触れる指先の我儘を 3
「ねえねえ、これは?これも可愛いくないですか。ほら、ブローチが付いてるんですよ。 あ、でも。こっちの白も可愛いなあ。・・・どうしよう。 ねえ見て、土方さん。土方さんはどっちがいい?どっちが好き?」 両肩に一枚ずつ。 くすんだ桜色に花の形のブローチ付きと、雪のような純白に同色の刺繍で縁を飾ったもの。 どちらもそれぞれに温かそうなストールを重ねたは、真剣な表情で彼の背中を見上げた。 土方に合わせて自分も休みを取ったは「たまには付き合って」と彼を買い物に連れ出している最中だ。 今、二人がいるこの店は、どうやらのお気に入りらしい。 店内のいたるところを歩き回っては目を輝かせて「可愛い」を繰り返し、はしゃいでいる。 入ってかれこれ三十分。店を出る気配はいまだに無かった。 女性物の服や小物のみを扱っている、白を基調とした可愛らしい内装の店内は、 入口を含めた路面側がすべてガラス張り。 そこから外を眺めていた着物姿の土方が、一瞬間を置いてから彼女の声に振り返る。 お願いされてここまでついてはきたものの、女物のストールの品定めなどする気は無さそうだ。 つまらなさそうに目を細めて二つを見比べると、考える間もなく口を開いた。 「どっちもガキくせえ」 「そんなことないですよォ。こっちは可愛めで、こっちは無地だしちょっと大人っぽいじゃないですかぁ! 土方さんたら。ちゃんと見てる?そんなこと言って、ホントは全然見る気ないんでしょ? ほらあ、ちゃんと見てくださいよー。どっちが似合いますか?」 「大人も何も。色以外の何が違うってえんだ?どこも違わねーだろ」 「だからぁ。こっちのはブローチが付いてるでしょ?巻くのに便利だし、色も」 「もういい。どっちだって構わねえからさっさと決めろ。決めねえと先に行くぞ。 ・・・・どうも居辛くてかなわねえ」 店内をちらりと見た土方は、きまりが悪そうに口端を大きく下げる。 腕を組むと懐に手を突っ込む。欠かすことなく入れられている煙草の箱を、無意識に掴んでいた。 手にしたところでこの場では吸えない。それも解ってはいるのだが。 重症中毒患者としてのニコチン成分への飢えと、間の保たなさを紛らわしたくなったときの癖が 彼の手を勝手に動かしている。店中からの視線が背中に刺さるようで、落ち着かないのだ。 平日の昼間とはいえ、そこそこに賑わっているこの店内。が、これだけ賑わっていても男は彼一人きり。 ストールに夢中なは気付いていないが、近くにいる店員や客の視線が彼とに集中してしまっていた。 「ええー、それなら早く答えてくださいよー。決められないから聞いてるんだもん。 ね、どっち?どっちが似合うと思う?」 女の着物に興味は無い。どちらが似合うかなどと訊かれても解らない。 だが、彼の好みには白いほうが適っていて、の淡い肌の色にも合うような気はした。 こっちがいい。たった一言、それだけを応えてやればこいつも気が済むのだろう。 頭ではそう解っていても、を見つめている彼の口は閉じたままだ。 無邪気に問いかけてくるの表情は、何度目にしても彼には眩しく思える。 どうしてこいつは何があっても、まるで年端のいかない少女のように屈託なく笑えるのか。 こうして澄んだ大きな瞳を眺めるたびに、どこか不思議に感じてしまう。 土方が知っている限りでも、は幼いころから少女らしい幸せに縁が薄い。 父母もなく、引き取られた家では男同様に剣術を仕込まれて育ってきた。 平坦で歩みやすい、少女に相応しい甘さを湛えた幸せな道は、彼女の前には用意されなかった。 そこから横に一歩ずれた、同じ年頃の他の少女たちよりも歩きづらい道を進むしかなかったのだ。 厳格な頑固者だが愛情深い義父に恵まれたとはいえ、幼い少女には堪える辛さや、 子供一人では埋められないぽっかりと空いたさみしさは、常に彼女の中にあったはずだ。 義父の元へは帰らないと決め、家を出てからはどうだったのか。 そこからの彼女に何があったのか。尋ねたことはないし、今頃になって詮索する気もなかった。 しかし、を拾った頃を思い返せば察しはつく。 育った家という唯一の拠り所を失くしたことで、さみしさは闇を深め、あの頃の彼女を呑み込みかけていたのだろう。 なのに、を拾ったときに感じたような、あの空虚な瞳に巣食っていた影が、この目にはもう宿っていない。 あの影はどこに消えたのか。それとも今でもこいつの中で、息を潜めているだけなのだろうか。 「おーい。どこ見てるんですかぁ?てゆーか見てる?ちゃんと見てくれてる?」 彼の視界が、ふっと薄い影に塞がれる。目の前に突き出された女の手のひらだ。 が不思議そうに覗き込み、彼のすぐ目の前で手を振ったのだ。 土方ははっとして、目を逸らした。 ストールなど、どちらもさっぱり目に入っていなかった。 笑いかけてくる彼女の表情に吸いこまれてしまい、ただ見蕩れていたのだ。 「・・・面倒臭え。貸せ」 白いほうを奪うようにして取り上げると、彼は店の奥へと向かった。 その場に取り残されたは、最初こそぽかんとした表情で彼の背中を見送っていた。 が、土方が店の奥にあるカウンターにストールを置き、財布を取り出すのに気付いて、 あっ、と声を漏らす。 慌てて彼に駆け寄ってくると、着物の袖を掴んで止めようとした。 掴まれた袖を見下ろして、土方は面白くなさそうに口を引き結ぶ。 の引いた「境界線」は、相変わらずの頑なさ。彼は相変わらずその線の内側へ一歩も踏み込めずにいた。 「ちょっ、土方さんっ。いいよ、自分で買うから」 「いいから取っとけ。大体お前、こんなもん買う金あんのかよ? この前も金が無え飯が食えねーって、泣きっ面で騒いでたじゃねえか」 「あれは給料日前の話でしょ?もうお給料入ったもん! このくらいのお金ならあたしだって持ってるんだから!ほらあ、見て見て」 「見せるな。つーか出すな。てめえの財布は薄すぎて泣けてくる」 「なっっ!何だとォォ!!?自分だって普段はsuicaと三千円しか入ってないじゃん!!」 「あァ!?あれァたまたま入れてなかっただけだ。金欠フリーターと一緒にすんじゃねえ!」 小声でボソボソとやりとりを交わしている間に、会計は済んでしまった。 が申し訳なさそうな、何か言いたげな表情で見上げてくる。 土方は店員が入れようとした袋を断り、畳まれた白いストールをそのまま受け取った。 「でも・・・ダメだよ。これはダメだってば! 携帯も買ってもらったばっかりじゃない。これくらい自分で」 「買っちまったもんは仕方ねえだろ。いつまでもうるっっせえんだよ。おら、手ェ出せ」 まだ納得がいかなさそうに首を振るの手に、ストールを押しつけようとする。 それでも彼女は気が引けるらしい。遠慮してなかなか受け取ろうとしない。 これでは埒があかない。仕方なく彼は、の頭上でストールを大きく広げた。 空気を孕んでゆっくり落下した柔らかな白色が、彼女の肩にふわりと重なる。 「要らねえとこで意地張るな。黙って受け取りゃあいいじゃねえか」 長く余った両端をくるくると回して、薄く頼りなげな女の肩に巻き付ける。 申し訳なさそうに眉を曇らせながらも、は大人しくストールを巻きつけられている。 傍目には仏頂面を通している土方だが、その手にはこれまでに経験の無い、かすかな緊張をおぼえていた。 女の肩にストールを巻いてやる。 ただそれだけの他愛のないことが、彼にしてみれば慣れない仕事だ。 表情を窺うようにして見上げてくる彼女と、なるべく目を合わせないように。 かつ、彼女には決して触れないように。注意深く入念な動作に、つい表情も真剣になる。 他に誰の目もない場所ならまだしも、こんな衆人環視の中で悲鳴を上げられるのだけは避けたかった。 それにしたってこの体たらくはどうだ。 女に世話を焼く自分の姿など、我ながら目も当てられない。 体裁も何もあったもんじゃねえ。しかもすっかり腑抜けていやがる。 ガラスに映っている自分の姿に、馬鹿な野郎がいたもんだ、と、うそぶいて舌を噛みたくなるほどだ。 彼の表情が、たちまち不機嫌そうに曇っていく。実際に不機嫌になったのではないのだが。 穏やかな休日なのだし、傍には大事な女がいる。 指一本触れさせてもらえないとはいえ、彼女も嬉しそうな様子で休日を楽しんでいるのだ。 そんな姿を眺めていれば、決して機嫌は悪くならない。ただ不可解なのだ。 といると往々にして、考え込まされる。自分は本来こんな性分だったろうか、と 首を捻って考え込まされるような破目に、いつのまにか陥ってしまう。 いつのまにか振り回されて、気付くと自分を疑うような「何か」をしでかしている。 そのどれもが、彼にしてみれば腑抜けすぎた自分に溜息が出るほど馬鹿らしい。 一瞬とはいえ、周囲を忘れて女の姿に見蕩れていたり。 これまでの女には感じたこともない、いや、他人はともかくまさか自分にそんな一面が備わっていたのかと 驚くような庇護心が勝手に顔を出してきて、さかんに煽られた結果、ついこうして世話を焼いてみたり。 「・・・だって。違うのに。買ってもらおうと思って誘ったんじゃないのに。 こんなの悪いよ。気にするよー・・・・」 「馬鹿。お前が受け取らねえでどうすんだ。こいつの行方を考えろ」 「・・・行方って?」 「こんなもん、俺が持ってたって仕方ねえだろ」 「それは・・・・そうかもしれないけど・・・・」 は少し拗ねたような表情でうつむくと、白いストールを手に取った。 柔らかな質感をしばらく指先で弄んでいたが、やがてその指も動かなくなり。ぱっと顔を上げる。 じわじわと染みてきた嬉しさに表情がほころび始めたような、はにかんだ笑みを浮かべた。 「・・・うん。ありがとう、土方さん」 ああ、とだけ低くつぶやき返した彼が、意味なく天井へと視線を投げる。 つぶやきながら、思わず懐に収めた手で煙草を握りしめていた。 ばつの悪さを紛らわすために。 自分だけに向けられている、その笑顔に。触れたくなるのを抑えるために。 これも、どうということはない笑顔なのかもしれない。 傍から見ればよくある構図だろう。 男に何か買わせた御礼に女が添えてくる、よくある笑顔に過ぎないのだろう。 だがこの嬉しげな表情ひとつで、たかだか女一人のために背負わされた面倒さも、 おそらく彼女の眼には届いていない、陰での思案や苦労も。いつもきれいに消え去ってしまう。 こいつは指一本触れることなく、俺を懐柔してしまう。 腹が立とうが不満を抱えていようが。すべてはの笑顔ひとつで、帳消しになってしまうのだ。 「ふふっ」 「ァんだよ。何が可笑しい」 頬を薄く染めた嬉しそうな顔が、意味ありげな目をして彼をじっと見つめる。 これ、とストールの縁を持ち上げる。 爪先立ちで背伸びをすると、声をひそめて彼の耳元に訊き返してきた。 「ねえねえ。こっちのほうが似合ってる?」 耳をくすぐる甘え気味な声と、不意打ちな言葉。 土方は一瞬目を見開いた。 目線がそのままふらりと宙を泳いで、不自然な動きで店の外へと向けられる。 「・・・知るか」 落ち着かないようすで懐に手を突っ込み、ぎこちなく歩き出した彼の背中に 満面の笑みを浮かべたがついていく。 しかし二人が店を出ようとした直前、店員が一人寄ってきた。 お待ちください、と彼等の前を遮って引き止める。 「あのォ、お客様」 「何だ。」 「いえ、その。大変申し上げにくいんですが」 言葉通りの実に言いにくそうな表情で、ちらちらと背後の店内を窺う店員の少し後ろでは なにやら騒ぎが起こっていた。 数人の店員が、一つの試着室の前になぜか集まっている。 それを店内の客たちまでが、なぜかそれぞれに唖然として見ているのだ。 店員の一人が試着室のカーテンを半開きにすると、困惑しきった顔で中を覗き込んで言った。 「お客様・・・ウチはレディースブランドですので、ご試着は・・・」 「ねえねえトシィィィ。これは?これも可愛いくなァい?ほらァ、帯留にお花がついてるのっっ。 あっ、でもォ〜〜。こっちの白いのも可愛ィぅィィ〜〜。 ええ〜〜、どうしよう。ねえ、トシはどっちがいい?どっちが好きィ?」 半開きのカーテンをバッと跳ね開けて、見知った顔が振袖姿で踊り出してきた。 なぜそこまで無用に爽やかなのか、とツッコみたくなるほどに満面の笑みを輝かせた近藤が。 ガタイの良い三十路も秒読み段階なオッサンが、頭にはリボン付きのカチューシャを飾り 金糸銀糸の刺繍もきらびやかな大輪紅牡丹柄の晴れ着に身を包んでクルクル舞っている。 表情を、いや全身を瞬間冷却され、声まで凍りつかせた土方とが呆然と立ち尽くす。 帯も着物も装飾品も、身につけたすべてが女性用。 当然、帯留に施された牡丹の花飾りは今にもブチッとはち切れる寸前だ。 そして言うまでもなく当然に、目にしたくもない局長の醜態を見ざるを得なかった二人の忍耐も 今にもブチッとはち切れる寸前なワケだが。 「お連れ様ですよね?」 実に言いにくそうな表情で、店員が彼に再び問いかけてくる。 土方とは無言で顔を見合わせると、揃って無言で店を出ていった。 置き去りにされた女装マッチョの哀感漂う雄叫びが、店内に虚しくこだました。 「トシィィィィ!!!?」
「 触れる指先の我儘を 3 」text by riliri Caramelization 2009/01/30/ ----------------------------------------------------------------------------------- たまにはフツーにかっこいい局長ネタを思いつきたい なんとか早急に救済したい 次からは通常仕様に戻ってるはずですすいません(逃 next