。 気配がどこか落ち着かないし、普段に比べて不自然なまでにべったりと、彼との傍を離れようとしないのだ。 極めつけがさっきのアレでは、馬鹿馬鹿しすぎて嘆く気にもなれない。 真に「奇行」と呼ぶに相応しい振る舞いだった。せめてもの救いは、近くに隊士どもの目が無かったことくらいだ。 「ねえ、土方さん!映画観ませんか!ね、観ようよ、三人で仲良く観よーよ、ねっっ! ほらほら、この映画、好きでしょコレ!観たいって言ってたじゃないですかあっ」 「おおっ、映画か、たまには映画もいいな!ポップコーンでも喰うか?なっトシィ!?」 にはグイグイと袖を引かれ、近藤には強引に背中を押され。 うやむやのうちに急かされて、不機嫌に黙りこくった仏頂面の男は映画館に連れ込まれた。 「なあ。近藤さん」 「おう。お前のぶんも買っとくか?」 「いや。あんた、・・・」 上映前の混雑したロビーで、男二人は並んで壁際に立っていた。 ポップコーンを買いに売店に向かったを待っているところだ。 問いかけの途中で、土方は隣の男に目を向ける。 近藤の視線は、売店の前に立つを追っていた。 両手にポップコーンの大きなカップを持っただが、なぜか周囲をキョロキョロと見回している。 背後にまで注意深く視線を配り、そわそわと落ち着かない様子だ。 そんな彼女を見つめている近藤の視線も、妙だった。 どこかふらついている。視点が忙しく動いて定まらないのだ。 何かを探しているかのような、彼女の周囲を窺っているような気配を漂わせていた。 「ん?ああ、悪い。何だ?何か言ったか」 問いかけられたことに気づいた近藤が振り返る。 眉間を曇らせ、土方は問いかけた。 「近藤さん」 「おお?」 「あんた。何か、俺に言っとくことがあるんじゃねえのか」 近藤は口を引き結ぶと、わずかな間だが考え込んだ。 重々しい口調で、言い辛そうに話し始める。 「そうか。やっぱり気づかれちまったか。 トシ。言い辛ェんだがよ。・・・・その。実はなァ。・・・・俺な?」 土方へと向き合った近藤が、一瞬眉を顰める。 向き合った土方まではっとさせられるような緊張感を漂わせたものの、 次の瞬間にはもう、そのおおらかな気性から滲み出るような、気の良さげな笑顔になった。 ははっ、と笑って頭を掻いている。 「いや〜ァ、この前な?お妙さん家の縁の下にうっかり警察手帳落としてきちまってよォ。 ほら、俺さー、最近お妙さんとこに行ってねーからァ。ちょっと顔出しづらいってゆーかァ。 絶対怒ってると思うんだよなァお妙さん!きっと毎日、淋しくて泣いてると思うんだよなァお妙さん!」 「イヤ、笑ってたぞ」 「ごめーんトシィ、悪いけど俺の代わりに行ってきて?お妙さんに謝ってきてェ?」 せめて縁の下だの天井裏だのという、大工か鼠か怪しい間者以外に用の無い場所ではなく 玄関か縁側あたりに落とせるようになってくれ。 厭味のひとつも吐きたくなるのをこらえつつ、土方は爽快に笑い飛ばす近藤を 呆れ混じりの仏頂面で眺める。 こいつにもにも、裏には何かあると見た。 二人が揃って二人とも、嘘をつくには不向きな性格だ。 どんな料簡かは知らないが、口裏合わせて何かを隠そうとしているのは見え見えだった。 だが、と同じに無防備なまでのお人好しとはいえ、そこは組織の上に立つ男。 近藤のほうは、狸の皮をしれっと被る程度の器量は持ち併せている。 とはいえお互い長い付き合いだ。 時間が経てば狸の皮にもほつれや綻びが出てくるものだし、眺めるほうにも見極めがつきやすい。 着古した化けの皮をいつもどおりに被られても、土方の目にしてみれば、 隠しきれない狸の尻尾はフラフラと、近藤の背後で「掴んでください」とばかりに踊って見えるのだが。 他の奴が相手ならば容易に掴めるはずのそれが、どうしても掴めない。 昔からどうも、この男のこの笑い声には弱い。なぜか刃向かう気を失くしてしまうのだ。 刃向かおうにも毒気を抜かれてしまうのだから、かなわない。 相手が悪い、の一言に尽きる。 それ以上を問うのは無理だった。どうなのか、と再び切り出す気にはなれなかった。 近藤には近藤の、何か考えがあるのだろう。 向こうが言おうとしないものを、吐けとしつこく迫るような間柄でもない。 だいたい他の奴ならまだしも、この男だ。疑えるものか。それこそ信念に反するに等しい愚行だ。 つまらない疑いをかける気になど、到底なれない相手なのだから。 死線も苦労も共にして重ねられ培われてきた、近藤に対する無二の信頼。それが土方に沈黙を守らせていた。 「オイ。お前ら。うるせーんだよ。 モゴモゴモゴモゴうるせーんだよ。っっ、いいとこなんだよ今ァァ。 セリフも何も、・・・っっ、て、テメーらの喰ってる音しか聞こえねーだろォがァァ・・・」 感極まった涙声で、隣に並んで座る連れに真剣に文句をつける。 溢れ続ける涙に嗚咽を漏らし、思わず声を詰まらせる。 そうしている間も、館内正面の大きなスクリーンから視線を数ミリたりとも動かそうとはしない。 泣く子に火をつけ泣き喚かせるはずの、非情な鬼の副長とも思えないこの姿。 売店で買ったパンフレットを潰れるほどに握りしめた土方は、人目も憚ることなく目を潤ませていた。 垂れ流されるシュールで濃厚な不条理さを、余すことなくみっちりと蔓延させた館内。 その原泉となっているスクリーンにここまで熱い視線を注ぎ、釘付けになっているのはこの男だけ。 どう見ても彼一人だけなのだが。彼にそれを気にする気配など微塵も無い。 そんなことは細事に過ぎない。周囲が彼に向けている怪訝そうな視線など、今の土方の眼中にはない。 誰一人の共感も呼ばない超少数派、スーパーマイノリティの極みな熱い感動に包まれている真最中。 心を奪われどっぷり浸る彼にとっては、訝しげに彼を窺う人たちの目など、まったくどうでもいいことであった。 彼の左隣にはが。彼女を間に挟んで、その隣に近藤が座っている。 最初は二人とも「なにコレ、どこがいいのコレ」と 引き気味ながらも話の展開を追っていたものの、途中ですっかり飽きてしまったらしい。 ポップコーンをモゴモゴと頬張りながら、椅子の背もたれに埋もれて、眠たげな顔で退屈そうにしている。 その音が煩くて、いまひとつ画面に集中出来ない。 ・・・と思っているのが土方のみだということは、彼以外には明白なのだが。 叱られても一向に堪えたふうもなく、つまらなさそうにが口を尖らせる。 「あれっ。もうこれしか残ってない。ね、土方さんも食べますか?」 「いらねえ。だから音が煩せェっつってんだろ。後にしろ後に」 「あれっ。なあ、。 このペドロ役のおっさんてさー、覗きで捕まったんじゃなかったっけ?」 「違いますよォ、渋谷で女子高生のパンツ買って現行犯ですよー」 「そーいう話も後にしろ。つーか人の感動に水を差すな」 「あ、近藤さあん。付いてますよ、ここ」 「ん?そーか?」 近藤の頬に、食べていたポップコーンの屑がついている。 指された近藤は、が指したのとは逆側の頬に指を伸ばした。 「そこじゃなくて。ここですよ」 近藤の頬に手を伸ばすと、は付いていた小さな屑を摘み取った。 「お、おお。悪りィな」 が取ってくれるとは思わなかったのだろう。 照れて焦り気味に礼を言う近藤に、はニコニコと笑っている。 夢中だったはずのスクリーンに目もくれず、二人を見ている土方の表情が変わり始める。 わずかずつだが、不穏な強張りを増してきた。 ちらりと画面を眺めたが、近藤の隊服の袖を軽く引くのが見えた。 引かれた近藤が身を寄せると、耳元に顔を寄せて何かを話しかける。 画面を見ながら聞いている近藤の表情がしだいに緩んで、終いには肩を大きく揺らし、声を殺して笑い始めた。 表情は見えないが、も笑っているのだろう。小刻みに肩が揺れている。 何か気配を感じたらしい。彼女は唐突にくるっと振り向いた。 目線が合った。首を傾げた彼女の大きな目が、何?と問いかけてくる。 土方は険しくなった目を、クライマックスに近づいてさらに不条理な盛り上がりを増している大画面に戻した。 するとまた、ぼそぼそと、小声で話す二人の気配が隣から流れてくる。 やがて小声の会話も途切れ。 ポップコーンを頬張る音も、聞こえなくなった。 それでも土方は、映画のストーリー展開にもセリフにも一向に集中出来ずにいる。 セリフも話の行方も、街を歩いているときに聞き流す雑音同然に耳を抜けていく。 傍に座る二人の気配が気になってしまう。そんな自分に腹が立ち、に対しては自分以上に腹が立ってきた。 てめえは誰の女だ。いつから近藤の女になったのか。 俺にはしたこともねえことを、目の前でわざわざひけらかしやがって。 完全に拗ねてしまった彼は、苛立ちを募らせてばかりいた。 スクリーンを睨む表情がどんどん険しくなっていく。 すると、しばらく画面を眺めていたが、あ、とつぶやき、膝に置いていた巾着袋に手を伸ばす。 開けた中から、何かを取り出した。 「土方さん、はい」 巾着から出されたハンカチが、彼の前へと差し出される。 これで涙を拭けというのだろう。は自分の目元を抑える仕草をしてみせた。 しかし彼は、ポップコーンを断った以上の冷淡さでそれを断った。 「いらねえ」 「いいじゃないですかこれくらい。 感動に浸ってるときくらい、素直に受け取ってくださいよー」 が笑って宥めてくる。 ホント、土方さんってわかんない。 これのどこが泣けてくるんですか、と小声で囁きながら、可笑しそうにハンカチを振った。 「おーい。オイコラ土方。受け取れコラ。何よ、都合が悪くなるとすーぐ無視するんだから! あたしには余計な意地張るなとか言ったくせにぃ。自分は思いっきり無視ですかァ?」 スクリーンを睨んでいる土方の目の前を塞ぐようにして、ほらあ、とがふざけてハンカチを振ってみせる。 差し出されたものなど見ようともしない。それを差し出す淡い色の手だけを、彼の目は睨みつけていた。 触れようとすれば逃げるくせに。 自分から手を差し伸べるときは、こうも隙だらけ。 わざとではないのは知っているにしても、この手には配慮がかけらもない。彼の不満を解っていない。 土方にとっては、そういった無防備さが彼女を放っておけないところでもあるのだが。この状況では話も別だ。 「はい。使って?」 ふと横を見る。無邪気で楽しげな笑顔を返され、ムッとした。 日々貯まり続け、広がっていた苛立ちが急激に沸騰して、かあっと焼けつくように差してきたのだ。 無言で細い手首を掴むと、土方は彼女の手を引き寄せようとした。 「っっ!!」 目を見張ったがびくっと身体を震わせて、ハンカチを落とす。慌てて彼の手を振り払う。 跳び上がるようにして椅子から立ち、慌てて近藤の方へと後ずさった。 何やってんだねえちゃん。 見えねーぞ、邪魔だ邪魔、と背後の客席から野次が飛んでくる。 は戸惑いに目を大きく見開いて、全身を固まらせている。 まるで知らない男にでも向けているような、怯え混じりでよそよそしい目だ。 土方に掴まれた手首を庇うようにして、もう片方の手でぎゅっと握っている。 その手がかすかに震えていた。 たったこれだけのことを、ここまでの反応で拒まれるとは。呆然と目を見張る土方も、声が無い。 驚いて二人を見比べた近藤が「どーした」と肩を叩く。 そこでやっと我に返ったのか、はキョロキョロと辺りを見回した。 「ご、ごめんなさいっっっ!すみませんっ」 背後に何度も深々と頭を下げると、身を縮めるように小さくなって椅子に腰を下ろす。 真っ赤に頬を染めてうつむいたきり、映画が終わるまでひとことも喋ろうとしなかった。
「 触れる指先の我儘を 4 」text by riliri Caramelization 2009/03/05/ ----------------------------------------------------------------------------------- next